465.そしてママ
胸を押さえて、今にもうずくまりそうなダメージを受けた俺。
懇願する目でさくらを見る。
「おじさんと子持ちは効くからやめてくれ」
「でもパパって呼んでるよ? それにおじさんはおじさんだし」
「うぅ……ユキ、元の姿にちょっともどってくれ」
「分かりました、パパ」
ユキは素直に頷いたあと、全身がどろどろに溶け落ちた。
可愛らしいドレスも体の一部――いわば「皮」みたいなもので。
ユキはたちまち元の姿に。
ユニークモンスター・スライムの姿にもどった。
「なにこれ」
「見ての通りだ。ユキは人間じゃなくて、スライムだ」
「へえ、そうなんだ」
「ってことで、ユキは俺の娘って訳じゃなくて、子持ちというのは違うから」
「いやわかんないよ。おじさんがスライムに苗床にされて産んだ子供かもしれないし」
「そんな誰も喜ばない発想やめて!」
「私は喜ぶ!」
さくらは胸を張って、大いばりで言い放った。
あーそうだったな、そういうご趣味だったな。
別にそれはいいんだけど、「おじさんが」って言われたせいで、フェミニの時以来のおぞましい想像が脳裏をよぎった。
「とにかく違うから」
「そっか。でもじゃあなんでパパって呼んでるの? そういうプレイ?」
「とことん俺を変態にしたいらしいねあんたは。そこは色々あるんだ、ユニークモンスターの件も、説明してあげるから」
「なんか複雑そうな話っぽいね」
「この世界の仕組みは、色々尖ってるからな」
「へえ、それはおもしろそうだ」
俺はくすっと微笑んだ。
まだ出会って間もないが、さくらの性格ならそういうのは何となくなっとくだ。
良くも悪くも、愉快な性格をしている少女だなと俺はおもったのだった。
☆
テスト部屋で立ち話も何だから、俺達はサロンに移動した。
俺とさくら、そしてさくらに「高レベルしゅき」とひっついて離れないイブ。
更にアリスとセレスト、そしてバナジウムにユキ。
まだ帰宅してない仲間達が多くて、普段の半分くらいの人数だ。
「いやでも信じらんないけど、ここって本当にダンジョンの中?」
どこぞの貴族の屋敷にしか見えないサロンの中を見回したさくら、当たり前の疑問を口にした。
「それはこの子――バナジウムのおかげだ」
「バナジウム? 女の子の名前っぽくないね」
「水兵リーベの23番なんだ」
「水兵リーベって、どういうこと?」
さくらは首をかしげた。
周期表の存在自体知らないってことはないだろうが、その詳細まで知っている訳でもないようだ。
それならそれでいい。
「この世界のダンジョンって、必ず一人、ダンジョンの精霊が存在するんだ。精霊は自分のダンジョンの構造を好きに変えられる。ここがダンジョンっぽくないのは、バナジウムが仲間になってくれて、要望を聞き入れてくれたからだ」
「……(ニコッ)」
バナジウムは俺のそばで、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
ありがとうって言いたいのはむしろこっち、といいたげな表情だ。
「すごいね、よく知らないダンジョン? の精霊を仲間って、物語の中盤から終盤くらいの話じゃん」
「普通はそうかな」
俺はちょっとだけ苦笑いしてから、改めて彼女に質問した。
「それで、これからどうするつもりなんだ?」
「うーん。ねえ、こっちの世界にゴブリンとかいる?」
「ゴブリンとオーク? まあゴブリンはいたな。オークも――ああ、ミニオークというのと戦ったことがあったな」
「そかそか、じゃあゴブ×オークいけるね」
「は?」
きょとんと、目が丸くなった俺。
いきなり何を言い出すんだこの子は。
「あっ、私は大抵は許せるけどこの組み合わせでリバは無しね。単体でも強いオークと単体じゃ弱いゴブリン、だからこそ生まれるゴブ攻めオーク受けの王道は譲れないって思うんだ」
「いや意味がわからないし」
というかそういう話でもないし。
「くっ殺姫騎士を巡って争う善人オークと七人のゴブリンってのも捨てがたいところ――」
「いやそうじゃなくて、ここにずっといるのか? って意味だ」
「――ここに?」
「帰る方法を探してやろうか、ってことだ」
さくらは黙り込んだ。
仲間達もだまって何も言わなかった。
しばし沈黙が流れる、さくらは思案顔をしてから。
「うーん、ちょっと考えさせて。ここおもしろそうだけど、今はちょっときめらんない」
「そうか。うん、まあそうだな」
気持ちはわかる。
俺もこっちの世界に来て、最初はエミリーへの恩返しと生活に追われていたからそう思う暇もなかったが、こっちの魅力的な世界を前に、すぐにもどるもどらないと決めるのはちょっと難しい。
「おじさんは帰らないの?」
「……俺はもうその気はないかな」
ふっ、と微笑んだ。
セレストとアリスは神妙な顔で俺を見つめた。
今となっては、仲間達との生活が大きくなって、もどるつもりなんてさらさら無い。
向こうでの日々があまりにもクソゲーだったというのもあるけど、それ以上に仲間達との日々が素晴らしくてもどる気がしない。
「そっかー」
俺の表情から何か感じ取ったのか、さくらはやはり神妙な顔で頷いた。
そうしてまた沈黙が流れると、ドアがノックされて、エミリーがワゴンを押して入ってきた。
「お待たせなのです」
ワゴンの上には湯気立ちこめる紅茶と、ケーキやクッキーなど、色とりどりなスイーツが載せられている。
「おー、なんかすごいね。なんか全部美味しそう」
「美味しいぞ、なんたってエミリーの手作りだからな」
「ほっぺたが落ちるわよ」
「食べると安らぐんだよね」
「ニンジンケーキから食べるべき」
それまで黙って成り行きを見守っていた仲間達が、一斉にエミリーの手作りスイーツを褒め称えた。
エミリーはといえば、いつものように頬を赤らめつつ、嬉しそうな照れ笑いをしていた。
まだ半分お客様なさくらに、エミリーは皿とフォークをつけたケーキを手渡した。
さくらが器用にデザートフォークを使ってケーキを一口頬張ると――。
「私ずっとココにいる!」
「へっ?」
「ママって呼んでいいかな!」
保留になっていたさくらのそれを一瞬で答えに寄せたエミリーの料理。
俺達は一瞬だけきょとんとしたが、すぐに「まあそうなるか」って感じになったのだった。