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8-3 ARK827.04/脱走発覚

 とある知らせが首府に入ったのは、827年の年が明けてすぐだった。


「何てことだ……」


 無論その知らせは、首相官邸にももたらされた。それをゲオルギイ首相に告げたのは、この官邸警備における最高責任者たるアンハルト大佐だった。


「残念ながら、本当です。昨年10月に、ライにおける収容所の政治犯が、脱走し、アルクへと向かったそうです」

「何故それが、今になって発覚する? この2ヶ月というもの、収容所の兵士はどうしていたんだ?」

「説明致します」


 アンハルト大佐は、側近のヘラも居るその執務室で、穏やかな声で説明を始めた。


「事が起こったのは、10月です。これは間違いありません。発覚のきっかけとなったのは、輸送船の運ぶ鉱産資源の量が極端に少ないことから始まっています。ただし、この時の船長・タルヒン少佐はこの生産量の少なさを、ライの気候不順による生産不足、と説明しており、それ以上は申しておりません。しかも彼はこの年末で定年となり、退職しております。しかしパンコンガン鉱石に関しては、きちんと採取しておりましたところから、大問題にはならなかったということです」

「なるほど。パンコンガン鉱石だけはきちんと確保していたのだな。それは正しい行動だ」

「続けさせていただきます。しかしこの発言はが嘘であることは、やがて発覚致しました。理由は、航行ルートの変更。天候やら何やらで、確かに船が規定のルートを外れることはあります。ですが、この時の外れ方は燃料不足であるとか、エンジントラブルであるとか、そんな理由では説明が付かないものでした。人為的にルートは逸らさせています」

「それが発覚したのは何故か?」

「船長の交代です」

「つまり、船員全てが口裏を合わせていたと言うのか? アンハルト大佐」

「そうです。発覚により即刻当軍警は当時の船員を拘束、事情聴取を致しました。結果、この事態が正式に判明したということです」

「向こうの看守である兵士達は」

「それも軍警の手により、秘密裡にアルクへと連行致しました。同様に、拘束・尋問の結果、事態は一昨年の8月から進行していたということです」

「何ということだ!」


 ゲオルギイ首相は拳で机を叩いた。しかし厚い天板の机は、それくらいでは音を響かせることも無い。


「ライの方へも、軍警が残存物の調査へ向かった様ですが、脱走者達は惑星を離れる際、彼らの個別認識が確認できる様な書類やデータをことごとく焼却・廃棄した模様です」

「だろうな」


 ぽつん、と側で控えていたヘラはつぶやいた。


「以上の事項は、発覚から今まで箝口令を敷いてきました。そして全ての調査が終了したことから、本日の報告となったものと」


 控えているヘラのさらに奥手に、テルミンはSPとして待機していた。彼はこの報告の前から、別ルートで事態を把握していた。何処の部署にも、おしゃべりな者は居るのだ。

 だが事件が起きたことと、起きたと「認定された」ことは意味が違う。


「それで? その脱走囚達の行方は掴めたのかね?」

「いえ、まだ……」


 アンハルト大佐は言葉をにごす。


「最初に彼らを降ろした船員達の証言により、その地がディーヨンであることは判明致しておりますが」

「ディーヨンか……」


 ゲオルギイは口ごもる。


「よりによって、面倒な所に降ろしてくれたもんだ」


 ディーヨン。テルミンはその単語を耳に入れた時、真っ先に浮かんだのは、「辺境」の文字だった。彼はあれからこの惑星の中における「辺境」について詳しく調べてみた。ディーヨンは、赤道近く、この首府のある大陸の端に近い、森林の多い地区だった。

 そして辺境であるということは。


「反政府運動と手を組むということは、大いにあり得るということだな」

「は」


 アンハルト大佐は短く肯定する。首相は眉を強く寄せ、その間に深い皺を形作る。


「困ったものだな…… しかし彼らは自発的に彼らを逃がしたというのか?」

「無論その様なことは決して申しません。脅されたの一点張りです」

「では無用な拘束・逮捕は避けてくれ」

「しかし」

「君達には泳がせるという方法は無いのか?」

「あります。ですが…… 」

「それにより下手にこの期間大人しくしていた奴らに火をつけられたらたまったものではない。ただでさえ、また今度は内務省長官が、機密漏洩で辞職したばかりだ……」


 ゲオルギイはそう言ってふっ、と息をつく。そしてもういい、とアンハルト大佐を下がらせた。


「グルシンにストロヘイム。マルヴィンにバーテル…… そして今度はシャノンか」


 大佐が去った後の執務室で、首相はここ1年のうちに失脚していった高官達の名前を読み上げた。


「皆何をやっているというんだ。あの頃は皆、そんな単純な理由に心を動かされる者じゃ無かったはずなのに」


 この五人は、特に首相の古い盟友であったことをテルミンはよく知っていた。だからこそ、彼はそこから突き崩して行ったのだ。

 確かにこの五人は、かつてゲオルギイが首相になった時――― いや、なる前からの盟友であり、ゲオルギイの首相としての理想を体現するために必要な手足であったことは事実である。

 だが、手足がいつまでたってもゲオルギイのものであると錯覚していたのが、首相の敗因だった。失脚したのは、確かにその五人だったが、それにより大きな痛手を負うのは、他でもない、ゲオルギイ首相自身だったのだ。


「ヘラ、お前はどうだ?」


 不意に首相は側近の愛人に問いかける。しない、と短くヘラは答えた。


「そんなことはなかろう?」

「するのなら、もっと徹底的にする。俺は」


 テルミンはぎょっとして思わずヘラの方へ顔を向けた。


「なる程な。小手先のことでは無い、というのか」

「そんなことであんたがどうにかなるというのなら、俺はずっと昔にそうしている。だが今俺はこうしている」


 聞きようによっては、「だからこれからもしない」とも取れるし、「これからチャンスがあったらする」ということかもしれない。ヘラはそのあたりを曖昧にし、口にしない。

 だがそれ以上に、首相の次の言葉は、テルミンを驚かせるものだった。


「できるものなら、すればいい」

「本気か?」

「本気だ。私がその昔、政権を取った様に。それができるというのならな」


 ヘラはそれにはくす、と笑いを浮かべただけで何も言わなかった。しかし聞いているテルミンの方は、心臓が止まるかと思われたくらいだった。



「アンハルト大佐」


 テルミンは少々出ていろ、との命令を受けると、自分の直接の上官を小走りに追いかけた。まだ間に合うはずだった。


「テルミン少佐。どうしたんだい?」


 大佐は扉に手をかける所だった。そして振り向いた拍子に、そのノブは音を立てて外れた。


「……またやってしまったな」

「……大佐……」


 テルミンは一つため息をつく。大佐は抜けてしまったノブを手で玩びながら、テルミン問いかけた。


「で、何の用だい?」


「は…… あの、脱走囚のことですが……」

「ああ、それはもう、内務省の管轄に回る」

「では、その最初に送られた時の流刑者のリストというのは、内務省の管轄ということでしょうか」

「興味があるのかい? テルミン少佐」


 穏やかな声で、アンハルト大佐は問いかける。テルミンは危険信号がその中から出ていることを感じる。


「実は、友人の探している人物が、もしかしてその中に居るかもしれないので……」

「それは本当か?」


 大佐は急にテルミンの方へと身体ごと向き直る。


「では君が最近中央図書館の書庫から情報を何かと引き出していたのは」


 やはり何らかの疑いを持っていたな。テルミンの疑惑は確信に変わった。


「ええ。友人がずいぶんと長い間探していると言ったので…… すみません、私用にあの様な情報を何かと」

「……いや、それはもしや、あの時君が会っていた女性かい?」

「はい」


 それは事実だ。水晶街で見失ったバーミリオンを探しているのは彼女であり、バーミリオンが政治犯として流刑にされた可能性も当然あるのだ。

 事実から出る言葉は重い。少なくとも人が良く見えるアンハルト大佐は、それを信じた様にテルミンの目には映る。


「それでは残念だな。確かにあれは、内務省の管轄だ」

「そうでしょうね……」


 彼は露骨に深いため息をつく。


「彼女にはそう言っておくしかないですね。我々ではどうしようもないと」

「そうだよ。君もあまり色んなことに頭を突っ込むと、いきなり上から刃が降りてくる、なんてことも考えられるから、気をつけたまえ」

「……そうですね」


 もう何度も、その刃を他人には振り下ろしているのだけど。

 それでは、と手を上げて、どうしようかな、という様にノブを持って、アンハルト大佐は官邸の事務室へと入っていった。テルミンは何となく口の端を歪めると、その脇を爪で引っ掻いた。


「痛」


 ふと見ると、爪の間に血が混じっている。出っ張り掛けた黒子か、できかけたかさぶたをやぶってしまったに違いない。

 さてどうするべきか。

 ゲオルギイを使える部分は、使うべきなのだろう、と彼は思う。内務省だろうが何だろうが、命令一つで動かせるのは首相一人だ。

 流刑者リストを、電波に載せるという手がある。それを進言させたら。

 しかし。

 テルミンは血のついた指を別の指でさすりながら思う。ヘラがそれをさせるだろうか。

 どうしたものだろう、と考えながら、廊下の壁に背をもたれさせ、思案に暮れていると、扉からヘラが顔を出した。


「何やってる? 出るぞ」


 はい、と彼は反射的に答えていた。


   *


「内務省か」

「あんたなら、それは可能じゃないか?」


 テルミンは官邸内の裏通路をたどって、毎晩の様に派遣員の部屋へと通っていた。

 その逆ということはまず、無い。行くのは自分であり、くたくたに疲れた身体をそこで休め、夜明け前に自室へと戻っていくのが普通だった。


「まあ理由は幾らでも点けられるな。この惑星における囚人が、帝都政府の直轄地にまで逃走する可能性だってある訳だ」

「……だろう?」

「君が、そうしたいというなら、頼んでみよう。しかしテルミン、時期としては、そろそろ事に決め手が欲しいものだね」

「決め手」

「そう、決め手さ」


 スノウは彼のあごに指をかける。テルミンはその指がそのまま耳の裏へと回るのを感じながら、決め手について考えていた。それが何であるのか、彼は知っている。そのためにこの目の前の男は自分に有効なものを与えてくれるだろう。どんな思惑があるにしろ。

 後はそれをどう効果的に演出するか、だ。


「……そうだね、そろそろ、かも」


 そして彼は意識を手放した。


   *


「独占取材の申し込みがありました」


 朝、一日の予定を官邸の皆の前で読み上げることから、ゲオルギイ首相の一日は始まる。

 さすがにヘラも、プライヴェートな場以外ではゲオルギイ首相にもきちんと敬語を使う。必要とあれば、それは別にできない訳ではない。


「独占取材? それは何処からだ」

「中央放送局です」

「またか」


 ゲオルギイ首相は、ややうんざり、という顔になった。

 実際、ここしばらくというもの、この中央放送局は、首相の近辺をクローズアップしていた。それまでは報道屋の目も、閣僚それぞれに分散されていた。だが閣僚の中でも特に有力な五人が失墜してからというもの、権力だけでなく、視線もが首相に集中していた。

 ゲオルギイは首相になってしばらくは権力集中型をとってきたが、ここ数年というもの、その五人にそれを分散する形を取っていた。

 一人や二人でなく、五人というその数がバランスが良かったのか、内閣の運営は可も無く不可もなく、時々起きる各地の暴動も押さえ、何とかやってきたのだと言える。

 だが、その五人がいない現在、首相は数年ぶりの権力の重さにやや疲れていたとも言える。少なくともテルミンにはそう見えた。


「断りましょうか」


 ヘラはそれでも一応確認のために訊ねる。そうしてくれ、と首相はこめかみを押さえながら答えた。どうやら軽い頭痛がするらしい。


「それではその様に。次に、アンペル新宙港の視察が入っています」

「ああ、それか」

「ご気分がすぐれなさそうですが」

「いや、これ位は大したことはない。ヒドゥン、ドクトル・ビルクレに後で頭痛薬をもらってくれ」

「はい」

「それは午後までかかるのか?」

「アンペル宙港はまだ今のところ一般には解放されていませんので、道路の整備状況などまだまだ不十分なところもあります。今回はそれも踏まえて……」

「わかったわかった。午後までかかるのだな」


 はい、とヘラは答えた。


「夜には、クリンゲル財団の夕食会がありますので、それまでには」


 一日中車に乗りっ放しだな、とゲオルギイは苦笑いをした。そしてテルミンは内心で、同じ表情を作った。好都合だ、と。

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