24-1 「尋ね人の時間」―――再会する人、拒否する人
「はい、こちら中央放送局『尋ね人の時間』です。ご用件の相手のお名前と、そちらのお名前をどうぞ…」
ずらりと並んだ机に、通信端末が並び、そして受付のバイトが並んでいる。ひっきりなしに、放送局にはコールがかかってくる。
「まさかこんなに反響があるとは思わなかったすよ…」
「君のアイデアの勝利よ。ほら今日だって、通信もだけど、直接の申し込みの人だって多いじゃない。お天気がいまいちだっていうのに」
ぽん、とゾフィーはリルの肩を叩く。
「いやアイデアも何も… 彼らが『政治犯』で無くなるのだったら、彼らの過去を探すことは必要じゃないか、って思っただけなんすが…」
新年のスタジアムの事件から、既に半月が経過していた。その短い期間の内に、事態は急速に変化して行った。
あの時、首府警備隊のアンハルト少将は、スタジアムの演壇で待機する形となっていた閣僚の中から、スペールン建設相を拘束した。
何故自分が、という顔で反論しようとした野心家候補のこの男を、アンハルト少将は、二つの理由で封じ込めた。
一つは、この様な事態を巻き起こす様なつくりのスタジアムを設計したこと。もう一つは、その中における、総統及び宣伝相の殺害未遂である。無論スペールンは否定している。実際どうだろう、とゾフィーも首をひねらない訳ではない。
だが、これも一つのクーデターなのだ、と考えれば、ある程度の納得はいく。だとしたら、ただの放送屋である自分は、口を出すのは控えた方がいいだろう、と彼女は思うのだった。
とは言え、アンハルト少将も、政権を勝ち取ったという訳ではない。
この人物はあくまで自分は軍人であるから、とその場に立つことは拒否した。またその一方で、手を組んだとされる、反政府集団の代表も、表に立つことは拒否した。
そしてまた、四年前の繰り返しがそこにはあった。帝都からの派遣員は、このレーゲンボーゲンを代表する政府の中の発言者を求めてきた。ただ、その時、その役に抜擢されたのは、かつて総統ヘラが「代理」として立つ前にスキャンダルで失脚したグルシンだった。
グルシンは、元々政治家としての手腕は定評があった。
しかし、一度自分のミスで失脚してしまったこの男は、それに懲りたのか、それとも政治の世界そのものに嫌気がさしていたのか判らないが、あくまで自分は次の選挙が行われるまでの顔つなぎであってほしい、と主張した。そして選挙終了とともに、引退するということを、派遣員にもはっきりと告げていた。
珍しく、帝国正規軍のカーキに赤のラインの入った軍服をつけたこの派遣員は、満足そうにうなづいた。
そして穏やかな口調でこう訊ねた。
「それではパンコンガン鉱石についての見解は、これからどうなるのですか?」
「それについては、彼が語りましょう」
グルシンはそう言って、スノウにゼフ・フアルト助教授を紹介した。
「本名」で紹介されたジオは、ケンネルから託されたデータを提示しながら、政府としての見解を、一通り説明した。
レーゲンボーゲンは、この鉱石の採掘権を全て帝都に委譲する。いっそのこと、惑星ライ自体をそっくり渡してもいい。ただその代わり、今後半永久的に、レーゲンボーゲンの、アルクの自治権は認めて欲しい、と。
「それは、私の一存では決められないな」
「そうかもしれません」
ジオは予想していた答えに、動じることは無い。
「しかしそちらにしても、これはそう悪くない取引ではないですか? あなた方の欲しいのは、あくまでパンコンガン鉱石だけで、決して他の鉱物資源にも宝石にも興味がある訳ではない。それは、あなた方にとって、これが特別なものだからだ」
「と言うと?」
隣で座るグルシンには意味の判らない言葉を、ジオことゼフ・フアルトはスノウに向かって放つ。
「あれは、あなた方があなた方であるためのものだったんだ」
くす、とスノウは笑みを浮かべた。
「なるほど、君はあれが何であるのか、判ったのですね」
「運が良かったから、かもしれませんね。…でも我々には、あの鉱石は、別に何の意味も持たない。逆に、その存在があることで混乱するものが多いはずでしょう。だったらいっそのこと、そんなものは、そっくりお譲りする、と言う訳ですよ。これはケンネル科学技術庁長官と、当時一緒にあれを見てしまった僕ですから言えるのかもしれませんが」
「だが君は、それで我々の様になってみたい、とは思ったことは無いか?」
「別に、ありませんね」
君、とグルシンは若い学者の非礼をたしなめようとする。しかしスノウは軽く手を振る。
「少なくとも、僕はこれで充分です。だから下手なこと考える人が増えないうちに、あれはあなた方に進呈致します。僕達の観点で言えば、あれは何の役にも立たない。エネルギー源にもならないし、コミュニケーションを取るには、能力が足りませんからね」
スノウはうなづいた。実際この若い地質学者の言う通りだったのだ。完全とは言わずとも、このフアルト助教授が、良いところまで掴んでいることは、間違いない、とスノウはふんでいた。
パンコンガン鉱石は、彼ら帝都の「皇族」や「血族」が、遠い昔、現在の様な特性を持つために必要なものだった。
当時はまだパンコンガン鉱石、とは呼ばれていなかったし、その場所にあった訳でもなかった。スノウもまた、遠い昔、「それ」に触れたことがある。いや、触れただけではない。
位相の違う生物。それがこの鉱石だった。
それを取り入れることによって、ただのホモ・サピエンスは、天使種という、不老不死の生き物になってしまった。
だが彼等は遷都の際にその故郷を破壊し、先住の種族をも破壊してしまったはずだった。
はずだった。
なのに、数百年が経過した時、とある植民星で、同じ性質を持つものが発見された。
発見、なのか、それともかつての破片がそこに飛んだのか、そのあたりは判らない。
それが一体本当にどういう性質の生物であったか、など、位相の違う人間でしかない生物には、理解できなかったのだ。
見つけたからには、回収が必要だった。
だが、その破壊の記憶が何処かにあるのだろうか、パンコンガン鉱石、とその地方では呼ばれていた「それ」は、人間の気配がある程度以上の複数になると、身を翻すのだ。仕方なしに、帝都政府は、少しづつでもいい、とこの地の人間に採取を義務づけたのである。
そしてまた、その一方で、この様な提案をする者を、待っていたと言ってもいい。
「前向きに検討しておこう」
「良い返事をいただきたいですね」
ジオは不敵な笑みを浮かべた。
*
「でも最初は、やっぱりあの再会のせいすよ。俺が思い付いたのは」
「ああ… あのヘッドさんと」
「ええ、奥さんだった人との」
*
あの日。疲れ果てたゾフィー達が、放送局に帰り着いた時には、既に夜になっていた。丸一日以上、外でずっと騒動の中に居たのだ。
さすがにくたびれた、と局の入り口のカウチにとりあえず腰を下ろしていると、待っていた、とばかりに局の事務の女性が飛び出してきた。
「どうしたんですか?」
問いかけたのはリルだった。すると、事務の女性は、とにかくこちらへ来て下さい、とゾフィーの手を引っ張る。役者の控え室に使われるその小さな部屋には、ゾフィーよりやや年かさと見られる一人の女性がドーナツ椅子に掛けて、所在なげにしていた。
「ずっとこの方が、待ってるんです」
「待って、って…? あたしを?」
「というか、レベカさん、今回の責任者ですよね。ですから、御存知でしょうということで… とにかく私達じゃあ、その場に居たひとのことなんて判らないし…」
事務の女性は、回りくどい言い方をしながらも、とにかく自分達には責任は取れないから、という意味をほのめかす。
「その場に居た人って」
「あの…」
座っていた女性は、立ち上がった。
「今朝放送が再開された時に、カメラが映していたひとのことを知りたいんです。わたしの、昔の知り合いかも、しれないんです」
「映していたって言っても…」
ゾフィーは口ごもる。その時映していた人数など、とんでもない数だ。一口にそう言われたところで。
「…いえ、あの、…でも、少なくとも、あの首府警備隊の方は、御存知じゃないか、と思うんです」
「首府警備隊? だったら軍の方に」
「でもやっばり、…あの…」
ひどく言いにくそうな女性に、ゾフィーはもしや、と思って一つの質問を口にする。
「もしかして、あの時、軍の人達と一緒に居た…」
「ええ!」
女性は、顔を上げた。
「ずっと、行方が知れなかったんです。もう十年にもなります。何処でどうしてるかと思ってました…あの…」
「って… で、でもあの時映していたのは、四人程居たけれど…」
「名前は…」
「名前では駄目だわ。だって、彼らは」
彼らには、本当の名前は判らない。皆が皆、その場で暗号の様な、記号の様な名前を呼び合っていた。頭。でか目。地学。…文学者。
「じゃ、会わせて欲しいんです。会いたいんです。…見れば、判るんです」
その女性は、胸の前で手を組み合わせる。
「でも、会って――― どうするんですか?」
それは、ゾフィー自身、自分に幾度となく繰り返してきた問いだった。しかもこの女性は自分より二年も長そうだ。
「そのひとは、昔わたしの夫だったんです。…でも、今わたしには、別の家庭があります。彼との間の子供も、今の夫を父親と思ってます。もう、会ってもどうにもならないのかもしれません」
「だったら会わない方がいいんじゃなくて?」
「でも」
女性は顔を上げる。
「せめて、ちゃんとさようならを言わないと、いけないような気がして」
ああ、とゾフィーはうなづいた。確かにそうだった。自分にも覚えのある感情だった。
それなら、と彼女はリルに、一度別れた首府警備隊の方へと回線を開き、そこからその夜は首府にてキャンプ状態となっている「赤」「緑」の連合実働隊に連絡をつけてもらった。
ゾフィーは疲れてはいたが、その女性を連れ、リルの運転する地上車でキャンプへと向かった。
キャンプは、ひとまず、新年休暇中の中央大学の体育館の中へと設置された。
新年休暇が済むまでにこの事態に収拾がつくかどうかは判らないし、学生達がこの集団にどんな影響を受けるか判らない。だがひとまず休戦協定を結んではいるし、その過程で、それまでの政治犯を一度白紙に戻すという提案が出されてもいた。事態は確実に代わりつつあったのだ。
「用事?」
とその場に居た中で、ヘッドとビッグアイズと名乗った男が出た。ジオはゼフ・フアルト助教授ということが判明していたし、リタリットは――― その場には居なかった訳ではあるが。
「…!」
小柄な女性は、短い髪のヘッドを視界に入れた瞬間、その場にしゃがみ込んだ。そのままうっうっ、と泣き出す姿を見て、二人が二人とも、少しばかり戸惑っている様に、ゾフィーには見えた。
「もしかして、あんたこいつの奥さんだったとか、言うんじゃない?」
口を開いたのはビッグアイズの方だった。女性はそのまま何も言わずに首だけを上下させた。ヘッドはそれを見て、すっとその場にしゃがみ込んだ。
そして、ふうんそうなの、と言って、ビッグアイズはそのままキャンプの中へと戻って行く。ゾフィーもまた、リルの服を引っ張り、少しばかりこの再会の人々から離れて行った。
どのくらい経ったのだろう。やがて二人とも立ち上がると、一度抱き合い、そして離れた。女性は目にハンカチを当てながら、お待たせしてすみません、とゾフィー達の方へとやってきた。見ると、ヘッドはヘッドで、キャンプの中へあっさりと戻って行く。
「いいのですか? もう」
「ええ。充分です」
「本当に?」
「ずっと、気になっていました。彼のことは。でも…」
女性は、目に当てていたハンカチを一度広げると、畳み直した。
「十年は、長いですね。わたしにとっても、彼にとっても」
「…」
「わたしにとって十年経っていたように、彼にも彼の十年が、あったってことですよね」
ありがとうございました、と女性は言って、そこから一人で家へと戻って行った。首府に住んでいるのだという。夫と子供が待つ、家庭へ。
ゾフィーはその女性の後ろ姿を見ながら、自分は一体八年の間、何をしてきたのだろう、と思う。そして、自分が一体本当に、ヴァーミリオン=リタリットに何を言いたかったのか、少しばかり判らなくなっていた。
一方、キャンプにあっさりと戻ってきたヘッドに、ビッグアイズは立ち上がると、その大きな目をいっそう大きく開けた。
「あんた… 何やってんだよ」
ビッグアイズは問いかける。
「何って。何?」
「あんたのずっと気にしてた、奥さんじゃないのか?」
「…だと、思うんだが」
「そんな他人事のように…」
ぽん、とビッグアイズの肩を叩くと、ヘッドは体育館の床の上に座り込む。そして集結した実働隊メンバー――― 主にライの脱走者達が、再会を喜びつつ、次の事態に対する備えをしている姿を眺める。
キディがあの店で鍛えた小回りの利く足で、めいめい好きずきに座り込む人の輪の間をすり抜け、首府警備隊からの差し入れの食事と飲み物をメンバーに配っていた。
「奴は元気だな」
「奴? ああ、キディか」
「あれは確か、思い出したくない類、だったよな」
「そうだったが… どうしたっていうんだよ、ヘッド、あんた」
「思い出せなかったんだ」
え? とビックアイズは眉を大きく寄せる。
「さっきの女。俺の女房だったらしいっていうけど、俺は、あの女を見た時、判らなかった。ずっと俺は、見れば判るだろう、と思っていたのに、だ」
「…ヘッド…」
「そしてあの女は、もう今は、新しい家族が居る。俺との間の子供も、新しい家庭に馴染んでいる、ってことだ。…結局、その程度のものだったらしいな、俺にとってそれは」
「それは… でも…」
ビッグアイズは低い声で口ごもる。何か反論してみたいとは思うのだが、それが全く浮かばない。こんな事態は、予測していなかったのだ。きっと自分は、再会して喜び合う夫婦を、多少の苦笑混じりで見ることになるだろうな、と予測していたのだ。なのに。
「何、お前その顔」
「何って」
「何か、変な顔してるぜ」
そう言ってヘッドは、ビッグアイズの額をこつんとつつく。
「…ま、こうなったら、別にもう捨てて惜しいものもないし… これからも、長いつきあいになりそうだよな、相棒」
「…」
「だから何って顔してるんだよ?」
ビッグアイズは、何も言わず、うつむくと、「相棒」の首に大きく腕を回した。
何だかなあ、という顔をしながら、ヘッドはそのままどうやら泣き出してしまったらしい相棒の背中をぽんぽんと叩いた。




