ホノルル到着
「……止まった?」
荒い呼吸を繰り返す中、俺は視界に入った光景を見てそうつぶやいた。
止まった風景。さっきまでガンガンとした滑走音と、バーストしたタイヤから出ているのであろう金属の擂れる音。それらがなくなり、完全なる静寂がコックピット内を支配していた。
滑走路からは地味にずれかかっていたらしい。前輪は滑走路脇の緑地帯に入ってすぐにとまったようで、それに若干埋もれたように少し前かがみ気味になっている。
額から流れる汗を拭いながら、今度は目の前の計器類を見る。
止まったとはいえ一応エンジンはまだ動いたままなので計器類への電源供給も止まっていなかった。ブレーキを踏んでいないのに動かないあたり……やはり、タイヤがイカれたとみるべきだろう。
速度は「0」を示している。完全に停止していた。
「……とま……った?」
そして、再び呟いた。今のこの状況を自分で再確認するように。
そのまま、「自分まだ生きてるよな?」というのを確認するようにゆっくりと隣を見た。ひっきりなしに機体の適正姿勢演算をしていたユイは少し呼吸が荒いが、こちらをしっかりと見据えている。
「……止まりました?」
「……止まったっぽいな」
そのまま少し固まる。その後ろを横目で見た。
二人ともやっぱり固まっている。総理はシートに座ったまま動かず、視線すら俺たちに向けたまま石造の如く動かない。朝井さんも、呼吸を少し荒くして周りをキョロキョロとみていた。
「えっと……火災とかは? 何か異常は?」
「警報は出ていません……これっぽっちもです」
俺のふいに出した問いにユイはすぐに答えた。
計器類のどこのパネルを見ても、警報らしい警報は出ていなかった。当然、電子音声やアラームもない。
……すぐに確認できる異常は、どこにもなかった。
「……と、止まったん……だよな?」
3回目の確認。ユイは小さく、かつゆっくりと頷いた。後ろからの声も耳で捉える。
「止まった……止まったんだ、無事降り立ったんだ……ッ」
それに、やっと総理も反応した。
「……やった……」
……ものくっそうるさい、歓喜の声で。
「やったぞッ! 俺たちゃ無事に降りたんだッ!」
その瞬間、隣のガッツポーズの朝井さんとハイタッチするなりして大歓喜していた。
その目の前では……
「「……はぁぁぁ~~~~」」
俺とユイ、互いに一斉にため息ついてイスに背を預けた。
極度の歓喜の艦上が湧き上がったが、それ以上に安堵感に支配され力が抜ける。さっきまでずっと体全体が力んで操縦していた反動だ。もう動ける気がしない。
もう指先まで動かせない。軍人ゆえに体力に自信はあったつもりなのだが、緊張しすぎたのか、全然動かせない。
それでも耳や目といった頭部だけはしっかり機能しているようで、耳にはホノルル管制塔の大歓喜の声がうるさく響いていた。あまりに大きいのか、若干ノイズも混じっている。
「……おう相棒。ここはどこだ? ほんとにハワイに着いたんだろうな?」
脱力感満載でそんなことを言ってのける。それに、同じく脱力感満載で乗ってくるのがやはり相棒だった。
「むしろどこについたと思ったんです?」
「さっきから体が全然動かねんだよ。まるで死んだみたいでさ。実はここ三途の川だったりしね?」
「残念ながら川の渡し賃が足りないって追っ払われましたわ」
「あっちゃー、追い返されたんか。じゃあハワイで間違いねえわハッハッハッハ」
「そらハワイでないとこんな南国青空みえんでしょーよハッハッハッハ」
ユイに言われて外をもう一度見やる。
気が付けば、さっきまであった雲が急速に晴れてきていた。ユイが言ってたような、南国特有の見るからに暑そうな青空が徐々に見え始めてきている。先ほどまでの雲量7~8くらいのどんより空ではなかった。
「……これから暑くなるなぁ、こりゃ」
「まあいいじゃないですか。夏にはピッタリですよ、夏には」
「気楽でいいねぇ、お前は」
人間みたいに熱に敏感に反応する体ではないからな。そこまで苦はしないし、そもそも一番嫌な汗をかかないって点ではめっちゃうらやましい。
……まぁ、代わりに内側から人工皮膚冷やさないと熱くなりすぎるのだが。
「よくやったぞ、二人とも。ほんとに助かった」
後ろから両肩を手で乗せられながらそんな声を耳にする。朝井さんだ。
うまく声に出すのすら億劫だった俺は、右手でグーサインだけ出して「どうも」と一言置いた。それだけ、疲労困憊気味だった。
「まったく、ただ単に警護頼むはずが、どうしてこうなったのやら……」
総理はもうイスに座ったままぐったりしている。ほぼ何もしてないのに緊張だけで参ってしまったらしい。まあ、あんまり大きな声では言えないがこう見えても還暦超えた年である。そりゃそうもなろうってもんだ。
「ほんと、なんで俺なんかがおろす羽目になったんやら……でもまぁ、何とか降りれてよかったですよ。後は、さっさと脱出しましょう」
「あぁ。キャビンでもう準備がされてるはずだ。さっさと降りよう」
「タイヤがバーストしたので、タラップもうまくくっつけれないはずです。おそらくスライダーでの脱出となりますので、鋭利なものはここにおいて……」
朝井さんの指導で持っているものの一部はいったんここに置いていくことにした。
国防省幹部だが、同時に新海さんらの首脳部側近を務めるだけあってそこら辺の知識は事前に持ち合わせていたようだ。ありがたい、一々いらぬリスクを背負わんで済む。
ユイの手によって、エンジンもすぐに止められた。しっかり頭に完璧に叩き込んだ手順で、すべてのエンジンは機能を停止。それに伴い、エンジンからの電力供給もなくなったため計器類は自動的にシャットダウンした。
ユイが最後に、無線を通じて緊急車両の支援を頼み、機体の状況を聞いて無線機能を落とした。
緊急車両はすでに機体前に集結しつつあり、火災防止のための路面への消火剤散布もあらかた終わったらしい。あとは、こっちが脱出してきたら即行で回収してくれる手筈となった。
そういうことなので、俺たちはさっさと脱出する。いつまでも喜んでいる場合ではない。
一応火災が起きる様子はなさそうだが、あくまで機外の話だ。着陸時にあの衝撃を起こしたんだ。もしかしたら、衝撃で何らかの電子機器がショートを起こしているかもしれない。
可能性としては限りなく低くはあるが、念には念を。用心しておくに越したことはない。
俺たちはいったん残り、先に政府要人や、危険分子のテトリストを先に下すことにした。総理たちは俺たちも一緒に降りるように勧めたが、名目上の人事交流人員であるとはいえ、俺たちはあくまで空中輸送員という名の警備員だ。優先順位を考えれば、後に降りるべき立場である。
総理たちにはそういって先に降りてもらった。その間に、機内の安全確認と誘導を手伝う。
「負傷者はスライダー前まで手伝って行け! 空いてるやつ誰でもいい、手を貸せ!」
「L5空きました! マスコミ関係者の方はこちらからお降りください! あ、カメラは持たないで!」
「手荷物は置いたままでお願いします。あとで回収いたしますので……あ、その手荷物も今は―――」
「おい、ドアアームドになってないぞ! アームドにしてから開けろ! スライダーが開かん!」
「いいか、今から90秒だ! 遅らせんじゃないぞ!」
いろんなところから怒号に近い指示が飛び交う。たまに視線が俺たちに向けられることもあるが、すぐに目の前の作業に戻った。
たぶん、言いたいことは同じだろう。機長がいない中誰がおろしたか、大体予測はつくがそれに今構っている暇はないのだ。
飛行機は緊急着陸後、スライダーを展開してから乗員乗客全員脱出までには90秒以内でなければならないという取り決めがある。安全を確保できるギリギリの所要時間が90秒だ。当然、それは政府専用機であっても変わらない。
火災の心配はあまりないとはいえ、そんなのは理由にはならない。すぐに誘導や怪我人の移送を手伝い、さっさと機外に送り込んだ。
幸いドアはすべて使えるため、脱出は順調に進んだ。怪我人はほかの専門の人に任せ、それ以外の健全の人や軽症の人に手を貸しながらどんどん機外へと脱出させていった。
……その過程で、
「あ、彩夜さん!」
彼女の無事も確認した。
「あ、篠山さん、それにユイさん! お二人も無事だったんですね!」
「そちらこそ。何ともなさそうで何よりです。さ、早く脱出を」
「はい。すいません、お二人にご迷惑をおかけしてばっかりで」
申し訳なさそうな彩夜さんに、ユイが優しく声をかけた。
「気にしないでください。これも任務ですよ。さ、早くこのスライダーから」
「はい。では、お先に失礼します」
そのままスライダーで脱出した。何とか、着陸時に怪我とかしなかったようで何よりだ。後は、彩夜さんの側近が護衛してくれるだろう。俺たちは再び脱出の支援に戻った。
1分くらい経つと、ほとんど人はいなくなった。ここにきても未だに火災の心配はなさそうだ。異臭などのような兆候すらない。
頃合いも見て、俺たちもスライダーを滑って機外に脱出した。人生でこのスライダーを滑ることになるとは思わなかったが、状況が状況ゆえにあまり喜べない。
機体左側の緑地帯のほうに降り、一旦期待から離れて振り返ってみると……
「あー……ギリギリ緑地にツッコんでやがる」
機首部分が視界に入り、ノーズギアのほうが緑地の淵にめり込んでいる。少し前かがみっぽくなってたのはこれが原因だろう。
滑走路面を見ると、さっき無線で言っていたらしい消火剤と思われる白い液体が散布されていた。主にメインギア付近を重点的に撒いているらしい。
……で、そのメインギアが案の定、
「……やっぱり、バーストしてやがる」
タイヤが完全にバーストしていた。左側のメインギアが特に激しくバーストしてしまったらしく、計6本すべてのタイヤ部分が完全に消え去り、内側のホイールが露出して半分も削れて半円状態になっている。
……一応、センターを保持しようとしたのに左側にずれたのはこれのせいだろう。ホイール露出のせいで無駄に摩擦が増えてしまったおかげで、左右で摩擦力に差が出てしまい左側の減速が速くなったのだ。そりゃ、どうやっても勝手に左に曲がってしまおうってものだ。
右側のメインギアはまだましだったが、それでも前のほう2本のタイヤがない。同じくホイールを露出させて半分近く削れてしまっている。
これだけでも、どれほど激しいタッチダウンだったかがありありと見て取れた。
「……随分と派手にぶっ壊れましたねぇ、こりゃ」
ユイもそんな一言を呟いた。
「ほんとな、もう少し静かに降りれればなぁと思ったが……」
「素人が何をそこまで上を目指すようなことを。降りれただけで万々歳な条件ですよ」
「それはそうなんだがなぁ……どうだ、どうせならもう一回リトライするか?」
「勘弁してください。こんなの二度とごめんですよ」
「それがほら、一回やってみるとなーんか「ここをこうすりゃなー」ってのが思い浮かんでな」
「シミュレーターでやってください。現物はもうしたくありません」
「俺持ってねぇよ」
「和弥さんのパイプとツテで航空会社にでも連れてってもらえば一発ですよ」
「んなツテさすがにないだろ……」
……たぶん、だが。
そんな会話をしつつ、とりあえず近くにある救急車らしい車両に行って名簿照合をしてもらう。誰が乗るかは事前に知らせてはいたので、あくまで安否確認のようなものだった。
それが終わったら、簡単に怪我等がないかみて後はこの場で待機することになった。移送のバスがあるのだが、先に降りたA.S.Japan503便の分も出さないといけないため若干不足しているのだという。
まぁ、早い話が順番待ちというやつだ。ましてや、先に降りた503便やうちらの政治家たちを優先せねばならないだろうし、俺たち警備組は最後あたりになるだろう。
というわけで、しばらくはこの場で適当な車両に背もたれながら待機である。
周りは救急車をはじめとする緊急車両のほか、警察のものらしい車両もあった。
一応テロリストも乗っていたため、情報を受け取っていた警察がすぐさま確保に赴いたのだろう。お疲れ様である。
そんな風景をしばらく眺めていた時、
「……あ」
俺は視線の先にある機体を確認した。
「あのカラーリング……もしかして、A.S.Japanか?」
白を基調としてピンクのラインが入った塗装に、垂直尾翼に天使を抽象的にしたようなロゴが入り、そして側面に『Air Ship Japan』と書かれているB747-8型機。
間違いない。例のA.S.Japan機だ。
「機体番号JA825G……照合しました。例の503便で間違いないです」
「やっぱりな。というか、あそこにたたずんでるのってそれ以外ありえんだろうし」
「まぁ、そうですね」
偶然にも緑地帯を挟んですぐ向かいにたたずんでいた503便は、機体の左側面をこちらに向ける形でいた。
こっちのほうはタラップを使って降ろし始めているようだ。政府専用機の緊急着陸に備えてか、どうやら降機は少し前に始まったようで、未だにこの近くにはその503便に乗っていたと思われる人たちであふれている。
どうやら、この場は政府専用機と503便の搭乗員や乗客の共同の集合エリアとなっているらしい。
「まぁ、何とか向こうも降りれたようで何よりだ。見た感じ、機体にそれっぽい異常は見受けられなそうだな」
「ですね。怪我人がいるわけでもなさそうです。出てくる人全員ピンピンしてますよ」
ユイの言葉に嘘はない。タラップを降りてくる人は、全員健全な状態だった。手荷物すら持ってきてるあたり、もう火災などの異常事態はないとみての判断だろう。
「(無線では第1、第2エンジンがイカれたって話だったはず……左側のエンジンだから、つまり今見えてるエンジンだよな……)」
見た限りでは、それといった異常になりそうなものは見受けられなかった。大方内部の故障だったのだろう。まったく、いろいろと危ないタイミングで起こってくれたものだ。
互いに無事降りれたからよかったものの……このエンジン故障が原因で燃料漏れた、なんて話にならずに良かった。そうなったら完全に詰んでたか、燃料漏れによるスリップ&ブレーキ摩擦の熱による引火の可能性を許容して強引に降りねばならないところだ。
……そうなったら、確実に今のような状況では済まなかっただろうが。
「片側しか動いてない状態でここまでうまく降ろせるあたり、相当練度の高いパイロットだったんでしょうね。……代わってもらいたかったな」
「ほんとそれな。代わってもらいたかったわ。無理だろうけど」
そんな会話を少しの間交わす。
その間にも、乗員乗客の脱出は進み、政府専用機のほうはもう終わった。あとはスライダーを取っ払い、機体をどうにかこうにか移動する作業に入る。
503便のほうも、あらかた降ろし終わったのかタラップが外され始めた。そのせいなのかは知らないが、先ほどから周りが賑やかというか、人が多くなって騒がしい様相を見せている。
……そんな中、
「やぁ、ここにいたか」
「―――? あぁ、朝井さん」
朝井さんが俺たちのもとにやってきた。手には、ペットボトルのウォーターが二つある。絵柄的に、たぶんリンゴだろう。
「今回はほんとにお疲れさん。よくやったよ。結局君たちに助けられっぱなしだった」
「いえいえ、お構いなく。ま、こういう時もありますよ」
「ハハ、そう何回もあってもらっちゃたまらんがな。……まぁ、そういう意味もあるから、ほれ」
「?」
「褒美がてらの差し入れだ。一杯飲みな」
右手に持っているリンゴジュースを一本くれた。そういえば、こう見えても青森県民なのに最近リンゴジュースとか飲んでなかったな。
久し振りのリンゴジュースだ。ありがたく俺は受け取った。
「これはどこから?」
「あぁ、503便のほうで配布してたのをもらってきたんだ。ちょうど余っていたようで、今ほかの人たちにも無償で配っているところだったんだ」
「へぇ~、随分サービスいいですね」
「まぁ、自分たちのお隣に政府官僚やらその警備やらがいるし、そこら辺の配慮もあるんだろう。それ以前に、普通に純粋なサービスだったのかもしれんが」
「ハハ、どっちにしろありがたいこっちゃですわ」
「うん。ただ、本当はそこにいる彼女の分も持ってきたかったんだが……まぁ、その、なぁ……」
「……あー、ハイ、理解しました」
周りに人が多くいるのであまり大きく言えないが、当然コイツは中身は機械の塊なのでリンゴジュースどころかそもそも液体や個体は飲めない。飲もうとしても、自動的に誤飲防止のストッパーかかって体内に入らないようになっている。
朝井さんなりにユイにも何か差し入れようと思ったのだろうが……さすがに、俺と同じものを上げるわけにはいかない。
ユイもそこは理解していた。だからこそ、朝井さんの配慮に感謝しつつも遠慮していた。
「私はいいですよ。今は別にそこまで疲れたりしてませんから」
「そうはいってもなぁ……何度も言うが、今回はずっと頼りっぱなしだったんだ。うちらにもメンツってもんがある。総理も、ここまでしてもらった以上何かしらでお返ししたい姿勢でいるわけだ」
「そんな、そこまで俺たちは求めては……」
「まあそういうな、篠山君。これも総理の意向だ。……正直、総理は君たちをここまで巻き込んでしまったことを、少なからず申し訳ないように思っているようでな」
「え?」
朝井さん曰く、本来ただの個人的警護で頼んでたはずなのに、結果的に飛行機の操縦まで任せてしまったことは、元はといえば政府のセキュリティの甘さにすべての原因があると考えており、その尻拭いを俺たちにさせてしまったことに関して、総理の良心が結構痛んでいるらしい。
だから、せめて何らかの形で報いたいと考えているようだ。……随分と他人思いな総理である。というか、あの人本当に政治家か?
「我々としても、君たちは命の恩人以外の何物でもない。君たちがいなかったら我々は無事帰ってこれたか怪しいのは皆自覚している。……どうにかして、お返しはしておかねば義理が立たないという思いはあるんだよ」
「そうは言われましても……俺たちは、ただ単に任務を全うしただけですから」
「その任務に入ってないものまでやっている時点でな。まぁ、結局はそういうことだ」
「ハハ……こりゃ参ったなぁ……」
今までの人生でここまで感謝されたことは全くない。しかも相手は政府関係者の方々だ。重みが全然違う。
「(これ、今後俺どんな目で見られるんだべ……)」
あまり有名になられてもちょっと困るんだが……そうなったら絶対政治家経由でマスコミに流れちまうし。マスコミに追われるのだけは勘弁だ。
「……とりあえず、俺たちがやった、とかは周りには言わないでおいてください。もちろん、マスコミにも。そんなんで有名になりすぎると嫌でも注目されてしまいますし、それだと過ごしにくいので。それに……コイツのこともありますから」
そういってユイに視線をチラリと向ける。ユイもそこは大体察している。苦笑で返していた。
朝井さんもすぐにそこは快諾した。
「それはもちろんだ。政府側としても機密保持の関係で、今後は総理命令で厳重な箝口令を敷く予定になっている。ここでは詳しいことは話せないが、少なくとも多言をすることはないと思ってもらっていい」
「すいません、ありがとうございます」
「うむ。……まぁ、今はまだこれくらいしか返すことはできないが、いつかしっかり利子つきでお返しすることを約束するよ。総理からもそう言っておいてくれと伝言を受けている」
「はぁ……あぁ、でも、あまりその借りを返すので無茶はしないようにお願いしますよ?」
「ハハハ、さすがにそれで無茶をするつもりはないさ」
ほんとだろうな……と、少し勘ぐってしまう。
あの政治家には似ても似つかない他人思いの総理のことだ。絶対無茶する予感しかしない……。
「(……というより、一体何で返すつもりなのかと……)」
さっぱり見当つかねぇなぁ……とか、そんなことを思いつつ手に持っているリンゴジュースのキャップに手をかけた時だった。
「失礼します。政府の方でおられますか?」
「うん?」
朝井さんのいる方向と反対のほうから呼びかける声を耳にする。そこには、民間パイロットにあるような制服を身にまとった男女のコンビがいた。
男性のほうは中々にいかつい中肉中背のいかにも男らしい人。女性のほうはそれより断然若い人だ。女性の制服の方には金色の三本線の肩章があるから……こっちが副操縦士なのだろう。
応対は朝井さんがすぐにしてくれた。
「はい。日本政府国防省の者ですが、お二方は?」
「A.S.Japan503便の機長、金居です。こちらはコ・パイの長谷部です」
「どうも」
二人共々礼をしてきたため、こちらもお返しした。
この二人が、あの503便のパイロットコンビだったらしい。確かに、聞いてみれば女性の長谷部さんの声が無線で聞いたのと結構似ている。
副操縦士は無線通信も担当しているから、この人の声しか聞こえなかったのだろう。
「国防省大臣補佐官の朝井です。この二人は、政府専用機のほうで警備をしていたものですね」
「どうも、篠山です」
「同じく、桜です」
誰だよ、桜って。っていうツッコミは結構前にしたな。というか、そういえば桜って苗字で通してる設定今思い出した。すっかり忘れてた。
「して、此度は如何な御用で?」
「いえ、総理らの決断により私どもは無事このハワイの地に降り立つことができたので、せめてものお礼をと」
「あぁ、そういうことでしたか……」
「はい。それと」
「?」
「……この政府専用機を降ろした、その猛者もついでに見たかったもので。ハハハッ」
そういって金居さんを名乗る機長さんははにかんで笑った。その猛者、目の前にいるんですがね。
だが、あまりここでばらすわけにもいかん。そこから有名人になられたりでもしたらちょっと厄介だ。
「あぁ、それに関してなんですが……今はちょっとこの場にはいなくて、すいません」
「おっと、そうだったのですか。それは残念。ではせめて総理にでも……」
「その総理も、今はすでに移送バスのほうに乗り移って今頃ターミナルに向かっている頃と思いますが……」
「あれ……じゃあ遅かった、ていう感じですかね?」
「遅かった、って感じですね」
「あっちゃー……そうですかぁ、遅かったですかぁ……」
金居機長はそのまま頭を軽くポンッと叩いた。
まぁ、自分たちが無事降りれた一因に総理の決断があったのも確かだ。礼もいいたくもなろう。しかし、総理はもうそそくさとターミナルに行かれたようである。
総理が言ったとなると、大臣方やその側近もついていったに違いない。……となると、国防大臣補佐官の朝井さんがここにいる理由がわからんが、まぁ、他の側近がついていったのかもしれない。
「では、せめて伝言をお願いいただけますか。私たち503便乗員は、総理のご決断に大変感謝いたしております、と」
「畏まりました。確実に総理にお伝えしておきましょう」
「すいません、ありがとうございます。……あの後、総理の決断に関してはすでに乗客に話してしまいまして。支持率上がりそうですね」
そういって軽くけらけらと笑っていた。つまりあれか、503便の乗員内で総理の株急上昇ってことか。まぁ、要素としては十分かもしれんな。
「ハハハ、そうなったらある種の儲けかなにかですかね」
「違いないですな、ハハハッ」
そんな二人の笑い話。どんくらいあがるかなんてのは知ったこっちゃないが、まあ好印象が来るのは間違いないだろう。国内だけでなく、ことによっては世界からも。
……まぁ、元からそこそこ人気のある総理だからそうでなくても高いほうなんだけども。去年に就任したのに未だに7割台前半の支持率だし。しばらくはいろいろと安泰だと思われる。
昔みたいに頻繁に変わるよりは、少しの間長い間リーダーが居座っていたほうが政治も安定してくれるだろう。別に今の政策に不備らしい不備はないし、このまま長期政権になればなと思う。
「……ん?」
……そう思っていると、隣からの視線が少し気になる。
「……えっと、どうかなさいました?」
俺は耐え切れずそう聞いた。
長谷部副操縦士だ。さっきからず~っと此方を見ては訝しげな顔をしている。
俺に気づかれたのを見てか、ハッとしつつも返してきた。
「あ、いえ、お二人はただ単に警備してただけなんですよね?」
「ええ、そうですが……それが何か?」
「いえ……なんか、上空で政府専用機と無線交信した時の声と、篠山さんの声が随分と似てまして」
「え゛ッ?」
ゲッ、マズイ。そういえば無線交信してたんだった。すっかり忘れてた。
ユイの「ほら、さっさとごまかさんかい」と言わんばかりの催促の目線を受けつつ、俺は咄嗟に誤魔化す。
「いや、自分はずっとキャビンにいましたよ。おそらく誰かのと似てたんでしょう」
「似てたんですかね……」
「まぁ、無線越しの声なんてたまに変に変わったりしちゃいますから、そんなこともあるでしょう。少なくとも、自分は操縦なんてしてませんし、技量もありませんよ」
「そうですか……あぁ、すいません、勘違いならいいんですが……」
「ま、よくあることです。お気になさらず」
深く勘ぐられなかった。危ない。疑い深い性格でなくてよかった。
「……あ、その髪飾りいいですね」
「え?」
それどころか、話題が変わった。あざーっす。
「あぁ、これですか。まぁ、私のお気に入りです」
「いいですよねぇ、買ったんですか?」
「いえ、彼の手作りです」
「お~」
俺に対する視線が怪訝から少し輝いたものに。あれ、これ彩夜さんのほうでもみたな……?
そこからの会話は彩夜さんの時と同じようなものである。やはり、女性は男性からの贈り物にあこがれを持つんだろうか。
……しかし、そんな会話もすぐに終わる。
「……では、そろそろお暇をさせていただきます」
「ええ、お気をつけて」
「はい。じゃ、いくぞ」
「はい」
「それでは、失礼します」
二人はそのままこの場を去っていった。もうすぐ換えのバスもくる。それに乗って一足先にターミナルに向かうことだろう。
503便メンバーも随分と乗ったし、もうそろそろ俺らにも出番が回ってくるころである。
「それじゃ、俺も一旦離れるよ。向こうの様子も見てこなくちゃならんからな」
「はい。お疲れ様です」
「うん。二人とも、今日はゆっくり休んでくれ。今後の動きについては追って知らせることにするから」
「了解」
そう言い残して朝井さんもこの場を後にした。残った俺たち。もう少しだけ、この場で時間を過ごすことにする。
「……ハァ、しかしまぁ、ほんとにとんでもないもんに巻き込まれちまったもんだよな、俺たち」
「まーた今更なことを。だから向こうの機長さんたちがやってきたり危うくばれそうになったりしたんじゃないですか」
「それもそうなんだけどさ……ハァ、いまだに実感がないわ」
「実感……ですか」
「そ、実感。ま、お前にはあまり縁のない感覚だと思うよ。学んでいけばまたわからんけど」
「どうでしょうね……今のところはそこまで深く考えれてないので」
「ま、考えれないなら別にいいさ。無理に理解しろとは言わん」
そもそも、そんなの簡単に考えれるようにはできてないしな。人間特有ともいえる感覚に関してはもう少し時間をかけていく必要があるだろう。それで学べる保証はないが。
……そう思いつつ、改めてペットボトルのキャップを開けようとしあ時、
「……あ、そうだ、思い出した」
「?」
また、このタイミングで思い出す。
そういえばやってなかった。終わった後は脱力したり脱出支援したりと忙しかったからすっかり忘れていた。
「思い出したって、何がです?」
「何って、これだよ。ほれ」
「ん?」
そういってペットボトルを持った右手をそのまま差し出す。一瞬理解できなかったらしいユイも、突き出す仕草を示すとやっと理解した。
「あぁ~、それですか。フフ、それ毎回やるんですか?」
「いいだろ、別に。恒例だよ、恒例」
「恒例、ですか」
「そ、恒例。……じゃ、一応無事降りれたっぽいし、互いに今回はお疲れ様」
「お疲れ様です」
そういって互いにグータッチ。そして互いに少しはにかんで笑った。
今では恒例ともいえるこれだが、もうやるのが当たり前になっていた。こういう時は決まってこれである。
コイツとコミュニケーションをとる要素がほしかったのが原因でやり始めたこれだが……今じゃ、互いに一種の楽しみか何かになっていた。
「(……そういう意味では、俺の意図は成功した感じかな)」
そんなことを思いつつ、ふと空を見上げた。
……すると、
「……お、見てみろ。虹かかってやがる」
「あ、ほんとだ」
空には、若干残ってる曇り空に映るように虹がかかっていた。
ハリケーンが残した置き土産か、それともホノルルなりのお出迎えか。いずれにせよ、その雨上がりの虹は中々に綺麗なものであった。
ここ最近、すっかり虹なんて見てなかったので、何とも久し振りな気分だ。
「ハワイで虹ですか……綺麗さも際立って、南国のハワイらしい歓迎ですね」
「まったくだ。……でもまぁ、欲を言えばもう少し平和な状況で見たかったがね」
「確かに」
普通に降りたって普通に見上げて、ていうならもっと楽しめたかもしれないんだけどな。そこがちょっと残念だ。
次にハワイに来るときはもっと平和な状況で見れればいいなと思う。……これるかわからんけど。
虹を少し眺めて、ふと腕時計を見る。そこそこ時間が経った。
「……どれ、そろそろ時間だ。一旦バスのところにいくか」
「はい」
俺たちは移送バスがくる場所にいったん赴くことにし、その場を離れた。
そして、しばらくの待機の後、俺たちはバスに乗ってターミナルに移動していった…………




