休めない休日 2
―――その男は、視線のみをこちらに向けていた。
俺たちが見ていることに気づいた様子はない。こっちもこっちで、向こうにバレないよう時折目線を下ろしながらな上、その目線も、極力一直線に向けないようある程度ずらしている。
そのハンサムな顔立ちの男は、何も言うこともなく、ただただこちらを見ていた。目線のみ。
喫茶店なのにコーヒーなり紅茶なりを飲むわけでもなく、軽食を取るわけでもなく。ただただ読書にいそしんでいた。小さめの小説に見える。今時タブレットでないというのも珍しい。
さっきから何度か店員に注文をさりげなく進められるが、無表情のままそっけなく返してそれを拒否しているようだった。何も口にしないのに、ただただ読書するだけ。
……なんだなんだ、読書するだけならそこら近所の公園なりですればいいものを、なんだってこんなところで。しかも俺たちをガン見と来た。
いらなく視線を感じるというのはあまり気分のいいものではない。本音事情を聴きに行きたいが、こんな真昼間からそんなことできるわけもなく。こっちもこっちで視線を返そうものならそれはそれで向こうに悪い。
……嫌な感じである。さっきから、ずっとこっちを見てる理由が思いつかん。
「なんかガン見されてるなぁ俺たち……」
「だな。というか、アイツ、さっきもこっち見てたような……」
「マジで?」
和弥が小さく聞き返した。
和弥がトイレがてらコーヒーのおかわりをしに行ったときも、あの男は俺のほうを見ていた。何の理由もなく。こっちの視線に気づくとすぐに読書に戻ったが、またこうしてみている。
……よくわからない男である。和弥はにわかに不審そうな顔をして聞いてきた。
「なぁ、アイツお前の知り合いだったりするのか?」
「んなわけねえだろ、あんなハンサム男の知り合いいねえぞ俺に。むしろお前の知り合いだったりしね?」
コイツ顔広いから結構ありえそうな気もする。
「悪いけど、確かにハンサムな顔した知り合いはいないことはないが、あんな顔立ちの奴はいねえよ。見たことすらない」
「だが、お前情報屋やってるだけあって結構顔広いんだろ? その中に紛れてたりしないのか?」
「いや、それはない。その情報を交換し合ってる人の顔は全部頭の中で覚えてる。その中にアイツみたいな顔立ちをした奴はいない。断言してもいい」
「マジかよ……」
大量の情報を溜め込むことができる高性能な和弥の記憶能力だ。忘れた、なんてことはあまり考えられない以上、その言葉に嘘はないのだろう。事実、その言葉自体は「間違いなんてありえない」と言わんばかりに自信満々だった。
……とすると、アイツは一体誰だ? ただ単に俺らを見てるだけなのか? それはそれで怖いなおい。
「あれか? 小さい頃出会ってたけど俺たちが忘れてるってだけ?」
「あー、ありえそうだな。小学校ないし幼稚園の時にいたけどすっかり俺たちが忘れちゃってたってパターンな。でもそんな小さい頃の友人の顔なんて覚えてるか?」
「んにゃ、まったく。俺が精々覚えてるのだって、小さい頃に幼稚園と小学校一緒だったが途中で引っ越した女子くらいのもんだが、ありゃほんとに小さい頃の話だし、たぶん今は互いに顔立ちとか結構変わってて誰が誰だかわかんねえと思うわ」
「同感だ。俺もそういうのは全然覚えてない。そして、それはたぶん向こうも同じだろう」
「仮にアイツがその友人の類だとしたら、こんなチラチラ見ずにさっさと声かけるよな?」
「だな。無駄に相手を刺激するよりはさっさとそうするはずだ。……アイツ、何考えてんだ?」
和弥が真剣な表情で考え込み始めた。
時たま、相手にバレないように慎重に目線をそのハンサム男に向けるが、たまに読書に視線を落としはすれど、ほとんどこっちに目線を向けている。おいおい、そんなに見つめすぎてるとそろそろストーカー疑惑かけられるぞ。
「あんな顔立ちして、実はホモだったりするのか?」
そんな冗談を和弥がかます。
「おいおい、俺にそんな趣味はねえぞ」
「俺もだよ。ったく、あまり気分のいいもんじゃないな。俺たちが一体何したってんだ」
そんなことを話しているうちにも、彼は時折こちらを見ては読書をし、そしてまた見ては読書をしを繰り返していた。
念のため、視線から見て他に彼がみそうなものを探してみたものの、あまり目ぼしいものはなかった。その先にあるのは何個かのテーブルにイス。そしてそれらのうちいくつかに座っている客くらいだが、一々見る理由になりそうな人はいなかった。
試しに、周りを見渡す体で彼のほうに“顔だけ”を向けたが、自分の視線が俺の視界に入るのを恐れたのか、ちょうどそのタイミングでその顔を読書に向けた。
……ほぼ間違いないとみていいだろう。明らかに俺たちを狙っている。
「困ったな……ストーカー疑惑で店員さんにでも突き出すか?」
「男性同士のストーカー事案とか聞いたことねえよ。というか、これに関しては店員さんにいってもしょうがねえと思うわ」
どっちかというと警察に突き出したほうが早そうな気がしないでもない。
「どうするかねぇ……あのままにしとくか?」
「……」
俺は少し考えた。
あまり放置しておくのも面白くはない。こんな意味なくガン見をされていい気分になる奴なんてほとんどいないだろう。いたらたぶんそいつはドMか何かだ。
どうにかしてアイツの視線から逃れたいというのが本音だ。
……となれば、
「……しゃーない、いったんでて確かめてやるか」
こうするしかないだろうな。
「店をか?」
「ああ。本当に俺たちを見てるなら、たぶんついてくるはずだ。そうしたらとっつ構えて警察に突き出すなり勝手に事情を聴きだすなりで好きにやれるさ」
「王道的なやり方だな。……とはいえ、それが一番かつ手っ取り早いか」
「こういう時は初歩的な手段に限る」
無駄に凝ったものより、シンプルイズベストな手段のほうがやりやすいときもある。今回なんて特にそうだ。
下手に手の込んだ手馴れない手段をとって相手に不信感を抱かせてしまうのはうまくない。こういう時は昔からよく使われた、信頼あるやり方が一番だ。
「なに、ちょうどそろそろ出ようとしてたところだ。会計どうする?」
「俺がやっとくよ。どうせ金余ってるし」
「悪いな。あとで好きな情報提供って形でお返しするよ」
「いいのを待ってるぜ」
お金代わりに興味あるテーマに関する情報を貰うっていうのはコイツのいつもの常套手段である。俺もそれにあやかっていた。
今手元にあるコーヒーや軽食をさっさと食い終えると、何事もなく普通に退店する形を装ってさっさと店を出ていった。会計を軽く済ませる傍ら、和弥は出入口から出ながら先ほどの男を確認。
そして、店を出ながら和弥は左手で周りに見えない様に配慮しつつ、軽く人差し指を立てた。
「(指が一本……こっちを見てるのか)」
これは和弥と事前に決めていた合図だ。男がどんな行動をしているかを二人でともにガン見するわけにもいかない。そのため、和弥にチラッとみてもらい、その様子を指の本数で教えれるようにしていた。
1本はずっとこちらを見ている状態。2本はこちらをみつつ読書中、つまりさっき俺たちが見ていた時と同じ状態。3本はこちらを見ていない。4本はその他。
そのうちの1本のほうである。こちらを、さっきよりずっとガン見している状態だということを示していた。
「(アイツ……何を狙ってやがる)」
偶然とは思えない。ここまでして俺たちを見てるということは何かしらの目的があるはずだ。
会計を済ませた俺は和弥と出入口外で合流。そのまま、次の目的地に向かうという体で適当にそこら近所をブラブラ歩き始める。
次にどこに行くかは別段決めていなかった。元々、そこに関してもあの喫茶店内で順次決めるつもりだったのだが、こんな状況である。そんなことしてる余裕もない。
その時その時で思うが儘に自由に歩く。時折、近くにあった本屋にもよった。しかし何も買わず、またブラブラ。
……その、途中からである。
「……なあ、気づいたか?」
「お前もか?」
「一瞬見えた……あの服装、アイツと同じだ」
ついてきているのが見えた。後ろを見たわけではないが、道端にある窓ガラスに映っている反射した光景から、俺たち二人の姿の後ろを、少し離れてついてきているあの男の姿が確認できた。
薄らとではあったものの、間違いない。あのハンサム野郎は間違いなく例の喫茶店にいたアイツだった。
「やはり俺たちが目的か……」
「でも、俺らアイツに何の接点もないような……忘れてるだけか?」
「和弥でも知らないもん俺が知るわけないだろ。たぶん悪質なストーカーか、または何かしらの組織の追手だろう」
「追手って、そんなフィクションな話になられてもなぁ……」
そんな愚痴にも聞こえる不満を漏らす和弥。
しかし、そうはいってもこの状況は間違いない。となると、俺たちはまずコイツらから逃げる必要があるだろう。追うということは、俺たちにとって何か不都合な事実を取っていこうとしているに違いないのだ。
「とりあえず、アイツ撒かないとな……どうする? 地形をうまく使えればいいが」
和弥がそのような提案をしてくる。同感だ。まずはこの状況を打破しなければ。
しかし、俺はそんな単純なことであるとは考えていなかった。
「おいおい……撒いてどうこうできる問題でもないだろう。空挺団員が追われてるってのに逃げてそのままのさぼらせるってのもマズイ」
「なんだ、こんな時にメンツか?」
「まさか、そっちじゃないさ。わざわざ空挺団員を追わないといけない理由を考えたらって話だ」
「……というと?」
「なんで一々空挺団員たる俺たちを追ってくる必要がある。空挺団員だってレンジャー訓練受けた精鋭だ。追ってくる以上そんくらいのことは事前に調べてるはずだ。でないとストーカーまがいなことなんてできないだろうし」
「確かに……だが、偶然の可能性は?」
「もちろんそれは捨てきれない。だが、常に最悪を想定しておく必要はある。……これが、ただの偶然じゃなくて意図的なものだったとしたら、あまりいい状況じゃない」
「ふむ……なるほどな」
当然、これはただの考えすぎな可能性もある。ただ単に近くにいた奴がたまたま俺たちで、その俺たちを追っていたらたまたまそいつは陸軍の空挺団員だったってだけの話かもしれない。ほんとにアイツはただのホモで、ゲイが運営してるクラブか何かに誘おうって魂胆なのかもしれない。
……だが、こういう時は常に最悪を想定するというのは、かつてのレンジャー訓練の課程でいつも教官から口うるさく言われてきていた。戦闘時だけでなく、日常生活の面から何かしらの場面では常にマイナスで考え、そして適切に対応してこそ最善の道が開けるといわれてきた。
今も、間違いなくその場面である。わざわざ俺たちに目をつけなくてもよかったはずだし、それにそういったお誘いならむしろ積極的にやってきてもいいはずだ。ストーカー行為で済ませる必要がない。
「(……ともかく、このまま追われるのはよろしくない)」
何れの可能性を取るにせよ、ストーカー行為をされるのは気分が悪い。さっさと、逃げさせてもらう。
……が、
「(……逃げて終わりってのもあっさりすぎるな)」
そう考えていた俺は、もう少し事に深く入り込むことにした。
「……どうせならとっつ構えるか」
「ゲッ、おいおいマジかよ?」
「こんなストーカー行為をしやがる奴にはきつく言ってやらねえとな。逃げて終わりじゃ、また他の奴らにやり始めるかもしれねえし。それに、万が一ほんとに俺たちみたいな陸軍軍人をターゲットにしたものなら、下手すりゃスパイ容疑にもなる。警察呼んで公安あたりに突き出す必要も出てくるぞ」
「そりゃそうだけどよぉ……そこまでする必要あるか?」
「なに、ちょっときつく言ってやるだけだ。問題ないならさっさと開放するさ」
「はぁ……さいですか」
和弥は若干あきらめたように顔をひきつらせた後、暑そうに上着を仰いでいた。
そこまで心配せんでも、俺はただ単に「ストーカーは感心しないんでさっさとうせろ? な?」と優しく言ってあげるだけのつもりなのだがな。そう、優しく。
「まあ、確かにそのまま放置ってのもあれだし、くぎを刺しておく必要はなくはないか……」
「だろ? 何、事と場合によってはさっさと警察に突き出しちまえばいいさ」
「へいへい……わかったよ。んじゃ、どうするんだ? まずはこのまま全速力で逃げるか?」
「そうだな……」
とりあえず、簡単に作戦を練った後和弥にそれを伝えた。
和弥もそれに了承した後、再度彼の位置を確認する。近くにあった窓ガラスをチラッとみて、彼が後ろから距離を取りながら未だについてきているのを確認した。距離はさっきから均一だ。寸分の誤差もない。
本人は時折、自前のものらしいスマホを取り出しては画面を見ているが……おそらく時計を確認しているのだろう。だが、もちろんそれで俺たちを誤魔化せるわけはない。
目の前に十字路が見えてきた。街中のものなのである程度広い。歩道も少し人混みが多くなってきた。
「よし、じゃああとはそっちに任せた」
「あいよ。そんじゃ、言ってくる」
「おう」
そのまま和弥は俺の元を離れ、十字路の歩道を左に抜けて別の歩道にいった。俺はそのまま信号待ちを装って横断歩道の前で待機する。
そのまましばらく待機すると……
「……お?」
例のストーカー男は目の前にある横断歩道にはいかず、目の前を左に曲がって和弥の後を追い始めた。そこの歩道も若干人通りがあるが、それでも目線は離さない。
“エサ”に食いついた。俺はすぐに信号待ちの人混みから抜け出し、バレないように距離を置いて追跡し始めた。
作戦というのはこれのことだ。俺と和弥、互いに別々の進路を行くと装うことで互いにエサとなり、どちらかにストーカー男が食いついたとき、もう片方がそいつを追っていくという寸法だ。
食いついているかは携帯を使って連絡を取る。互いにある程度離れているのがこちらから確認できるので、会話内容が聞き取られることはない。あとは、そのエサ役になったほうが適当な場所に連れて行って挟み撃ちである。
「和弥、お前がエサになったらしい。頼んだぞ」
『了解した。俺のほうに食いつくたぁいい度胸してるじゃねえか。いい場所に案内させてやる。頃合い見計らって走るからな』
「了解。タイミングは任せる。いつでもやれ」
『あいよ』
走るというのは当然アイツを焦らせる意図がある。歩いてる途中でそのまま挟み撃ちにさせる手もあるが、あえて焦らせることで冷静な判断をさせず、余計に食いつきやすくさせるのだ。ある種の心理戦である。
どのタイミングでどの方向に行くかは和弥しか知らない。俺はそれに対して臨機応変にいかねばならないため、注意して和弥と男の動向に注目している必要があった。
「(さて……どこで仕掛けるかな?)」
そんなことを考えつつ二人の動きを注視していた時だった。
「……ん?」
彼は再びポケットからスマホを取り出した。今度は時計を見るわけではなく、画面を操作するような手さばきをするとそのまま電話を始めた。
誰かから電話が来たのだろうか、それとも自分からかけているのだろうか。それはここからではわからない。
「(なんだ、お仲間さんにでも連絡とってるのか?)」
最初はそんなことを思っていた。
……しかし、
「(……ん?)」
俺は一つ、不審な点を目にする。
彼の持っている携帯に目を向けた。間違いなく彼は電話中のはずである。後ろからではよく見えないが、彼が顔の角度を変えた一瞬だけ、彼の顎が動いているのが見えた。
口に出して喋っている。それは間違いない。その先は、当然自身の持っているスマホのはずだ。
……そのはずなのだが……
「(……なんでライトがついていない?)」
彼の持っているスマホは、上部の裏部分に通話中を示すライトが点くタイプものだった。俺が昔使っていた機種のメーカーと同じもののため、その仕様はよく知っている。
そのメーカーの携帯は、昔からそういった仕様をしていた。ガラケー時代からスマホまで、通話中は一様に通話中ランプが点灯し、周囲にそれを知らせることができるようにしていたのだ。
……だが、このスマホはそれがついていないのである。
「(設定でも変えたのか……?)」
今時それくらいはできる。その時は、ただ単にランプが点くのを嫌って設定を変えていたのだと思っていた。
「(……ちょっとだけ近づいてみるか)」
向こうが後ろをこれっぽっちも警戒しないのを見て、もう少し接近してその電話内容を聞き取ってみることにした。だが、無理は禁物である。やりすぎてバレてしまっては元も子もない。
近づけるだけ近づいた。生まれつき身についていた猫足には自身がある。音が出にくいシューズをはいてきてよかったと心底思った。
向こうは少し声を大きめにして電話していた。男性の声が俺の耳にも届いてくる。
距離を見計らい、向こうにバレないギリギリの距離を置いて男の声に耳を傾けた。
完全にというわけではないが、断片的に言葉を聞き取ることはできた。
「……ええ、未だに単独で…………はい、そのm……ないを歩いて……………」
ほんとに断片的である。少し危険なことやってて思ったが、これ聴いてる意味あるかと思ってきた。ほんとに今更な話である。
だが、もしかしたら何か有力な言葉が聞けるかもしれない。もし何もなかったらただのプライバシーの侵害に抵触するかもしれないのでさっさとなかったことにするしかないが。
「(誰と話してるんだろうな……)」
通話相手が気になるところである。口調だけを見るなら、どうやら自分より目上の人らしいが……はて、上司か何かなんだろうか?
ここまで人を追跡しといて、しかも断片的な言葉を聞く限りではほんとにこちらの動向をうかがってるようである……怪しさ爆発とはこのことである。
「……はい、もう片方は…………ええ、とりあえ……のまま追跡を……………」
追跡ってワード出ちゃったよ。これただのストーカーじゃないよ。どう考えても不審者か何かだよ。
よくまあこんな追跡されている本人の目の前で堂々と危ないワード出せるものである。……というか、されてるとも知らないか。
「(……そろそろ動くだろうか?)」
ふと、和弥のほうを見た時だった。
「……はい、もちろんです」
「?」
少し、彼の声のトーンが上がった。そのため、さっきよりもう少ししっかりと聞き取ることができた。
「彼らは間違いなく乗るでしょう…………ええ、はい。承知しています。情報は………届いています。艦名は……」
「『やまと』………でしたね」
「(ッ? やまと?)」
やまと。彼は間違いなくそういっていた。
肝心なところで若干聞き取りずらかったところがあるが、確かにやまとというワードを発していた。そして、それに乗るという情報がどーのということも言っていた。
……ここでいう彼らというのは誰のことだ? 話の流れ的に俺たちのことを言ってるのだろうが……
「(情報が流れた……? いや、事前に招待メンバーは一般でも公表はされてたはず)」
来月のやまとの体験航海。俺たちは陸軍から人事交流という形で招待されていたが、そのメンバー自体は公表はされていた。とはいえ、目立った形ではない。ネットのみで公開されているポスターの隅っこにひっそりとといった程度である。
そして、「その当日には陸軍軍人もいるよ。陸海軍人が一堂に会する機会とかそうそうないよ。会いたい人はぜひ来てね」という一種の宣伝文句が付与されている形だった。商売上手というかなんというかだが、コイツのいうその情報のソースはこれなのだろうか?
俺の中で生まれた疑念が全然収まらない中、彼の通話はまだ続いていた。
「同胞は動きま……………ええ、チャンスとも見れますが、海軍の乗員と共闘され……………としても面倒です。事前に処置を…………はい、向こうにも事情は伝えて………」
ど、同胞? それに、海軍と共闘だと……? なんだ、一体何の話をしてやがる? こいつら一体何をしでかすつもりなんだ?
しかも、事情は向こうに伝えるときた。“向こう”ってのは誰の話だ? それに、これがチャンスって一体何なんだ??
「(……なんだ、俺もしかしてまたもや厄介な事態に首つっこんだか?)」
もはやそんな予感しかしなくなってきた。どうしたものか。またもや自分から厄介ごとに飛び込んだのだろうか。俺としたことが、そんなことはもうごめんだと突き放していたはずなのに。
だが、そうはいったって始まらない。これは聞く限りでは相当マズイであろう情報だ。
彼の通話はそこらへんで終わってはいたが、看過できない内容であるのは間違いなかった。これは一刻も早くとっつ構えて、電話に関しての事情を聴きだすしかない。
「(和弥に伝えるか……?)」
和弥にこのことを伝えて、すぐに行動に移るよう促すか悩んだ時だった。
「……ッ!」
和弥が走り出した。ナイスタイミングだ。アイツなりに時を見計らって行動に移ったらしい。
「ッ! しまった!」
俺の目の前にいた彼は一瞬にして焦りを見せた。声だけではあまり焦っているようには聞こえないが、その動きの俊敏さは尋常でない。
少し距離を置いて俺も後を追った。運動神経がいいのだろうか、彼は中々の速力を発揮していた。空挺団でみっちり鍛え上げられた和弥の足にも引けを取らない。俺も追うのに一苦労だった。
和弥はそのまま細い路地へと入っていった。狭い路地に入ることで退路を少なくさせようという魂胆らしい。テンプレ的な手段だが、人混みの中で目立って騒がれるよりはマシだ。
周囲にそびえたつビルの隙間を縫っていくと、和弥はあえて行き止まりがある路地に入った。ボロい賃貸ビルのすぐ隣にあったほんとに補足暗いところで、追っていた彼もそのままそこに入っていく。
……獲物は網にかかった。
俺がその路地に入ると、和弥はその行き止まりの先で立ち往生していた。そして、彼はその後ろに陣取って唯一の逃げ場を塞いでいた。
「チッ、やっべ……」
「ハァ、ハァ……ま、まさかバレてたとは……私としたことが」
和弥の迫真……とも言えないような微妙な演技に、彼は気づいていないらしかった。若干息切れは起こしていたが、すぐに整えて和弥に言い放った。
「いや、すまない。ちょっとスカウトをしようとしていただけなんだよ。そんなに逃げなくたっていいじゃないか」
「じゃあなんで追ってきたんですかねぇ?」
「中々いい人材だったんだ。ぜひ君をうちに引き入れたい。……どうだ? うちのクラブに入る気はないかい?」
クラブっておい。俺が最初に考えていた設定まるまるパクってんじゃねえよ。
和弥はそれを聞いて、軽くため息をつきながら答えた。
「クラブねぇ……わざわざ追ってくるほど秀逸な顔してます、俺?」
「してるんだよなぁ、これが。それに君は若い。将来も十分期待できる逸材だ」
「にしてはさっきから無感情に言い放ってますけどね。台本読む大根役者のように」
言い得て妙だな。確かに、彼はさっきからあれだけの発言量を生んでいる割には、あまり感情はこもっているようには見えなかった。ほんとに、事前に作られた台本をただ読んでいるだけかのようにほとんど抑揚がない。
「すまないね、私は感情表現が極度に苦手でね。このような返ししかできないんだよ」
「はぁ……さいですか」
「まあ、そこに関してはいいじゃないか。どうだい? 入る気はないか?」
ここまでストーカーしといてよく言うわとは思った。それだけはほんとに思った。
和弥も、あまりのとってつけたような言い訳に呆れたのか、ため息をつきつつそっけなく返した。
「すいませんけど、俺コミュ障でしてね。人と会話するの苦手なんですよ。それに、こんなナリしてますし」
「そんなことはないさ、コミュニケーション能力なんて簡単に身に着けることが――」
「簡単に付けれたら苦労しませんって。それに……」
「?」
「……俺なんかより」
「後ろにいる彼にやってもらったほうがいいと思いますけどね? 俺よりコミュニケーションできますし、風貌いいですし」
「後ろ? ……なッ!」
彼は後ろに顔を向け、ほんの少しだけ顔をゆがめた。だが、声は今までで一番感情的だった。焦りと驚愕が混ざっている感じに聞こえた。
自分が後ろを塞いでいたと思っていたら、その後ろをさらに防がれて、むしろ自分が閉じ込められていたという状況。彼は、今までさっぱり気づかなかったようである。
唖然とする彼をよそに、俺は和弥のジョークにいつものテンションで返した。
「どこの誰がこんなロボットオタクなクラブ人間いるかよ。というか、お前コミュ障だったのか。初めて知ったわ」
まあ、間違いなくジョークだろうが。
「俺よりは似合ってると思うぞ? お前モテるからな?」
「勘弁してくれ。俺にそんな耐性はないよ。……そんで? 俺らを追ってた理由ってほんとにそれで間違いないんか?」
「ッ……」
「なんかアンタの口から電話の内容が聞こえちまってたんだけどよ、そこからなぜか追跡がどーたらとか彼らは動くだとか、妙な話が聞こえてたんだが……どういうことか教えてくれるか? 和弥もこれに関しては聞いてなかっただろ?」
彼だけではない。和弥もこれに関しては若干驚きを隠せずにいた。距離が開いていたこともあり、電話の声は和弥のほうには届いていなかったらしい。というより、届かない様に配慮した、と見たほうが正しいだろう。
これ、本当は自分から聞いてたんだが、一応不可抗力で聞こえてたという体で話しておくことにする。ほんとうはあまり好ましくはないのだが、話をややこしくしたくはないのでな。
「やまとで何かしでかすつもりにしか思えない通話が聞こえててねぇ……あぁ、これでも俺ら陸軍軍人なんだわ。職業柄もあるし、事と場合によってはアンタらを警察に突き出さんといけなくなるんだが……」
「そんなことが簡単にできると?」
「『私人逮捕』って知ってるか? 現行犯に相当する犯人に対しては、たとえ警察官でなくても逮捕できるんだよ。これは日本の法律で決まってんだ」
これは実際に『刑事訴訟法第213条』で定められている合法的な措置だ。
たとえ一般人であったとしても、間違いなく犯罪を犯したとわかる人や、罪を犯したのに、氏名も明らかにせず逃げるかもしれない人に対しては逮捕権を行使できる。
よく「近所の高校生が窃盗犯を逮捕して感謝状を貰った」みたいなニュースを目にすることがある。本人は気づいているかは知らないが、これも窃盗犯という「現行犯」を捕まえたという話になるので、いわゆる私人逮捕と同義である。
もちろん、現行犯でもない人を間違って私人逮捕してしまったら『逮捕罪』ということで逆に罪に問われるが、これ自体は実は痴漢の時などでよく使われるものだ。
……もっとも、これのせいで冤罪が多発してあらぬ被害を受ける男性が後を絶たないわけだが。
「もしアンタが電話していた内容が騒乱罪、ないし下手すりゃ内乱罪に値する可能性があるなら、俺はその私人逮捕を行使できるぞ。または、俺がどういうことか聞こうとしただけなのに勝手に逃げようとすれば、それでも刑訴法214条2項4号の適用で問答無用で私人逮捕案件だ。……どうする? こっちとしてもあまり手荒にしたくないんだけど……」
法律用語なんざ並べたところでアイツにわかるのか知らんが、実際そんな感じの内容だ。極端に間違ってることは言ってないはずだ。
別にあの電話内容に関して納得のいく説明がいくなら開放はするつもりだった。そもそも騒乱罪とか内乱罪とかも、あくまで多数の人間が同一の意思をもって暴行や脅迫を行うときにあたる罪であって、電話を通じて複数人いるというフラグはたたせていたものの、現在ここにいるのは彼一人である。
法律に詳しくないからわからないが、実はこれでは私人逮捕をする要件は満たしていないのかもしれない。なので、実はこれ半分くらいはただのブラフである。
だから、ちょっとまともな説明をすれば俺なら簡単に納得するかもしれないのだが、彼はそれすら考えなかったらしい。適当なことをさっきみたいに言えればよかったのだろうが、見る限りでは用意はしてなかったようである。
「(こりゃ“あたり”だな……コイツ、何か隠してやがる)」
これはコイツの次の行動がどうあれ公安あたりに通報ものだろう。適当にとっつ構えて、あとは公安のほうでいろいろ調べてもらったほうがよさそうだ。
となれば、適当に理由をつけていろいろ証拠等を聞き出すしかない。
「……で、さっきの電話って一体何だったのかちょっとお尋ねし――」
と、そこまで行った時である。
「チィッ!」
「なッ!?」
男が一気に俺のほうに走ってきた。もう後がないと悟ったか、それともやけになったかは知らないが、明らかに“逃げる”体勢である。
刑訴法214条第2項第4号には「誰何されて逃走しようとする人(つまり「何してんだ」って聞いただけで逃げようとする人)」は現行犯とみなされるってさっき言ったんだが……
……しょうがないですね。
「―――だからぁ」
一応私人逮捕として立件できるかもしれないけど、とりあえずだ。
「さっき逃げようとしたら私人逮捕成立だって―――」
俺の横を通って逃げようとした男を問答無用でとっつ構えて、
「言っただろうがァ!!」
お得意の背負い投げをお見舞いする。今までの訓練で散々ユイにやられてきた分、ここで憂さ晴らししてやった。
悪く思わないでほしい。これはさっき言った法律によって私人逮捕の要件が満たされたからこそやった合法的措置なんです。文句は自分に行ってくれ。
しかし、見た目に反してちょっと重いなと思いつつも投げたその身体は、路地の反対側にあるビルの壁に向かって突っ込んでいった。気づかないうちに途中で手を放してしまったらしい。
勢い余ってコンクリート製の壁に“頭から”突っ込み、そのまま動かなくなった。
「あ……やっべ、ほんとに投げちった」
「おいおい、私人逮捕ってったってそれで大けがさせたら傷害罪とかくるからな?」
「へいへい……」
実際、万引き犯を取り押さえようと羽交い絞めにして間違って殺しちゃった店員さんが傷害致死罪で逮捕される事案は起きている。それまがいになったらマズイ。
とりあえず、死んでないことを本気で祈りつつ彼の元に駆け寄る。さっきから彼これっぽっちも動かないが……まさか、ほんとに死んでないよな?
「死んでたらたぶんお前刑務所いくんじゃね?」
「おいおい、冗談は勘弁してくれねえか……」
そんな笑えない冗談を交えつつ彼のすぐ横にくる。
一先ず彼を起こそう……
……そんなことを考えつつ、彼の顔を見た時だった。
「「………………は?」」
俺たちは一瞬言葉を失った。そして互いに顔を見合わせる。
和弥の驚愕を通り越してもはや言葉を失っている顔。おそらく俺もそんな感じなのだろうと想像する。
そして、またその彼の顔を見る。完全にのびてしまっている彼の体はもう動かない。しかし、俺たちはそっちより、顔に、正確には首元から上に注目していた。
「……なぁ、これって……」
和弥は恐る恐る聞いてきていた。言いたいことはいやというほどわかる。これを見て、次に出てくる言葉なんてたかが知れていた。
だが、信じることはできなかった。
技術的には“まだ”できなくはない。だが、そんなのが、こんな世間一般に公表されるわけもなくひっそりとストーカー紛いの、しかも事と場合によっては何らかの重い罪に問われそうなことをしていることに驚きを隠すことはできなかった。
「……なんで……こんなのが……?」
俺はそんなことしか言葉にできなかった。
こんなのがいる、という事実もそうだが、こんなのが、「こんなことをしている」ということに、俺たちはしばしの間唖然として立ち尽くしていた。
「……うっそだろおい……」
その視線の先にあったのは……
首から上が凹んだように折れ曲がり、
そこから“機械部分がむき出しになっている「アンドロイド」”の頭部だった…………




