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15-1 TVスタッフ君の困惑

 その時、ヘルシュル・リルは困っていた。非常に困っていた。手持ちの軽いはずの機材がひどく重く感じられる程困っていた。

 ため息をつきながら、駅のベンチに座り込む。植え込みの花が綺麗だな、と眺めながら、その反面、やっぱり困っていた。

 捜索が、手詰まりになってしまったのだ。

 彼が先輩であり、尊敬するプロデューサーであるゾフィー・レベカの頼みで、今回の仕事に手をつけたのは、もう一ヶ月も前だった。首府にある中央放送局を離れて、それだけの時間が経っていた。

 とは言え、「まだ一ヶ月」とも言える。彼が依頼された仕事は思った以上に厄介なものだった。

 「人の捜索と再会」をテーマにしたものは、TV番組としては古典的だが、いつやったとしても人気のあるものだった。再会に限らない。実際に生きてきた人間のあゆみというのものは、下手なドラマ以上に面白いものである。

 したがって、この中央放送局でも無論そのテーマは手を変え品を変え繰り返し繰り返し番組として仕立ててきた。そして実際、その類の番組の視聴率はコンスタントに高いのだ。

 中央放送局は、共通歴新年で番組が切り替わることが多い。そして、切り替えの合間には、特別番組が入れられる。それは、なるべくだったら、作りおいた映像の集合である方が望ましい。何せ、放送業界も、新年には交代でまとまった休暇が与えられるのだから。

 そして、今度の新年切り替えの番組の目玉が、そのテーマだった。そこをゾフィーは利用したのだ。

 彼女が提案したのは、「あの人は今」的なものではあったが、それをそれまでの「往年の女優」や「往年の名スポーツ選手」の様な華やかな職業のものではなかった。むしろ、引退した政治家や、その周囲に関わる人を探って、かつての名政治家の功績をしのぶ、という傾向のものだった。

 無論それには、「またか」という声もあった。リルもそれは知っている。

 彼の敬愛なるゾフィーは、現在政府と最も近い映像プロデューサーだった。宣伝相テルミンを友人に持ち、政府関連の番組を全て取り仕切っている。

 その現在の地位の全てが、彼女の技術的実力という訳ではないのは、リルもよく知っていた。この世界において、ただ単なる技術馬鹿が渡り歩いていける訳が無い。結局は、その渡るための何か、自体が、敬愛のタネとなるのである。

 彼にとってのゾフィーの魅力は、結局そこに尽きている。彼女が、局においてなりふり構わず番組を作る、その姿勢や感性がリルは好きなのであって、彼女の技術が好きという訳ではないのだ。

 そしてその好きな人が、珍しく職権乱用して人捜しをするとなれば。それに協力してくれ、と言うならば。

 彼は喜んでするだけなのである。

 しかし、それにしても、この捜し人に関しては、さすがに彼も困り果てていた。

 思わずため息をもう一つつく。やがて、しょうもない、と立ち上がり、とりあえずは今宵の宿を、とばかりに駅の改札をくぐったのである。


 ところが悪い時には悪いことが重なった。その街には、ホテルどころか、「宿と食事を提供する場所」を名乗っているところがまるでなかったのだ。

 とりあえず食事に寄った店で、それを言われた時、リルはさすがに頭がぐらりとした。愛とは耐えることなのね、とおどけて心の中でつぶやいてみたところで、この疲れた身体をどうしよう、という問いに答えが出るものではなかった。

 しかし。


「そりゃあ隣の駅まで行けば、泊まれるホテルくらいあるけど」


 学生のアルバイトらしい、ウェイトレスの少女は、自分の言った言葉に相当落胆しているらしい男に向かって、こう付け足した。リルはばっ、と顔を上げた。


「それ本当?」

「本当。ただ…」

「ただ?」

「ここの最終って、お客さんが今乗ってきた奴なんだけど…」


 追い打ちを掛けるにも程がある、と彼はその場に突っ伏せた。

 とりあえず腹が減ってはどうにもならない。脱力するのも僅かな間、彼はメニューから適当に選んで、少女に頼んだ。はい、少しの間お待ち下さいね、と元気の良い声で少女は言うと、さっさとカウンターの中へと入って行った。

 注文した「今夜のおすすめ」メニューが次第に運ばれてくる。しかしその間にも、睡魔が自分を襲ってくるのをリルは感じていた。一ヶ月もふらふらとあちこちを回っていることで、身体が非常に疲れているのだ。

 それでも、目の前に出された角切り肉のドミグラソース煮込みやら、野菜いっぱいのスープやら、かぼちゃ入りのパンを口に運んでいるうちに、多少は元気が出てくる。こうなったら野宿でも何でもしよう、とリルは覚悟を決めた。

 ところが。


「あの…」


 ウェイトレスの少女が、おずおずと声をかけた。思わず彼は口にフォークを突っ込んだまま顔を上げる。


「マスターにちょっと話したら、宿なんですけど、マスターの友達が泊めてくれるかもしれない、って言うんですけど」

「え」


 言いかけて、彼は思わず口を塞いだ。食べている最中に喋ってはいけません。子供の頃の教えが心をよぎっていく。慌てて飲み込んで、そして改めて驚きの声を上げた。


「本当?」

「ええ。でもこの町のお医者さまで、何かすごく毎日忙しいひとなんですよ。だから、一日二日手伝ってくれることが条件らしいんですけど」

「行く!」


 即座に彼はそう答えていた。実際、探し回る日々に多少疲れていたところだったのだ。


「…それとも、隣駅のホテルまで、燃料代だけで送る、という手もある、とマスターは言ってましたけど…」

「ううんいい、俺、そういうの好き!」


 なら決まりですね、と少女はにっこりと笑った。



「この先の、建物なんだが」


 駅前の店のマスターは、懐中電灯を手に、大荷物を抱えたリルを案内した。

 夜に入るか入らないか、という時間に「終電」が来てしまう程の田舎の土地には、どうやら通りに灯りも点かないらしい。空を仰ぐと、降ってきそうに瞬きを繰り返す星が綺麗に見える反面、それ以外の周囲が、形があるのかさえさっぱり判らない程の闇に包まれている。


「ほら、あそこだ」


 そう言って、マスターは前方にぽつんと立つ、古ぼけた四角い建物を指さした。


「通信はしておいたから、ここから先は、一人で行きな」

「はい。あ、どうも、本当にありがとうございます」


 彼は素直に頭を下げた。困った時はお互い様、という決まり文句が交わされ、マスターは来た道を逆にたどって行った。リルはそのまま、灯りの方へと足を向けた。

 四角い建物は、決して大きなものではなかった。そして、凝ったつくりのものでも無かった。内側の光からだけではよくは判らないが、白い箱、という印象が強かった。その白い、四角い箱に、焦げ茶色の窓枠が、くっきりと浮き出している。

 リルは左側から回り込むと、扉を叩いた。数回大きく、モスグリーンのペンキで塗られた木の扉を叩くと、中から声がした。低い、男の声だった。

 扉が開いた瞬間、彼の鼻に、知ったにおいが飛びこんできた。それは、一ヶ月前、ゾフィーが自分の傷を消毒した時のにおいと同じだった。


「あの、先程…」

「ああ、駅前の店のマスターから、話は聞いているよ。二、三日手伝ってくれるんだって?」


 低い声の主は、にこやかにそう言った。いつのまにか、一日二日、が二、三日に変わっている。まあそんなものか、とリルは口の端を少しばかり上げた。



「いでーっ! やだーっ! 俺死ぬーっ!!!」


 叫び声を上げる、大の男。その腹からどくどくと血があふれている。彼は思わずくらり、と眩暈がしそうになった。自分の傷ならともかく、人の傷というのはどうしてこうも生々しいのだろう。


「大の男ががたがた言うんじゃない! そんな傷じゃ死なん! 泣き言を言うくらいなら、作るようなことするな!」


 三つの泣き言には三つの怒鳴り声。さすがに三日居ると、この医者の傾向も見えてくるというものだった。


「ほらヘルシュル! こっちを押さえて! 麻酔打つから」

「は、はい!」


 これを着てて、と白衣を着ているおかげなのか何なのか、目の前で血を流している強面の男も、押さえつける自分に、それ以上の抵抗はしない。


「俺、死にたくないよぉ、ドクトル…」

「だったら減らず口を叩くな。自業自得だ」


 はあ、とリルは思わず息を呑む。強面男を押さえつけた自分の目の前で、さっさとけが人の服をはさみで切り裂き、傷のやや近くに麻酔を打ち、消毒と切開と縫合を、驚くべき速さで、目の前の「ドクトル」はやってのける。


「もういい、ヘルシュル、ガーゼ!」

「はい!!」


 そしてぐったりとした男をベッドに沈む込ませると、彼は慌ててガーゼをドクトルに渡した。


「いい加減、こういう稼業は止せよ? 命なんて一つしか無いだからな」

「先生には、悪いと思ってるよいつも…けど、奴らが」

「うだうだ言うな! それ以上言うと、その口これで縫いつけるぞ!」


 手にしたピンセットの先には、縫合用のカーブした針があった。その小さいが鋭い先に、強面男も押し黙る。はあ、と彼は男に聞かれない様にため息をつく。看護婦も逞しく、怖いと思っていたが、どうやらこの医者は、それどころではないらしい。


「ほれ終わった。こいつはしばらくそっちの部屋に入れておけ、ヘルシュル」

「は、はい!」


 この四角い箱の様な建物の中には、飾り気も何も無いが、部屋数だけはあった。「そっちの部屋」と指さされた方へ、彼は男を、乗せられたベッドごと運んでいく。そしてその部屋にあったベッドを、今度は診察室へと運んで行くのだ。その繰り返しである。


「まるで戦場だな…」


 待合室には、内科の病人はまずいない。リルが滞在しているこの三日というもの、やってくるのは、ケガ人ばかりだった。しかも、そのケガと言えば、切り傷・弾丸傷…

 何となく自分があの駅前の店のマスターに騙されたんじゃないか、という気がふと彼の中に湧いた。


「こらーっ!! ぼんやりしてるなヘルシュル!」

「は、はい!!」



 けが人の集団の治療を全て終えた頃には、陽もとっぷりと暮れていた。

 ある者は病室へ押し込められ、ある者はそのまま家へ帰してようやく診療室からドクトルとリル以外の誰もいなくなった。


「お… 終わりましたね、ドクトル」


 デスクの一つに思わず突っ伏せて、彼はうめいた。ひっきりなしに立ち続けでドクトルの指示一つであっちへこっちへと動かされていたので、既に足は棒の様だった。


「ああ。さすがに今日は私もこたえたよ」


 白衣のボタンを外しながら、ドクトルはもふう、と息をつく。


「何か昼飯も充分に食う時間が無かったなあ」

「いつも、ああなんすか?」

「いつも、じゃあないさ。ごくたまに、だ。だけど、来る時にはああやってくる」


 はあ、とリルはのっそりと身体を起こした。


「でもまあ、今回は君が居たから結構楽だったなあ。いつもだと、あの中の比較的軽そうな奴を引きずり出して、助手させるんだが」


 げ、と彼は思わず息を呑んだ。あの集団から、そんなことをさせるのか。


「ま、いいさ。メシ食いに行こう。私も腹は減った。冷蔵庫にも材料は無くはないが… 正直言って、面倒だ。駅前の店でいいな?」


 はい、ともいいえ、とも言う間もなく、ドクトルは白衣を脱いで、モスグリーンの扉へと向かっていた。リルも慌ててその後に続くが、白衣を脱ぐのを忘れていたことに気付くのは、道も半ばを過ぎた頃だった。

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