私幌市防災訓練兼市街地治安維持訓練 4
時間は一斉に動き出した。
和弥と新澤さんは何を思ったか部屋を出て階段方向に向かった。状況を確認するべく俺は無線を点け状況を確認しておけるようにする。
新澤さんのことだ。きっと何か考えがあるのだろう。向こうは彼女に任せるほかはなかった。
その間に、こっちも状況を動かした。残された時間は全然ない。俺は急いだ。
「一応ただのIEDの起爆のためのプログラムだからそれほど時間はかからないと思うが、まずは起爆プログラムの中枢システムの状態を見ておけ。攻勢ウイルススキャンもだ。時間はかけるなよ」
「無茶な要請ですね、それ」
「言い出しっぺなんだし、そんくらいやれるだろ?」
「まあ、御尤もなお言葉で」
若干「やってやるぜ」的な微笑を浮かべるユイ。格好をつけたつもりか、それとも自然か。何れにせよ少しかっこいいと正直思ったのは俺の本心である。
実際、それほど時間はかからなかった。
ユイに危害を加えそうな攻勢ウイルスのスキャンを終える。右手にグーサインを作り目線で問題がないことを伝えると、そのまま中枢システムの解析に取り掛かった。
「それほど複雑な構造ではありません。すぐに解析できます」
「コード解析が面倒なら、システムのほうから電源だけでも落とすという手もあるが?」
「無理ですね。それの対策のためか、電源関連コードがシステム最深部に置かれています。はっきり言ってコードを地道に解析して解決したほうが早いかと」
電源は奥にあって起爆コードはそこより上にあるのか。電源を落とされることによって、今俺たちがやろうとしていたみたいに起爆自体ができなくなることを防ぐためだろう。面倒なことだ。これでは起爆コードを地道に読み取るくらいしか方法がない。
「チッ、どれくらいかかる?」
「数分、としか」
「オーケー、できる限り急いでくれ」
そういった端的な言葉を交わしていると、今度は無線が響いた。新澤さんだ。
『祥樹、こっちもそろそろ行動に移るわ』
「了解。……で、何する気です?」
『なに、聞いてればわかるわよ。……来たわ、和弥』
『あいよ』
いよいよ武装したご厄介な来客が来たらしい。無線越しに鉄製の階段をカンカンならして上がってくるのが聞こえてきた。この時点でまもなく4分をまもなく切るところであった。
『静かに……よし、GO!』
『おらァ、ちょっとご睡眠よろしくッ』
「……は?」
そのあと、何やら変にゴトゴトという雑音とともに「な、なんだ!?」やら「うわ、なにをするやめ……」やらといった困惑の音声を鳴らした後、すぐに沈黙した。
……おい、あいつら一体何しやがった。
『やっぱり、こいつら持ってたわね』
『ヘッ、案の定テンプレすぎて泣けてくらぁ、ちょっくらもらっていくぜ』
「おいおい、あいつらほんとに何しやがった……?」
そんな疑念はお構いなしに何やらあさったような音を無線に残した後、二人は戻ってきた。その手には……
「え、AK!?」
リアルのAKだった。形からして、おそらくAK-74だろう。さらに、何やら手には何個かのマガジンも持っており、体に巻いている弾倉入れにも何個かそれらしいものを入れていた。
……間違いない。これは明らかに……
「……まさか、奪ってきたんすか?」
「あいつら、先方ゆえに大量に持ってやがったぜ。ありがたく使わせてもらおう」
「おいおい……」
新澤さんが考えていたことというのはこれのことだったのか。
確かに、空砲で太刀打ちできないからやむを得ない手段ではあるとはいえ、まさか本気でやるとは……。しかし、そうはいっても現実それくらいしか太刀打ちできる方法がないので仕方ないだろう。
しかも、そもそもの問題その先方らしき敵が本当に実弾を持っていることがこれで確認できたということは、その後続も確実に持っているということの裏返しともいえた。そういう点に関しては、俺の読みは間違ってなかったということになる。
「目には目を、歯には歯を、実弾には実弾よ。これ以外何があるのよ」
「いや、それはそうですけど……ガチでここでやっちゃうんすか?」
「当たり前じゃないの。これしか方法がないのよ」
「は、はぁ……」
正直、初めての“実戦”とあってそこまでしてしまうのかと躊躇もあったが、その戸惑いは新澤さんのその表情に押し殺された。
彼女の顔はすでに最初とは一変している。完全に戦場の人の顔だった。隣の和弥とは全然その威圧感が比べ物にならない。
それを見届けつつ、現在ハッキング中のユイのほうを見て状況を確認しようとした時だった。
「いい、和弥?」
「?」
新澤さんの真剣みを帯びた声が聞こえてきた。今までの彼女とは違う。何か、何とも言えない圧迫感があった。
「時間がないからここで迎撃するわ。だけど、これから私たちがやるのは何の言い訳もできない明確な“人殺し”よ。訓練用ロボットでもない、機械でもない、敵といえど結局は私たちと同じ人という“自分たちの同胞”を殺すの」
「……」
「でもね、戦場ではその人殺しを躊躇した人から死んで行くのよ。いい? 死にたくなかったら迷わず撃ちなさい。引き金を引きなさい。そして、一回引き金を引いたらあとは迷わないで。途中で迷った瞬間今度は自分が撃ち抜かれると思って。死にたくなかったら撃つ、一回撃ったら迷わず次を撃つ。それを心の中で繰り返すのよ。それを絶対忘れないで、いい?」
重みが全然違った。戦場を経験したからこそ言えるその言葉、伊達に経験者ではなかった。
今の言葉は、まるで和弥だけでなくこの世に生きるすべての人に向けていっているようだった。俺もあの10年前の戦争の“経験者”だ。その言葉が、どれほど重要な意味を持つかはいやというほど知っていた。
事実、この世界は弱肉強食だ。だからこそ、そういった自分を守る最大の“術”を持っていないといけない。正直、今を生きる人々に一度聴かせてやりたいと思えた。それも、今の日本人に対して。
和弥も正直ノリノリというわけでもなかった。いや、こんなことにノリノリで入れる奴と言ったら米兵ぐらいものだが、それでも、和弥は次の瞬間には意を決したように口元を若干ゆがませた。
「……了解。ここまで来たらもう割り切りますよ」
「そうよ、それでいいの。割り切るべきところは躊躇なく割り切って。余計なことは考えないで今自分のやるべきことをやりなさい。それがたとえ人殺しでも。人権とか他人に対する情けとか、そんな戦争をしたことがない平和ボケ人間が考えるような甘っちょろい考えはどっかに投げ捨てるのよ。最悪、それのせいで仲間をまきこむことになるわ」
「了解。なに、俺とて一軍人ですよ。そんなのとっくの昔に捨ててます」
「それでいいわ。……戦場ではそういったことがこれっぽっちも通用しないことをよく心に刻んでおきなさい。それが、戦場における軍人の“マナー”よ」
最後は、若干自分にも言い聞かせているようにも見えた。当然、彼女とてこんなことを乗り気でやるわけではない。だからこそ、ここで自分の気持ちを戦場のものに切り替えさせたのだ。
今の彼女の心は、戦場特有の冷徹なものとなっているだろう。そして、階段に向けている視線も、自ずと冷たいものとなった。
隣でニーリングポジションをとった和弥も、新澤さんの言葉に感化されたようだった。すでに心に決めたように。心を鬼にして冷徹になるのを決したように。今までにないほど冷たかった。
「(……そうか、これが“戦場”か)」
銃撃戦すらまだ発生していないこの時点で、すでに何とも言えない重い重圧を感じる。この重さが、まさに“戦場”というべきものなのだろう。
俺がその銃撃戦に立ち入るわけでもないのに、ここまでの重圧を感じる。当の二人はもっと大きいものだろう。
……俺はここで「ガンバレー」としか言えない。しかし、俺が立ち入ってどうにかできるわけでもない。今は、二人に任せるほかはなかった。
「(とにかく、今はユイが集中できるようにしなければ……)」
意識を元の方向に向いた。
だが、そのタイミングだった。
「ッ! きたッ」
ユイのほうに向こうとした瞬間、今度は連続的な発砲音が聞こえてきた。銃声だ。明らかに階段方向から。敵がついに階段を上って新澤さんたちに攻撃を仕掛けてきたようだ。
「きたわよ、和弥、初めて!」
「了解ッ、おらぁ、出迎えはこっちじゃボケェ!」
その和弥の威勢良い叫びが号令となり、すぐに銃弾のお返しがされ、鉛玉の応酬が展開された。
訓練であるような空砲やぺインド弾ではない。リアルの実弾である。
少ししくれば死人が出る。もしかしたら俺のすぐそこにいる二人がここで死ぬかもしれない。
実感がない。だが、それが現実だった。そのようなことを考えるまでもなく、俺はすぐに無理やり意識を目の前に集中した。
残り3分を切りそうなところだった。時間がない。若干焦燥感が俺の顔に浮き出ていた。
「どうだ? 解析できたか?」
そう言ったって変わらないのはわかっているが、しかしどうしても言いたくなってしまった。やってる本人にとってはただただうざったいだけであるのも、この時の俺には判断できるわけもなかった。
「大丈夫です。もうすぐに終わります」
ユイは一言それだけ言うと、またハッキングに集中した。
今この時に限っては、時間も時間なので使える演算処理をすべて総動員でハッキングにまわさねばならない。だからこそ、返す言葉もいつも以上に短く端的になった。まさに、“集中”とはこれのことを言っているのだろう。
「(二人は大丈夫だろうか……)」
それが個人的には一番気がかりだった。俺の知らないうちに勝手に死んだりしないかとか、そんなことをやはりどうしても考えてしまう。それでも、今はあの二人を信じるしかなかった。今の俺にはどうにもできない。
その数秒後である。
「ッ、ぅッ」
「ッ!」
銃声の雨音からかすかに聞えた声を俺は聞き逃さなかった。すぐ隣、ユイからだった。
見ると、ユイの表情が若干キツイものになっていた。顔にしわを寄せ、呼吸が最初より若干テンポが速くなっている。
「おい、大丈夫か?」
そういって右手をユイの額に当てて若干ついていた水滴を吹いてやろうとした時だった。
「ッ、あっつッ!?」
その右手を即行でひっこめた。手に触れたその指先に伝わってきたのは、想像以上の“熱”であった。まるで、IHヒーターか何かに長時間あぶっている鉄製のフライパンのような状態だった。確実にやけどしてもおかしくない熱だ。
だが、幸いそれはなかった。手袋をしてなかったからまさかとは思ったが、赤くはれたりした様子はない。
しかし、あの熱さ、明らかに異常だった。
「だ、大丈夫です……まだやれます」
俺を心配してはユイはそうはいっているが、その声は小さかった。息切れが起き始め、声を出すのがつらい印象を受けた。少し返答するだけの音声出力処理すら、今の演算処理能力の余力では足りないということだ。
それはつまり、それほどユイのハッキングに用いる演算処理が容量的にキツイことを意味していた。
「(だがなんで……別に構造上複雑じゃないって言ってたはずなのに、ここまで内部機器が熱上げるほど処理に手間取るって……)」
外部の皮膚があれほど熱せられるということは、つまりその内部機器の熱が伝播し外部に接する皮膚を熱くするほどの高処理を強いられているということを意味していた。
だが、ある程度高度な演算処理程度ならここまで変化は起きないはずだった。事前の設計想定の範囲外ではあるが、元より戦闘用、はっきり言ってこの程度の演算ならお手の物とすら言えるレベルである。
一体何が原因だ? 俺は数秒考えて、今更になって異様に暑いなと感じ手で顔を軽く仰いだ時……
「……ッ! そうか、この部屋か!」
原因をすぐに理解した。
すべての元凶はこの部屋だった。夏の高温多湿の日本家屋の一番の特徴が、この“ものくっそ暑い室内”である。
クーラーや除湿機がなければ、中東の国以上に暑苦しいとすら言えるこの気候に晒された室内はひどいことになる。ダニやカビが大好きな気候がまさにこの日本のような湿気高いところである特徴にもあるように、要は滅茶苦茶“暑い”のだ。
コンピューターにとってその暑さというのは一番の弱点だった。暑すぎると電子機器の機能不全等を誘発させ処理能力の低下が発生する。また、それがさらに進行すると今度は熱暴走も発生しそれに拍車をかける。
しかも、今みたいにハッキングなどによって高度な処理が必要となる現状ではとても致命的だった。ハッキングのために高処理をすると、それによって発生した熱で処理能力を落とし、それを解決するために処理をもっと速めるとその熱で処理能力の低下が……と、まさに演算処理におけるデフレスパイラルの出来上がりである。
今のユイは、それによってとんでもない熱に晒されているのだ。
その熱が、処理をするうえでの弊害となっている。
「(クソッ……もっと通気性いい部屋だったらまだマシだったのに……ッ)」
ある程度窓はあるとはいえ、今に限っては全然風が入らない。しかも夏である。暑さにプラスして多量の湿気も絶賛ご滞在中だった。コンピューターにとってはこれほど最悪の環境はない。
今この時が重要という時に、まさにコンピューターが出合いたくない状況に陥ってしまった。
「(どうにかして……どうにかして冷やせないか……?)」
とにかくユイをどうにかして冷やさないといけなかった。少しでもいい。少しでも冷たい何かを与えなければ処理能力が見る見るうちに低下してしまう。
何か使えるものはないか? 必死にそう考えていると、
「―――?」
今度は無線が響いた。近くにいる二人ではない。HQだった。
『シノビ0-1、あと5分だ! あと5分でそっちにEODが着く!』
「遅 い わ あ ! !」
いきなりなんだと思ったらそれかよ! こちとらあと2,3分で命の危機なんだよ! そんなことしてる暇あったらユイに接続つないで処理支援でもしてくれよ! 今熱がひどくて処理能力低下してんだよ!
『いや、こっちからリンクがすぐにつなげれないんだ! 悪いが今は彼女に頼るしかない!』
「おいおい、ふざけんじゃねえよ! こんな状況でユイだけで完全にできるわけねえだろ!」
俺は思わず怒鳴った。本気でふざけるなと思った。HQがこんなときに都合よく擁しているわけもないとは思ってはいたが、そっちにあるPCの何でもいいからつないでほしかった。
激しい憤りを感じ、さらに怒鳴ろうとした時、左肩に何かが乗るのを感じた。
弱々しくも、その中に小さく力を込めるようにつかむそれは、ユイからのばされた右手である。
「だいじょう……ぶ……です、から……ぃッ」
「ッ、ユイ!」
ユイが苦しそうに胸辺りを押さえた。主要機器はおもに胸部にある。この仕草は、つまりはハッキングに使っているメインの演算機器に伝わっている負荷が異常に大きいことを俺に伝えていた。
さっきより激しく息切れをしながらそう苦しそうにいっても、俺は全然安心できなかった。いいや、むしろ不安感が増長した。
……マズイ。高温環境による処理能力低下がさっきより顕著だ。言語処理能力も若干低下しているようにしか見えない。
だが、その目力だけはまだ衰えていない。ほんとに、今は心配しないでくれと、それだけはしっかり伝えたいがために。
俺はユイの言葉に一々反論する気が起きなかった。いや、できなかった。
自分自身がとても苦しそうにしても、俺にだけは心配させまいと「大丈夫」と言葉を連呼していた。だが、もちろんとぎれとぎれで、しかも小声なので時々よく聞こえなくなるほどだった。
『とにかく急がせる! それまではそっちで頼んだ!』
「……了解」
相変わらずいろんな意味で無責任なHQとの無線をうんざり声で終わらせる。
残り2分半を回った。このままでは明らかに処理が間に合わない。どう考えても間に合わない。こんなクソみたいな環境で処理を終わらせれるほどユイはチートというわけではないのだ。
「……」
俺はふと周りを見た。
「和弥! 右側敵逃してるわよ! 早く撃って!」
「了解! クソッ、少しは休息の時間くれってんだ!」
一向に鳴りやまない銃声の中からかすかに聞える二人の声。切羽詰まったその声は、状況がより切迫していることを何より示していた。正直俺も加勢したいが、そもそも実弾ない状態で何もできないうえ、そもそも二人からここにいろと言われている身だ。行きたくても行けない。
……だが、
「(……ユイ……)」
隣では必死に“戦っている”ユイがいた。しかし、状況は明らかに劣勢だった。さっきよりさらに苦しそうに胸を押さえて荒い呼吸を繰り返していた。内部の熱が上がっている。処理が重くなり始めていた。
……だが、物理的にそのユイを支援することは、今の俺にはできなかった。いや、しようがなかった。
俺はロボットではない。ユイの処理支援はできないし、そういった支援をできる端末も持っているはずもない。あればあったでハッキングの一つや二つはできなくはなかったのだが。
「(……なんだ、こんなときにまで俺は他人任せか……)」
元より隊長というのはそういう立場である。それはわかっていた。
だが、もどかしかった。またあの時みたいに他人任せで自分だけ何もしない、なんてことを繰り返すのが何より抵抗があった。
残り2分を回った。処理はまだ終わらない。コードすら見つけられていなかった。
時間は無慈悲にも刻々と過ぎ去っていく。徐々に本格的に焦り始める気持ちを抑え、ユイがハッキングを終えるのを願った。
だが、状況はその真反対を生き始める。
「ハァ……ハァ……ッ」
「だ、大丈夫か?」
意味もなくユイの背中に手を乗せた。戦闘服越しに若干熱が感じられ、その顔はほんとに苦しさしかなかった。
しかし、それでも俺に気付くとその顔に無理やり小さな笑みを浮かべた。
「大丈夫です……まだ、まだ……ぁッ」
「……」
絶対嘘だ。じゃあなんでそこまで苦しそうにするんだって話だ。嘘は下手くそか。そこまで俺にならなくていいってんだ。
また息切れが激しくなってきていた。今現在のハッキングの状況を教えてもらおうと思ってもこれは絶対答えられずに終わるに違いない。
何もできないで終わりたくはなかった。何か、何かできないか。俺は必死にその方法を探した。
「(何かないのかほんとに……)」
そう焦りを出しながらその気持ち任せに右手で右足太ももをたたいた時だった。
カンッ
「……ん?」
その右手に何かが当たった。
固い何か。金属的な円筒状のそれは、腰のほうにひっかけて常に持ち歩いていたものだった。
「(なんだ、水筒か)」
ただの水筒だ。戦地で軽く水分を補給する際にすぐに使えるように、中は氷でキンキンに冷えている。
ましてや今日に限ってはこの暑さだ。すでに1/3くらいは減っていた。
でも、結局はそれだけだった。水筒自体は冷たくもなんともない。かといって中身をそのままぶっかけるわけにもいくまい。どうせすぐに乾いて終わりだった。
何か布でもあれば……
……ん? 布?
「(……あ、あるじゃねえか!)」
俺は考える前にすぐに走った。
その先にあった板をどかすと、またとんでもない腐乱臭とともにハエが飛び交うが、それでも、俺はお目当ての物を見つけた。
「やっぱり、布あったじゃねえか!」
そこにあったのは、例の女性の死体と、“彼女が来ていたらしい服の布切れ”だった。
全裸死体ではなかっただけにそれはあったにはあったのだが、即行で思考の外に置いていたので全然気付かなかった。布切れはさすがに数ヶ月程度では腐敗はしない。
しかも、運のいいことに綿製のものが豊富だった。綿はタオルなどにも使われるほど吸水性に富み、水分を保ちやすいと聞いているし、ちょうどいい素材だ。
すぐに適当に使えそうなのを2枚ほど手に取った。案外臭いもそれほどなかったので都合もいい。すぐにユイの元に戻ると、水筒のふたを開けてまず1枚を氷で冷やされた水に大量に浸した。
そして、今度はユイのほうを向く。
首元のUSBケーブルをつなげるために体につけているアーマーなどの余計な装備をすべて取っ払って迷彩服だけの状態であったのが幸いした。
「ちょっとごめん」と軽く掌合わせると、胸元の部分だけボタンをとってそこであいた胸元にその水で浸した布を当てた。
「?」
ユイが気付いてこっちに視線を向けるが、俺はそれに対しては目にも向けず、左手で布を押さえて右手で手際よくもう一枚の布に水を浸して、さらに中で溶けて小さくなっていた氷も出して水で浸した布で丸めた。
それを右手に取り、そのまま今度は口元を軽く押さえた。
「どうだ? これでだいぶ冷やされたと思うが……」
両手でその水浸しの布を当ててそう言った。
わざわざこうしたのも、とにかく冷気を当てるためだ。ロボットに効くかはわからないが、一応若干ながら冷気や熱気を感じ取ることができる以上、こうしたこともとりあえずは効かないことはないと考えた。
胸元にやったのはもちろん主要機器があるから。そして口元にやったのも、呼吸時に冷たい冷気を取り入れさせるためだった。直接水飲ませるわけにもいかないため、ある意味これが一番効率的な方法である。ユイが人型であるからこそできる方法ともいえた。
これくらいしかできない。だが、これが今できる一番の方法だった。
何を思ったのかはわからない。だが、ユイはそのまま軽く微笑んで右手で小さくグーサインを出した。少なくとも、悪く思われたわけではないらしい。
どことなくその表情も少し落ち着きを見せたようにも見えた。冷気が届いたのか、呼吸頻度も若干落ちてくれた。少しでも熱が消えてくれればこっちとしてはありがたい。このままの調子でいてくれよ。
この時点ですでに1分を切っていた。タイマーの分はすでに0を示し、60秒のループもついに最後を迎えた。当然、今から逃げたって逃げ切れるわけもない。爆発範囲にどうしてもおさまる。
また、それだけではない。
「クソッ! 奴らどんだけ戦力持ってやがるんだ! 本当にただの武装ゲリラか!?」
「ねえ、ハッキングまだ!? そろそろこちも限界よ!」
こっちも限界が来ているらしい。ただの武装ゲリラなのに、数分たってもまだ投入する戦力があるとか、一体相手はこんな俺たちみたいな少数コマンドをぶっ殺すだけにどれだけの戦力を持ってきたのか意味がわからなかった。そこまで力があるようには思えないのだが。
時間がないのは、もう限界が近付いているのはお互い同じだった。敵方もそうなのかはわからない。だが、そうであることを祈りたかった。
敵……ゲリラだけでなく、このIEDに対しても。
「(残り30秒……)」
タイマーを見て時間を確認する。1分も半分を切った。
「(頼む……うまくいってくれ……ッ)」
俺は必死に祈った。後戻りできない今、唯一頼りにできるユイをこれでもかというほど強く願った。
自然と布を押さえる手の力が強くなる。水が氷に浸されていたおかげもあって、まだ冷気は十分に残っていた。
ユイも必至だった。目を力強く閉じたその表情から、それがひしひしと伝わった。その思いは、互いに同じだった。
俺たちだけではない。
「そろそろか!? もうそろそろ時間か!?」
「焦らないで! ユイちゃんがちゃんと止めるから! 向こうは向こうに任せなさい!」
「はいはい、わかってますよ! 誰が邪魔させるかってんだ!」
自身を鼓舞するかのようにも聞こえるその声の主は、当然部屋の出入り口で敵を食い止めているあの二人だった。
あの二人も願っていた。絶対ユイがIEDを止めてくれることを。俺たちをそのまま生きながらえさせてくれることを。
ここにいる4人全員が、これほど強い一つの願いの元に行動した。ある意味、初めてかもしれない。
「残り20……」
心の中で時間を数え始めた。秒単位で数えるのも可能な範囲にまで時間は迫っていた。
「15……」
まだユイからの反応はない。聞えてくる音は玄関からの射撃音だけ。
焦燥感がさらに増す。手を押さえる力も強くなった。
「……10……」
ユイ、そろそろ反応をくれ。頼む、何でもいい。反応してくれ。
……頼む……何か、反応を……
「……8……」
頼む……
「……7……」
「敵が衰えてきた。そろそろだぞ!」
「ユイちゃん!!」
「6……」
「……ユイ……ッ」
……5……
「―――ッ! きた!」
「ッ!」
やっと聞えてきたユイの声。それは、半ば歓喜と疲労が混ざったような声だった。
残り4秒。
「コード読み取れました! すぐに止めます!」
残り3秒。
ユイがすぐにコードを止めにかかった。
脳が起こした錯覚が時間を遅く感じさせた。
残り2秒。
まだタイマーは止まらない。
「(頼む、止まれぇ!)」
残り1秒。
タイマーが、秒を0にし小数点だけの表示になり……
IEDが…………
「…………、ッ?」
爆発…………“しなかった”。
「え……?」
「止ま……った?」
俺はユイと顔を見合わせた。自然と押さえつけていた手の力も弱まる。
タイマーは『0:00.28』で止まっていた。
タイマーの“時間”は止まった。
それ以上数字が動くことはなかった。
「や、やった……のか?」
「え……え……?」
その事実が示すことを理解するのに、俺たちは数秒要した。
少しして、今度は銃撃音も止まった。とうとう敵も力尽きたらしい。向こうも時間もようやく止まり、二人はこちらに視線を向けた。
「お、おい……」
「爆発しないけど……止まった?」
切羽詰まった表情から一点、返答を求めるその視線を受けながら、俺は静かに口を開いた。
目線は、そのタイマーに向いている。
「……まった」
「え?」
「……止まった……」
そして、俺は次の瞬間……
「た、タイマーが止まったァ!!」
おそらく、人生で数度しかないだろう心の底からの歓喜の声をあげた…………




