10年前の続き 2
―――実行当日。看護師さんに外の空気吸ってくると言って、杖を突きながら一人で歩いて屋上に行った。
病院の屋上はちょっとした庭園にもなっていた。所々緑化させた屋上に、通り道部分の脇にあるベンチ。隣にはヘリポートも併設され、全体の周囲はフェンスで囲まれている。
比較的最近できた病院故、自殺防止のためにフェンスは高めに設定されているが、それでも大人の背丈より少し高いぐらいでしかなく、忍び返しがあるわけでもなかった。そして、もう夕方頃だったこともあってか、ここにいる人は幸いにもいなかった。
何回か予行演習のためにここに赴き、どこ日のどの時間帯が最も人がいないかを確認してはいた。誰かに見られた状態では、流石に自殺もしずらいというものだ。
そして、誰も来ないというタイミングを見計らい、近くにあったベンチをフェンス際にもってきて、フェンスの上によじ登るための台とした。
これを使えば、当時の俺の伸長でもギリギリ届くものであった。幸いにして、忍び返しも何もないため、手を掴んで一気によじ登れる。
隙間から下をのぞき込む。9階建ての屋上から見下ろした先はただの道路となっている。ここから落ちれば間違いなくほぼ一瞬で永遠の眠りへと誘われるだろう。
地面へ激突する際の一瞬の痛みのことなんて考えてもいなかった。どうせ死ぬのに、激痛のことなんて頭には一々入らない。発想すらないのだ。これから死ぬ。それのことばかりを考えていた。
「……」
たったの14年だった。つい数か月前までは、何気ないごくごく普通の、そこら近所にいる一般人と変わらない人生を送っていたはずだった。それが、一つの戦禍で180度反転した。
人生何が起こるかわからないとはよくいうものの、こうも一瞬にして変化してしまうことを一体誰が創造するのか。日本人らしく平和にボケてしまったのか、はたまた、まだ子供故発想が至らなかっただけなのか。当時の俺には何もわからない。
だが、これからは考える必要もなくなる。天国に行くのか地獄に行くのか。何もない“無”の存在へと帰するのかはわからないが、何れにせよ、この苦痛から逃れられるなら何でもいい。
現実から逃げているだけかもしれない。だが逃げるための自殺以外に何の自殺があるのだ。逃げていることはとっくの昔に自覚している。逃げてるだけだと非難されようと、俺は構わない。逃げたいから自殺する。逃げたくなるような状況にまで追い込んだのは誰なんだ。周りは好き勝手言いやがる。俺がどんなに逃げたくなるような状況に追い込まれたのか理解する奴はいない。
……もう、そんな苦痛を感じずにいられるなら、喜んで逃げよう。わざわざ必死になって抗う必要なんてどこにあるのだ。人生は俺のものだ。捨てようが捨てまいが自由なのだ。
もう難しいことを考えるのはやめにしよう。もう終わりなのだ。
「……」
何も考えることなく、ただただ夢遊病者の如くベンチから足を上げ、フェンスに足をかけてよじ登ろうとする。
……その時だった。
「待ってくれ!」
後ろから煩いぐらいの絶叫が響いた。後ろを振り向くと、そこにいたのは……
「……和弥?」
乱れた私服を纏いながら、肩で必死に呼吸を繰り返している和弥だった。相当急いで階段を上ってきたのだろう。屋上のドアに手をかけたまま、もう片方の手で膝に手をついて体を支えていた。その手に何かを持っているのが見えた。
……最後の最後で何だ? 和弥は俺を見るや否や、何をしようとしているか一瞬で判断したのだろう。
「ま、待ってくれ! 今はまだ自殺は待ってくれないか!」
「……?」
いきなり何を言い出すんだと思ったが、さらに「頼む! ちょっと降りてきてくれ! 渡したいものがある!」と叫びだした。
……そういえば、この前追い出してしまって以降、一回も見舞いに来てなかったことを思い出す。彼とも会えなくなる。最後ぐらい願いぐらいは聞いてあげるのもいいかと思い、いったん降りて和弥の方に向き合った。
相変わらず肩での呼吸が収まらない和弥だが、収まらないうちに早口で言い始めた。
「病室に行ったらいなくて、看護師に聞いたら外の空気吸いに行ったって……聞いたもんだから、個々かと思ったが、案の定だったわな……」
「……何わたすんだって?」
「あ、ああ……これを」
「?」
そう言って手渡したのは、一枚のDVDだった。どこかのレンタル店から借りてきたわけでもなさそうで、近所の家電量販店から買ってきたらしい新品のものだった。
表紙に何も書かれていない。ただのDVDを渡されたとて、「なんだこれ?」と困惑するしかない。だが和弥は、これを渡したいがために、わざわざここまで必死になって急いできたらしい。
「……もしかしたら、俺の考えが間違っていたかもしれない」
「え?」
和弥は言った。
「自殺するもしないもお前の自由だから止めはしない。だが、その前にせめてそれをよく見てくれ」
「……これを?」
「そうだ。それの中に、ある民放が撮ったVTRが録画されてる」
和弥は、DVDを指さしてそういった。
「それを見てなお自殺したいって思うなら、俺は止めはしない。……思うがままにあの世へ逝ってくれ」
それは、今までの和弥の言ってきた内容をある意味否定するものでもあった。
彼は今まで、俺の自殺を必死に止める立場にいた。だから先週、あそこまで必死になって止めにかかったのである。
しかし、今の彼の発言はそのほぼ真逆だった。今のうちにこのわたされたDVDを見ることを条件に、それでも医師が変わらなかったならば、自殺するのを認め、その結果を受け入れるということだった。
一見非情とすら思えるし、年齢的にも内容的にも自殺教唆罪にはギリギリ該当しないにせよ、仮にこの件がバレたら、自殺を止めるどころかむしろ黙認したと、周囲から非難されることすらあり得る。だが、和弥はほぼ黙認ととってもいい行動をした。
そのための唯一の条件ともいえるDVD。どうしても渡したかったもののようで、この内容については深くは語らなかった。
「俺はもう言いたいことはあらかた言ったし、それ以上のことは、そのDVDに録画してる中身が全部言ってる。自分で判断してくれ」
そういうと、「だから、せめてそれを見てからにしてくれ。頼む」と、90度頭を下げてきた。友人のここまでの態度の急変に戸惑った俺は、一先ず落ち着かせ、和弥が持ってきた条件を呑むことにした。どうせこの後死ぬのだし、中身が何なのかわからないというもやもやした状態で死ぬのも、余りスッキリしない。中身を見てからでも遅くはないだろうと、そういう判断だった。
「……今さっきのお前の行動に関しては外には口外しない。約束する。お前が自殺しようとしてたと言いふらすことはないから安心してくれ」
そう言って、和弥は俺が移動させていたベンチを元に戻した。軽く礼を言って部屋に戻ろうとするが、和弥は同行しようとしなかった。
「それは一人で見てもらったほうがいい。静かに、誰にも邪魔されず、じっくりとな」
それが何を意味するのかはわからなかった。とにもかくにも、和弥はそういうと屋上を後にした。とりあえず、DVDの中身を確認しようと、俺も半ば後を追うように、屋上を後にした。
部屋に戻った後、担当の看護師に早めに夕食を持ってきてもらった後、「少しの間だけ一人にしてほしい」と言って、部屋に鍵をかけてもらった。これでこっちから開けない限り、誰も入ることはできない。
自殺か何かでもするのではと思われたのか、出る前に部屋の中を若干探っていたが、別に練炭自殺するわけでもなければ、ロープを使った首吊り自殺するわけでもないため、何も出てこない。若干不審な顔はされたものの、看護師はそのまま部屋を出て行った。
食事をとりながら、ベットの隣にあったDVDレコーダーに和弥が渡したDVDを入れ、再生した。
「……これは……」
中身はなんてことはない。和弥が言っていたように、民放がやっていた特番を録画したものだった。たったの15分。15分のVTRのためにあそこまで必死になるか……? とも思ったが、それでも中身を見てみた。
内容は、先の戦争終結後の沖縄で、復興を目指す現地の人を取材したものだった。沖縄の被災者が、救援の陸軍軍人や地元消防、警察等々、多くの人々の手を借りて少しずつ立て直していく模様をダイジェストに語ったものであった。
沖縄の町はすっかり荒れ果ててしまった。解説では、どうも中国軍の進軍の容易性確保のためにあえて入念に爆撃したらしいことが述べられ、ほとんどの住居が被害を受けてしまっている。一応、これほどの被害が出ていることは既に知ってはいたものの、実際に改めてみてみると、生々しいものが伺える。
「……ひでえもんだ」
まさか、自殺する直前にこんな胸糞悪いものを見せたかったのか? そんなバカなと思いつつさらに続きを見る。沖縄の現状の解説が終わると、そのあとは一貫していろんな人が各々の形で街を復活させるべく奮闘する模様が流された。
ある老夫婦は経営していた民泊がやられ、新しく立て直そうか運良く残った倉庫を転用しようか悩み、またある中年の女性は、最愛の娘を亡くし、それでも家の中にあった思い出のアルバムを掘り出して涙を流す。そしてある若い夫の男性は、偶然本土に出張していたところで例の戦争が発生し、終戦後急いで沖縄に戻ってみると、自身が大黒柱を務める一家が全員死んでおり、爆撃を受けた我が家の前で呆然と立ち尽くしていた。
……それだけではない。多くの人々が、各々の形で何かしらの絶望を味わっていた。皆何かを失っていた。各々の形で愛していた何かを突如として失い、その現実をうまく受け入れられずにいた。誰一人として、何かしらで救われた人はいなかった。戦争の現実。戦争の部隊となった現場の、生々しいレポートであった。
「……俺と同じだ……」
一つ目の気づいた点だった。俺みたいな奴は大量にいるということだった。余りに当たり前すぎて、今まで失念していた。
俺みたいに、一瞬にして愛する家族を失った人がVTRに紹介されただけでも大量にいた。実際はもっといるだろう。全員だろうが一部だろうが、愛する誰かを失った人は膨大にいる。俺だけではないのだ。そして、俺と同じ思いを感じているに違いなかった。
……そして、VTRはそれだけでは終わらない。
VTRは、そんな状況下にある人々が、どうにかして立て直そうと“必死にもがく”様子を映し出していた。民宿が壊された老夫婦は、先にもあったように、倉庫を改造して民宿を再開するか悩んでいたが、結構やる気であった。
『倉庫ではありますけどね、建屋がまだ残ってるんだからやれるでしょう。改造なんて自前でやりますよ』
元大工の老人男性にとってそれくらいは朝飯前なのだそうだ。近隣の人々の手を借りて、倉庫を大改造してしまおうと、躍起になっていた。
最愛の娘を亡くした女性は、その唯一残ったアルバムを抱いて涙し、それでも言った。
『命は戻ってきません。それなら、もうこの娘の分まで生きるしかないんです。それが、親としての責務なんです』
幸いにして、重傷を負いながらも夫は生存していた。絶対にこの娘の分まで長生きすると、夫婦は改めて誓っていた。
出張中に一家を亡くした男性は、茫然としつつも、未だに現状を受け入れきれてないながらも、必死に前を向こうとしていた。
『嘆いたって始まらないんですよ。自分だけがなんで生き残ってしまったのかわかりませんが、自分だけでも生きてくれっていうことなのかもしれません。神様にあったら一発ぶん殴りたいですが、そういうことなら生きますよ、自分は』
それは、半ば自分に言い聞かせているようでもあった。自分に対して、こうなのだと、こうするしかないのだと、必死に説得しているようでもあった。
……そんな境遇に置かれた人々が、どうにかして前を向いて立ち直ろうともがいている姿を生々しくレポートしたVTR。この3ケースだけではない。15分の中に、何十人もの人々の現実とその後の未来が詰まっていた。
VTRの最後らへん。最後に紹介されたケースでは、とある陸軍軍人にスポットを当てていた。今何を思うか、レポーターが聞いた。
『……自分、3.11の被災者なんですよ』
そう小さく呟くように言った。中学の時、福島で3.11を経験。その後の原発事故もあり、半ば追われるように故郷を離れ、慣れない関東に移住することになったが、その後の彼に対する“風評”はひどいものだったらしい。
福島からやってきた人々に対する風評と言えば、決まって“放射能汚染”である。3.11発災初期は、まだ福島の現状が正しく伝わっていなかった。学校での彼に対するいじめは、地味なものではあれど、効果は絶大だった。
そのすべてが、後に誤った認識に基づくものであったのは、彼自身が自分で調べてわかったのだという。当然、こんな状況から逃げ出したく思ったらしい。高校に進学した後も、その被害は引き続き続いたのだという。自殺も何度も考えたそうだ。
『でも、だからこそ生きないといけないなとと思いまして』
彼の言葉は若干力強い。
『だって、こんなことで死んでちゃ勿体ないじゃないですか。自分はこんなことで死んでいいのかって話で。なら、この際にもっと別の生き方を模索するのもいいかと思いまして』
『それで、国防軍に?』
『ええ、まあ。ちょうど、被災した時に、当時の旧陸自の方々にお世話になったこともありまして。ああいう人らになってみるのもいいかと。今までは全然頭になかったんですけど、その時からこっちの道を目指して、高校卒業と同時にここに』
『今こうして復興のために赴いているということに関しては』
『3.11の時の恩を返すにはちょうどいいタイミングだと思います。軍に入ってよかったですよ、またこうして自身の経験を活かせるんですから』
『なるほど……』
気が付けば、レポーターの関心ぶりにつられ、思わず頷いていた。
……15分見終わった。たったの15分だが、その中身はボリューム満点。15分が長く思えるものだった。そして、いつの間にかリモコンを手に取り、もう一度最初から再生していた。
夢中になって何度となく見た。細かいところまで。いろんな人々が何でこうして“もがく”のか。無性に気になった。誰もが俺と同じだった。俺と同じく、愛する何かを失った人たちだった。それでも、俺とは決定的に違う何かがある。もちろん、自殺考えてるか否かというものもあるが、もっと根本的なものがあるような気がした。そしてそれこそが、和弥がこのDVDに込めたメッセージでもあるんだと、そう直感するのは、幾ら俺が既に色々と壊れているからと言っても、そんなに難しいものではなかった。
何度見ただろうか。いつの間にか、早めに頼んでいた夕食もすっかり冷めてしまっている。そんなことを忘れ、誰も入れずずっと一人でVTRを何回も周回してみていた。
……見始めて1時間か。その時になってやっと、
「……、そうか」
和弥が言いたいことを理解できた。
このVTRにいる人と俺。境遇はとても似ているモノだった。しかし、根本からして違うものがあったのだ。
……皆、現実を突きつけられても、生きる“方法と意味”を見失っていなかったのだ。
あの老夫婦は、もう一回民宿を立て直してやろうという生きる上でも目標を持っている。それは生きる意味でもあり、倉庫を立て直す過程ではその生きる方法も垣間見える。あの娘を失った両親も、娘の分まで生きるという意味と、互いに支え合うという方法を持っている。家族を失った男性も、過去ばかり向かず、割り切って前を向こうという意思を持っている。意思さえあれば、生きる意味も方法も簡単に見つけられる。彼は、まだ絶望しきってはいなかった。
そして、最後に紹介された陸軍の軍人さんも。3.11を経験し、そのあとの風評被害の影響を受けながらも、生きる意味を決して見失わず、この経験をさらにチャンスにすべく奮闘した。その結果が、この今の職であり、そしてこの復興活動なのである。
彼らだけではない。VTRに紹介された人々は、必ず何かしらの意味と方法を持っていた。例え孤独であっても、何かしらの方法を模索していた。誰とも知らない人にも頼ることもあった。文字通りもがいていた。それでも必死に生きるための術を見つけ、それを実行に移していっている。
だからこそ、命を捨てることをしなかった。
……和弥は、これを言いたかったのだ。
「……俺は、見失ってたのか……」
心の中に渦巻いていた闇が一気に晴れた気がした。全てがすっきりした。全て納得した。決して和弥は、自殺を認めたりしわたけでもなければ、当然賛美したわけでもなかった。和弥なりの、最後の“抵抗”だったのだ。
自殺するかしないかは確かにその人の人生の選択に過ぎないため、他人が強要しても意味はない。家族がどうとか、意思が弱いだとか、もっと強く生きようだとか。そんなことはきれいごとにしか聞こえず、言っても無意味なのだ。
自殺したい人は、例外は多々あれど、「生きるための方法と意味」を見失っている状態と言えるのだ。これ以上生きる意味がわからず、どうやって生きればいいのかわからない。目の前真っ暗な道を、確かに勇気をもって歩き出したくはない。目の前に落し穴があったら? いきなり誰かに襲われたら? そんなことを考えたら、余程の勇敢か命知らずでも誰だって逃げ出したくなるものなのだ。
……和弥はこれに気づいた。そして、和弥はDVDにあるVTRを見せることで、俺に自ら「生きるための方法と意味」を見つけさせようとしたのだ。VTRはあくまで、そのためのヒントだった。
つまり、このVTRを通じて、和弥はこういいたかったのだ。
「俺は自殺志願者であるお前を今後精一杯養うことはできないし、献身的なサポートもできない。お前のそばにいてやれるかもわからない。自殺しようとしているお前を止めることもできない。自殺したければしろ。それはお前の人生の選択肢の一つだから止めることはしない。これ以上は、今のお前にとってはただの綺麗事だ。
だが、これを見て「こうやって必死に生きてるやつもいるぞ」ということだけは知ってくれ。それでいてなお死にたいなら死んでくれ。止めはしない。
ただし、生きるなら後は自分で必死に生きろ。俺が何でもかんでもサポートできるとは限らない。もしかしたらお前を支える人間もほとんどいないかもしんないし、生きる上で苦しいことも大量に起きる。それでも、それを受け止めてなお生きる“勇気”があるなら……俺はそれを支持する。
……それなら、精一杯生きろ。俺は全力で応援する。どっちをとるかは……お前次第だ」
和弥は、俺のその“勇気”があることを信じてこれをよこしたのだ。意味と方法さえわかっても、勇気がなければ宝の持ち腐れである。こればっかりはVTRだけではどうしようもない。それは、まだ俺に残っていることを信じるしかなかったのだ。そして、俺が自殺した時は、その勇気が残念ながらなかったときだ。
……俺はハッと思い知らされた。ここで、ようやく俺は正気に戻ったと言っても過言ではない。
「……こんなところで死んでる場合じゃねえ……勝手に死んで解決するものでもない……」
当たり前のことで合はある。だが、さっきまでの少しおかしかった俺が、ここまでにたどり着くのにはこれほどまでの苦労が必要だったのだ。この事実は、俺が自ら気づいて初めて意味を成すものであって、他人から言われても効果を発揮しないものだ。
結果的には、和弥の行動は正しかった。俺は目を覚ますきっかけを見つけ、そして、自殺なんてことを考えることはなくなった。自殺に恐怖したからではない。自殺をしている暇ではないのだと、別の“目標”を見つけたからに他ならないのだ。
―――その後の退院当日。病室を後にすると、爺さんが迎えに来た。
爺さんには、先の自殺云々に関する話を明かすことにした。今となっては頼れる身寄りが彼ぐらいしかいない。爺さんは驚くことなく、ただ静かに聞いていた。
だが、もう立ち直ったことを聞いてからは、「なら、あとはお前が自ら道を見つけるだけじゃ」と、一言添えてくれた。和弥の言っていたこととほぼ同じ。個々からは、俺の戦いでもある。
退院手続きをするべく移動していると、途中、赤ん坊の泣き声が聞こえた。扉が少しだけ開いていたのでそこから軽くのぞくと、とある母親さんと思われる女性が、小さな赤ん坊を抱いていた。生まれてまだ日が浅いらしい。隣には夫と思われる男性もいた。
そこで俺は気づいた。ここの一帯は、沖縄で戦争被害に遭った人らのために解放された病室の区画であったはずで、この部屋にいるのは沖縄で被害に遭った人のみであったはずだった。
……まさかと思い、爺さんに聞いた。
「なあ、ここの部屋の人って、もしかして沖縄で戦争にあった人か?」
「ん? あぁ、そうらしいぞ」
案の定だった。ということは、あの女性は、沖縄で戦争を経験した人ということになる。戦争を経験して生還したのだ。
さらに、爺さんは看護師から聞いた話として、こんなことを打ち明けてくれた。
「あの女性、どうも沖縄で中国軍の攻撃を受けて死にかけたらしいんじゃがの。我が子だけは救わねばと必死に生還して、こうして無事出産したんだそうじゃ。奇跡的な出来事だと、病院内ではにわかに話題じゃぞ。知らんかったのか?」
全く知らなかった。いつの間にそんな話が流れていたのか。しばらくは自殺が云々ということで頭がいっぱいで、それ以外のことは全然眼中になかったからだろうか。
だが、母親はけがは折ったものの、出産は無事成功したようで、お子さんも健康体。まさしく奇跡だった。それだけ、母親は必死だったのだろう。
……改めて思い知らされた。俺みたいに死のうと思っている人もいれば、必死に生きようとしている人もいたのだ。同じ屋根の下で、こうも真逆なことを考えている人が両存しているとは。面白いこともあったものである。
何かのために必死に生きる。彼女はできた。同じ人間の俺ができない道理はない。
「……誰かにために生きる、か」
我が子のために彼女は生きた。俺も、誰かにために必死に生きよう。その時、そう心に誓った。
玄関では、多くの友人が出迎えてくれた。爺さんが内緒で呼びかけてくれたらしい。サプライズとなった俺に対し、友人らは歓迎の出迎え。その中には、
「……ッ! 和弥」
少し離れたところから、和弥が俺を見つめていた。何とも含みのある笑みを浮かべ、俺に視線を向けていた。若干、ニシシと笑い声が聞こえたようにも感じた。
「……こうなることを知っていたか」
「え、何が?」
「いや、なんでもない。気にすんな」
友人からの問いを軽くあしらいつつ、退院祝いとしてとある友人の家でパーティーを開く運びとなった。自殺したら、こんな楽しい経験もできなかっただろう。自殺を思いとどまらせるきっかけを作ってくれた、和弥には深く感謝しないといけない。当然、パーティーには和弥も参加し、大いに盛り上がった。
それ以来だった。アイツと俺は、ただの友人から“命の恩人兼かけがえのない親友”へと関係が昇華していった。
自殺は生存の放棄であり、可能性の放棄だと教えられることとなった。
生きたくて生きられなかった奴はごまんといる。生きられる奴がそれを捨てていいのか。沖縄で、生きたくてもそれが許されなかった人らがいる中、俺は生還した。
せっかくチャンスをくれたのだ。それを生かさないとは何事か。一度死んだような命。ならば生きられる限り全てを突くさねばならない。話はそれからだ。
あれ以来、俺はそう言う風に割り切った。それを気づかせてくれた和弥とは、それ以来腐れ縁みたいな関係になった。
アイツがいなかったら、俺は今頃いなかった。
そして、お前とも出会うことはなかっただろう。
10年前、あそこまで追い詰められた過去があって、今の俺があるんだよ…………