350.ウサギと食肉
シクロの屋敷、買い取り所の中。
燕の恩返しの看板が外れたそこで、俺はエルザとイーナの二人の行動を見守っていた。
二人は俺が持ち帰った牛乳を鑑定している。
色とか味とかを確かめて、
色々やって、顔を上げてアイコンタクトをして、頷き合う。
どうやら結論が出たようだ。
「お待たせしました」
「どうだエルザ」
「はい、間違いなく今までのカルシウムにはない新しい牛乳です……ただ」
「ただ?」
「味は今あるのに比べると低い方です……」
エルザは申し訳なさそうに言って、イーナが補足した。
「脂肪分が高すぎるのね、これじゃ味がくどすぎて受けないわ。使い道がないわけじゃないけど」
「そうか。いやそれはいいんだ」
「それもそうですね、また改良すればいいんですから」
「それもそうだけど」
「だけど?」
イーナが小首を傾げ、聞き返してきた。
「出来れば牛乳以外にしたい。ダンジョン半分くらいを。ぶっちゃけハセミの問題って、牛乳の過剰生産だろ?」
「あっ」
「そっか、牛乳の階を減らしたいんだ」
そういうこと、と頷く俺。
「まあ、とりあえず改良は今まで通りやれる事がわかったんだ。後は回数こなしてどんどん改良していくだけだ」
☆
カルシウムダンジョン、地下一階。
牛の模型を手に入れて、どこでもミノタウロスを呼び出せるようになった俺は、イヴを連れて一階からやっていくことにした。
牛乳とそうじゃない階を交互にするか、それとも種類ごとにブロック分けにするか。
それは今から考えるけど、どっちにしろ、象徴的な意味を持たせるために、一階は変えることにした。
その一階で模型を置いて、イヴと一緒に距離を取る。
「低レベル」
「うん?」
「次はウサギに任せる」
イヴはフンス! とばかりに鼻息を荒くした。
「任せるって?」
「ウサギなにも出来なかった」
口調まで心なしかいつもより強めなイヴ。
一瞬何のことかと思ったが……なるほど。
ハグレモノ待ちの牛の模型をまるで親の仇のように睨むイヴを見て、何となく察した。
今回は活躍するって前から言ってたのが、さっきのミノタウロス戦で不覚を取ったんだっけ。
それでやる気になってるのか。
とは言え、品種改良は長期戦だ。
継続でやるためには、ミノタウロスのトドメは俺がやって、ドロップさせないといけない。
だから、イヴに任せられる事と言えば。
「ミノタウロスの足止めしかないけど、それでいいか?」
イヴは速攻で頷いた。
「そのつもり。ウサギは出来る事はちゃんと把握出来るタイプ」
「そうか」
それはありがたい。
説得の必要もこじれる心配もないのはありがたい。
となると、俺はしばらく出番はないな。
完全に警戒態勢を解いて、観戦モードに入った。
しばらくして、牛の模型がミノタウロスに孵った。
ダンジョンの空気が再びダンジョンマスターのそれに染め上げられていく。
咆吼するミノタウロス、殺気がピリピリと肌に突き刺さる。
それでも俺は動かなかった。
横からイヴが飛び出した。
イヴを信じて、全部任せる。
さっきはミノタウロスに気絶させられたイヴだったが、今度は突進しつつ、豪腕からくり出される斧の猛撃をかいくぐって、懐に潜り込んだ。
そして――手刀。
イヴの代名詞でもある優しく見える手刀を叩き込んだ。
スローなのが、同時で四つ。
静かで、早くて、遅い。
そんな不思議なイヴの必殺技。
ミノタウロスの四肢が一瞬で吹っ飛んだ。
四肢を失って、地面に転がるミノタウロス。
すぐさま復活モードに入った。
小さなミノタウロス、雄7に雌7の計十四体。
現われるなり、一体が犠牲になってミノタウロスの四肢が再生――したのとほぼ同時に。
「ウサギは許可しない」
イヴは速攻でまた四肢を吹っ飛ばした。
ものすごく集中しているのが分かる、再生とほぼ同じタイミングで吹っ飛ばしたからだ。
それを繰り返した。
最初のとあわせて、計十五回。
ストックを全部使い切って、ミノタウロスは地面に転がった。
「ウサギ、ミッションコンプリート」
「ああ、お疲れ様」
警戒を解いたイヴ。
しばらくしてから品種改良に必要な時間が経過して、俺は動けなくなったミノタウロスの眉間に軽々と成長弾をぶち込み、倒して改良を仕上げした。
☆。
「ふぅ……」
夕方、天使を倒して牛乳をドロップさせた俺は肺にたまった息を吐き出した。
疲労とともに吐き出す息は、徒労の二文字がぎっしり詰まっていた。
あれから10回近く改良したが、牛乳は牛乳のままだった。
牛乳以外のものにしたい俺にとって、今日一日徒労で終わったことになる。
まあ仕方ない、今日は引き上げよう。
イヴの協力で体力はまだまだ残っているが、夜は働かないとエミリーに約束してる。
今回は長期戦になりそうだから、ますます、今日は頑張らないことにした。
俺はイヴに話しかけた。
「今日はこれまでにしよう」
「もう終わり?」
「ああ。続きはまた明日だ」
「……わかった」
イヴは俺が倒して、ミノタウロスがドロップした牛の人形をバニースーツの胸の谷間にしまった。
それなりのサイズの模型だが、イヴの胸に綺麗に収まって、サイズが一回り大きく見えた。
ごくり――と喉が鳴りそうなのをグッと堪えた。
「それ持って行くのか?」
「ウサギがあずかる」
イヴは静かにうなずいた。
ぬけがけ防止、ってところか。
まあ、イヴがあずかってくれるのだ、難しいことは考えなくてもいっか。
「それじゃかえろっか」
「ウサギは用事があるから」
「そう? わかったじゃあ先に帰ってる」
イヴの別行動はいつもの事だったから、俺は特に疑問に思うことなく、来た時に開いたゲートで屋敷に戻った。
☆
次の日の朝。
起きて身支度を一通り済ました俺は食堂にやってきた。
仲間達がエミリーの朝食を取っている。
ちなみにもう、アリスとエミリーしか残ってない。
朝は中々揃わないものだ。
準備が出来た物から順次に仕事に行く、比較的揃うのは夜だ。
だから二人しか残ってないのはある意味普段通りの光景なのだが……。
「イヴはいないのか?」
「イヴちゃん? いないよ?」
「昨日からずっと帰ってないのです」
「帰ってない?」
俺が聞き返すと、エミリーは静かにうなずいた。
「はいです、夜の戸締まりをした時も朝起きた時もいなかったです」
「へえ、どっかで道草でも食ってるのかな?」
「イヴちゃんなら『ウサギは草は食べない、食べるのはニンジンだけ』とか言いそうだけどね」
「言いそうだな」
アリスとエミリーと、三人で笑い合った。
そうしている内に。
「イヴちゃん」
アリスが俺の背後を見て言った。
振り向く、そこにイヴの姿があった。
うさ耳はピンと立ってて目はギラギラしてるが、目の下にクマが出来ている。
どうしたんだろう、と思いつつもさっきのネタを振ってみた。
「その様子だと昨日帰らなかったのか? どこで道草を食ってたんだ?」
「ウサギはニンジンしか食べない」
思った通りの返事に、俺たちはクスリと微笑んだ――のだが。
「だからこれはいらない」
イヴは続けて、肉の塊を食卓の上に放り出した。
「これは?」
「ウサギは牛肉食べない」
「いや、牛肉なのはなんとなく見て分かるけど」
牛と豚と鶏、よく食べる食肉はパッと見て何となく分かる。
分かるが、そうじゃない。
「ドロップした」
「……どこで?」
ドロップと聞いた瞬間、俺の頭の中にある事を思い浮かべた。
聞き返しながら、視線はイヴの胸を凝視。
胸のサイズはいつも通り――模型がそこにはない。
もしや――。
「カルシウム一階」
やっぱりだった。
そしてその事から推測すると。
「一晩かけて改良したのか」
「低レベルのくせに察しいい」
イヴは俺にチョップをした。
模型は一つ、イヴが出来るのは一回きり。
その一回で、イヴは改良に成功したみたいだった。