7-1 RAY826.10/脱出希望、その後はどうすろ
それでも、と彼はつぶやいた。
「何?」
相棒は、そんな彼のつぶやきを耳聡く捉えて訊ねる。
「いや、それでもこの惑星が懐かしくなることがあるのかなって」
「無い無い」
リタリットはひらひら、と両手を振った。
「もっとも、この半年ばかりは別だけどね」
目の前には、巨大な輸送船があった。それは元々、この地で採れた鉱産資源を運ぶ船だった。
*
彼ら流刑惑星ライに収容されていた政治犯達は、「夏期」であるうちに、この惑星から脱出することを計画した。「夏期」は案外長い。共通時間で約十ヶ月がこの惑星の、公転全体から見るとひどく短い「夏期」に当たっていた。
無論「夏期」と言ったところで、普段が氷点下20℃30℃といったこの地での「夏期」であるから、せいぜいがところ、最も気温が上がったところで、氷点下行くか行かないか、というところだった。
だがそれでも、彼らを奮起させるには充分だった。ちょっとしたきっかけが、元々手練れな者が多かった彼らを、この場所の占拠という行動に移らせた。
管理する側の油断も確かにあったが、結果が全てである。この地での力関係は逆転した。
そして解放された政治犯、総計238人は、団結して母星であるアルクへ戻るための算段を始めたのである。
238人。あれだけある収容所の部屋の中で、結局使われていたのは、20位に過ぎなかったのだ。
誰が言い出した訳ではないが、この「きっかけ」を作った房の者達は、周囲を率いていく形になってしまった。必然的に、その房のリーダー的存在であったヘッドが、全体を統率することになってしまったのである。
参ったなあ、と言いつつも、ヘッドはその位置に責任が伴うことは知っていた。そしてまず起こした行動は、この収容所内の、看守以外の職員の処分である。
看守たる兵士以外にも、この収容所には無論、職員という者がいた。例えば、食堂を取り仕切る、調理長アフタ・ラルゲンと、その部下の料理人達。逞しい腕と、赤ら顔を持ったこのコック長は、事態を正確に把握すると、こう言った。
「積極的に協力はできん」
なら拘束するまで、と言おうとした彼らを手であくまで冷静に制すると、このラルゲン調理長はこう言った。
「間違えないでほしい。あくまで、立場として、自分達は『無理に働かされたんだ』という形をとって欲しい。そうしてくれるなら、あんた達がこの惑星を脱出するまで、こちらは本星からの食料を今まで通り受け取り、あんた達の食事を作ろう」
「その中に毒を仕込んだりはしないだろうな」
と訊ねるビッグアイズに、ヘッドは首を振った。
「この人達はそんなことはしないさ…… ドクトルK、そうだろう?」
「そうだな」
穏やかに、そんな声が響く。
「あんた達の作る食事は、一見ひどく質素に見えたけど、いつも見かけ以上の栄養とエネルギーが込められていたことは私にも判った」
「話が判る奴が、居るじゃないか。まあな。俺達は決してここに好んでやってきた訳じゃあない。俺は昔、官邸で料理を作っていた一人だ。だがある時、あの首相の何か気に障ったらしく、左遷されてここにやって来たんだ。俺も一応軍属には違いないからな。だが未だにその理由って奴が判らないし、理解できない」
「つまりあんたも、ある程度は不満分子だった、ということか?」
ヘッドは訊ねた。
「俺だけじゃない。こいつらだってそうだ」
ラルゲン調理長は部下達を指で示す。
「皆、何らかの理解できない理由で、ここに送り込まれてきた。確かにあんたらよりはずいぶんとましな待遇だったが、こんな所に閉じこめられているという点では、俺達も大して変わりやしねえ。だが、かと言って手のひらを返した様に、あんた等に荷担はできん。判るだろう?」
「家族が、母星に居るんだな?」
「ああ。そうだ。一応これでも軍属である以上、指定の口座から、俺の給料は家族の生活費として引き出されているはずさ。だから、俺はここであんた等に荷担することはできない」
「あくまで、あんた等は、俺達に脅されて作業をすると」
「そうだ」
信じていいのか、信じるべきだ、と周囲の声は、それぞれ勝手なことを口走る。食堂に設けられたこの会見の席は、一瞬にして大騒ぎとなった。
「おいちょっと黙れ」
ヘッドはまだ完治していない足を杖で支えながら、食堂に一斉に集まった政治犯達をぐるりと見渡した。
「信じるか信じないか、だが、まあ個人の考えとしてはどっちでもいい」
お? とその言葉を聞いて、BPは両の眉を上げた。
「ただ、一つ考えて欲しいのは、とりあえずは、すぐに俺達もここから脱出できるという訳ではない。それがいつになるか判らない。その間に、何度か母星からの輸送船が来る可能性がある訳だ」
その輸送船を乗っ取ってしまえ! という声が所々で上がる。
「ちょっと黙れよ。そう確かにいつかは、そういった輸送船を奪って脱出はする。だが、食料などの輸送船の大きさはたかがしれているだろう?」
彼らは顔を見合わせる。時々やってくる食料の輸送船は、作業中の雪原や、格子ごしの空からよく見たものだった。
「一度じゃ無理だ。だが、一度行って、その時脱出が発覚したら、次の便はどうする」
急に一同は口をつぐんだ。確かにそれは考えられるのだ。
「では、ヘッドはどういう脱出方法を考えているのだ」
誰ともなく声が上がる。
「俺は、採石船を乗っ取ろうと思っている」
そしてまたざわめきが、辺りを支配する。
「あれなら、ここに居る全員が乗ることができる。多少環境的には問題があるが、広さに関しては問題がない。ただ、次の採石船が来るのは、まだ間がある。確か……」
ヘッドは調理長の方を向いた。
「9月だ」
「そう9月。政府はこっちの採掘するパンコンガン鉱石は確実に必要だし、他の鉱産資源だって全く不必要ではないのだから、回収に来るだろう」
なるほど、と多くの者がそこでうなづいて見せた。
「で、それは確実に、成功させなくては、ならない。調理長は、その時まで協力してもらえば、後は、我々に強要された、と我々の脱出を通報すればいい。ひとまず囚人もいなくなることだし、とりあえずあんた等も、郷里に戻れるんじゃないか?」
「そう上手く行けばいいですがね。とにかく、今の時点では、あんた等についた方が、お互いにとって得な訳ですよ。だから半年ばかり、あんた等に協力する。それでいけませんかね?」
「充分だ」
とヘッドは言い、少年のようににんまりと笑った。
その半年ばかりの間、で彼らは、次のことを考えなくてはならなかった。
*
次のことを既に考えていた者も居る。
「ちょっとつきあってくれ、BP」
そう言って、彼に車の運転を頼み込むのは、地質学者の呼び名を持つ男だった。軍用車はそれまでに乗っていたものよりずいぶんとましなものになっていた。だがそうなってみるとまた今度は、そうそう運転できる者がいなかった。そういう時に、軍用車に対する勘が優れていた彼は、あちこちで引っ張りだこだった。
鉱石採取はまだも進められていた。ただし今度は、今までとは目的が違った。この惑星には豊富な鉱産資源、その中から、脱出してのちの行動に役立つ資金に、すぐさま替えられる、貴金属……
ひらたく言えば、宝石の採掘に彼らは取り組んだのだ。
無論それまでも、宝石の存在は皆それなりに知っていた。だが掘り出したからと言って、自分のものにみならない宝石の、何が楽しかろう? 自然、その採掘量は、他の掘り出しやすいものよりも少ない。
だが、今度は自分が関係するのだ。純粋に自分のもの、にはならないかもしれない。だが、分けられ、ある程度自分のものにはなるだろう、という予想が立てられれば、やる気も出るというものだ。
「このあたりは、どうやら紅玉が埋まっていそうだな」
とジオは車を止めると、機材をのぞき込み、地図に何やら書き込む。
「詳しいね、ジオ」
「記憶は無いが、僕の知識は、この方面に偏っていたからね。たぶん、何かしらの研究に関わっていたか、直接そういう仕事をしないでも、そんな企業に居たのかもしれないね」
ふうん、とBPはうなづいた。
「君は、BP? 皆君は軍人だったらしいって噂しているけど」
「軍人ね。その割にはがらが悪いけど」
BPはそう言ってへへへ、と笑う。だが彼にしたところで、考えない訳ではないのだ。
軍人で政治犯。文民統治の原則が確固として存在する母星において、この二つの条件を満足させうる立場は一つしかない。軍事クーデターの犯人だ。
「軍事クーデタ?」
そしてその話を振ると、ラルゲン調理長は、首を傾げた。
「ごく最近だろ? そりゃ首府で一度あったって話は聞いたけどな。だがその犯人は、皆とっつかまって首府の中央広場で銃殺刑になったってことだぜ?」
そうだろうな、と彼も思う。軍事クーデターは、逮捕されたなら、実行しようがしまいが、極刑である。これは彼の「知識」がそう告げている。近くの房の「法律屋」と呼ばれる男もそう言った。それにはまず例外は無いという。
だから、彼は自分に関しては、判らないことづくめだったのだ。能力も知識も、自分が軍人だったことを、これでもかとばかりに突き付ける。だがそう決めてしまうと、その部分がどう考えてもおかしい。
「でもBP、君の相棒に関しては、僕はさっぱり読めないね」
「そうか? 俺は奴は都市型ゲリラか何かだと踏んでるが」
「うん、それは考えられる。だけど、彼の言葉には、時々なまりがあるんだ」
「……なまり?」
「ほんの、わずかだよ。リタリットは、結構茶化した言い方をするから、アクセントとかも時々わざと変えて話しているだろ?」
「……」
「気付かなかった?」
「……気付かなかった…… つまりジオ、あんたは奴が、このレーゲンボーゲンの者じゃないって言うのか?」
「そうとは決めつけていないよ。もしかしたら、星域内でもそういう方言はあるかもしれないし。だけど、何か、何処かであのアクセントは聞いたことがあるんだ」
BPはしばらく次の言葉を見いだせなかった。
「だが結局、皆こうやって、過去を抹殺されている訳だから、そんなことどうでもいいのかもしれないね」
「ああ」
BPはうなづいた。だが自分の言葉が妙に力が無いことに彼は気付いていた。
ジオはそれからは黙って作業を続けていった。
地質学者の調べる本命は、パンコンガン鉱石だった。この地でしか発掘されない、というこの特異な鉱石は、多数の人間が追うと「逃げる」という特性を持っている。
「この鉱石を調べて、どうするつもりなんだ?」
宝石だったら判る。それは利用価値がある。しかも早急な。
だがパンコンガン鉱石の場合、少なくとも、普通の金銭的価値は無い。確かに乳白色の鉱石は、美しいと言えば美しい。だが、それに匹敵するものは他にもある。例えばオパール。
「君には、これが大した価値もないものに見えるかい?」
「難しい」
BPは素直に答えた。確かにこの鉱石が、帝都とレーゲンボーゲンを結ぶ貴重なものであるというのは判る。だが、さし当たり自分達にはそう関係が無いのではなかろうか。彼はそう思わずにはいられない。
「そう、確かに我々が、ただ戻る分ならね」
「違うのか?」
「君は、BP、戻って普通の暮らしができると思うか?」
う、と彼は言葉に詰まった。考えたことが無かったのだ。
「僕は、できないと思う。無論できる者も居るだろうが…… 少なくとも僕は、無理だろう。だってそうだろう? いくら表層の記憶につながる道を混乱させられたと言っても、僕は僕だ。それは変わらない。だとしたら、戻ったところで、また、政治犯になるのじゃないだろうか」
なるほど、と彼は思う。それは一理ある。だがとりあえず彼は、思いとは別の言葉を放ってみる。
「『新しくやり直す』という言葉もあるよ?」
「確かにね。だがそれは、自分の行動が間違っていた、と反省する時の言葉だ。僕等は反省しようにも、反省すべき過去がない」
ジオは作業の手を止めた。
「だったら、いっそ、同じ様に考える仲間と、大がかりな反旗を翻すというのもいいんじゃないかな?」
「反乱軍になる、というのか?」
「既に僕等は、そうなんだよ。僕等がどう思おうと。だったら、もっとそうなってしまうというのも悪くはない。無論、もう戦いは嫌だ、市井にひっそりと生きていたい、と思う者に強制はしない。ただ、やっぱりどう考えても、例えば僕の様に、そう考える者は……」
「なるほど」
BPはうなづいた。確かにそれは悪くない話だ。
「それは、ヘッドも了解しているのか?」
「と言うか、彼がずっと考えていたことなんだ」
BPは黙って肩をすくめた。なるほどそこまで考えていたのか。あの蜂起してしまった瞬間の落ち着き。それはいつかあんな事態が来ると予想していたからだろうか。
「君だったら、どうする? BP」
「俺ね……」
彼は車の扉に背をもたれさせ、目を伏せる。
その目の裏には、あの場面が浮かんでくる。泣いている、誰か。未だにあの顔は、ぼんやりとして判らない。泣いているというのは判るのに。
自分はあの泣いている誰かに、何か言わなくてはならないのではないだろうか。探さなくてはならないのだろうか。BPは時折考えるのだ。
ただそれは決していつもではない。例えば眠る寸前、夢の中、ふっと息を抜いた作業の合間に現れる映像だった。決してあの蜂起の瞬間には、現れようとはしなかったのだ。
大切なものなのかもしれない、とは思う。
現れる映像は、彼の胸を締め付ける。だがだからと言って、それが始終頭から離れない、という訳ではないのだ。正直言って、繰り返される日常の生活の中、相棒とふざけ合う時、食事、最近毎日の様に繰り返される真面目な会合の中で、その姿は決して現れない。存在すら忘れ果てていると言ってもいい。
もしもそれが自分にとって大切な人間だったとしたら。おそらくそうなのだろう。
だとしたら、自分は薄情な人間なのかもしれない。だが、そう考えてしまうことも、また当然なのかもしれない、と思うのだ。
そこに「無い」ということ。それがどれだけ大切なものであったとしても、忘れることにつながっていく。そしていつもそばに「在る」ということ。
それが、現在の自分を動かしているのかもしれない。彼は自分の中で、入り乱れる感情に正直、困惑していた。
「それでジオ、だとしたら、パンコンガン鉱石は、どう役に立つんだ? まさか帝都との取引に使うとでもいうのか?」
彼はあえて話題を逸らしてみる。そんな彼の困惑に気付いたか気付かないか、ジオは変わらぬ口調で続けた。
「そのまさか、だよBP。彼らにしてみれば、誰が政権を取ったところで同じだ。彼らがこのレーゲンボーゲンに求めているのは、このパンコンガン鉱石にすぎない。だとしたら、それに関して多量のデータを持っていた方が勝ちだ」
「それは単純じゃないのか?」
「でも、切り札にはなる」
ジオは言い切った。そう言われてしまうと、BPはそういうものかな、と思わざるを得ない。彼は自分が身体を使う実戦には強いが、戦略などについては大して使えない人間だということは知っていた。いわんや政治となれば。
「もっともこれは、僕にしたって、ロウヤーやプロフェッサーの受け売りさ。ただ僕としては、そういう大義名分がつけば、嬉しいというのが本音。僕は結構この作業も仕事も楽しんでいたからね」
彼は驚いた。そんなことを考える者が居るとは考えてもいなかったのだ。
「じゃあジオ、あんたは」
「いや、ちゃんと僕も母星には戻るさ。だけどいつかまた、この惑星に戻ってくるかもしれないね。今度はちゃんとした装備をつけて」
そう言ってジオは笑った。
「だから、僕がそんな重装備でやって来れる様な社会であればいい、と思う。それだけさ」




