3ー4・青年の覚悟
__________北條家、風花の自室。
携帯端末を耳に当てながら、
風花は、手元にある資料に目を通していた。
「そして、“彼”の様子は”どうですか」
『見張らせていますが青年の姿は伺えませんでした。
外にも出でいない様に数日間、自宅謹慎を守っている様です』
実は、密かに北條家の人間に
長野圭介の行動を見張る様にとを風花が命令を下していた。
男性は誰でも野心と出世欲を抱えている人間だと聞く。
自宅謹慎の処分を下したとしても
自分のキャリア復帰の為に奮闘するのか、それとも
静かに自宅謹慎の処分を守っているのか。
圭介とはもう7年も、会っていない。
自分の立場も彼の立場もがらりと変わったものだから
7年前の長野圭介がそのままで居る訳は無かろう。
あれから7年が経つ。その間に人は誰しも変わってしまう。
風花はそう考えていた。
(あまり、変わっている様には見えないけれど)
姿も経歴も、7年前から一寸も変わらない。
ただ真面目に生きている。
風花の手元にあるのは、
長野圭介の履歴書、及び、身辺調査結果だ。
密かに調べた長野圭介の身辺調査結果にも、何も変化がない。
居住も7年前から依然として変わっていない。
真面目だけが取り柄な青年は、どうしているのだろうか。
全てを悟ってから、心は無情と化した。
最低限の生活をしている以外は、ずっとベッドに横たわっている。
身体は痩せ細り、髪はぼさぼさと乱れ、瞳は虚ろいている。
自宅謹慎処分を言い渡されてから、自身は北條風花に生かされていた、と気付いてから、圭介は虚無感と絶望感に襲われていた。
(結局、俺は、風花に生かされていただけ)
あの日、本当は自分自身で命を絶っている筈だった。
けれど当時、少女だった彼女に助けられ自殺願望も消え去り
ただ真面目にがむしゃらに働いて日常を過ごしてきただけ。
あれからは普通に生きていると思い込んでいた。
けれどそれは虚像の人生で、自分の思い込みだったのだと気付く。
圭介には、夢も希望も、欲もない。
風花が言った『絶望すれば、全てどうでも良くなる』という言葉を思い出してからは尚更だ。
絶望仕切っている圭介にとって、もう全てがどうでも良くなっていた。
(どうにでもなれ)
そんな投げやりな気持ちの中にいた。
数年前に改装工事が成されたアパート。
淡い風が髪を撫でる。アパートをぼんやりと
見詰めながら溜め息を一つ着いて、目を伏せる。
風花が圭介の住むアパートに来たのは他でもない理由。
“長野圭介”として、北條家が下す処罰を言いに来たのだから。
『2ー1・長野』のポストと名前を確認した後に、
風花は階段を上がり、ドアの前に立った。
インターホンが鳴った気がした。
けれど圭介は物憂げな瞳と面持ちのまま、ベッドに居座っている。
セールスマンの勧誘だろうと思いながら、人と相対する気もなかったので、無視していた。
が______インターホンは鳴り止まない。
無視を徹底しようとしたが、あまりのインターホンの鳴る回数にいよいよ痺れを切らした。
モそのまま玄関へと向かい声をかける。
「どちら様でしょうか」
「_______北條 風花です」
その瞬間、圭介は固まった。
改めてドアスコープを見てみると、面影のある人物が前に立っている。
まるで導かれ誘われる様に圭介は、ドアを開けた。
背に流した真っ直ぐな黒髪。漆黒の双眸。
凛としたまるで人形細工の様に整った端正な顔立ち。
あの頃よりも垢抜けて、大人の女性として綺麗になっていた。
「_______今日は、貴方の処罰を、申し上げに参りました」
冷静な表情と声音。
淡々と告げる中で、風花は圭介を見上げる。
気苦労だろうかと圭介の変わり様に、風花は驚いていた。
話は長くなるから、と一応、家に上げる。
対面式のテーブルに、向かい合う様に座り込んでいた。
お客様だからと出されたグラスに入れた麦茶の氷がカラン、と音を立てた。
前は一瞬の再会だったが、
まさかこんな形で再会する等とは考えてもいなかった。
風花は凛とした真っ直ぐの姿勢のまま、此方をただ見ている。
だが、圭介にとっては
後ろめたさがあって風花の目を見ず軽く目を伏せたままだ。
7年前、彼女に暴言を吐く形で別れてしまった悔恨の思いが佇んでいるままだ。
沈黙が流れる静寂な空間で風花は青年を見ている。
やはりあの中傷の書き込みのダメージは大きかったか。
華鈴の浅はかな行動さえ無ければ、今も堅実にキャリアを積んでいた筈だろうに。
(_____貴方には、申し訳ない事ばかりしているわね)
風花も悔やまずには居られなかった。
二人共に気まずい中で、風花は北條家代理人当主としての
責任を、果たされなければならない。
「今回の中傷の書き込みについてですが
貴方が主体の中傷という事もあり、北條家葬儀社は
かなりの損失を受ける形となりました。
長野さんには
自宅謹慎処分、という形で待って頂きましたが
今日は長野さんの処罰について、お話しようと参った所存です」
「…………はい」
酷い程に他人行儀だった。
否、7年も音信不通で顔を合わせなかったせいか。
それともお互いに後ろめたさが、あるせいか。
力のない声で、圭介は呟く。
全てに絶望感を覚えた今、どうにでもなれという
感情と共に圭介は、ある切り札を用意していた。
「…………此方の、いいえ、
私の推薦で入社という形にも関わらず、振り回す結果となりますが、長野圭介さん。貴方は、北條家葬儀社から解雇という形になりました」
「………………」
ようやく圭介が顔を上げた。
解雇、と告げた瞬間に何処か呆然としていたが
やがて何処か悟った様な、覚悟を決めた様な面持ちに変わる。
そして、ぽつりと呟く。
「………覚悟はしていました。だから」
一旦、立ち上がると圭介は棚からある物を出した。
白い封筒のそれは、圭介にとって切り札とも呼べるもの。
それを静かに差し出した瞬間、その切り札に風花は固まった。
________辞職願。
圭介は腹を括っていたのだ。
だから依願退職を申し出る為に、退職届をしたためていた。
北條葬儀社で積み上げてきたキャリアも、彼女の恩恵すらも無にしてしまう形となってしまうが、青年にはこれしか成す術はない。
「北條家の混乱を招いた責任を取る為にも
依願退職させて下さい。………それが僕に出来る唯一の償いです」
「………………」
風花は飲み込めない現実に思考が追い付かず、
固まっていたが、軈て、差し出された辞職願の封筒を受け取った。
そしてもう一度、青年の瞳を盗み見る。
先程と、表情は変わらない。
つまりは、決心も変わらないという事だ。
北條葬儀社から完全に身を引く、という事になる。
(……………これでいいのかしら)
突き返す訳には行かない。
けれど、青年の決意は十二分に分かった。
風花は姿勢を直すと、改めて、告げる。
「今回は中傷の書き込みの件で、
有りもしない事実により心身を傷付けてしまったこと
北條家代理人ではありますが、私からお詫び申し上げます」
そう告げると、風花は頭を下げる。
そんな風花の誠実の態度に、圭介は逆に申し訳なくなり
頭を上げて下さい、と言った。
「謝るの方は、此方の方です」
「…………え?」
「7年前、僕は貴女を傷付ける形となってしまいました。
ずっと謝りたかった。でも、合わせる顔がないと
思っていたんです。けれど。この機会を借りて謝ります。
………………申し訳ありませんでした」
今度は圭介が、頭を深々と下げる立場となった。
風花には思ってもいない事だった。
青年が7年前の立場を引き摺っている等、思いもしなかったからだ。
「頭を上げて、下さい」
ぽつり、と風花は呟く。
「貴方がその事を引き摺っているなんて思いもしなかった。
長野さん。私は何とも思っていません。
だからもう気にせず、引き摺らないで下さい」
風花はそう言うと、少しだけ表情を緩めた。