2ー6・切羽の詰まった告白
寝室に着いた淡いランプ。
その部屋のベッドに座る青年は、憂いを帯びた眼差しで
片手には缶ビールを持っている。
端正な顔立ちに、伏せた淡い瞳。
端正な顔立ちに浮かぶ物憂げさが彼の心情を物語っているというべきか。
風花は、あの頃と何も変わらなかった。
顔立ちや雰囲気は大人の女性として、見惚れてしまう程にその美しさには磨きがかっていたが。
ただ。あの薄幸で儚くも尊い顔立ちや変わらなかった。
(…………綺麗だったな)
あの頃よりもずっと。
あの牢獄____北條家では、何事もなく暮らしているのだろうか。
この7年、懺悔と共に、
(風花は無事に、暮らせているのだろうか)
それが、圭介には気がかりだった。
顔も合わせる事も、言葉をかける立場ではないけれど
あの薄幸な少女が、何事もなく平穏に暮らしてくれればと
心の何処かで願っていた。
そんな中、不意にインターホンが鳴る。
モニターを確認すると、あの赤いドレス姿の彼女がいた。
(今更、何の様だろうか)
今は、人には会いたくはない。
それにもう時刻は着々と深夜の夜空に染まっていて、それに初夏の外はまだ寒いだろう。
「どうした?」
『入れて』
「もう遅いよ。帰った方がいい」
こんな時間に家に来るなんて。
華鈴にとっての帰る場所に帰った方が良いのではないか。
そう青年に素っ気なくそう言われて、華鈴は目の奥が熱くなった。
今の華鈴の心の拠り所は、圭介だ。
今の北條家は跡継ぎ問題で揺れ、病床に着いた祖父の力も弱くなっているせいで、華鈴を歓迎する使用人もあまりいない。
“厳造の孫娘”だとしても跡継ぎにはなれないせいか
祖父にすら相手にはされない。
『いいから、入れて頂戴!!
入れてくれるまで此処に居て叫んでやるわよ!!』
「………落ちついて。どうした? 華鈴?」
(どうして、貴方まで冷たくするの?)
華鈴の見境いのないヒステリックな声で
叫ばれてしまったら、マンションの近隣住民にとって
迷惑になるので乗り気ではなかったが渋々、華鈴を家に入れた。
コップに麦茶を出して彼女に差し出す。
何処と無く華鈴はイライラした様じだ。
だがそんな中、華鈴は一ミリも圭介から目を離してはいない。
(…………これで、圭介は諦めたかしら?)
風花と再会したけれど、その風花には男がいた。
そんな思いもしなかった事実にそれでも十分に打撃を受けている筈だ。
けれど華鈴はほくそ嘲笑いを浮かべている。
“圭介の心の中には、風花の存在がある”
7年前からずっと。
彼女を待ち続けて、忘れられなかった。
だからこそ、あの現場に鉢合わせした瞬間は
さぞかし落ち込んでいただろう。
(だから諦めた筈よ。風花の事は……)
風花には相手がいる。
そう思った瞬間に、
青年がようやく自分の方へ視線を向けてくれる、
そんな根拠のない自信が華鈴には十分にあった。
丁度、炊飯器で朝に仕上がる様にと
炊飯器のアラームを朝方に設定している圭介の隣に
華鈴は距離もない程に詰め寄り、圭介の横顔を見ていた。
ぼんやりとしているが、凛とした眼差し。
あの頃とは全く違う雰囲気と顔立ちに見惚れてしまう。
「あの人ね、風花の傍に居た人。萩原秀明っていうの」
「………………………」
媚びた声音に交じるのは、酔いの声音。
近くで見ていても解る程、華鈴はかなり飲酒していた。
酒が混じると人は本音を溢し易くなるという。
今の彼女が、それだろう。
「カッコいいでしょ? 最初モデルさんかと思っちゃった」
「…………何が言いたいんだ?」
華鈴は、にやりと口角を上げた。
青年が驚き落ち込むであろう、あの言葉を。
「あの人と風花は婚約してるの」
「…………そうか」
圭介は呟く。
華鈴の予想を裏切って
そんな横顔は落ち込む素振りもなさそうだ。
風花の事が好きならば落ち込む筈なのに、青年はそうでもなさそうだ。
「ねえ、圭介。風花には婚約者が居るのよ?
婚約はもう随分と前に決まった事なの。覆せやしないわ。
だからそろそろ圭介も見切りを付けて、風花を諦めたら?」
「…………は?」
上目遣いに潤んだ瞳で告げる華鈴。
だが、圭介は華鈴が申している事の意味が読み込めないのだ。
酒に酔っているからなのか、何処と無く浮かべる表情は甘い。
(風花を諦めるって? ………どういう事だ)
「何を言って………」
「だって圭介。風花の事が好きなんでしょ?
だから、あたしに目も暮れないで……風花ばかり事を考えてぱかり。
あたしは、ずっとそれが悔しかったの」
圭介の腕を握りしめ、華鈴は訴えた。
風花に婚約者がいる、相手がいるとなれば、青年だって諦めるだろう。
けれど圭介の表情は変わらない。
自分は風花の事が好き? そんな真っ平な。
圭介が彼女に対して、ある感情は“懺悔”と“心配”だけだ。
青年にとって、風花の事は、ずっと心残りと感じると共に心配だった。
圭介は冷静だった。
華鈴が色仕掛けをし甘い言葉を囁いても、一切微動打一つしない。
「で? 君は何で悔しいの?」
「振り向いてくれないからよ、貴方が。
考えてみて。風花が黙って居なくなってから、
ずっと貴方の傍に居たのは、あたしじゃない!!
風花は貴方を利用するだけ利用して棄てたのよ?
そんな薄情な女なのに、どうして風花を思い続けているの?
その間、あたしは必死だったのに、なのに、
圭介は……あたしの事を全く見てくれなかった!!」
つい感情的になり、ヒステリックに叫ぶ。
この7年間、ずっと待っていた。風花を忘れて
自分に目を向けてくれる事を。
今日でも願わないままでいる。
自然と、その腕が青年の絡み付く。
けれど圭介は冷静で動じないまま、虚空を泳いでいた。
「あたしは、圭介が好き。
どう足掻いたって風花は手には入らないのよ。
だからあたしを見て、あたしの事しか考えないで……!!」
彼女の罵声とも取れる、声が部屋に響いた。
そんなヒステリックな華鈴の話を一通り聞いて、
黙っていた圭介だったが、軈て、口を開いた。
「華鈴」
「…………………」
「今まで君の気持ちを知らずに居て、ごめん。
でも、俺は、君の気持ちには答えられない」
その返事に、華鈴は奈落に落とされた気分だった。
これだけで色仕掛けや言葉を囁いても、青年は見向きもしてくれない。
わなわなと震える唇で、
「………風花が居るから?」
「それは違う。風花は関係ない。
華鈴は誤解しているけれど、俺は風花を好きでもないんだ」
全ては誤解している。
華鈴が勝手に自惚れて、圭介を気に入り執着してしまっただけ。
圭介は何とも思っていない。
「………え?」
風花への思いは、敢えて言わなかった。
もしも言ってしまえば、見境いのない華鈴は風花を虐めてしまうだろう。
それはまた、風花を傷付けてしまう事になってしまう。
「嫌よ、嫌…!! 圭介、あたしを見て………!!」
圭介は風花のもの。
風花のものなら奪いたくなってしまう。風花が離れて青年にものに出来ると思っていたのに。
手放すなんて嫌だ。
(あの人なら、)
圭介の脳裏に、ある青年の顔が浮かぶ。
風花の隣にいた婚約者は見るからに優しそうな青年だった。
きっと彼なら北條家に束縛されている風花を静かに寄り添ってくれる筈だ。
(…………俺は、遠くから見守るよ)
幸せになってくれ。
それしか、願う事は出来ない。
「………俺よりいい人は世の中に沢山居るよ。
7年間もそんな気持ちで居させていた事はごめん。
けれど俺は、華鈴は好きじゃない」