4-2 ARK825.04/そもそも帝都政府って何だ
テルミンがスノウという名のその派遣員に会ったのは、あの図書館の地下書庫の「休憩所」だった。もう最初に出会ってから、半年を軽く越えている。
もうそんなになるのか、と彼は時々考える。「そんなになるの」に、顔を会わせなかった日が殆ど無い。
「派遣員」というのはそんなに暇なのだろうか。
彼は他愛ないことを考えて、首を横に振る。
そんな筈は無い。何せ、「帝都からの」派遣員なのだ。
帝都。
この現在の人類の居住星域を支配している「帝国」の唯一無二の首府。長い戦争に勝って政権を取った、不老不死の「皇族」とその「血族」が住んでいる都市。
ただ、その帝都政府が直接にそれぞれの星系を治めるということは少ない。数少ない「皇族」が治めるには、この居住星系は広い。広すぎる。
広すぎるから、直轄地以外のそれぞれの星系は、距離や歴史を考慮された上で、一応の独立した政府を持つ。
レーゲンボーゲンも、その例に漏れない。
形として、民間人が政治を取り、軍部がそれを守るという文民統治を守る、独立した政府が長い間この二つの惑星を統治してきた。
「でもね、そんな風に、こんな辺境の星系が一つの政体で居るということはひどく珍しいし、難しいことなんだよ」
とある日派遣員は彼に言った。
「仮想敵として帝都があることが、一つの政体であるための歯止めになっているのさ」
それを聞いたテルミンは眉を寄せた。何ってことを語るのだろう、と彼は思った。
だがテルミンは社会の仕組みを考えること自体は好きだった。
士官学校の生徒だった頃も、暇を見つけてはそんな内容の本を読んでいた。士官学校では、そんなことはまず詳しく教えない。だったら興味のあることは自分で調べるしかなかったのだ。
まあ趣味の一つである。趣味の一つにすぎない。
例えば文民統治の原則の中、政府にも軍にも顔が利く機関がある。
科学技術庁である。
その理由は、この星系に人類が居住を定めた経緯から始まる。
この星系において居住可能な惑星はアルクとライ。
その時地質学者や生物学者は疑問に思った。何故この環境で大型の生物が存在しないのか。居住に適した大陸の気候は温帯のそれに近いというのに、何故荒れ地が多いのか。
その理由はライにあった。
この二つの惑星は、大きさも地質成分もさほど変わるものではない。ただ公転速度と自転速度、地軸の傾きが違う。
ライはアルクよりほんの少し外側を回り、ほんの少し公転スピードが速い。二つは、並んで動く訳ではない。
よって接近する時にはそれぞれに多かれ少ながれ影響がある。
赤道付近にしか居住可能区域が無いとされているライはともかく、アルクにおける影響は問題だった。
植民初期時代、ライは再接近から五年程経っていた。その時点で、次の再接近が三十年以内ということが計算されていた。
再接近のもたらすのは地震なり火山の爆発なり、台風の類であり――― いずれにせよ、森や林が育つことができない災害である。
よって、それがいつ何処にどんな影響をもたらすのか、その情報は政治や軍事を越えて最優先となる。
学者達の私設専門機関は、やがて公式科学技術庁となり――― 他の事情もあり、のちには帝都政府との直接交渉もするようになる。
そして、テルミンに最近ちょっかいをかけてくる派遣員は、直接交渉を政府や軍部、そして科学技術庁とするお偉方だった。
通常なら、テルミンごときが近寄ることができる存在ではない。だが逆は可能だ。何の意図があるのかは判らないが。
テルミンはただの気紛れであることを願う。
何せ、趣味に過ぎない資料を読みふけっていた時に、その派遣員は声をかけてきた。その資料を読んでいた自分「個人」に、どうやら興味を持ってきたらしい。
困ったことだ、とテルミンはそっと溜息をついた。
「それは大変なことだな……」
彼の上司であるアンハルト大佐は、図書館で出会った、という話を聞くと、ひどく驚き、思わず手にしていたカップの持ち手を砕いてしまった。
だがおっと、と言いながらカップ自体を掴んで落とさなかったのは立派だろう。
「どうしたものでしょう」
テルミンは訊ねた。
訊ねたこと自体に、実は多少彼の中にも思惑があった。
一つは、聞いたことで、判断の責任を上司に任せた、ということ。
プライヴェイトな知り合い、で済む相手ではないと彼も理解している。だから後で見つかってあれこれ言われる前に、上司に相談する、という形を取った方がいい、と彼は考えたのだ。
そしてもう一つは、本当に自分自身でいまいち良い解答が出せなかったからである。正直、誰かの意見を聞きたかったのだ。
そしてアンハルト大佐はひどく簡単にこう言った。
「悪くはないんじゃないか?」
「そうですか?」
「悪い人に見えたかい?」
テルミンは首を傾げた。悪い人にはまあ見えなかった。だからその通り答えた。
「ではいいじゃないか。帝都のことなど、色々君も学ぶべきところもあるだろうから、向こうが話しかけてくるようだったら、話してみればいい」
そういうものだろうか、とテルミンは思ったが、それもまた一理あったので、そうすることにした。ひとまずそこで判断の重みは半分に減る訳である。
だが、判断を半分放棄したつけはいつか回ってくる様な気もしていた。
何かが彼の中で、引っかかっていた。それが何なのか、彼もよくは判らない。そしてそれは、今でも彼の中で引っかかっているのだ。
ところで、派遣員スノウは、図書館以外ではまるで他人の様にふるまう。いいところ、「近所に住む顔見知り」くらいだった。
実際そうだった。この派遣員もまた、このひどく増殖し、迷宮の様な官邸に一室をもらって住んでいるのである。近所と言えば近所だ。
そしてその「ご近所づきあい」はまだも続いていた。すぐに飽きるだろう、と思ったのは彼の誤算だったのだ。
もっとも、彼自身、その「ご近所づきあい」が決して嫌なものでなかったのも事実である。
嫌なら、とっくにやめている。彼は自分にそういうところがあることもまた、よく知っていたのだ。
部屋の扉をノックして入ると、警備相手のヘラは籐の大きな椅子に腰掛けて足と手を組んで、窓際でぼうっと外を見ていた。
だいたいそうだった。自分が来る頃には、そんな風に気の抜けた表情で、外を見ていることが多かった。
そしてようやく、テルミンが入ってきたことに気付くと、その大きな目を半分くらい伏せたまま、ゆっくりとヘラは彼の方を向く。そしてやっと、テルミンは言うべき言葉を口にする。
「遅くなってすみません」
「ホント、遅かったな。まあいいや」
それでまた、しばらくぼうっとヘラは外を見る。
あの派遣員と同じように、この警備する相手とも出会ってもうある程度の時間が経っていた。
だが派遣員と違い、ヘラとのつき合いは決して深まることはなかった。あくまで仕事上の警備する相手、だった。それだけの時間が経っているのに、彼はヘラの考えていることもさっぱり判らなかった。
派遣員の考えてることが判らないのは、向こうが隠しているからだろう、ということで何となく納得が行く。またそれは当然だろう、と彼は思う。
だがヘラの場合、それとは何か違うものに思えて仕方が無い。
そもそも、一日中ぼうっと外を見ていても平気そうな人間と、そうそう気持ちが通じ合うとは彼も思ってはいなかったが。
「テルミン」
「はい?」
まだ少し乱れたままの部屋の中身をあちこち直しながら、テルミンは顔だけ警備相手の方を向いた。
「……今日はもういい、帰れよ」
「え? でもまだ勤務時間内……」
「いいから」
かすれた声。彼は不思議に思いながら、それでも言われるままに、部屋を下がることにする。
扉を開ける時、ちら、と振り向くと、ヘラはまた窓の方を眺めていた。何となく表情を見てみたい、とテルミンは思ったが、無論それはかなうことではなかった。
扉を開けると、廊下の向こう側に、先程通り過ぎた知り合いが、腕組みをしながら壁に持たれていた。彼はまた、軽く頭を下げ、通り過ぎようとした。
だがそれはできなかった。
「何か用ですか?」
テルミンは振り向き、自分の肩を掴むスノウに向かって訊ねた。何て力だ、と彼は思う。ほんの軽く掴んでいる様に思えるのに、身動き一つとれない。
「ずいぶん早いじゃないかい?」
テルミンは目線を少し上げて相手を見る。
「ええまあ。今日はもう帰っていい、と言われましたから」
「ふうん」
スノウは口元を軽く上げる。そして小さくつぶやく。
「やっぱりね」
え、とテルミンは思わず目を大きく開く。
「それって、どういう意味ですか?」
「いや、失言。ちょっと口がすべっただけだけど?」
「そんなことはないでしょう」
彼は思わず反論していた。何故そんな言葉が自分の中から出たのかは判らない。すると再びスノウはひどく楽しそうに口元を上げる。
「気になるのかい? テルミン君」
「それはそうでしょう。警備する相手のことですから」
「それは、そうだね」
「それより、離して下さい。別に自分の仕事は、これで終わりという訳ではないのですから」
「それもそうだね。ところで聞きたくないかい? テルミン君」
「え」
「何で今日、彼が大人しいのか」
「失言じゃなかったんですか」
「失言だね。君がそのまま行ってしまうんなら」
テルミンは思わず顔をしかめる。
「自分は、からかわれるのは好きじゃないんです」
「別に、からかってはいないよ。ただ私は、君が知りたいだろうことを教えてあげよう、と思ってるんだけど?」
「だったらさっさとそうして下さい。この手を離して」
テルミンは空いた手で、彼の手を掴む。何を自分はこんなに必死になっているのだろう、と思う。
だが、その手は離される気配は無い。
「……離して下さい」
「今日が何日か、君は知っている?」
何をいきなり。
「4月…… 23日ですが……」
「そうだね。今日は4月23日だ。だから、君のご主人はご機嫌が斜めなんだよ」
「答えになってません!」
テルミンは思い切り肩をゆすり、手を払った。そして思わず駆けだしていた。
迷路の様なこの官邸でそうするのは、危険だ。何処をどう曲がり間違えるか判らない。
だがその時彼は、そうせずにはいられなかった。
廊下の突き当たりまで走ったところで、彼は一度立ち止まり、今まで掴まれていた肩に触れる。何って力だったんだ。
まだ、掴まれた感覚が残っていた。痛いくらいの。