3ー2・疑念の花弁
まさか愛する祖父に
この一件が明るみになってしまったとは。
流石の華鈴でも、厳造に見限られてしまった事くらいは理解していた。
______まるで、顔すらみたくない。
厳造は華鈴から顔を背けた。
孫娘が仕出かした浅はかな行動に呆れていたというべきか。
言葉にはせずとも厳造にはやるせなさと怒り、多少のショックが混じる。
顔を向いた祖父に失望し悲しみながらも
華鈴には只成らぬ怒りが、腹の底から沸々と生まれていた。
自分の過ちを棚に上げて、自身が祖父から見放される様に
風花が仕組み貶めたのだと、歪んだ華鈴の心はそう思わずには居られなかったからだ。
祖父の部屋から出て、縁側を数歩歩いた後に
華鈴は後ろを歩く彼女へと振り返り___
「あたしを何処まで、苦しめるつもりなの?」
華鈴の瞳は、潤みを帯びている。
ぎりり、と奥歯を噛み締め歯軋りをしながら
疎ましく、怒りに満ちた眼差しで、“北條家の跡継ぎ”である彼女を睨んでいた。
「よくもあたしを侮辱してくれたわね!!」
怒りという名の叫びを撒き散らせながら、罵倒した。
若干、そのきつい瞳は強気な中で潤んでいる。
華鈴は厳造から可愛がられる一方だったから、
今回の厳造に見限られてしまった事に腹を立てている。
対して、風花は感情を見せない面持ちのまま、
内心は冷たく冷静なままだった。
「当然の事ではない?
貴女は実家を侮辱し、混乱に陥れた。
私はお祖父様の代理でもある。これはお祖父様の耳に入るべき事だった筈よ」
「大人しい顔して、のうのうと平気で人を陥れるのね……。
なんて恐ろしいの。こんなあんたに立場を奪われた
あたしが惨めでならないわ!!」
悲痛な絶叫が、静寂な離れに木霊する。
冷たいと思っていたが、
いつから風花はこんなに冷酷になってしまったのか。
その見せる表情も眼差しもすっかり変わってしまったのだろう。
そう潤んだ瞳で、嘆き悲しむ素振りを見せ
風花を罵倒する華鈴に風花は一つ告げた。
「ねえ、知ってる?
風って大人しいものではないのよ。
場合によれば、強風にもなる事を心得ておいて」
「あたしを貶める為に、か弱いふりをして呼び寄せたの!?」
(どうしてあたしが侮辱されなきゃいけないの!?
あんな他人がのうのうと北條家に居座っているだなんて………)
(………身の程、知らずな哀れな人。
本当に、何も分かっていない、何の自覚も、覚悟も知らないのね)
その罵倒を聞いた瞬間。風花の心に皹が入った。
嗚呼。
その何も知らない強気な瞳と、心が、見過ごせない。
華鈴は横柄だ。だからなのか、自分が北條家の人間であるという自覚すらない。
(_____何も知らない癖に)
戻りたいと大口を叩く割には、彼女は何も出来ない。
華鈴が欲しいのは“北條家の跡継ぎの権利”ではなく、
“北條厳造の孫娘”という立場だ。
現に北條家が何を成して、
それに重んじてきた事を何も知らない。
離れて暮らしていた、という理由を配慮しても、かなりの無知さに頭に来る。
冷たい怒りが風花の心を満たした瞬間に、
その怒りは彼女から理性を奪った。
だん、と凄まじい音。
少しだけ背の高い風花が、小柄な華鈴を壁へと追い詰めている。
手を壁に着け逃げられぬ様にした後に。
最初こそ華鈴は風花を睨んだが、それは一瞬で恐怖に変わる。
人形細工の様に繊細で綺麗に整った面持ちに目を奪われながらも、
その怒りを秘めた威圧感のある面持ちに
華鈴は恐怖で腰が抜けてしまいそうだった。
「………誰のせい?」
怜俐で、腹の据わった声。
聞いた事もない声音と威圧感のある面持ちに、思わず華鈴は息を飲んだ。
それは見た事はない表情だからか、こんなに寒気が迸るのか。
「………貴女の自業自得でしょう?
誰のせいですって? 貴女が感情的にならなければ
貴女の愛するお祖父様から見離される事もなかったのよ?
自分が自分で蒔いた種でしょう?
自分自身の事は棚に上げて、人ばかり責める。
けれどね。全ては貴女の浅はかで幼稚な行動が、招いた事だわ」
「………………」
華鈴は背筋が凍り震える。
日々を重ねるに連れて
段々と自分の知っている風花では無くなっていく。
これは自分の知っている彼女だろうか、とすら思い恐怖心を覚えた。
「______それに」
怜俐ながらも澄んだ声音で、風花は告げた。
「………貴女は知らないでしょう?
貴女が北條家を継ぐ事を拒んだ事で、生まれたものがあるの」
「…………何よ」
震える唇で、そう呟くのが精一杯だった。
風花は淡く怪しい微笑を浮かべながら、落ち着いた声音で
軈て華鈴の耳許で、そっと囁いた。
「…………犠牲者が居るの。
北條家を継ぐ事を放棄した貴女とそれに危機を感じた
お祖父様のせいでね」
淡々とした
落ち着いた声音であるが、その中に潜んでいるのは威圧感。
その独特な声音に華鈴は脚がが震えて生きた心地がしない。
「__________その犠牲者は、“私”と“あの子”」
(________“あの子”?)
“あの子”とは誰だ?
自分と祖父が、風花と“あの子”を犠牲者にした?
風花の据わった声を聞いた瞬間、
華鈴は先日、風花がはっきりと告げた言葉が脳裏を掠めた。
『それは悪かったわね。
でも……貴女が北條家を継いでいたら、“あの子”は生きていたのかも知れない』
(どういう事、なの?)
華鈴の瞳には恐怖心と混乱。
その中でも浮かんだ疑問符が、頭を占領する。
風花の言葉が意味するものは何なのだろう。
北條家が犠牲者を生んだ等、聞いた事は一切ない。
風花の謎めいた表情と言葉が、その意味を深くさせる。
「私に当たらないで。私は、北條家の跡継ぎとして
求められていた事をしたまでよ。
…………今回は貴女が招いた事を、誰も責められる必要はない」
暫し疎ましげに華鈴を見詰めていたのだが、
軈て彼女から離れて、何事もなく去っていく。
「_______待って!!」
華鈴は、叫んだ。
祖父から、離れから、離れていく彼女は立ち止まった。
「どういう訳なの?
あたしとお祖父様のせいで、犠牲者が出たって………」
(素通りしそうな事に、興味を持つのね)
てっきり華鈴は信じないと思っていたのに。
華鈴は事実を知りたそうな眼差しと表情で、風花の後ろ姿を見詰めている。
風花が冗談を交える言葉を告げる人物ではない。
犠牲者とはなんなのだろう。何故、意味深な言葉を告げたのか。
祖父の事を知りたい。
加えて、“犠牲者”とは自分と関係何をしているのか?
(…………お祖父様とあたしが、あんたに何をしたって言うの?)
風花の後ろ姿が、この沈黙が謎と不安を誘う。
風花は暫く立ち止まっていたのだが、漸く此方へ振り向いた。
強い瞳と面持ち。
それは何かを訴える様に。
「________言った通りよ。犠牲者が生まれたの。
考えによれば、貴女自身が事を招いた元凶かも知れないわね」
「……………………」
華鈴は絶句している。風花は凛とした面持ちで告げた。
「私は_____」
「貴女と、お祖父様を、恨んでいるわ」
ずっと心から。
ずっと、自分はこの元凶となった娘と殺めた男を恨み続けるであろう。
それはこの魂が永遠に眠りに着くまで。
ふっと浮かんだ微笑。
それはまるで背筋を凍らせる様な感覚と、心にわだかまりを生ませる様なものだった。