疑念の渦
―――朝方になろうという時間。空は結構曇ってしまい、もう東の空は明るくなっていてもいいはずなのに、まだほとんど暗い。よ~く見たら雲の色が若干明るくなってはいるが、首都を照らすにはまだ全然光力は足りなかった。
別方向の遠方では雲が若干赤く照らされているが、おそらく先ほど起きた少し大きめの余震で火災が起きたのだろう。あの地震以降、余震が起こるたびにどこかしこで火災が発生しており、そのたびに消防が駆けつけては消火し、また地震が起き、火災が発生しては消火し……を繰り返していた。既に、近隣の県の消防本部からは応援が駆けつけているとの噂もある。阪神淡路大震災では、全国から消防が応援で集まったと聞いたことがあるし、十分あり得る事であろう。
幸いなことに、俺たちの活動域である中央区ではそれらしい火災はまだ起きていない。だが、結構小さくなったとはいえ、未だに時たま震度5~4レベルの地震が発生しており、それによって中央区で火災が起きないとも限らない。そうなった場合、消火する組織が内部にいないため対応ができず、最悪未だに残ってる旧式のチヌークあたりで空から水をばら撒くなんていう、本来山火事に使う手法を用いるしかなくなる現状である。だが、下手すれば敵の対空火器にやられるし、その射程範囲外から降らすとなると効果は大きく減る上、要らんところにまで水が撒かれてしまい、地上にいる味方が地味に迷惑となる。
「頼むから火事は起きないでくれ」。そう願うは、この中央区で活動するほとんどの人間である。
……そんなこんなの早朝。次の部隊に監視を引き継ぎ、本部へと戻ってきた俺らは、休憩に入った新澤さんとユイの二人と別れ、羽鳥さんに報告などを済ませに行った。しかし、その途上で、周囲の雰囲気が最初と一変していることに気づいた。
本部に拠点を置いて早数日以上となるが……
「……妙に空気がギスギスしてんな」
俺は思わずそう呟いた。
本部の中は、いつも通り若干焦燥感はあるものの、比較的冷静さを保った様子であるのは間違いなかった。だが、その中でも、妙に空気が異常に緊張していると感じたのである。
顔は強張り、周囲を気にするような、監視するような……妙にお互いの視線に棘があるように見えたのである。
「どうしたんだべな? 何かヤバい情報でも入ったか?」
「さあな……ま、羽鳥さんに聞きゃいいべさそんなん」
そう和弥は言うものの、妙に気になって仕方がない。雰囲気だけで語ればどうとでも見えるのではあるが、妙にイラただしい人や、鋭い目線を送る人までいた。基本的に軍人がその傾向にあったが、幹部あたりになると、普通の民間の人ですらそういう傾向にあったのである。
その矛先は俺たちにも向けられる。何か言葉を投げられたわけではないが、何かを探るような目線と言えなくはなかった。
「(こえぇ……俺ら何かしたってのかい……)」
あらぬ疑いでもかけられてるのだろうか。俺らはただ普通に任務をこなしているだけで……あぁ、唯一国家機密は抱えてはいるのだが、でもそれなら俺たちのみにそれはむけられるはずで……。
「……おぉ、怖い怖い」
さっさと報告を済ませよう。俺らは歩く速度を若干早めたのである。
羽鳥さんに簡単に報告を済ませた後、さりげなくこの周囲の空気が一変している事情を聞いてみた。羽鳥さんもどうやら薄々感づいてはいるようで、周囲に気を配りながらも話してくれた。
「―――どうやらな、スパイ的なの俺らの中にいるんじゃないかって噂を立てた奴がいるらしい」
「え?」
俺は和弥と顔を合わせた。スパイ云々に関しての情報は俺らを含め一部にしか渡していない筈で、こんなにまで広範囲に噂として広まらない筈である。まさか、誰か流したか?
しかし、羽鳥さんはそれには懐疑的だった。
「いや、それ以前からこの噂の兆候自体はあったし、そういった経緯を含めてのこの現状だからそれはないだろう。おそらく、これとはまた別の発信源から噂として流れているのかもしれない」
「ゆえに、みんなあんなに敏感だと」
「自分のすぐ近くにいるかもしれないという疑念が渦巻いているんだ。もはや軍の範疇を超えている。なぜか、警察や民間の団体のほうにすらその疑心暗鬼が広まっていてな……」
なるほど。そんで、どこもかしこも空気がギスギスしてんのか。俺らもスパイか何かではないかと暗に疑われていたと。実際には、お互い疑いあっているというのが正しいか。
だが、それによって不安が高まっているという。俺らみたいに事前にスパイに関する情報を貰っていた部隊のメンバーは、「いたら報告しろ」程度に言われていたため、スパイがいるかもしれないという疑念に対してはある程度は精神的な備えはできていた。だが、そうでない人らにとってはある意味寝耳に水の情報でもあり、だからこそ、焦りや緊張も相まって思いっきり空気が変わってしまったのだと思われた。
「上の連中も焦ってるよ。どこのバカが噂流しやがったんだってな。……斯波ぁ、まさかお前じゃないだろうな?」
「勘弁してくださいよ羽鳥さぁん。俺がそんなん垂れ流して何になるんすかぁ」
「冗談はよせ」と言わんばかりの苦笑いをかましながら、そうおちゃらけた口調で和弥は返す。だが、和弥が情報を流したとは考えにくい。情報の取り扱いに関しては和弥は誰よりもうるさい。うっかり流してしまうなんてことはコイツに限ってありえんし、実際問題として、このスパイに関する情報は、和弥によれば先ほどまでの監視任務のためにここを発つ直前に貰ったもので、それまでは噂すら耳にしていなかったらしい。確かに、噂でも耳にしていたら俺にさっさと話しそうなものだ。もちろん、他人には口外するなと釘を刺されるまでがセットである。
この現状はそれ以前から起きていたものでもあるし、和弥が犯人でしたってのはどうあがいてもムリであろう。羽鳥さんも、一応はそこは理解していた。さっきのは冗談半分だったようである。
「あまり今後の活動に支障がでてはマズイから、お前らも下手に煽ったりするなよ?」
「了解」
言われなくてもそうさせてもらう。下手に煽ってこっちにまで疑いの目が向けられたらたまったものではない。結局、お互い漏洩などには注意しつつやるべきことをやるということで話は終わった。
話が終わって部屋から出た後、先の話の内容を改めて反芻するが……
「……人の噂の力ってすげえな」
「今となっちゃありがたくねえけどな」
これがただの流言飛語なのか、それとも情報漏洩の結果なのかは、俺たちには判断しかねる。だが、『人の口に戸は立てられぬ』という。一度立ってしまった噂は、どうあがいても防ぎようがない。人から人へ、確実に伝播する。現に、その結果が、この異様に張り詰めた空気である。
「困ったもんだなぁ。これじゃスパイとか気にしちまって任務に集中できねえぜ」
「だが、お前の話してたことが正しいなら、下手すりゃネットワークは既にできてる可能性があるんだろ? だとすれば、あながち噂も間違いじゃなくなるかもな」
「というか、正直そうだろうと思うぜ? もしかすれば、この噂もこうなることを見据えて敵があえて流したものだったりしてな」
「おいおい、それあんま人前で大声で言うんじゃねえよ……?」
幸いここに人はあまりいないが、あまり聞かれたら聞かれたでまたあらぬ噂になって伝播するのがオチである。そういうのは物陰か何かで話せ物陰か何かで。
「まあ、俺らの近くに誰かいるとも思えんけどな……いたらどうすっぺ?」
「どうすっぺとか言われてもな……」
正直、居るってのを今更聞かれたところでそうしようもない気がしないでもない。既に結構な情報が洩れてる可能性すらある故、今更口を堅く閉じたところで、誰が犯人なのかすらわからない以上あまり意味がないようにも思える。俺たちはまだしも、誰かが身近な人に話して、その人がスパイだったらアウトだからだ。
「(こうしてみると、ネットワークって敵に回したらめっちゃ怖いんだな……)」
今の時代、陸海空どこも「ネットワーク中心の戦い」とさえ言われるが、敵にしてみればそのネットワークを構成するノードを全部ぶっ壊すか、それを繋ぐ導線を切らないと不利になる。それを、こっちが体験することになるとは……。政府とて、テロリストがまさかここまで深部に入り込んだネットワークができてるかもしれないなんてのは想定してなかっただろう。精々民間方面あたりを考えていたに違いない。
「こっちの動きがダダ漏れになる」……そういった疑念は、積極的な行動を抑制するには十分だ。
「まあ、こうなるとたぶん口数は減りそうだな。下手にしゃべったら漏洩になっちまうから」
「だろうな」
連携面で不利になりそうだが……相手をよほど選ばなくてはいけなくなるだろう。正直、手間がかかる。
「……ん?」
すると、前方から一人の男性が歩いてきた。見覚えのある顔である。ここ数日はあまり顔を見る機会は少なかった。
「二澤さん、お疲れ様です」
「ん? おぅ、お前らか。お疲れさん」
そう答える彼は少々疲れ気味に様子だった。深いため息すらついている彼の疲労感が気になった和弥は、そのことについて聞いてみるが、返ってきた答えは先ほど聞いていた話と関わっていたものだった。
「……例の噂、聞いたか?」
「例のってなんです?」
大体を察しているであろうがそれでも確認がてらしらばっくれる和弥の問いに、二澤さんは周囲を若干気にしながら答えた。
「……なんかすぐ近くに敵のスパイか何かいるんじゃねえかって奴だよ」
「あー、あれっすね」
考えた通りだったのだろう。半分棒読みで和弥は返した。
「知っていたか……まあ、情報自体はお前らにも渡っていたはずだから当たり前っちゃあ当たり前だが、あれのせいでうちの連中が浮足立ってる」
「不安を感じていると?」
「だろうな。近くに敵がいるってなって、妙に周りを気にし出しているらしい。「マズイこと話さなきゃ問題ない」って言ってるんだが、あまり聞いてくれんでな」
「あらら……」
例の噂、もとい、スパイ情報は二澤さんの部隊にも渡っていたらしい。だが、そのせいで妙に疑心暗鬼じみた状態なのだという。
二澤さんの部隊の中に……という話ではないらしいが、自分の部隊以外の人がっていう方向での疑念は、今も彼らの中で渦巻いているのだそうだ。一度疑問に思ったら中々収まらんようで、もう地味に手を付けられなくなってきたそうである。
「まあ、これがもとで変に暴走するなんてことはさすがにないだろうが、あまり疑心暗鬼になられてもな……、こんなんで任務まともにこなせるかって話だ」
「人間、どれだけ訓練されててもいざとなったら不安を感じるものですしねぇ」
「今このタイミングで感じられても困るんだけどよ……しかもこっちは俺を除けばあと5人抱えてんだぜ? 全員が浮足立たれちゃ俺が困るんだよ……」
そういって彼は頭を抱えた。そして、さらに羨ましそうな目線を向けながら、
「お前はいいよなぁ、まだ自分を含め4人で済んでるから統制が効きやすいし……あぁ、一人は一番信頼できる相方がいるからそっちは問題ないし、実質あと2人か」
「機械は除外っすか」
「こういう系の噂にロボットは関係ねえだろう。でも、そっちの残り二人って、片方はこの情報通と、あともう一人は新澤の奴だろ? 新澤はまあありえんとして、一番はこの情報通か」
「すいません、これ疑われるの3回目なんすけど」
「あと2回誰だよ」
「新澤さんと羽鳥さん」
「まあ、ドンマイだな」
「えぇ~……」
目を細めて若干ジト目気味ににらみつける和弥。とはいえ、ある意味ここにいる面子の中では下っ端あたりの人間なのに何だかんだで情報を結構な量を取り扱ってるので、まあ疑われるのはわからなくはない。現実はそんな疑われる使い方はしていないのは間違いないのだが。
「まったく、そんなん気にしてる暇があるなら任務に集中しろと言いたくなるわけだが……」
「随分と悩みの種のようで。まるで謎解きに挑戦してるチャレンジャーか何かじゃないすか」
「なんだその例え……まあ、でもそれくらい悩んで入るわな、確かに」
「ハハハ……」
地味に呆れられたが、即行でイメージとしてついたのがこれであった。悩んでる姿がまんまそれだったのである。どっちにしろ、頭を痛めそうである。
すると、和弥は俺の言葉に何か引っかかる感覚を覚えたようで……
「謎解き……?」
「ん?」
と、一言呟いた瞬間、
「……あぁッ! そうだ忘れてた!」
そう声を上げた。
「なんだ、どうした」
「謎解きだよ! あれ言ってくるの忘れてた! ちょいと言ってくらぁ!」
「……あぁ、あれね。ハイハイ」
和弥の言う謎解きとは、おそらくあれの事だろう。正解は東京スカイツリーですって言ってくるのだろうな。和弥はそのまま俺たちが向かうのと反対の方向に走っていった。
唯一、二澤さんは事情を知らないので頭に「?」を思い浮かべた様子である。
「……何の謎解きを言うんだって?」
「あぁ、それがですね……」
俺は二澤さんに簡単に事情を説明した。本当は災害対策の管轄だが、行き詰ってる爆弾処理に関して、暇な時間を見つけて手を貸していたこと。一部の謎は解いたが、解けない部分はユイがさっさと解決してしまったこと。そんでもって、それがついさっきの話で、和弥はそれを伝えにいったということ。
二澤さんは「いつの間に何やってんねん……」みたいな様子で終始苦笑していたが、しかし、この謎解きで威力を発揮したユイの頭脳の柔軟さに驚嘆していた。
「しかし、暗号解読の人らでも解決できなかった奴なんだろ? よくまあ解いたもんだな。そこは、ロボットの頭のよさか」
「でも、いざ解いてみたらやけにあっけないんですよね。答え自体もそんなひねったものでもないですし、ぶっちゃけ四鏡知ってたら即行で解いてたレベルの」
「謎解きなんぞそんなもんだろ。最初はこれっぽっちもわからんものは一度解いたら案外簡単に感じるもんだ」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだ」
クイズの謎解きとかを解いた人ってこんな感じなのだろうか。TVのクイズ番組じゃ演技じゃねえかってレベルで喜んだりしているタレントや芸人が多いが、実際ああなるようになってるのかもしれない。現に、解けたとなった時は内心ガッツポーズした俺がいる。
「だが、そのお前の言った解答聞く限りアレだな。確かにお前の言った通り四鏡とか狂言の知識さえあれば連想ゲームで解けそうな奴だったな。それすら解けんとか警察の暗号解読班って案外知識浅いのか?」
「単にピンポイントで抜けてたんじゃないんですか? うまい具合にその知識を持ってない奴ばっか集まったとか」
「だとしたら相当な偶然だな。まったく、こっちにそっち方面の知識持っててしかも頭がいいロボちゃんおって助かったぜ」
ロボちゃんて……二澤さんいつの間にそんな呼び方をし出して―――
「ロボちゃんて私の事ですか?」
「うわぁッ」
―――本人の登場である。噂をすれば影が差すとはまさにこのことである。二澤さんの後ろには、いつの間にかユイのその姿があった。
「お前、新澤さんどうしたよ」
「休憩入りまーすいうて寝ました」
「寝たのかよ。もうすぐ朝なんだぞ」
間違いなく生活習慣が乱れる流れなのだが、相当お疲れだったらしい。少し一緒にいたと思ったら即行で仮眠室で爆睡し始めたらしい。疲労溜まりすぎであろうと思わなくはないが、陽とのことは言えない。徹夜なため、俺も正直眠いのである。
「ほんで、ロボちゃんとやらが頭良くて秀才で知識旺盛の天才だという声が聞こえてきたんですけれども」
「盛りすぎじゃアホ。1/3くらいしか合ってねえよ」
「でも実際内心は?」
「そこまでは思ってません」
「……ちくせう」
何がちくせうだこの自惚れロボットめ。どんな耳をもったらそんな聞こえ方するのだね。
そんなツッコミをよそに、二澤さんは感心したように言った。
「いやな、お前が昔の知識持っててよかったなって話しな」
「ほほう。つまり天才と」
まだいうかねこやつ。思わず俺は横から入った。
「天才とバカは紙一重って言葉知ってるか?」
「……バカって言いたいと?」
「割と昔からそう思っていてだnあだだだだだッ」
思いっきり右腕をひねられた。俺は嘘を言った覚えはないのだが、これほど理不尽な逆切れもない。すぐに腕は離してもらったものの、地味にまだ痛みが残っている。この野郎、一瞬のうちにどんだけ強くひねったんだ。
「……やっぱ怒らせると怖いんだな」
「デスネー」
「デスネーじゃねえ」
二人、他人事のようなそぶりであしらう。実際他人事ではあるので反発のしようがないのは確かであるが、もう少し労いってものをだな。というか、なぜこれをやった本人までそんな態度なんだ。
「でも実際よくわかったな。四鏡の奴とか。ベトナムの奴は新澤がといて、最後のスカイツリーはコイツが解いて、……んで、後なんだって?」
「弓争いですよ、弓争い。ちょうど大鏡の話でのってたようで」
「ほー」
弓争い。ユイが最初に解いた数字で、ヒントの中から、弓争いに出てきた弓矢の数であることを導き出したものである。俺はそんなに覚えていないが、ユイはちゃんと知っていた。知識があって助かったわけである。
「弓争いねぇ。俺も実は古典得意でよ、その話聞いたことあんだ。結局あの藤原氏って、後に摂政関白になるんだっけな」
「らしいですね。有言実行とはまさにこのことでして」
「だな。俺もそんな人になりてぇよほんと」
そういった形で、二人は古典の話題に花を咲かせていた。俺はついていけない。古典は苦手なのだ。昔やった古典の話題もほとんど忘れてしまっている。弓争いに関してかろうじて残っているのが、ある意味奇跡と言えるだろう。知識がある二人が羨ましい限りである。
「(……そういやどんな問題だったっけな)」
あの時のヒントを思い出してみる。結構意味不明だったはずだ。
「なあ、あの時のヒントなんだったっけ」
「え? 「鏡」「弓」「予言した者」「命中した」「放たれたすべてを総合した数」の5つですよ」
「あぁ、それそれ。そこから連想ゲームだったよなぁ……」
最初さっぱりわけがわからんなって、最終的に人間勢は丸投げしてユイに頼んだらまさかの「8」をほぼ即答という事態。
「大「鏡」の「弓」争いで出てきた人のうち、「予言した者」で、それが「命中した」人の「放たれたすべてを総合した数」ですからね。勝負したのは8本でしたから8でよかったはずですよ」
「だよな。勝負数は延長含めて8本……」
と、そこまで言った時である。
「あれ? 8本だったっけ?」
「え?」
二澤さんがふと横から入ってきた。何かを思い出すようにしながら、さらに続けた。
「え? 確か、延長入った後途中で止めたんじゃなかったっけ。さっきも言ったろ?」
「え? あれ止まってましたっけ?」
「ありゃ、少なくとも途中までしかやってなかったはずだぞ」
「え??」
俺とユイは呆気にとられた。しかし、俺はすぐにあることを思い出す。
「(待てよ……そういえば、この暗号解読前に違和感を覚えたことが……)」
一番最初に弓争いに関して解いた時と、深夜の監視中の時だ。そういえばすっかり頭から飛んでいた。
幾つか違和感を感じていたのを頭に思い出す。ヒントと答えを重ね合わせると、一部言葉選びが不自然なものがあった。
『“命中”と“的中”』『“放つ”と“放たれた”』
この二つ、あの答えをしっかり導く上ではおかしな言葉を使ったようにすら思えた。その時は変に思っていたが、先ほどまですっかり忘れていたのだ。
幸い、二澤さんはこれにはある程度知識があるらしい。俺はすぐに聞いてみた。
「あの、予言が当たるときって的中と命中どっちの単語使います?」
「え、そりゃあ“的中”のほうじゃね? 言葉の用法で見ても命中は使わんだろ」
「ッ!」
やっぱり……だとすると、あの「命中した」というのはまさか、ユイの言った意味ではなくて……。
「二澤さん、8本って延長戦含めた矢の数ですよね?」
「ああ、一応はな」
「全部放ったんじゃないんですか?」
「いやぁ、全部放ったって教わってなかったような……あれー、何だったっけな……」
肝心の部分がどうも思い出せないらしい。二澤さんは必死に思い出すように首をひねっていた。ユイも、もしかしたら自分は間違えていたかもしれないと、すぐに首をひねりつつ考えるが、うまく思い出せない様だった。
俺も、薄くなった記憶の引き出しからあの時習った内容を必死に探し出す。
「(思い出せ……学生時代、あれなんて習った? 弓争いは確実に古典の時間にやったはず……)」
その隣で、二澤さんが思い出した部分から言葉にし出した。
「えっと……確か、一応8本放つ予定ではあったんだよ。でも、途中で何か横やり入って止めたって記憶あるんだよな……」
「ええ、それで?」
「んで……どこだったっけなぁ……止めたの、確か藤原氏の対戦相手の親で……えっと、延長入ったあとの……」
「(延長入った後の……)」
徐々に思い出してきた。廊下に立ちっぱしながら、昔の学生時代の記憶を引き出すというのは中々苦労するものだが、それでも、思い出そうと思えば何とか思い出せる頭でよかった。確かに、止めに入ったのは延長戦に入ってからだった。
「(延長戦の……えっと……)」
もう少しだった。必死に記憶の引き出しを漁り、弓争いの残りの記憶を捜索する。
……そして、二澤さんの放った言葉が、
「……あー、結構最後の方だった気がするが……」
俺の、最後の記憶のピースを見つけてくれた。
「―――ああッ!」
思わず声を上げた。そうだ、思い出した。
弓争い。確かに用意されたのは8本。だが、“全部放ってない。途中で止めた”。
あのヒントと改めて照らし合わせ、それに最後合致する数字を見つけ出す。
……次の瞬間、
「……マズイッ!」
俺はすぐに和弥の元にむかって全力で走り出した。人を数十センチのところで躱しながら、和弥を必死で探す。
「(しまった、俺らはとんでもない勘違いをしていた! 途中でやめてたことを失念してた!)」
お互い、記憶にはあったが思い出せなかった。そしてそれは、暗証番号を導き出すうえで一番欠いてはいけない部分であった。必死に和弥を探し、“間違った数字”が使われる前に、止めなければならない。
人づてに和弥がどこに行ったかを聞き出し、その場所へと急いだ。
「(おうおうアイツはどこに行きやがった? さっさと姿を現せ、いろんな意味で罪背負いたくなかったらさっさと面出しやがれ!)」
最後はただの愚痴か何かになるが、ちょうどその時、和弥の後ろ姿が見えた。アイツの目の前には、他の警察官の制服を着た人がいた。おそらく、彼が和弥の例の信頼ある情報共有者なのであろう。
「和弥!」
「ん?」
すぐに呼び止めに入った。その警官も俺の存在に気づくが、其れには一切目をくれず、和弥に訂正情報を口早に告げた。
「和弥、数字一つだけ間違いがある。弓争いにあった8は―――」
「正確には、“7”だ!」
「7? あれ間違いだったのか?」
「ああ、間違いだ。二澤さんたちの答え合わせしたらもっと納得のいく数字ができてきた」
「何?」
和弥は、どうやら数字は伝えてる最中だったようで、まだ訂正の数字はすぐに遅れる状態だった。ギリギリセーフである。同時に、事の事情を簡単に説明した。
「弓争いで出てきた矢の数は確かに8本だ。だが、8本使っていない。藤原氏が使ったのは“7本”だ」
「7本?」
学生時代の記憶を片っ端から漁ってきた結果であった。
確かに、矢は本戦4本と延長4本の、合計8本使われようとしてはいた。道長氏と対戦相手の帥殿それぞれ2+2で4本ずつであり、交互に矢を放っていたのである。しかし、道長があまりに矢を的の、あろうことかど真ん中にどんどんと“命中”させていったせいで、元々は息子の帥殿に勝たせるために父親が申し入れた延長戦で、道長氏が余計に目立ってしまったのである。
それによって、帥殿はすっかり動揺し、半ば戦意喪失状態。矢も変な方向にしか飛ばせなくなり、慌てた父の道隆氏は、最後の八巡目で先攻の道長氏が矢を放とうとした時、急遽延長戦を中止させてしまったのである。
試合が止まったのはこの時だった。これのせいで、せっかく盛り上がってきた場の空気が白けてしまった、というお話が、この弓争いの全貌だったのである。
……ということは、先のヒントにもう一度当てはめると、「鏡」と「弓」、そして「予言した者」はユイの考えた通りである。だが、「命中した」とは、要は“予言を当てたこと”を言うわけではなく、“矢が的に命中した”という意味を指すことになる。元より、考えてみればあの弓争いの話の中で、予言を当てた人なんて道長氏以外に存在せず、しかも用法的に“的中”と表現すらしていない時点で、少なくとも疑問に感じるべきだったのである。
また、「放たれたすべてを総合した数」というのも、「放たれた」という過去形の文法と、前の4つのヒントの連想ゲームとを勘案すると、意味としては“道長が試合中に放った矢をすべて合わせた数”という風に解釈することができる。これならば、「放たれた」という単語を文法込みで使用することに十分納得はいくだろう。
……とすれば、8本使う予定だったうち、延長戦中止によって放てなかった1本を引いて……
「―――8-1で、7本」
「あぁー……そうか、そう来たか」
和弥も納得した。和弥としても、弓争いに関してはピンポイントで記憶になかったため、この点についても気づかなかったのだ。現状再度調べる手段もなかったため、必然的にユイの出した答えを信じてしまったのである。和弥にしては珍しいミスだが、何とかそれを防ぐことができてギリギリセーフだった。
和弥の手によって、情報は修正されて送られた。これで、正確な情報が入力され、スカイツリーの爆弾は除去されるだろう。警官は和弥と俺に感謝を示して、その場を後にした。
「……あっぶねぇ~、ギリギリセーフ……」
このまま情報が送信されていたらどうなっていたか。爆弾の使用から考えても、間違った情報を入力した瞬間、ただでは済まなかったであろう。スカイツリーのある墨田区は、地盤が軟らかく燃えやすい住宅地が多いため、震災時は火災や建物倒壊などが発生しやすく“打たれ弱い”とされる地域であった。スカイツリーのすぐ隣で、幾つか火災や建物倒壊などが発生している場所が報告されており、そっちに爆発の被害が及ぼうものなら、二次災害が発生する可能性すらあったのだ。
仮に地震が起こっていなくても、そういった意味では被害を拡大させることができたかもしれない。
「……奴等がスカイツリーを狙ったのって、これが理由だったのか?」
「さあな……だが、考えてみれば、災害に脆い場所で火の手を挙げれば、一瞬にして被害は増えるのは十分予想できるな。建物倒壊危険度は、都が出した発表として公表されてるから、利用されたと見れなくはないだろう。俺がテロリストだったら、少なくとも選択肢にはいれるし、たぶん選ぶ。あんなのが倒れてきたりしたら……言わんでもわかるな?」
「クソッたれ……」
テロの効果を上げるためならば、災害対策すら利用するっていうのか……実際、現在災害の対応に追われているが、それによってテロに対する対応はおざなりだ。向こうが、それを利用しないなんて虫のいい話はない。
……あるモノはなんでも使え。テロにも利用されては、たまったものではない。
「『戦陣の間には詐欺を厭わず』って奴だ。例のスパイの件にも言えるが、結局は戦ってのは勝つことがすべてだ。そのためには、相手を騙すどんな計略や策略をも厭わないってことだな。これも、其れの一環だろう。スパイを含めて、俺らを騙しつつ利用しつつ……下手すれば、俺らは奴らの手のひらで踊ることになるぜ」
「俺は踊るならせめてちゃんとした地面で踊りてぇよ」
「だったら、その手のひらからちゃんと出ていくように努力しなけりゃな」
「……」
現代における、戦のある意味“常識”であり、“基本”といよう。日本も、やっていないといえばうそになるかもしれない。だが、テロリストにこうも利用されるとなると、妙にハラ正しくなるのは、それは俺が非テロリストの価値観を持っているからなのだろうか。
もちろん、そうだと決まったわけではない。だが、可能性は高いと判断できなくはない。もしそうだとしたら、とんだクソッたれである。
「(……防災まで利用するのが常識であり、基本なのか……?)」
その常識や基本を疑ってしまうことこそが、自身の価値観の範疇を出ない考えなのだろうか……。そう考えていると、
「……しかしあれだな。珍しくユイさん間違えたな」
「ん?」
和弥がふと話題を変えてきた。
「いや、ユイさんあれだけチャンと知識持ってた割には、肝心の部分考慮してなかったって言うね。まあ、俺らもその部分完全に知らなかったか、もしくは忘れてたんで責めれはしないんだが―――」
「いやぁ、ほんとそうですよね」
「うわぁぃッ?」
和弥の後ろからひょっこり顔を出していきなりそう声をかけるのは、いつの間にか俺たちに合流していたユイである。後ろには二澤さんもいた。
「いやぁ、危なかった。危うく私人殺すところでしたよ」
「まあまあ、ギリギリで祥樹が思い出したんでとりまセーフってことで一つ」
そう和弥が言うと、ユイの後ろから得意げに笑う声がしたかと思えば、
「諸君、私に感謝したまえよ? 私が8がおかしいと気づかなければ今頃スカイツリーはドカンだぜ?」
二澤さんが鼻を高くしてそう自慢げに言っていた。いやまぁ、確かにこの人がきっかけではあったのだが、あまり鼻が高くなると逆にムカついてくる俺である。
しかし、ユイは結構感謝してるようで、
「はは~神様仏さま~」
と、手を合わせてお祈りしていた。そして、それを見て調子に乗ったか、さらに高らかに笑っていた。鼻が高い。ユイにとっては、確かに自分のミスを一蹴してくれるきっかけを作ってくれた恩人ではあるため、こうなるのもおかしくはないであろうか。
「まあ、言葉遊びでちょいと捻った問題ってユイ苦手だし……知識が欠けていたらそうもなろうってもんだ。気にすんな」
「うちの相方が人間の頭持っててよかったと初めて思いました」
「おいちょっと待て、今までロボットの頭のほうが良かったと思ってたのかね?」
「……」
「……おい、無視するなよ」
目を背けている相方に、一種の疑念を抱かざるを得ない。俺はロボットではない。生涯人間であり続けたいと願う所存である。
すると、先ほどまで高らかに笑っていた二澤さんが一転、
「まあ、一応解決はしたんだし、この件は俺たちの手から引いて問題ないな。んじゃ、さっさと仮眠取るぞ。俺はもう寝る」
「二澤さんも寝るんすか……」
新澤さんの隣で爆睡コースですかね。二人仲良く夢の世界へ行ってらっしゃい。
「俺も仮眠とっかなぁ……でもあんま眠くねんだよな、俺」
「私はそもそも必要以上に寝ませんから」
「よし、じゃあゲームでもやりますか。アイカメラの投影機能で五目並べでもどうです?」
「今ちょっと壊れてて使えません」
「あるぇ~……あ、じゃあトランプでも……」
「スピードでしたらいいですよ?」
「すいません、ロボットにゃぁ絶対勝てないっす……」
そんな会話をしつつ、二人は先に仮眠室へと足を進めていた。走り疲れてる上、疲労感も相まって眠い俺は少しゆっくりと行くことにした。
一先ず、爆弾テロに関しては無事解決できそうで何よりである。これで今度こそ手を引ける。とはいえ、元はといえば自分から首を突っ込んだものであったが。
「……あとは、時が満ちるまで待つか……」
しかし、それがいつになるやら……周りは若干きな臭くなってきているため、また変なところで注意せねばならないし……。
……ハァ。
「……大丈夫だろうなぁ、こんなんで……」
来る反撃の時を前に、少し雲行きが怪しくなってきた日本政府陣営である…………