脆い記憶
車両が無事到着したのち、すぐに基地に帰った。
防弾性を考慮してか、軽装甲機動車のほうが数台やってきたが、運転手も全員特察隊の面々。俺らの班を載せたほうは、なぜか同じ面の奴が二人もいることに「は?」と困惑を隠しきれていなかったが、
「双子の姉妹ができました」
なんていう相棒の咄嗟に出した冗談の一言で、ある程度の理解はしてしまったうえにウケてしまったのは未だに謎である。誰でもない、ユイ本人とにせ……いや、メリア本人が一番驚いていた。
……なんでジョーク言った本人まで驚くのか。白けること前提で言ったのか、それとも空振りしてそこを突っ込まれることを想定していたのか……。
幸いなことに、この運転手としてやってきた人もこっちの事情をすぐに理解した。同時に、
「どっちがどっちだか分んないから目印つけてくれないか?」
というご提案すらいただく次第。とりあえず目の色で見分けてくださいといったが、見えにくいということで合えなくボツ。「性格が真逆だからそれでいいか」という自己解決はされたものの、それでいいのかという疑問がないわけではない。
「でもあれだな。こうしてみるとほんとに姉妹にしか見えんな二人とも」
そんな運転手の彼の一言によってえらくお気に召したのか、
「私の自慢の妹です」
「なんでだ」
0.1秒と経たないうちにメリアに否定される我が相棒。だがもうお構いなしなのか、自分の中では既に妹という位置づけで固定することにしたのかはわからないが、否定的反応は完全に無視していた。困り顔なメリアの「どうにかしてくれ」な目線に、俺は同じく目線を逸らすことでしか対応できない。仕方ないだろう、そいつはそういう性格なのだ。
「よくまあ連れてきたもんだ。彼女、敵だったはずだろ?」
「え?」
後ろに聞こえないよう、助手席に座っている俺にそう彼は問いかけた。実際、昨日どころか、つい数時間前まで、彼女は俺らと拳を交えていた間柄である。主にユイとではあるが、今では、彼女はその拳を交える相手を妹だと言っては、さっきから大層かわいがるように文字通り撫でまわしている。姉妹じみた存在ができたのが相当嬉しかったらしい。
「向こうのSOSに答えただけですよ」
「事情は1班の二澤隊長から聞いている。彼女みたいなやつの造反を許すとは、向こうも相当足元が揺れ始めてるのかな?」
「その点はなんとも。ただ、初期のころの勢いがなくなってきているのは確かでしょう。そういう意味では、彼女の造反はそれを象徴づける事態とみることはできます」
初期は国防軍の出鼻をくじくことに一定の効果を見出す程度には勢いがあった。ここまで手こずらせたのは、こちら側の初期対応の不手際もあるだろうが、それを引き起こし、利用した敵組織、NEWCの策略によるところも大きい。
だが、今は完全に引きこもりを始めた。メリア本人が言っていた内紛の件も気になるし、裏で動いているCIAも注意すべきところだ。どこまで関与しているかはいまだに不明だが……。
「今回の件は、既に本部の方にも伝えられている。受け入れは問題ないそうだ。むしろ、大きな収穫と思っている節すらある」
「まあ、当然でしょう。向こうから色々な意味での最高機密が自らやってきたようなものです。向こうに付いたら出迎えの一つや二つあってもおかしくないぐらいですよ」
「レッドカーペットでも敷いてるかな?」
「横には司令部関係者が総出で出迎えるんですね、わかってますよ」
当然、そんな展開などあるわけがないことを知ってのジョークである。だが、正直それがこの後起こってもそこまでビックリはしない程の奴が来たことは否めない。
彼女の持ってる情報は如何ほどか。その中身は、一語一句無駄なものはないであろう。それくらいの貴重情報を持ってすらいる。
「お前、あとで司令官直々に頭下げられるんじゃねえか?」
「そうなったら直接休暇貰いますよ。この戦争終わったら即行で1ヵ月ぐらい」
「クッソ長いなお前、ぜいたくな」
「それをされるほどのものは連れてきたと思ってます」
「否定できん当たりがまことに悔しいところだ」
そんな一言を放つと、若干の沈黙ののち、彼が再び口を開く。
「……司令部連中には伝えたから、帰ったときにはいろんな奴が彼女のことを知っていることだろう」
「やはり、警戒しておいた方がいいですかね? 彼女に対しての感情は、あまりいいものばかりではないでしょうし……」
彼女は、嘗てユイを偽り内部に侵入し何食わぬ顔でいた存在だ。自分らを騙した存在が、今度は「助けてもらいました」と言ってぬけぬけと自らの敷地内に入ってくることをいいように思う連中ばかりではないであろう。そうした人間が、彼女に何をするかは正直予測がつかない。さすがに感情的な行動に出るとは思いたくはないが、嘗てのユイが戻ってきた当時の件もある……。
……だが、
「―――ああ、それならな」
そんな不安をよそに彼は、思い出したような口調で、
「……たぶん、杞憂に終わるぞ」
「え?」
その言葉の意味は、現地に付いたらすぐに理解することになった……。
―――結果から言うと、確かに、杞憂に終わった。
少し目立たない場所に降ろされたと思ったら、すぐに誰かが迎えに来た。誰かと思えば羽鳥さんである。
保護観察、という名目できたようだが、その実、単に“とりあえずの”護衛ということらしい。
「護衛? てことは、まさか彼女に手を出しかねない人も……」
そんな警戒を最初にしてはいたものの、ここでいった護衛の真の意味は、すぐに悟った。
中に入ったとたんに……
「おぉ、“本物”だ」
「すげぇ、聞いてはいたがそっくりだ」
「触ってみたい」
「なるほど、目以外がまるっきり同じなら騙されるな……」
「触ったらどんな感触かな」
「背丈まで一緒ときた。こりゃ双子の姉妹だな」
「触りたい」
「さしずめ彼女の方が姉で、偽物のほうが妹か。お似合いだな」
「顔触っていい?」
「ちと黙れ」
……歓迎なのかどうかはわからないが、少なくとも好奇の目線しかなかった。あと、一部どうしても触りたい過激一歩手前の人間もいたが、なるほど、護衛とはこういうのが本当に手を出したときのためのものだったのかと今更ながらに納得する。というか、なんで寄りにもよって顔を触ろうと考えたのか、これが理解できない。
事情を聴くに、もうほとんどの奴が彼女に対しての感情はそこまで悪いものではなく、「SOSを出してる」という情報が事前に出回っていることがうまいことクッションになっていたようだった。「助けを求めてるのならまあ……」みたいな感じである。
そうでない人らも、複雑ではあれど嫌悪まですることは躊躇ったようだが、なぜか理由が「そうしたら絶対彼女に殺される」というよくわからないものだった。ここでいう彼女は、ユイのことである。
理由を聞けば、「絶対偽物可愛がるだろ? 俺たちが嫌悪感示したら間違いなく首あたり締められるだろ? ならする必要もない目線向ける必要もないだろ?」というものだった。ここでも、ユイに対するよくわからない目線が向けられていることに気が付いた俺。どういえばいいのかわからなかった。
ともかく、何かしらの問題が起きるような様子ではなかったため、こちらとしても一安心である。また喧嘩沙汰や口論沙汰みたいな話になったらもう対処がめんどくさくなるところであった。
メリアはそのまま羽鳥さんのほうに連れられた。付き添いで新澤さんもついていったが、報告ついでに俺もついていき、色々と事情を聴くこととなった。
……なお、先のユイが首を絞めて云々の件について本人に話してみたところ、その発言者数人に対してユイは首絞めではなく怒りの腕捻りを実行した模様である。ご愁傷さま。俺は悪くない。
「……はぁ、疲れた」
適当な椅子に座りグッタリ。もうこれ以上は今日は動きたくない。ロボットだからもっと動けと言われたところで、「知らん。そんなことは俺の管轄外だ」と訳の分からない返答をしてかわす手段を実行したいと思う。
ちょいと熱を冷ますべく、和弥さんから借りた小さめのタオル二枚を水に濡らして、額と首元に乗っけてあとは顔を上にして背もたれにグデ~とダラける。普通の人間なら下手すれば風邪をひくリスクを伴うこの技も、私ならただの補助冷却にしかならないあたりを考えれば、私やっぱりロボットでよかったと思う今日この頃であったりする。
「(……腹部とか問題なくてよかったぁ~)」
ここに帰ってきた後、先の偽物……もとい、メリアとの戦闘の最後らへんで思いっきり腹部に蹴りを喰らったこともあって、おかしな損傷でも出てたりしないか心配だったけども、調べたらそこまで大きな問題はなかった。若干損傷はあっても「修理持越しでもいいだろう」という判断で十分なレベルで済んでいるらしく、めっちゃ頑丈に作ってくれた私の父たる方々に感謝するばかり。あとしっかり受け見やった私、よくやった。グッジョブ。
「(……何もすることがない)」
今日やったことがやったことなので、本当はこの後やる予定になっていた深部偵察も全部別の班に代替させることにして、私らはそのままお休みになった。まだ午後に入るか入るまいかの時間帯なのに、もうやることがなくなった。私の相方は新澤さんとメリアちゃんと一緒に言っちゃったし、唯一同じく暇であったはずの和弥さんの姿はどこにも見えない。二澤さんたちも、祥樹さんらとともに有り難くお休み貰ったことでラッキーと思ったのか、どこかに消えてしまった。たぶん敷地内にはいると思うけれども、今更探す手間を作りたくない。
……そう考えた末の妥協点。もう一人で静かなところで、適当に暇つぶしているか、寝るか。
まだバッテリーは半分弱ぐらいは残っているものの、どうせなら余計な電力を使わないで温存したいし、かといって充電できる場所は寄りにもよって騒がしい。イヤーの聴音機能切ればいいのだが、それだと何かあったときの音声収集が追いつかないときもあるので、基本的にはつけているのが私流。
どうせまだそこそこあるんだし……と考えた結果、この場所でグータラする展開に至ってしまった。
「はぁ……」
深いため息をつく。疲労を抜くという意味でも、もうさっさと寝たい。しばらく私の中にあるいろんな電子機器を冷やしてやりたい。こいつらも休みたいでしょう。さっさと寝させるか、そうでなくとも暫く動かさないようにしたい。
……そう思い、もうほとんどスリープモードで寝る気満々の状態で目を閉じた時だった。
「……んぇ」
右の頬に途轍もなく冷たい何かごつごつした感触を感じ取る。肌触りからして布ではあるかもしれないけど、たぶん中には固形物が入っている。、
この冷たさ……、氷水?
「お疲れだな。ほれ」
右目を開き視線を右側に向けると、私とそっくりの姿形をしたもう一人の女性。声すらも同じとくれば、該当するのは一人だけ。
「あー……メリアちゃんどうもー」
ちょうどよく持ってきたのは氷嚢だった。気持ちよく程よい冷たさのそれを首の右側面から右頬にかけてつけっぱなしにする。
この冷たさ。先ほどまでの熱は即刻どこかに消えた模様である。冷気に熱は勝てない。祢津はロボットの天敵ゆえ、これほどありがたい者もない。
「よくわかったね。私がここでダレてるって」
「アンタの相方がそれ渡しながら言ってたからな」
曰く、
「アイツ絶対人気ないところでぐで~ってやってるはずだからこれもってってやれ。どうせ冷たい何か欲してるだろうから」
……とのこと。私の行動、ほとんど読まれ切っているあたり、相方として喜べばいいのか悲しめばいいのか。
「向こうも完全にお見通しらしいな?」
「みたいだね~。はぁ、どうもこういうところはあの人に敵わない……」
「以心伝心でいいだろう。二人にはお似合いだ」
「いらないところにまで発揮しちゃうんだけどねぇ、お互いに」
それほどお互いが単純な性格なのか、それとも難解ではあれどそれすら理解するほどになったのか……本心、できれば後者であってもらったほうが色々と嬉しかったりするのだけども。
「腹、平気か?」
「腹? あぁ、大丈夫大丈夫。あんなんで簡単にぶっ壊れる程柔らかくないし」
「それは喜べばいいのか悔しがればいいのか……」
「どっちでもいいんじゃない」
「考えにくいわ」
じゃあどうしろってのよ。というツッコミはたぶん野暮だろうししてもいい返答は来ないだろうしでスルーした。
……そういえば、二人がいないことに今更ながら気づく。
「あれ、祥樹さんと新澤さんは?」
「二人なら途中で分かれた。飯だそうだ」
「人間の人たちは大変だなぁ、わざわざごはん食べないといけないなんて」
「いや私たちも電力必要なんだが……」
「長持ちするだけ幾分もマシでしょう?」
「今のお前がだらけてる理由がわかるな」
どういう意味よそれ……。そんな違和感を抱きつつも、些細な渡井の無い会話を軽くかわす。いつの間にか、簡単な暇つぶしの時間となりかけた時、
「……あ、そうだ」
理由なく唐突に思いついたことを実行した。
「……ん? どうした?」
「いや、ちょっとね」
胸ポケットから取り出した小さいそれを、裏にあるクリップを弄って右のこめかみの上あたりの髪に留めた。ズレないよう傾きを若干調整。
「……ヘアクリップか?」
メリアがそう問いかける。
「うん。これつけてたほうが見分けつくと思って」
「なるほど。そういえば、それ頭につける奴だったな」
「つける機会なかったから全然自覚してないけどね」
基本的に外ではヘルメットばかりしているので、今みたいにヘルメットを取る時というのはほとんどない。一時期服の上のどこかにつけておくことも考えはしたものの、元々髪につけるクリップなのに布につけることはできないし、ましてや戦場でつけていた場合、万一銃弾とか当たったり転んだりした時に削れるか紛失するかしたらもう精神的にダメージがでかい。
……結果、いつの間にかお守りの立場になって今までずっと胸ポケットの中にしまったままだった。
「今ぐらいはつけてもいいでしょ。見分けつけるためって理由つければいいし」
「それも、彼の手作りだったか」
「まあね。私が死んでも手放すつもりはない一つだけのお守りだよ」
「……もう名実ともにお守りになったんだな」
「くれた本人自ら言っちゃったんだしいいでしょ」
そう言って、また氷嚢を肌につける。今度は左側に移して、熱をどんどんと冷やしていく中……
「……いいよな」
「?」
メリアは小さくそう呟いたのを、私の耳はしっかり聞き取った。
「なにが?」
「いや……そういう思い出ばかりで、退屈してなさそうで」
「退屈しないねぇ、確かに。する要素がそこまでないんだけどさ」
充実してる、という意味でもあるのかもしれない。周りが周りなので、むしろ忙しいぐらいに退屈しない。だからこそ、私がこうなってしまったのだともいえるし……
「そういう記憶は、絶対に忘れるものではないだろうな。記憶は自らの人格形成の土台だ」
「だろうね。……んで、いきなり何の話? 恋愛なら話聞くよ?」
「お生憎様。そんな相手はいないよ」
「もう少し生きてれば素敵な出会いがあったりしてね。幸いここは男は多いし」
私自身は、単に冗談半分でそれを言ったつもりだった。元より、彼女自身がそういうのを余り考えないタイプであろうと思っての発言であったのに……。
「……出会いか」
「ん?」
……まさか、
「……そうなる前に、私、死ぬんじゃないかな……」
「…………はい?」
あまりにも予想外の反応に、思わず数秒遅れて視線を右隣に座っている彼女に向けた。また私は驚いた。
……泣いていた。静かに。俯いて、ただただ涙を流していた。
「……え、え? え?? えぇッ???」
思わず、私は自分が自覚しないうちに何かマズい発言をしたのかと思って発言内容を即行で思い出した。でも、泣くほどのダメージを与える発言になるようなことを言った覚えはこれっぽっちもなく、それがさらに私を混乱させた。
「え、ちょ、ちょっとッ? メリアちゃん待って、何か私やらかした? あれ、お姉ちゃん思いっきり妹泣かせること言っちゃった流れこれ!?」
「いつの間に妹に……私はもしかしたら幸せものかもな……」
「あ、ダメだ。全然ツッコんでくれない。何かやらかしたんだ私。待ってどうしようこれ対処法私わからないんだけど……」
カウンセラーでも呼べばいいのかな? あれ、でもどこにいたっけカウンセラーっていうかそういうメンタルヘルスやってくれる人。しまった使うことたぶんないわと思って全然データに入れてなかった。若しくは入れてたとしても余分なものだと思って勝手に消しちゃってたかもしれない。どっちにしろ何やってんだ私。
こういう時祥樹さんいれば即行で話は終わりそうなのに、肝心な時に隣にいない。やらかした。やらかすにしてもタイミングを間違え過ぎたという意味でもやらかした。
「(マズい、これどうしよう……)」
そう考えつつ、氷嚢を抱えたままもう片方の手で頭を抱えていた時だった。
「……なんでお前が混乱するんだ。私が勝手に悩んでるだけなのに」
「……え?」
若干涙を目元に残しながら、彼女は呆れたように小さく、しかし弱弱しく笑みを浮かべた。
「自分勝手に悩んでいただけだ。お前は何もやっていない」
「え、私何かしらのマズいこと言ったんじゃなくて?」
「そんな要素全然感じなかったが、自覚でもあるのか?」
「いやぁ、別にそういうわけじゃ……」
「じゃあいいだろう」
よかった……私が何かしらやってしまったわけではなかったみたい。ならその涙はどう説明を……。
「じゃあ、なんで泣いてたの?」
「……なに、失いたくないだけだ」
「へ?」
彼女は顔をこわばらせた。そして、私が記憶している彼女とは思えない程弱弱しく、呟くように話始める。
「……造反したとはいえ、向こうはそれを認めていないはずだ。何れ、私を奪い返しにくるか、若しくは、そうならないよう手を加える必要もある」
「……メリアちゃんに対して、敵襲があるってこと?」
「可能性は高い。そうならないよう、一回戻って追跡の目を潰すこともできるが……」
「即行で捕まるかぶっ壊されるのがオチだと思うよ」
「違いない。私もそう思う」
犯人は現場に戻ってくる、とはよく言ったものだけど、この場合はそれの亜種みたいなものとも見れる。敵からすれば、一番造反してほしくない奴が造反したのに、そのあとのこのこと戻ってきたとなれば絶対いい目はされない。先のCIAのM500狙撃のように、破壊が一番、二番目にひっ捕らえて……
「……データとか、消されるかも」
「初期化って奴だな」
それが一番。結局はロボット。人間にも記憶喪失という私たちでいうデータ消去に該当する要素はあるけど、ロボットはそれより簡単に“記憶”をいじれる。
……消すのがダメなら、改ざんでもいいし……。
「……もしかして、失いたくないって……」
メリアは頷いた。この娘が言っている「失いたくない」とは、自分の記憶のことを言っていたみたいだった。
彼女はさらに続ける。
「今まで、向こうで数か月過ごした記憶は確かにある。だが、それより、たった数時間の今の記憶の方が、私は好きになった。なんでだかわかるか?」
「いや、そういわれても……」
彼女は小さくため息をついていった。
「……充実していたんだ。周りは個性あふれる奴らばかり。何かあるとすぐにとっつく、騒ぎ出す、諫められる、そんな環境だ。お前がそんな性格するのも納得だ」
「それバカにされてるのかどうなのか……」
たぶんバカにはされていないとは思いたい。
「でもな、そっちの方が私はどうも好んでいるらしい。……向こうではそういうのは何もない。やれと言われればやるだけ。それが当たり前だと思ってた。……それなのに……」
「別の環境に触れたら、考えが変わった……ということ?」
「……潜入のためにアンタに成りすましたときから何か違和感を感じてはいた。だが、やっとわかったよ。……こっちのほうが騒がしくて、アホらしいぐらいにバカやってて……そして、楽しんだな」
遠い目、という風に言えばいいのだろう。俯きつつ、その目はどこをも捉えていない。ロボットでもそんな目するんだ、と、自分もロボットなのに他人事のようにそう思っていた。同時に、
「……そっちの環境に入ったことはあったけど、やけにわびしい感じはしてたなぁ……」
逆スパイ的なことをやっていた当時を思い出す。あの時、向こうの本拠地の中に若干入ったことはあった。ハッキングした(少なくとも向こうの判断では)とはいえ、結局は私は部外者なので、入れてもらえるところはほとんどない。でも、感じた限りではこっちみたいな頻繁な会話はない。会話をするにしても、どうもギスギスしたものがあった。こっちとの差を一番に感じた瞬間だったけれども、そういう意味では、確かにこっちのほうが退屈しないし、楽しさはあった。
……そう思ったのは、彼女も同じだったのかもしれない。
「バカみたいに騒いだ経験なんてこれっぽっちもないさ。でも、だからこそ新鮮だったんだろうな。そして、それが好きになってしまった。でも……」
「……何かしらの形で、向こうに戻ることになったら、絶対消される……」
当然の措置だろう。なぜにして敵側陣営にいたころの“楽しい記憶”を残しておく必要があるのか。むしろ邪魔だとして、さっさと消すのは当たり前の対応であろう。
……だからこそ何だと思う。
「……私は」
彼女は、震えていた。
「……まだ、忘れたくない……ッ」
祥樹さん、貴方が今ここにいないことがどれほど勿体ないことか。後で嫌というほど教えてあげましょう。ここぞって時の貴方なのに、そして、こんな表情の彼女を見ることはもうおそらくないだろうというのに。
彼女は、腕で自分の体を包むようにして抑え、震えていた。いや、怯えているといったほうが、正確なのかもしれない。
こんな時どうしてやればいいのか。左手に持っていた氷嚢はそのままに、右手でタオルを顔や首から取っ払い、一先ず彼女を抱き寄せた。一人で震えているのは辛かろう。ただただ、片手で抱き寄せて少しでもぬくもりを与えてやることぐらいしか、今の私にはできない。よくやる冗談すら出てこない。いや、出てきても、どれが一番効果かすらもわからない。
……何やってんだ、私。
「(……自分で言ったんじゃない、妹って……)」
確かにアレは半分冗談のつもりではあった。でも、それでも実際姉妹染みた関係にはなるかもしれない、そんな彼女に、何も声すらかけられないのは余りにも悲しすぎないのか……。
「(ロボットの記憶はもろい……確かにそうだ……)」
人間みたいに反復学習でほぼ完ぺきに覚えられるものを、ロボットは一瞬、一回見ただけで覚えることはできる。しかし、その反面、誰かが手を加えれば簡単に忘れてしまう。それどころか、下手すれば、覚えても即行で忘れるように仕向けることすらできてしまう。
「ロボットの記憶能力は高い」と、祥樹さんはじめ人間の人たちは言う。それは事実だと思う。
……でも、今の私に言わせれば、極端な話、人間は性能が低い分とても頑丈に作られているのに対して、ロボットの記憶は、性能が高い分“頑丈さがない”。
もし彼女が、何かしらの理由で向こうに戻ったら? 破壊されるかどうかの二択を選ぶ必要はあるが、仮に破壊されず連れ込まれた場合、確実に記憶はリセットされて初期状態にされるか、改ざんされるかの二択を再び選ぶことになる。でも、メリアにとっては、どっちも選択肢がたいものだった。彼女に選ぶ権利があるかどうかは別として……。
メリアにとって、それが今までの向こうでの記憶より大切に思えるほどの価値があったのかもしれない。彼女は今、私の右腕の中で、また泣いている。
「……はぁ……」
隣に聞こえないように小さくため息をついた。ほれ、何か言ってみれ私。いつも言われてんでしょ、自分の相方から。あのひとみたいに気の利いたこと言って見せんかい。
……と、自分で自分を煽ってはみるものの、だからってすぐに何か思いつくわけでもなく……
……と、同時に、
「(……あぁ、私、本当に環境に恵まれてたんだ……)」
自分の相棒が言っていた言葉が、本当にすごい意味を持っていたことを知ることになった。
互いが相手に躊躇なく自分の気持ちを言い合えたり、他愛ない会話を交わしたり、周りをバカ騒ぎできたり、自分がバカみたいに寒いギャグ発せられたりできることが、どれほど有り難いことであったのか。それを、今となってはよく理解することができる。
互いに信頼し、互いにそれを信じあい、それでいて作られる関係は、よほど環境が整っていないとできないもの。余りに当たり前すぎて、全然意識しなかったことだった。
メリアも、それを会得しつつあった。だからこそ、それが消えるのにこれほどの拒否反応を示してしまっている。
それが、どれほど重要なものであるかを私は知っている。それが、自分が自分であり続けること、自分をもっと“楽しいやつ”にする上で絶対必要なものであることを、今の私は自信をもって語ることだってできる。
……だからこそ、私は決意した。
「……大丈夫だよ」
凛々しいという意味で名付けたはずの彼女に、その涙を流させたくはなかった。全然、顔に似合いもしなかった。
「……え?」
彼女は声だけ返事をした。視線はほとんど動かない。それでも、どんな顔をしているかは簡単に想像できた。
「……絶対、そんなことにはさせないから。“お姉ちゃん”を信じて。ね?」
たぶん初めてだろう。私が、自ら本気で姉を自称したのは。守らないといけないと悟った。絶対、その記憶は失わせたりはしない。それは、私だけじゃなく、彼女が望んでいることでもあった。
「私は約束破ったりするロボットじゃないしね。メアリーセレスト号にでも乗ったつもりでね、どんと構えてればいいから」
「それ、最後は行方不明になって誰もいなくなるのだが……」
「……」
……寄りにもよって一番しちゃマズい例えをしたことに関して、私はどうにかして彼女のその部分だけの記憶どうにかできないかと思ったが、なるほど、だからロボットの記憶は脆いのか……とある種の納得すらしてしまう。
「……じ、じゃあ、B777とか? 現代でも一番安全性の高い傑作機って話題が……」
「数十年前に行方不明になった370便と地対空ミサイルに撃墜された17便の奴は?」
「……し、新幹線……」
「つい2か月前に車両乗っ取られただろう」
「それそっちのせいでしょぉ!?」
いわれなき非難に私は思わず抗議の声を上げた。こればっかりはそっちのせいで新幹線が危うく最大級の事故を起こしかけたのに、これはノーカンでしょノーカン。
「……はぁ、まあいいか。とにかく」
思いっきり脇道にそれた。左手にあった氷嚢を置いて、ポケットからハンカチを取り出した。
「……ほら」
「え?」
「“凛々しい”あなたに、泣き顔は全然似合わないでしょ。さっさと拭きなさい」
せっかくのかっこよさげな顔が台無しなため、さっさと涙を拭かせる。小さく礼を言ったと思うと、おもむろに目元にある涙をふき始めた彼女を見つつ、
「……というか、泣けたんだ」
そんな横道に入る。
「アンタに成りすますためだしな」
「私はもっとおよよと泣くよ?」
「冗談はその性格だけにしておけ」
「それは私に対する侮蔑と受け取っていい?」
すんごいバカにされた気がする。これは絶対バカにされた。そうに違いない。
「ハハ、好きに受け取っていいさ。……しかし」
「?」
彼女は、ハンカチをひざもとにおいて、
「……似てるな、お前も」
「え?」
泣いていたさっきとは一転、優し気な顔でそう言った。
「……似てる?」
「おせっかいでお人好しなお前の相棒とだよ。似た者同士って言われるだろう?」
「まあ、たまに……」
「お似合いだよ。だから相棒になれたのだろうけど」
「はは……」
そりゃどうも。なんと返せばいいのか全くわからない故、返答に困る。
「……だからさ」
そうして彼女は、
「……任せてもいいか、そっちに」
少し不安げに、私の方を向いた。
おせっかいで、お人好しで、たまにバカやる私たち。彼女は頼っていた。その顔が求める返答は、もう理解している。
……私は、期待を裏切らない。
「……うん、任せて」
祥樹さん、私はたった今……
「……お姉ちゃんが、ちゃんと守るから」
絶対に守りたい“妹”が、できました…………