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BUDDY ―鋼鉄の相棒と結目―  作者: Sky Aviation
第8章 ~変動~
137/181

10年前 1

 ―――修羅場でも始まるんか?


 冗談交じりに俺がそう思うこととなった原因。数分前のことである。


 自室で疲れを癒し、もう夕方になろうとしていた頃。任務が今のところないので今度こそ寝れると真昼間から熟睡していたら、廊下から割と大きく響く走る音。走っているときの音で大体誰の足音か聞き分けることもあって、「ドカドカ」というより「タタタタ」と軽い足音を鳴らしているのを聞きながら、「あぁ、ユイか」と思った瞬間、思いっきり扉を「バンッ」と開く音。


「……ん?」


 扉を開けたのは、案の定ユイであった。若干息切れをしながら、俺の姿がいると確認するや否や、若干眉をひそめた目でこういった。


「……なんで嘘ついたんですか?」


「はい?」


 わけがわからなかった。開口一番嘘つき呼ばわりされた日にはこっちとしてもそのままにしておくわけにはいかない。ということで、情報を引き出した。


 ……が、


「(……そういや、本当の話してなかった)」


 聞くうちに、確かに本当のこと話してなかったことを思い出し始めた。そういえば、俺自身頭悪いみちあなことで通していた記憶が確かにあるのだが、実際にいった学校から「それはありえない」という結論に至った模様である。まあ、あの学校行ってそれ言うのは正直無茶である。

 ユイはあの学校のことそんなに知らなかったので、今まで違和感なかったのも無理はないかもしれない。だが、「いつかちゃんと話そう」と思ってはいたものの、結果的に後回しになっていた。というか、そうしてたこと自体すっかり忘れていた。


 本人が「うそつかれてた」と思うのも無理はないだろう。本当のこと言わなかったうえそのまま放置しておいてしまったのである。時間経ったらって思っていた当時の俺の慢心であったか。


 ……その結果、本人に詰め寄られる。


「めっちゃ頭いいって聞きました」


「確かに」


「でも祥樹さんは頭悪いと言っていました」


「そうだな」


「頭いい学校行ったのに頭悪いという本人談。矛盾してますよね。おかしいと思いませんか? あなた」


「某忍者漫画のメンタリストかお前は。あと念のため聞くんだが、本人が謙遜してただけとは考えなかったのか?」


「では聞きましょうか。私どんな性格してます?」


「どんなって言われてもなぁ。とんでもねぇとは思う」


「ですよね。自分のことやたら自慢すると思いません?」


「するな」


「そうなった原因は?」


「……」


 ……言わんとすることはよ~くわかった。しかし、待ってくれ。俺そこまで自慢しているつもりはないのだが、それとも無意識にでも出てたんだろうか。


「まあ、そういうわけです。理由は聞きませんのでここは腹は割って話し合いましょうや」


「お前の場合本当に相手の腹割りそうで怖いんだよ。何なら素手で」


「これはひどい。私はグロいのは余り好みません」


「戦闘用なのにか」


 そりゃまあ、軍人といえどグロいのにはどうもなれる人とそうでない人はいるが……というか、この件に関して本人は割と怒ってるはずなのに、こうしてジョーク交じりを忘れないのはコイツなりの配慮なのかどうなのか。

 ……しかし、目は真剣である。「さっさと話さんかいコラ」と言わんばかりである。


「(……もう頃合いか)」


 こいつと付き合って早数か月、いや、半年も経ったか。そろそろいいだろう。このまま蟠りを残したままではよろしくない。

 ……とはいえ、


「……言うのはいいんだけどよ」


 念のため、“警告”はしておく。


「割ときつい話になるぞ、それでもいいか?」


「え?」


 呆気にとられていた。それほどヤバい話なのか。ユイは視線を逸らして、口を歪ませつつ地味に強張った表情を見せる。


「あ、あー……えっと……何の話になるんです?」


「ジャンルでいえばシリアス真っ盛りだろうとは思うが」


「あれ、これ聞いたのマズった……?」


「聞こえてんぞお前」


 小声で言っていることがダダ漏れなあたり、嘘とかついたり誤魔化したりするの下手だなとは思う。

 とはいえ、本人も自分から押しかけた手前、引くに引けなくなったのだろう。小さくため息をつくと、意を決したように言った。


「……いいでしょう、なんでも来てください。シリアスなら慣れてます」


「ほんとだろうな」


「ロボット舐めないでくださいね、時には心も鉄にしますから」


「お、おう……」


 たぶん、その鉄のハート崩れると思うんだが……でもまあ、いいだろう。本人が覚悟したのなら拒む理由もあるまいて。


「……でも、いつ以来かな、このこと話すの」


 直近の記憶では結構曖昧だ。和弥や、新澤さんあたりにはさすがに話したことはあるが、それ以外の人にはあんまり話していない。


「え、あんまり人に話してないんですか?」


「簡単に人に話せる内容じゃないもんでなぁ……たぶん久しぶりに話すぞこれ」


「はぁ……」


 それも、結構昔の話である。余りいい思い出ではない。それでも、もう十分時は待ったのだ。コイツにも、聞く権利はあろう。


 ……どこを見るまでもなく、遠い目をしながら、俺は嘗てを思い出しつつ話始めた。


「……10年前だったな、あれは」


 当時の、“悪夢”である……。





 10年前。2020年の8月初旬。

 なんだかんだ言われていた東京五輪も終わった直後。日本代表団の中々の活躍もあり、そこそこ大盛況に終わったオリンピックの興奮冷めやらぬ中、世間はまだ夏休み真っ盛り。当時中学2年生だった俺は、軍人である父、元船乗りで当時専業主婦の母、そして妹と一緒に沖縄に旅行に出ていたんだよ。


 ……あれ、言ってなかったっけ。俺、“妹”いたんだよ。一つ下の。


 愛に奈良の奈って書いて“愛奈あきな”って名前でな。同じ中学に通ってたんだが、どっかの誰かさんに似て、妙に人懐っこくてだな。人当たりの良さもあって、結構友達が多かったんだ。そんで、その対象にどうも俺もいたようでな。小さいころからよく一緒だった。

 この日もそうだ。家族で一緒に旅行に来たと思ったら、いつも俺のすぐそばにいた。母が借用して運転していたプレジャーボートに乗って海岸をクルーズしていた時も、ずっと隣よ。どんだけ好きなんだよこんな兄のことをってよく思っていたが、正直、今更な話だったな。


 その日の夜も、沖縄のキレイな海と夜空を一望できるホテルを取ったんだが、その景色は今でも記憶に残っている。親が疲れて寝てしまった後も、暫くの間、妹と星空をずっと見ていた。妹は昔からこういう星空や夜景といった、夜の景色が好きだったんだ。

 前にユイと星空を見た時があったな? あの時も思い出した差……そういえば、こんな感じで見てたってな。

 そんなこんなで、その翌日の午後の便で帰るつもりだったんだ。部屋には帰宅のために色々と荷物がまとめてあったりして、少し星空を見た後は、妹と一緒に寝て……。


 ……だが、その早朝だったんだよ……




[10年前 AM6:30 沖縄県ホテル琉球一室]




「……んぇ?」


 急に携帯が鳴った。誰のかと思ったら、父のものだった。すぐに飛び起きた父だが、その動きには見覚えがあった。これは、父が軍のほうから緊急の招集がかかったときにかかるものだ。現役軍人である父は、職業柄、どんな時でも緊急の招集に応じる必要がある。例え家族旅行に出ていたとしてもだ。

 しかし、沖縄で緊急招集がかかるようなことはあっただろうか。大地震でも起きたのか。眠気覚ましがてらそんなことを考えていた時だった。


『―――ホテルにご宿泊の皆様に、ご連絡いたします』


 いきなりホテルのアナウンスが鳴った。横では、電話中の父の顔が青ざめている。アナウンスにより起き始めた母と娘も、父の焦燥感漂う様子に、並々ならぬ雰囲気を感じ始めた。

 そんなこっちの事情などガン無視し、アナウンスは続けられた。


『ただいま、日本政府より、沖縄全域に緊急避難命令が出されました。現在ご宿泊の皆さまは、係員の指示に従い、直ちに移動の準備を行ってください。正面入り口からバスが運行します。ご宿泊の皆さまは、直ちに移動準備を行ってください。繰り返します、ただいま、日本政府より―――』


 意味が分からなかった。日本政府が避難命令? 沖縄に? 一体何があったんだ?

 すると、電話を終えたらしい父が、すぐに自分の手荷物を最低限だけ持って、部屋を出ようとした。


「ちょ、ちょっとお父さん! どこに行くの!?」


 母が呼び止めるが、靴を履きながら口早に言った。


「たった今、那覇駐屯地から招集命令が下った。沖縄がもうすぐ攻撃される。お前たちは、とにかく安全なところに逃げろ。今すぐだ」


「待ってよ、攻撃されるって、一体何があったんだよ!」


 俺の問いにもこたえる余裕はなさそうだった。実際、それだけ状況は逼迫していた。だが、それはあとから知ることとだ。

 「絶対に帰ってくる。家で待っててくれ」。そういって飛び出す父を、俺たちは茫然とした面持ちで見届けるしかなかった。那覇駐屯地の陸軍部隊に所属している父は、ここから自力でそこまで行くのだろう。当然ながら、それを追いかけることはできなかった。

 だが、アナウンスはしきりに避難を呼びかけている。「バスに乗り遅れたらまずい!」。妹の言葉に、俺と母は反応し、すぐに元々整えていた荷物を引っ張り出し、適当な服に着替えると、布団や寝間着を部屋に放り投げたまま、廊下からメインロビーに出た。


 ロビーは大混乱の様相を呈していた。突然のアナウンスに、事情をうまく呑み込めないながらも、何とか言われるがままにバスに乗ろうと必死の宿泊客たち。夏休み時期であったために、俺たちと同じ家族連れの団体客や各種ツアー客ばかりであった。ツアー団体に至っては、添乗員さえ事の事情を知らないようで(いきなりの報であるので当然ではあるが)、事情説明を求める客らの対応で手いっぱい。その添乗員らが、ホテルの係員に事情を聴くが、そっちもそっちで対応が手いっぱいでてんやわんや。パニックとはまさにこのことだった。

 とにかく、列に並んでバスに乗るまでの間、母が持っていたスマホのワンセグテレビを使って情報を集めようとした。幸い、就寝中に電池は満タンにしてあったし、モバイルバッテリーも複数常備。電池を気にせずいける。

 ……しかし、そこから入ってきたのは、とんでもない内容だった。


『―――繰り返しお伝えします。政府は先ほど、国民保護法の適用を宣言し、沖縄県全域に、緊急の避難命令を発令しました。NHU他、全てのメディアで、日本語のほか、英語を中心に、中国語、韓国・朝鮮語、ポルトガル語で、随時配信しております。日本政府は、先ほど国民保護法の適用を宣言し、沖縄県全域に、緊急の避難命令を発令しました。NHU他、全ての―――』


 国民保護法。武力攻撃が発生した時に適用される法律だが、当時13歳の俺にわかるわけもない。しかし、母だけはその言葉にぞっとしていた。軍人たる父からもしかしたら聞かされていたのかもしれないが、今はもうわからない。

 とにかく、ヤバいことが起きたということは分かった。他の民法にチャンネルを切り替えると、緊急の特番を組んだ各局が随時政府の発表を流しまくっていた。流れる映像はすべて同じ。官房長官が短い記者会見を開いたときのものばかり。

 現在情報収集中として、こういうことを言っていた。


『近隣国による武力攻撃の兆候を確認しました。該当地域の皆さまは直ちに避難してください。該当地域は、沖縄県全域です』


 要約ではあるが、これで大体のことは説明できる。記者らの質問のマシンガンに答える前に、さっさと出ていった官房長官の姿を最後に、記者会見の映像は終わっていた。これを繰り返し流しながら、あとは随時送られてくる断片情報を速報扱いで流すしかない様子だった。


「……日本、攻撃されるの?」


「わからない……何が何なんだよ……」


 妹の問いにも答えることはできない。何が何やら、さっきから飛んでくる情報を処理するので手いっぱいだった。


 民法の放送を聞くうちに、ホテルから出るバスに何とか乗り込むことができた。だが、この時点で結構時間がかかっていた。もう東の空が明るい。まぶしい太陽に照らされながら、バスは動き出した。

 この時になると、状況もある程度把握できるようになってきた。日本は、どうも武力攻撃を受けることがほぼ確定的となってきたらしい。また、最初は近隣国と言っていたが、後に、明確に国名を明かした。


 相手は、“中国”だった。



 ……もうわかるだろう。そうだ。例の、10年前の戦争……『中亜戦争』だ。



 正式名称『中国・亜細亜戦争』。経済的危機に陥ったことによって、国内の旧共産党政府に対する批判や反政府デモがピークに達し、天安門事件以上の事態になってきていたことを背景に、共産党政府がその不満を逸らすために、あろうことか“最悪の一手”を打った。後の安全保障の専門家をして「一番やってはいけないタイミングで、一番やってはいけない一手を下して起こった戦争」と言わせたこの戦争は、日本はおろか、アジア全域を巻き込んだ世界大戦一歩手前の大戦争となった。

 経済的な繋がりなどが、戦争を抑止する一助となるとまで当時は言われており、説得力のある論説であったが、それが一気に崩れた戦争でもあった。経済が、戦争を抑止するとは限らないということを、イギリスのEU離脱国民投票に続いて二つ目の事例として示すことにもなった戦争として有名になった。


 その一番最初の一手が、日本の沖縄に下された。もう、武力攻撃がいまにも始まりそうだという事態であることを、政府は明かしている。ここまでの情報を持ってきたうえ、それを公表した当たり、当時の政府の焦り具合が見て取れるだろう。


 この情報は、民法やNHUといった公共放送だけでなく、自治体の放送でも告げられた。「直ちに避難してください」「那覇港と那覇空港は、既に満杯となっております」「北側に避難し、そちらの港をお使いください」……そういったアナウンスが、バスの窓越しにも聞こえてくる。ついでに、警報もなっていた。あんな悍ましい警報を聞くのは、あの時が初めてだった。隣で妹が怯えて、俺の腕を離さずにいたのを、よく覚えている。あんなに元気な妹が、あそこまで怯えているのを見るのは初めてだった。


「怖いよお兄ちゃん……大丈夫かな……」


「大丈夫だ、軍が何とか止めるはずだ。……そうだ、父さんが……」


 父が那覇駐屯地に緊急招集された理由も、この時点で大体察することとなった。そして、別れ際、父が言っていたことも、このことだったのだと、遅ればせながら理解することとなった。

 父は、おそらく沖縄の防衛に出るのだろう。そのために、出張るのだ。最前線に行くであろう父の身を案じたが、正直、それ以上深く考える余裕がなかった。


 バスは南下している。どうも中城湾に向かっている模様だった。そっちにも港が幾つかある。そっちにいるフェリーか何かに便乗し、即行で沖のほうに逃げてから、本当へと向かうことになるのだろう。

 だが、問題が発生した。皆考えることは同じなのだろう。道路が、避難するべく港に向かう車で埋まってしまったのだ。

 バスも、完全に渋滞にはまってしまった。これっぽっちも動かない。歩いたほうが早いんじゃないかと思えるが、しかし、歩道も急いで走る人らでいっぱいである。大きな祭りか何かが始まったときの歩道の渋滞様と似た様子である。歩道にいる人の移動速度も遅い。車で移動するよりちょっとマシぐらいの速度でしかなかった。

 中には、車から降りて、その目の前にいる車の列の上を強引に飛んだり歩いたりする人までいた。当然、その車は無人になるのだが、完全にこの渋滞の最大の原因である。車が動くわけがない。


「早く動けよコラァ!」


「全然動かねえじゃねえかよ! 誰だ車乗り捨ててんのは!」


「早くしてくれ! 攻撃される!」


 バスの中も外も、パニックの渦中にあった。外ではいろんな車種の車がクラクションを鳴らしまくり、ある種の大合唱状態を引き起こしている。もはや車は動かない。ベトナムの道路の渋滞の様を思わせるこの光景を見た俺らは、もう全員が車乗り捨てたほうが早いという結論に達しはじめていた。さっき見た車の上を走っていく人の気持ちがわかって気さえしたのである。


「(もう窓から全員で逃げたほうが良くなってきたなこりゃ……)」


 そんなことを思っていた時だった。


『―――新しい情報です。発射情報、先ほど―――』


 ずっとつけていたNHUの放送が、速報を流した。



『―――先ほど、中国東シナ海沿岸から、弾道ミサイルが発射されました。政府は先ほど、J-アラート、及びEm-Netを通じ、最新の情報をリアルタイムで配信しています。先ほど、午前9時15分ごろ、発射場所は、中国東シナ海沿岸、発射の方向は東から南東、発射された数は……えッ、に、29!?』



 地震が起ころうが火災が起ころうが、津波が起ころうが関係ない、何があっても冷静なことで定評のあるNHUのアナウンサーですら驚いた。同時に、俺らもそれ以上に驚いた。弾道ミサイルの時点で絶望しかなかったのだが、その数が異常だった。29発。方向からして、全て、沖縄に向かっているとみて間違いないだろう。


 ……数が、おかしかった。


「……29発?」


 防げるわけがない。NHUの情報を見ていたのは俺らだけではなかった。他の人も同様だったらしく、その人らが一斉に叫んだ。


「もう待ってられるか! 早く逃げるぞ! 核だったらマズい!」


 今考えれば、これが、完全に混乱を増長させるものであっただろう。核、というワードを使ったのもマズかったかもしれない。核の恐怖、それは、人々を、特に日本人をパニックにさせるのには十分すぎるものだった。

 いてもたってもいられなくなった乗客たちは、窓を強引に開けて次々と飛び降り、車の上を強引に走り始めた。しかも、ここで集団心理も働いたのだろう。一人が飛び降り、二人が飛び降り、そして、四人が飛び降り……すべてはドミノ式に展開していった。

 恐怖にかられた叫び声、泣き声、そして、悲鳴。もはや統率も何もなかった。バスの乗客だけではなく、他の車にも、同じように何らかのメディアから弾道ミサイルの情報を得ていた人は大量のようで、同じ考えを持った人らが車から飛び出し、これもまたドミノ式に「自分も」と飛び出す人らでいっぱいになった。


 こうなってしまっては、もう車もバスも使えない。俺らも、決断した。


「もうバスをでよう。車は動かない」


「そうね、もうここを出ましょう。いい、走るわよ?」


「うん、行こう!」


 俺はすぐに窓を開け、一番に飛び出た。隣にいた無人の車の天井に乗ると、妹を母から預かって抱きかかえ、そして母も降りる。周りは車の天井を伝ってとにかく逃げる人らでいっぱいだった。だが、車間も天井の高さもバラバラ。転ぶ人、その拍子に体を痛めたり、どこかを折ったりする人。それを知ってか知らずか踏んづけて行く人……。もはや、『ゴジラ』のようなパニック映画でよく見る民衆の大移動の光景だった。

 どこからか不気味に響く国民保護サイレンが、その焦燥感をより増長させる。


「ほら、走って! 逃げるわよ!」


 母が先頭となり、とにかく車の天井を走っていった。凸凹道を歩いたほうがまだマシと思えるようなこの足場の悪さを、必死に耐え、とにかく走った。時には転びそうになり、時にはほかの走ってきた人にぶつかって転びそうになり、車の隙間に挟まりそうになり。

 中には、そんな境遇に陥った人が見受けられ、助けを求める声すらあった。だが、誰も気にも留めない。そして、俺らも“そんなこと”に手を貸している余裕はない。もはや、自分のことですべてが手一杯になっていたのだ。自分以外のことは、すべてどうでもよく思えるほど、自分のことで頭がいっぱいだったのだ。


「(早くしないと! 弾道ミサイルが落ちる!)」


 そんな焦燥感にかられる中、せめてもの希望が降ってきた。


『―――あ、たった今新しい情報が入りました。先ほどの弾道ミサイルは、全て洋上で迎撃されたとのことです。繰り返します、先ほどの弾道ミサイル、すべて洋上で迎撃との情報が入りました!』


 NHUのアナウンサーの、歓喜交じりの声が俺の耳にもしっかり響いた。


「やった、海軍だ!」


 聞き違いではない。海軍のイージス艦で間違いないだろう。そういえば、既に国防海軍のイージス艦が展開しているとNHUが言っていた。間違いない、彼らがやってくれたのだ。

 29発をすべて一発で仕留めるのは、なかなかできる事ではないはずであろうことは、中学生の頭でも理解できていた。


「(よし、やったぞ。希望が持てる!)」


 周囲にいる人々も、何人か喜びの声を上げていた。「いいぞ海軍!」「頼むよ、俺たちが逃げるまで耐えてくれ!」そういった声が歓喜交じりに聞こえてきていた。

 海軍が守ってくれる。今思えば、俺らにその勇気を与えただけでも、十分称賛に値するであろう。あれ以上を求めるのが、酷というものだったのだ。


 ……希望を打ち砕く音声が響いたのは、その直後だった。


『―――あ、た、たった今、新しい情報が入りました! 弾道ミサイル発射情報、新たな発射情報です』


 ……また、だって?

 2回も撃ってきやがって、ふざけてやがる! これほど憤慨したのも久しぶりだった。

 だが、海軍が止めてくれるだろう。そう楽観し始めたのが、俺の一番のミスだったかもしれない。


『―――えー、発射方向は、中国東シナ海沿岸から東、及び南東、発射された数は……えッ?』




『よ、42……42です! “42発”!』




 ……42発?


 この時、俺は冗談抜きでアナウンサーが間違って言ってしまったか、情報が間違って伝わったのだろうと思った。この混乱である。間違った情報が伝わることもあると思ったのだ。

 しかし、アナウンサーは訂正しようとしない。それどころか、急いで避難することを呼びかけていた。


『予測落下地域は、沖縄県です! 正確な位置はまだ情報が入っていませんが、沖縄県全域が対象となっております! 今すぐに、建物の中にに避難するか、地下に逃げてください! 外には絶対に出ないでください! 繰り返します、予測落下地点は―――』


 もはや、最初の完全冷静ないつものNHUのアナウンサーの姿はない。とにかく、必死に逃げるか、建物の中に入り込んでそこに留まるよう“叫ぶ” アナウンサーの姿しか見えなかった。


「(……冗談じゃない)」


 落とせるわけがなかった。さっきあれだけ落とした後だ。どう考えても、弾があるとは思えない。素人ですらわかった。


 あんな数、落とせない。落としきれない。


「逃げろォ!」


 誰かが叫んだ。誰が叫んだのかははっきりしない。だが、それは重要なことではなかった。

 まるで牧羊犬にけしかけられた羊のように、一斉に走る速度を速めたのだ。

 誰も建物に入ろうとはしない。当たり前だった。建物はあっても、路上は人で生まり、そこに入ろうとする人でまた埋まり、その後ろから押しかける人でまた埋まり……すぐ隣にある建物は、全部人でごった返している。

 こんだけ人がいては、仮に建物に避難しても、あまり意味はない。伏せたり物陰に隠れたりする余裕なんてないのだ。それよりなら、もっと別の建物を探したほうが早い。


 人の考えることは大体似通る。そのせいで、民衆大移動がさらに加速する。


「手を離さないで! 絶対に話しちゃダメよ!」


「待ってお兄ちゃん! 腕痛い!」


「我慢しろ! 死ぬよりはマシだろ!」


 周囲に響く悲鳴の中、とにかく聞こえるように負けじと叫んだ。母は俺の手を引いて、目の前をとにかく走っている。もう車の上を走っている場合ではない。それでは余計時間がかかる。

 車間が徐々に開けていた。徐々に走りやすくなる中、同じように車間に入ってとにかく逃げる。それ以外のことは、もう考えもしなかった。

 この時点で、普通ならそろそろ入っているであろう迎撃の報が、入っていないことにあとから気づいた。この時は気づかなかったが、あとで考えてみると、本来ならこのタイミングなのだ。この時点で、既に察することだってできたが、やはり、俺は気づかなかった。いや、俺だけではない。NHUなどのメディアを聞いていた全ての人は気づかなかったはずだ。


「愛奈! 絶対手を離すなよ!」


 そう叫んだ時だった。


「―――ッ!?」


 一瞬、耳が「キーンッ」と甲高い高音を捉えた。と思うと、


「伏せて!」


 母の声が響いた。その瞬間、誰かが覆いかぶさると同時い、俺と妹は仰向けに倒れた。車と車の間に、その上を人が走っていたはずだが、おそらく、母が背中で受けたのだろうと思う。何回か、実際に踏まれたらしく呻き声も聞こえていた。


 ……刹那、


「―――うわッ!!」


 途轍もない爆風と、爆音があたり一面に響き、そして、ほぼ同時にやってきた衝撃波により近くの車にぶち当たった俺らは、一時的に、気を失った……。




 意識を取り戻したのは、どうも結構な時間が経ってかららしかった。その時気が付かなかったが、当時、中国軍は弾道ミサイルでの攻撃が成功したのち、爆撃機を発進させ、巡航ミサイルによる市街地攻撃を行っていた。守備に回る陸軍側が使いそうな守備地形を、とにかく自分ら有利にしようと“作り変える”ためだった。

 あの時聞こえてきていた爆音は、これによるものだったのだ。


「……あ……くそ……」


 意識をどうにか取り戻した俺は、幸運なことに、五体満足で済んでいた。首を回すと、隣には妹もいた。こっちも、体を揺らすと、意識を取り戻した。だが、左腕から出血がある。何らかの破片を掠めたのだろう。


 ……母さんはどこだ?


「母さん……母さん! どこ!? 母さん!?」


 必死に叫んだ。意識を取り戻したばかりのため、まだ体が自由に動かない。頭にも痛みがある。

 朦朧とした意識の中、やっと見つけたのは……、


「ッ! かあさ……えッ!?」


 ……車の下から伸びる、母の“腕”だった。


「母さん……? 母さん! 母さん!!」


 母は車の下敷きになっていた。腕を引っ張ろうとするが、意識がもうろうとしている中では、うまく腕に力を籠めることも、足で踏ん張ることもできない。妹も同様だった。母は、俺らを地面に伏せさせた後、弾道ミサイルの着弾による爆風に巻き込まれ、車の下敷きとなってしまったのだ。

 車の下からは、大量の血が流れてきていた。一瞬にして、それは母のものであると悟った。腕に力が戻ることもない。車の下を覗いても、暗くてよく見えなかった。叫んでも、返事がない。そして、腕そのものも、とっくに冷たくなっていた。


「そんな……母さん! 嘘だろ!? 母さん!! 母さん!!!」


 現実を受け入れきれなかった。俺は目に涙を浮かべて叫び、妹は泣き叫び。二人の声が響いた。ここにいるのが、俺たちだけであるかのように。爆音に交じり、俺らの絶叫が響く。


 ……しかし、それも長くは続かなかった。



「―――ッ!」



 周りの空気を引き裂かんばかりの、激しい爆発音が響く。


 見ると、近くの建物が、炎を上げて崩れ落ちていた。市街地の中心にあった建物は、すべて大なり小なり被害を受けている。一つ、またもう一つと。


「……逃げよう」


 迷っている暇はなかった。


「で、でも母さんは……ッ」


「わかってる! でも今は逃げよう! ここはもうダメだ!」


 強引に妹を引っ張るように起き上がらせ、俺は妹を連れ逃げる。


 市街地が、どんどんとその原型を失っていく。


 そんな中、俺は逃げていた。未だに意識がもうろうとし、モザイクがかっている視界で、俺は必死に逃げていた。


 時には叫びながら、そして、周りを見て泣き叫びながら。



 ただただ怯え、ただただ恐怖に駆られ、


 ……そして、





「うわぁあああああああ!!!!」






 ただただ、“逃げなければ”という本能に従って…………

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