Cleared to land 2
オートパイロットが俺の手によって解除がされ、解除に伴う警報音が短くなった後、プッシュしたボタンから光が消えた。
……その瞬間、
「ぬぉぅッ!」
「ッィ!」
より大きな振動とともに機体が右から突き上げられるように傾く。一瞬の反動に、思わず声を上げて操縦桿を強くつかんだ。
やはり、右からの横風のせいか。クソッ、乱暴に殴りやがって。
すぐに操縦桿を右に傾け、針路がずれないように修正。迅速に操作したため何とか水平性は保つが……
「(クソッ、風がつええのか? 機体が左に傾こうとしやがる!)」
右からの下に突き上げるような力が常に働いていた。風の影響が強いらしい。
とにかく操縦桿を固定して踏ん張った。さらに右足でラダーを踏み、機首を風向き側に若干向けることで左へ傾く力を相殺する。右からの力はあるが、それでも何とか堪え切れた。
そんな操作中、右から朝井さんの声が轟いた。
「意地でも風下に流されるな、そのまま耐えろよ! 滑走路のPAPIが見えてるはずだ! それに従え!」
「了解!」
PAPI。滑走路わきに設置され、適切な高度を知らせてくれる設備だ。
4つの光で構成され、左から白2つ、赤2つを目指す。これが白が多くなると高く、赤が多いと低いということになる。
今は一応2つずつになってるから……よし、このままだ。この降下率を保てば……
「フラップス5! 続けて数秒おいて15度まで下げよう」
「了解。ユイ、フラップス5!」
「フラップ5!」
ユイがフラップをさらに5度に下げた。……が
「ッぅ!!」
また右から突き上げるような振動。すぐに操縦桿を右に傾け、右足でラダーを踏んで相殺するが……おかしい。中々収まらない。
浅い角度だが、徐々に機体が左に向き始めた。足元のラダーを何度か踏み込んで機首方位だけでも戻し、それを維持する
「フラップス15!」
「フラップ15!」
さらにフラップをおろし15度に……
……だが、その時だった。
「ッうわぁッ!?」
いきなり機体が左に傾いた。右から突き上げられたなんてもんじゃない。突然、左主翼におもりか何かがドサッと置かれたような激しさだった。
それに伴い、機体がどんどん左に傾いていった。そして、修正操作も効かずにどんどんと左に機首を向けていく。
「な、なんだ!? なんで左に!?」
「お、おい! 早くもどさねぇと落ちるぞ!」
朝井さんや総理の焦燥感MAXの怒号も響く。だが、叫びたいのはこっちのほうだ。
当然、それはユイも同様だった。
「祥樹さん左に傾けてませんよね!?」
「誰が傾けるか! むしろ右に全力じゃ!」
だが、その機体も反応しない。左にどんどん傾き、空港から機首をそむけていっている。
しかし、原因などさっぱりわからない。なんだ? 何があった? こんな時に故障か!?
「(落ち着け! 何が原因か見極めろ! こういう時の人間の頭だろうが!)」
ユイは状況把握に忙しい。これ以上負荷をかけるわけにもいかないし、そんなことしてる余裕もない。こういう時こそ人間の頭脳の出番だ。
こうしている間にも、機体は左に傾き続け、もう45度に差し掛かる。若干降下が始まっているようにも感じた。これ以上傾けたら制御不能になって真っ逆さまだ。
考えろ。何が原因か。何かそれっぽい要因になりそうなのは……今までの操作で、左に傾く原因になりそうなのは……
「(……ん? 待てよ? 今の状況で機体が傾くってことは、主翼の揚力に差があることになるから……)」
……てことは……これ、まさか……ッ!
俺は一つだけ原因を思い立った。そして、それと同時にすぐに叫んだ。
「ユイ! フラップ全部上げろ!」
「ええ!? 全部ですか!?」
「全部だ! 今すぐ上げろ!!」
「は、はい!」
いわれるがままにフラップを全部上げた。ついでに、フラップが補っていた分の揚力をエンジン出力を上げることで補整する。
……すると、
「……あれ、収まった……」
ユイのポロッと呟いた一言通りだった。
機体は姿勢を取り戻し、制御ができるようになった。操縦桿を右に倒し、何とか水平飛行に戻す。
空港に背を向ける形になったが、すぐに左旋回でもう一度滑走路に機首を向けさせる。
「フラップを戻したら姿勢が直った……祥樹さん、どういうことですか?」
「いや、実は俺もよくわからん……タイミング的になんかそうじゃないかってなったら当たったってだけで……」
状況から見て察した結果がこれなだけだ。俺もなんでそうなのかはよくわからない。
一体どういうことなのか朝井さんあたりに聞こうとしたが……
「……まさか……」
「え?」
朝井さんからすぐに行動に出た。
目の前のスイッチ類を操作し、コックピット中央下部にあるEICAS画面を機外カメラの映像に切り替えた。
すると、画面には垂直尾翼前縁頂点部から見える機体の状態が見える。さすがに主翼の先までは見えないが、胴体部分と主翼の大まかな部分はこれで確認できた。
……すると、
「……ええッ!?」
「やっぱり……思った通りだ」
朝井さんは納得したような声を上げ、そして俺たちは顔面を蒼白させた。
その映像には、主翼も一部だが映っていた……が、
そこに同じく映っているフラップが……
「い、一部破損してやがる!?」
フラップが破損し、所々穴が開いてたりかけてたりしていた。左側のほうが損傷がひどいらしく、その破損個所が多い。
今は主翼に収納されているため損傷自体は小さく見えるが、これが降りてくるとなると全体で見れば確実に大きな損傷となっているだろう。
視線がその画面に固定されてしまう中、朝井さんの苦渋に満ちたような声が俺の耳に入ってきた。
「これが原因だったんだ……フラップがかけてるせいで、主翼の左右で揚力の差が生まれたんだ」
「ええ!?」
「じゃあ、フラップを下げることによって徐々に左に傾いたのも……」
そして、フラップを1、5に下げた時に、妙に左にガクンッと一瞬傾くなぁ、みたいな揺れが起きたのも……
「あぁ……これのせいだったんだ。見る限り、左側のフラップの損傷がひどい。つまり、フラップを出すにつれて翼面積が左のほうが小さくなるうえ、損傷個所の穴によって翼面上下部の気流が乱れて揚力自体が発生しにくくなってしまう。だから揚力が生まれにくい。その点、右側はまだそれの影響が少ないからまだ生まれやすい。……この差だ。この差のせいで左に傾いたんだ」
「だが、オーパイとやらを使っていた時に1度下げたろ? その時は何も起こんなかったじゃねえか」
総理の疑問はごもっともだ。だが、オーパイだからこそその異変に気づけなかったといえる。
「1度程度でしたらそこまで差は顕著ではありませんし、それに、オーパイがそこの差も修正してしまったのでしょう。そして5度の時はまだ操縦でどうにかできる程度だった。そして15度にしたとき……」
「その手動操作の許容すら超えた……」
そうか、だからフラップを5に下げた時妙に左に傾いて、そこから中々修正できなかったんだ……あれ、手動操作で修正できるギリギリの状態だったんだ。
そして、今みたいに折りたたんでる時は、その損傷個所も小さく折りたたまれる形となるためそこまで操縦にも支障はなかった。フラップを下げればさがるほど、その損傷個所が開いて大きくなるような状態だったんだ。
「(さすがにオーパイにそこまでの損傷を知らせる警報ないからな……)」
おまけに、仮に損傷して揚力の差が生まれても勝手にオートパイロットが修正してしまうからパイロットが全然気づけない。気づけなかったからこそ、俺たちは一時的であったとはいえあそこまで機体を傾けさせることにつながったのだ。しまった、そこまで考えてなかった。
……自動着陸さえ機能してれば、そこの修正もしながら勝手に着陸してくれるのだが、今はないからなできない。これまた、非常に厄介な問題が発生してしまった。
「だが、なんでフラップ損傷が?」
「わかりません……フラップを壊すようなことしたか?」
朝井さんが呟くようにそういった。
フラップが壊れるなんて相当な場面では起こらない。一体何の操作したらこうなるんだ。
他にどこかでフラップをそうさしt……、ん?
「(……フラップを、操作?)」
…………操作? 下ろす?
フラップを……下ろす……
「…………ああああッ!!!」
思い出した。周りが肩をビクッとさせる中、俺は一つだけ思い出した。そして、顔面を蒼白させた。
……一回だけあった。唯一、今このタイミング以外で、フラップを操作していた。
「な、なんだ? 心当たりあるのか?」
朝井さんの言葉に、俺は視線どころか姿勢すら変えず……震える声で言った。
「……朝井さん、フラップって、耐久速度みたいなの、あります?」
「え? あ、あぁ……基本、着陸するときしか使わないから、フラップの角度ごとに指定された速度で出すってのはある。それ以上出てる時にやったら……まぁ、ぶっ壊れるんじゃないか?」
「それ、どんくらいですか?」
「えっと……詳しくは知らんが、大体1が265前後、5が245前後……そこから徐々に下がっていくな。まぁ、機体やその重量にもよるが、大体そんな感じで―――」
「400」
「……え?」
「400ノット弱でフラップだしたら?」
「いや、そんな速度でフラップだしたらさすがにぶっ壊れ……」
「「「…………え、まさか?」」」
やっと周りが察した。俺は顔面蒼白の視線で向けられる視線に対して、同じような視線で返しながら言った。
「……最初、急降下して立て直す時ありましたよね? 彩夜さん取り返した後すぐ」
「あ、ああ……、て、まさか?」
「その時……このままじゃ落ちると思って……俺……」
「フラップ……下してました。“20度”ほど」
「え!? に、にに、ににに20!?」
「……」
朝井さんの顔面蒼白の叫び声がコックピットに響いた。
そうだ。あの時、速度が出すぎててこのままじゃ落ちると思って何かほかの上昇に使えるツールを探した結果……
“フラップ! フラップはどこだ!?”
……こんなこと言ってフラップおろしてた。
さすがに全部降ろすとぶっ壊れるよな、て“その時は”思って半分下ろしてたが……、そもそも、下ろす判断自体がマズかったのだ。
よくよく考えてみれば、20度だろうがフルフラップだろうがどっちにしろ想定速度超過で完全に折れること確実だったのだ。
「あっちゃぁ……そうか、そのタイミングなら確かにフラップ出しても仕方ないわなぁ……」
「やっべぇ……これ、俺完全にやらかしましたよね? 自分で自分の首絞めてますよねこれ?」
「いや、まぁ、絞めてるっちゃ絞めてるんだが……確かにフラップだしたうえでもあの高度だったし……」
「かぁ~……ヤッベぇ、やっちまったよこれ……」
俺は片手で顔面を覆った。完全に俺の判断ミスだった。結果的に、着陸するってなってんのにフラップすら満足に使えない状態となってしまったのだ。
「え、えっと……この状態で、フラップって使えます?」
ユイが空気を切り替えんとするべく少し明るめの声でそう聞くが……
「揚力の差が少しでも出ている以上、フラップは使えんな……パイロットならまだしも、君たちがこの差を修正しながら降りるなんてことはできるわけもないし、ましてや、今は右からの横風だ。揚力が右側のほうが高い状態で右からの風を受けたら、その風に煽られて余計左に傾きやすくなる。1度でも下げると危険だ」
「でも、エンジン出力操作して、右側を抑えて左側を上げる、て感じでやったら案外その揚力の差って埋めれるんじゃ……」
「そんなのプロのパイロットでも相応の技術が必要だ。素人には無茶だ。言っとくが、俺に頼るなよ? 当然やったことないし、そもそもそんな想定、想像すらしたことない」
「じゃあ、フラップなしだったら?」
「……」
少しの間をおいて、朝井さんは躊躇いつつも言った。
「……方法はある。だが、相当難しい」
「?」
「ノーフラップ・ランディングだ」
「ノーフラップ・ランディング?」
朝井さんは説明した。
このようなフラップが使えない状況を想定して、パイロットの間では『ノーフラップ・ランディング』という操縦方法を取得している。
文字通り、フラップを下げないで着陸進入する。これなら機体制御はある程度利き、しかも風の影響自体もさほど受けない。リスクは格段に下がる。
ただし、速度は上がってしまう。本来、その降下時の増速を抑えつつ一定の揚力を確保するのがフラップの役目だ。
一応、速度超過を抑えるためにスピードブレーキを使って空中でも速度を抑えることはできなくはない。元より、スピードブレーキはこういう時に使うものだ。
だが、それでも着陸時の速度を考えると限界を超えている。あまり使えそうにない。
そのため、結局どうあがいても速度が速い状態で降りることになってしまい、そうなると接地時の衝撃が激しくなりすぎる可能性がある。
それを抑えるため、進入角度を通常より浅くして、地表ギリギリからタッチダウンをしていく。これなら、降下に伴う速度の増速も最小限度に抑えられ、衝撃もある程度制御することができる。
しかし、これもまた問題があり、それだと今度は路面を文字通り嘗める形で接地するため、接地時のブレーキが利きにくくなってしまう弱点があった。つまり、着陸後の滑走距離が長くなるのだ。ましてや、今は路面は濡れているため一層利きにくい。
燃料もほぼないに等しく、それによって機体が大幅に軽くなっているとはいえ、速度が異常に速く、ブレーキが利きにくい状態で着陸し、滑走路内でちゃんと止まれるかは、朝井さんに言わせれば一種の『賭け』ということだった。
「―――燃料も残り少ない以上、やれるのはこれしかない。通常より低空で進入し、速度が増えないように超緩降下で徐々に降りながら、滑走路手前末端で着陸。後はブレーキ全開でとにかくスピードを落とす。これしかあるまい」
「ですが、下手すりゃそのままオーバーランですよね? フラップなしで飛行すると大体190~200ノットの間くらいのスピードでますよ?」
「わかってる。だが、フラップなしでの着陸となるとこれ以外にない。……篠山君、やるしかない」
「……」
「祥樹さん……」
一種の賭け。俺がまいた種ではあるが、賭け、と言われるとやはり出てくる感情は不安と緊張とプレッシャーしかなかった。
路面と嘗めるように降り立ち、ブレーキが利きにくい中で無理くり止める。それも、このB777-300ERという大型機でそれをこなせという。
……相当無茶な要求だ。地表ギリギリを、速度が上がらないように操作しながら滑走路末端で下すのか。そこら近所のアトラクションよりスリリングになりそうだ。たとえ無料でも乗りたくない。
……だが、種をまいたのは俺だ。落とし前は、自分で着けるのが義理である。
「(……俺がやるしかないよな)」
もはや道はない。滑走路までもう距離がない。降下を始めるなら……今だ。
俺は、覚悟を決めた。
「……ユイ、スラスト頼めるか」
「え?」
「着陸する。……ノーフラップランディングだ。俺は操縦に専念したいから、お前にはスラストを頼みたい」
「ッ!」
操縦桿を一層握りしめる。先ほどからガタガタと揺れる中、その操縦桿の揺れだけは絶対に抑えるつもりで力を強めた。
「俺は操縦桿をやる。お前は……スラスト、頼めるか?」
「……」
「悪いね。俺の間抜けなドジでお前まで巻き込んじまうぜ。……志願制だが、どうだ?」
ユイは少しの間俺を見つめていた。何を考えてるやら。こんな時でさえマイペースなロボットさんである。
……が、それも長くない。「仕方ないな」といった顔をしながら鼻で小さくため息をついていった。
「……あのですね、私はこういう時率先して出る役目みたいなのがありましてですね」
「あ、そうか。そりゃそうだよな」
「そうですよ。……それに」
「?」
「……どうせ、祥樹さんのやることです。最期までとことん付き合うのが『相棒』ってもんでしょ。違います?」
……ハハハ、こんな時にまでドヤ顔かましてやがる。ほんと余裕だなコイツ。思わず鼻で一瞬笑いが出た。
「……なるほど。お前らしい回答だ」
「でしょ? ……さて、滑走路もちょうど近くなってきましたし、そろそろ行きますか」
「オーケー。じゃあ相棒、スラストは任せた」
「アイッサー」
「高度1200ft、速度225kt、滑走路までの距離……よし。じゃあいくぞ」
「降下開始」
一回の深呼吸ののち、俺は操縦桿を押し込んだ。
機首が下がり始め、どんどんと降下していく。その間、速度がどんどん増えるが、スラストを絞り、アームド状態にしていたスピードブレーキを上げて最大限抑えた。
「500ftで固定し、そのまま緩降下する。エンジン下げ。適切な出力とタイミング、角度の演算は任せた」
「了解。やっと私が本気出せる場面がキタッ!」
「頼むぜ、どんどん本気出してくれ。お前の腕と頭の見せ所だ」
「オッケーィ、お任せあれ!」
こういう時のコイツの声が妙に頼もしく聞こえるのはおそらく気のせいではないだろう。うん。
PAPIは全部赤を示している。滑走路までの距離に対して、本来の進入高度より低いのだ。だが、完全無視。
高度500ftになると『500』の電子音声。そのままで一旦降下を止め、機首を上げる。スラストを抑えていたおかげで、増速はそこまで起こらずに済んだ。タイミングを見計らってスピードブレーキも閉じ、またアームドに設定しておく。
そこからは失速せず、かつ増速しないようにしながら、ほんの少しずつ減速する程度に超緩降下を開始した。ここら辺は、ぶっちゃけ勘で降りている。
眼下はホノルルの街並みだ。うまく目を凝らせば、もしかしたら人の姿が見えるかもしれないが、当然ながら今はそんなの見てる余裕はない。
「ユイ、ギアダウン! 今のうちに降ろせ!」
「了解! ギアダウン!」
ギアレバーを勢いよく下に押し、車輪をすべて出す。抵抗が増える分の減速はスラストをちょい上げることと、機体角度の調整によって“ある程度”相殺する。全部を相殺はしない。あくまで、失速しない程度にとどめる。
ゴウンゴウンと重低音が響く中、さらに続けて、
「朝井さん! 管制塔に伝えて、誘導路にいる機体と緊急車両全部どけてください! 滑走路に繋がってるやつ全部!」
「わかった。無線交信変わるぞ」
朝井さんに伝言を頼む。このまま行って、万が一誘導路側に外れたとなれば、仮にそこにほかの旅客機や、俺たちの着陸に備えて待機している緊急車両がいれば二次災害だ。事前に避ける。少し離れている平行誘導路に置かせることにした。
伝言はすぐに伝えられた。無線がそれを物語っている。
『Honolulu tower, Roger. All rescue team, get away from runway, get away from runway. Emergency wing will be landing soon.(ホノルルタワー、了解。全緊急車両へ、滑走路から離れてください。滑走路から離れてください。緊急着陸機がまもなく着陸します)』
『Rescue 5-5 roger. All Rescue, we going ―――(レスキュー5-5了解。レスキュー全隊へ、これより―――)』
『AIR IXION 701, hold short of RB taxiway, due to landing emergency wing.(エアイクシオン701便、RB誘導路前で待機。緊急着陸機が着陸します)』
『AIR IXION 701, roger. Hold short of RB taxyway.(エアイクシオン701便、了解。RB誘導路前で待機する)』
『Unicorn Air 124, hold short of AIR IXION in front?(こちらユニコーンエア124便、前方のエアイクシオンの前で待てばいいのか?)』
『Unicorn Air 124, That's right. hold short of AIR IXION in front.(ユニコーンエア124便、その通りです。前方のエアイクシオンの前で待機してください)』
『Unicorn Air 124, Roger.(ユニコーンエア124便、了解)』
『All Japan 387, your nunber 3, hold short ―――(オールジャパン387便、貴機は3番目です。その前方の……)』
無線がさっきから騒がしい。今だけ切っちゃいたいくらいだった。
「(どこもかしこも忙しい……か。これで俺たちが降りれなかったら怒るやろな)」
それだけは避けなければ。ここまで“おもてなし”されてんだ。しっかり降りてやらねば。
その間も、低空での進入はまだまだ続き、細かな修正がユイからもたらされていく。
「速度が少し早いです。もう少し減速しましょう。機首上げ角プラス3度」
「了解。プラス3度」
若干操縦桿を上げ、ユイが出力を下げた。すると、速度は少しずつ減っていくが、最適な出力と角度を保っているため降下率の上昇は最低限に抑まっている。
これもすべてユイが速度を下げるのに最適な姿勢と出力を割り出したおかげだ。だが、これもしばらく維持するのはつらい。減速したとはいえ未だに速度が速いのでちょっと操作をミスると大幅にずれるから神経が磨り減る。
スラスト調整も、上げすぎても高度が落ちてくれず、下げすぎると一気に高度を失う。調整をミスすれば適切に降下してくれない。それすなわち、結果的には死と同然。死と隣り合わせとはまさにこのことだった。俺とユイ、互いにその手に込める力は強い。
ユイが高度を読み上げながらさらに修正指示を出す。
「400ft。あぁ、失速気味です。マイナス3.5度で。こっちもう少しあげます」
「はいよ」
「あぁ、今度は下げすぎ! プラス1.8!」
「は、はいよぉ……」
微妙な操作を繰り返し、できる限り速度を抑える。その甲斐もあってか、速度は195ノットまで落ちた。だが、まだ早めだ。
それ以上の減速は限界があった。ここからは、基本的に速度維持に専念することになる。
「現在300ft! ほら、もっと上げて上げて! プラス2.3!」
「お、おう……ていうか注文細かくね?」
「人間でしょ根性見せなさい!」
「根性って……今どき精神論ってはやらないんだぜ? 知ってるか?」
「そんなもん私が知ると思いで?」
「ひえぇ……もうこんなだったらどっかの航空機マンガにあったアラスカの暴君とか連れて来いよ。彼女ならこの状況余裕でどうにかしてくれんだろ?」
「残念ながら彼女のようなハイスペックなお方は現実にはいません。あ、今200ft」
「お前元ネタ知ってるのかよ。実はお前がその暴君だったり?」
「私はどっちかっていうと女神か天使でしょ?」
「あー、コイツの自惚れボケに耐えんのもそろそろ限界だぜ畜生めッ」
そんな漫才かませる余裕あるなら俺たちまだまだいけるな、と確信する
そんな微調整をしつつ、もう滑走路が目の前に見えてきた。横風に耐え、そして注文要求に耐える道のゴールも目の前だった。
ユイの適切な演算のおかげで、降下率は中々絶妙なところに納まっている。コックピット内にマーカービーコンの電子音が響き、さらにこのころになると警報がいくつかなり始める。
時たま『Terrain』やら『Pull Up』やら、もう大体何がどんな警報なのか想像つくが、それも今は一切無視。
機体の制御は何とか安定していた。右からの横風で機体は揺れているが、それだけだ。しっかりコイツは耐えてくれている。大型機ゆえに、風には強い。
「(よーしいい娘だ……そのままいうこと聞いててくれよぉ、怪我させちゃった分ちゃーんと償いはするからよぉ……)」
こんなんで償いになるかは知らんが。しかし、無事におろしてあげるのが今俺にできる最大の償いだろう。
高度はすでに100ftを切った。今にも地面に降りそうな高度スレスレを、着陸進入灯をかすめながら飛ぶ。
「高度100ftカット、速度191……ギリギリだ。そのまま降りるぞ」
「でもこのままいったら私の演算だと一回バウンド入りますよ!」
「構うな。むしろバウンドさせて強引にブレーキ摩擦起こせ!」
どこかで何でもいいから抵抗力を起こさせる。摩擦が起きるならバウンド様々だ。
滑走路が眼下に迫った。50ft。機械音声が響く。明らかに進入速度が速い。着陸に使う速度じゃない。
だが、問答無用だ。
機首上げ5度。クラブ角そのまま。
「(まだ……もう少し……もう少し……)」
40ft……30ft……さらに少しずつ下がっていく。
タイミングを見計らい……
……よし、今!
「ユイ! エンジンカット!」
「了解!」
エンジンの出力を全部下げアイドル状態にした。同時に、左足のペダルを押して風上に向けていた機首を向けていた機首を戻した。
そして、エンジン出力をカットしたことにより揚力を失った機体は重力に従い地面、もとい滑走路に落下。
地面降下で一瞬降下が緩くなるが、それでも最終的には……
ドシャンッ
「……うぉッ!!」
地面に、タッチダウンした。
ドンッ、と一回大きな振動が響き、そしてまた一瞬感じる浮遊感。
「ッ! バウンドが!」
「構うな! このまま下ろす!」
さらに機首を上げ、抵抗を増やしつつ無理くりまたタッチダウンさせた。随分と強い。完全なるハードランディングだ。
バンッ
「ッ!?」
その空気が破裂するような音とともに、自動的にスピードブレーキ展開。オートブレーキ作動。操縦桿を押し込んでノーズギアを滑走路にドスンッと下した。
「ユイ! 逆噴射かけろ!」
言うと同時に行動に入った。
エンジンスラストの手前にあるリバーサーを手前に倒し、逆噴射をかけて一気に停止にかかる。
ブレーキに必要なすべてのツールを用いての減速が始まった。
しかし、ここにきて最後の試練が立ちはだかった。
「祥樹さん今のは?!」
疑念を含んだユイの叫び声。その答えは明白だ。あの空気の破裂するような音。しかも下部の後方から。
条件から見て間違いなかった。
「タイヤのバーストだ! タッチダウンが強すぎたんだ! タイヤが耐え切れずパンクしやがった!」
「ええ!? どこがやられたんですか!?」
「わからん! 調べてる余裕はねぇ!」
タイヤのバースト。つまりパンクだ。タッチダウンの衝撃が強すぎたか。
このぬれた路面上では、もしかしたらそれによる強烈な摩擦はブレーキ的な意味では吉と出るかもしれない。だが、その代り機体制御がしにくくなり、最悪ギア部分から火災も起きかねない。
「(クソッ! ここまで来たらもうどうしようもねぇ!)」
人間のやる操作はもうほとんどしたも同然だった。機体が耐えてくれることを願った。それしかできなかった。
ブレーキは利いていた。速度は徐々に減っていっている。しかし、まだ早い。やはり進入速度が速すぎたんだ。
激しく揺れる機体。それに揺さぶられる俺たち。
滑走路からずれないよう、必死にペダルを踏み込む。ここからはユイも自らの足で協力してくれた。もはやユイもやれることはこれしかない。
速度100ノット。滑走路の半分を切った。
「止まれ……止まれ……ッ」
「お願い……止まって……ッ!」
懇願するだけ。それ以上のことはできない。やることはすべてやり終えた。
歯を食いしばり、目の前のPFDの速度メーターとにらめっこ。速度は落ちるが……その視線を上にずらすと、
「ッ!」
滑走路末端がすでに視界内に入っていた。
まだ路面を滑ってるのか、減速が遅い。まだか? まだ止まらないのか? もう末端が見えてるぞ?
「(頼む……止まってくれ……、頼む……ッ!)」
目を閉じ懇願した。片手で操縦桿を握り締め、片手で上部にあるMCPに手をかけて振動に耐えつつ必死に願う。
時間は短いはずだった。だが、走馬灯、とはまた違うのだろうが、時間が長く感じていた。
随分と長い滑走だと思った。
速度メーターを見てる余裕もなかった。気が付けば、ユイの速度コールも消えていた。
そして、徐々に止まっていき、滑走路末端に近づいたとき、
妙に左に機体の方向が向くような感覚を覚え、さらに「ガタンッ」と何かに乗り上げるように上下に大きく揺さぶられた直後……
「……………え?」
……振動が止まった。一瞬にして、静寂がコックピットを支配した。
そして、顔を上げて窓から見たのは……
「……と、止まった……?」
動かず止まった、末端数百mくらい手前の、滑走路脇の緑色の芝生の風景だった…………




