私幌市防災訓練兼市街地治安維持訓練 2
時間はそれほどかからない。距離的にも数百mほど離れているだけだ。
道が複雑だが、それほど時間はかからずにいけるだろう。ルートも最短のものを計算してもらった。
周りは民家や町工場などが点在しているが、いつもは活発に人が行きかうであろうこの場所も、訓練中の今だけは猫一匹すら通らない少ししたわびしい空間となっていた。
いくつかの道路や小路を抜けていく。途中、建物の陰からその小路をみた。
「……ん?」
その奥に人影を確認した。
国防軍とは違う中東臭がする迷彩に身を包んだライフルを持つ……ゲリラか。敵役の人らしい。
「(マズイ、こっちに来てる)」
ここから引き返すにも道がない。あるとしたらこの先に右にいったん分岐してすぐにまた右90度方向を向く超小規模な下り坂がある程度だ。それ以外にない。
「ユイ、敵がこっちにきてる。規模は?」
「……ここから80m距離、衛星データリンクより、数は2、いずれもライフルを持っています。さらにその後方に3~4ほどエコー確認」
「チッ、クソ……めんどくせぇのにぶち当たっちまった」
こっからまた後戻りするか? だが、また国道に出るのは勘弁だ。かといって、建物敷地内の隙間を許可なく勝手に縫って行くわけにもいかないし……。どうすればいい?
俺が思考を巡らしていると、同じく熟考していたユイが一つ提案をする。
「祥樹さん、私が敵の注意を惹きつけます。その間に、3人でその先にある下り坂に隠れてください」
「下り坂って、あそこか?」
俺はここから進路上40~50m先の下り坂を指差す。ユイはうなづいて返した。
「はい。私の合図で全力で走ってあそこまで行ってください。私もすぐに追いかけます」
「……よし、わかった。タイミングは任せる」
「了解」
今のところこれしか方法はなさそうだった。道がない以上、ここを強引に突破するしかない。その結果的にバレるだろうが、そこはまたこの市街地の複雑な入り組みを使って逃げ切るに限る。
突破準備は完了。全力疾走の構えを整え、ユイの合図を待った。
「いきます。……3、2、1、GO!」
その瞬間、ユイのもつフタゴーから連続的な射撃音が響きわたり、俺たちはその号砲に合わせ目の前の小路を全力で横切った。そのまま、少し離れた右に分岐している下り坂までその足を全力で動かす。
射撃音が重複した。敵が気付いて鉛弾のお返しをしてきたのだ。音がどんどんでかくなってるあたり、走ってこっちのほうに近づいて生きているのがわかる。
下り坂のほうに走ると、その隣にある本線道路の下に隠れれそうな陰があった。ちょうどいい。そこに身を隠そう。
「ユイ、十分だ。早く来い」
敵が迫っている。ユイに撤収を促した。
最大でも50mなら、普通に10秒とかからずにこれる。牽制射撃の分の遅延を考えても、もうそろそろ追いついてもいい頃だ。
陰からユイが走ってくるのが見えた。ここぞとばかりに自慢の足をフルで使って即行で下り坂の俺たちのもとに合流する。この距離をたった数秒。オリンピック経験有りのスプリンターも真っ青の速さだ。
俺たちと同じく陰に隠れると、その足音がさらに音量を増す。敵は上を通ったのと、この下り坂をとったので分かれたらしい。つまり、こっちに来たのは1人だ。
「(大丈夫、一人ならこっちでも十分相手できる)」
俺たちを見つけようものなら至近距離からCQCを喰らわすのも手だ。その前に、ユイが至近距離から一連射してしまいそうだが。
和弥が隣から小声で声をかける。
「どうする? ここで仕留めるか?」
「いや、待て。うかつに手は出すな。できる限りやり過ごすんだ」
「オッケ、了解」
ここででたらもう一人のほうも引き付けてしまう可能性がある。互いで連携しているこの事実を考えると、いくら数的有利はあるとはいえ無駄な戦闘は避けたかった。
案の定、こっちの陰には気づいていないらしい。ユイのレーダーでは、どうやらその陰の前に立ってあたりを見渡しているらしい。そのまま気付かずに去ってくれればありがたいのだが……。
「……ん?」
すると、その敵のほうから若干ながら声が聞こえた。陰になってくれている壁越しではあるが、なんとか耳には届いた。どうやら、一応敵も無線機を持っているらしい。相手は、大方さっきまで共に行動していた仲間であろう。
「おい、こっちにはいないぞ、そっちはどうだ? ……そうか。わかった。まだ近くにいるはずだ。手当たり次第探すぞ」
敵も本気らしい。こっちに来る可能性を踏まえ、念のためハンドシグナルを用いて全員襲撃に備えさせた。
和弥と新澤さんは銃を陰の入り口に向け、ユイはその陰から一気に飛びかかれるようCQCの構えをとった。俺もその後方で銃を構えなおす。
「(……くるか?)」
そう考えているうちに、まだ無線は続いていた。どうやら、ついでに情報交換でもしているようだ。ほかの仲間も持っているのか、ただのゲリラ役にしては随分と装備が豪華なものだ。
「(まだか……まだ行かないのか)」
そろそろ、本気でここに襲撃が来る可能性を考えたほうがいいかもしれない。
……そんな、悪い予感を感じていた時だった。
「……よし、とりあえずここはいい。次に移ろう。……ああ。いいか、とにかく時間を稼げ。できる限り注意をひきつけるんだ。時間もそれほど残ってないはずだ。……そうだ、データの回収もある、あまり手荒くはするなよ。……ああ、そうだ。そのあとは手筈通り好きにやっていい……。よし、じゃあ俺もそっちに合流する。くれぐれもヘマはするなよ。……ああ、わかった。じゃあ今からそっちにいく……」
……うん? なんだこれは?
「(……随分と妙な無線をするんだな)」
この場を去っているのか、声がどんどんと遠のいていく中、最後の最後にそんな無線の声が聞こえた。
……時間を稼ぐってのはどういうことだ? 定刻通りではこまることって……、あ、ここの機動隊やら国防軍の包囲作戦に対してか。おそらく、俺たちのほうでの作戦が実行される前に、できる限り時間を稼いで現状を維持しろってことなのだろう。だが、長期戦もきつかろうにね。素人め。
データの回収は、つまりは機動隊や国防軍がどんな装備や戦術を用いるかなどのことか。ゲリラといえど、そういった情報も重要視しているようだな。
……しかし、結局はただの訓練なのに妙に内容も凝るんだな。そこまで演技せんでもいいのに。
そんな違う意味で興味深い無線を俺たちに残しながら、その敵は去って行った。
ユイのレーダーと、そして陰から顔だけ出して慎重に周りを確認したところで、敵のいないのを確認し、やっと陰から身を出して一息ついた。
「ふぅ~……なんとかやり過ごしたな」
ホッと一安心したように和弥がつぶやいた。
「ああ。なんか変な無線流してたが……あれ、どういう意味だ?」
「さあね。大方、国防軍や機動隊の動きや装備などを見極めながらできる限り時間を稼ぎたいとかっていうだけだろう。データもつまりはそういうことだ」
「ふむ……」
和弥も俺と同じ推測であった。和弥の分析ですらそうでてるんだし、まあまず間違いはないだろう。いずれにしろ、今の俺たちとは関係なさそうだ。あれはとりあえず無視ということでいいだろう。
「とにかく急ぎましょう。あまり時間を食ってるわけにはいかないわ」
「ですね。じゃ、隊形整えて。急ぐぞ」
すぐにまた元の体系を作り、目の前の小路から目的地に急ぎ足で向かった。
ここいらへんは民家が立ち並んでいた。今回の防災訓練に際して、ここの住民もすべて訓練に参加しているため、誰も人がいない相変わらずの静かな空間と化していた。
「(ここは民家の使用は禁じられてるし、とりあえず襲撃が来るとしても路上からの奇襲くらいで……)」
そう考えつつ、最初の左へ抜けれるT字路に差し掛かった時だった。
「どれ、とりあえずどっちに……」
ふと、その分かれている左の道をみる。
そこはここと同じく民家なりアパートなりが連なる場所で、ある意味ここより狭苦しい道が……
「……え?」
……その、路上には、さっきとは違う敵がいた。しかも、“なぜか4人集団”である。
民家が多く密集していたので衛星にもレーダーにも映りにくかったのか。それも、ちょうどこっちを見ていたときに互いにバッタリ出くわした。
全員ライフル持ち。彼我の距離、約50m。
……つまり、
「(……ゲッ、マズッ)」
そう思った次の瞬間には、
「ヤッベッ、全員走れ!」
そう叫んでいた。いや、叫ぶまでもなかった。
皆が皆、その敵を見つけた瞬間地面を思いっきり蹴り上げこの小路をさらに奥に向けて走っていた。
遠くから叫び声が聞こえる。やはり、向こうもこっちを見つけていたか。50mしか離れてなかったから全力で走ればそれほど時間はかからずに追いつかれる。
「ユイ、わりぃ! 殿頼む!」
「すでにやってます!」
一列に並んだ一番後ろをユイに守らせ、牽制の弾幕を張らせた。仮に被弾しても装甲がある。ライフル相手でどこまでやれるか知らんが、それでも生身の柔らかい人間よりは幾分もマシだ。ユイには無理をさせるが、しかし今はこれが最善の策だった。
全力疾走の先にはさらに十字路が確認できた。そこから脇道に入れる。
「全員次の十字路を左に入れ! 遅れんな!」
俺を先頭にそのまま十字路の左の脇道に突っ込む。次々と左に曲がり、最後尾のユイが牽制射撃を送りながら脇道に入ってきた。
さらに突っ走る。ここで止まったところで向こうの追撃は止まらない。次にすぐ40mくらい先に今度は左右に分かれるT字路が見えた。相変わらず狭苦しそうな道ではあったが、行き止まりではなさそうだ。
次に右に足を向ける。そこもまた相変わらず民家ばっかり。ここは完全に住宅街の真っただ中らしい。こんなとこで変にドンパチしちゃって大丈夫かこれ。
「まだくるか!? 敵はどこだ!?」
走りながらユイに聞くが、残念ながらそんなのにこたえてる余裕はないらしい。返答はなかった。いや、考えてみればそんな忙しい時に聞く俺も俺なのだが。
そのうちにまた左右に分かれるT字路に……
「……ハァ!? 今度はこっちか!?」
そのT字路に差し掛かった時、最短距離になる左から今度は“あたかも俺たちが来るのを知ってたかのごとく”ナイスタイミングで敵が突撃してきた。2人。さっきのとは違うはずだが、しかしなんでここにいるの知ってんだコイツら?
「クソッ、じゃあ右だ右!」
とりあえず今は退避を優先だ。とにかく振り切るしかなかった。
右に行くと最初通っていた小路につながった。そこには運よく最初にいた敵はいなかったが、そこをさらに左に進んでいくと……
「え、今度はそっち!?」
いくらか脇道を使ってとにかく蛇行をしてもなぜかこっちの動きが読まれてるのか先々で回り道された。なんでだ? いくら無線の可能性を考えたからってここまで連携とれるか? 結局はただのゲリラだろうが。
そう考えたのは、どうやら俺だけではないらしい。
「おいおい、さっきからなんだこいつら!? こっちの動き読んでんのか!?」
和弥が思わず泣きごとのように叫んだ。叫びたいのはこっちのほうだってんだ。
「知るかよ! とにかく振り切るぞ!」
「でもこれ、いったいどんくらいの人数つれてきんだ!? ここまで敵が多いって聞いてないんだけどよぉ!」
「だからしらねぇって! 口じゃなくて足動かせ足!」
「ひえ~、勘弁してくれぇ!」
そうは言いつつも牽制はしまくる和弥。なんだかんだでやる時はやるから頼りになるのは間違いない。
敵の先々で妨害は受けつつも、とにかく回り道をすることでどうにかこうにか切り抜けた。ユイが地図代わりになってできる限り敵をはめれそうな場所に嵌めて置きつつ、急いで目的地に向かう進路をとった。
……しかし、それをしつつ思う。
「(……なんだこいつらの戦闘の仕方?)」
その戦闘方法が妙だった。
何回か銃撃戦になったし、今こうしている間も銃弾の応酬が起こっている。その時の戦闘なら、普通は積極的に銃をぶっ放すのも当たり前ではあるが、それはしたにしろ、“明らかにこっちを狙ってない”のである。
牽制弾幕をどんな時になってもずっとやってるようなもので、俺たちを倒すというよりは、“俺たちをできる限りその場に釘付けにする”のが目的みたいだった。それほど俺たちを目的地に行かせたくなかったのか?
……だが、それにしては、
「(……あぁ、また勝手に終わったよ)」
敵からの銃撃がやんだ。ここぞとばかりに次の道に逃げ込むが、それをしつつ考える。
その銃撃が終わる時間。最初は偶然か何かかと思っていたが、ほぼすべて“一緒”なのだ。何回かはその一定時間が来る前に強引に突破することもあるが、そうでない場合は向こうから勝手に終わる。
訓練だからずっと釘付けにするのも問題かと思ったか? 確かにそれだと状況が動かないから訓練にはならんが、かといってこれは露骨すぎるな……。
俺たちを行かせたいのかそうでないのか……何を狙ってここまでおかしな戦法をとるのか、俺には全然わからなかった。
「……なんだ、何が目的なんだあいつら?」
だが、どうやらそんな不審なことを思ったのは俺だけらしかった……。
……そういった追撃戦をこなしつつ、なんとか敵をまくことに成功する。
ユイのレーダーでは敵の姿は確認できないらしい。最初の失敗を生かして、今度は出力も上げて小さな反応すら見逃さないようにしたが、それでも確認できなかった。そこまでしていないなら、もう一応近くにはいないと見て間違いないだろう。
「……ったく、危なかったぜ。なんなんだあいつら」
この時点ですっかり疲労がたまったらしい和弥がそう吐き捨てた。
「随分と執拗に追いかけてきたわね……それほど行かせたくなかったの?」
「まぁ、敵とて爆弾のもとには行かせたくないでしょうよ。たぶん、そうなると調査するまでもなくたぶんありますよ」
「ええ……、で、この崖の先がその目的地なんだけど……」
新澤さんはそう言いつつその崖を見上げた。
本来ならここはその目的地の正門ではないが、一応ここから隣接していた。だが、目の前にあるのはただの崖。階段があるわけでもなく、ただの石垣が積まれてるだけだった。
その高さ、ざっと見ただけでも“5~6m”はある。
「……ちょ~っと飛び越えるにはキツい高さかな?」
若干困ったように苦笑いしながら和弥はこっちを振り向く。俺が返せるのは苦笑だけだった。
実際、軽装備といえどこんな合計10数kgの重量がある装備を抱えながらこれを飛び越えろなんて、純粋な脚力の面で無茶が過ぎるって話である。飛び降りろ、ならまだわかるし十分耐えれるが。
「誰か、ロイター板持ってるやついね?」
「いるわけあるかい、あんなかさばる物」
「仮にあれがあってもこの私たちの重量でどこまで飛べるのかねぇ……」
まったくである。
「じゃあどうすんだ? ここからまた正門にいくにはこの道戻ってまた国道に出ないといけなくなるぞ?」
「……」
少しその場で熟考した。
成り行きでここまで来てしまったのはいいが、ここからまた戻って国道に行くってのもまた億劫だし、せっかくまいた敵に見つかる可能性がある。ましてや、あんな目立つ国道には出たくない。
かといって、ここはどうやって登ってくれようか……石垣の隙間に手と足乗せて頑張って登るか? だがこの石垣、その隙間がいやに小さいんだが……。
あーでもないこーでもない、と頭を抱えていたが……
「……和弥さん、ロープ持ってましたよね?」
唐突にユイがそう言ってきた。和弥も少し戸惑ったが、すぐに返答する。
「あ、ああ……一応、ここに」
和弥は腰にひっかけていたロープを手に取った。
買おうと思えば一般でも買えるようなどこにでもある軍用スタティックロープだ。和弥は常に小型の工作器具をいくつか持ち歩いているのだが、このロープはそのうちの一つだ。
ユイはそれを受け取ると、少し崖から離れて正対する。
「なんだ、そのロープ投げるのか?」
それこそ、どこぞの西部劇に出てくるカウボーイのように投げて敵をひっとらえるみたいな感覚でかな? だが、その崖の上手すりとかそういうひっかけれそうな場所は……
「……じゃ、いきます」
「は?」
そういってユイは……
「……ええ!?」
そのまま崖の前まで走って“飛んだ”。
足を思いっきりまげて、まるで足自体がバネになったようにはねたと思ったら、その体は5m以上もの高さもある崖のふちにたどりつき、右手でそのふちをつかんでそのまま右足をふちに乗せるようにして崖の頂上に登った。
……うへぇ。あんな装備抱えてそこまで飛べんのかよ。
「ヒュー、かっけぇ」
和弥は隣で関心したように口笛を吹いた。今の見て即行でその感想が出るあたり、あんたもすっかり慣れたねぇこの状況に。
上からロープを垂らし、手すりのようなものはなかったので自分でそのロープの残りをつかんで自分でそういった固定物代わりになった。足を崖の上の突起物にかけ、ロープを自分ごと固定させる。
「いいですよ」
「うし、じゃあ俺からな」
そういって一番乗りと言わんばかりにさっそうとロープを伝って崖の上に登った。続いて新澤さんが登り、それまで周辺警戒をしていた俺が最後に登った。
……ここまでして、コイツは涼しい顔して耐えてるんだからすごいもんだ。脚力もそうだが、大人三人分の重量に耐えるその腕力とは一体……。
「……とりあえず、ここでいいんだよな」
ロープをまとめているユイに確認がてら聞いた。
「はい。目的地はここで間違ってません」
「よし……。HQ、こちらシノビ0-1、目的地到着。これより爆発物の調査を開始する。オーバー」
『HQ了解。時間もあまりかけれない。出来る限り急いでくれ。アウト』
「シノビ0-1了解。アウト」
どれ、では「はよやれ」という催促もあるし、さっそく始めるとしよう。
目的地である爆発物があると思われる場所は、もう廃墟になった2階建てのアパートに似た何らかの事務所施設のような場所のようだ。しかし、外壁がコンクリート製で窓らしい窓もない。なんとなく留置所のようにも見えなくもない。
よくわからん施設だが、なんとなく陰湿な雰囲気も感じられた。
とりあえず、1階から順に調べていく。中は誰もいないことがすでにユイのX線センサーにより確認されているが、爆発物まではよくわからない。一つ一つ調べていくしかなかった。
……しかし、それといってめぼしいものは見つからない。
大体をコンクリートで占められた典型的な留置所のようなものだったが、部屋の中には何もない。あるとしたら、せいぜい布団代わりらしい布が置かれているだけだった。
「なぁ、私幌市に留置所とかそういう施設あったか?」
「いや、岐阜県警のものが岐阜市にあるくらいしかないはず。だが、昔つかわれてたのがここいら辺に残ってるってのは聞いたことあるから、たぶんそれだろうな」
「ほ~ぅ……」
だとすると、これはその廃墟か何かだろうか。随分と小規模だが、まあ昔の留置所なんてそんなもんなのだろう。
1階を捜索し終え、今度は地下に向かった。通路に出ると、俺はすぐにその違和感に気付く。
「……何だ、周りが全部コンクリートじゃねぇか」
随分と頑丈が作りにしてるんだろうか。通路に面している壁までコンクリートになっており、ドアが頑丈な鉄製の作りとなっている。相変わらず窓もなく、あるとしてもドアの一部に鉄格子がつけられているだけだった。
一つ一つ部屋を調べても、部屋の中に明かりをともしてくれそうな光源はない。全面コンクリートで、これじゃ明かりなんてこれっぽっちも入らないだろう。
何個かの部屋をみていくうちに、最後の部屋にたどりつく。
ここも、どうせほかと同じような感じだろう。布団が敷かれて、コンクリートが前面に張り巡らされ……
「よし、GO」
合図とともに中に突入。誰もいないのを確認した。
……が、
「……ん?」
その中の様子に違和感を感じた。
中は結構散らかっていた。日曜大工のものや、誰かのバックとその中身らしい物品。それが部屋のいたるところに。
明かりが少なかったので、持っていた小型のライトを照らして全容を確認した。
「……なんだ、ここだけ妙に散らかってるな」
もとは誰かがいたのだろうか。しかし、さらに見てみると床には剥いだ後のガムテープまで置かれていた。
……なんだ、何か妙だぞこの部屋。
「随分と古びてるわね……。まるでしばらく放置されたみたいじゃない」
「ですね……散らかってるにしてはなんか状況が妙だ。和弥、お前はどうおも……」
そういって和弥の意見を聞こうとするが……
「……ん? 和弥?」
和弥はこの部屋の状況をみて、あごに手を当てて何やら熟考していた。
まるで、何かを必死に思い出そうとしているかのようである。
「どうした、和弥?」
「ん? ああ、いや……この状況、なんか似てるんだよ……」
「似てるって、何に?」
「いや……最初、ここにヘリで来る時の、俺が話した都市伝説、覚えてるだろ?」
「ああ、あの警察官と誘拐被害者の電話のやつ?」
そんで、警察官が実は犯人でしたっていうテンプレ的展開だったような。
「そう、それ。……確か、あれさらに細かく見ると部屋の状況もわかるんだけどさ……」
「おう」
「なんか似てるんだよ……部屋の周りがコンクリート。明かりが入らない。散らばってる物品の中身……こんな感じだったよな……?」
そういってまたもっと詳しい情報を得るために思い出すように顔をしかめた。
……そういえば、なんかヘリでもそんなこと言ってたな。周りが四方コンクリートの壁で、明かりが全然入らないってね。でも、それくらいどこでもある状況だろう。まさか、あれと同じなんてことはあるまいて。
「まあ、そこは後でいいだろ。次行くぞ。2階のほうだ」
「あ、ああ……わかった」
少し納得いかないような顔をしつつも、無理やり割り切るように顔を横に振っていた。
とはいえ、なんとなく状況が似てるなとは思う。散らばってる内容までは知らないが、少なくとも部屋の状態はあの都市伝説と一緒だ。
だが、まさか……そんなことはありえまい。
「(確か、あの事件ではそういった廃墟も捜査対象に入ってて、そこからは見つからなかったって話だったはず……となれば、ここも捜査対象のはずだし、ここから見つからないならたぶんないだろう)」
まさか警察が手抜いてたってことはないだろうしな。それはないない。
そんなことを考えつつ、2階に上がった。
この建物は2階建てだし、1階と地下がないなら確実にあるのはこの2階だ。
いくつかの部屋を即行で調べ終え、そして、大体中腹にある部屋に突入した時だった。
「……ッ! あった!」
何やらそれっぽいものを見つけた。近づくと、どうやらタイマー付きの時限式IED(即席爆弾)らしいが、幸運にもタイマーはまだ作動していないようだった。
また、周りにはポリタンクまであった。中身が入っているみたいだが、どうせただの水だろう。演出だけでここまでやるとは、随分気合が入っているな。
もちろん訓練用だから爆発はしないだろうが、なんとか起動前に確認できてよかった。
「HQ、こちらシノビ0-1。IEDを確認。EOD(爆発物処理班)をよこしてくれ。オーバー」
『HQ了解。少し距離が遠い、15分はかかると思っていてくれ。オーバー』
「え、マジ……あー、シノビ0-1、了解。待機する。アウト」
『了解。HQ、アウト』
うへぇ、15分以上も待たされるって、いったいどんだけ遠くにいるんだ。まあ、どうせ起動前だし、それほど問題にはならないが……。
とにかく、とりあえず後はここの周辺を警戒してEODの到着を待つことにしよう。尤も、ここいら辺に敵はいないが。
ユイのレーダーは室内からだと使えないだろう。コンクリートとはいえセンサーの阻害物が多すぎる。
……仕方ない。この出入り口を塞ぐ感じでいいか。
「新澤さん、とりあえず出入り口見といてください。たぶんこないでしょうけど、念のため」
「了解」
とりあえず一人でいいだろう。新澤さんはこの部屋の出入り口前に出ると、念のためフタゴーを構えて階段の方向を見据えて待機した。
じゃあ、あとは俺たちはずっと待機だな。この後はこれといって何もすることはない。
「にしても、随分と古びた感じだな……適当にあさってますか」
「おいこら。あんまりいじり過ぎんなよ」
「へいへーい」
俺からの忠告を軽く流しながら、和弥は軽く部屋の中を観察し始めた。あんまり変にいじったりするなよ、頼むから。そんとき怒られんの俺なんだぜ?
そんなため息混じりの愚痴を心の中でしながら、俺はふと爆弾のほうを見やる。
相変わらずタイマーは沈黙していた。液晶パネルらしいところは電源すら入っていないらしく、数字が表示されていない。
爆発の兆候はこれっぽっちもなかった。これは、俺たちの仕事はもうないとみていいだろう。
「はぁ、暇だな……ユイ、お前も今はちょっとは休んだらどう……」
そう気だるそうに言いつつユイのほうを向いた。
「……ん?」
そのユイの様子が変だった。
IEDの前にしゃがんで、それをじっと見ている。まるで、その中を透視しようとしているかのように集中していた。
疑問に思い、俺は隣に同じくしゃがみこんでユイに声をかけた。
「なぁ……何そんなに爆弾のほう凝視してんだ? 爆弾に取りつかれたりでもしたのか?」
調子を整えるためにちょっとしたギャグをいっても、ユイはそれを完全スルーして一様に爆弾のほうを凝視した。表情一つ変えず、ほんとに取りつかれたような印象を受けた。
……おいおい、ほんとにどうしたんだよお前。こんなときに故障しました、なんて冗談はないよな?
「おい、どうした。動かせないのか? それとも、まさかほんとに霊に取りつかれたとか―――」
すべて言い終える前に、今度は俺の言葉が邪魔だったのか、右手を俺の顔の前にサッと差し出して制止させる。
その手からは尋常でない威圧を感じた。思わず言葉を詰まらせる中、ユイが再び手を下す頃には、その表情は深刻なものとなっていた。
今までの真剣なものとは違う。ほんとに「マズイ」と思っているように感じ、俺に一瞬にして不信感を抱かせるには十分なものだった。
「な、なんだ。どうした?」
そう聞く俺の声も少しトーンの低いものとなる。ユイは振り返らず、同じくトーンの低い声で深刻そうに言葉をつないだ。
「……祥樹さん、どうやら、霊がどうのとかいうギャグを言ってる場合じゃなさそうです」
「は?」
言ってる意味がわからなかった。ギャグが違う意味でスルーされたのはまだいいとして、それをしてる場合でもない事態というのが想像ができなかった。
……だが、
「……この爆弾」
ユイが、そのIEDを指指しながら言った一言に、俺は耳を疑うこととなった。
「……ほ」
「……本物の、爆薬が入ってます」
「…………は?」
俺は変に素っ頓狂な声をあげてしまった。すんなりと受け入れてくれなかったのをみてか、ユイはさらに追加で説明してきた。
「このIED内部をスキャンしました。その結果、爆薬が入ってるらしい薬室には、大量の本物の爆薬が入っていることが確認できました」
「え、ま、マジかよ? 間違いないのか?」
「間違いありません。私も嘘だと思って何度もスキャンしましたし、分析機器がイカれたのだと思って自己診断プログラムを走らせました。ですが、どこにも異常がなかったうえスキャン結果も全部まるっきり一緒です。間違えようがありません」
「なッ……!?」
俺は思わず狼狽した。顔も自覚できる程の大きくひきつった。
少しの間かたまっていると、出入り口にいたはずの新澤さんが深刻な顔をして声をかけてきた。
「ね、ねぇユイちゃん、それほんとう?」
「うぉ、な、なんでここに?」
「いや、誰も来ないからこっちの様子確認に来たんだけど……で、ほんとに本物の爆薬が入ってるの?」
「はい。間違いありません。スキャンしてみたらどう見てもこれは本物の爆薬です」
「ええ……!? う、うそでしょ? これ、ただの訓練じゃないの!?」
新澤さんも大きく狼狽していた。その視線は目の前のIEDに向いていた。
そして、俺にその質問の矛先が向く。
「ね、ねぇ、これ、本物使うって知ってたの?」
「いや、知るわけないでしょう。俺だって今さっき知りましたよ」
「でも、結局はただの訓練なのに本物使うの? 万が一なんかの拍子に爆発でもしたらどうする気よ?」
「そんなの上の連中に聞いてくださいよ……」
そんな会話を交わしていると、いつの間にか少し熱が入っていたらしい。向こうにも届いていた。
「なんだなんだ、どうしたってんだ」
「あぁ、和弥か」
「まずいわよ和弥。ここにあるIED、本物の爆薬があるってユイちゃんが……」
「はぁ!? ま、マジかよ!?」
案の定の反応だった。和弥は少し気だるそうな表情を一変させ、驚愕の顔に変わらせる。
「あぁ、マジだ。ユイが言うんだ。間違いねぇ」
「おいおい、これただの訓練だろ……なんで本物の爆薬なんて……間違って爆発したらどうすんだ?」
「だから、そんなの上に聞けって……」
「そうはいってもよぉ……これ、上の連中が知ってて用意したのか?」
「さあね。知らんわ」
「えー……」
「祥樹さん、念のため確認してください。私たちに情報が届いてなかっただけで、そのあとのEODの訓練で使うだけっていう可能性もあります」
「あ、あぁ……でも、どっちにしろ本物の爆薬いらないと思うんだけどなぁ……」
そんなことをつぶやきつつ無線を開いた。もちろん、相手はHQである。
「HQ、こちらシノビ0-1、応答どうぞ」
『シノビ0-1、こちらHQ。聞こえている。オーバー』
「あのですねぇ……、これ、結局はただの訓練ですよね?」
『―――? いきなり何を言っている?』
すっとぼけんなよお前ら。ここに置いたのあんたらじゃねえのかよ。
俺は一気にうんざりした。口調も少し気だるそうな挑発的になる。
「いや、何言ってるじゃないですよ。ただの訓練に本物の爆薬使うバカがどこにいるんですか?」
『はぁ? ま、待ってくれ。本当に何を言っている?』
「ですから、ここにあるIEDが中に本物の爆薬が入ってるんですよ! どうせそっちで用意したんでしょうけど、用意した連中に言ってくださいよ、万が一爆発したらどうするつもりだって。もう本当になんかの拍子に爆発されたらたまんないんで、EODの連中にもっと早く来るよう言って……」
『ま、待ってくれ!』
「はい?」
完全にうんざりモード全開の俺の言葉を塞ぐようにとめた。
いったい何の言い訳をするつもりなのか、はよ言え、と思わず口走ってしまいそうなその口を塞いでいると……
『こ、こっちは別に―――』
『本物の爆薬など用意していないぞ? 何かの間違いじゃないのか?』
「………………は?」
本日二度目の幻聴を聞いたらしい。俺は思わずそう聞き返した。
俺だけではない。隣にいた新澤さんと和弥も「うそでしょ?」と言わんばかりに顔をひきつらせ、ユイに至っては耳を何度かパフパフと叩いている。ユイよ、さすがにお前ほどのロボットがこんなときに耳の故障ってのはないと思うぞ。
だが、信じられなかった。自分の耳が信じられなかった。では、ユイの分析はガチだったってことなのか?
俺はうんざりモードから一気に焦燥感をMAXにさせた。
「ま、待ってください……本当にそっちで用意したんじゃないんですか!?」
『するわけないだろう! そこは仮にも住宅街だ。仮にそこで無駄に爆発させみろ、いらぬ被害を起こすことになるぞ! それに、そもそもこんなただの訓練でそんなのに爆薬など使ってられるか! ただでさえ日本では爆薬は貴重なのだぞ!』
「で、でも、ここにあるのは……、な、なあユイ、もう一度聞くけど、それほんとに入ってるんだよな?」
「全部の分析機器を自己診断走らせたうえでもう一回やってみました。これっぽっちも変わりません。なんでしたら、この爆薬の種類や分量もすべて言い当ててもいいですよ」
「うわぁお、そんなこともできるのか……」
……って、感心してる場合じゃない。ここまでユイが自信を持って言ってるってことは、まずこっちの見間違いとかそういう類ではないだろう。
『シノビ0-1、本当に爆薬だと確認したのか?』
「間違いありません。ゼロワ……あー、えっと、うちの部隊の者が確認したところ、確かに中に爆薬が……」
『そんなバカな、我々はそんなのを用意していないぞ』
「いや、そんな、何かの間違いでしょう? そっちに情報がいってないだけでは?」
『いや、それもありえない。こっちでは訓練に使用するものの確認はすべて行っている。爆薬を使うなんて話は話題にすらなってない』
「いやいやいやいや、じゃあこの爆薬はなんですか? どこで誰が準備したって話になりますよ? こんな周りをポリタンクばっかで固めたこの部屋にだれが……」
『ぽ、ポリタンク?』
「ええ、ポリタンクですよ。しかも、見た限り全部に水満タンで……」
『いや、ポリタンクなんてそっちに置いた覚えはないぞ?』
「…………え?」
ポリタンクすら置いてない? おいおい、いったいなんの間違いだ? じゃあここにある大量の赤いポリタンクは幻覚か何かか? 随分と鮮明な幻覚だな、おい。
さっきからのHQと俺たちとの交わされる情報の差異に少しずつイライラがたまり始めた。
「じゃあ、この水満タンのポリタンクは何ですか? 演出か何かじゃないんですか?」
『演出でそこまでしないぞ? 大体、ポリタンクなんぞ邪魔でしかないだろう』
「いや、それはそうですが……じゃあこれのポリタンクは……」
そうつぶやきつつ周りのポリタンクを見渡していた時だった。
「……まさか……」
「?」
新澤さんがいやな予感を感じたのか、そう呟きつつ一つのポリタンクのふたを開けて中身のにおいをかいだ。
……その顔が、一気に真っ青になる。
「……やっぱり、これ、“灯油”だわ」
「ええ!?」
「いやいやいやいや、うそでしょ!? これ水じゃないの!?」
「嘘だってんなら嗅いでみなさいよ、明らかに灯油のにおいよ!」
和弥がそんな半信半疑でふたの中にある液体のにおいをかいだ。
……そのあとの反応は、新澤さんと同じだった。いや、新澤さん以上か。
「ほ、本当だ……これ完全に灯油じゃねえか!」
「う、うそだろおい……」
俺はすぐさま別のポリタンクの中身を次々と確認した。すべて無色透明の液体だったが、すべて灯油のにおいを確認した。幻覚や幻聴、ならぬ幻臭ではない。今まで何度も嗅いだ事のあるにおいだった。
「おいおい、冗談じゃねえぞ! なんで灯油満タンのポリタンクがこんなところに……ん?」
和弥が俺と同じくほかのポリタンクの中身を確認しながらそんな愚痴をこぼしていると、移動する際何かにあたったのか、木の板らしい何かにぶつかる音が小さく響いた。
「はぁ、なんだよこんなときに、邪魔な木だなおい……」
そういって、どかすために木の板を持ち上げた時だった。
「うわああぁぁぁぁあああああああ!!!!!」
「ッ!!??」
突然叫び声を轟かせた。和弥の声だ。一瞬後には今度はその木の板が落ちる音も聞こえてくる。
音源のほうを向くと、部屋の隅で和弥がある一点をみながら尻から床について腰を抜かしていた。若干、震えているようにも見える。
すぐに駆けつけるが、今度はその尋常でないにおいに思わず鼻を押さえた。なんだこれは、腐敗臭か?
さらに、そのすぐ横にいた和弥の様子が尋常でない。何かおぞましいものをみたような、そんな顔だった。違う意味で怖いもの知らずの和弥がこんな顔になったところなんて、今まで一回も見たことはなかった。
さらに、今度は吐き気を催したのか、右手を口に抑えた。汗も一瞬にして顔の皮膚に浮き出ており、相当大きな吐き気であることがうかがえる。
その汗の量の尋常でなさをみるに、すぐにこれはただ事でないことを察することができた。
「お、おい和弥、どうした? 大丈夫か」
「うッ……だ、大丈夫……グロいのには慣れてるさ……」
グロい? いったい何を言ってんだコイツは?
「ど、どうしたんだ? いったい何があった」
「あ……こ、この木の板の下……やばいのがいる……」
「やばいの?」
視線の先をその木の板に移す。
何やら古びた、というより雨とかにあたっていたのかカビている1枚の細長い木の板があったが、和弥がそれを持ち上げようとしていたらしく若干位置がずれている。そして、上には何匹かのハエが飛んでいた。
不審に思いつつもその木の板を持ち上げてみた。案外軽かったので、どうせならそのままどかしてしまおうと横に投げてしまった。
……が、
「……うわぁッ!!??」
本音、投げなければよかったと心底後悔した。
和弥の気持ちが痛いほどわかった。それをみた瞬間、一瞬にして吐き気を覚え、戻さないよう必死に口を押さえた。新澤さんも同様。しかし、寸前のところでなんとか戻さず飲みこむことができた。よく耐えれたな、と自分で自分をほめた。
そこに横たわっていたのは……
女性の、“とんでもなく腐敗が進んだ死体”だった。
どれほど放置されたのだろうか。腐敗は完全に進んでおり、皮膚の変色も異常なまでに進行していた。死後膨張がすでに発生しているらしく死体は異様なまでに膨らんでおり、所々に水泡のようなものも浮き出てその床を濡らしていた。
一部では早くも白骨化現象により外部に骨が見え始め、はっきり言って、もはやそれは人体と呼べるような代物ではなかった。周りには彼女が来ていたらしい服の布切れもあるが、若干汚れていた。
思わず即行でさっき投げた木の板を持ってきたまたかぶせてしまった。しばらく続いていた吐き気もなんとか必死こいて整える。HQからの無線も全然今の俺たちの耳には届いていなかった。精神的に、今はそれどころではなかったのだ。
「な、なんだよあれ……なんでこんなところに死体が……」
それに答える者はいなかった。代わりに、新澤さんの完全に恐怖心を表に出した震え声が聞こえた。
「し、しかも完全に腐敗と白骨化が進んでる……数日そこらのレベルじゃないわよこれは」
「ええ、それにしては進みすぎてる……硬直現象や変色現象などとっくの昔に済ませたように……」
そんな会話を交わす中、ユイがさらに追加で解説を入れた。
「しかも、この死体周りが若干ですが濡れています。表皮から発生した腐敗性水泡や臓器などが含んでた水分が床を濡らしたと考えるのが妥当でしょう。筋肉の屍ろう化も早くも始まっているみたいですし、さらに白骨化した部分の進捗具合や残っている軟部組織の腐敗具合から見るに……この死体、大体2~3か月は放置されたとみたほうがいいでしょうね。この方、随分と腐敗化が早くなる個体のようです」
お、おう……そこまでわかるのは、確かに純粋にすごいんだけどさ……。
「……よくまあ、直で見れるね、その死体」
「……気分はいいものではないですけどね」
木の板を少しめくって直でみて分析していた。死体解剖のプロとかならまだしも、俺たちみたいな普通の人間ではまず無理な所業だ。
気分は良くないと言ってる割には、気分を害するわけでもなく、吐き気を催すわけでもなく、ただ淡々と見てるだけのように見えるんだがね。いいね、ロボットは。そこに関しては人間よりは気が楽で。
しかし、確かに死体の状況を聞いていると腐敗が随分と早いな。この室内は空調が効いているらしくそこらに鉄格子の窓はある。それでも空気循環が届ききれなかったのか。低温なら腐敗活動は低下するとは聞いたことはあるが、今回の場合は条件だけで見れば、どちらかというとその逆だろうな。この比較的高温多湿の空間にさらされていたからこそ、それによって腐敗もいくらか早く進んでしまったのだろう。
しかし、この腐敗臭も外に漏れただろうに、よくまあ異臭騒ぎにならなかったもんだ。
「しかし、あの死体は……」
「ん?」
すると、少し落ち着きを取り戻した和弥が熟考するようにあごにてた。何か思い当たる節があるらしい。
「確か、彼女も電気工学で……となるとまさか……」
「おい、和弥、いったいどうしたってんだ?」
「いや、まだ俺の中で仮定の話だが……もしそうだとしたら、この爆弾は本物だぞ」
「は?」
「いったいどういうことよ?」
「説明してる時間はありません。とにかく、まずはこの爆弾をどうにかしなければ……」
和弥はIEDのほうに歩み戻ってそういった。その声は、今までのコイツとは比べ物にならないほど真剣なものだった。和弥の性格を考えると、今のこの状況がどれほど深刻かがうかがえた。
何を思ったのか気になるが、しかし、確かに今はそれどころではない。まずはこのIEDをどうにかしなければ。
となれば、まずこの爆薬がどんなもんかを知る必要がある。俺はすぐにユイに聞いた。
「ユイ、この爆薬の種類と分量がわかるって言ってたよな? 正確にはどんな爆薬なんだ?」
「はい。大体ですが、この内部にある爆薬をスキャンした結果、ペンスリットが5割にRDXが5割で構成され、その中に抗酸化剤などもあるとすれば……この爆薬は、プラスチック爆薬の中でも高性能な『セムテックス爆薬』です」
「せ、セムテックス!?」
俺が予想した中でも結構悪いほうの結果が出てしまった。和弥も思わず叫んでしまう。
「おいおい、よりにもよってセムテックスかよ!?」
「え、な、なに? セムテックスって」
「て、新澤さん知らないんすか……」
そっち系にはもろかったのか、新澤さんは御存じなかったようだ。
和弥が代わりにそのセムテックスについて超簡単に説明した。
『セムテックス』
ユイがさっきいった『ペンスリット』と『RDX』という二つの爆薬を配合してできたのがこの爆薬で、どちらも爆薬としてはとても高性能な爆発威力を持っており、その結果できたこのセムテックスもプラスチック爆薬としてはとても優秀だった。
C4などのプラスチック爆薬が舐めると甘い味がするというのは、このRDXがあるせい。ただし、当然毒性はあるので食べたら中毒は覚悟せねばならない。日本でも昔被害者が出た。
開発元のチェコをはじめとして、いくつかの国で軍用爆薬やビル解体で使われていたのだが、比較的容易に入手できたこともありテロリストの間でも普及。別名「テロリストのC4」といわれるほど一般的に使われるようになった。
その結果、それの対策として今では生産数が減少して識別も容易にできるようするなどの改良が施されていった。
配合されている分量からすると、これはいくつか種類あるセムテックスの中でも旧式のほうの『セムテックスH』に当たるだろう。テロリストの間で使われるセムテックスはこちらが主流だった。また、セムテックスとして有名なのもどちらかといえばこちらのほうである。
「……そして、そのセムテックス、威力も段違いなんですよ。そこら近所の爆薬とはわけが違う」
「え、ど、どれくらいよ?」
「ええ。配合量にもよりますが、たったの250gで……」
「そこら近所を飛んでる大型旅客機を、“木端微塵”にできます」
「えッ!? りょ、旅客機を!?」
「ええ。一昔前にパンナム航空機爆破事件がありました。そこでテロリストが貨物に紛れ込ませた爆薬を使って旅客機を爆破させるという凄惨なテロを実行したんですが、その時に使われたのがこの爆薬です。当然、そのパンナム機は空中で大爆発起こして木端微塵です。もちろん、生存者はありません」
「そ、そんな……」
新澤さんが言葉を失うのも無理はない。
その旅客機も、実は当時としては巨人機である、別名『ジャンボジェット』ことB747機だったのだ。いくら空中だったとはいえ、たった250gの爆薬の爆発によるものとしてはとてつもない威力であったことがこれだけでも伺えるだろう。なので、その被害も甚大だった。
たったの250gでもこれなのだ。今ここにあるIEDは……俺はいやな汗をかいた。
「……だが、ここにあるセムテックスは明らかに250gじゃない。IED自体の大きさを考えると、確実に1kgはあるとみたほうがいいだろう」
「しかも、一応微量のニトログリコールも確認できました。爆発物マーカーが内蔵されているところからして、おそらく正規で造った後何らかのルートで仕入れたものと思われます」
「チッ、クソッ、なんてこった……」
嫌な焦燥感から思わずヘルメット越しに頭を抱えた。
『爆発物マーカー』というのは、先のテロなどでX線を用いた爆発物探知を容易にするために混ぜる物質のことを言い、セムテックスの場合は『ニトログリコール』というものを微量だけ添加する。
それがあるということは、ちゃんと工場で造ったものだろう。どこで仕入れたのかは知らんが、どうせ中東あたりで出回ったのをそのまま密輸でもしたとみるべきか……。
「爆発物マーカーがあるってことは、ちゃんと正規の場所で造ったってことになるし、不発で終わる、なんてことは淡い期待に終わりそうだな……」
「じゃ、じゃあ、もしこの爆薬がここで爆発したら……」
「ええ……周りにある大量の灯油満タンのポリタンク、これをすべてまきこんで一気に爆発したら、俺たちは完全に蒸発するのは間違いなし。それどころか……」
「この区域一帯が、確実に吹っ飛んで大惨事ですよ」
「ええッ!? そ、そんな……どうすんのよ!?」
「どうするったって……このポリタンクも、IEDとコードでつながっちゃってるしなぁ……」
それも、何やら御丁寧にポリタンク一つ一つに電子的な基盤が取り付けられている。明らかに切ったらマズイ雰囲気がバンバンとでていた。この時点で、せめてポリタンクだけを外に、ていう策は効きそうになかった。
「あぁもう、HQ、今の無線大体は聞いてましたよね?」
そのためにわざと無線をつけっぱなしにしたわけだし。
『確認している。すぐに近隣のEODを向かわせる。それまで待ってくれ』
「で、それはいつ来るんですか?」
『15分後だ』
「はあ? 15分?」
おいおい、もうちっと早く来てくれませんかね? こちとらこんなクソ危ないもんと一緒にいたくないんですが……。
「はぁ……了解。とにかく急いでください」
そう投げやり気味に一言残し、さっさと無線を切った。
「とにかくだ。まずはこのポリタンクをどうにかしないと……」
「でも、これIEDとコードつながってるんだが……はずしちゃっていいのか?」
「あー……これは、さすがに無理っぽそうだ」
「だろうね……」
案外外れたりして、ていう淡い期待は軽く裏切られた。コードのほうを外してみようと試みたが、基盤に固く固定され、反対側も同じくIED内部につながっておりどうやっても外せれそうにはなかった。これは、やはり無理に引き抜こうとすれば即ボカンッてパターンだろうな。
「仕方ない。とにかく、今はこのIEDに変に衝撃を加えたりしないようにしておこう。あと、新澤さんと和弥はこの部屋の出入り口付近を完全に封鎖。念のため敵の襲撃に備えて―――」
ピッ
「…………は?」
俺の指示する声の上からかぶさるように、何やら電子的な音が一瞬だけ聞こえた。
一瞬にしてこの部屋の中が静寂に包まれる中、さらに、それから何かのデジタル時計の秒が動くように『ピッ ピッ ピッ』と定期的に音が鳴り響く。
……いやな予感がした。いや、予感でなくてもこの音は確実に……
「……まさか……」
俺はゆっくり振り返り、そのIEDのタイマーをみた。
IEDの前でしゃがんでいたユイが、これまでに見たことないほど深刻な表情を浮かべてタイマーの液晶パネルを見つめる中、そのパネルには……
『09:50.00』という数字を表示し、電子音を鳴らしながら1秒ずつ時間を動かしていた…………




