同調者
―――翌日を迎える。この日は朝から微妙に雲があったが、後に晴れる見込みということであった。もう少しさっぱりした朝を迎えたかったが、それでもこの日はそこまで悪い気分で朝を迎える事はなかった。
例の高層建造物爆破テロの件は、無事処理が完了したとのことだった。
羽鳥さんから直接報告された。俺らの方で解読に協力した結果、あの解答はどうやら"当たり"だったらしく、無事解除された。4つの爆弾のうち、スカイツリーの方のぬいぐるみにあるテンキーに数字を入力したら、勝手に電源が落ちたとのことで、4つすべてで、それが確認されたらしい。
おかげで、そのあとはさっさと中にある火薬類と起爆装置を分離して、二度と爆発できない様にしたようだ。俺らの方の協力があったこともあってか、向こうから直接謝辞が司令部のほうに送られたとか。
一先ず、爆弾の件は何よりである。しかし、あれのせいで付近にいた住民らは相当な精神的ストレスを抱えていたようで、長続きしていたこともあってか、「処理完了」の報告を受けた瞬間、万雷の拍手すら起きたほどらしい。よほど堪えていたのだろう。
結果的に爆発はしなかったためめでたしめでたしだが、それでも、多くの住民に恐怖を与えることになった。わざわざ爆弾を仕掛けたのは、これも狙いにあったのだろうか……そのような疑念は、既に司令部内でも起きていた。
とはいえ、何はともあれ爆発の心配がなくなったのなら万々歳である。日本各地のテロも、何とか徐々に処理しつつある。あとは、この東京……中央区のホットゾーンの奪還がされれば、もう目途は経つだろう。
「時間はかけてられない。そろそろ行動に移さねば」。再奪還に向けての、気運は高まりつつある。
……そんな折、
「……浸透偵察、ですか?」
さらに3日後の朝、羽鳥さんより直接そのような任務を命じられた。
[11月13日(水) AM05:11 東京都江東区有明
東京臨海広域防災公園全体本部 テロ発生20日目 地震発生11日目]
「そうだ。そろそろ、軍としても再度大規模な奪還作戦を行うときが来ている。作戦ももうまもなく固まる。あとは、再度情報に間違いがないか確認するべく、中規模な浸透偵察を行い、進軍コースや周辺地形の完全なる把握が必要となってきているわけだ」
まだ日も昇ったばかりの早朝。とある会議室の一角に集められた面々の前で、羽鳥さんは空間投影された映像を指しながらそう肯定した。
ここにいるのは、空挺団の特察隊班の一部。二澤さんたちの1班と、俺らの5班。すっかりコンビで行くことが定番になってしまったこの2個班だが、今度は一緒にちょっと別々の場所に偵察に行って来い、というものだった。しかも、今回は結構深部に入ることになるらしい。
「特戦群の奴等も総出で入っているようだが、幾つかの部隊はまだ日本の各地の方での対テロ後処理に参加しているため、ここで活動する分には若干不足している。そこで、お前らの出番だ」
「ようは援軍っすか?」
「そういうことだ、二澤」
パイプイスに背を凭れつつ、二澤さんは少し眠そうにそう聞いていた。先ほど起きたばかりの様である。
さらに、羽鳥さんは続けた。
「派遣区域は個別にマップに表示しているとおりだ。それぞれの地域に浸透し、長時間の情報収集をしてもらう」
そういって空間投影されている映像を操作した。マップを見る限り、確かに結構深部に入り込む形である。『ホテル日本橋』が敵の本拠地だとしても、そこから南にたった500m弱と離れていない。そこら辺は、本来は特戦群の管轄のはずだが、それでも、向こうもしばらく情報収集活動をずっとやっているため、さすがに疲労が溜まっているとのことであった。
……つまり、その分の穴埋めである。
「特に地形把握は必要不可欠だ。ある意味、敵の所在よりも重要視してもいい。どこを通るか、どこを通れば安全か。そこを把握せねば、まともな進軍はできない」
「ですけど、それって今までの情報収集で粗方やったんじゃないんですか?」
和弥がそう聞いた。確かに、情報収集活動を行ってから1週間弱は経つ。活動範囲も切れ目なく、しかも広範囲にわたって継続的に情報収集はしているため、たった1週間弱とはいえ結構な情報は集まったはずである。それでも、まだ足りないというのだろうか。
羽鳥さんは和弥の疑問に肯定しつつも、
「もちろんそうだが、深部のほうにはまだ完全に立ち入っていない。外縁部、及び深部との中間区域にはある程度入ったが、そこから先の情報がまだ薄いと言わざるを得ないのが現状だ。お前たちはそこに入ることになる」
「あくまで浸透ですんで、敵との遭遇、ないし戦闘は、最小限に抑えるか、もしくは避ける形ですか」
「理想としては完全に避ける形で行きたい。だが、舞台は我々に不利な状況が整っている。どちらかというと、“アウェー”だ」
「本来ならホームグラウンドなはずなのに、いつの間にかアウェーな舞台になっちゃうとはねぇ……」
和弥が皮肉るようにそういった。中央区は誰でもない日本人の土地だ。だが、その日本人にとって、あまりよろしくない地形状況が出来上がったのは確かに皮肉以外の何でもない。本来ならば、あそこは俺たちが自由に取り扱うことができる地形条件が整っているはずだったのだ。
……その、はずだったのだが……
「文句は地震に言うんだな。大きな余震が起きるたびに、中央区内では建物倒壊や地盤のズレ、さらにはそれに伴う液状化現象まで起きている。完全に地盤が不安定だ。俺たちの土地ではあるが、実態は俺たちの考える土地の状況とはかけ離れてきている」
羽鳥さんが妙に顔をしかめつつそういった。
あの大地震以降、中央区、ホットゾーン内の地形状況は一変していた。俺たちが今までやっていた外縁部偵察からはわからないが、情報収集衛星やUAVから得た情報では、結構な建物が崩れているとのことだった。最初こそ耐えていた建物も、日ごろの老朽化などの影響からか、度重なる余震によって徐々に体力を奪われ、そしてある時、耐え切れず崩壊していった。そんな建造物が、後を絶たない。
高層な建物は、耐震補強がしっかり為されていることもあり、そこまで心配はなさそうだった。しかし、高さ数階の建物で、老朽化が著しいものは、既に道路上にぶっ倒れては、ただの障害物と化していたのだ。あそこを通れる車両なんて、正直戦車ぐらいのものである。機動戦闘車なんてどうあがいても通れそうにない。
……これが繰り返されて以降、この中央区の地形は、完全に俺たちの知っているそれとはかけ離れてきていた。これに追加で、さらに液状化で水が溜まっている路面や、コンクリートにヒビが入って路面が断絶しているところなどもある。
元々立てていた進軍計画を大幅に見直すことになったのは、半分くらいはこれのせいでもあった。
「(一つだけ幸いなことといえば、アウェーなのは向こうも同じってことぐらいか……)」
入念に調べた地形情報がほぼ使い物にならなくなったのは、誰でもない敵も同じであるはずだ。今頃必死に近くの地形がどうなっているか調べている最中だろう。
“ホーム”が存在しない、アウェー同士の戦闘……スポーツだと似たようなのは時々あるっちゃあるのだが、それを戦場で再現するというのは……どれほどあるだろうか。ましてや、対テロの戦場でそんなことはほとんど聞いたことはない気がする。
「敵情偵察とともに、深部の地形状況も入念に確認してもらいたい。上空からではわからないこともまだたくさんあるはずだ。少しでも、有益な情報を持ってきてくれ。長期間にわたる浸透作戦になるため、今のうちに飯は大量に腹に詰め込んどけ。ただし、八分目ぐらいに留めとけよ。あとで眠くなるからな」
ついでに、それ以下だったら腹が減るし頭の回転にも影響がでる。羽鳥さんがよく言っていることだ。
短いミーティングであるため、話は終わったとさっさと移動して、言われた通り腹八分目ぐらいに飯を詰め込もうとした時だった。
「あのー……」
新澤さんがすこ~し申し訳なさそうに手を挙げた。
「一つ、いいですか?」
「ん? なんだ新澤?」
「なんで、これに出るの私たちだけなんです? 他の特察隊の方とかは?」
「あー、そういやいないな。どこに行ったんです?」
周りも気づいた。そういえば、この任務に他の特察隊が出るなんて話はなかった。他の部隊との連携もあるし、教えてもらってもいいはずである。新澤さんの疑問は尤もだった。他の奴等はどこで何をしているのか?
しかし、羽鳥さんの表情は暗かった。「あー……うん……」と、妙に言いにくそうであったが、それでも、重い口を開いた。
「まあ、特戦群の方はちょっと勘弁してもらいたいが……一応、居ないことはない。周辺に他の幾つかの部隊から数個班展開している」
「え、じゃあ空挺団から出すのって俺らだけっすか?」
「さすがに少ないのでは……こういうゲリラとかテロとかの対応に長けたうちらからもう数個の班出してもいいじゃないですか。そっちは交代要員で?」
「だが、長期間浸透するからローテで組むと考えても、交代要員は俺たちの交代でくる2個だけだろ? 2個ずつ回して4個って言ってもなぁ……他の連中は暇してんすか?」
空挺団全体で行くなら、最初からそういうはずだ。二澤さんらの言うように、おそらくローテーションで組むとしたら、俺と二澤さんたちの2個班と、その交代分の2個班の計4個班だろう。だが、うちらの特察隊はもっとあったはず。浸透期間から見るローテーションタイミングによるが、せめて予備にもう2個ぐらいあってもいいような気がしないでもない……。
……そこに関しても、やはり羽鳥さんの口は重い。
「そこなんだがなぁ……、あまり多言はするなよ?」
周囲に誰もいないことを確認し、ここにいる面子を手招きして若干小声になっていった。
「……最近、周りの雰囲気が妙だろう? 例のスパイ浸透疑惑のせいで」
「あー……それのせいですか?」
「結論から言えばそうだ……あれのせいで、どこの部隊も若干浮足だっている節がある」
周りから「あー……」という、納得したような呆れたような、そんな声が漏れていた。
前々から、「軍の中にスパイが紛れているのでは?」という噂は絶えず流れていた。それによって、周辺が疑心暗鬼になり始め、「誰かが本当にスパイだったら……」という一種の恐怖感か何かに怯えた状況ができていたのだ。
羽鳥さんによれば、今回はその中でも比較的冷静で、周辺の疑心暗鬼な雰囲気にのまれていない俺らが選ばれたのだという。実は羽鳥さんのところも若干浮足立っていたのだが、一応話はどうにかしてつけたらしい。たった一晩で済ませるあたり、彼のカリスマ性が窺い知れる。
また、交代要員の2個班も一応空挺団からは出たのだが、そっちもあくまで“比較的呑まれていない”というだけで選ばれたようなもので、本当はもっと練度的に適したのがいたのだが、生憎そっちは件のスパイ疑惑のせいで任務に適さない状態なのだという。
……空挺レンジャー持ってる奴等でも、“味方が実は敵かもしれない”という噂が流れただけでこうも変わるモノだろうか……。
「(妙だな……仮にも空挺レンジャー持ってるにしてはあまりに浮足立ちすぎてるような気が……)」
よほどヤバい噂でも耳にしたのだろうか。だとしたら俺も俺であまり聞きたくないな……あまり任務に支障がでては困る。そう考えているのは、どうやら他も同じらしい。
「一応、噂は噂ってことで何とか対処しているが……こりゃあ、事実関係をどうにか確認しないとどうしようもないな……」
「もう嘘でもいいんで「ここにスパイはいない」って断言したらどうです?」
「それで本当にいたらどうするのよ二澤……まだ確証がないのにあまり賭けにでるのは得策じゃないわ」
「それはそうなんだがなぁ……」
参ったように頭をかく二澤さんに、同情の目が集まった。別に、二澤さんの言ったことが間違いではない。むしろ、早期解決を促すならそれも十分選択肢のうちだ。
だが、確証がないのも事実だ。もし、噂通り本当に俺たちの身近な連中の中からスパイが見つかってしまったとしたら、この二澤さんが提案した策は逆の効果を発揮することになる。むしろ、「噂通りだった。やはりまだいるのではないか?」とさらに疑心暗鬼にさせることとなり、その後の冷静を促す声も届きにくくなるだろう。そうなれば、今度こそ修復は難しい。最初に「スパイはいない」と言った人に対しても非難の声が上がるとともに、疑惑の目はむけられる可能性がある。
「困った事態だが……だからこそ、今はお前らが頼りだ。こっちも、何とかしてスパイの有無に関して確実な情報を掴み取る。それまでは、せめてお前らだけでもいつも通りでいてくれ。……こっちも、色々と急がねばならない」
「割と急な状況でも起きたんで?」
結城さんの発した何気ない言葉。しかし、これは的を得ていたらしかった。
「……急っちゃあ急だな」
「え?」
「……敵の動きがおかしい」
「おかしい?」
羽鳥さんの声が一層暗くなった。口の重さは時間が経つにつれどんどん増していっている。
「敵が、妙にこっちの行動圏を避け始めた……こっちがどこにどう動くかというのは、俺たちしか知らないはずだ」
「それなのに、あえて避ける行動をとり始めた……と?」
「完全に、というわけではない。だが……傾向が見え始めているのは確かだ。偶然にしては出来過ぎてきているぐらいには、向こうが避け始めた。……スルーするには気になりすぎる行動だな」
「まさか……こっちの行動計画が漏れたんですか?」
和弥が思わずそう呟いた。それは、ここにいる全員の思っていることの代弁であろう。しかし、羽鳥さんははっきりとした答えは出さなかった。
「まだ、そこについてはなんとも言えない。だが、向こうが何かを掴んだらしいことは、この動きに現れているとみていい。俺がこうして、誰もいない会議室でお前らにこのことをつたえているのも、そういった漏洩を防ぐためだ。お前らがどう動くかは、俺しか知らない」
「そうですか……」
道理でなぜにこんなだだっ広い会議室の、しかも隅っこに集めてミーティングをしてるんだと思った。そういった理由があったのか。聞けば、各部隊の行動は、もう直属の指揮官が独自に決めて、直接隷下の部隊に伝えるやり方にしているのだという。若干連携面で効率が悪いが、敵に動きがバレまくるよりはマシだという判断だった。
「とにかく、そういうことだ。お前らの動きは、お前ら以外は俺しか知らないから安心してくれ。スパイ関連の情報も、どうにか暴き出す」
「ジョークで聞きますけど、羽鳥さんが実はそうでしたって話は?」
「ジョークでも言っていいことと悪いことがあるぞ、二澤。……だがまあ、実際その可能性は、お前らとしては否定できないと思う。だが、何なら断言しよう。もし俺がそうだったらお前らが俺を撃っていい」
「おおう……」
思わず二澤さんが狼狽えた。それだけ、自分の潔白に自信を持っているということであろう。命を懸けたのだ。
「……とにかくだ。今俺を信じる信じないは自由で構わない。だが、この任務だけはしっかり完遂してもらいたい。よろしく頼む」
「了解」
羽鳥さんの宣言で、一先ずそれで解散となった。自分の隊の武器を確認しに行く者、他の部隊との大まかな調整をしに行く者(ただし行動内容までは伝えない範囲)、そして、隊内の飯分を取りに行く者……。
そんな中、
「篠山、二澤。ちょっと残ってくれ。作戦中の糧食の配分について話がある」
「?」
俺と二澤さんだけは残された。他の3人には先に行ってもらうとして、俺は羽鳥さんの元に残ることにした。
糧食云々で話って……そんな俺と二澤さんを残すほど重要なことあっただろうか。戦闘糧食ならいつものように貰うやつを現地で食べればいい話だろうに。
「それで……話ってのは?」
他の人らが全員後にしたのを見て、二澤さんが聞きだした。
「……お前らには、話しておいた方がいいと思う」
「え?」
羽鳥さんの表情が一層暗くなっていった。いなくなったはずの周囲を見、閑散とした会議室を一瞥した後、声をさらに小さくさせていった。
「……この“推測”は、俺しか知らない。だが……おそらく、確実だと思う」
「……どういうことですか?」
羽鳥さんが、その重い口を開いた。
「……もしかしたら、本当に、俺たちの身近にスパイがいるかもしれない」
「えッ!?」
「そ、そんな! 本当ですか!?」
すぐに羽鳥さんが「シーッ!」と指を口の前に当てた。思わず声を抑えるが、羽鳥さんはさらに続けた。
「今までの敵の行動が、俺たちの行動と連動性が出てきていることはさっき話した通りだ」
「ええ。それで、スパイに関してはすぐに情報を集めるってさっき……」
「ああ……だが、今ある情報から独自に精査してみたんだが……妙なんだよ」
「妙?」
「その行動計画の存在を知るのは、ごくわずかだ。若干とはいえ、こっちの行動に連動性が出てきたということは、当然、その連動性を促す“何らかの要素”が絡んだのは間違いないだろう。ここで考えられるのは二つだ。……わかるか?」
一瞬、二つと言われても何のことかわからなかったが、二澤さんはすぐにハッとしたように答えた。
「敵に聞かれたか、“渡した”か。……ですか?」
「そういうことだ」
そうか。聞かれた、ということ限定ではない。……ここにいる誰かが、“渡した”とも、考えられるのか。
「テロ全般で考えれば、“ホームグローンテロ”みたいなものだ。元々敵の組織ではなかったが、例えば日本で、その敵の組織に同調した日本人、若しくは現日本在住者が、日本国内でテロを起こす……。それが、ホームグローンテロ」
「昔のISILの奴とかと似たようなものですね」
「ああ」
ホームグローンテロは、現代においても国際的な問題として認知されている。ロンドン同時爆破事件や、ボストンマラソン爆破テロ事件も、ホームグローンテロの一種であるとされている。
近年では、ISILを初め、世界各国のテロ組織において、むしろこのホームグローンテロを用いて、自分たちの組織の影響力を高めようとインターネットを使った宣伝戦を展開している。日本で起きているテロも、一部は近隣の旧北朝鮮系、共産党系テロ組織に同調した者によるホームグローンテロではないかとする説もあった。
……今回の件は、それをさらに小規模化したものの可能性が高いと、羽鳥さんは分析した。
「諸所の情報を見てみたんだが、当然、ここに誰かが潜入した可能性は十分ある。……だが、俺としてはこれに凝りすぎて、この“同調者”の可能性を、否定するのは危険だと判断した」
「ホームグローンテロならぬ……トゥループスグローンテロ、て感じですか?」
「英語変換としてそれであってるのかはわからんが……まあ、イメージとしてはそんなもんだ」
「敵が部隊内に浸透した結果の漏洩ではなく、部隊内に“同調者”がいて、そいつが敵に情報を渡したことによる……漏洩……」
「そういうことだ。……理論的には、こっちの方が情報取得の難易度ははるかに低くなる」
確かに。わざわざ自分の味方を敵陣に送り込む必要はない。何なら、その敵陣の中から、味方を作れば、そいつから各種情報を提供してもらうこともできなくはない。
事実、今まで掴まったスパイの中には、元々テロ組織とは無関係だったはずの人物すらいたらしいことは、前に和弥から聞いたことがある。……そいつらが、仮に敵の送り込んだ分子ではなく、敵の“同調者”だったとすれば、軍内限定のホームグローンテロのようなものであると推測することは、十分可能だ。
「……そして、それをしているかもしれない奴が……」
二澤さんの言葉に続くように、羽鳥さんはゆっくりといった。
「……俺たちの、すぐ近くにいるかもしれない」
「ッ……」
俺と二澤さんはつばを飲み込んだ。表情も自然と固くなる。
二澤さんが、今さっき言っていたような「もうスパイはいない」というやり方は、羽鳥さんの説が正しいなら絶対にやってはいけないこととなる。また、スパイがすぐ近くにいることによる、相互の疑心暗鬼が増長されるのも、同じく説が正しければほぼ間違いなく起きるだろう。
……厄介なことになった。続いて羽鳥さんが、その推測の根拠を提示した。
「もちろん、これはただの俺のバカな推測違いであることを願いたい。……だがな、今までの行動規範も、それを参照できる人間は限られている。さっき、部隊内の行動は、今後は俺しか知らない様になったといったな?」
「ええ」
「だがな、あれは半分あってて半分間違いだ。実は、今後の事を考えて、部隊内の行動規範は、俺が独自に周囲にはあまり伝えずに、お前ら部隊の人間だけに伝えるようにしていたんだ」
「え?」
思わず驚いた声を出した。羽鳥さんは、俺たちの行う偵察行動の行動規範を、羽鳥さんのみが知っている状況にしたのだ。つまり、周りには教えていなかったことになる。うまく、周りには言い包めたらしい。俺は思わず即座に思っていたことを口にした。
「で、でも待ってください。それって、独断専行じゃ……」
「わかってる。処罰を受けるのは百も承知だ。……だがな、嫌な予感がしてたんだ。情報が漏洩するって言ったって、こうもやすやすと大量に流れるのか? 幾ら相手が世界的な思想団体ってったって、やれることは限られてる。『20世紀少年』の『友民党』か何かじゃあるまいし……」
「はぁ……」
「だから、最初は半信半疑だった。……だが、実は本当にそうなんじゃないかって仮説を立てて、ある実験をしたんだ。それが……」
「この、独断による部下の行動規範の機密化……ですか」
羽鳥さんは頷いた。そして、こっちが口を挟む間もなくさらに続ける。
「そして……どうやら、その仮説がほとんどマジらしいことを突き止めた」
「え?」
「空挺団特察隊による外縁部と深部の中間に対する情報収集活動は、前々からやっていたのは知っているな? それに関しての行動規範も、俺独自に秘密にしていた。だが、何かあった時のために、お前らを含め、幾つかの部隊には大体どこにどんな部隊がいるかを教えていたはずだ。覚えているな?」
俺と二澤さんは頷いた。これは外縁部で暇そうに監視活動しているときもそうで、その部隊が何らかの敵からの攻撃にあった時に備え、どこにどの部隊がいるかというのは、空挺団特察隊の幾つかの部隊に念のため伝えていた。ただし、これはその羽鳥さんより教えられた、空挺団の察隊の一部部隊以外には伝えられていない。その時は教えられなかったが、そこも、羽鳥さんがやった独断の情報機密化によるものだった。
……だが、羽鳥さんは「ここが言いたかった」とばかりに声のトーンを一層低くする。
「……それでも、うちらの部隊の行動と敵部隊の行動に連動性が確認された。確認できただけでも、5件」
「5件も?」
「ああ。UAVを使って、上空から敵味方双方の動きをできる限り偵察していたのだが……すべてではなかったが、明らかに、うちらの部隊を避ける行動をしていた」
「映像で確認も?」
「何度もしたさ。……だが、いろんな先入観を取り除いても……、あの行動は、こっちの行動を知っている行動だ」
羽鳥さんは声を低くしつつも、力強い覇気を醸しながらそう断言した。映像を確認した上でそう言ったということは、相当自信があるのだろう。本当は俺らにも見せたいらしいのだが、残念ながら時間もないし、映像も持ってこれないらしい。無駄に怪しまれるのも、本人としては防ぎたかったようだ。
「部隊内に誰かが潜入したというのも考えにくい。もちろん、敵がこのテロをどれだけ前から計画していたかによるが……この空挺レンジャーを受ける者は、すべて身分を徹底的にチェックされる。幾ら表向きはただの慈善事業を行っている思想団体であるNEWCっていっても、色々と裏が言われている以上、警戒はされるし、そもそも適性が合わないって名目で落とされる」
「それがなかった者にしか与えない情報に基づいて、敵は明らかに行動している……と?」
「ああ。そこから考えられることは一つだ。つまり……」
「……同調者?」
羽鳥さんは頷いた。しかし、俺と二澤さんが受けたショックは小さいものではなかった。
俺らの味方に、“同調者”がいる可能性が限りなく高い。
身近な味方が、裏の顔を持っている可能性も出てきたということであった。だが、そう考えるとすると、一つ辻褄が合う部分もある。
「……仮に同調者がいたとすれば、この噂が広まっているのも……」
「“味方の混乱を招く”という目的でやるのも十分あり得る。こっちの連携を崩すには、それが一番だ。人間、一度疑心暗鬼になれば、中々収まらないものだからな」
「人間の疑い深い心理面を利用し、しかも、それをスパイというよりは、敵陣にいる自軍の同調者を通じて行う……“内部工作”」
「そういうことだ、二澤。……スパイスパイと疑っていたが、どうやら、重要な点を、俺らは見逃していたのかもしれない」
羽鳥さんが恨めしそうにそう言葉にした。だが、もし事実がそうなら参ったことになる。内部の同調者も広義的にはスパイではあるものの、狭義的にはスパイではなく“同調者”といったほうが意味は通りやすいだろう。
味方の中に、スパイではなく、同調者がいる。……そうなれば話は厄介だ。同調者自体は、別に経歴そのものは関係ない。どんな経歴を持とうが、敵からすれば、理論上は同調者は誰に対してでも簡単に作れる。
今回の場合、敵が意図してそうしているかはわからないが、もし、味方内部にいる同調者が、何らかの理由で敵に情報を与えているとしたら……そして、それは敵にしてみれば“予想外の思いがけない僥倖”であるとしたら……。
「(……過去にどんな経歴を持つかは無意味になる。同調者ってだけなら、誰にだってなれる)」
極端な話、羽鳥さんでも、二澤さんでも、そして、俺でもなろうと思えば簡単になれるのが“同調者”だ。ホームグローンテロがなぜ恐れられているかというのは、そこに理由がある。同調者が生まれるのを阻止するのは、そして、仮になってしまった場合、それを第三者が見つけ出すことは、簡単なことではないからだ。
それがいま、この部隊の中で起きているのだとしたら……。
「……地味にマズイ事態ですよね、これ。味方の中から、勝手に“敵のスパイ分子”になりに行ってるやつがいるってことですよね」
「言い方を変えれば、そういうことになる」
「ですが、羽鳥さん。そうはいってもこれはどうするんです? まだ厳密には推測の域は出ないかもしれませんが、聞く限りじゃほぼガチ内容じゃないですか。まさか、これをうちの部下に教えろなんて言わないですよね?」
二澤さんが少し詰め寄る様に言った。もしそんな指示だったら、俺は本格的に朝から頭を抱えることになる。絶対混乱するに決まってる。これから長期任務だっていうのに、まともに任務を遂行できなくなるのは必至だ。
しかし、羽鳥さんはそこまで求めていなかった。
「いや、そういうわけではない。……今、信頼できるのはお前らだけだ。今後の部隊行動の細かい部分は、お前らにしか与えないことにしたい。それを伝えたかったんだ」
「部隊行動の細部をですか?」
「ああ。だから、さっき言った内容も、実はちょっと“誤り”があってな。……このメモを見ろ。外部には出せないから、ここで全部記憶するんだ。記憶なら、お前らの得意分野だろう」
そういって羽鳥さんはメモを胸のポケットから取り出した。そこには、俺たちの今後の行動記録を書いたメモだった。簡潔だが、後はこっちで判断して行動しろということだろう。そして、メモにある内容は、先ほどミーティングしたときと、若干相違がある。
「……これが、俺らの本当の行動計画ですか」
「そうだ。向こうには、ちょっと予定が変わったと、“その時に”言え。事前には言うな。適当に理由をつけてその時に言うんだ。なんでもいいぞ。何なら“やっぱ気が変わったからこうする”とか、“前に羽鳥さんが言ってたからこうしたほうがいい”とか、本当に適当な理由でいい。……直前まで、今後の行動が他のところにバレるようなことはするな」
「事前に言ったら、もしかしたら俺たちの中にいる同調者が、隙を見つけてさっさと敵に伝えちまうかもしれませんからね」
「ああ。そういうことだ」
仲間を信じれないっていうのは悲しいが……しかし、こうなってしまった以上、致し方ない事でもあるだろう。
同調者の誕生は、スパイの浸透を阻止するより難しい。俺たちに渡す情報を限定したのも、渡す情報を限定的にすることで、敵の動きの連動性にどこまで関係があるのかを見極める意味もある。無駄に情報を渡さないようにしても、渡す人を限定しても、それでも敵の連動性に関係性が確認できるなら、犯人を、そして、その犯人が渡した情報の内容と、もしかしたらその手段と時間をも、ある程度把握することができる。
羽鳥さんは、それを狙っていたのだ。
「あまり伝えたくない命令ではあるが、お前らの部下も監視しておけ。誰が同調者かわからない。ここまでくると、信頼とかそういうのはほとんど意味をなさなくなる」
「悲しい現実ですねぇ、同調者の存在でここまで変わるとは」
「だからこそだよ。ホームグローンテロが恐れられているのは。……犯罪だってそうだ。犯罪をするとは思えない奴が、いざとなったら犯罪を犯すときだってある。それと似たようなものだ」
テレビとかでよくある話であった。犯罪を犯した人が逮捕されたとき、友人やら親族やらのインタビューでは半分くらいは「アイツはそんな犯罪をするような人ではなかった」なんてことを話す。考えてみれば、犯罪というのはその時の出来心でやることだって理論上は可能なのだ。今までは犯罪とは無縁な性格の人でも、その時々の感情や状況などで、簡単に犯罪者になることだってある。むしろ、そういった性格が、犯罪を引き起こす引き金になることだって、十分考えらるのだ。
……今回の同調者疑惑も、同じことが言える。
「(……誰かが、同調者……)」
非常に考えにくいことだが、だからこそ、その先入観を捨てねばならないのかもしれない。二澤さんも、結構思い詰めた表情をしていた。彼も彼なりに、自分の部下とは快く接してきた過去がある。彼にとっては、羽鳥さんの命令を実行することは、一種の“裏切り行為”を実行することにもなるのだ。
……誰でもない、俺だってそうである。誰にも、平等にある同調者の可能性を考える……。部下を大切にしてきた上司にとって、これほど辛い命令はあるまい。
「(……クソッ……)」
ただの羽鳥さんのはた迷惑な妄想であってほしい。だが、それは誰でもない羽鳥さん自身が思っていることだった。彼にとっても、俺らの部下は、自分の部下であるのだ。その中間にいる俺らに、そんな命令をする今の自分の立場を……彼は、呪っているのかもしれない。彼の表情は、本当に恐ろしく“思い詰めたような恨めしさ全開”のものであった。
少しの沈黙の後、羽鳥さんは重い口を再び開いた。
「……今回の事は、誰にも口外するな。お前らを信じてこその、この命令だ。……さっきジョークでも聞いてはならんとは言ったが、この際だ。前言撤回してもいいか?」
「……ええ、どうぞ」
「そうか。……まさかと思うが、お前らじゃないよな?」
当然の疑問だった。俺らが疑われない理由がない。だからこそ、俺ははっきりと言った。
「もし俺が同調者だったら……羽鳥さんのいったことと同じく、その腰にある護身用の拳銃で、撃っていいですよ」
「左に同じく。……その点に関しては、神に誓ってないと言わせてもらいましょう。嘘だったら、こんな命の一つや二つ、羽鳥さんに差し上げます」
こうして、俺ら3人は自身の潔白をかけて、お互いの命を預け合った形となった。仲間内でこんなことしなきゃならんのかと思わなくはないが、それでも、現状これが一番信頼してもらえる方法だった。
羽鳥さんも、執拗に疑うことはしなかった。
「お前らを信じるよ。というより、何れにせよ現状お前らしか頼れる奴はいない」
「それは何より。……それで、俺らに他に出来ることは?」
「いや、今のところはいい。俺としても、もう少し情報を集めたい。まずは、お前らの部下にそれっぽいのがいないか確かめてくれ。ちょうどそれぞれ、長期間の単独浸透任務に入るから、外部からの邪魔はほとんどないはずだ。……うまいことやってくれよ。ようやっと仕組んだんだからなこれ」
「え、まさか、この浸透偵察って羽鳥さんがこれのために?」
意外な事実だった。てっきり、司令部そのものの方針によるものだと思っていたのだ。これには二澤さんもビックリだ。
「いや、まあ、何れやる予定ではあった。だが、何とか言い包めて、予定を早めさせてな。事が事実なら、早急に決着をつけねばならんしな」
「そうでしたか……」
二澤さんがそう納得していると、羽鳥さんは腕時計を見て、
「……そろそろ時間だな。お前らも飯入れないといかんだろう」
そういって、話をここいら辺で切り上げることになった。
「少し長くなったが、とにかくそういうことだ。まず、お前らの方を信じて、この長期任務を使って、自分の部下にその同調者になりうる何らかの要素があるか確かめてくれ。帰還後の報告を待って、次に色々と指示を出す」
「了解。羽鳥さんも、変に足元を掬われない様に願いますよ」
「ええ。こんな状況になっては、今のところ本当に信じれる数少ない味方ですからね」
その言葉に、羽鳥さんも若干はにかみながら「わかってるさ」と言い残し、
「じゃ、後は頼む。任務開始は予定通りだからそのつもりで。……では、武運を祈る」
そういって敬礼した。俺と二澤さんも返礼すると、羽鳥さんは一足先に部屋を後にする。俺らもそのあとを追い、羽鳥さんと別れると、俺は二澤さんと二人になった。
「……しかし」
「?」
思わず、俺は二澤さんに聞いた。
「羽鳥さんのいっていたこと……本当ですかね?」
「ん~……」
「穿った見方ですが、あれ自体が、俺らを混乱させる工作……という見方も、理論上はできますよ?」
もちろん、命までかけた羽鳥さんに限ってそんなことはないとは思いたいが……しかし、完全否定はできないという現状もある。
羽鳥さんも、正直悩んでいる様子だった。しかし、
「……そこら辺はお互い様さ。向こうだって、「あの二人に言ってよかったのか。実はあの二人こそ同調者では……」なんて思ってる頃だろうぜ」
「まあ……かもしれないですけども」
「いずれにせよ、今は信じるしかないさ。これが本当なら、非常にマズイ事態になる。……ここはとりあえず、お互いの信頼の証として、自分の心臓をかけるとしようや」
「心臓じゃなくて、脳幹なんてどうです?」
「構わんぞ。……今は、そうでもしないとお互い信じられなそうだからな」
「言っときますが、そこまで言って本当にあっち側の人間だったらガチで撃ちますからね?」
「好きにすりゃいいさ。だが、それはお前にも言えるからな?」
「お好きにどうぞ。俺は清廉潔白ですから」
「言ったな? 男に二言はないぞ?」
「二言も言うつもりはありません。……それじゃ、行きますか」
「ああ……まずは」
「……飯だ」
「朝飯ですな」
そうして俺らはお互い若干疑念を持ちつつも信じあい、
今後の長期任務に備え、今日の朝食を食って腹を満たしに行った。
長期間の浸透偵察。これは俺らにとって……
今後を左右する、最大の山場となりそうであった…………