397.ふたりのおんなのこ
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃいなのです」
エミリーに見送られて、俺たちは新屋敷・バナジウムダンジョンから地上に出た。
庭に出て、隣の小さな女の子を見る。
バナジウム。
幼い女の子は体よりも大きい魔法カートをよいしょ、よいしょって感じで押している。
「大丈夫? 重くない?」
「……(コクコクプルプル)」
大丈夫と重くない、両方の返事が入り交じった返事にちょっとクスッときた。
「それじゃ、行こっか」
「……(こくこく)」
バナジウムを連れて、屋敷の庭を出て、シクロの街を歩く。
早朝のシクロはほとんど人が無くて、シーンと静まりかえっている。
「理想的な街並みだよな」
「……?」
「この世界って、ゴミはすぐハグレモノになるから、街はどこに行ってもゴミが無くて、すっごく綺麗なんだよ」
早朝の人気が無い時だと、よりいっそう際立つ。
街並み、区画は乱雑としているが、ゴミは一切落ちていない。
日本でも、海外に比べれば、圧倒的にゴミが少ない方だ。
欧米では道に汚物が平然と落ちてて、それで踏まないようにハイヒールが産まれたくらいだ。
日本もかなり綺麗だが、それでも、ところどころに細かいゴミが、煙草の吸い殻なんて落ちてるもんだが。
こっちの世界のある程度人がいる街だと、ゴミはまったく落ちてない。
ゴミなんてあったら、ハグレモノになって、モンスターが街を襲うからだ。
まあ、そういう意味じゃ。
汚物を踏まないためのハイヒール、モンスターに襲われないためのゴミゼロ街並み。
両方の本質は一緒なのかもな。
そんな綺麗で人気の無い街をバナジウムと一緒に歩いて、テルルダンジョンに向かう。
バナジウムのリハビリのためだ。
徐々に人恐怖症が治ってきたバナジウムのために、転送部屋じゃなくて、一緒に街を歩いて、ダンジョンに向かうことにした。
思いついて、提案したときはどうなるものかと思ったが、当のバナジウムは俺のお手伝いが出来るのが嬉しいのか、小さな体でヨイショヨイショって感じで押しているが、顔は嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「ありがとう」
「……(ニコッ)」
頭を撫でると、笑顔を返された。
そうしながら、二人でゆっくりと歩いて、テルルダンジョンに出勤した。
朝のテルルダンジョン一階。
もとから人気が少ない方のそこは一際静かだ。
「おはよう」
「あっ、おはよう。ロードさん」
ダンジョンに入ってきた俺たちに話しかけてきたのは、白髪で背の低い老人。
顔に刻まれた深い皺の数々は、八十歳は楽に超えているように見える。
「今日もせいがでますね」
そういって、ロードじいさんが戯れてるスライムを見た。
ロードさんはまるで拳法の太極拳のような動きで、襲いかかるスライムをいなしている。
いなして、いなして、ひたすらいなす。
倒しはしない、ただいなす。
いきり立って、愛嬌はあるものの、ものすごく怒った表情をしているスライムをとにかくいなす。
ダンジョンの中でスライムとのそれは、まるで、朝の公園で体操しているように見えた。
これを、ロードさんは毎日やっている。
人気の少ない早朝に来てやっている。
一部の間では、名物おじいさんとして認識されている。
「体を動かさないとボケてしまうからねえ」
「これだけ動けるのなら、まだまだ現役でやっていけるんじゃないんですか?」
「いやいや、僕のような老人が若者の活躍の場をとっちゃだめだよ」
「そんな事もないと思いますよ」
「やる気がもう無いからねえ。やる気が無い人が、いつまでも居場所を占拠しちゃだめ。用を足さないのに、トイレの個室を占拠されたら、感じ悪いでしょ」
「ユニークなたとえですね」
スライムと戯れつつ話すロードさんは、一見して、ただの好々爺みたいな感じだ。
しかしスライムをいなすだけで三十分、長い時は一時間もやっていられるロードさんは間違いなく冒険者としてもかなりの実力をもったまま。
その生き方に、ちょっとだけ興味をもった。
「ところで、そっちの子は? リョータさんの娘さんかい?」
「ああ、いえ。ちょっとした事情で一緒に暮らしてる、バナジウムって子なんだ」
「そうなんだ。そうだ、バナジウムちゃん、飴ちゃん食べるかい?」
ロードさん突進するスライムをいなして、その勢いで一際遠くまで流し飛ばしてから、ポケットに手を入れて、個包装のあめ玉をいくつか取り出して、バナジウムに差し出した。
バナジウムはそれをしばし見て、俺を見上げた。
「おっ?」
思わず声が出た。
バナジウムが俺を見上げた目は、救いを求める出会った頃のような目じゃなかった。
「本当に貰って良いの?」
と聞いてきてるような目だ。
「もちろん、貰っておきな」
「……(にこっ!)」
バナジウムは頷いて、あめ玉を貰って、ロードさんに笑顔を返したのだった。
☆
体操を終えたロードさんがダンジョンから出て行った後、俺はバナジウムとダンジョンの地面に腰を下ろした。
あぐらを組んで座る俺の膝の上に、バナジウムが座って、包装をつたない手つきで破いて、飴を口の中に入れた。
よほど美味しいのか、みるみるうちに笑顔になる。
他人から飴をもらう。
今日もまた一歩前進だな、とちょっと嬉しくなった。
「ああっ、ここにいたなの」
「ん? マオじゃないか」
聞いた事のあるような幼い声に顔を上げると、そこにフィリンダンジョン協会長、マオ・ミィの姿があった。
おそらく全協会長の中で一番幼いマオ。にもかかわらず匂いでの利き酒は他の追従を許さない高いスキルを持っている。
そのマオが、つかつかとおれの前にやってきた。
「どうしたんだ、ここに来るなんて」
「屋敷にいったらあなたはいなかったの、というか屋敷に入れないから探して外で会おうとおもったの」
「なるほど」
「そこはマオの席なの?」
「え?」
いきなり、何を言い出すんだとおもったら、マオはバナジウムの反対側、空いてるもう片方の膝に座った。
あぐらを組んで座る俺、その膝の上にバナジウムとマオの二人が乗った。
「何も競わなくても」
苦笑いする俺。
そういえばマオと初めて会ったときからずっと膝の上に座られていたっけな。
「競ってないの。あなたに会うときは定位置に座る、それだけなの」
「そうか」
競うというか、意地を張ってるというか。
普段は大人びているが、見た目通り、幼いマオだから、ちょっとだけ彼女の行動にクスッときた。
バナジウムはそんなマオを見て、少しの間、何かを考えた後。
「……(すっ)」
さっきもらったあめ玉から一つ、手のひらに載せてマオに差し出した。
「え?」
「マオにお裾分けか?」
「……(こくこく)」
「うっ……」
やっぱり意地を張っていた部分はあったんだろうな。
無邪気にバナジウムが飴を差し出したもんで、マオは明らかにうろたえた。
バナジウムは差し出したまま、小首を傾げた。
それに促されて、マオはおずおずとあめ玉を受け取った。
「……良い子なの」
「ん?」
「はっ。ち、違うの! ……これで勝ったと思わないでなのー!」
マオはパッと飛び上がって、捨て台詞を残して、脱兎の如く逃げ出した。
「……いやいや」
マオの反応が微笑ましかった。
その一方で、俺はバナジウムの頭を撫でた。
「偉かったな」
「……(にこっ)」
俺に頭を撫でられて、くすぐったそうに、でも気持ちよさそうに頭を押しつけてくる。
マオに感謝だな。
どういう思考の変遷なのは分からないけど、マオのおかげで、バナジウムのリハビリがまた一歩進んだ、そんな気がした。
そうやって、バナジウムを撫でつつ、マオに後でお礼を言わないとな――と思っていると、彼女が戻ってきた。
「どうした、まだなにか――」
「ありがとうなの!」
赤い顔でそう言い捨てて、マオはまたしても逃げ出してしまった。
俺はクスッと笑って。
後でこっちから会いに行こう、と思ったのだった。