出会い1
[同日 PM17:40 日本国千葉県船橋市 習志野駐屯地内兵員隊舎]
そしてその日の午後、というか、夕方に時間はとぶ。
外はすでにほぼ真っ暗で、今日は午後から雲が多かったことから、すでに陽は見えなくなり、光も届かなくなっていた。
……そんな夕方の候。一応下士官軍人ゆえ、集団での営内居住をしている俺は何をしてるかというと……
「……グテー……」
そんな、これといった意味もなく、誰に向けたわけでもないつぶやきをしながら、ソファにもたれかかっていた。
俺は食堂でさっさと飯を食い終えると、そのままその足で兵員隊舎に戻り風呂に直行、そしてホカホカの体で休息所でソファに座って、グテーと背もたれの上に両腕と後頭部を乗せてもたれかかっている。
顔面にはシャワーを浴びた後の少し冷たく濡れたタオルがあり、それを横に長くかけて上を向いたまま動かない。傍から見ればまるで屍である。
これもすべて、あの日中の訓練のせいだ……。
結局、あの日中の訓練は、午前と午後に分かれてやるという、まさに訓練尽くしの日程で行われたわけだが、それでも俺はやっぱり試験的に隊長としてやらされた。それはまだいい。
だが、その訓練中に状況が動くにしたがって、こっちも多方面に動くので大変だった。午後の中身は午前のモノ異常に忙しかったのだ。
援軍ヘリでまた遅延発生、上空から機銃掃射、その他銃撃戦……、数え上げたらきりがない。
その結果、この疲労困憊である。とにかく疲れた。
風呂でとり切れなかった疲れとかを取っ払った後は、さっさと部屋に戻って就寝時間前ではあるけどちょっとの間寝ることにする。
いつもなら、部屋に戻った後はそこそこ勉強して、就寝時刻までの余った時間を趣味の読書なりTV鑑賞なりPCなりに当てるわけだが、今日はそんなことをしてる余裕はない。就寝時間前がなんだ。点呼の時間まではもうさっさと寝る。
あと少しここで休んだら……。と、そんなことを考えていた時だった。
「ほれ」
「ぅ……」
唐突に俺の左の頬に何かが当たる感触を覚えた。
ざらざらした紙っぽいものだが、なんだこれは? しかも妙に熱い。淹れたての飲物かと思った。
俺は顔面上半分にかけていたタオルを少し下にめくり、目だけを少し出す。
途端に明るい光とともに白い天井が見え、その明光を受けて少し目にしわを寄せた。その左隣には、また一人の人影と、その右手には紙コップがあった。
「……あぁ、和弥か」
「相当お疲れのようだな、祥樹?」
和弥だった。いつもの親友の顔が俺の左側に見える。
よく見れば左手にも同じ紙コップが見える。となると、おそらく差し入れか。こいつにしては珍しい。湯気も立ってるし、にわかに漂う豆のにおいからして、おそらくインスタントのコーヒーだろう。
「ほれ、差し入れ」
「あぁ、サンキュ」
俺はとりあえずタオルをとって体の上半身起き上がらせ、そのコーヒーの入った紙コップを受け取った。
目覚まし代わりに一口。といっても、本当はこの後ちょっと寝る予定だったのだが、まあこの際別にいいだろう。せっかくの差し入れである。
少し苦めのコーヒーを互いに一口ほど飲むと、和弥が言い出した。
「相当疲労困憊してるな。臨時隊長お疲れさん」
「ん。……ほんと、今日は疲れた」
そんなことを吐き捨て、また一口コーヒーを入れた。
「だが、それでも結構いい線いってたじゃないか。訓練後のAARでも、そこそこいい評価受けてたろ。新人の下士官にしては、結構いい判断してたって」
そう和弥は立ちっぱなしで上から見下ろして言った。
AAR。『アフター・アクション・レビュー』の略称で、まあいわば訓練後の反省会。ここで訓練相手となったFTC(訓練評価部隊)からのアドバイス等を受け、今後の評価に役立てるわけだ。
今回も例によって例の如く、FTCの皆さんがわざわざ習志野まで出張ってくれて、直々に俺たちのお相手をしてくれた。向こうにも、一応俺が今回試験的に隊長やるということは伝わってたらしく、それに関する評価もしれくれたんだが、案外、ウケはよかった。
和弥が言っているのはそういうことだ。
しかし、俺は左手をふらふらさせていった。
「いやいや、まだまだだろ。向こうはああいってたけど、途中で焦ってたし、立て続けに来る状況に対応しきれずに、結果的に判断に少なからず迷いがあったし……、まだまだ、学ぶところはあるよ」
「はは、相変わらずご謙遜だなぁ……。少しは自信持ったらどうだ?」
「ただの妥当な自己判断だろ? ……別に謙遜もクソもねぇよ」
「ハイハイ、さいですか」
俺は思わず顔をしかめて口を少し尖らせた。
あんまり真面目に聞いてないだろこいつ、と言いたくなるほど表情が軽い。
そんなことを思いつつまた一口コーヒーを喉へ通す。少し時間が経って、ほんの少しぬるくなったコーヒーを飲むと、大体残り残量は半分よりちょい下となった。
すると、和弥が思い出したように言う。
「あぁ、そうそう。そういやお前に伝言があったんだわ」
「伝言?」
「そそ。伝言伝言」
和弥が思い出したようにそう言っていた。
こんな時間に伝言か? 出来れば、面倒事は後にしたい気分だ。今の俺はとんでもなく疲労がたまってるから、後で即行で布団に突撃したい気分であって……。
そんな愚痴を心の中でしつつ、少しうんざりした様子で聞いた。
「なんだよ、その伝言って。誰かが俺をお呼びかなんかか?」
「ああ。……実はな、団長がお前を呼んでる」
「……は?」
俺は思わずもう一口飲もうとしていたコーヒーの手が止まった。
そして怪訝な顔で和弥を見るが、和弥はまた繰り返し復唱した。
「だから、団長がお前を呼んでるって言ってんの。お前を」
「……はぁ?」
俺は少しため息交じりにそう吐き捨てた。
……なんだって団長が俺を呼んでるんだろうか。ただの一介の下士官軍人を直接呼び出すとは、中々珍しいこともあったもんだ。
しかし、なんだっていきなり団長に呼ばれなきゃならないんだ。しかもこのタイミングである。めんどくさいことこの上ない。
思わず重いため息をつきながら言った。
「……なんだっていきなり呼ばれなきゃならねえんだよ。理由は?」
「さあな。俺はただ副長がお前を呼ぼうとしてた伝言内容を引き継いだだけだからなぁ。お前、また何かやらかしたんじゃねえの?」
「またってなんだよまたって」
「まあまあ。とにかく、あんまり待たすと面倒だからさっさと行ったほうがいいぞ。急ぎの用だから、できるだけ早く来いってさ。……つっても、服装は変えたほうがいいだろうがな。あ、そのコーヒーは目覚ましような」
「ああ……、これってそういう」
なるほど。どうりで気が利くなと思ったら、そんな意図があったわけか。理解した。
そんなことを考えると、また少し大きめのため息をついた。
「……ったく、このままベットインしようと思ってたのに、いったい何の用なんだよ……」
「団長が直々に呼ぶくらいだし、一番可能性のある事案って言ったら、やっぱり例の来週新設される部隊関連か? お前が隊長やるかもしんねえってやつ」
「でも、仮にそうだとしても、わざわざ団長が出る幕でもないだろ。試験評価担当の羽鳥さんあたりが、結果を令達して終わりじゃねえの?」
「さあな。ま、行けばわかるだろ、行けば」
「はぁ……めんどくせぇ……」
そういって頭をガシガシとかいた。
せっかくの休息の時間がまたつぶれるんか……。しかも、今すぐに着替えねばならんとか。さすがにこんなジャー戦の格好ではいけないしな。
とりあえず、すぐにソファから起き上がってコーヒーを急いで飲み干す。 そのまま少し移動して、さっきまで俺たちが飲んでたインスタントコーヒーも入ってる、ソーダファウンテンの横にあるゴミ箱に紙コップを捨て、近くにある鏡で、とりあえず髪を簡単に整える。
……その過程で、また話がずれる。
「あ、そういえば、お前が前に依頼してたAIシステム工学の情報なんだけどさ」
「―――? ……なんだそれ?」
「おいおい、忘れたのか? 先週日本のAIシステム工学の研究状況、追加で調べといてくれって言ってたろうに。クライアントが忘れてどうするんだよ」
「……あー、んだんだ」
俺は思いだしたように地元弁で言った。変なところで津軽弁が出てしまうのは昔からの癖だった。それは今も直っていない。直す気もないが。
「んで、もう結果でたのか?」
「雑誌とかネット、その他諸々のルートで調べまくったよ。まあ、結果としては、商業は順調ってところだ。いつもながら、情報の信憑性は保障するぜ」
「ん、そうか」
今回もしっかり依頼を達成してくれたようでなによりだ。
簡潔にまとめたこいつの話によれば、どうやらAIシステム工学の研究は順調に進んでて、それをもとにした商業販売も順調に事が進んでるらしい。
日本発の新型のAIアーキテクチャをもとにした人工知能と、それをベースに構成した基本OSは、ロボット搭載タイプの基本OSの市場シェアの大半を手中に入れている。今では、世界の企業も巻き込んでロボット関連業界を撹拌しているらしい。
さらにそれによって、元より高い信頼性を売りにしていたこともあり、純日本製のロボットが世界各国に輸出されるなりライセンス生産されるなりで、その分野の技術開発や生産面でトップを突っ走っているのが現状だ。後追いのアメリカをある程度引き離している。
これも日本政府が技術漏洩などで働きかけてくれたおかげだが、もっと早い段階でこうしてれば苦労しなかったのに、と俺はさりげなく思った。
……と、聞くだけでも俺の依頼していた内容の大部分を聞けたどころか、他の方面の情報もしっかり聞けた。これが、普段のこいつの姿だ。
こいつはさっきも言ったように、昔から続いているそこそこ有名どころの斯波家の家系を引き継いでおり、それの関係で、いろんな方面に友人やら知り合いやらなんやらがいっぱいいる。
日本の軍部や政治関係からスーパーの安売り情報まで、何でも扱っている。俺たちにとっては情報の窓口同然だ。しかも、無料なのだ。
「……しかし、日本もまぁ一気にロボットを普及させてしまったわな」
「ほんとな。今じゃロボットが当たり前だ。数十年前は研究施設に1体あれば貴重だったんだぜ?」
「まったくだ。時が流れるってのは早いもんよ……」
そんな昔を思い出す。
今の世界は、すでに人型ロボットが大量に普及した、少し前に想像されたSF世界のような状況になりつつある。
元は十数年前より世界的に激化し始めたテロ活動の活発化に伴い、今後予測される民間世帯での人的被害の発生を嫌い、「民間分野での人間の代替戦力」みたいなものを世間が求めた結果、人間にとって代わって作業等を行う人型の汎用ロボットの需要が大幅に増えていったことに端を発する。
テロが、このSF世界の実現を誘発するという、何とも皮肉めいたことが起きたわけである。
これが、約10年ほど前のこと。
時の日本政府では、これを先見的な好機と捉えた。
この時期からすでにそういった人型ロボットの需要も伸び始めたことを受け、衰退的な日本経済の打開を願ってロボット工学の技術支援や資金援助などといった政府支援を加速させた。
これがロボット開発部門の研究開発速度の増速を誘発させ、各企業による将来的な商業調査や、日本全国の各ロボット工学関連大学、その分野の研究機関などと合同で各々で研究開発に乗り出し始めていった。
これは、事実、今となってはいい結果を出し始めている。
これらの政策などによって、世界に先駆けてロボット技術の商業展開に意欲的に取り組んだ日本のロボット工学技術は高いレベルに達した。
そして、ついに数年前、日本産業の中核企業の一つである『桜菱重工業』が、初めて商業に出せるレベルになった次世代の汎用人型作業ロボットを完成させ、世界で初めて市場に展開させることに成功した。世界に先駆けてロボットの商業展開の調査に乗り出していたこともあり、見事に世界的に大ヒットさせることに成功した。
これは工場などで働く汎用タイプであり、搭載OSの必要情報さえ調節・登録すれば、基本なんでもできる優れものとなっている。これは、少子化の問題などで人手を必要とした世界各国、特に先進国の各工場に歓迎された。
その先進国の中でも特に少子化の問題などで極度な労働力不足に陥っていた日本にとっては、これはいわば救世主のような存在であり、これもまた各工場で歓迎された。
世界初の試みであったために、やはり一部では初期不良はあったにせよ、比較的許容範囲内で事は済み、その高い汎用性から、世界からの受注が相次いだ。
そこからは、日本の半ば独壇場となった。桜菱重工に続いて、日本の各企業でも様々なタイプのロボットができ始め、今では民間の作業用や警備用から、軍用の警備用や訓練用まで、その種類やジャンルは多岐に渡る。
世界もこれに同調してロボット開発を推し進めたが、一歩先を行く日本にはかなわなかった。ロボット推進政策自体は後れを取っていたはずの日本が、最終的にいち早く商業展開に乗り出し、世界を追い越し見事に成功させた事実は、必然的に日本のロボット工学技術と感心の高さを裏付けることとなった。
かくして日本は、少々遅れたにせよこの先見的な読みでいち早くロボット産業に目を付けたことにより、今ではこの分野では世界で先頭を突っ切る存在として名をはせていくことになった。
……と、そんな感じの会話を互いに思い出しながらしているうちに、身だしなみ等のスタンバイも完了。
とりあえず自室に行って完全制服姿にしたのち、さっさとことは終わらせてこねばならない。
「よし、んじゃ、ちょっと行ってくる。……あ、このタオルよろしく」
「あいよ。いってら~」
和弥に持っていたタオルを託し、とりあえずこの場を後にし、さっさと着替えて団長が待っているであろう団長室に向かうことにした。
「……なんだって俺なんだ……?」
俺はそんな疑問を小さくつぶやいた。
ところ変わって、習志野駐屯地内第1空挺団本部の2階。
自室で即行で制服にとっかえて来た。今はまだ冬服期間なので第1種冬服である。
最近大幅新調されたこの団隊舎の廊下は、今は白いLEDライトに照らされている。廊下を少しわたると、左隣にある部屋のドアが視界に入り、そこには『団長室』と黒い明朝体で書かれた白いプレートが横向きに取り付けられている。
文字通り、団長の部屋だ。
いざ部屋の前に来るとなるとやはり緊張する。団長と面と向かって話すことさえ、今回が初めてだ。
念のため、また髪と服装の確認。念には念を。やっておいて損はない。
そして、一つ咳払いをした後、ドアを二回ノックする。
「入れ」
中から返事が聞こえた。やはりすでにいるらしい。
それを確認すると、「失礼します」と威勢のいい声と共に中にお邪魔した。
中に入ると、そこそこ広い室内の中に、真ん中に木製のセンターテーブルと、その間を挟むよに黒いソファ、そして奥に団長が座る用らしい一人用のソファ。どっちも同じ種類らしい。
その周りには本棚があったり、壁の上には歴代団長の写真が立てかけてあったり、そして小さな棚の上に花瓶花が立てかけられていたりした。ところどころには何らかの表彰状まである。
……そして、その奥には日本国旗と団旗、陸軍総隊旗が立てかけられ、団長の机と……
「……ん、きたか」
この、第1空挺団と習志野駐屯地の長である『鈴鹿潤一郎』少将がいた。
俺が来るのを待ち構えていたかの如く、机のイスの後ろにある窓から外を眺めているところを、こっちに体ごと振り返ってそう言った。
まだまだ現役時代に鍛え上げられた体は健在で、とてももうすぐ50を迎えようとするお年頃には見えなかった。かつては、とある部隊の隊長として前線指揮で大活躍していたらしい。
かつて彼が指揮していた部隊には新澤さんも所属しており、彼の部隊は、当時空挺団の中でも随一の錬度を誇っていたらしい。当時の彼は、今とは比べ物にならないほど厳しい人だったようだが、俺がここに入団したときに聞いた彼の訓示からは、そんな雰囲気は微塵も感じなかった。新澤さん曰く、どうやらあれは団長になったことによって意識を改めた結果なだけらしい。新澤さんも、空挺団初の女性団員とか関係なく結構しごかれたとか。
……彼を見ているとにわかに疑うが、しかしまあ、当事者が言うんだから間違いないだろう。
俺は改めて気をつけの姿勢を整えた。
「篠山祥樹曹長、団長の召喚命令を受け、ただいま到着しました」
敬礼と共にそういうと、団長も返礼で返した。
「うむ。よく来てくれた。まあ、座ってくれ」
「ハッ。失礼します」
俺は扉を閉めるとともに、とりあえず近くにあるソファに座ろうとした。
……すると、団長から不意に声をかけられる。
「ちょっと待っててくれ。今コーヒーを淹れよう」
「え? あ、いえ、そんなお気になさらず」
「気にするな。今回は少し話が長くなるのでな。まあ、私が直に淹れよう」
「は、はぁ……」
そう言いつつ、しぶしぶといった感じでソファに腰かけた。団長なりの気づかいだろう。さっきコーヒーを飲んできたのだが、まあこの際別にいい。
話が長くなる、というところに少し疑問を感じたが、それを考えているうちにすぐに団長が自分のも併せて二人分のコーヒーが入ったカップと、おかわり分のコーヒーが入ったポットをもってきて、俺にカップを一個差し出した。
俺はそれを受け取ると、団長がまず一口自分のを飲みだした。
俺もそれに続いて一口。やはり、これも苦い。
互いに一口飲み終えると、団長がさっそく切り出した。
「いやぁ、すまないね。いきなり呼び出してしまって」
「いえいえ、お気になさらず。僕も、ちょうど暇していたところです」
そう愛想よく言うが、もちろん、これはただの社交辞令である。
本音は、暇はしていたにしろこの後即行で寝る予定だったのだ。寝て疲労をとるという仕事が残ってたのである。正直、今もちょっと眠い。コーヒーだけでは疲労は取れないようである。
しかし、団長はそんな俺の本音など意に介さず、「ハハハッ」と軽く笑っていた。少々複雑な心境である。
「しかし、すいません。着替えの時間をとらせてしまいまして」
「はは、いや、今はいいんだ。とにかく、少し急いでもらいたかったからね」
「はぁ……」
まあ、本人が言っているなら別にいいんだが、それほど急ぎの用っていったい何だろうか。本人の様子なら、俺のその急ぎは何とか間に合ったようではあるが、なに、今から何か来るのだろうか?
まあ、前置きはいい。さっさと本題に入る。
「それで、今回お呼びしたのは何用で?」
団長は「うむ……」と一言置きつつ、またコーヒーを飲んだ後おかわりを入れつつ言った。
「いや、別にそんな大層なことではない……。と、言いたいんだがそうもいかなくてな」
「―――?」さっぱり意味は分からなかったが、団長はかまわず続けた。
「ここで話したいのは二つあってな。一つは二つ目に話す本命のほうなんだが、まあ、一つ目のほうも、それ関連でついでに言っておきたくてな」
「ついでですか……」
ついでね。本命の二つ目が少し気になりはするが、お楽しみは後にしてまずは前菜ってことか。
……つってもどうせ、
「うむ。まあ……、例の、来週新設の部隊の件についてなんだが」
「あー……、はい」
あまりにも予想通り過ぎた解答が返ってくる。
「まあ、ある程度は予想していたかな?」
「んー、まあ、大体、話題に上がる可能性が高いのはこれくらいしかないので」
「はは、まあな。……それで、君に隊長をしてもらうかもしれないという件についてなんだが」
「はい……」
すると団長は少し目を細めた。
「……どうだ、やってみる気はないか? 今日の訓練も、成績は結構良好だと聞いているし、報告も受けてるんだが……」
「……」
やはり、そんな質問が来るだろうとは予測していたが、俺はまた悩んでしまった。
まだ、自分の中で答えが出てない。すぐにオーケーとか、正直いえる状態ではなかった。
別に来週新設だから、まだギリギリ今日は答え保留にできなくはないが、こうせかすということは、おそらく大本はもう決まっているとみるべきだろう。俺の知らないうちに勝手に話進めおって……。
「しかし、来週までですよね? そうすぐに決めろと言われてもさすがに……」
「それは、もちろん承知している。しかし、上の連中も結構急いでるようでね。なんせ、今の世界情勢がこんな状態なんだ。とにかく、相手方が動いてくる前に、できる限りのことはしておきたいという心算だろう」
「ずいぶんと焦ってますね……。この計画持ち上がったのって、確か、たったの半年前ですよね?」
「まあな……。しかし、相手が相手だからな。焦るのも無理はない。たった十年で、世界は大きく変わってしまったし、それに合わせるのに、政治家連中も相当苦労しているんだろう。悪いが、あいつらを責めんでやってくれ」
「はぁ……」
しかし、そう考えると団長の言ってることも間違いではないし、上が急ぐのも無理はないだろうとも思う。
実際、たった十年で、世界の情勢は大きな変化を見せていた。
十年前。
ある、一つの戦争が起きたことから、その変化は起こった。
『中亜戦争』
後に、人々はそう呼んだ。
旧北朝鮮の南進、米軍主導の連合軍の反攻による崩壊と、それによる近隣領土問題の早期解決の実現など、アジアが大きな変化を見せていた頃、中国は国家始まって以来の危機を迎えていた。
元は、中国製品の信頼性低下と労働者賃金の増加によって外資系企業や工場の大規模撤退が発生したことを起因として、国家始まって以来の中国版バブル崩壊ともいうべき経済危機によって疲弊したことによって起きた“予防戦争”だった。
当時の政権転覆の危機だった共産党政権が起こした、軍事戦略的には明らかにタブーな戦争。他国を一気に攻撃し、うまく講和にもっていかせ、中国有利な条件を呑ませて半ば傀儡的な政権を樹立させることを目的としていたものだった。
初期の頃は弾道ミサイル攻撃に始まる物量侵攻作戦で、日本の沖縄をはじめとして多くの被害をしいらせることに成功した中国軍だったが、しかし、長くは続かなかった。
その後米軍第7艦隊などと協力して奪還。さらに、激戦地となっていた台湾方面にも戦略的事情などの理由で派兵し支援を行い、終盤、中国から半ば自暴自棄とも取れる状態で行われた核攻撃も無事阻止することに成功し、その時点で戦局はほぼ完全に一変した。
台湾本土にて総司令部が陥落した段階で、中国はアメリカ政府が発表していた降伏勧告を受理した。
このとき、共産党では戦争強硬派が主席を抑えて暴走を起こしていたが、最終的には内部で抗争が起きて自滅するという哀れな最後を迎えていたことがのちに発覚する。
こうして終戦を迎えたこの戦争は、その後の中国の民主化や、各国の復興などに労力が費やされることとなった。
これら一連の出来事によって自衛隊も改組された。自衛隊は国防軍に正式に格上げされ、憲法上初の国軍を日本は保有するに至った。
軍としての役割等も確立され、日本の国防に関しても十分な体制が出来上がっていった。アジアでの懸念事項が解決し、東アジアでの懸念点はほとんど払拭することができたことで、この地域でやっと平和らしい平和が訪れると思われた。
……が、またほかの懸念が、今度は世界規模にも発展して起こることになった。
『世界規模でのテロ活動の活発化』
“国家間の戦争は中亜戦争でもう終わった”とまで言わしめたこれは、当時中東などの方面が主だったものが世界規模にまで発展した。
従来の組織のほかに、新たに中亜戦争や朝鮮戦争などで敗戦によって発生した旧北朝鮮・旧中国共産党勢力派も加わった結果、世界はテロによって半ば混乱に陥った。日本国内でも、重武装化した暴力団や新左派勢力などの武装集団の徘徊が問題となり、対応が若干後手後手に回っている。
このとき、一番率先して動くはずのアメリカは、先の中亜戦争時、東南アジアに進出させていた企業がその中国の攻撃で大打撃を受けたことによって軍事削減の方針に転換しその力を大きく失っている。満足に動ける状態ではなく、対応はそれぞれの国に丸投げの状態であった。
それに伴い在日米軍も大幅に撤退させられており、いま日本にいるのは海軍の第7艦隊の一部だけとなっている。日本だけでなく、世界各国でアメリカの軍事撤退によって影響力が少なくなり、世界的な軍事改変が行われている。
同時に、日本で行われているのが、軍事戦略体勢の対テロ特化変換なのだが、それの一つが、どうやらこれらしい。
それによって新設される部隊の一つに、俺が隊長としてあてがわれるかもしれないということなのだ。
「……まあ、最終的には君の意思を尊重するつもりだが、ぜひ君にだな……」
「それにしても、なんで僕なんですか? 別に、ほかにも適任なのがいると思いますが……新澤さんとか、一番じゃないですか」
「それがな……。その、あいつ本人の推薦もあるんだよ」
「え!?」
予想外の言葉に思わず驚きを隠せなかった。
「まあ、詳しくは本人に聞いてくれとしか言えんのだが……。何でも、自分より部隊指揮能力は素質も実力も君が上だと認識しているようで、事実、あいつは一般曹候補生での成績は微妙でな。その点、君の成績は抜群だ。それは先の訓練を見てもわかるし……。あながち、彼女の考察も間違ったものではないんだよ」
「それはわかりますけど……」
そうはいっても、それはあくまで成績の面であって、実戦経験とかも出てくるこの役目となると、やっぱり実戦を経験した新澤さんも負けてない気がするのではと思った。というか、その彼女が一般曹候補生での成績がどうのって話も、あくまで当時の話で、今はさらに学んで文句なしの指揮能力を持つにまで至ってるって俺は見てるんだが、はて、それはどうなんだろうか……。
「それに、あいつ自身があんまり乗り気じゃないからな。俺だから大体わかる」
「あぁ、そういえば団長は10年前の戦争で……」
「うむ。あいつはあの時は部下だった。中々、女にしてはタフな野郎でな……」
少し懐かしむようにそう言った。
タフな野郎ね。そうだな。タフだな。いったいどこの誰のせいかはもう一々考えるまでもないが。
「それに、羽鳥の奴からも結構いい評価を受けているらしいじゃないか。俺の手元にある報告を見る限りでも、そんな声を上げる理由もわかる。……あいつは、こういう試験云々に関しては俺以上にうるさいからな。あいつがここまで推すんだ。自信は持っていい」
「―――? 羽鳥さんと何か関係ありましたっけ?」
「ありゃ、言ってなかったか。俺、あの例の10年前の戦争の時、新澤を部下にしていたとは言ったろ? あの部隊の副隊長をしてたんだぞ?」
「え!? ほんとですか!?」
「あれ、初耳か?」
「思いっきり初耳情報です」
「あ~れ、そうだったか……。あいつ、あんまりそういうの進んで言わないタイプだったか……」
と、とぼけたように頭をポリポリかいている。
さりげなく初耳の情報だったが、どうりで羽鳥さんと団長が仲いいと思った。そりゃ、かつての戦友なら仲もよくなるだろう。俺はそういったリアルの戦争を戦ったわけではないのでよくはわからないが。
「まあ、今はそれはいいや。とにかく、できればいい返事を希望するし、予定としてもそっちの方向で進めてはいるのだが、最終的には君の判断だ。できれば、早めの返事を頼む」
「はい。それはもちろん」
とはいえ、やはりすぐに返事というのは難しい。少し、ほかの奴らにも相談をしてみることにしよう。和弥もそうだし、あと新澤さんにもこの推薦の件に関して問いただす必要もある。さて、どうしてやろうか、どう問いただしてやろうか。あらぬ想像をしてしまうあたり、やはり俺も男性である。
……と、そうだそうだ。
「……それで、一つ目はまあこれでいいとして、この件と関係する二つ目っていったい何なんですか?」
そうそう。まだ二つ目の件もあった。まだ話は終わってないわけで。むしろ、そっちが本命だから前菜がちょっと長引いたな。
団長も思い出したように「あぁ」と小さくうなづきながら声を上げた。
「そうそう、そっちの話なんだがな……。なに、お前にちょっと頼みごとがな」
「頼みごと?」
これはまた若干予想外の言葉に少し驚く、というか疑問を抱いた。
一つ目のあれに関連する頼みごとってなんだ? こっちはさっぱり予想がつかないんだが……。
「うむ。こればっかりは素質や適性云々の問題があってな、それをかんがみて、どう考えてもお前にしか頼めそうにない事案で……」
「……俺だけにしか頼めないと?」
「まあ……、現状、“彼”の意向もあって、それが一番と私も考えているのだが……」
「か、彼?」
なんのことかさっぱりだ。
俺が適性とか素質があってる頼み事で、俺が一番だと推す“彼”? 意味深なキーワードが出てきたもんである。そんな回し言葉はいいからさっさと本題言ってくれ。
「うむ。もうすぐここに来るはずなんだが……」
と、ちょうどそんなことを言っていた時だった。
「ん?」
途端にドアがノックされた。唐突なので思わずドアのほうを向いてしまったが、団長はそれを聞いて「待ってました」と言わんばかりに表情を少し明るくさせた。
どうやら、その彼とやらがご到着なさったらしい。
「おぉ、きたきた。ちょっと待っててくれ」
団長はそのままコーヒーカップをおいて立ち上がり、迎えに上がるためにドアのほうへ向かった。
俺は一応そのまま座ってドアのほうを見続けていたが、団長がドアを開けて軽く一礼しつつ、右手をこの室内に差し出して「どうぞ」と入室を促すと、そのドアの外で待っていた“彼”が入ってきた。
「―――ッ!?」
俺は思わずその彼の正体に驚愕し、唖然とした顔で思わず立ち上がって彼を凝視した。
入室した彼の姿は、ボサボサした白毛生やし始めた、少し背の低くてその上から白衣を着、そして足腰を抑えるために杖を突いている、如何にもどこにでもいそうな科学者系の老人の男性であったが、彼も俺の姿を確認するとにこやかに笑って返していた。
俺はそれに一瞬なにも返すことはできなかったが、
「……あ……」
その、彼のほうを向いて表情を一切変えず思わず叫んでしまった。
「あ、海部田の爺さん!?」
そこに来た彼は、
俺自身にとっても、とてもゆかりのある人物だったのだ…………