307.ニホニウムの決意
「な、なあ」
夜のビラディエーチ。
協力してくれたお礼をかねて、エミリーとセレストと一緒に飲みに来ると。
ちょっと弱気な、冒険者らしき男が話しかけてきた。
「うん? なんだ?」
「ちょっと確認したい事があるんだが……テネシンのあれ、ありゃあんたがやったのか?」
俺は少し考えて、軽く頷いた。
「ああ、そうだ」
「そ、そうか。分かったありがとう」
冒険者は納得して、三つ先のテーブルに待っている仲間達の元に戻っていた。
「どうだったよ」
「リョータの意志でやってるんだってよ」
「やっぱりそうか。って事は向こうが何か理不尽な事をしてるのか」
「だろうな。くわばらくわばら」
意識して耳を澄ませて、彼らの会話をキャッチした。
「狙い通りだな」
「狙った以上の結果になりそうね」
セレストが微笑みながら、ビールを飲み干した。
「狙った以上?」
「さっきリョータさんとその人が話したとき、結構な数の人が聞き耳を立ててたわよ」
「なるほど」
ぐるっと周りを見た。
何人かが慌てて目をそらし、何人かが愛想笑いした。
「なるほど、確かに聞かれてたな」
「多分明日に……いいえ、今夜中にも広まると思うわ」
「噂で持ちきりなのです」
「そうだな。それで人柱が止められれば言うことは無い」
聞かれている、と分かったからあえてそう言った。
特に大きな声を出すでもなく、強調するでもなく。
今でも聞き耳を立てられてるだろうし、こう言えば噂は勝手に広まっていくだろう。
案の定、酒場・ビラディエーチはいつもの喧噪とは違った種類のひそひそ声が聞こえてきた。
これでやれることはやった。
「改めて。エミリー、セレスト。協力してくれてありがとう」
「どういたしましてなのです」
「それは水くさいわね。ファミリー仲間で、あなたに協力するのにそんなかしこまった礼はいらないわ」
「そうか、じゃあサンキューな」
セレストがそう望んでいるらしいから、もっと軽めの感謝の言葉を口にしつつ、ビールのジョッキーを突き出す。
セレストも、エミリーも笑顔でジョッキーをカチン、とあわせてくれた。
そう言って、またそうしてくれる二人に。
俺は違う意味で、そして心からひっそりと感謝した。
☆
「遅かったじゃん? なんて言うんだっけこういうの? 午前様、だっけ」
「アウルム、それにニホニウム」
屋敷に戻ってくると、廊下で二人の精霊と出くわした。
どうやら風呂上がりのようで、二人とも上気していて普段よりもだいぶなまめかしかった。
特に髪をアップにしてまとめたニホニウムは、他のファミリーには中々無い、大人な色気を放っている。
午前様だって言い放ったアウルムに咎める意志はなく、それを話すという行為そのものを楽しんでいるように見える。
「風呂に入ってたのか」
「うん。良いもんだよね、風呂って。こんなことならもっと早くダンジョンから出れば良かったよ。まっ、リョータが来るまで出れなかったんだけどさ」
「風呂はもちろんいいものだけど、一応言っとくがエミリーだからだぞ。この屋敷はエミリー空間だからあらゆる設備が他よりもいいんだ」
「そっかー」
手をポンと打って、納得するアウルム。
一方で、ニホニウムはアウルムにくっついたまま何も話さない。
ダンジョンから連れ出したが、アウルムに預けて以来あまり話してない。
任せろとアウルムはいってるが、大丈夫なのだろうか……。
「でさ。お酒を飲んできたって事は、テネシンの事は上手くいったんだ」
「とりあえずはな、やれる事はやってきた」
ざっと一通り、軽く状況をアウルムに説明。
小気味よい相づちを打ちながら最後まで聞いたアウルムは。
「ドロップとか消さないの?」
「ドロップ?」
「ほら、あたしん時そうしてたじゃん」
「……ああ」
アウルムに言われて、その時の事を思い出す。
インドールのアウルムダンジョン、オーバーワークして倒れる冒険者がいたから、アウルムに夜間のドロップ制限をしてもらって、労働時間改革をやった。
それが巡り巡ってアウルムがここにいる事に繋がった。
「なるほど、精霊に――テネシンにあって、説得してドロップをなしにすればより確実か」
「そっ。そこまでやったらもう向こうが手出し出来なくなるっしょ」
「ふうむ……」
俺はあごを摘まんで、その可能性を検討した。
確かに、効果はある。
あるが。
「向こうもテネシンに会ったらややこしくなるな。ただでさえ今の一階を抜けるにはダンジョン生まれが最適解なんだ。レベッカ・ネオンみたいに抜けるだけじゃなくてさらっと会える冒険者がいたらややっこしいことに」
「だったらさ」
アウルムは自分の背中に隠れている、寡黙を貫いているニホニウムを俺の前に押し出してきた。
「えっ?」
「ニホニウムにやってもらえばいいじゃん」
「ニホニウムに?」
「こいつの能力忘れたの? ダンジョンマスターについちゃうくらい得意なあれ」
「……ああ」
アウルムに言われて思い出した。
ニホニウムのダンジョンマスター。
通常のダンジョンマスターは出ている間そのダンジョンのモンスターがいなくなる、つまりドロップが一切合切なくなる。
ニホニウムのダンジョンマスターはそれよりも更に一歩先を行ってて、出ている間はシクロ中のドロップがなくなってしまう。
それはニホニウムが抱えてる闇のなせる業だ。
つまりニホニウムなら、テネシンに関係なくテネシンのドロップを止められる。
そしてテネシンじゃないから、冒険者がテネシンの精霊にあっても何も変わらない。
「確かに、効果的な手だ」
「でしょ」
アウルムは得意げに胸を張った。
湯上がりの薄着でちょっとだけ揺れた……ごほん。
効果的な手だ、それは間違いない。
だが。
「それはやめよう」
「……え?」
「なんでさ」
不服そうなアウルムに軽めのデコピンをした。
彼女はおでこを抑えて、更に恨めしげに俺を見る。
「そもそもの事を忘れたのか? 俺は彼女のそれを解消したいんだ。なのにその力を利用してどうする」
「あっ……」
ハッとするアウルム、思い出したみたいだ。
そう、さすがにそれはだめだ。
解消したいといいながら、一方でそれを便利使いするなんて。
それは……ダメだ。
そういうところはちゃんとしたい。
目の前にしながらアウルムに預けるくらい後回しにしたから余計にそう思うかもしれないが。
ニホニウムとは、ちゃんとしたい。
「ごめん、あたし先走った」
「謝るなら俺じゃなくて――」
ぐい、とニホニウムの方をあごで示した。
アウルムは小さく頷いて。
「ごめんね」
「……いいえ」
ニホニウムはそっと目を閉じて、小さく首を振った。
気にしてない、と言わんばかりに穏やかな微笑みを浮かべる。
よく言えば大人っぽい、悪く言えば幸薄そうな微笑み。
やっぱり彼女のそれを解消してあげたい。
と、思ったその時。
「私に、やらせて」
「……え?」
こっちを向いたニホニウムからしてきた意外な申し出に、虚を突かれて驚く俺。
そんな俺を、ニホニウムは微笑んだまま。
「ありがとうございます」
と、心のこもった、重いお礼を口にした。
『だからこそ』
という声が聞こえた気がした後。
「私に、やらせて下さい」
ニホニウムは、決意に満ちた眼差しで言ってきた。