屋上脱出
一瞬、周囲が遅く動くように見えたのは走馬燈か。それのせいか、ほんの一瞬、いままさらに、俺たちの生命を奪くべく高速で飛翔してきた黒い凶弾が、視界に入ったように見えた。
だが、その次の瞬間知覚したのは、大きな衝撃波と破壊音だった。
まるで、近くでダイナマイトでも爆発したのかと言わんばかりの、そのドでかい破裂音。距離は離れていない。すぐ近くだ。おかげで、聴力を一時的に失った。「キーン」という音ばかりが響き、まともに音を拾ってくれない。
気が付けば、全員が亀の如く頭をできる限りひっこめて伏せていた。俺も、右手で自分の頭を覆い、左腕と胴体の左側を使って、偽物の体と頭をできる限り覆った。物理的な頑丈さから見れば、本来、立場は逆なのだろうが。
「(この破壊音、ただの銃じゃない!?)」
普段聞きなれた者とは違っていた。単発でここまでの威力を出すとなると、アサルトライフルはあり得ない。狙撃銃? いや、でもここまでの破壊音を出すか?
破片が飛び散り切った後、誇りが舞う中その弾着地点に視線を向ける。その先にあるはずのパラペットが、跡形もなく消えている。ただの狙撃銃が出す威力じゃない。あのパラペット、そこそこ厚かったはずなのに。
……まさか……
「……対物ライフル?」
和弥が真っ先にそう呟いた。違いない。こんなアホみたいな威力をぶちかます銃なんて、対物ライフルぐらいしか考えられない。現物を見たことはないし、その威力もこの目で見たことはない。だが、ネットなどで動画とかは見たことある。あらゆるものを貫通するか、ただの鉄くずか何かに変換させるその絶大な威力は本物だ。
……そして、目の前に見えている光景はそれと酷似している。
それが意味することは、瞬時に理解した。
「……ふざけんなクソッ!」
当たったら死ぬ、なんてものじゃない。もはや破片になる。何の奴だ? 対物ライフルにもいくつか種類が……。
「ユイ、今の弾はなんだッ?」
「映像解析しました。弾の形状からして、12.7x99mm NATO弾で間違いありません」
「12.7!? そんで連射もなしに単射で撃ってきたってことは……」
「まあ、十中八九……」
「バレットM82でしょうね」
都合のいいことに、動画で何度となく見たものだった。アメリカ陸軍を始め各国で採用されている対物ライフル。その威力、コンクリートでも普通に破片に変えるぐらいのモノ。
……当たったら、肉片間違いなし。死体なんてもんじゃない。もはや原型とどめず破片になるに決まってる。
「誰よこんなところで対物ライフルぶっぱなしてるバカは! どっから持ち出してきたのよそんなの!」
「ユイ! 射撃元は特定できるか!?」
「したいのはやまやまですけど、伏せてる関係上パラペットが邪魔でですね。まあ、建物の位置関係からみて、ここより極端に上のところから撃ったわけじゃなく、むしろほぼ同じ高さから撃ったと思いますが、それ以上はちょっと」
「頭だけ出して即行で確認するとかは?」
「さっきの弾の弾道から大体を推測して、そのあとに頭を一瞬出してってことはできるでしょうけど……」
「けど、なんだ?」
「……もう次発の装填は済んじゃってるでしょうし、たぶん頭出した瞬間頭と首が分離しちゃいますけどそれでもいいですか?」
「マミるてお前……」
どこから覚えてきたんだその言葉は。アニメか。結構昔にそんな地味にグロテスクなシーンを流して視聴者にとんでもない衝撃を与えた某魔法少女アニメがあったって聞いたが、それ見たのか。トラウマなんだぞあれさりげなしにさ。
「いや、でも真面目な話、私の外界認識ツールは基本的に頭部に集中しているので、その頭部が吹っ飛ぶことになれば一大事です。正直、頭出したくないんですが、それでも出せってなると某ロボットアニメの最終話みたいなことになりますよ。銃上に向けて撃ちませんけど」
「頭部だけに、ふっとぅぶってか? フヒヒ……」
「寒いんで和弥さん、あとで私にホッカイロ代わりの予備バッテリー買ってください。一個10万です」
「10万!? うそでしょユイさん!?」
「え、お前のバッテリーそんなに高いんだ……」
そんな単価アウトラインに書いてなかったんだが……いや、でもこいつのバッテリーの価格とかもうそんなのどうでもいい。今はもうあの破壊魔な砲弾から逃げる術を考えねばならない。
ユイですら今更頭を出して射撃元を確認するのを断るぐらいなら、もうこのまま伏せた状態を維持して脱出する以外にない。
ちょうど屋上出入り口のドアは開いたままだ。この伏せの状態を維持し、ゆっくりでもいいから頭を出さないようにしつつ移動を……。
「―――ん?」
一瞬、「ボフッ」と音が響いたような気がした。だが、次の瞬間である。
「―――ッひィ!?」
今度は別の方向から、さっきと同じ衝撃波と破裂音が響いた。少しだけ離れていたので耳はやられなかったが、その代わり……。
「……あー……」
……出入口は、完全にふさがれた。
向こうの狙いは、屋上の出入り口のようだった。ドアを中心に完全に破壊し、コンクリートで埋め尽くすようだった。天井部分も崩落してしまったため、ここから降りるというのはちょっと無茶だろう。強引にしたの階段に行こうとしても、身がパラペットの上に乗り出すためそこを撃たれる。
……最悪だ。逃げ道がない。
しかし、次の瞬間。
「よし、今!」
ユイはこのタイミングを見逃さなかった。向こうは一発撃った。ということは、一瞬ではあれど次発装填のラグが発生する。この隙に頭を出して射撃元の特定を急いだ。
……が、
「―――ひィェッ!?」
即行で頭を伏せた。刹那、そのユイの頭部のすぐ上、というより、先ほどまでユイの頭があったところを、高速で何かがすっ飛んで行った。一瞬だけだったが、この場合、間違いなく……。
「……なんてこった」
「おい、大丈夫か?」
「危うくハゲになるところでした」
「髪の話はよせ。よせ」
ここにいるのは若いやつとロボットだけで助かった。ていうかお前、仮にそうなっても即行で治るじゃねえか。人工的にだが。
「参ったなぁ……あの連射速度、てっきりM82だと思ってたのに……」
「二人いるわけじゃないな?」
「一人しかいないのは確認しました。ですが、持ってるあの銃、若干形状が違う……M82から色々と改良重ねたM500の最新版ですよ」
「M500……」
M82を原型に色々と改良を重ねたタイプはあるが、それをさらに改良した最新版のM500。連射能力を持ち、対物ライフルとしての威力を連射可能となったその集弾性を併せ持ったことで、いよいよ人に向けて撃つべき銃として適切かどうか問われそうになってきているものであったが、こんなところで現物拝めるとは思わなかった。
……できれば、一生拝みたくなかった。ていうか、寄りにもよってこんなところで拝みたくなかった。しかも、撃たれる側として。
「なしてM500の最新版なんつーのを持ってるアホがいるんだ。まさかただの武装集団なアイツらが米軍から盗んだわけじゃあるまいな?」
「いや、アイツらはあんなものを持っていない。もっと旧式ならあるが、それまでだ」
唐突に偽物のほうが言った。曰く、向こうは旧式武器しか取り揃えていないとのことで、M500なんつーのを持っているわけがないらしい。しかも、連射能力を強化し、集弾性に特化した最新型とあればなおさらだ。
「……てことはあれは……」
こっちに銃向けてきそうな連中といえば、残りは一つだ。
「……CIA……」
新澤さんのつぶやきに小さく頷いた。M500の最新版あたりなら、あそこも持っていそうなものだ。CIAのパラミリチームに支給されていることも十分あり得る。
……となれば、もう色々と事態は厄介である。まず、あの威力を個人単体で狙うにしてはオーバーキルすぎる。まさか、奴の持ち物がM500だけでしたなんて間抜けな話はあるまい。使用場所が限られ過ぎる。他の奴に頼んで普通に狙撃してもらうでもいい。近くにいたのがアイツだけだったなら話は別だろうが。
……いずれにせよ、ここでM500を使って、しかも出入り口までふさぎにかかってる時点で、これは個人を殺すためだけにやっているとは思えない。入念に逃げ道をなくしている。当初の目的は知らないが、少なくとも現状は……。
「俺たち、全員まとめで殺す気だこれ……」
それも、原形をとどめない方向でやる気だ。どうせ死ぬなら原形あるようにしてほしいとは思っていたが、どうもコイツ相手に限ってはそれはかないそうにないらしい。
「……さて、逃げ場なくなりましたけど、これは本格的に首吹っ飛ぶの覚悟で私狙撃したほうがいいですか?」
「よくて相打ちだぞそれ」
「あとで新しい顔ください。焼いていいので」
「アンパンみてえに簡単にできねえだろお前の頭」
車から投げてガッチャンってなるなら俺もやってみたいとは思うが、お生憎様、お前の頭はそこまで単純構造ではない。あと、美味しくもない。
「M500って装弾数いくらだ?」
「10発だって聞いてます」
「じゃああと8発は連射させねえといけねえって話? ご勘弁していただけませんか奥さん?」
「やですわお父さん。そうでもしないと肉片と鉄くずになるのはこちらでしてよ」
「あらやだ。どうしましょ?」
ふざけてる場合かよ、なんてツッコミを和弥から受け取るが、別にふざけてるわけじゃなくて、そうでもしないと精神が参るわけである。
一歩間違ったら掠っただけでもその部分はどっかに吹っ飛ぶ。指一本であろうともこの場面では痛すぎる。救護してる余裕もないし、毛が一つ許されない状況で、攻撃もまともにできず、ただ伏せているしかない中で、8発も撃たせるのである。
「向こうとこっちの間にあるパラペットぶっ壊されたらマズいと思うんだが、どうだろうか」
「向こうだって無駄弾は使いたくないはずです。なら、このまま出てくるのを待っていたほうが消費が少なくて済みます」
なるほど、一理ある。
「場所はわかるんだよね?」
「特定はしました。まあ、他のビルとかに移ろうとするかもしれませんので、今の場所に引き留めておくためにも、できればすぐにでも何かしらの手を打たないと……」
打つって言ったって、何をすればいいのかわからんのだが。
「……和弥」
「あん?」
こういう時は、本職に聞くに限る。
「お前、狙撃するときず~っとまたされたとするやん?」
「おう」
「何をしたら思わず引き金引く?」
「何したらねぇ……」
そう呟いて、伏せたまま少しの間頭を捻る。対物ライフルとはいえ、元はと言えばでかい狙撃銃なのである。要領もそれに同じ。幸いここには狙撃を本業としているような奴がいる。
引き金は常に指にかけているであろう。なら、それを引かせるにはどうすればいいか。和弥は案を出した。
「……まあ、ずっとスコープのぞいてるわけだから、その中にいきなり目標が現れたら、思わず引き金引いちまうよな」
「ほう?」
「例えば、ユイさん狙ってるとすれば、スコープの中にいきなりユイさんが面いっぱいのでかさで出てきたら、思わずびっくりして引き金引きそうだ」
「それ、偽物って意味?」
「まあ、そんな感じ」
つまり、虚像をスコープ内に見せればいいのである。言うて、そんなことができるのならば苦労はしない。どうやって見せてやれっていうのか。スコープに張り紙でもくっつけろっていうのか。
「何かできない? ほら、的当てみたいな看板いきなり立てればビックリしそうだけど」
「そんなん簡単に立つわけ……」
……と、そこまでいった時である。
「……あ」
閃いた。俺がじゃない。ユイがである。
「どうした?」
「看板じゃないですけど……」
「え?」
ロボットでも閃くときは閃く。ユイは、自分の持つ能力を使って、一つの策を打って出たのである。しかも、もしかしたら、簡単に8発撃たせられるかもしれない。そんな策であった。
「……それでいこう。もう長い時間ここにいることはできない」
俺らもそれで同意した。ミスすれば文字通り破片に。成功してもギリギリの辛勝がせいぜいなこの策に、自らの命を懸ける。
「……こっち、準備できた」
和弥がそう報告した。新澤さんもグーサインを送る。他、二人にも同じくアイコンタクトをとった。
「よし、作戦通りにいくぞ。何度も聞くけど、二人もいないんだよな?」
「さっきUAVで確認しました。屋上に一人しかいません」
ようやくリンクが取れたUAVの画像の情報を基に、敵の所在を確認。その画像を見るに、やっぱり持っているのはただのM500とは違い、最新型のものっぽい形をしていた。
「チャンスは一回だけだからな。失敗したら次はたぶんブチ切れてパラペットごと俺らを粉末に変えに来ると思え」
「肉片鉄くずの土は粉末ですか」
「あんまり間違った覚えはないがな」
「言えてる」
なお、それを人の世ではミンチという。
「UAVで最後の場所を確認。やっぱりこれっぽっちも動いてません」
「じゃ、決行と行くか。新澤さん、ロープいいっすよね?」
「いいわよ。いつでもどーぞ」
「よっしゃ、じゃあいくか」
敵を策にはめる。ユイが動き出した。
右目を操作し、ホログラフィを展開。縦に、ユイがいきなりパラペットに寄りかかって素早く射撃をしようとする“映像”を流した。
これまた鮮明。ホログラフィとはいえ、よく見ないと本物と見分けがつかない。ゆえに、
「(撃った!)」
向こうは騙された。引き金を引いた瞬間には、それがただの映像だとは気づいただろう。だが、その時すでに遅かったのだ。
3発目。それがホログラフィ上のユイの頭部を貫通。当然、映像なので何の変化もない。ついでに、映像はそのまま。
「よし、やれ!」
刹那、和弥がユイのホログラフィが展開されている場所とは結構距離が離れた場所ですぐに立ち上がり、ニーリングポジションでMSG-90を構えた。場所は既に伝えてある。
和弥は素早く狙撃姿勢をとると、相手に照準を向ける。イメージトレーニングは何度もしたはずだ。その動きはスムーズ。向こうは、完全に別方向に現れた和弥に対して照準を向けるのに手間取るだろう。その隙が、和弥にとって勝負だ。
「ユイ、UAVの画像データ引き金部分をめっちゃズームさせておけ」
「了解。既にやってます」
「和弥、撃てたらうて! “外してもいい”!」
次の瞬間、返事代わりにとでも言わんばかりに、1発だけ相手にはなった。だが、それはどうも外れたらしい。ヒットの報告がない。
「チィ、外した」
「十分だ。伏せろ!」
和弥は銃を抱えて即行でうつ伏せになった。刹那、今度は相手からのお返しの弾。
だが、それは和弥がさっきまで膝立ちしていた場所に飛んでいき、空を切って向かい側のパラペットのコンクリートを粉砕するに終わった。
4発目。
「ユイ! 姿勢だけでいい! やれ!」
「おらァ! 撃ってみやがれ臆病者ォ!」
仮にも女らしくない叫び声とともに、ユイも、和弥とはまた別の位置、しかも、ホログラフィがあった場所とは全然違う場所から乗り出し、同じく二―リングポジションで、フタゴーを構えた。
アイツにはあれでも十分。フタゴーの射撃精度の不足分は、ユイ自身のFCSが完全に補完する。
「和弥、伏せたら入れ替わるようにな!」
「アイサ―!」
同時に、ユイが撃った。向こうが撃つ態勢を整える前に、こっちから撃った。単射。だが、こっちも当たったには当たったが……。
「あっちゃー、あれコンクリート掠っただけ!?」
向こうのパラペットのコンクリートにでも当たったか。弾道がそれたらしい。HMDで確認するUAVの画像データリンクを見る限り、相手の目の前にあるパラペットのコンクリートから弾着下と思しき煙が上がっていた。
時間がまだあると見たのか、もう一発。でも今度は、それは突然の突風から弾道がそれた。何とも運がない。
「伏せろ!」
すぐに伏せさせる。当てられなくて悔しかったのであろう、随分と苦々しい顔をしながらも、ユイは素早い動作でうつ伏せになる。数瞬後、また弾が飛んできた。これで5発目。向こうは焦っているはずだ。
「遊ばれている」
そう思わせられれば、こっちの勝ちだ。
「映像!」
今度は映像。リアルと映像を織り交ぜることで、映像そのものの画になれる隙を与えない。しかも、どこに出てくるかすらわからない。
人間の視覚っていうのは、案外色々なものにすぐに順応できるとは限らない。ほぼほぼそっくりなものと、本物が混ざって出てくると、それをただのそっくりなものと認識するのに時間がかかる。ただのそっくりなものを、本物と区別する時間も余裕もない。ましてや、今のあのスナイパーにとっては、できるだけ早く俺たちを始末せねばならないという“使命”があるはずだ。それが、心理的圧力を加えるであろう。
あとは、それを利用して、“弾数”というリミットを与えればいいのである。
「祥樹さんのでいいでしょ?」
「誰のでもいいぞ。俺がいきなり飛び上がったのでも出しな。向こう絶対ビビる」
すると、本当に俺がいきなり飛び上がった映像をホログラフィで映し出した。まるでどこぞの配管工のようだが、それにも、向こうは弾を放ってきた。6発目。だが、相当イラついているのだろうか。もう1発さらに追加で放ってきた。7発目。
「やっぱり配管工は違いますね」
「だな。和弥、ラスト撃たせろ!」
「おっしゃあ! 撃ってみやがれこのクソッたれ!」
そう叫び和弥は再び、ホログラフィが出た場所とは少し距離が離れたところから頭を出し、同じく素早い動きでニ―リングポジションに移行。今度は命中精度度外視で、最低撃てる態勢になったらすぐに数発撃ちこんだ。持っているのは、MSG-90ではなく、フタゴーである。
命中精度度外で撃ったため、ニアミスすらない。だが、発砲音の連発は、相手に相当な精神的ダメージを与えたらしい。すぐに向こうも伏せた。
今だ。これならいける。
「おい、やれ! あの銃だ!」
その叫ぶ声の先にいた奴は、既に和弥からMSG-90を借りてニ―リングポジションで構えていた。
姿勢はしっかりしている。これっぽっちも動かず、冷静そのものだ。
……そして、
「……見えた」
そう一言呟くと、彼女は1発だけ弾を放った。伏せることに意識を向けたせいか、パラペットの上にM500をそのまま放置していたたところに、砲弾を命中させた。
1発だけではあった。しかし、それは吸い込まれるように、M500に突進していき……
「―――よし、当たった! M500に命中!」
新澤さんの歓喜の声。自慢の視力は、彼女の撃った砲弾がM500にしっかり命中したことを確実にとらえていた。
「……偽物とはいえ、FCSは遜色ないレベルか」
その彼女の顔は何の変化もない。何も考えず、ただ無心に、ということか。
「よっしゃ、今のうちに行け! ロープから下れ!」
全員が一斉に立ち上がり、新澤さんが事前にパラペットの上から下げたらロープに殺到する。ここからは時間との闘いである。向こうが次の狙撃手段を持っていた場合、M500を捨ててすぐにこちらに射撃を開始し始める。
それまでに屋上からさっさとおさらばだ。ロープから降りさえすれば、そこは相手から見れば死角である。安全地帯だ。そのままくたばっててくれ。
「ロボットの皆さんは飛び降りてくださいねーっと!」
「えーこっから飛び降りるんですか!?」
新澤さんはそう言い残して先にロープを伝って下に降りて行った。でも実際、隣の建物との距離はそんなに離れていないので、壁キックの要領で降りることはできそうである。
「はぁ~私はマリオじゃないんですけどね!」
そういいつつ、ユイは言われた通りロープを使わずに飛び降りた。結構な高さだが、隣の建物の壁を蹴って落ち、元いた建物の壁を蹴って落ち、を繰り返して、少しづつ降りていった。やろうと思えばできるもんじゃないか。
俺の前に、先に和弥をいかせる。そして、偽物の彼女もいかせて、最後に俺が行く。なお、彼女の方もロープ使わずに壁蹴りで降りていった。超人か己ら。いや、人ではなかったな。
「(よし、俺も)」
全員降りたのを確認し、俺もロープにつかまり降りようとした時だった。
ブチンッ
「……え?」
ロープを掴んで降りだした瞬間、ロープが突然切れた。その前に、何かが高速で飛び去り、それがちぎったようにすら見えた。
一瞬だけ、あのスナイパーがいた屋上に視線を向けた。M500ではない。別の何かを構えていた。それを確認する前に、俺の視界には、建物のコンクリートが覆いかぶさった。
「(しまった、まだ狙撃手段持っていた!?)」
それによってひもを切られた? だが、それを深く考える前に、俺の体は真っ逆さまに落ちていった。
「やっべ、どっかに捕まるとこ―――」
―――は、ない。そんなのはない。ユイたちが上るときに使っていたパイプもない。どこにもない。ここは結構な高さだ。人が真っ逆さまに落ちたら、まず命はない。
「(あれ、これ本格的にマズいんじゃ―――)」
そこまで考えた時である。
「よぃしょォッ!」
下からそんな叫び声が聞こえたと思ったら、下から思いっきり両腕で抱えられるような物理的圧力を受ける。そして、真下に向かっていたはずの俺の体は、次の瞬間には左側に飛んでおり、そのまま再び真下に落ちる。
「おぃぃいい!!?? ユイさん無茶だって! 絶対足死ぬって!」
和弥の声が響く。あれ、てことはこれ抱えてんのユイ? そんなことすら深く考える前に、地面が迫ってきた。
……そして、次の瞬間には、
「うぉッ!」
いきなり下向きの重力落下が止まった。若干の慣性の法則が働いたが、それをできる限りクッションのように柔らかく両腕が受け止めていた。その腕は、誰でもないユイの腕である。
「……うへぇ」
まさに死ぬ5秒前の中からの生還劇。俺の背中と両ひざを下から両腕を使って支えていた主は、暫くしゃがんじゃ状態のまま、体を動かさずにいた。
そして、その顔を見る。表情は……なんと申せばいいのか。冷静そのもの過ぎて、凛々しさすら感じていた。
「(……なるほど、彩夜さんが惚れるわけだ)」
彼女の気持ちがわかる気がした。かっこいい相棒を見た時の心境に、男女の違いはないのかもしれない。
何れにせよ、相棒が相当な無茶をしたのは違いない。しかも、それによって命が助かったのは何とも言えない気分だ。
「さ、さすがロボット……お姫様抱っこ状態であんな飛び降りするんか……」
和弥の感嘆と唖然が半々になったような声を聞きながら、俺はそのお姫様抱っこされていた状態から降りた。再び、命を助けられたようだ。
「サンキューユイ。また借りができた。借金どんくらいだろうなこれ」
そんな冗談を言いつつ、彼女の方を見る。
……が、
「……あ゛あ゛あ゛ァ~~~~足があああ~~~ッッ」
そいつは、次の瞬間には両足、正確には両膝を抱えてうずくまっていた。結構痛めたらしい。というか、思った通り相当に無茶だったらしい。
両足に一気に負担をかけ過ぎたせいか、少しの間うまく動かなそうだった。
「あんな無茶するから……装備抱えた祥樹を丸ごと抱えて真っ逆さまに落ちてきたらそうなるわよ」
「いやぁ、もうちょっと膝うまく動かして衝撃和らげようとは思ったんですよ、でも軌道計算ミスって衝撃逃がしきれなかったんですよ。あ、待って足、足の膝まだ痛い、ヤバい。助けて」
割と深刻な顔をしてこっちに助けを請うユイ。いや、そうは言われてもどうしたらいいのやら。新澤さんがふと言ったのが、
「子供の頃やってた痛いの痛いのーっていうアレって、ロボットにも効く?」
効くわけなかろう。子供にすら効くか怪しいっていうか、そもそもあれ単にあやす為にやってるようなものなのに。
「まああとでシップ張りますから、ね?」
「聞かねえだろそれは」
「じゃあアンタからおまじないでもかけてやりなさい。助けてもらったんだからお相子でしょ」
「なして俺がそんな子供相手のことを」
「ほら、はよ」
「えぇ……」
そんなんで聞いたら苦労しねえよ。そう思いながら、とりあえず、
「えーっと……痛いの痛いのとんでけー」
とてつもなく棒読みでそう言ってみる。ついでに、痛みよとんでけーと手を膝から空中に離す。
……そんなんで聞いたらほんとロボット工学が聞いてあきr
「あーめっちゃ直ったわーもう直ったわー」
「冗談抜かせアホ」
ほんとにロボットなんだろうなお前。いや、ロボットのはずなんだぞお前。
「うわーおまじないすごいですわー。もう足がこんなnあ゛だだだだだだだだ」
「はい無理しないで休みましょうね~」
ただのごまかしだった。案の定だ。あんなんで回復されたらたまらない。
……それで、よくよく調べたらマニピュレーター系が若干損傷してる模様だった。損傷してる部分は予備機構に切り替えるので問題ないが、少しの間足は休ませた状態でいたほうがいいということで、暫く大気である。
「はぁ……よくまああんなところから俺を抱えて落ちてこようなんて思ったもんだ」
「ほんと。よく思いましたね私」
「やった本人が言ったら解決しないな」
所謂「からだがかってにー」状態ですなんて言うのだろうかと思ったが、言葉にはしないが、それとほぼ同意義のことを言いのける。そんな勇気、俺にもほしい。
「目の前で相方のグロテスクな惨状みたくないものでねぇ」
「お前そういうの慣れてないとマズいだろ」
「相方相手にまではちょっとご勘弁ください」
「おいおい……」
それロボットとしてどうなのよ。ふと、爺さんが前に言っていた弱点の話を思い出す。爺さんの話も、これに通づるものがあるのだろうと考えると、あの変態クソジジイ。あの見た目と頭あして中々深いこと考えてやがる。
「まあ、それだけの仲ってことでどうにか穏便にできませんかね?」
「穏便も何も、俺はまたこいつに借金したんだが……」
「後でバッテリー買って下さい」
「10万か?」
「20万」
「倍にしてんじゃねえよボケ」
さりげなく高級なの買ってもらおうとしてやがる。俺の給料は基本的に趣味にしか使ってねえってのになんでお前のバッテリーにまで使わねばならんのか。これがわからない。
「……」
「……ん? どしたの?」
「あぁ、いや……あの二人、昔からああなのだろうなと」
「うん? まあ……間違っちゃいないわね」
「……羨ましい」
「え? なに?」
「いや……何も」
「……?」
ふと、右耳の方に無線が入った。
『おーい、聞こえるか―』
「お、二澤さんじゃんか」
二澤さんの声だ。すぐにこの件について報告しなければ。
「二澤さん、今どこにいます?」
『そっちの500m南なんだけどよ、そっち監視終わったか?』
「ええ、終わりました。今から向かいます。手土産付きで」
『手土産付き? 何の手土産だ』
「俺らの昨日の予測どうもビンゴだったようでしてね。あの火災工作は、やはりSOSでした」
『……は? マジで?』
二澤さんも、この火災工作の話で察したらしい。すぐに、二澤さんらと合流し、この彼女を保護して、基地まで護衛する手伝いをすることで段取りをつけた。向こうからこっちにくるらしい。
「じゃあ、近くに来たら知らせてください。こっちも、目立つ場所で待ってますんで」
『おう。でも、敵からも目立つような場所に入るなよ』
「了解。それじゃ」
交信終わり。じゃ、ちょっとばかし移動しよう。
「ユイ、立てるか? 肩貸すか?」
「もう歩くぐらいなら問題ないですよ」
「相変わらずの自己修復能力の高さだ」
「フェイルセーフが効いてますね」
「ああ、全くだ」
そう言って、4人そろってさっさと歩きだす。早目に着かないと、敵がいたりしたら場所変更しなければならないし、その文の時間も勿体ない。
「……あ」
「ん?」
ふと、後ろから彼女の声。
「……私より先に行くのか?」
「え?」
あれ、寂しかった的な?
「いやいや……私、今銃持ってるんだが……」
「おう、それアンタのだよな」
「あ、ああ……」
「護身のために持っとけ。じゃ、さっさと行くぞ」
「え、いや、私の前に出るのに何の問題もないのか?」
「並ぶ順番ぐらい問題ないだろ。元敵さんだから最前列に~なんてことする気はさらさらないし」
「……」
「ほれ、さっさといくぞ。向こうさっさと着ちまうしな」
何を言いたかったのかいまいちよくわからなかったが、さっさと先を急ぐ。
ほかの三人も、彼女が何を言いたかったのかまったくわからなかったようだ。
「……ん~?」
何のことだったかわからなかったが、俺はさっさと合流地点に向かった。
後ろからくる彼女が遠慮気味なのは、何の意味があるのか……。
「……」
「私、今銃持ってるのに……なんで、“背中向けること”に躊躇ないんだ……」