1-5『信心ほど怪しげなものはない』
「……なんだこれは」
山を進んでいた俺達の目の前に、ヘンテコな石の建造物が現れた。
修練用具室より少し大きいくらいのサイズで、普通の小屋みたいな作りだ。しかし壁がなく、代わりに何本もの柱が屋根を支えていた。柱や床にされている模様細工から、人工物だと見える。山の木々の間にある建物としては、いささか不自然であった。
「……神殿、ですかね?」
俺の背中でリタが言う。「あ、下ろしてください」と思い出したように言うので、その通りに下ろしてやる。胸の前にかけていたリュックを背中にかけ直し。降ろされたリタも、不思議な顔をして目の前の神殿らしきものを眺めていた。
「こんなところにあるものなんですか? 普通はもっと町中に作るものだと思ってましたけど……」
「ま、入ってみりゃ分かるだろ」
「あっ、待ってくださいよ」
先に行く俺をリタが追ってくる。中へ入ってみれば、荘厳な雰囲気が――さっぱりしなかった。
柱の隙間から見える風景は鬱蒼とした森であり、土と葉の香りがいかにももう使われてないですよ、って雰囲気を醸し出していた。柱に仕切られた屋根の下は四角い一部屋で、落ち葉や土くれで汚れた床の真ん中に、あるものが鎮座していた。
女神像である。どうやら、ここは神殿で間違いないらしい。
「おおー」
リタが近づいていって感心したような声を上げた。
なるほど確かに、その造形は美しかった。流れるような長髪を持つ女性が、長い薄衣を服っぽく体に纏わせている。確か、トーガとか言うんだったか。昔の時代の服装だ。背中には大きな羽が生えており、顔形の美しさも相まって、さして信仰心のない俺にも神秘的だという感想を抱かせた。
「はー。誰かは知らんが辺鄙なとこに大層な物を作るもんだ」
感心して隣を見れば、リタは真面目な顔で像に祈りを捧げていた。いやはや、これにも感心させられる。
「ダスクも祈った方がいいですよ。神様をないがしろにしたら、天罰を受けますから」
鼻で笑って肩をすくめてやったが、リタはむっとした顔をするだけだった。大して噛み付いてこず、喧嘩も始まらない。
まぁ、これは不思議なことでない。あれから嫌という程しつこく口喧嘩し、お互い落ち着いたのだ。
初級と落ちこぼれと最下位の言い合いから始まり、リタが途中で足が痛いと言い出し、「ダスクのせいですよ! こんな口喧嘩なんかさせるから無駄な体力使ったんです!」と言いがかりをぶつけてきたもんだから、「ああそうかよじゃあおぶってやろうか!? 冒険者の体力舐めんなよお前一人背負おうが何の痒痛もねぇんだよ!」とノリで主張したら、「え、や、それは悪いですよ……」「はぁ!? 何それ俺の体力を舐めてんの!? ねぇ舐めてんの最下位だからってバカにしてんの!? ねぇ!」「え、じゃ、じゃあ……」とリタは乗っかってきて、背中と前で言い合いをし続け、途中でお互いわけが分からなくなり、面倒くさくなってどちらともなくやめたのである。
激しい舌戦だった。今ならそう簡単に喧嘩は始まるまい。
「あっ、ダスク! あれ見てください! 落ちてますよ、兎石!」
指差された方を見れば、おお、確かに兎石が落ちていた。柱の影になるような位置に……ん? 二つもある。リタが走って行って、別の石をぶつけてから籠に入れる。もう片方も同じように処理。これはラッキーだな。
と思っていたら、周囲を見回すとそこら中に兎石が落ちていた。女神像の陰にも二、三個。他の柱のところにもいくつかあり、ちょっと外に出たところにも落ちているのが見える。試しに像のところのに近づいてみても、全然逃げない。遠慮無く全部叩いて拾わせてもらう。
「おいおい入れ食いだぞ。そこら辺探してみろ、いくらでもある。しかも全部寝てる、取り放題だ!」
「本当ですか!? やった、これで課題達成です!」
リタが辺りを見回し、新しく見つけたと思しき兎石のところに走って行く。神の思し召しってのはあるもんだな! 俺はほくほくした気持ちで、リタの兎石収集する様を見ていた。
さて。俺は今のでノルマも達成したことだし、改めてやるべきことをやろう。ポーチの中から、ペンを一本取り出す。
『リーゼロッテ・エーレンベルグ参上!』
「ダスクはどのくらい集めまし――何やってるんですか!?」
「落書き」
「そういうことを聞いているんじゃないです!」
籠をいっぱいにしたリタが戻ってきて見ているのは、女神像の右肩から左肩にかけてだ。そこには俺の達筆で『リーゼロッテ・エーレンベルグ参上!』とでかでかと文字が書かれていた。
うむ、我ながら中々の出来だ。
「何勝手に私の名前書いてるんですか! 消してください!」
「見てくれこのペンすげぇんだ、中にインクが内蔵されてて、インク瓶持ち歩かなくてもどこでも使えるんだよ。あとインクで書いたから普通に消せねぇ」
「ああああああもおおおおおおっ!」
リタが俺の持っているペンをひったくった。何をするのかと思えば、
『←これを書いたのはダスク・クラインである。落ちこぼれのひがみ!』
と文字の下に書いていた。
おーおー大きく書きやがって。
「ふん、いい気味です。バチが当たればいいんですよ、ダスクには。はいこれ、ペン返します」
「サンキュー。でもいいのかそんなこと書いて? 学校の誰かに見つかったらお前も怒られちまうぞ?」
「上だけなら危なかったですけど、下の告発分は誰が書いたなんて分かりません。だから、見つかっても怒られるのはダスクだけです! 私は大丈夫ですから!」
自慢気に胸を張るリタ。書いてある奴全員が呼び出されるだろうと思いはしたが、まぁ水を差すのはよしてやろう。
「そんなことより課題も終わりじゃないですか。さっさと集めて帰りましょうよ」
「お? もう十個集まったのかよ。早ぇな」
「あとちょっとです。まだまだ落ちてますし、せっかくですから入れられるだけ入れて帰ります。これだけ集めたら、先生きっと驚きますよー」
「分かった分かった。それじゃお前は集めてきな。俺も戻る準備するから」
リタを兎石集めに再び行かせ、俺は息をついた。
『リーゼロッテ・エーレンベルグという生徒を知っているだろうか!? 魔法学院最高の魔力量を持ち雷撃魔法を操る彼女は、実は下級雷撃しか使えない、言わば落ちこ』
「何やってんですかあああぁぁぁ!」
必死の形相で戻ってきたリタが、俺の腕を掴んで止める。唐突に腕に力を入れられ、書いてた文字がすっごいブレた。
「いや、帰るために最後まで落書きしとこうかなって思って」
「最後までって何ですか最後までって! もうこれ以上落書き増やさないで下さい!」
「あっやめろ、引っ張るな! これからが面白くなってくるところだってのに、せめて『落ちこぼれ』まで書かせろ!」
「バカですか! 書かせるわけないでしょ! ダスクこそさっさと離してくださいよ!」
リタが両手とも使って俺の手からペンを奪おうとしてくる。させるもんかと俺は全力で抵抗し、リタの手から火花が飛んでいってぇ! 下級雷撃使ってきやがったこいつ!
「ふ、ふふふ。ほら、強いでしょう下級雷撃だって! ダスクはこれを機に私のことを見直すといいです」
リタは奪ったペンで文章を塗りつぶし始めた。ぐ、ぬ、ぬ……。
仕方ない。今度こそ俺も帰り支度をすることとしよう。俺はリタの籠から自分の籠に兎石を移す。
「ちょっと、ちょっと!? 何やってんですかやめてください!」
「ほら、まだ後ろの部分しか塗りつぶせてないぞ。ちゃんとそっちに集中しなきゃ」
「そうじゃなくて! 盗まないで下さいよ私の兎石!」
「ははは、世の中油断した方が負けなのだよ」
文字を塗り潰しながらも必死で抵抗してくるリタ。取り返そうとしてくる手をあしらい、もみくちゃしながら半分くらいを奪い、隙を見つけたのでリタにでこピンをかました。
「に゛ゃっ」とか言ってリタは額を押さえる。やはり隙だらけである。俺はさくっともう一つ兎石を奪って外へ走り出て。「そういうことばっかり上手いですね!」というリタの怒声が追いかけてくるのを聞きながら、山を下っていった。