1-8『完璧な作戦ほど崩れやすいものはない』
「わ、私は、雷撃魔術の使い手! リーゼロッテ・エーレンベルグ! 女神像の魔導石像よ、お前に尋常なる一対一の決闘を申し込みたい!」
しばらく後。再び、山の中腹くらい。
憮然とした顔で立つ女神像の前で、最大限カッコよくポーズを決めたリタが、数分前の俺の再現をしていた。
「落書きをしておいてか」
「い、いや、それはその、まさか動かれるとは思っていなくて……そ、そんなことより、決闘を申し込む!」
貼り付けた虚勢は剥がれ落ちる寸前ではあったが、囮としての役割は最大限に果たしてくれていた。頑張れ。作戦の成否はお前の働きにかかっているぞ。
プランB。
あの後俺は考えた。あの勝つ見込みのない魔導石像をどうにかするには、一体どうすればいいか。倒す手段を色々と練っていた俺だが、途中で閃いた。
別に倒す必要はないのだ!
今、俺の手元にはバケツがあった。中の水は染料を溶かし、真っ黒に着色してある。つまりは、バケツいっぱいに黒インクがあるわけだった。
俺達が何故退学の危機にあるかといえば、女神像の落書きに個人名までが書かれているのが問題なのだ。要は、俺達がアレを怒らせたという証拠をなくしてしまえばいい。つまり、こいつをぶっかけて、落書きを全て真っ黒に塗り潰してやるというのが、俺の次の作戦だった。
黒インクを女神像にぶっかけるにも、そのままやってはおそらく避けられる。なので、動きを止める必要がある。そのため俺は、女神像をロープトラップにかけて動きを封じるという作戦を立てた。獣の捕獲用の即席のものだが、インクをぶっかける瞬間の足止めくらいにはなるだろう。
「け、決闘のしやすい場所まで移動しましょう」
今回のリタの仕事は、女神像を俺が作ったトラップの場所までおびき出す役割だった。俺がやれれば良かったのだが、罠を起動させ尚且つインクをぶっかける役目がある。なので、囮はリタに任せざるを得なかったのだ。
しかしリタは大丈夫だろうか。動きがガチガチだ。足と腕を同時に前に出している。女神像は、訝しげな顔をしながらも、何も言わずにリタに付いてきていた。フェアプレイ精神は持ち合わせているらしい。
不意打ちを避けるために距離を取っとけ、と指示を出していたのだが、離せてないな。後ろから殴ってこられたらまずいが……。まぁ、いい。もう、女神像は俺の足元まで来ていた。
木の上で罠の発動を見計らっていた俺は、ニヤリと笑う。
ロープの円からリタが出て、女神像だけが罠の範囲に残ったのを確認し。
瞬間、俺はトラップ起動用のロープを切り飛ばした。
輪が狭まり出すと同時に、俺はバケツ片手に木の枝から飛び出し――
ぴょい、と女神像が狭まっていくロープを飛び越えた。
ちょ。
「えっ、お、わぁっ!?」
同時に、女神像は前を歩いていたリタのフードを掴んで引き倒し、輪っかの中へ投げ込んだ。
間抜けな叫び声。
リタの足へ引っかかる輪っか。
引き絞られるロープ。
派手な転倒の音。
勢いを止めきれず枝から飛び出す俺。
落下。
着地。
飛び散る黒インク。
数秒後。俺の足元では、リタが真っ黒に染まり上がっていた。
「やはりお前の仕業か」
背後からの声に、俺は顔をしかめる。
目の前では、目を回したリタが、黒インクまみれでずるずると空中に吊り上げられていっていた。ひっくり返った結果ローブがめくれ上がり、へそが丸出しになっている。ここまで惨めな生き物は見たことがない。同じ罠にかかった猪でももう少しマシな見た目になるだろう。
「この程度の小細工が私に通用すると思ったか。舐められたものだな」
……やばい。
やばいぞこれ!
前には使い物にならなくなったリタ。後ろには怒り心頭の魔導石像。そして先の戦闘で、俺はこいつに勝てないと分かっていて。つまり、このままなぶり殺しにされるのが未来予想図だ。
どうする、どうする、どうする。俺は内心の動揺を隠しつつ、いかにも大物と言った余裕たっぷりの顔で立ち上がって振り向いた。
「よくぞこの俺の策謀を見破った。しかし――」
「リーゼロッテ・エーレンベルグとやらはこれで行動不能。先に貴様からだ、ダスク・クライン!」
待って。
いきなり女神像が殴りかかってきた! 突っ込んできての右ストレートを、俺は間一髪で横に転がって回避する。なんか頭上でものすごい風切り音がした。
「待て待て待て! は、話しあおう、なっ!」
「問答無用!」
転がったままの姿勢で静止した俺だが、女神像は全く聞き入れてくれない。くそう、相手の話を聞くことは話し合いの第一歩だぞ!
「うおおう!」
走ってきた女神像にとっさに左側に転がれば、振り下ろされたかかと落としがさっきまで俺がいた場所を穿った。
丁度俺の背後には急斜面がある。昼の兎石がいた上の崖にいる形だ。つまりは、追い込まれた形になっていて。ああもうこりゃ行くっきゃないか!? 俺は立ち上がると同時に腰からショートソードを抜き放ち、その勢いを殺さず女神像の首を狙って斬りつけた!
カイィン。小気味よい音を立てて、折れた刀身が崖下に飛んで行く。
手元には、剣の柄だけが残っていて。
「ダメですねこれは」
「ふっ!」
「ぬおっ!?」
飛んできた拳に、俺はとっさに体を逸らす。しかし予想に反して腕は伸び、開かれた手が俺の胸元を掴んだ。そのまま俺の体が持ち上げられていく。
やばいやばいやばいやばい。引き離そうとするが当然俺の腕力では足りない。俺は腰の道具袋に手を突っ込み――
「ふんぬぅ!」
「ちょっ待っうおおおっ!」
女神像が俺を投げ飛ばした! 気持ち悪い浮遊感。崖から空中に飛び出し、下に見える木々と地面に俺の肝が急転直下で冷えていく。だが――
「俺の方が一枚上手だったようだな!」
震え声で叫ぶ。
女神像の腕にはロープが絡みついており、俺はそのもう一端を掴んでいた。投げられると理解した瞬間に、道具袋から出して絡みつかせておいたのだ!
ぐっと俺がロープを引っ張れば、女神像は落ちないために踏ん張らざるを得ない。ターザンのように崖に向かって飛んでいき、俺は足を向けて崖へ衝突する。いって。大分痛かったが、今ので崖へは戻ってこれたというわけだ。
これで、俺はロープで崖からぶら下がる形になれた。一命は取り留めた、ここからどうするかだが……。
ぴょい、と女神像が崖から飛び降りた。
ちょ。
「お前、それは、ないだろおおおぉぉぉ――!」
支えを失った俺は、虚しく叫び声を轟かせながら、そのまま崖を転がり落ちていった。