AM05:00
―――ここで言う最悪の部類とは、ある意味“俺らにとっての”最悪の部類である。
まず場所。つい数日前、命からがら行って脱出してきたところだった。そして、ユイの妹を、半ば強引ではあれど取り返してきた場所でもあった。
「……また、あの施設に……?」
彼とメリアがいた場所。間一髪、敵の銃撃やら破片の直撃やらから逃れ、何だかんだで逃げてきた場所。
東京の地下。地下鉄整備の際に使われた旧整備網の……
「彼がいた、あの場所か……」
メリアを救い出した、あの場所だった。
詳しいことはわからないが、あの場所と同一の座標から通信電波が出ているらしいことは間違いないようであった。大まかにでしかわからないが、あの場所のうち、大規模な通信を実行できそうな施設は、アレ以外に想像できない。
問題は地上、さらには宇宙にある衛星との通信アンテナであるが、メリアが齎したデータを細かく参照するに、どうも外部との通信も余裕でできているようであるため、恐らくそれを流用しているのだろう。
本当はNASAの施設を踏み台にするところを、代替手段として、今度は直接衛星との通信をする手段へと変えたのだ。
これを止めるためには……
「直接、行くしかないってことで……いいのか?」
和弥が俺に聞いてきた。要は、そういうことなのだろう。俺は頷いて返した。
「外部からの通信はシャットアウトされるに違いないし、直接止めに行くしかあるまいて」
「だが、またあそこに行くのか? 前に一回言ったから、たぶん……」
「防備は固いな……」
防護はしっかりなされているはずだ。最初と同じようにはいかないだろう。近づくだけでもどれだけの苦労がいるのかわからない。
「場所はまだいいんだよ」
二澤さんが横から入ってきた。
「問題は……、時間だ」
その表情は苦渋なものであった。
タイマーの作動時間ではあれど、起動の時間が午前の5時。俺たちが再奪還作戦を開始させるのと同タイミングである。
タイマーにどれほどの時間がセットされているのかがわからない以上、タイマーの作動すらここでは阻止する必要がある。タイマーが起動してあと10秒です、なんてことになったらマズいのだ。
「時間がこっちと同じじゃ、向こうに付くまでにタイマーの時間切れるんじゃ?」
「作戦開始から向こうに付くまでに、どれだけ急いでも最低でも30分はかかる……絶対30分のタイマーなんてセットしてないぞ」
「どうせやるなら、もうちょい時間は短いですよね」
俺だったらそうする。
「作戦開始の時間はやめることはできませんか? 今すぐにでも行かなければ!」
二澤さんが無線に向けて聞いた。羽鳥さんの焦りをにじませる声が返ってくる。
『それは無理だ。今から時間を早めるなんてことはできない。上の方では既に時間を最終的に決定した』
「事情が事情です。そこをどうにかできませんか?」
『全ての部隊が、5時の作戦開始に合わせて動いている。今から変更はとてもじゃないがムリだ。全部隊への対応が行き届かず準備が中途半端になる』
「1時間でも30分でもいいんです、ダメですか!?」
『ダメというか、できないんだ、わかってくれ』
「マジかよ、クッソ……」
無線の聞こえないところで小さく吐き捨てる二澤さん。
現在、午前3時ちょい前ぐらい。もう作戦開始時刻の最終決定はされてしまい、それに合わせて全ての部隊が動いている。たった1時間でも、30分でも、今更さらに早めるなんてことはできなかった。2時間弱後の準備を、あと1時間~1時間半で済ませといきなり言われても、対応は簡単ではない。
「じゃあ、時間は変更できないのでタイマーの作動は許容するしかないってことですか?」
『現状、そういうことになる』
「それじゃ最悪間にあわ―――」
そこに、新澤さんが間に入った。
「待って。じゃあせめて、タイマーの時間がどんくらいなのか教えてくれませんか? そこはまだわからないんですか?」
『今解析が進んでいるらしいが、回答がこない。たぶん最初の解析の時にシャットアウトされた可能性がある』
「向こうも調べられていることに気づいたか」
和弥がそう呟いた。通信手段を変更した時点で、これ以上の詮索をされないよう外部からの通信を遮断した可能性は十分ある。こうなれば解析は何もできない。情報更新は期待できなくなる。
……5時スタートだが、タイマーの時間もわからない。でも作戦開始は変更できない。それまで、向こうに近づくことすらできない。
……ええ……。
「(どうしようもねえじゃねえかこれ……)」
時間も、場所もわかっているのに、動くことができない。そんなことがあるか?
もう時間は迫っている。あと2時間しかない。2時間“も”ではない、2時間“しか”ないのである。
「場所も時間もわかってるのに動けないんじゃどうしようもないじゃない!」
「少しでも戦力を向こうに送れませんか? 整った部隊だけでもいいんです」
『その方針で今色々と議論しているが、どこまでやれるかまだわからん。準備できたのから随時突入させるといっても、これはこれでまた本来の作戦に支障をきたす。皆慎重だ』
「日本や世界が死ぬかもしれないときに慎重もクソもありますか!?」
『わかってる! だが、やみくもに突入させるのもまたデメリットが多すぎるんだ、無駄死にを増やすわけにはいかない』
「……クソッ……」
これ以上の反論ができず、二澤さんは悪態をつくしかなかった。やり場のない怒りを、拳を強く握りしめることで発散するぐらいしか、やれることがなかったのである。
散発的な部隊の突入は、連携した作戦に確かに支障がある。一応、上の方で適当に理由を付けて「作戦開始時間に関わらず、できる限り準備を急げ」と命令を下しているが、それでも、時間はどうしてもかかる。
最低1時間は間違いなく超えるので、そのつもりでいろとのことだった。1時間は、なにも動けずじまいだということを言い放たれたも同然であった。
「1時間……?」
その1時間の間に何ができるのか。だが、これ以上はどうしようもなかった。
とにかく、色々理由を付けて急がせるよう命令すると伝えて、無線は切れた。俺たちはそれまで待てということと同時に、いつでも出れるように備えておけ、ということでもあった。
「……1時間以上、何もしないのか……?」
茫然とした様子で、二澤さんはそう呟いた。沈痛な空気が流れる中、彼はさらに続けた。
「もう5時に、タイマーが作動するんだぞ……タイマーなんて名ばかりで、すぐにケラウノスが作動するものだったらどうする気だ……?」
「今は嘆いてもしょうがない。とにかく、俺たちの方で使える奴ら抽出して突入部隊を編成しよう。他の連中起こしてくる」
「あ、あぁ……」
結城さんがそう二澤さんに言い残し、この場を後にした。「クソッ……」と呟きながらも、とにかく動かねばならないと考えた二澤さんは、さらに指示を出した。
「今のうちに武器類揃えておけ。1時間は最低かかるらしいが、いつでも出れるように準備だけはしろ。できた奴はそのまま待機。上の指示を待ってくれ」
「了解」
一先ず解散。二澤さんや新澤さんたち一部は中に残り、それ以外は装備を取り急ぎそろえることとなった。俺も装備類を整え、すぐに出発できる体制を整える。
そんなに重武装を求められていないので、すぐに装備は拵えることはできた。あとは、GOサインさえくれば……。
そんな折、
「……ん?」
外のベンチでぼーっとふけっている人影を見る。見慣れた人影であるため、すぐに隣に座った。
「大丈夫か?」
自分の相棒にそう呼びかけた。聞きなれた声を耳にした彼女も、俺の方に視線を向けた。その目は、いつもの元気なモノとは違い、随分と寂しげな感じであった。
「……何も、できないのかなって、ずっと考えてまして」
「時間の変更ができない以上、どうしようもないのは間違いない。……1時間ぐらいは最低かかるって言っていたが、現実もっとかかる」
「解除の時間を考えたら、間違いなく間に合いませんよ」
「ああ、間に合わないな」
「……」
「……」
どちらも続きの言葉を投げなくなり、暫く静かな時間が流れた。冬の寒い海風が吹くが、それはただの静かなBGMにしかならない。空は、生憎曇り空なのでそこまで明りがなかった。
「……どうすればいいんですか」
「え?」
やっと口を開いたユイのその言葉は、若干震えていた。なんで震えていたか、それに込めていた感情は、複雑なモノであろうものであることはすぐに理解できた。
「何もしないで、ここでずっと暇してろってことなんですか……?」
「……現状は」
「こうしている間にも、タイムリミットは迫ってるのに?」
「迫ってる」
「……何してるんですか、私たちは」
「俺が聞きたいぐらいだよ」
俺も本当に誰かに聞きたい。こんな時に俺はなんでこんなところで暇をしているんだろうか。最悪あと
2時間と数十分ぐらいで世界が誇張抜きで破滅するという時に、一体何をこんな悠長にしているのだろうか。
何も動かないでいいのか? こんなことしてていいのか?
だが、動けと言われていない以上、すぐに動けないのは軍隊の避けられぬ宿命である。日本国防軍は、一人の独裁者の下で動いているのではない。大勢の人間が関わっている以上、下令に時間がどうしてもかかってしまう。有事の状況では、むしろ一人の人間のトップダウン的な指揮系統の方が的確なのだが、日本だとその点まだ不十分なのである。
「(このまま、何もせず……か?)」
そんなのが許されていいのだろうか。宇宙から世界中の原発などを狙ったこの攻撃を前に、こんな悠長なことでいいのだろうか。幾ら理由が理由とはいえ、整うまで何もするなというのが、最良の選択か。
俺の脳裏ではそんな話が繰り返し巡っていた。
もう、時間はこれっぽっちもないのだ。
「(……今すぐにでも行かなければ……)」
そういう使命感は、考えれば考える程の湧き上がってくる。しかし、動けないというこの矛盾を解消することはできなかった。
「……」
再度流れた沈黙を、再び破ったのはユイの行動だった。
「……ッ」
いきなり立ち上がったと思うと、そのままこの場を立ち去ろうとする。俺はすぐに止めた。
「待てよ、何する気だ?」
「……」
足音が止まったので、その場で止まってはくれたようだが、ユイの考えていることはすぐに読み取った。アイツのあの性格である。やろうとしていることは一つしかなかった。俺はベンチから立ち、ユイの方を向いた。
「“独断専行”は許容できない。軍じゃ常識だ。わかるだろ?」
「……でも、こうしないと日本が、世界が……」
「あぁ、わかってる」
「わかってるなら!」
ユイは声を荒げた。俺に迫り、顔を間近に圧迫させながら、さらに続けて言った。
「これ以上待っているのがわかってるなら、なんで今すぐに動かないんですか!? 動かないと死にますよ!? 私だって最悪天国に引っ越ししなきゃならないですよ!?」
「落ち着け、俺だってそれくらいわかってる」
「だったら……ッ!」
ユイは俯いて、さらに泣きそうになりながらも声を振り絞った。若干、かすれ声っぽい声で、
「……もう、行かせてください……ッ」
「一人で行く気なのかよ? 正気とは思えんな」
「重々承知してます。でも……」
そのまま、俺の胸板に倒れ込むように、頭を額から凭れた。
「……あの娘が、せっかく齎してくれたチャンスを……みすみす逃したくないんです……ッ」
「……」
「せっかく、せっかく命を半ば捨ててまで持ってきてくれたのに……こっちが何もしないんじゃ、私はどんな顔してあの娘に向き合えばいいんですか……ッ!!」
俺の迷彩服を掴むユイの手の力が途端に強くなった。服を握りしめていた。悔しさが滲んでいるのは誰の目にも明らかであり、それこそが、ユイをここまで動かす動機でもあった。
ここまでの情報は、全てメリアが齎してくれたものだった。彼女の尽力がなければ、俺たちはSDD衛星を悪用した、ケラウノスの計画を知ることはなく、何も知らないまま再奪還を実行し、わけもわからず破滅するところであった。実行した行動そのものに比して、彼女が成し遂げた功績は余りにも大きい。政府から勲章の一つや二つ貰っても誰も文句は言うまい。誇張抜きで、正直な話、大勲位菊花章でも俺は良いと思っている。それだけのことをしたのは間違いないのだ。
……それだけのことをしたのに、受け取った側の対応が、これである。
「……何も、しないんですか……ッ」
「したいのは皆同じだよ。だから色々と動いてる」
「今すぐに動かないと意味ないんですよ!」
「皆思いが一つなのに、誰かが独断で動いてみろ。連携面で支障がでる。簡単な事じゃない」
「でも……ッ!!」
服を握る手の握力がさらに強くなっていた。そろそろこの服も伸びるんじゃねえだろうか。だが、どうせこの作戦が終わったら脱ぐ奴である。少しぐらい伸びても問題はないか。
「……」
ユイの言わんとすることは正しいものである。だが、かといって集団内で同じ思いを共有している中、一人がそこから抜け出す行動をとってしまうと、心象面でも問題だし、連携が取りづらくなる。今後の事を考えると、適切とは言えなかった。
……軍隊は、一人で動く組織ではない。羽鳥さんが、以前に言っていたことであった。
「(……一人では、動かない……か)」
否、許されないのである。軍隊とは、そういう組織であった。
……時間は、刻々と過ぎていく。もう、羽鳥さんからの指示が入ってから15分が経過した。
15分。貴重な15分であるはずだが、俺たちはそれと言ったことをしていない。装備を整えただけである。この15分間に何ができたか。考えれば考える程、呑気にしていられなくなってくる。
動きたいのに、動けない。このギャップを、埋め合わせることは難しい。ユイは、本当に動きたがっているのである。
それは、誰でもない、命を懸けてこの情報を守り抜き、俺たちに齎してくれた、たった一人の自らの妹のためでもあった。せめてもの手向けとして、この攻撃を何としてでも阻止したいのである。
ユイはそれ以上何も言わなかった。静かに泣いていた。自分の無力故か、俺が組織追従なのに失望してか、どれによってなのかはわからない。だが、単純な単一の感情から齎された涙ではないであろうことは、かろうじて理解することができた。
「……」
俺は軍人である。軍隊に所属する以上、その組織に従属にあらねばならない。それは良いか悪いかの問題ではない。軍隊がそういう組織とシステムで成り立っている以上、それに従うのは義務なのである。それで失望させてしまったなら、本当に申し訳なく思う。
……同時に、俺は、“国防軍人”である。
“日本の、国防軍人”である。
「……あのさ」
「ぇ……?」
俺は、“国を防る軍の人”なのである。国を守ることも、俺に課せられた義務であり、軍人としての俺の存在意義でもある。
守るべきものとは、我が故郷であり、この世界である。
……ならば、
「一つ勘違いしてほしくないんだけどさ」
答えは一つである。
「誰もさ、“行くな”って言葉は言ってねえよな?」
「……え?」
俺は、覚悟を決めた。やらねばならない。たとえそれが、軍人として失格の行為であろうとも、俺“達”は、やらねばならないのである。
「……一人で行くなって言ってんの。“俺も行かせろ”」
さっきまで静かに泣いていたユイの表情が一転、呆気にとられたように、俺に視線を向けた。
「俺は、独断専行で勝手に動いたらマズいことは言ったが、だから行くなとまで言った覚えはないぞ?」
「え、あれって暗に行くなって言ってたんじゃないんですか?」
「深読みし過ぎだ。言わなかったか? 俺もいきてんだよ、向こうに」
そうだ。俺だって行きたいのだ。なのに、指示がないからいけないという矛盾を前にしている。こんな矛盾に付き合っている時間があるなら、最初からみんなこんなに急いでいないのだ。
……時間は待ってくれない。もう、何度となく言うが、本来ならば今すぐに動かなければならないのだ。
……俺は、我慢の限界だった。
「装備持ってるな? なら今すぐに動こう。指示なんざ待ってられるか。もう今から動かないと間に合わない」
「二人はどうします?」
「和弥は情報処理担当として二澤さんたちのほうにいないといけないし、新澤さんは他の班との調整がある。連れてはいけない」
「じゃあ……」
ユイが、半ば意を決したような眼をした。つまり、そういうことである。
「……俺たちだけで行く」
危険な賭けであった。最初4人で行って、あんなに苦労したのである。
今度はその半分の2人。しかも、防備はもっと固いはずである。これを突破することは非常に困難であり、ましてや他の支援が見込めない中ではただの危険な行為に他ならない。
……だが、もう動かないといけない時間は過ぎた。準備待ちと言って、上はまだ指示を出してくれそうにない。もう待つことはできないのだ。
「装備をまとめろ。今すぐに行く」
「抜け出す道は?」
「俺に案がある。とにかくまとめて来い」
「了解」
その目は決意の目と化した。もう彼女のやることは決まった。覚悟完了。俺に背を向けた時、また一瞬だけ呼び止めた。
「いいか。どれだけの御託を並べようが、俺たちがやることはただの規律違反であり、命令違反だ。これっぽっちも俺たちの行動を正当化できるものではないし、相応の報復は覚悟しておけよ」
「そっちこそね」
「首なら幾らでも差し出す。故郷が死ぬのに比べたら俺の首なんざ激安だ」
そして、俺も足を進めた。装備はもう持っている。あとは、ちょっと“土台を固める”だけだ。
現在、午前3時20分。タイマー作動まで、あと1時間40分。
俺たちの、“孤立無援必死”の状態での、時間との闘いが始まる…………