奇襲突撃 3
―――俺らはそこで固まらざるを得なかった。
敵は、自分の持っていたハンドガンを、自らが引き寄せた女性乗務員の頭に突き付けている。持っているのはコルト・ガバメントのようだ。見た限り、銃鉄は引き起こされてはいるが、セーフティがロックされてるかはわからない。握り方からしてグリップセーフティは解除されてるはずだが、通常のセーフティはここからでは見えなかった。
だが、一たびそれらをすべて解除し、引き金に置かれている人差し指を少し動かせば、あっという間にこの女性はあの世行き間違いなしだ。
……だが、どういうことだろうか。前にもこれ、見たことある。
『……祥樹さん』
「ん?」
ユイは閉口無線を使って俺に聞いてきた。
『……私の記憶が間違ってなければ、これ、前にも見たことあるんですよ。“空の上”で』
「奇遇だな。俺もだ」
空の上。つい数ヵ月前。これとほぼ同じことが起きていた。考えてみれば、後部から前部に向けて制圧する流れもまんまアレだ。
「(……政府専用機と、同じか)」
最後の最後で誰かを人質に取る流れもまるっきり同じだ。まさかのあれが予行演習になるとはな。舞台は新幹線に変わってはいるが。
数秒の沈黙はあったが、俺たちに時間は残されていない。俺はすぐに目の前のクソッたれな男に声をかけた。
「……あー、とりあえず、その銃下ろしてくんねえかな。そんな物騒なもんその人に向ける理由はあるまい?」
だが、帰ってきたのは案の定の内容。
「そのままお返ししよう。むしろ、銃口を向けているのはそっちではないか?」
妙に中華訛りな日本語だ。どこの方面だ? 中国か、台湾か……それともまさかのシンガポールあたりか?
そこはユイが瞬時に判定してくれた。
『この日本語、北京語訛りに聞こえます。少なくとも、本土方面の人が言いそうな感じの奴です』
「中国から流れてきたか……」
となると、間違いなく共産党系だな。ここら辺で活動している海外組織の連中なんて、旧北朝鮮系か共産党系のどちらかだ。北京語訛りならほぼ確実だろう。
だが、いずれにせよ対応は変わらない。
「まあ、待とうぜ。一先ず、その女性に銃口を向けるのをやめていただけるとありがたい。さすがに一般人は巻き込みたくねえんだ」
「我々とてこれは本意ではない。むしろ騒ぎを拡大されても困るのだよ」
おいおい、どの口が言ってんだか。失笑すらもでない冗談だ。
「まあまあ、そういわずに。お互い穏便にいこうじゃないか。何が目的かは存じ上げないが、そこの女性はただの一般人だ。わざわざ人質にするほどの価値があるとは思えないが?」
「フフフ……、それは、どうかな?」
そういうと、彼は右手の親指を少し大げさに動かした。明らかに、コルトガバメントの通常のセーフティを下げた。
『セーフティ下げました。もう撃てますよ向こうは』
わかっている。その答えついでに、俺はすぐに言った。
「待て! ……実際、その人は何ら関係ないはずだ。なぜそこまで拘る? 理由は?」
俺は早口で捲し立てた。こうしてあえて焦りを見せることで、主導権は自分たちにあると思わせる意味もあった。そのほうが、向こうが口を開きやすくなる。
そして、彼はその思惑に乗ってくれた。無意識だろうが、顔がニヤついている。この場では自分が立場が上だと、うまく錯覚してくれた。
「悪いが、関係あるんだよ」
「何の関係だ。元自分らの仲間だったとかそんなオチか?」
「そうではない。彼女だけではなく……今に限っては、この新幹線にいる奴、全員が関係ある」
「なんだと?」
ここにいる奴ら全員だと? たかが一般人プラス乗員だってのに、なんか共通点でもあるのか? 乗員乗客を全員しっかり見たわけではないが、老若男女、年齢層は固定されてないし、男女比率から服装まで。そんなに変わったものがあった記憶はない。ただの、どこにでもいるような新幹線の乗員乗客だ。
「ただの乗客だろ? いったい何の関係がある?」
「探し物だよ。ただの乗客の中に、ただの乗客に値しない人間がいる」
「はあ?」
さっぱり意味が分からん。ただの乗員乗客の中に、誰かヤバいもん持ってる人でもいるのか? 何持ってるってんだ。これっぽっちもわからない。
『すいません、この車内にいる人って何かおかしな点ありますか?』
その間、すぐにユイが閉口無線で聞いた。合成音声にしては流暢なため、向こうにはただの生の音声として聞こえてるはずだ。バレる心配はない。
和弥はすぐに応えた。
……だが、
『いや、この『ふぶき32号』にいる人は調べた限りじゃおかしな人はいなかった。全員、どこかしらの駅から乗り込んだ普通の客だぞ』
『誰か隠れてVIPだとか、大物政治家的な人が乗ってたりとかしませんか?』
『んにゃ、そんな人は誰一人としていない。一部そこのグランクラスにはエリートっぽい人が何人かいるが、ただのサラリーマンか何かだろうよ。そんな大物なら、秘書的な人がいたっていいはずだし、第一奴らは最初から先頭にいたんだ。そいつらが目標なら、後方車両の乗客を調べるまでもなく真っ先にバレるだろうさ』
『なるほど……』
無線をそのまま聞いていた俺はますます不審に思った。それらしい人がいないのなら、ほんとになんでここまでのことをする必要がある? 当然、VIPな人たちだって目立ちたくはないし、ごく普通の一般人に紛れているだけかもしれないが、その点はもとより和弥だって考慮してるはずだ。それでもいないってなったら、話がおかしなものになってしまう。
「(……誰が、一体何を持ってるってんだ?)」
ここにいる奴らが全員関係あるっていうのは、言わば「探し物を持ってるかもしれない乗員乗客全員は今に限ってはすべて関係者だ」といいたいわけなのだろうか。無茶苦茶な話だ。これっぽっちも関係ない人まで巻き込んでしまっては、その人らにとってはいい迷惑以外の何物でもない。
「……その探し物がどういうものかはお教えできるかい? もしかしたら俺ら知ってるかもしんないぜ?」
ちょっとした揺さぶりのつもりだった。もしかしたら、奴らの目的がわかるかもしれない。
だが、そう簡単には乗ってくれなかった。
「悪いがそこは教えられん。……第一、貴様らは部外者だ」
「おいおい、確かに俺たちゃちょっとぶっ飛んだ駆け込み乗車はしちまったがね、今じゃ乗客には変わりはねんだ。乗客全員が関係者だって自分で言ってたじゃないか」
「こじつけだな。俺らのいう乗客に貴様らは組み込まれていない」
「ハハ、そうかよ……」
まあ、事実俺らのやったのってただの飛び込み乗車だったので乗客に組み込まれないのはあながち言い返せないわけだが。さすがに、色々事情を聞き出すことはできないか。
……なら、もう手立てはない。
「(どうにかして事情を聞き出して、穏便に事を片付けたかったが……、仕方ないな)」
こうなれば力づくだ。多少強引になるが、こっちには時間がこれっぽっちもない。奴らが『あかつき96号』のことを知っているかはわからんが、向こうとの距離差は縮まっているはずだ。
あまり乗客にトラウマ植えつけたくないが、そんなこと言ってる暇もなくなってきた。
「……ユイ、やれるな?」
『いつでも』
こうなった時の取り決めは事前に行っていた。この揺れている車内では、俺の腕ではピンポイントでの射撃を行うのは少し難しい。確実に仕留めるため、射撃の腕は文字通り人間以上のユイに、奴の腕を確実に撃ち抜いてもらう。
怯んだ隙に俺が女性乗務員を救出し、ユイが最後に締めの蹴りなり右ストレートなりを与える。狭い通路内では、これが限界だ。
「タイミングよく行けよ。俺が合図する」
『了解』
一々確認するまでもない。あとはタイミングを見計らうだけだ。
「何をこそこそしている? 無駄話は厳禁だぞ?」
「ああ、失礼。ちょっと車内が寒いなって思っててだな。こう見えても俺ら薄着なんだわ」
「冷房か。風邪に気を付けるんだな」
妙に心配りのあるクソ野郎なこったな。
「……ああ、それとだ」
「ん?」
しかし、そのあとの言葉に俺らの思惑は思いっきり外れてしまうこととなった。
「あまり、下手な行動をとらないほうがいい。貴様らの命もない」
「ほう、というと?」
そういうと、彼は人質に取っていた女性に対して、自分の来ているウインドブレーカーを捲り、その中を俺たちに見せるようにするよう命令した。半ば放心状態ともいえた女性は突然の命令に困惑していたが、大いに怯えながらも言われた通りに彼のウインドブレーカーをめくった。すでにチャックは開けられていたため、すぐに中を見ることができた。
……だが、
「―――ッ!?」
「な……、えッ!?」
俺たちは今度は素で驚愕した。今まではブラフのつもりだったが、こればっかりは隠し通すことはできなかった。
ジャンパーを捲り、シャツ一枚となったはずの彼の腹回りには……
「ひィッ……ば、爆弾ッ?」
人質になっていた女性は、まるで嫌いな虫を触ってしまった時のように、手に取っていたウインドブレーカーのチャック部分を放した。そのあとはずっと体を震えさせただけだった。
この車内にいた乗客も一気にざわつき始めた。すぐに男は静まるよういったため一瞬にして静かにはなったが、それでも動揺は隠せていない。
「お前……まさか、爆弾を!?」
確認がてらそう聞いたが、彼はそれを肯定した。そして、彼は再び女性に、自分のズボンの左ポケットにあるものを取り出すように言い、言う通り何かを取り出した女性からそれを左手で受け取った。その手には、ただのボールペンがある。
ボールペンのノック部分を親指で抑えながら、彼はまた女性を腕に抱えて抑え込む。そして、そのボールペンを持つ手を軽く前に差し出しながら言った。
「これはボールペン状に偽装した起爆装置だ。ここにある爆弾とは無線で繋がっていて、一発これを押せばドカンだ。……悪いが、目的が不本意な形で達成できなかった場合は、貴様らを巻き込ませてもらう」
「なッ……そ、そんな身勝手な真似を!」
「すべては自己責任だ。……だからこそ、我々の邪魔はしないでもらいたい」
「ッ……」
ふざけた真似を。身勝手な子供でもここまでのことはしないぞ。
さらに、彼は追加で言った。
「ただの爆弾だと思うなよ? この腹に抱えてあるのは高圧縮されたセムテックスだ」
「セムテックス!?」
セムテックス爆弾。私幌の件で嫌ってほど記憶してしまった、あの爆弾だ。思わず俺はユイと一瞬目を合わせてしまったが、ユイも僅かながらに動揺している様子だった。
「この爆弾が爆発すれば、この先頭車両など簡単に木端微塵にできる。時速何百キロと走っている新幹線が、大爆発を起こせば……どうなるかなど、わざわざ説明するまでもあるまい」
「てめぇ……ふざけた真似をッ!」
思わず冷静さを失い怒鳴ってしまった。すぐにユイが隣から『祥樹さん』と呼び止めてくれたことにより、それ以上の行動はしなかったが、それでも、こんなこと許されるわけがない。
今現在の速度は時速270km/h前後あたりだろう。そんな速度で走っている新幹線の先頭車両が、大爆発により脱線事故など起こそうものなら……、数十年前にあった新潟中越沖地震の時の『とき325号』脱線事故の時など比じゃないレベルの被害が出てしまう。
あれは運よく後部車両が脱線してくれた上、いくつもの構造的な幸運が重なり、そんでもって新幹線自身も壊れないよう必死に耐えてくれたことにより起きた、死者どころか負傷者すらでなかった、まさに奇跡中の奇跡の事故だ。
だが、今回の場合はそんな奇跡など起きてくれそうにもない。ましてや先頭車両だ。間違いなく死傷者の数は膨大になり、まさに新幹線始まって以来の大惨事になる。
この事態には、さすがに無線の向こうにいる本部もてんやわんやの大騒ぎとなった。和弥が話しているわけでもないのに、無線越しに大量の日との声が聞こえている。どれも、怒号だ。
『なんてこった……奴ら、目的が達成できなかった時点で新幹線丸ごと自滅しようって魂胆だったのか!』
和弥の声も焦燥感を露わにしたものだった。
『和弥さん、これどうします? 爆弾付きなんて聞いてないですよ』
『こっちだって聞いてないですぜユイさん。チッ、クソ……どうすりゃいいんだこんなの……』
和弥もすぐには手の打ちようがないようだった。爆弾抱えて、一歩でも動けば爆発されるようなそんな状況で、本部側の人間がやれることなど限られている。
「(……最初からすべてを巻き込むつもりだったのか)」
計画が失敗した段階で、すべてを無に喫するつもりか。バカみたいなこと考えやがって、そんなことに巻き込まれる身にもなれってんだ。
「……その探し物が見つからなかったってだけで、わざわざ爆破する必要あるのか? なかったらさっさとおいとますりゃいい話だろうが」
「そういうわけにもいかん。我々が見つけられなかっただけで、実は隠し持っていた可能性だってあるのでな。それが流れてしまってはマズイ。……念には念をだ」
「いらんところに念をかけられても困るんだよ」
探してるって事実が外部に流れてはマズイのか? それほど重要なのか、その探し物ってのは?
おたくら、最初SNSに「これは変革のためであって虐殺のためじゃない」って書いてただろうが……その変革がこれか。言動と行動が思いっきり180度逆の方向を向いてるわけだが、それすらわからないガキの頭だったってのかよ。
だが、そんな悠長なことなど考えている暇はなかった。
「(どうする……前には『あかつき96号』がいるし、後ろに今更引くわけにもいかない。どっちにもいけねえぞこんなの……)」
非常用手動ブレーキを使ったって、ただの時間稼ぎ以上にならない。常時マスコン最大でバンバン加速してる状態を想定してるわけでもないし、『あかつき96号』も速度を徐々におとしていっているだろう。今どんな状況だ? 向こうからの報告がまだない。
「(何とかして状況を打破しないと……)」
時間がなかった。俺たちは焦りをできる限り抑えつつも急いだ。
「その親指取ってくんないか? 今車内だって揺れてるし、いつ間違って押しちまうかヒヤヒヤしてたまらねんだよ」
「安心しろ。そんなときのためにこいつは力強く押さないとスイッチが入らない様になっている。間違って押してしまうほどゆるくはない」
「そうはいったってな? そういう風に大丈夫だって思ってるときが一番危ないんだって。一先ず離そうか?」
「ではまず拳銃から離そうか?」
「俺はいつでも離せるよ? でもまずはそっちから―――」
そんな形での押し問答が少し続いていた。その間、ユイも何か状況打開に使えそうなものがないか周囲を確認してはいたが、何もありそうにない。あるといったら狭い通路の脇にびっしり並ぶ座席と、ただの一般客のみ。当然使えたもんじゃない。
「だが、いつまでもここで何もせずいるってわけにもいかないだろ? そっちは一人で、こっちは二人だ。抑えようと思えば簡単に抑えれるんだ」
「フッ……一人か。はたしてそうかな?」
「あ? 何寝ぼけたこと言ってんだ? 人質のこと言ってるならそっちは最初から外してるからな? いずれにせよ、この現状のまま―――」
そんなことを言いつつ、周りに何かないものか、俺も俺で周囲を見渡していた時だった。
『―――ッ! や、ヤバいッ!』
いきなり和弥の声が聞こえた。驚愕と焦りが入り混じった声。そして、すぐに怒鳴り声が聞こえていた。
『おい! 後ろに注意しろ! 今そっちに―――』
「後ろ?」
俺はチラッと後ろを見やった。
だが、一歩ほど遅かった。
「―――え?」
ちょうど客室のドアが開いた。……が、その奥には、
「……な、なんで?」
俺は唖然とした。
そこには、目の前にいる男と同じコルトガバメントを持った男が一人、こちらに銃口を向けていたのだ。
「(なッ……乗客の中にいたグルは全部始末したはずじゃ!?)」
乗客に紛れていた奴らも、最初の銃撃戦で誘い込まれ、すべて仕留めたはずだった。だが、この工法にいる白いYシャツの男は、手元が震えてる様子であるとはいえ、間違いなく本物のコルトガバメントを持っている。……セーフティはここからだとよく見えない。が、こうして構えている以上、たぶん解除しているだろう。
『……和弥さん、車内にいるグル全部仕留めたって話だったんじゃ……』
ユイが和弥に対して聞いた。だが、和弥も咄嗟のことだったのか、少し言葉がたどたどしかった。
『あー、ど、どうやらその男は2号車の先頭の座席に潜んでいたらしい。たぶん、こんな時のために最後の最後のカードとして残していたんだろう。マズイぞ、ちょっとでも変な動きをしたり、先頭にいる男を撃とうものなら、後ろにいるその白Yシャツの奴から撃たれちまう。少なくとも、片方はただじゃ済まねぇ』
「おいおい……」
全部のカードを切ったわけじゃなかったのか。2号車の座席にいたのなら、そこからこの先頭車両の後部にくるのにそんな時間なんていらない。というより、数秒たらずで来れる。
……対処なんてできるわけがない。今更変に動こうものなら、後ろから何されるかわかったものでもなかった。
これじゃ、文字通りの八方ふさがりだ。どうとも動けなくなってしまった。
「……これで、“二人”だな」
「ッ……」
……なるほど。一人ということに含み笑いを浮かべたのはこれのことか。タイミングを見計らってたのかは知らんが、こうなってしまっては何もできない。
……クソッ、どうすりゃいい。
「(前の政府専用機みたいなことできないしな……)」
あの時は、彩夜さんがモールス信号に関しての知識があり、通路にユイが回し蹴りできるほどのスペースがあり、そして何より、その時対峙していたのは目の前にいる男一人だった。
だが、今はまるっきりその逆と言わざるを得ない。ただの一乗務員の彼女に、船舶で使うモールス信号の知識なんてあるとは思えないし、第一恐怖に駆られて落ち着いていない状態だ。足を使ってモールス伝えてもたぶん理解してくれないだろう。
そんでもって、通路も人二人が通れるのがやっとなほど狭い。飛び蹴りならまだしも、回し蹴りは無理。そして、後方に敵がもう一人……
……ヤバい。詰んだ。
「(畜生ッ、何か手立てはないか?)」
頭を回転させ打開策を考えるが……そこに、さらに追い打ちをかけるような無線が入る。
『マズイぞ、二人とも。そろそろ何とかしないと』
『今何とかしようとしてますが、何がマズイんです?』
ユイが少しイラつき気味に聞いたが、その答えは最悪のものだった。
『前方の『あかつき96号』が徐々に減速を始めた!』
「なッ?」
クソッ、モーターの限界か? 長時間ぶん回していたはずだから、とっくの昔に限界は通り越していたはずだ。無理もないか?
だが、モーターの面以前の問題だった。
『もうすぐ上野駅に差し掛かるんだ。今このあたりから減速かけないと危険なんだよ!』
『ええ!? もう上野駅ですか!?』
『そうだ。上野駅の前には90度の急カーブがある。それに備えて大体今あたりから減速かけないといけないんだよ。そろそろ止めないとマズイぞ!』
確かにそうだ。今の速度のままカーブを曲がろうったってそんな無茶な話はない。いくら車体制御が効いているからって、急カーブを曲がりきるなんて不可能だ。ましてや、今向こうは連結して17両編成だ。間違いなくぶっ倒れる。
こっちに追われるがまま逃げたってアウト。でも減速したらもっとアウト……詰んでるのは、向こうとて同じってことか。
『徐々に減速してきている。もう目の前まで迫ってるぞ』
『もう少し耐えるよう言えないんですか?』
『これでも耐えてるんだそうだ。だが、どれだけ頑張ってもここからは減速かけないと無理らしい』
『そんな……』
タイムリミット寸前か。今『あかつき96号』がどこにいるのかわからないが、最初ヘリから見た限りではそんなに離れてなかったはずだ。減速の速さによっては、もうすぐ目の前にいるだろう。
急いで止めなければ。だが、どうやってだ?
「(力づくったって、隙がないしな……)」
ちょっとでも動いたらお陀仏間違いなしな状況下で、どうやって止めろってんだ。策がこれっぽっちも思いつかない。
敵が前後二人。この二人が、同時に隙を作る状況ってなんだ? 何かに気を取られてる状態か?
何かに気を取られる……ねぇ。
「(……あれ、そういえばさっきアイツら『あかつき96号』の存在知ってるのか……?)」
そこに関して何の言及もなかった。確かめてみるか。
「あー、でもよ。このままずっとこの状態を保っててもマズイと思うぜ? 前方何もない進行方向をずっと行くと東京駅だろ? しかも行き止まり」
「ハハ、そうだな。タイムリミットはそこだが……どうする? そっちから離すか?」
「あー、どうしよっかねぇ……」
やっぱりだ。アイツら、『あかつき96号』の存在を知らないらしい。もとより、『あかつき96号』だって予定通りならもう少し遠くを進んでいて、さっさと退避しているはずだったのだ。むしろ、そこらへんの事情を知っている方がおかしいか。
となると、今『あかつき96号』がこっちに接近しているのも知らないはず……
……仕方がない。
「(……一か八かだ)」
これしかなかった。これで隙が作れれば、後はこっちでどうにかできる。いや、するしかない。
「ユイ、今から言うこと全部本部中継で『あかつき96号』に送れ」
『送るって、何を?』
超端的に、俺はユイに作戦を伝えた。たった数文。敵に聞こえないよう、最大限の配慮をしながらだった。
『……本気ですか? それ、下手すればそのまま脱線ですよ?』
「向こうの腕を信じるしかない。やれ」
『……了解』
少し不安はあれど、ユイはそう返答した。
閉口無線で和弥にも伝えられる。最初は反対的だった和弥も、「時間がない」の一言で押し切られた。早く伝えねば、こっちが持たない。
「(……うまくやってくれよ……)」
元より、モーターが限界通り越してもここまで突っ走らせられるほどの腕前の持ち主だ。何とかやってくれるだろう。
和弥の返答は割とすぐに来た。
『ユイさん、向こうから返答があった。何とかやってみるそうだ。細かな調整は任せてくれ。上空を監視中の敦見中尉と連携して何とかやってみる。カウントは5秒前からな』
『了解。……あとは、祈るだけですね』
ユイの言葉には小さく頷くだけだった。言葉に言葉を繋いで向こうとの会話の時間稼ぎはできている。適当に話を合わせつつ、前方のほうに注意がいかないように仕向けること自体は容易いことだ。
……後は、向こうの腕を信じるだけだった。
「(頼む……うまくいってくれ)」
そんなことを願いながら、男との会話を繋いでいた時だった。
『くるぞ。5秒前!』
「構え」
小さく呟くと同時に、俺とユイは手に持っていたハンドガンを改めて強く持ち、狙いを定める。ユイはハンドガンを下げ、そして俺は、逆に狙いを定める。
「ん? どうした。相方はもう下げたぞ。お前は?」
「いや、別に?」
『衝撃、備えろ!』
「ただ―――」
「祈ってるだけだ」
瞬間、
ッドシャン
「ぬぁッ!?」
「な、なんだ!?」
突然の衝撃。先頭方向に体が持って行かれる感覚を受け、俺とユイ以外の、この車両にいた全員が体勢を崩した。男二人も、突然の衝撃にバランスを崩しかける。
鉛玉を与える、隙ができた。
「やれ!」
先ほどの衝撃が残る中、照準を急いで定め直し、放った。
ハンドガンから放たれた一発は、男の右手に持っていたハンドガンに。そして、そこからすぐ隣にボールペン型の起爆装置を持つ左手にも、手首のほうに命中させ装置から手を放させる。女性はそのまま向かって右横に倒れていった。
同時に、ユイは瞬時に回れ右。真後ろにいる白Yシャツの敵に対して銃弾を喰らわせた。
一瞬の隙を突かれた敵はなすすべなく銃弾を浴び、後方に吹き飛ばされたらしいうめき声が聞こえてきた。
「ッいっつッ!」
一瞬、ユイが何かにあたったらしい声を漏らしていた。
……それを一瞬耳で聞き取りながら、
「うぉおおおおああああ!!!」
俺は全力で前方に飛び込み、落ちてきていたボールペン型に手を伸ばす。落下する寸前、空中でそれをキャッチした俺は、ノック部分が押し込まれていないことを確認し、ガッチリとその手で握ってホッと一安心した。
これで奴は自爆できない。ハンドガンもすぐに回収した。
「くッ、おのれぇ!!」
次の瞬間、まだ手を伸ばして倒れた状態だった俺に対して、思いっきり殴りかかろうとする男の姿を確認した。しまった、俺も俺で隙を見せたか!?
……しかし、そのさらに次の瞬間には、
「はァッ!」
その男の顔面には、物凄い速度で飛んできた足の裏が突っ込んでいた。うめき声を発するまでもなく、顔から後方に吹き飛ばされた男は、鼻から血を出しながら、完全に気を失ってしまった。
……当然、こんなことやらかすのはアイツだけである。
「……一瞬の隙が命取りですよ」
「肝に銘じます」
何かあった時の俺の相棒。さすがロボットだ。やることがちょっとおかしい。どうやら空手で使う中段前蹴りを顔面に喰らわせたらいい。それ、顔面じゃなくて胴体に与えるわざだったはずじゃ……。
「よし、こっちはオーケーだ。いくぞ!」
「了解」
とにかく、敵はすべて一掃した。グランクラスの人にはこのまま待つように言い、俺たちはすぐに戦闘の運転席に向かい駆け出す。
先頭側のデッキに出ると、運転席のほうに繋がる扉があったが、そちらは爆破されていた。どうやら強引にこじ開けたらしい。
そこを通過して、運転席の中に入る。
「急ぐぞ。さっさとマスコン閉じてブレーキを―――」
そう指示を出しつつ、前方を見た時だった。
「―――げぇッ!?」
俺は思わずそんな声を出した。
前方。運転席の窓越しに見えたのは……
「も、もうこんな近くに!?」
俺たちのすぐ目の前を走っている、『あかつき96号』の最後尾だった…………




