1-1『大抵やりたいことの才能はない』
ところで君たち、子供の頃の思い出にはどんなものがある?
友達との熱い約束? 女の子との甘酸っぱいロマンス?
俺は自慢できる思い出がある。とある有名な魔法使いに、命の危機をカッコよく救われたのである! その展開はまさにドラマティック&ロマンティック。子供だった俺が魔法使いに憧れるのは至極当然のことであった。
これは、そんな俺が魔法学院に入学することから始まる物語である!
いや、正確には――
*
魔法学院、屋外実践修練場。
「ぬあああああああああああああ!!」
ダミーかかしに魔法を放ち、その威力にて実力を図るという試験。そんな試験で、俺は腰のショートソードを抜き放ち、雄叫びを上げ、素人剣術でかかしに斬りかかろうとしていた。
「誰か! 誰か来てくれ! またダスクが暴走した!」
「誰かっ、先生呼んできてー!」
「てめぇ! 魔法出来ねぇのは自業自得なんだからあっぶね!」
ふん、有象無象が騒ぎおる。ショートソードが何かにかすった感触がしたが、俺は無視してダミーかかしに突っ込んでいく。うわっ、右腕に誰か飛びついてきた!
「ぬぅん!」
「おわぁ!」
強引に振り払う! ひょろい男子生徒が地面に倒れ込むのが見えた。ふはは、冒険者で鍛えている俺の筋力にガリ勉が勝てるものかよ! 俺は再びかかしに向かって突き進み――
「てめっ、捕まえたぞ! 押さえ込め押さえ込め!」
「待て、待て! 二人がかりはダメだって重い重いぐおお!」
今度は別の奴が羽交い締めにしながらのしかかってきやがった! 片方の男子生徒をショートソードの柄で叩いて引き剥がし、うわっ両足にも誰かがしがみついてきた! こいつ二組のデブか! これを引き剥がすのは骨だぞ!?
「お前ダスク、なんで魔力測定試験で剣持ち出しやがんだよ! 全くもって理解できねぇ!」
「分かるだろ! ダミーを潰せば好成績、つまり魔法が小さかろうが飛ばなかろうがすぐ消えようが関係ねぇ! 近づいてこの手でぶった切ってやればいいんだ!」
「うわーバカが居るぞ! バーカバーカ!」
無理に進もうとしてすっ転んで右手の剣が飛んでいった。ぐぬ、計画は頓挫か! だがな、まだこの俺には素手という金剛不壊の武器があってだな、
「なんだよ大騒ぎだなぁ、おい。原因はダスクかー?」
「お願いします、彼本当手が付けられないんです!」
ちょっ、待っ、委員長が先生呼んできやがった! 卑怯だぞお前、待ってやばいってヒゲ先生はダメだってやばいやばいやばいやば
*
魔法学院に入学して三年。
致命的なまでに落ちこぼれた俺が。
どうにか日々を幸せに生きていく物語である。
第一話
『大抵やりたいことの才能はない』
学院の講義室。一列数十人単位で座れそうな机と座席の列が、これまた縦に数十単位で並んでいる。後方に行くほど高くなっているその席の、前から数列目の右端の一つで、俺は大きくため息を付いていた。
「はぁーぁ……」
原因は主に俺の手元にある紙だ。「校内魔力総量順位表」という見出しが上にでかでかと、その下には大量の名前がちまっこい文字で書かれている。紙に目を滑らせ、最後の部分で俺は顔をしかめた。
「アカンよこれは……」
呟いて、俺はそっとその紙を小さく丸める。真横にそれを投げると、三つ離れた席に座っていた女子の頭に当たった。恨めしげな目線を向けてくるそいつに、俺は眉を歪めて全力でガンを付けて応える。ビビったように身を引いたそいつに、俺は溜飲を下げ。
「おっぶう!?」
その瞬間、ものすごい勢いで横っ面をぶっ叩かれた。その勢いで椅子ごと横に倒れこむ俺。
見上げてみれば、俺の隻の横に立つ髭面の中年の姿が見えた。そのビジュアルで「ヒゲ先生」と生徒に親しまれている、この学院の名物教師である。その手には、俺を叩いたであろう丸めた冊子が握られていた。
「こっなクソ、教師が生徒にんな理不尽な暴力を振るっていいと思ってんすか!」
「理不尽なのはダメだなー。だが、他の奴が授業を受ける邪魔をする奴にやんなら正当ってこった」
立てた親指を真下に向けてヒゲ先生に喚けば、ヒゲ先生はいつも通りのやる気のなさそうな間延びした声で答えた。倒れた俺の頭の先で、さっきの女子が押し殺したように笑っているのが聞こえた。
「ま、授業はちゃんと聞けってこったなぁー。仮に出来ないとしても、よ」
俺を見下ろしてそんな言葉を吐いて、先生は前の方へと戻っていった。その女子生徒が、俺のものだとでも言うかのように、さっき投げた丸めた紙を投げ返してくる。紙の塊は、少しバウンドして俺の頭の横で止まった。
不愉快だ。ムカつく。
何が、ということはない。何もかもが、だ。強いて言えば、世の中が、ってとこだろう。
頭の横の紙を、手に取って開ける。くしゃくしゃに皺になった紙の一番下に、元々書いてあった文字が歪んでいた。
四三〇四位(最下位) ダスク・クライン
校内魔力総量順位表。その一番下に、その文字は堂々と鎮座していた。
「……ちっ」
舌打ちをして、紙くずを握り潰して脇へと投げ捨てる。痛みをこらえて椅子へと座り直し、俺はとっくに始まっている授業へと目を向けた。
「『上級炎熱魔法』ッ!」
前に突き出した手のひらの前に、小さい火の玉が出てくる。ふよふよと漂い、数秒と待たずに掻き消えた。
無言で自分の手のひらを見つめる。握ってみる。開いてみる。
「……『下級炎熱魔法』」
改めて、火の魔法を使う。人差し指の先に、さっきと同じくらいのサイズの火の玉が現れた。そしてやっぱり、すぐに風で消えた。
魔法学院、実践訓練場。まばらにいる他の生徒に混じって、俺は魔法の練習をしていた。
俺の他にも、熱心な生徒が何人か練習している。それなりに大きい――人の頭くらいの大きさだ――火の玉を、ダミーに向かって飛ばしている奴が一人。あれを連発してるのは相当だな。学年は俺と同じくらいだろうか。他に、もうひと回り小さい火の玉を出してたり、桶に張った水を凍らせてる奴がいたり。
俺の後ろの方では、わらわらと生徒がかたまっている。一年の授業のようだ。新品の服を着てる集団が、先生の指示に従って何事かやっている。何人かダミーと対面しているが、流石にまだ魔法が出ない奴ばかりであった。
「はぁー……」
大きく息を吐き出す。随分と長い溜息をついてから、俺は改めて自分の手のひらに目を落とした。
悩みの種は、俺の魔法の実力のことだった。
まだ魔法が出ないような一年生よりはマシだが、俺の魔法力は……その、なんだ。すごく、アレだ。正直な所、口に出したくない感じに、かなりひどい。
努力はしたのだ。毎日魔力切れ寸前まで魔法を使うとか。体内の魔力を巡らせながら一日過ごすとか。ただ、それでも魔力量も出力も全くもって伸びず、こうして落ちこぼれと呼ばれる立場になってしまったのである。
無性に虚しい。こうやってまともに練習するのも久しぶりだ。が、考えてる内にやる気も失せてきた。やめよう、別のことをしよう。そうだな、新一年生にちょっかいでもかけてやろうか。せっかく四年なんだから、その立場を活かして――。
バヂッ!
「うおひっ!」
なんて考えていた背後で、激しい閃光が迸った。不意打ちだったもんで自分でも気持ち悪いと思える声が出た。何かと思って振り返ると、一年軍団がざわめいている。ダミーの前に立っている一人が、周りの生徒からしきりに声をかけられていた。話しかけられている方は、一年の中でも目立って背が低い。ローブのフードを被ってこちらに背を向けているから、顔も分からない。
見ていると、取り巻きが一歩離れ、チビっ子がダミーに向けて両手を構えた。瞬間、その手とかかしを結ぶように、太い光の筋が走った。一瞬だけ遅れ、再びバヂッ! という音が修練場全体に響く。思わず目を抑えようとした俺だが、視界のど真ん中には光の筋がばっちりと焼き付いていた。
あのチビっ子が再び取り巻きに囲まれていく。心なしかさっきよりも人数が多い。周りのやつが、わいわいきゃあきゃあと騒いでいる。
「雷撃、かよ……」
一方、俺の眉は露骨に歪んでいく。
「こんの上級魔導師め……!」
魔法とは。
曰く、津波で街一つを海の底に沈める。
曰く、過ぎ去った時間を巻き戻す。
曰く、愛する人を蘇らせる。
曰く、カエルになった王子様を元に戻す。
そんな、夢の様な奇跡を引き起こす技術を、人間は神から与えられた。人間はその技術に、「魔法」という名を付けた。
――なーんてのが、物語に伝わる魔法だ。いわゆる、前時代の魔法の概念でもある。
もちろんそんな古臭い考えの時代はとっくに終わり、現在は着々と魔法に関する研究は進んできていた。過去、口伝で神秘性を持って伝えられてきた魔法は、急速に理論・体系化が進んでいたのである。
魔法の基礎となる理論は、体内魔力の操作による体外への放出と、その後の魔力自動変換プロセスのコントロールで――という説明は、とりあえずは置いておいて。今は、それは重要ではない。
何が重要かって、魔法の種類について、だ。
例えば、魔法に夢を抱いて学院に入ってきた新入生がいるとする。しばらくの勉強の末、初歩的な魔法の使い方が分かった。初めて使う魔法。ワクワクである。大抵の場合、そいつは「魔法の矢よ、敵を貫け!」ってやり、火の玉が出てくる。さもなくば、「いでよ障壁!」とやって手を火傷する。あるいは、「物体浮遊の呪文!」ってやって空気を生温くする。
とまあこんな風に、初期の魔法は誰がどんな風にやっても、ほとんど同じになるのだ。火が出てくるだけの火炎呪文。いや、きっと熟練すれば使える魔法のバリエーションも増えるし、とすぐ考えるが、その考えは下町名物奏屋のザクロタルトより甘い。魔法のバリエーションなんて、勤勉な中級並の魔法使いでやっと、火炎に加え冷気系魔法が使える程度。というか、生涯炎熱系一辺倒で過ごす魔法使いも多い。
現在確認されている魔法の分類は、炎熱・冷気に雷撃を加えた、たったの三種類。しかもその雷撃は、国直属勤務クラスの上級魔導師並に熟練しないと使えない。まぁ、それが使えても結局は三種類だ。新入生たちが魔法に持っていた淡い期待は、残念な感じに裏切られるのである。
……いや、俺の悲しかった経験談は置いておこう。このことは逆に、魔法使いの実力判別の目安にもなるのだ。
火炎は初級、冷気は中級、雷撃は上級。それぞれが使えれば、概ねそのランクの魔法使いと言えるのである。もちろん、どれくらいの規模、威力であるかなども規準にはなる。また、百人に一人くらいは初期の適正が冷気である奴もいたりする。まあ、それはそれ。あくまで目安というやつだ。
あのちびっ子が使ってたのは下級雷撃魔法だな。自分の体から対象に向けて雷撃を飛ばす魔法。空気中で減衰するから射程は中、近距離程度。適切な威力で放たないと中距離まで届かず全く別のものに飛んで行ったりする。ちなみに雷撃は総合して制御が難しくて、むしろ下級雷撃のが上級雷撃よりも使える人間が少なかったりする。それを安定して使えて、中距離に飛ばす威力制御が出来てたりして、うーん、どんだけの熟練者かな? くそが!
……え、俺? 俺はほら、アレだよ。冷気魔法が使えるから。火もできるけど冷気も得意だし。コップの水に氷作るとか超余裕だし。超中級魔導師だから。どっからどう見ても中級魔導師だから。
「お前のは出力が足りねーからなー。それまで含めて初級、ってとこかね」
口を挟まれた。気付けば俺の隣に髭面がいた。
「……何してんすか先生。こんなところまで来て俺に声かけて。ひょっとして俺のこと好きなんすか? ラヴ?」
「一年の引率だよ。その帰りに、珍しく神妙な顔してブツブツなんか呟いてる男を見かけてよ」
そう言うヒゲ先生の後ろを、ぞろぞろとさっきの一年集団が歩いている。何人かで固まって談笑している組もいれば、隅の方を一人で歩いて行くやつもいた。
中でも目立つのは後方の集団だ。興奮したような声で、周りのやつが真ん中の一人に質問を投げかけまくっていた。真ん中のやつはもちろん、さっきのフードのチビっ子だ。見える限りではあんまり質問には答えていない様子。
さて。俺はその集団の進行方向の前に出て、腕を組んで目を見開いて口角を上げ、立ちふさがるポーズを取ってやった。
「よーよー一年坊主共。この俺に」
後ろを向いて歩いていた先頭のやつにぶつかった。もちろんやわな鍛え方はしてないので、俺は堂々と仁王立ちを続ける。集団は関わりたくなさそうに、すすすと横へ避けていく。近くにいる奴は「何こいつ……」みたいな目を俺に向けていた。
めちゃくちゃ腹立った。上半身のポーズと表情だけそのままに、無理やり横から集団に割り込んでいく。困惑と驚きの中間の表情で俺を避ける一年生たちを尻目に、俺はフードのチビっ子の前に立ちふさがった。
「よう新人」
チビっ子が俺を見上げる。ブラウンの瞳が俺を捉え、たと思ったら、すぐ右下へと目線を反らされた。
「ずいぶんと、調子に乗ってくれてるみたいじゃあねぇの? うちの学校入ったんならまずおっふぅ!」
襟首を捕まれものすごい力で投げ出された。
「お前らー、今のは気にしないでいいから、次の授業急げー。遅れたら怒られるの俺だかんなー」
ヒゲ先生だ。投げ出されて倒れたままの姿勢で、俺はため息を付いた。一年生は少し戸惑ったように留まっていたが、彼らの足音は少しずつ離れていった。俺は仰向けに天井を見つめたまま、ぼんやりとその音を聞いていた。
世の中、上手く行かないことばっかりだ。
「お、そうだダスク」
「なんすか?」
先生の声に、俺は首を上げる。
「お前、明日の授業出るか? 暇なら出とけよー、お守役がいると俺も助かるかんなー」
「明日?」