2ー10・崩れ去る青年のキャリア
圭介は、覚悟を胸に腹を括っている様だった。
誠実な凛とした態度に上司は驚きながらも、厳しく硬い表情をしたままだった。
「取り敢えず、この口コミは、お嬢様の推薦状以外は概ね嘘という事だな?」
「……はい。ですが、僕には弁解の余地はありません」
現に北條風花の推薦状とコネクションがなければ、
自分は此処にはいないのだから。
圭介は自分には発言権は無いのだと悟り、何も言わなかった。
ただ、
(…………風花には、申し訳ない事をした)
心の中に抱えた懺悔。
彼女の贈り物だと考え、真面目に職務を果たしていた
圭介は申し訳なさが、心の中で横たわっていた。
社会は厳しい。
たった一度のミスで咎められ、今まで
積み上げてきたキャリア等、一瞬で崩れ去るのだ。
険しい表情をした上司は
頬杖を着き神妙な顔付きで考えた末に、苦しい面持ちで圭介に告げた。
「取り敢えず、これは北條家に伝えて置く。
北條家の代理当主様から処分が下されるまで、お前は自宅謹慎していろ」
「………分かりました」
夕暮れ。
淡い紫色と鮮やかな茜色が混じり合った空は
とても鮮やかで幻想的に見えた。
風花の自室では
立ち上がったまま壁に持たれかかり、
その情景を見ながら、長身痩躯の青年はぽつりと呟く。
その姿は写真集に載っているモデル様に、端正で美しかった。
風花はタブレット端末で、長野圭介の履歴書を見詰める。
映されたのは、青年の経歴と今までのキャリア。
若手ながらも古くから居る社員に負けを劣らないキャリアを確率している。
中傷の口コミは虚偽だ。現に7年前の青年は大学2回生だった。
大学に通う傍ら、自分が当時避難所として建てた葬儀社に勤務していた。
履歴書にもそう書いてあるのだから、それは事実だから。
「………会社の様子はどうですか?」
「この中傷の口コミで、今、静かに会社は荒れているよ」
秀明はぽつりと返した。
その神妙な秀明に、静かに風花は事態を悟る。
やはりたかが口コミと言えど、その中傷の威力は凄まじい。
風花が口コミの事実を知った後に、秀明が連絡してくれたのだ。
秀明も跡継ぎの婚約者としても、北條家に関わる人間として北條葬儀社に勤めている。
この口コミの中傷も、会社の実態も目の当たりにしている人物だ。
「本人の様子はどうでしたか?」
「………上司に呼ばれて事態を知ったみたいだ。
けれど態度も表情も変わらずだったよ。
寧ろ、上司に呼ばれて出てきた後で、腹を括った様な表情をしていた」
「……………そうですか」
風花の顔はどんどん複雑化していく。
北條家にとっても、北條葬儀社にとっても中傷は広がりつつある。
外部に情報を漏洩する前に食い止めなくてはならない。
(…………早く対処しなければ)
これは、北條家の代理当主として、自分自身の責任だ。
秀明にとって、一つ疑問がある。
長野圭介は、北條風花の推薦状を加えられ入社している。
(…………どんな関係なんだ?)
ずっと気になっていた。
長野圭介と北條風花の関係性を。
婚約者だとは言え、
互いに他人行儀故に秀明は風花の事をあまりしか知らない。
お互いの事は今しか知らないけれど、自ら推薦状を出し
青年を北條葬儀社から入社に持ち込むくらいだから
見ず知らずの他人だとは思えない。
他社に興味が全くない彼女だから、尚更にそう思う。
(彼は誰なのだろう?)
一見、平凡そうな青年と
代々続く葬儀屋の跡継ぎである孫娘とは全く正反対に見える。
だから接点がある様には見えないのだけれど。
濃紺の夜空が、窓から見えた。
星も月もない無情な空色に視線を傾けつつ、
圭介はベッドの傍らに体育座りをし背を預け、首だけをベッドに寝かせた。
(……………もう終わりだな)
恐らく、嘘だとは言え
北條葬儀社のマイナスイメージを植え付けたのだから
自分に与えられる処分は、解雇等が相当だろう。
厳格な北條家故に、そんな生温い(なまぬるい)処分はない筈。
(俺は何も変わっていなかった)
あの日から、絶望したままだった。
野心も野望もなくただ目の前に与えられた日常をこなして生きていただけだった。
『知ってる?
本当に何もかもどうでも良くなると、全てに冷めるのよ。
何が起こったってどうでもいい。
自分の事でさえも、他人の事だったら、尚更』
7年前、最後に言った言葉が脳裏に浮かんだ。
確かにそうだ。絶望に陥ってしまったら、
何も無くなって、全てがどうでもよくなる。
今更、あの言葉を思い出すなんて。
積み上げてきたキャリアが崩れ去る事は何とも思わない。
積み上げてきたものが崩れ去るなんて一瞬の事だ。
ある意味、自分自身は北條風花の寄生虫だったのかも知れない。
自分自身が積み上げてこなかった虚像なんて、きっとすぐに終わってしまう。
(もう、どうにでもなれ)
そう青年はそう自分自身を、嘲笑った。