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6-2 ARK826.02/飯が美味いのは何よりもよいことだ

「顔色、良くないな」


と久しぶりに会った一つ年上の友人は、彼に言った。そうかな、とテルミンは問い返す。


「そうだよ。何か無理してるんじゃないか? よく食って、よく寝てる?」


 そう言って、ケンネルはフォークにゆでたソーセージを差す。ぷつ、といい音が耳に飛び込む。


「俺さあ、このソーセージの、口に入れた時、汁がきゅーっとにじみ出てくるのがすげえ好き」

「うん俺も。何かすごい久しぶりって感じがするな」

「何言ってんの、いい食事はしてるんでしょ?」

「食事はね。よくあのひとがつきあえって言うから」


 実際そうだった。昼の食事はここのところずっと、テルミンはヘラに付き合わされていた。メニューはだから、良いものである。ヘラは同じものを食え、と強要する。味はいい。だがだからと言って、気持ちよく食べられるかと言えば、話は別である。


「何か味なんか判らなくなるよ」

「何、それ、その綺麗な人前にしちゃ、ってこと?」

「そうじゃなくてさ……」


 テルミンは言葉を濁した。そうではないのだ。


「何か歯切れ悪いなあ。ま、疲れてるんだよきっと。ちゃんと寝ろよ?」


 うん、とテルミンはうなづき、微かな苦笑を浮かべる。とりあえず疲れている暇は無いのだ。


「ところで最近、先輩仕事どう?」


 話の矛先を変えてみる。


「仕事? うーん…… まあまあだね」

「まあまあ? 合わないの?」

「んにゃ、ちょっと俺の専門からはずれるんだけどさ、それはそれで楽しいと思うのよ」

「先輩の専門って何だっけ」


 そう言えば、とテルミンは訊ねる。以前にちゃんと聞いた様な気はするのだが。


「何、忘れたの? お前薄情だなあ…… 俺の専門って、エネルギー工学じゃん」

「エネルギー工学?」

「いつだって何処だって、生活のための発電やら動力やらのエネルギーは必要だし、それを如何にしてローコストでしかも環境破壊は最低限にしてやるか、っていうのが俺の学校ん時の専門だったじゃない」

「そうだっけ…… 何か先輩って、士官学校の時は、生物学教室やら物理学教室に入り浸っていたって印象が」

「それは趣味」

「趣味?」


 テルミンは言葉の端を露骨に上げた。


「そう趣味。あいにく俺優秀なんで、色んなこと好きで手ぇ出してるの」

「……自分で優秀って言う……? 先輩」

「じゃお前違うって言える?」

「……言えないけど」


 確かにそうなのだ。他の部分はともかく、この一年上の友人は、とにかく理系と名がつくもの全てに精通していたと言ってもいい。


「俺はカンがいいの。こうゆう分野に関して。だから、基本を昔これでもかと叩き込んだ時に、応用の効かせかたってのがぴんと来ちまったんだ」

「だけどエネルギー工学と物理学と生物学の接点が俺には判らないよ……」

「それを言うなら、テルミン、お前の趣味だって俺には判らないって」

「俺が一体何なの」

「いやまあ、だから、俺は文学ってのはさっぱり判らないし、おまけに社会学ってのもさっぱり判らないんだよ」

「ああ…… そういうこと。ま、でもこれだって応用だし」

「でも曖昧さが多いだろ?」


 ケンネルはフォークを目の前に立てる。


「俺は俺の分野に関しては、どんなジャンルにしても、何処までを機械の手に任せていいのか知ってる。俺の選択肢はそう多い訳じゃあない」


 もっともそのレベルに至るのは、そういない筈なのだが、とテルミンは思うが黙っている。


「それに俺は、そんな俺の研究で得たものを、現実にどう扱っていいのか、正直言ってさっぱり判らない」

「そう?」

「そう。俺は研究の過程が好きで、そこで起きる色んなことが好きで、結果は結果に過ぎないの。だからその結果をどう使われようと知ったことじゃない訳よ。それは俺の考えることじゃないの。たださあ」

「ただ?」

「軍隊に属していて何だけど、あまり兵器にされるのは好きじゃないね、と思うよ」

「確かに軍人らしくはないね」


 テルミンは素直にうなづいた。そしてそう考えるケンネルがひどく不思議に思われた。


「それで、忙しかったの?」

「それもあり。ちょっと最近ややこしい研究を依頼されてさ」

「ややこしい研究?」


 すっ、とケンネルはナプキンを一枚抜くと、ポケットのペンでその上にさらさらと二行の単語の連なりを書いた。ああ、とテルミンはうなづいた。


「……それは結構大変だね。どっちのテーマも。で先輩どっちに関わってるの?」

「どっちにも一応今、足突っ込んでる」

「そういうこと、できるんだ」

「だから俺は優秀だって言ったでしょ? ……とにかく、何でか知らないけど、一つ目のほうは、昔から挑戦する者は居たのに、ことごとく失敗している。だから皆、そんなややこしいことをするよりは、メカニクルの方に手を出したがる。その方が、とりあえず対応も早いし、利益も出せる」

「民間だったらそうだよね」

「民間でなくたってそうじゃないかなあ?」

「まあね。メカニクルより生身の人間のほうが、トータルコストとしてはかかる。何かあったら補償が要る。補償が必要でない境遇の者であったとしても、現在では帝都人権保護法がある」


 テルミンはそう言いながら苦笑する。彼は帝都政府が前身の軍時代に行ってきたことを歴史から学んでいた。人権保護法とは笑わせる、と思っていた。


「ま、とにかくそれなのに、だ。ちゃんと、使えるものを作れる様に、という。それが一つ。そう一つの方は、それこそ、俺には判らない分野の話が絡んでる」

「と言うと?」


 ケンネルの目が真面目なものになる。


「お前、パンコンガン鉱石って知ってる?」


 名前くらいは、とテルミンは答えた。

 ただそれは自分で得た知識ではない。スノウから聞いたものだった。この星系の特産物で、アルクには無く、ライでしか採石されないものである。少量でもいいが、決してそれを帝都へ納めることは欠かしてはならない、というものらしい。もっとも何故か、と聞いたら、それにはスノウは答えなかったが。


「つまり、あれなんだよ」

「その鉱石?」

「確かにこっちからは採石して流すけど、じゃあ何でそうするのか、こっちには判らない。判らないけどとにかくあるから、ライに送られた囚人達に採石させて、それを帝都へ送っている。現在はそれだけだ。だけど帝都がそれを必要とするなら、それは何らかの意味があるはずなんだ」

「だからそれを?」


 ケンネルはうなづいた。そして付け加える。


「だけどそれ以上のことは、俺の考える範疇じゃない」


 なるほど、とテルミンは思った。ケンネルは判らない訳ではないのだ。関わりたくないのだろう、と彼は気付いた。


「ああ、そんな話してるから料理が冷めてしまったじゃないかっ!」


 ケンネルは不意に声を高める。その話は終わりだ、という合図だった。そうだな、と彼もまた思う。食事を美味しく摂れる時には、摂っておかなくてはならないのだ。


 そしてその翌日には、また別の知り合いと、彼は夕食を摂っていた。


「あー忙しい忙しい。何だってこんな忙しいのっ」


 ゾフィーは約束した時間の約束した席に着くやいなや、がさがさと大きなバッグからタオルを出すと汗を拭いた。


「走ってきたの? 君」

「だって地下鉄が混んでて、前の奴に乗れなかったのよ。だから一本遅らせて、ここまで走ってきたんだから。ああ暑い」


 そう言いながら彼女はまた汗を拭く。

 確かにすごい汗だ、とテルミンは目を見張る。だらだらと流れているのだ。士官学校の訓練の時にはよく見た光景だが、女性で、街中を行く女性がそういう風にだらだらと汗を流すのは見たことが無い様な気がする。


「何? 何かおかしい?」


 彼女は眉を寄せ、顔を少し赤らめる。それを見てテルミンは何となく微笑ましくなり、思わず笑みを浮かべた。


「いや、相変わらず元気だなあ、と思って」

「あたしは元気よ。少佐こそ、元気だった? ちゃんと食べてる?」

「昨日会った友人にも、そう言われたよ、大丈夫ちゃんと食べてるって」

「だったらいいけど」

「それより、急に何?」


 彼はテーブルに最初の皿が来ると同時に質問を投げかけた。ゾフィーはまだ時々水を口にしている。よほど喉が乾いていたのだろう。その具合を見計らいながら、テルミンは訊ねる。


「うん、実はね、今度一つ番組の企画を任されたの」

「ええっ! それすごい、大抜擢じゃない」

「そうなのよ! まあ最近ずいぶん、中央放送局からも抜けたし…… そのせいと言っちゃおしまいなんだけどね」


 タオルを握りしめて力説する彼女に、テルミンは笑みを浮かべたまま黙る。

 先日のグルシンの失脚には中央放送局の力が大きかった。またその一方で彼と癒着していた放送局のスタッフが何人か罷免された。特にそれは、番組制作に当たる者が多かった。

 結果、使えるスタッフの不足から、企画補佐をしていた彼女に白羽の矢が当たったのだろう。そう彼は推測する。


「でも、良かったじゃない。本当、おめでとう」

「ありがと。うん、だから、今日はあたしのおごり」

「そんな! お祝いなんだから、俺がおごるよ。少なくとも俺の方が収入多いし」

「そういう問題じゃないでしょ! じゃこうしましょ。あなたの分はあたしが払う。あたしの分はあなたが払う」

「オーケー」


 彼は苦笑しながらも同意する。それ以上は彼女も引かないだろう。

 ゾフィーとはあの図書館で出会って以来、ずっと友達つき合いが続いている。

 友達、である。決してそれ以上ではない。

 彼女は彼女で、どうもテルミンに対して男と付き合っているという感覚が無いらしいし、テルミンはテルミンで、彼女を女友達としてしか見られなかった。

 もっとも周囲の目はそうではない。

 彼の上司のアンハルト大佐は、一度外で二人で会った所を目撃したらしく、ある朝出勤したら、結構楽しそうな表情でからかわれたこともある。

 テルミンはそれには否定も肯定もしなかった。こういう関係もあっていいと思う。だがその説明をいちいちするのは煩わしかったし、彼女の存在は、自分のヘラへの感情や、スノウとの関係の隠れみのにするにはちょうど良かった。


「でも最近、君本当忙しそうだね。なかなか通信つながらないし。その番組制作だけ?」

「あ、つながらないの?」


 ゾフィーは慌てて自分の小型端末を取り出す。


「あ、やだ。ずっと局内モードにしてあったわ」

「局内モード?」

「うん。これね、放送屋用のものだから、局内モードにすると、局内の生番組と直接話ができて放送できる様になってるの」

「ん? それって別に珍しくないんじゃない?」

「マイクじゃあないでしょ? いつでも何処でも、これが簡単なマイクとカメラ代わりになるのよ」

「へえ……」


 感心したように彼は言い、見せて、と手を伸ばす。壊さないでよ、と彼女は念を押す。高いんだから、と。


「無論こんな小さいから、ややこしいことはできないけどね。だからそうね、水晶街とか、あのクーデター犯人の…… のところなんかに役だったみたい」

「あ、あれって、ニュースには流れたんだよね?」


 テルミンは訊ねた。彼はあの時現場に居たので、それがニュースで生で流れたのかどうか、は知らなかった。


「ええ。あたしじゃないけど、他のスタッフが撮っていたはずよ。ただ、一応ああいう光景は協定で、残さないことなってるんだけど」

「なってるけど?」

「一般家庭にまで残すな、なんて強要できないじゃない。だからそれを逆手にとって、残しているスタッフも居るはずよ」

「……ねえゾフィー、それ、俺見たいな」


 ゾフィーは怪訝そうな顔になったが、すぐにいいわよ、と答えた。


「ただしあたしの言うことも一つ聞いてくれない?」

「何? 俺にできることだったら」

「水晶街の逮捕者の顔と行き先」

「……あ」

「どうしても、行き先が見つからないのよ」

「君の、バーミリオン?」

「あたしの、じゃないわよ」


 言葉が少しばかり止まる。

 彼らの前に、盛られた長いパスタの皿が置かれ、ソースの容器がまた別に置かれた。彼女はそこからくるくると器用にパスタを取ると、ソースを絡めた。彼もまた、料理を取り分ける。茄子と挽肉の入ったソースは、ややびりっとする辛味が効いて、実に美味い。こんなに食事が美味しいのは、貴重な時間だと彼は思う。


「ねえ、俺は君の言うことは聞いてあげたい。だけど、まだ俺にはいまいち君がバーミリオンにこだわってる理由が判らないんだよ。君ともう出会って結構なるし、その時々にその話はしているというのに」

「あたしは、彼は嫌いなのよ」

「だけど、嫌いであるからと言って、君がこんな長い時間、ずっとずっと兄の知り合いだったから、って理由だけで、その彼を探す理由ってのが俺には判らないんだ。だって確かに兄さんが君にとって大切だったかもしれないけど、君の忙しい時間を裂いて、図書館の司書に嫌な目で見られて、それでも欲しい程の?」


 ゾフィーは黙って水を入れたガラス器からコップに中身を移す。そして幾度かその水をくるくるとコップの中で回すと、ようやく彼女は口を開いた。


「……あたしが、彼に言わなくてはならないことがあるからよ」

「言わなくてはならないこと?」

「それ以上は言えない。でもこれは言ってもいい。バーミリオンは、兄の友達、だったけど、同時に、恋人でもあったのよ」


 あ、とテルミンは小さく声を立てた。


「だからあたしがどうこうというのは当たらないでしょう? だけど、あたしは彼が一つ思い違いをしたまま、あたしの前から姿を消してしまったことだけは知ってる。だけどその思い違いは、ずいぶん大きいのよ。それを抱えたまま、それで平然として生きてくなら、それはそれでいいのよ。それだったらあたしは気楽よ。バーミリオンを見つけたら、平手の一つでも加えて、それであたしも忘れる。それでいいの。だけど、彼がそれをずっと重荷に感じていたら? もしくは、逮捕されて、政治犯で流刑になったとしたら、それはそれで忘れさせられてしまうのかしら?」


 それは、とテルミンは言葉に詰まった。


「あたしは、彼に会って、それだけでも知りたいのよ。そうでなくては、他の誰でもない、あたしが辛いのよ」


 テルミンは目を軽く伏せる。確かにそれは踏み込んではいけない領域の問題なのだ。


「ごめん」

「あ、違う。でも、そういう理由があるのは、確かなのよ。あくまで、あたしはあたしのために、彼と会いたいのよ。どうしても。それだけよ」


 きっぱりと彼女は言うと、さ、食事食事、とやっぱりケンネルの様に話を終わらせた。彼女は結構お腹を空かせていたらしく、パスタにサラダに、デザートのババロア、食後の小さいカップに入った濃いコーヒーに至るまで、実に気持ちいい程によく口にした。


 お互いがお互いの料金を払って外に出ると、彼女は言った。


「ねえテルミン少佐、それでも少佐が聞いてくれるのは、とってもあたし、嬉しいのよ?」

「そう? そうだったら俺は嬉しいけど」

「局にはあたしの気の合う友達って少ないし」

「でもスタッフはたくさん居るだろ?」

「スタッフイコール友達ではないでしょ? それに、女の子だって居ることは居るけど、あたしとはいまいち話が合わないのよ」

「そういうものかなあ」

「だって軍隊だってそうじゃない? 少佐にも気の合う人合わない人っているでしょ?」


 ああ、と彼はうなづいた。


「確かにそうだね」

「そうでしょ。だから、合う人は貴重なのよ。こう例えちゃ悪いかもしれないけど、少佐は気の合う女友達に近い感覚なんだもの」


 テルミンは、予想していた答えに、苦笑しながらうなづいた。


「でも少佐、少食すぎるわよ。もっとちゃんと食べた方がいいわよ。あたしの方が絶対多く食べてたじゃない」

「うーん…… ちょっと普段が最近食欲無いから、きっと胃が縮んでるんだよ」

「そんなに少佐が食欲無くす様な相手って、どういう人なんだろうね」

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