3-1 RAY824.11/ブンガクシャの語る景色
「女が抱きてぇよなあ」
ぽつりと誰かが言った。
薄暗い灯りの中、その声は次第に気温を下げていく房の中で、奇妙に響いた。その響き、その声が自分の相棒だ、ということがBPにはすぐに判った。
冷えるな、と思いながらも彼は防寒着を羽織ったまま、ぼんやりとその声を聞いていた。そろそろこの冬の惑星の上でも、最も寒い季節がやってくるのだ。
昼間の防寒着が、夜じっとしている時には手放せなくなる。一日に摂る食事の量が「足りない」と感じ始める。身体はエネルギーをより必要に感じる。だがそれが得られることはない。
前の年にこの季節を越えた時には、彼はさすがに自分を誉めたいくらいだった。一度目よりはおそらくはましだろうが、それでも厳しい季節には違いない。
「なぁそう思わない?」
彼は相棒の話し方は嫌いではない。
壁に付けた背中が何かずいぶんと冷えるな、とは思うが、かと言って何かしようという気が起こらない時には、こんな風に消灯時間までぼんやりと誰かの話を聞いていることが多かった。
「何だよお前、元気あるな」
低い声が飛ぶ。ビッグアイズだった。
呆れている様な、それでも何処か楽しそうに声の主に問いかける。その手には何かしら尖ったものが握られている。今日の戦利品だな、とそれを見ながらBPは思う。きらきらと弱い灯りに光る。ガラス片だろうか、と見当をつける。
ビッグアイズは作業中、雪の中でそんなものをよく見つけては、こっそりと隠し持って来る。例えば誰かが落としてそのまま雪に埋もれてしまったナイフや銃剣の先。例えば時々起きる食堂の騒動の時に窓から放り出されたスプーンやフォーク。
そしてその善し悪しを調べては、やはり埋もれていた鉄片でもってこすり、錆を落としたり、なまった部分を研いだり、と手入れをしている。
リタリットはだらん、と足を投げ出すと、両手を後ろに置き、首をぐるんと回した。
「べつに元気じゃあないけどさぁ。んー。やっぱ何かこう、ね。手が指が、欲しがってるってこと無い?」
そう言って名前に「文学者」を意味する男は指をちろちろと動かす。
「例えばさあ、オレ昼間外に出るじゃない」
別にこいつだけではないのだが、とBPは黙ったまま思う。
「で何となく作業に腰痛くなってちょっと立つじゃない。するとまあどうでしょう。見渡す限り野郎野郎野郎」
「そりゃあ仕方ないだろ」
「だけどさあ。女の姿が全く見えないのって、うるおいが無いと思いませんか?」
「って言ってもなあ」
ちら、とビッグアイズはヘッドの方を向いた。
「お前の相棒じゃあ不足か?」
「それとは別モンダイでしょ」
いきなり話題と視線が自分に振られ、BPは思わず片方の眉を上げた。いきなり俺に来るか?
「あれはあれ。これはこれ。あれはあれでよし。でもほら、やっぱり何かこの……」
リタリットは不意に言葉を止めた。そして指を小指から順番に折り曲げて行くと、突然ぐっ、とその手を握りしめた。BPはふとその様子を見て、顔を上げた。
そんな風に、前もやっていたのだ。
*
基本的にこの惑星での「労働」は採掘だった。
「特産物」のパンコンガン鉱石だけでなく、この地には大きくの鉱産物が眠っている。それも何処そこに、というのではなく、この惑星全体が、何かしらの鉱産資源を抱えているのだ。
だが実際、その採掘作業はそう盛んではない。
「理由は色々あるけどさあ」
ドリルで固い地面を掘り起こしながら、声を張り上げてリタリットはBPに、彼がまだ入ってきたばかりの頃説明をしていた。
無駄口を叩くな、とは彼等は言われてはいない。口でも何でも、何かしら身体を動かしていないと凍える。
BPはこの地では、ただ「外に居ること」自体で充分「強制労働」であるとも言える。たとえ防寒着を着ていたところで、それが体温を全く守ることができるという訳ではない。動いていて、初めて彼等は体温を維持できる。
監視員達は、360度を見渡すことができる監視塔に、時間交代で昇り、作業をする囚人が逃げ出さないか、だけ監視している。この際、作業をさぼっているかどうか、はさほど問題にされない。
「何せこれだろ」
きゅ、という音がして、ドリルは自然に止まった。ほれ、とリタリットはドリルを持ち上げて彼に見せる。刃がぐるりと曲がっていた。
「あちこちがこれだからさあ、いちいちヒトの手で、どのへんが大丈夫かつっつきながら掘らなくちゃなんね」
「発破かけるとかそういうのはいかんのか?」
刃を慣れた手つきで取り替えながら、リタリットは首を横に振った。
「ダメダメダメ。下手にそんなコトすると、周囲の雪がどさどさどさ……」
「雪崩るのか」
「はいあっち見て」
ふい、とBPは自分の前に突き出された指の向く方向に首を動かした。尖った山が陽の光に輝いている。
「山……」
「はいじゃこっち」
言われるままに、BPは首を動かしていく。白い山。針葉樹すらそこにはない。
「ほんでもってあっち。ついでにこっち。あっちもこっちもどっちも山々々」
「……確かにこんな四方八方山に囲まれた場所で雪崩が起きたら大変だよな…… 何でこんなとこに作ったんだろう?」
「そうゆうのは、ジオが詳しいけどさ。オレが知ってんのは、そのあっちもこっちもどっちも、資源がゆたか君だってことだけなんだよな。それも結構ひと肌脱げばって感じ」
地下深くって訳じゃないのか、と彼は理解した。
「ま、なだれが起きてもし雪に沈んでも、別にオレ達が死んだトコで、誰も泣く訳じゃなし」
ひどくさらり、とリタリットは言った。
「そうなのか?」
「そうでしょ」
くっ、とそう言いながら曲がったドリルの刃をリタリットは抜いた。ああやっと抜けた、と口にしながら、ポケットのついたベルトの中から替え刃を取り出し、慣れた手つきで取り替える。
「違うの?」
そして不意に彼の方を向いた。彼は首を横に振る。
「判らない」
「だとしたら、オマエには居るんと違うの?」
「って」
「ってさあ。オレには居ないと思うもん。判るからさ。オマエは判らないんでしょ? じゃ、居るさあ」
理屈になってない、とBPは思った。だがかと言って、こう言い切る相手に何を返せばいいのか、というと、案外言葉が出て来ない。
言葉を探す間に、彼もまた、作業を再開させていた。慣れないドリルは、スイッチを入れると、途端に荒れ狂う。まるで暴れ馬だ、とBPは思いながら、あっちに向けこっちに向け、大地に対する「良い具合」を探してみる。
必死になると、身体はだんだん暖まってくる。そして、地面の上で、ほんの少し軽い感触をドリルの刃ごしに手に覚えると、彼はそこで力を込めた。ガガガガ、という音とともに、ドリルは上手く雪の下で凍った大地の下に潜っていく。
そしてやがて、土でなく、岩の様なものに突き当たる。鈍い光を発している様なその岩の存在に、彼はなるほど確かにここに作る訳だ、と納得した。
ドリルで更にその岩自体を掘り起こす作業に熱中しているうちに、腕が熱く感じられたので、彼はひとまず休憩、とドリルを止めた。するとリタリットは口元を歪めた。
「いいカンしてるじゃない、BP」
「そうかな?」
「そうだよ。オマエさあ、結構色んなちゃんとした訓練受けてんじゃない?」
「訓練?」
「ヘッドがさ、オマエは軍人だったんじゃないか、って言ってた」
「……俺がか?」
彼は黒い太い眉を露骨に寄せた。
「車、乗れたろ」
「ああ。だけどそんなこと位で」
「車ったって、ここにあるのは結構旧式だし。看守だまくらかして聞いたら、何か軍の払い下げだとさ。ここのは。民間車じゃねぇんだって」
「そうなのか?」
「そうだよ。だいたいここに来た奴は最初から乗れるヤツってのはいねーんだ」
だから、か? と彼はヘッドがわざわざ新入りの自分をあの時連れていったこ
と理由を推測する。
「リタリットは、お前はどうだったんだ?」
「オレ? ダメダメ。できる訳ないじゃん」
両手をひらひらと上げて、リタリットは否定する。
「それにオレは、ダメなんだってば」
「何が」
「ああいうエンジンのでかい音聴くと、どーも吐き気がすんの」
「吐き気?」
それは尋常ではない、と彼は思う。だが言った本人は、至ってあっさりとしていた。
それじゃあこんなドリルの音も良くないのではないか、と思うが、どうもそういうものではないらしい。
「オレさあ、一コだけ残ってる風景があってさ」
「残っているのか?」
「みんなそうだよ? ここに居るヤツら、皆一コだけ、何か残ってるんだってば。オマエにもあるんじゃね? 何か」
「俺は」
残っているもの。何かあっただろうか、と彼は考える。だがまだ頭の中はぼんやりとした部分が多かった。
「何かさあ、ほら、ウチの房のドクトルKに言わせると、オレ達は別に記憶を『消された』ワケじゃねーって言うの」
「違うのか?」
リタリットは首を横に振る。
「違うの。記憶ってのはそんな簡単に、黒板とか消しゴムとかコンピュータのデータの様に簡単に消せるわけじゃねえって。何かそこにたどりつく、道をこんがらがらせるんだってさ」
「迷わせる?」
「とも言うね。だから、消えてる訳じゃなくて、道に迷ってる分だから、どっかにはあるワケよ。で、その中でもひどく強いものだけは、どーも道がどう迷わせてもくっきりついてるんだってさ」
「へえ」
BPは感心した様にうなづいた。それなら自分もいつか記憶を取り戻すことができるのかもしれない。彼は自分の中に、ふと明るいものが点った様な気がした。
「で、そういう一番キョーレツなものが、皆一つだけは見えるんだって」
「で、お前にもあるんだ?」
「オレなんかひどいよ? 聞いてくれるBP?」
そう言ってリタリットはドリルの上に器用に両ひじを乗せ、その上にあごを置いた。ああ、とBPはうなづいた。確かに彼にとっても興味はあったのだ。
「場面なんだけどさ」
にやり、とリタリットは笑う。目は相変わらず笑っていない。
「たぶん、メトロだと思うんだよ、アレは。高い丸い石の天井に、蛍光灯のシャンデリアがあってさ。で、何かひでー音が、して、そおそお、何かひでー音。何つーのかな、布を一気に金属で引き裂いた様な音ってゆうか、じゃなかったら、黒板をこのドリルの刃を(ふいとリタリットはそれを持ち上げた)何十本と並べて一気に引っ掻いたような音っていうか。でもそんだけじゃないのよ。そこでずいぶん大勢の連中がざわざわざわざわしてんの。何やってんの、と思ってオレは…… たぶんオレなんだよね。見に行くワケよ。そーすると」
「そうすると?」
「人の輪の中にぽっかりと穴が空いててさ。オレはほら、そうゆう人混みって好きらしいから、何だ何だと首を突っ込むワケよ。で、そこでオレが見たのは、真っ赤に染まった床」
え、と彼は思わず問い返していた。
「オレもさー、何で床が赤いのかな、と思ったのよ。床のほかの部分はほらよくあるクリーム色のビニタイだし。それに何かべとべとしてるようだし。でオレはもっと近づくワケよ。で何か目を凝らすと、手があんの」
ひどく嫌な予感がした。
「濡れてんの。その手は」
聞くんじゃなかった、と彼は思った。
「何か半袖っぽくて、白い服だったのかな? 何かすげえ綺麗に真っ赤に染まっていたから、きっと白い服だったんだ、とオレは思ったね」
そういうのは、冷静に言う話じゃない、と彼は思った。だが止めることもできない、とも彼は思った。
リタリットは淡々と続ける。
「片方はそのまま身体についてたんだけど、もう片方はごろんとそこにあるのかな。足なんかもう、曲がっちゃってて。かろうじてついてんだけど。でやっぱり下のほうも真っ赤でさ。切れてるとこから、どくどくとずっと出てんの。で床がずいぶん真っ赤になっちゃってて」
「お前さ……」
BPは顔が自然に歪むのを感じていた。話している本人はひどく淡々としているのに、聞いている自分の方が、胸がひどく痛くなる。
「ドクトルKに言わせるとさ、オレみてーなくっきりした『場面』でそれが在るってのは珍しいんだってさ。でも何でそんな場面が出てくるのかは奴も判らねって言ってたけどさ」
「知ってる奴…… ってことは」
「どーだろ。そこまでオレには判んないよ」
そして目を半分伏せる。
「オレに見えんのは、その『場面』だけだもん。そこに出てるのが誰かなんて、オレには判んね。ああ、男だったとは判るよ。でもそれがオレに関係したヤツなのか、それとも通りすがりの誰かさんかどーかなんてのはさーっぱり判らないのよ」
BPは思わず口に手を当てていた。
「でもさあ、そのせいかオレどーもでかいエンジン音ってのはやでさあ。最初にあーやって行った時、吐いちゃってさ。オマエもういいから来るなって言われてはいそれまで」
そしてげたげた、とリタリットは笑った。
「オマエにはさ、BP、無いの? そんなモノが」
言われてBPは首を傾げた。
「ある…… 様な気はする」
「へえ。どんなの?」
そして今度は逆の方向に首を傾げる。リタリットは面白そうに眉を上げると、口を歪めた。
「判らない」
「判らない?」
「同じ夢をよく見るなあ、とは思うんだけどさ」
「同じ夢ねえ。ヘッドと同じよーなこと言うねオマエ」
「ヘッドが?」
ん、とリタリットはうなづく。
「カレはさあ、映像じゃあないのよ。概念だけが何か渦巻いてるんだって。でそれがぼんやりとした夢の中に出てくるらしいんだと」
「コンセプト?」
「『何か自分には女と子供が居るらしい』そぉゆうの」
コンセプト、というにはひどく具体的だな、とBPは思う。
「だからカレは誰がどう誘おうと、そぉゆう向きには靡かないね。可哀相なビッグアイズ」
げ、とそれを聞いてBPは思わず声を立てた。
「何、ちょっと待てそれじゃ」
「まじまじ。それはそれ。これはこれ。でもココだから良かったね。誰もここじゃ何かれどーしようなんてコト思えないから、いいんじゃない?」
「……」
「だいたいオマエ、ここでそうゆう気分になったコトあり?」
いや、とBPは首を横に振った。
確かに、考えてみれば、一度も無かった。健康な成人男子であるというのに、考えてみれば、それに気付いたことすらなかった。
「記憶を消されてるのが何か関係あるのか?」
「んにゃ、単に寒いから勃たないだけ」
リタリットはそう言いながら、ふにゃ、と肩をすくめた。