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BUDDY ―鋼鉄の相棒と結目―  作者: Sky Aviation
第5章 ~勃発~
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暴走する猛吹雪

 運転席の窓越しにその目で見たのは、『あかつき96号』の最後部のノーズ部分だった。全体的に濃いめのピンク色で染まっている車体が、すぐ目と鼻の先にいたのだ。


「(秋田新幹線の塗装! 『あかつき96号』の連接していた奴か!)」


 旧式の車両の塗装だが、間違いない。正確には『あかつき96号』の後方、連結している秋田新幹線側の車両だ。


「ノーズがへこんでます。どんだけ強く当てたんですか」


「さあな。とにかく、今はATC制御を復活させよう。話はそれからだ」


「了解」


 ユイは自分自身と電子的に繋げられそうなものを探す。窓の外を見ると、確かにノーズ部分はへこんでいた。丸みを帯びていたはずのノーズ部分は、今は歪な形へと変形してしまっている。


 これは先ほど後ろから衝突させたことでできたものだ。先ほどの衝撃はそれによるものだった。敵は『あかつき96号』の存在を知らなかったため、徐々に迫ってきている状態をあえてスルーし、むしろ一瞬だけ当てるという“奇襲攻撃”を喰らわすことにより、敵に大きな隙を作らせたのだ。

 幸いこれはうまくいった。向こうの運転手も相当の腕のようで、衝突はあの一回で済ませている。そのあとは、どうにかこうにか一定の距離を保つことに専念しているようだった。


「―――ありました。ここに制御盤っぽいのが。メンテ用でしょうか?」


 ユイが使えそうなものを見つけたようだ。見ると、ユイは強引にメンテナンス用らしいパネルをあけ、その内側にある装置を指さしていた。

 何らかの制御盤だろうか。俺にはわからないが、その中に、USBポートが一つ備え付けられていた。上には小さく『ATC DATE』の英文字も書かれている。


「おそらくメンテ用だな。ATCデータとかをここから入れたりしてたんだろう」


「ちょうどいいですね。ここから侵入します」


「頼む。後方は見とくぞ」


「お願いします」


 ユイは自身のポケットからUSBケーブルを取り出し、自分の首右側の小さなカバーを取って、制御盤らしい装置と自分を繋げた。ハッキングによって中から解除しようと試みたのだ。

 物理的に壊すことも考えたが、リスクがあった。制御盤を塞いでいたパネルの鍵部分が損傷しているところから見て、敵も事前にこれを使ってハッキングしたようで、その際どんな内容が上書きされたかわからない。上書きしたデータによっては、余計自体が悪化することも十分考えられた。


 それなら、もうそもそもの問題敵がやったハッキング自体を解除してしまったほうが手っ取り早い。ユイならそれができるはずだ。それは、今までの経験が証明している。


 ハッキングをしている間、俺は後方を監視した。運転席のほうから一般の誰かが入り込み、ユイのハッキングの様子を見られてはマズイ。その点は和弥もわかってるので、監視カメラを通じて状況をしっかり確認している。まず問題はないはずだ。

 ハッキングの成果は割とすぐに表れた。


「―――このATC、爆弾と制御がくっついているみたいです」


「くっついてる?」


「連動してるってことです。あのボールペン型の奴でも爆破できますが、仮に今の状態で停止しても同じ結果になるのかも……」


「マジかよ……」


 クソッ、これじゃ送電止めてってのも危険だ。電力が通らなくなったん瞬間、ハッキングで上書きした内容によっては作戦失敗とみなされて即行でドカンと一発行く可能性も否定できない。

 そんな状態で送電停止をさせるのはあまりにも危険だ。こいつ等、こうなった時のために罠でも仕掛けてやがったのか?


「連動を解除できるか?」


「無理です。ここら辺の制御はご丁寧にも爆弾側とこっち側の両方で解除操作しないといけない様になってます。あの腹に巻いてるやつ、USBポートありませんでしたから私じゃ操作できませんよ」


「チッ、ダメか……」


 これじゃ爆弾とATCの連動状態を解除できない。わざわざ連動させてる以上、何か仕掛けがあるのは間違いないが、それがわからない、解けないじゃ意味がない。


 むやみやたらと送電を止めるわけにもいかず、ただただ走るしかないようだった。


「そっちに時間はかけてられない。こうなったらATC自体を元に戻そう。それでどうにかなるはずだ。罠に気を付けろ。ATCを元に戻したらそれでもドカンってことも十分に考えられる」


「了解。そこら辺は任せてください」


 ハッキング能力には自信のあるユイだ。そういった面では全面的に信頼しても大丈夫だろう。


「だが……」


 しかし、それでも違うほうでの問題があった。


 俺はもう一度進行方向に目を向ける。そこには、相変わらず距離がかわらない『あかつき96号』の最後尾があった。


「どうすんだこれ……」


 今は等間隔でいるが、これがいつ一気に接近してしまうかわからない。事実上2編成を引っ張っていることもあり、もう向こうのモーターはどの車両の分も限界のはずで、中にはすでにモーターがいかれた車両もあるだろう。そうなると、他の車両のモーターに負担がかかるだけで、今以上の失速が起きるのは時間の問題と言えた。

 当然、モーターの問題に関しては『ふぶき32号』にも言えなくはないのだが、皮肉なことにこの最新鋭車両、モーターも最新鋭で中々疲れないタフネスさを発揮している。


 身軽で軽い単独編成の最新鋭車両と、重い2編成分を動かしている各旧式車両のモーターでは、どうあがいても後者の分が悪すぎた。


「(このままじゃ追突間違いなしだ。どこかでブレーキ効かせないと……)」


 とはいえ、、今使えるブレーキは非常用手動ブレーキの奴のみだ。そっちはもう使っている。それ以外でブレーキに使えそうなものが思いつかない。


「和弥、この車両で他にブレーキ的なものないか? なんでもいいぞ」


 和弥に助言を求めるが、向こうからはよい答えは返ってこなかった。


『あれ以外でブレーキになりそうなもんはない。誰かさんが外に出て、足を地面につけて摩擦で止めますなんてことをするぐらいしか思いつかんぜ』


「んなアホなこというな。足がもれなく燃えるわ」


 そもそも、外でブレーキ摩擦を作るつっかえになりそうなもんもない。足は当然論外。棒とかもないし、仮にあってもそんなの焼け石に水どころか“マグマに”水である。使えたものではない。


「(これじゃブレーキが他にない……、マズイな。他に何がある……?)」


 ブレーキに使えそうなものがないか。俺は思考を巡らしたが、新幹線に今あるモノで、それに使えそうなものがなかった。和弥にも再三確認したが、新幹線に備えられている装備で今ブレーキに使えるものは、もうないそうである。


 ……ブレーキの手段がない。あとはユイがハッキングによって制御を取り戻すのを待つしかないということだが、そう簡単にはいかなそうだった。


「ユイ、どうだ? 行けるか?」


「行けなくはないんですけどね……これ、何重にもセキュリティウォール作ってるっぽくてどんだけ破ってもきりがないんですよ。おまけに途中途中別のシステムに誤進入しかけるっていう迷路じみたものまで……あぁ、このシステムじゃない。ATC司ってるのどこよこれ……」


 ユイでさえ苦戦していた。もとよりハッキングに割ける演算リソースは限られているとはいえ、ユイの演算処理能力でも時間がかかるということは、それほど厳重にセキュリティ組んだということである。

 鉄道車両の最新鋭のATCシステムに、ほぼ即興でそんなんぶち込めるほどのハッキングシステムを組んだ敵はいったい何者なのかと思ったが、それは後で本人に問いただそう。今はそれどころじゃない。 


 何れにせよ、この様子ではすぐに同行できるような状況ではなさそうである。


「(どれくらいかかるんだこれ……)」


 そんな疑問を投げようとした時である。


『―――ッ! マズイ、減速した!』


「ッ!」


 和弥の声に咄嗟に反応し前方を見た。

『あかつき96号』が徐々に接近していた。速度もそんなに遅くない。「マズイッ!」と思った瞬間には、『ふぶき32号』の先頭車両のノーズに二度目の衝突を起こしていた。


「ッうァ!」


 最初の衝突時より少し衝撃が大きかった。倒れないよう咄嗟に近くの運転台に捕まり姿勢を保つ。ユイもほぼ同様だった。


「大丈夫か?」


「問題ありません。続けます」


「ああ」


 ハッキング自体にはそこまで支障はないようだった。だが、そうでなくても時間がかかるハッキングに対しては集中してかかりたいはずで、余計な横やりによって演算リソースをそっちの対処にもっていかせたくはない。今は、少しでもハッキングの処理に回したい状況である。


『あかつき96号』は再び加速して離れた。だが、また減速を少ししたと思ったら、また加速し、また減速しては加速しの繰り返しをし始めていた。何とも心臓に悪い状態である。


「和弥、向こう減速と加速が交互に起きてるが、あれどうなってんだ? 意図的なものか?」


『半々だな。どんだけ加速しても速度が落ちてむしろモーターに付加をかけるだけだから、加速するときと少し減速するときを分けてる。加速するときはとことん加速して、定期的に休憩入れるって感じだ』


「なるほどね……」


 常続的に加速かけてるよりは、全力でやるときと休む時を交互にやってるってことか。確かに、それなら少なくとも今の距離を最大限維持しつつ、モーターの不可をできる限り抑えることはできる。当然、これもこれで苦肉の策レベルのやり方ではあるだろうが、もはや手段を選んではいられない以上、こういうことも進んでやらねばならないだろう。


「(減速と加速の併用か……)」


 …………、あれ?


「……え、これ使えんじゃね?」


 一つだけ思いついたのがあった。『あかつき96号』の逆バージョン。だが、ぶっちゃけこれもうブレーキイカれてね? と思わなくはないが……


「……試してみるか」


 物は試しである。何れにせよこのままでは衝突は不可避なので、やれるだけのことをやってみることにした。

 ユイを一時ここに置いておいて(その間後方監視もしっかりやっとくよう注意をしておく)、俺はダッシュで各車両の客席に急いだ。

 そして、各車両で簡単に状況を説明しつつ、とあることをするために一人選抜。できるだけ体力のある若い男性を選び、それぞれの車両で配置につかせた。

 急のことではあったが、困惑はしていれど比較的協力的であったこともあり、何とかことはスムーズに進んだ。もとより、下手すりゃ死ぬって状況の中では色々文句言ってる暇もなさそうである。


 簡単な操作説明を終えた俺は、そのままダッシュで運転席に戻った。俺がいない間は誰も立ち入った様子がないようで、黙々とハッキング作業中のユイがそのままの状態でいた。


「和弥、運転席に車内放送に使うマイクってどこにある?」


『車内放送? あー……運転席のすぐ左側にかかってると思うけど、それがなんだ?』


「ああ、あった。これだな。どう使うんだ?」


『マイクにあるスイッチを親指で押して話すだけ。なんだ、乗客をあんなとこに置いて何する気だ?』


「なに、ちょっとやりたいことがあってな―――」


 運転席の左側を見渡すと、ちょうど壁に立てかけられているそれらしいマイクを見つけた。立てかけられていたマイクを取り、ちゃんと車内放送になっているかを確認しつつ、俺はすぐにそのマイクに向けていった。


「お客様にご案内します。これより、先ほどご説明した行動に移ります。配置についている皆様は、こちらの指示に従い操作を行ってください。タイミングが重要ですので、絶対に聞き逃さないようお願いいたします」


 同時に、ユイにも注意喚起する。


「ユイ、ちょっと何度か揺れるかもしれないけど耐えてくれな」


「耐えるって、一体何やらかすつもりで?」


「説明の時間はないんだ。その目で見て判断してくれ」


「?」


 ユイが不審な顔を見せるが、俺はそれを無視して前方を注視する。

『あかつき96号』は相変わらず前後への運動を続けている。加速と減速を繰り返した状態で、ほぼ等間隔。数秒単位で交互にやっていることはすでに確認済みだ。


「(やるなら、減速のタイミングか……)」


 どこまで効果があるかわからんが、やってみるほかはあるまい。俺はマイクを握ったまま、現在減速中の『あかつき96号』を一直線に見た。


 ……そして、向こうが減速をやめ、


「準備。よーい……」


 再び、加速を始めた時だった。俺はマイクに半ば叫ぶように言った。


「はい、ゆっくり上げて!」


 俺の声にほぼすぐに反応してくれた。


「うぉっとッ!」


「えッ!?」


 体が一瞬後ろに持っていかれた。そのまま『ふぶき32号』は徐々に加速を始める。『あかつき96号』が加速している後ろを、ほぼ距離を開かせずに接近している状態となった。


「え、ちょ、これじゃ距離が開かな―――」


 ユイがそう言葉を発しようとした時である。俺は間髪入れず再び言った。


「はい、下げて!」


 その言葉とほぼ同時にだった。


「ぅわッ」


 ユイが倒れまいと何かに捕まって耐える声が聞こえた。すると、今度は体が若干前に持っていかれ、大きく減速を始めた。しかし、それはそんなに長くは続かなかったようで、減速の効果は途中から薄まってきていた。

 だが、それでも結果はちゃんときた。タイミング的には向こうが加速している途中で大きく減速したため、一気にその差が開く状態となった。少なくとも、さっきよりは彼我の距離が開いているように見える。


 だが、俺はその結果に思わず「ヒュ~」と口笛を軽くふいてしまった。


「まだ生きてたのかよあのブレーキ……」


「祥樹さん、一体何したんです?」


 ユイの疑問に、俺はやっと答えを出した。


「『ポンピングブレーキ』だ。凍った路面上で車がやるブレーキ方法と一緒だよ。ブレーキを切ったり入れたりするのを繰り返して、摩擦の力を維持してるんだ」


 これは『あかつき96号』が、モーターの維持のために加速をする時としない時を交互に使い分けているところから思いついたものだった。あれを、マスコンではなくブレーキ、それも“手動の奴”でやってしまえばいいと。当然、本来新幹線を含む電車では、乗り心地などに悪影響を及ぼすためまずやらない操作方法である。テンポは車の時よりスローなっているが、何度もやると確かに気分悪くなりそうな状態である。

 しかし、現状これしかまともにブレーキが効けそうにない。唯一残ってるあのブレーキ。あれは車両間での統一した操作はできないが、タイミングさえ合わせれば統一した操作をしているのと同じことだ。タイミング自体は俺のほうから全車放送で流せばいい。


 ……というわけで、今各車両には、


「次行きますよ。4秒の時間を使ってください。……はい、少しずつ上げてー……、はい下げて!」


 少しブレーキを緩めさせた後、一気にブレーキを締めた。すると、車体は「ガクンッ」と音を立てて徐々に減速していった。大きな減速効果が発揮される時間は少ないが、その間にある程度の速度を抑えることができていた。

 このあたりから、ユイが事の中身を理解し始めたのか、若干顔が引きつった表情を浮かべている。


「……え、もしかしてさっきの非常用手動ブレーキ何度も上げ下げしてるんですか?」


「そういうことだ。乗客に頼んで、こっちの言うタイミングで上げ下げしてもらうよう頼んだんだよ。今のところうまくいってる」


 さっき各車両の客車に急いだのはこれを頼むためだった。配置につかせたのも、ようはこれをさせるためで、体力のある若い男性を選んだのも、何度も同じ操作を繰り返すという地味に体力的にきついことをやらせるからだった。

 最初ブレーキを緩めるときも、基本的には徐々に緩めなければならない。そのブレーキ緩和にかける時間も基本的に3秒と伝えている。今みたいに時間を変えるときは事前に伝えることもしっかり伝達されているため、その指示に忠実に動いてくれている。


 ……が、


「え、ちょっと待ってください。それ新幹線でやるんですか!?」


 当然、そんなのを新幹線で、しかも手動でなんてやったことがない。システム的には実はあるのかもしれないが、俺はそんなのあるとは聞いたことない。


「仕方ないだろ、これでしかやれねんだよ」


「いやいや、それはわかりますけど……、というか、よくブレーキが摩耗してませんでしたね」


「それはわかる」


 あのブレーキはずっと作動させていた上、そこそこの時間かけていたこともあり、摩擦によって表面が削られて結構ブレーキとしての能力を失っているのではと思っていたが……、案外、耐えてくれていたようである。


「(これを何度か繰り返す。摩耗がひどくなるまでやれるだけやれば、少しでも減速をかけまくれるはず……)」


 新幹線でやるべきではないやり方なのでどこまで耐えれるかわからなかったが、効果があるうちにできる限り減速をかけるほかはなかった。

 徐々にではあるが、減速の成果は確実に出ていた。塵も積もれば山となる。少しの減速を積み重ね、どうにかこうにか速度を減らしていくことに成功した。マスコンで加速しまくりの状況で、即興のポンピングブレーキでここまで減らせたのはある意味奇跡かもしれない。


 ……が、それでももどかしい問題が一つ。


「……んで、まだハッキング終わらないんか?」


 さすが長くないか? そんなことを思っていた。かれこれもうすぐ10分経つぞ。

 だが、ユイからは妙に苦々しい様子での回答が返ってくる。


「妙なんですよ。ウォールを全部取っ払って正面から突き破ろうとしても、なんかリアルタイムで新しいの作られてるらしくて……これ、たぶん学習型かと」


「学習型? 被ハッキングの形を覚えて、それに適応したファイアウォールなりを作ってるってことか?」


「おそらくは。これ根本潰さないと無理だな……」


 たかだか一つウイルスぶち込んだだけだとしても、ここまでのことをやらせるとは一体どんなハッキングをしたんだ。後々このシステムの内部調べたらヤバいの見つかりそうで怖い。


 さらに、もう一つ追加で無線が入ってくる。


『祥樹、そろそろ大きな減速が入る。今速度どんくらいだ?』


「今150切るぞ。それがどうした?」


『この後日暮里駅を通過したあたりからトンネルに入る。その時、ついでにまたS字のカーブが来るんだ。S字の後半の奴は事実上90度のカーブにもなるぞ』


「げぇ、マジかよ」


 日暮里通ったらもうあとは上野駅がもうすぐだったはず。上野駅の直前にでっかいカーブがあるってことか。これのおかげで、余計減速をかけないといけない状況になっているという。


「あかつき96号とはまだ完全に距離離れてないぞ。余計減速かけられたらまた縮まっちまう」


『わかってる。だから、そろそろもうあれを退避させようってことになってる。候補は上野駅か、もしくは上野駅を出て次の分岐点ポイントだ。上野駅はすでにホームにいる人員を全員退避させている』


「そこら辺って確か制限80だったろ?」


 ここは和弥が東京駅で言っていたことだった。だが、だからこそだというのだ。


『どっち道上野駅前のカーブで大きく減速しちまう。だから、その時に急減速をかけて、制限ギリギリの速度で退避しちまおうってことになってんだ。ちょうど、上野駅では退避のために特別に上り線の21番線と22番線を開けてくれた。それのどっちかに今移るか運転手に聞いてる』


「上野駅に退避するってなったら、俺たちもそれに合わせる必要があるんか?」


『そういうことだ。今のうちにできるだけ減速しとけ。できるだけでいい』


「了解した」


 と、あっさり引き受けたはいいが、中々に難しい問題である。すぐにポンピングブレーキの頻度を上げたのはいいが、減速がどこまで続くかわからない。ましてや、ここからは地下に入るための超緩やかな下り坂となるため、余計ブレーキが効きにくい。

 距離がどれほど開くか……ポンピングブレーキの指示を出しながら、俺は不安を覚えていた。


「(どっちにいくかでかわるか……?)」


 さっさと退避したいからまず上野駅で逃げるのは間違いない。だが、21番線と22番線。どっちに逃げるかで俺たち側の負担にどれほど影響があるのか。それも少し考慮する必要がありそうであった。


 そんなことを考えているうちに、日暮里駅に差し掛かった。お互い高速で通り過ぎようというあたりでトンネルに差し掛かるとともに、再び無線が響いた。和弥の声である。


『祥樹、運転手が決断した。上野駅で止まる。向こうの待避線は右側の21番だ』


「21? そっちでいいのか?」


『21ならポイントといっても事実上ほぼ直線だから、やろうと思えば減速の必要はほぼない。ポイントに入ってから急減速をかけることもできる』


「なるほど、了解」


 出来る限り逃げる道を選んだということか。だが、確かに判断は正しいだろう。俺たちとしては『あかつき96号』にはホームの場所に限らず、どこかに逃げてくれればいいのだ。最初のポイントに入ってから、ホームを抜けて次の合流ポイントの前までに止まってくれれば、どこでブレーキをかけてもいい。

 ホームの先にあるポイントの前で止まるようにギリギリまでブレーキをしないでいてくれれば、こっちとしても距離を保つだけの余裕が生まれる。その間に、こっちは引き続きブレーキをかけ続ければいい。


 となると、目下問題となるのは……


「こっちはポイントに入るうえで制限守れるかわからんぞ? まだやっと100切りそうってところなんだよ」


『そこは祈れ。マジで祈れ。あと、向こうとの距離ちゃんと開けとけよ。ポイント切り替えの時間が無くなっちまう』


「わかってる。だから今精一杯やってんだろうが」


 そう愚痴りつつ再びポンピングブレーキの指示。もう向こうも体力の限界だろうが、もう少しの辛抱である。何かあったら配置にいる人変えてもいいといっているので、もう誰かしら変わってるかもしれない。


 そのうち、大きなS字カーブに差し掛かる。後半のほうは、確かに大きな事実上の90度カーブとなっており、若干左に体が持っていかれる感覚を覚える。できる限り減速をさせようと試みるが、やはり下り坂だからなのか、中々落ちない。

 逆に、向こうはこの下り坂を利用してできる限り速度を稼いで距離を開けた。その結果、一応向こうとの距離はそこそこ開いてきている。


「(……そろそろか?)」


 上野駅のホームに差し掛かるポイントとなる。俺は無線に意識を集中させた。


 ……と、それとほぼ同タイミングである。


『―――ッ! きた! 上野駅のホームに差し掛かった! 結構スピードはええなオイ!』


「きたかッ」


『あかつき96号』が上野駅の21番ホームに差し掛かった。事実上の直線走行な21番線側をポイント制限無視で突っ込んでいっているはずだ。それでも、向こうでもタイミングよくブレーキをかけたのか、若干だが、『あかつき96号』の赤いテールライトが近くなってきたように見える。


 ポンピングブレーキの指示を出しながら、俺は和弥からの無線を聞いた。


『向こうが急ブレーキをかけた!』


「何秒かかる!?」


『大丈夫だ。この速度なら10秒とかからねえ! 即行で止まる!』


「よっしゃ、頼むぞ……」


 新幹線のブレーキ性能はぴか一だ。どれだけの速度で走っていたもものの20秒とかからず停止できる能力を持っている。今の速度なら、和弥の言う通り10秒すらかからず止まれるはずだ。

 当然、その間はこっちとの距離が大きく縮まる。向こうのテールライトが一気に迫るのを見て、やはり恐怖と不安は覚えてしまっていた。


「(ほーら、さっさと行け……そのままだ……)」


 焦らず急いで正確に。どこぞの機関長も行っていたこのセリフを今こそ実践してくれと、心から願った。だが、もう向こうの最後尾はすぐ目の前に迫ってきている。もうあと数秒もすれば追突してしまう距離にまで迫ってきていた。焦りを隠しきれず、思わず汗が滴り落ちる。

 ポンピングブレーキの指示をひっきりなしに出しまくる中……、やっと、俺が聞きたかった言葉が和弥から帰ってきた。


『―――退避完了! いまからポイント切り替える! 3秒待て!』


「よっしゃきたァ!!」


 無事退避成功。迅速なタイミングでの急ブレーキにより、ギリギリ俺たちが衝突する寸前に21番線に逃げることに成功した。

 ポイント切り替えも総時間はかからない。ものの数秒でさっさと切り替わり、次の瞬間、ギリギリで『ふぶき32号』の車輪が切り替わったポイントをしっかりと捉え、22番線に流されていた。

 その際、『あかつき96号』の最後部のノーズが『ふぶき32号』のノーズとギリギリ掠める距離を通り過ぎたのを確認できた。暗いトンネルではあるが、それだけはこの目でしっかり確認した。この車両に乗って一番恐怖を感じた瞬間であった。


 ……が、それで終わらない。


「うおッ、おおおおああっとォッ」


 思わず体が左右に振られる。制限の80km/hを超えて、まさかの98km/hでポイントに突っ込んでいた。マズイ、ポンピングブレーキがあまり効かなくなっちまってやがる。完全に制限超過だ。

 車体の傾斜制御が許容限界を超え、遠心力や慣性などによって車輪が片方完全に浮いてしまっているのか、車体ごと傾く感覚を覚える。そこまで深い角度ではないが、ポイントに入ってからは何度か小さいカーブがあるため、それによって左右に振られていた。


「(マズイ、外れるか?)」


 脱線するかもしれない。そんな恐怖に駆られていたが……、しかし、車体は大きな衝撃とともに安定を取り戻した。

 案の定車輪は浮いていたが、何とかギリギリ耐え切り元の線路上に戻ってきた。


「よっしッ! こっちも退避成功!」


 その声とともに、無線の向こうが若干歓声が上がる。すぐに収まったのは、まだ終わってないという一種の暗示でもあるのだろう。

 それでも、一つの山場を越えた俺は一瞬ホッとした。それと同時に、右側に視線を送る。


 そこには、2種類の塗装を持つ車両が連接された1編成がちょうど停車したところだった。

 LEDライトによって明るく照らされたホームを挟んで向かいにいる車両。俺たちとさっきまで地獄の追いかけっこをしていたお相手である。一瞬だが、窓にいる乗客がこっちを見ているのが見えた。どんな表情化まではわからないが、おそらく、恐怖と驚愕に駆られたものであるであろうことは容易に想像できる。


「(今までよく頑張った……)」


 乗員乗客、そして、誰でもないあの『あかつき96号』自身に対してもそう心の中で伝えた。あとで直にあって伝えるべきであるかもしれない。


 しかし、そういってホッとしたのもつかの間だった。まだ完全に止まっていない。ユイのハッキングもそろそろ佳境に入るかといったところだった。


「システムの中枢に入れました。罠なども何とか除去したのでさっさと止めます」


「了解。頼むぞ。もう東京駅が目の前だ」


 このままトンネルを抜けた先は秋葉原駅であり、それが見えたということは、もう東京駅は到着まであと数分としない距離に迫っているということである。

 それまでにハッキングを終え、ATCシステムを元に戻して何の障害もなくなった状態ににできれば、コイツはさっさと止まる。

 大丈夫だ、今の速度ならそんなに時間がかからずに止まれ……


「―――はァッ!?」


 ……そう思った瞬間、俺らに最後にして最大の試練が舞い込んできた。


「そ、速度が落ちてない!?」


 運転台にある速度メーターを思わず二度見した。メーターにある速度が落ちていない。いや、むしろどんどんと増えていっている。

 ブレーキの指示はちゃんと出していたはずだ。念のためもう一度ポンピングブレーキの指示を出したが、ブレーキの効果はあったにはあった。だが、それがあまりにも微量だったのだ。

 配置についていた乗客が一斉にやめたとも考えにくい。完全に止まるか、こっちの指示があるまで続けろという指示はしっかり出していたし、それを大多数の人数がほぼ一斉にやめたとも思えなかった。それをする理由も見つからない。


 ……となると、まさか、


「(とうとう、ブレーキに限界がきた……ッ!?)」


 余りに何度もポンピングしまくるため、ついにブレーキ摩擦によって摩耗がひどくなってしまい、ブレーキとしての能力を発揮できなくなってしまった可能性が高い。そうなうと、もうたとえ何度ポンピングブレーキの指示を出して実際にやらせようとも、何ら意味のない労働と化してしまう。


「(クソッ! これじゃもう意味がない!)」


 これ以上やっても無駄と考えた俺は、すぐに乗客たちに席に戻るよう伝えた。そして、新幹線ではまず歴史上初ともいえるであろう『衝撃防止姿勢』を取らせた。

 政府専用機で経験済みのため咄嗟に思い付くことのできたものだった。どうにかしてユイがブレーキを復帰させたとき、どの速度になってしまっているかはわからない。もしかしたら、一番最初の速度にまで増えてしまっている可能性も否定できないし、最悪、ブレーキが間に合わないなんてことも想定できる。

 東北新幹線は東海道新幹線と繋がっていない。つまり、東京駅のホームの先は行き止まりである。仮にそこに突っ込んだら、相当な衝撃が加わることは間違いない。

 その万が一の衝撃に備えるためには、やはりこれが一番だと考えた。旅客機での緊急時の姿勢を、まさかの新幹線で実践するなど前代未聞どころの話ではないのだが、こればっかりはユイをどれだけ信じたとしても話は別とするしかなかった。


『もうすぐトンネル抜けるぞ!』


「秋葉原だ。もうすぐ東京だぞ」


 視線の先に明かりが見えた。トンネルの出口。ここを抜けると、日の光とともに秋葉原の街並みを両サイドに確認した。同時に、無線が響く。これは和弥の声ではない。


『おい、聞こえるか! 上から見とるが、もうすぐ東京駅やぞ! まだ止まらへんのか!?』


 敦見さんであった。中々止まらない状態を見かねて、無線を投げてきたのだ。声からして結構焦燥感がある。

 だが、正直構ってる暇はない。


「こちとらATCのシステム戻そうとしてるんですが、中々頑丈すぎるんですよこれ! あとでコイツの設計者読んできてください! 一発ぶん殴りますから!」


『物騒なこと言うなや! そんで止まるんかそれ!?』


「止まるように祈っててください!」


 そこで一旦話を切って、今度は和弥に向けていった。


「和弥、ユイがどうにかしてシステムを戻しはするが、万が一に備えてくれ。俺の操作が間に合わなくなって突っ込む可能性も否定できない!」


『了解。すでに救護と消防の準備はできてる。いつでも突っ込んで来い』


「オーケー。ちゃんと止まるよう祈っとけよ」


『誰に対してだ?』


「俺らに対してだ」


 そこで無線を切った。あとはもう話すことはないとみていい。再びユイに視線を向けた。


「焦るなよ、まだ1.5kmの猶予がある」


「もうそんきしかないんですか?」


「新幹線なんてものの数秒で止まるんだ。大丈夫だ、コイツを信じろ」


 仮にも最新鋭だ。信じるに対する性能は持っているはず。最新鋭のロボットが信頼に値するほど成長したように、コイツも今までの新幹線の経験を盛り込まれた奴なのは間違いない。

 加速のヤバさはまざまざと見せつけられた。ブレーキだってそれ並のはずだ。


「(大丈夫、よほど時間がない限りやれるはず)」


 ここまで来たら機械を信じるしかなかった。この新幹線という“猛吹雪”が止まるのを、俺は信じるしかなかった。

 京浜東北線の高架の下を通り、若干周りが暗くなる。この暗さが、俺にとっては一層不安を掻き立てる要素となっていた。


 だが、それでも信じた。残り数十秒のリミットになっても。

 楽観的といえば言い方が悪いが、あまり、「このまま死ぬのではないか?」といった疑惑は起こらなかった。不安はあれど、結局はそれまでだったのだ。


「(大丈夫、コイツならもうすぐ……)」


 そのような考えは本来マズイのであるが、なぜか、“コイツ”が関わってるときに限ってはそんな感じだった。


「京浜東北線の高架抜けた!」


 ……そして、実際に、


『首都高環状線の下抜けたぞ!』


「もうすぐ東京駅だ! ユイ、どうだ!?」


 結構ギリギリのところで、やっぱり結果は残してくれたのだ。



「―――終わりました! システムリセット!」



「ッしゃきたァ!!」抑えることができなかったこの叫び声。こんなんだから、やっぱり俺は「諦める」ということができないのかもしれない。

 俺は歓喜の気持ちを抑え、即行でマスコンとブレーキに手をかけた。


『右のマスコン全部押せ! 左のブレーキ最大で非常ブレーキ!』


「オーケー!」


 そのままマスコンを全部戻し、左手にあるブレーキをすべて回し非常ブレーキを作動指した。

 だが、実際それをするまでもなかった。元に戻ったATCが、東京駅を目の前にしてのこの異常な速度に目を覚まし、さっさと非常ブレーキをかけたのだ。


 体が今までにないほど一気に前に持っていかれる。金属が削れあう、耳の鼓膜が一番嫌いな甲高いを耳にしながら、今まで名前通りの猛吹雪状態と化していた『ふぶき32号』は一気に減速を始めた。

 ホームの少し手前でブレーキをかけたため、すぐに止まるにしてもホームへの進入はもはや不可避であった。ポイントを気にせず走行できるよう、進入番線は23番線となっている。


 減速しきれず『ふぶき32号』はホームへと進入した。未だに甲高い音を発しながら、その車体はホームへと滑り込んでいく。


「(ほーらいいコだから止まれー……とまれぇー……)」


 まるで子供を諭すように、俺は必死に願った。

 もはや人間の手は意味をなさない。止まるかどうかは、この『ふぶき32号』にすべて託されていた。


「止まれ……止まれ……」


 呪文のようにそう何度となく繰り返した。外の甲高い騒音もいつの間にか脳内処理で排除されていた。ユイに至っては何も言葉を発さず、ただじっと窓の先を見ているだけ。

 騒がしい外とは違い、運転席の内部はしんとした空間と化していた。


 そう長くないものであったはずだった。だが、それがどれほど長く感じたかはあまり記憶にない。


 それでも、体感的に長く感じたであろうその間に、車体は徐々に減速し……


「…………、お?」


 ガクンッと一瞬の揺れとともに、完全に静止した。


 23番線ホーム。その先の、わずか数十メートル手前だった。もう数秒ほど操作が遅かったら、もれなく突っ込んでいたであろうところで、やっと止まることができたのだ。


「……止まった?」


「とまり……ましたね」


 確認するように、俺らは一言だけお互いに交わした。目の前に広がる光景は静止していた。





 “猛吹雪”は止まった。





 闘牛のようにどこまでも狂暴だったそれは、ようやく静まることになったのだった…………

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