前編
俺には夢がある。誰にも譲れない、俺だけの夢がある。そして俺は、この夢に誇りを持っているんだ。
「よし…よし!ここの設計はばっちりだ!」
古くさい電球の明かりが辺りを照らすだけの薄暗い地下室の中、俺は床の上に大きな車の設計図を広げて、次々と修正箇所を書き足す作業をしていた。参考にできる本は手当たり次第あさって穴が空くほど読んだから、自作とは言えこの設計自体はでたらめではない。だが…
「うーん、理論は完璧なはずだけど、材料がな…」
理論だけでは車は動かない。車が最高の出力を持って動くには圧倒的に優れた材料が必要になる。
「ああ、もう!こんな材料どうやって集めればいいんだ?」
俺は思わず持っていた鉛筆を地面に放り投げた。と、そのときドスドスと階段を降りる音が聞こえた。とうとうあのクソ親父が、嗅ぎ付けてこの地下室にやって来たんだ!
「どこだ!馬鹿息子!!」
親父の獣のような怒声が俺の居る地下室に響き渡る。逃げる場所も隠れる場所もこの地下室には存在しない、俺は親父が目の前に現れるのを、身構えて待つことしかできなかった。
「やっぱりここに居たか…!馬鹿野郎!何度言えば分かるんだ!こんなくだらないことはやめろ!」
親父は俺の自作の設計図を取り上げてメチャクチャに破いてしまった。
「お、おい!いくら何でもさ、そこまでしなくていいだろ!」
俺は親父に掴みかかろうとしたが、思いっきり顔をぶん殴られて地面に倒れこんだ。
「お前はな、俺の後を継ぐための勉強さえしていればいいんだ!また殴られたくなければ、余計なことは考えるな!」
そう言って親父は倒れたままの俺をかまうこともなく、地下室から出ていってしまった。俺は地面に倒れたまま、じんじんする痛みをこらえながら、あまりにも悔しくて何も言葉を出せなかった。
俺は集落とも言えるようなみすぼらしい村に住んでいる。そして、俺の親父はこの村を統べている大地主だ。この村の一番の権力者であり、親父に逆らう奴は殆ど居ない。そう、俺と後一人を除いたら…
俺は自分の部屋に戻ると、鍵をかけ、戸棚の裏に隠していた車のカタログを取り出した。このカタログは、もう7年も前になるものでかなりボロボロだ。しかし、この本がなければ俺は車を好きになることがなかったかもしれない。そして、自分で車を作れるようになりたいと夢を抱くこともなかっただろう。色あせた車の写真だが、そこに写っている車は俺をいつも虜にした。だが、これを眺めているだけじゃあ満足できない。俺は作りたい。目を輝かせざるを得ないような完璧な見た目、そして誰もが満足できる圧倒的な機動性を持った、最高の車ってやつを!
「はぁ…リチャール、何ニヤニヤしてるのよ、気持ち悪い」
どこからか聞き覚えのある声がした。振り向くと、窓の外から俺の”婚約者”のベリーが顔を覗かせていた。
「お、お前!いつからそこに…」
「だって、今日行くよーって先週別れるときに伝えたじゃん。ご丁寧に窓の鍵をあらかじめ開けといてくれたみたいだけど、何一人でにやついてるのさ」
ベリーは長い赤ら髪をポニーテールみたいに結んだ少女だ。きりっとした目元から彼女は男勝りな性格であることがそれだけで分かる…。
「あ、ああ…それは…少し、色々あってだな…」
俺の戸惑う様子を見て、彼女は何があったのかを大体察してくれたみたいだ。
「ふーん、なるほどね。まぁ、仕方ないから、今日も車馬鹿のあんたの話、色々聞いてあげるよ」
俺は待ってましたと言わんばかりに心を踊らせた。
「おいおい、一方的に話すだけじゃつまらねぇだろ?音楽オタクのお前の話もいつもみたいに聞かせてくれよ」
それを言うとベリーも口元をほころばせた。今日も夕方まであっという間だろうな、と俺はふと思った。
先ほど、ベリーは俺の“婚約者”だと言ったが、それは正しいようで正しくない。俺にとってベリーは、夢を語り合う大切な仲間だ。ベリーは俺の語る夢をいつも楽しそうに聞いてくれるし、俺もベリーが語る音楽の話を聞くのが大好きだった。お互い会話の中では少し小馬鹿にするような言い方もするけど、俺たちはお互いの持つ夢を心から尊敬している。そして、その夢をお互いがいつか叶えることができるだろうと信じ合っているんだ。
「…ねぇ、実はさ、あたしフィルビアって街の音楽学校からぜひ入学しないかってお誘いが来たんだ」ベリーが少し気恥ずかしそうに語った。
「マジかよ!良かったじゃねぇか!」
「ようやくこれで夢に近づけるな!ベリー!」
「ちょ、ちょっと!大げさだよ、恥ずかしいからやめて」
ベリーは顔を真っ赤にしていた。
「でもさ…お前のご両親はどう思ってるんだ?お前が結婚を拒否したがっているのを認めてくれるのか…?」
その途端に、ベリーは心配の表情を浮かべた。ベリーは“婚約者”であるが、それは本人が望んだものじゃない。それは俺の親父によって勝手に決められたベリーと俺の意思を無視した強引な婚約だ。そう、親父は俺とベリーが結婚して、二人でこの村を管理する当主になることを強制しようとしている。だが、俺もベリーもそんな未来は真っ平ごめんだ。俺達には俺達だけの、誰にも譲れない夢があるのだから。
「実はね…お父さんもお母さんも表向きでは私の夢を否定してるんだけど…」
ベリーはそう言いながら、一枚の紙を俺の前に出した。
「入学手続きが確認できました…?お、おい!これって…」
「そう!私にも黙って入学の手続きをとってくれたみたいなの!信じられないでしょ!」
ベリーは弾けるような声色で満面の笑みを浮かべた。
「良かったなぁ、ベリー…よ!未来の大音楽家!」
俺はわざとからかう感じでベリーのこの朗報を祝ってやった。
「も、もう!あんた、そうやっていつも大げさな言い方するんだから…」
そう言いながらも、ベリーは喜びを隠せない様子だった。
「…でさぁ、そのフィルなんとかって街に行くんだろ?いつ出発なんだ?」
俺がそう言った途端に、ベリーは少し寂し気な表情を浮かべた。
「えっとね…一週間後にはこの村を出るつもりなの。学校の寮に住むつもりだから、その…家族とも、あんたともしばらくお別れね…」
それを聞いて俺は、寂しい気持ちがひしひしと込み上げてくるのを自覚した。だが、そんな感情は今は必要ない。
「そうか…胸張って行ってこいよ、ベリー。お前なら、絶対に夢を叶えられるさ」
ベリーは顔を地面に伏せた後、俺に向き直り再び笑顔を浮かべた。
「…うん、あんたも立派な設計者になってね、リチャール」
気が付くと外は夕暮れ時になっていた。「じゃあ、またね」とベリーは別れを告げると来た窓から出て帰っていった。俺は、喜び以外にも色々な感情が沸き起こっていたが、同時に夢を叶える決意を新たに固めたのだった。
「なんだよお前…いつも俺からは離れて座る癖にさ」
夕食の席に着くと、俺の隣に弟のリーフが厚かましく座ってきた。リーフは白い髪で少しおかっぱ頭な髪型をしている。俺とは対照的に肌は青白く、どちらかと言うと細いと言える目には油断できない怪しさが潜んでいるように感じられる。
「いやぁ、たまたまだよ兄さん。そんなに邪険に扱わなくていいでしょ?」
くすくすとリーフは笑う。この笑い方が俺はいつも嫌いだった。
「それより、さすがにもう諦めはついたのだろうね?」
リーフが言いたいことは分かっていた。
「…お前には関係ねぇよ。リーフ。これは俺と親父の問題だ」
「はぁ、なんでこう兄さんは僕に冷たく当たるのかなぁ。僕は心配してるだけなのにさ、かけがえのない兄の事を…」
「やめろ、リーフ。お前が俺を邪魔だと思っていることは分かっているよ。優秀な自分が後継者に選ばれない原因がここに居るからな」
リーフは呆れたようにため息をついた。
「やれやれ…すっかり嫌われてるなんて悲しいな。…まぁ、しょうがないか」
リーフは夕飯の肉を一口ほおばって楽しそうに言った。
「兄さん、精々夢のために頑張ってね。…僕も、夢のためになんだってやるつもりだからさ…」
俺は思わずぞくっとした。その時のリーフは笑顔で語っていたが、その笑顔は今までのよりもさらに歪んでいるように見えたからだ。




