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9-1 三年後・帰還・変化

「ありゃまあ」


 早朝、まだ湿った空気が辺りに漂う時刻。恒星が顔を見せるまで、もう少しある。そんな時間に、その男が、その場所の前に立った時、まず上げたのはそんな声だった。

 ぼさぼさに乱れた髪、顔の下半分に無精ひげを生やした男は、それでも子供の様な声で、更なる感想を口にする。


「…でかいなあ…」 


 思わず男は感心してしまう。そして背負っていた黒い大きなデニムのバックの中から、使い込まれた小型の写真機を取り出すと、少しばかり後ろに下がってから、シャッターを何回か切った。

 近くで眺めたら、首が痛くなりそうな太く高い柱。天井。感心半分、呆れ半分で男はもう一度その建物に近づいた。

 そして少しばかり、細部を見ようと足を進め…


「おい、そこで何をしている?」


 男は守衛に呼び止められた。守衛とは言え、身に付けているは、濃青の制服。開襟と斜めのベルトをつけたそれが、この星域の正規軍の服装だということは、誰が見ても一目瞭然である。男は果たしてそれに気付いてるのかいないのか、にこにこと笑みを浮かべ、写真機をバッグの中に入れながら、こう言った。


「あ、ちょうど良かった」


 守衛をしていた軍人は、どうやら血気はやる年頃らしい。この早朝などというとんでもない時間に、わざわざ写真機を持ってやってくるのはロクでもない奴だ、という認識でもあるのだろうか。やや苛立たしげに男に近づくと、写真機を出せ、と居丈高に命じた。


「別に出してもいいけど、ちゃんと返してね」


 男は素直に写真機を出す。その小型の写真機のカバーは、ひどく汚れたりすり切れたりしている。使い込まれたものであるのは一目で判る。


「それに、ちょっと取り次いで欲しいんだけど」

「何?」

「えーと」


 男はバッグのポケットから、二つに折り畳んだ封筒を取り出す。


「俺の友達が、この中に居るはずなんでさ」


 訝しげな顔をして、守衛の兵士は男から手紙を受け取る。切るものがなかったのか、その封は指で引きちぎったかの様にぎさぎさになっていた。

 そしてそこから取り出した卵色のカードを取り出した時…その守衛の兵士は慌てて顔を上げた。


「何? 俺そんなに格好いい?」


 いやそういう問題ではない。守衛の兵士は、慌てて衛所に飛び込み、その守る建物の内部への直通回線を開く。そうしながら、その一方で、そこにじっとして下さいよ、と手で合図を送る。ここでこの人物を追い返してしまったとしたら、自分の不手際になるのだから。

 一方の男は、何だかなあ、という顔でその様子を眺めていた。そしてもう一度、その目的である場所…その中でも建設中の、巨大な建物を見上げた。


「これって、でかすぎるよなあ…」


 その声が聞こえたのかどうか、守衛はようやくつながった回線に頭を何度も何度も下げながら、またちら、と男の方を見た。


「…はい、確かに」


 頬に汗が滴る。背が汗で濡れているだろう。守衛の兵士は普段まず直接口をきく機会も無い相手に緊張していた。


「判りました、お通し致します… 宣伝相閣下」


 そして、未だ暢気に口笛など吹きながら、面白そうに上を眺めている男の元に守衛は引き返す。


「知らぬこととは言え、失礼致しました… 今起きられたということですが、到着までには、支度を整えるとのことで…」

「うん」


 男はうなづく。そして高い金属の門を、ポケットに入っていない方の手で掴むと、にっこりと笑う。


「じゃあ俺、この中に入っていいのね」

「あ、ご案内を…」

「散歩させてよ。せっかくのいいお庭なんだし」

「しかし…」

「俺はライから帰ってきたんだから、お花を見たいの。いけない?」


 いけない、とこの所詮人の良い守衛には言えなかった。あの極寒の惑星から戻ってきたのなら。

 さっさと門の中に入っていく男の背中を見ながら、ため息まじりで守衛の兵士は、中を担当している同僚に回線を回した。


「宣伝相閣下のご友人がお見えなんだ… 花を見ていく、ということだったから、そっちへ案内を回してくれないか?」


 お友達? 誰だ?と同僚の驚く声が聞こえてくる。


「…ケンネル… 新科学技術庁長官だ」


 ひっ、と回線の向こう側の声も、息を呑んだ。


 それにしても。

 その「新科学技術庁長官」ケンネル氏はその庭の豊かさに、正直驚いていた。

 陽の上る前なので、花の面は閉じていたが、それでもその鮮やかな色は充分判る。みっしりと立て込んで咲く、薄青の小さな花、少女のレースのリボンを思わす様な細かい白い花、首を高く上げて開こうとする、華やかな紅色の花。そして樹の枝いっぱいを飾る、山吹色の香りの高い花。

 さっぱり名前など彼には判らないのだが、それでもこの花々がとても綺麗で、手入れがきちんとされていることが判る。

 季節は春。

 まだ明け方の空気はやや頬に冷たいが、冬の惑星から帰ったばかりの身体には、大したものではない。ポケットから煙草を取り出すと一本くわえ、ふうっと大きく煙を吐き出す。そして苦笑いすると、つけたばかりの煙草を足元に落とし、ぐい、と足でつぶした。


「吸う様に、なったんだね、先輩」

「ちょっとね」


 そして一度足で踏みつぶした吸い殻を拾うと、ゴミ箱は何処? と訊ねた。こっちだよ、と後輩は答える。濃青の制服もきちんと着こなした姿は、三年前と同じだ。ただ、その上に付けられている階級章が違うだけだ。

 たった三年だというのに。


「ただいま。何とか風邪もひかずに帰りましたよ、テルミン宣伝相どの」

「お帰り、先輩」


 そして改めて、ケンネルは旧友に飛びついた。勢い余って、テルミンは背中から柔らかい芝生の上に転がってしまう。夜のうちにじっとりと溜まった露が、子供の様に転がり回る彼らの背中と言わず腕と言わず、びっしょりと濡らした。

 そして一通り転がり終わった時、べったりと腰を下ろしたまま、二人は顔を見合わせてあはははは、と笑い合った。遠くでテルミンの部下もそれを眺め、普段絶対に見られないその姿に唖然としている。


「何っか凄い格好になってるよ、先輩」

「そぉかあ? ま、確かに宙港から始発で来たからなあ。戻っていちいち服着替えていくのも面倒だったし。それよりまず、俺、お前に会いたかったし」

「本当? 嬉しいなあ。今そんなこと言ってくれるの、先輩だけだよ?」

「嘘つけ! 天下の宣伝相さまが何言ってるよ。あ、招待状ありがと。いやあここの守衛くんってお前と同じくらい真面目と違う?」

「ああやっぱり何か言われたな」

「いや、あんまりあの門の横に作っている建物が凄いでかいもんだったから、思わず写真を撮りたくなってさ。そしたら、まあ、凄い目でにらむこと!」

「写真撮ろうとしたのかあ? そりゃ当然だよ!」

「へえ」


 ケンネルは不思議そうに肩をすくめた。テルミンはその様子を見ると、付け加える様に、友人に向かって言った。


「今はね、先輩、そういう所になってしまったんだよ」

「みたいだね」

「だけどそれは必要なんだよ? それは…」


 すっ、と言い立てようとするテルミンの前に、ケンネルは手を上げた。


「そういう話は、後でもできるよ。それよりテルミン、先輩はお腹空いてるんだけど」


 そしてにやり、と笑う。あ、とテルミンは背後の部下の存在を思い出した。


「ひゃ、びちゃびちゃ」

「着替えくらい貸すよ」


 くっくっく、と笑いながらテルミンも、せっかく整えた自分の服がびしょぬれであることに思わず笑った。こんなことは、久しぶりだった。転がり回るのも、友達に飛びつくのも、そして、心から笑い合うのも。



「そんでさ、その時、コーセンっていうウチの部下が言う訳よ。『隊長、ドリルの刃が折れました~』俺は俺で、何度かドリルの刃を飛ばしてしまって、どうしようもないのよ。でしょうもないから、次から皆に持たせたものが何だと思う?」


 片手に半熟の黄身が今にもとろけ出しそうな目玉焼きを刺したフォーク、もう片手にごまのペーストをつけた丸いパンを持ちながら、ケンネルは「昨日までの話」を順序もごちゃごちゃに話す。

 テルミンはそれを聞きながら、時々あいづちを打ちながら、どうにも珍しく笑顔が止まらない自分を感じていた。

 ケンネルが冬の惑星、ライに出向となったのは、三年前のことだった。

 当時、政界も軍部も騒然としていた。いや、それだけでない。このレーゲンボーゲン全体が、騒然としていた、と言っても間違いではない。


 三年前。共通歴827年の4月、まずそれまで18年という長い間、この星系をその手の中に置いていた首相・ゲオルギイが暗殺された。

 犯人は、その場で側近のヘラ・ヒドゥンとその選任SPであったテルミンの健闘で、その場で射殺。

 その模様は、ちょうどその場にインタビュー目的で追いかけていた中央放送局の女性スタッフ、ゾフィー・レベカの手元にたまたまあった放送用端末で撮され、大スクープとして、全ての放送を中断し、星系中に流された。

 ゾフィー・レベカはこの時の功績により、その後の政府関係の報道の中心スタッフに抜擢され、現在ではその筆頭に立っている。その急速な出世の裏には、彼女の監督する報道番組の価値を重くみたテルミン宣伝相の力が働いている、と噂する者も居るが、定かではない。

 そのテルミン「宣伝相」。

 彼は彼とて、一足飛びにその地位についた訳ではない。あくまで三年前までは、ただの選任SPであった彼が、それまで内閣には無かったその役職につくまでには、様々なドラマがあった。

 しかしその全てを記す訳にはいかないので、かいつまんで言うならば。

 全てはゲオルギイ首相の死から始まった。

 この時期、ゲオルギイ首相の内閣自体も、それまでにない危機を迎えていた。地位についた頃から信頼してきた閣僚が、ひどく短い期間に、次々と失脚していったのである。

 ゲオルギイ首相は、閣僚達があまりにも単純な誘惑に引っかかり、その身を滅ぼしたことを疑問に思い、悲しんだが、彼らが自分から手を出したことは事実だったので、それをかばうこともできなかった。

 そしてこの周囲の失脚は、首相の死によって、更に悪い事態を巻き起こした。すなわち、後継者の問題である。

 失脚した閣僚達は、首相に「もしもの何か」があった時の交代要員として、充分な能力を持っている、とされていた。

 首相自身も、彼らが居たので、安心していたのである。だがその背後に控える者が、一人もいなくなった。その折の暗殺である。

 残された閣僚は、困った。失脚した者達と違い、誰かの下でのみ能力を発揮するタイプであったし、また、それを実によくわきまえていた。もしくは、頭として責任を負うことを、極端に嫌うタイプであったと言ってもいい。

 理由はどうあれ、残された者達は、首相という地位につくことを全て拒んだのである。

 そこで彼らは、一人の人物に相談を持ちかけた。

 この星系に駐在している、帝都政府からの派遣員である。

 帝都政府の人間の言葉であるなら、自分達で決定することの責任を少しでも回避できる、と彼らは踏んだのである。

 そして派遣員は、一つの案を提出した。


「代理をひとまず立てなさい」


 だが彼らは、その人物が浮かばなかった。派遣員は、続けて言った。


「誰でもいいのです。つまりは首相という人物の栄光を映す人物だったら誰でも」


 そこで彼らは、一人の人物に白羽の矢を立てた。そういう人物は、その時点では、たった一人しかいなかった。

 首相の側近であった、ヘラ・ヒドゥンである。

 ヘラ・ヒドゥンは当初その地位を丁重に断った。自分には荷が重すぎる、と。確かにそれはどう見てももっともな答えだった。この人物は確かに有能だったが、若すぎた。

 しかしそれを周囲は無理に勧め、とうとうヘラ・ヒドゥンはその座についた。とりあえず「代理」として政務を執り行い、しばらく後に、正式な選挙を行い、首相を決定する、ということになった。

 このまだ若い青年を推した閣僚達は、それまでに自分の息の掛かった候補者を挙げるつもりだったのだ。

 しかし、一度「代理」の座についたこの青年は、閣僚達の想像を遥かに越えた、したたかな存在だった。

 彼らが気が付いた時には、遅かった。


「けどな本当に、こうなってるとは俺、思わなかったよ? だからお前のこの招待と、俺に付けられたこの地位も冗談じゃないかって思ったんだからな」


 ケンネル「科学技術庁長官」はそう言いながら、大きなカップいっぱいのコーヒーを口に含む。


「やっぱり美味いなあ…はあ…ごはんはやっぱりこっちが美味いよ。いいねえ…コーヒーが冷めない食卓!」


 一口一口ごとに、ケンネルは感動した様な声を上げている。毎日の政務の疲れからか、いまいち朝に食欲は湧きにくいテルミンは、その様子に改めて感心する。


「そっちでは、どういうもの食べてたのさ、先輩」

「ああ? 別に不自由はしてなかったけどね。それなりにちゃんと食事は出たし」

「そう? だったらいいけどさ。何かずいぶん前と印象が違ったから、ちょっと俺も心配になったよ」

「そりゃあまあね。三年ってのは結構長いもんな。いつの間にかお前は宣伝相なんて役についてるし」


 ケンネルは何げなく言う。


「俺は宣伝相なんて閣僚の地位を、今まで聞いたことなかったんだけど」

「そりゃあそうさ」


 不意に聞こえたその声に、思わずケンネルは振り向く。

 テルミンはつと立ち上がると、食堂で控えていた警備の兵士に対し、下がる様に合図を送る。扉のあたりには二人の兵士が居た。一礼して、濃青の軍服を着込んだ兵士は扉を出て行く。


「この人が、テルミン、お前の友達だっていう?」

「そうです」


 ケンネルはカップを置いた。まだ中には1/3程残っている。


「へえ」


 そう言いながら、入ってきた人物は、空いていた椅子を引き出すと、当然の様に横座りに掛ける。


「初めまして・よろしく。ケンネル新科学技術庁長官」


 そして右の手を差し出す。比較的小柄その人の差し出した手はそうでも無い。

 ケンネルは一度手を差し出しかける。だがふと思い直して、一度その手をそばのナプキンで拭った。そして改めて手を出す。すると相手はにっこりと笑った。


「ずいぶんと焼けているね。雪焼けか」

「はじめまして。ヒドゥン総統」


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