1-7『上手く行ってる時に危機感は沸かない』
「これを書いたやつ、出てこぉぉぉい!」
うわっ、やっぱあの人落書きで怒ってるよ。
山奥。神殿に急いで向かう道中で女神像を発見した俺たちは、手近な藪の中で息を潜めて、雄叫びを上げる女神像を遠くから眺めていた。
肩をいからせて歩く女神像の声は、重低音で聞き取り辛く、羽の生えた美女というビジュアルにはひどく合わなかった。
「やややややややばいですよどうするんですかこれ」
俺の隣では、カタカタと壊れたくるみ割り人形のようにリタが震えている。いや、どうするもこうするも。
「あの落書き見られたら俺ら終わりだろ?」
「『だろ?』じゃなくて! いやそれはそうですけど! じゃああれどうやって倒すんですか!」
女神像に見つからないように小声ながらも、必死な様子でリタが訴えかけてくる。
まぁ、それだよなぁ。
「作戦を立てる」
人差し指を立てて言った俺に、リタは「馬鹿かこいつ」という雰囲気の視線を向けてきた。
「おい、おい、おい。馬鹿にすんなよお前。俺一応元冒険者だからな? 大したことはないかもしれんけど、ちょっとした死線はくぐって来てるからな?」
「は、はい、まぁ、そうだとは思うんですけど……。でも、作戦とかどうのでなんとかなる相手なんですか?」
「なる」
自信満々に、俺は説明を始める。
魔導石像の危険性というのは、その強度――防御能力にある。
岩石、あるいは鉄などの金属で出来た魔導石像は、とにかく硬い。冒険者が一般的に携えている剣や弓では歯が立たず、基本的に大鎚などの重たい物で殴りつけるという方法でしかダメージを与えられないのだ。
魔法も然り。炎熱も冷気も効きづらく、魔道士はほとんど役立たずになる。その上生物ではないので攻撃に対して怯みもせず、反撃で前衛がやられたり……まぁ、冒険者がこれと戦うのを避けるのは、そういう理由がある。
「そこで、お前だ」
「わわわ、私ですか!?」
「ああ。雷撃はどちらかと言うと衝撃を与える魔法だ。魔導石像に放ったっていう事例は聞かねーが、炎熱や冷気よりは効きやすいはず」
俺の言葉に、リタが息を呑んだ。
「つって、修練場で撃ってたレベルの奴じゃあおそらく効かねぇ。だが、あれはまだ大して魔力込めてなかったんだろ? 全力で撃ったなら、少なくとも行動不能に追い込める威力になるはずだ。それを、当てる」
「パイル、バンカーを……」
「その名前なんとかなんねえ?」
真剣な顔をして呟くリタに、どうにも俺は気が抜けた。
「あっでも、どうやって当てましょう? かなり近づかないと当たりませんよ?」
「そこは俺が足止めする。鉄板数枚を腹に仕込んだ。そこをわざと殴らせて、殴ってきた腕を俺が掴んで止める」
リタは「鉄板なんてどこに持ってたんですか……」と俺の腹を触ってくる。
うむ、触られると改めてガッチガチに固められているのが分かった。
「魔導石像の攻撃力は、大きさによるものだからな。あのサイズだったら、攻撃も大した威力じゃ――」
「そこにいる奴、出てこい」
割かし近くから、重低音の声が聞こえた。
声が漏れていたか。
あわわわわ、と目に見えて慌て出すリタを両頬を叩いて落ち着かせると(すごい睨まれた)、俺は少し離れた茂みを指で示した。え、え、と困惑するリタに(行けって意味だよ!)と小声で指示を出す。おどおどしつつも移動を始めたリタを確認し、俺は堂々と藪から立ち上がった。
「一人か」
「ああ、そうだぜ。落書きした相手を探しているようだな。俺がダスク・クラインだ。この俺に喧嘩を売るとはいい度胸だぜ」
「リーゼロッテ・エーレンベルグとやらは」
「おいおい、いいのか俺よりリタの心配をしててよ? この俺様は大魔導師ダスク・クライン様だぜ? 俺に対して全力の注意を払うことをお勧めするがね」
「落ちこぼれとあるが」
「その話はやめよう」
なるべく腹立たしく見えるような笑顔を作り、俺は女神像の注意を引き付ける。リタの方は小さい体が幸いしてか、物音を立てること無く移動できているようだ。俺は間合いを測りながら、藪から開けている場所まで出る。ゆっくりと円を描くように、距離を詰めていった。
「ともあれ、この私を侮辱した罪……償ってもらおう」
女神像が拳を構えた。
やばい、来るか。
そのビジュアルで徒手空拳なんてのは違和感バリバリだったが、それに突っ込みを入れている余裕はない。殺気が分かるほど戦闘に熟練しているわけではないが、雰囲気がやばくなったのは分かった。
乾いた唇を、舐める。
「ふっ!」
女神像が、一足飛びに距離を詰めてくる!
思った以上に速いが、対応できない速度ではない。ショートソードを抜き、わざと顔面付近の上段をガードする。予想通り、女神像の拳は俺の腹部に吸い込まれる。
俺はニヤリと笑って――
「おっふ」
吹っ飛んだ。
空中にいる俺は、『へぇ、パンチで人が飛ぶなんてことあるんだ』なんて、のんきなことを考えていた。
「うっごぉ、がっふげっほおぐえぇぇ!?」
俺はゆうに身長の倍くらいの距離を吹き飛び、地面を転がって、木にぶつかって止まった。
痛っ、てぇぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!!
冗談か、冗談か! 何だこの痛み! 確かに鉄板入れてたよな!? それでこれか!? 腹に丸太突き刺されたみたいだ! アッそっか、魔導石像は内蔵された魔力の強度でも強さが変わるからもしかしてそれが強いのか、そうだよな喋る魔導石像なんておかしいと思ったよ、いっだ、いだいいだい。
「その程度か。そんな実力で私に喧嘩を売ろうとしたとはな」
ゆったりと、女神像が歩いてくる。落ち着け、落ち着け、深呼吸、深呼吸。すー、はー、すー、はー。抑えろ、抑えろ、大丈夫、俺は強い子、このくらいの痛みは我慢できる。我慢、我慢、痛い、痛たたいだだだ。
「お前の言葉、そっくり返そう。『いい度胸だ』。この私を怒らせたことを後悔しながら、地獄へ落ちると良い」
歯噛みをして、俺は身体の向きを変える。ゆったりとしたテンポで、女神像は近づいてきていた。土を握りしめながら、それを見上げる。歯を食いしばり、俺は女神像の背後へ目を向け――
――目を、見開いた。
「やめろッ、リーゼロッテ! 今撃っても当たらねぇッ!」
女神像は、目を見開いて身体を反転させる。そこには――
――何も、いない。
「ふぇっ?」
俺の背後の茂みから、間の抜けた声が上がった。
「貴様ッ、図っ――ぐおっ!?」
「ハッハッハァ! かかったなアホウがッ!」
丁度振り向いた女神像の目元めがけ、俺は握っていた土を投げつけた。
完璧に、かかった。
リタがいるかのように声を上げたのは、逃げるために女神像に隙を作る俺の作戦だったのだ。
狙い違わず土の塊は女神像の顔面に命中し、怯ませる目的を果たす。俺はそれに目もくれずに、痛む腹部を押さえ逆方向へと全力で走り出した。
「えっ、えっ、えっ!? なっ、何だったんですか!?」
「計画大失敗だ! プランBに移る! 逃げるぞ!」
「今初めて聞きましたよそのプランB!?」
驚くリタを引っ掴んで、そのまま走り抜ける。
途中何度も転びそうになったが、意地で踏ん張った。背後が気になる気持ちを抑えながら、必死で走り続けた。
火事場の馬鹿力というやつか、奇跡的に捕まることなく逃げ切ることが出来たようだった。魔導石像の足が遅くて、本当に助かった。
女神像からかなりの距離を離し、麓近くの木陰に俺はぐったりと倒れこむ。リタも、隣で息を切らしていた。
「はぁ、はぁ……とりあえず、無事で良かったです……。けど、あんなのに勝てるんですか……?」
「勝てなきゃ、退学になるだけだろ……」
リタの問いかけに、俺はぼんやりと答える。
プランB。真面目に考えないとヤバイな……。