命の天秤
―――その核兵器誤報の件は、司令部内でも結構大きな問題として取り上げられていたらしいが、その誤報の原因どころか、そもそもこの情報の発信元すらまだ大まかにしかわからないらしい。「誤報」ということはわかったのにそこはわからないとか、うちの司令部の調査能力に対する疑問符が沸騰水の蒸気の如く大量に湧いてくるが、詳しいことは、機密事項ということで教えられることはなかった。
この日の出動から帰ってきて真っ先にこれについて羽鳥さんに問うたのだが、本人も詳しいことはわからないといって教えてもらえなかった。仮にも特察隊の長で、司令部にずっといたので知らないわけはないのだが、一応“そういうことにして”はぐらかした形だろう。
とはいえ、このような問題はこれ以上は起こらないだろうと楽観的に考えていた。ここまでアホらしい誤報を何度もされても困る。信頼できる情報自体は持ってるはずなので、それを元に今後活動していけばいい。暫定的な措置ぐらいはいくらでもとれる。そんな風に思っていた。
……が、それがあまりにも楽観的過ぎたというか、我ながら見通しが甘かったことを思い知らされたのは、その翌日の話である。
その翌日も、同じく化学兵器の情報収集、及び回収と、未だに行方不明の民間人保護、さらに、対空火器の撃破といった多様な任務をこなしていた。この日になると、ロボットも結構投入されるようになり、中央区だけでなく、全国の避難区域の厳重警護に駆り出されていた。
俺たちが見ている間にも、時々そのロボットを見かけるようになり、その頻度は初日よりだいぶ上がっている。その点は一種の進展と言えよう。
……だが、その一方……
「……おいおい、どこにもねえぞ?」
俺は思わずそう呟いた。
中央区内のとある地区に出向いた俺らは、司令部が伝えた「各種情報より収集した対空火器の情報」の元、それがあるらしい場所に赴いた。確実な情報ということで、和弥には愛用のMGS-90対人狙撃銃を持たせ、場合によっては外から狙撃させる準備もさせた。スティンガーを使うなら、間違いなく外にいるはずである。
そして、巧みに身を隠しながらその場所に到着した俺ら4人。しかし、そこに対空火器の姿はない。外からであったため、その対空火器があるらしい中規模マンションの中に入り、スティンガー発射に適した場所をくまなく捜索。だが、スティンガーのすの字も発見できなかった。
最後に屋上に向かい、ここならスティンガーの発射にも困らないし、何かあった時の隠れ場所もあるからいるだろうと思って出向いたが……そこにも、何もなかった。もぬけの殻である。
「スティンガーあるって聞いたからここまで来たのに……どういうこったい?」
和弥が周囲を見渡しながら、少し疲れたように言った。背中には念には念をと思って背負っておいたMGS-90がある。本来なら、適当なところから狙撃でもして対空火器を潰す役を担っていたのだが、これでは宝の持ち腐れである。
「ついでだから、何かそれっぽいの無いか確認しとこう。新澤さん、視力ありましたよね? 目の調子大丈夫ですか?」
「むしろ絶好調だけど」
「ここ周辺ちょっと何かないか見てください。ユイつかせますんで」
「了解。そんじゃ、いこうかユイちゃん。痴漢野郎をひっとらえる勢いで行くわよ」
「そんなんここにはいないと思いますけど……」
そりゃあ大都市の駅に行きましょうや。そんなユイのツッコミもスルーされ、二人はこの場を離れた。
そこそこ高めの場所なので、周囲に何かそれっぽい敵がいないか確認させた。もしかしたら、情報の座標が若干ズレていた可能性もある。ここからなら、少し外に露出はしているが、敵情確認にはちょうどいい。
「ったく、確実な情報だってんだからここまできたのに……ここ、中央区の割と中央やで?」
和弥が愚痴るように言った。ここま特戦群などが入り込む最深部の一歩手前ぐらいの場所で、少し行けば敵の最中央たる『ホテル日本橋』がある。というか、もうここから見える。
距離はあるが、万一にも狙撃されないよう近くの物陰に隠れたりしていた。
「ホテル日本橋を空から守るなら、ここもスティンガーを置くメリットはあるが……どこにも影はねえな」
「念のため司令部に確認したらどうだ? もしかしたら場所間違えたかもしれねえぞ俺ら」
「だな……」
貰った情報を間違えて捉えたのだとしたらちょっと問題だ。俺はすぐに司令部に無線を入れた。
「HQ、こちらシノビ。ポイントに到着したが、目標は見当たらず。念のため指定座標を確認したい。どうぞ」
……しかし、すぐには帰ってこなかった。帰ってくるのは雑音のみ。
「……あれ? マイクずれてるんかな」
そう思い耳につけていたインカムの位置を調整するが、元から定位置だった。ずれようがない。
すると、遅ればせながら、その司令部のほうから無線が返ってきた。
『こちらHQ。失礼、無線機の調整をしていた。今呼んだのはどこの隊か?』
どうやら、向こうの事情だった模様である。すぐに俺は返答した。
「HQ、こちらシノビ。ポイントに到着したが目標見当たらず。念のため指定の座標を確認したい。どうぞ」
『了解。指定座標を再度アップロードする。確認せよ』
「了解」
そうして、司令部から送られてきた座標をHMDでもう一度確認。しかし、その座標はそんなに変わらなかった。というか、やっぱりこの建物だった。
二次元的な情報ものなので、この建物のどこにあるかまではわからない。しかし、ここにあるというのは確からしい。
「……俺らはそれを探して見つけられなかったんだが?」
「ハハハ……」
一体どんな情報を収集しやがったんだと思いながら、その点を司令部に伝え、さらに、周囲を監視していたユイと新澤さんから「何も見当たらない」という報告も付け加えてもう一度場所を確認してほしいと上申した。
……すると、少しして、
『こちらHQ。シノビリーダー、先ほどの情報だが……』
「ええ、場所変わりました?」
『いや……そもそも、そこはなかった』
「ああ、やはりですか。では、別の場所の座標を―――」
『いや、そうではなくて……』
「え?」
司令部の無線担当は少し言いにくそうな間合いを作りながら、少し自信なさげに、
『―――どうやら、幾つかある場所の中で“その場所に関しては何もなかった”らしい。報告をまとめる中で、少しばかり誤りがあった』
「……は?」
つまり、そこはなかった、というより、“そこにあるという情報は誤報でした”、という話になる。数ある情報の中から、見事にここに関してはミスが発生したということだった。
……えぇ??
「……あー、別の場所の事でしたという情報は?」
『いや、こちらにはない。各種情報を統合していた結果、幾つか間違った情報が混ざったらしい』
いや……統合したんだろうよ。その時に何をどうやったら変な情報が混ざるんだ。誰だよそんなアホみたいな間違いした奴。慌てん坊なのかは知らんがそいつ司令部要員に向いてないだろ。
『とにかく、一旦そこから撤退し、再度通常任務に戻られたし。以上』
「はぁ……了解。シノビ、アウト」
結局、この件は誤報で処理された。その誤報のために、俺らは危険を排して中央近くまで出向く羽目になったわけだが、その間に誰か死んでたらどうするつもりだったのだろうか。
この時から、幾らなんでも情報の処理・統合が杜撰すぎる気がしてきた。
「(……司令部は一体どうなってるんだ?)」
命を懸ける身にもなってほしい。そんなことを考えながら、そして、そのことを聞いて他3人……正確には、2人プラス1体の愚痴を聞きながら、一旦中央部から撤退した。
もう少し離れた場所で、通常の任務、先に挙げた3つの目標の捜索に入った。結局、念には念をと先ほどの建物の周囲もできる限り探したが、それらしいものはやはり見つからなかった。周囲を警戒している敵はいたが、向こうは現状維持を決め込んでいるらしく、これ以上攻め込むこともなければ、撤退することもなく。あくまで、中央区を自分たちの根城か何かにしようとしているらしい。
正直、それを維持するための武器弾薬はどこから持ってきたのかと言いたくなるが……それでも、現状それを決めているということは、何か考えがあるということだろう。化学兵器もある。通常の武器弾薬はなくても、この化学兵器という名の“貧者の核兵器”さえあれば、政府や警察・軍の動きを鈍らせるには十分のはずだ。これらを排除するためにも、どうにかして見つけ出さねばならない。
……そういった捜索をしているうちに、午後を回って一番日が傾き始める時間帯となる。
まだ空はそんなに赤くないが、日は西に向かっているところだ。この時期は日没が早いため、すぐに暗くなるだろう。あまり暗くなっては困るので、できる限りさっさと見つけれるものは見つけていくことにする。
そんな中、ユイの手柄でアパートの上にいるスティンガーを準備している奴を発見した。偶然その方向を見ただけではあったが、明らかにスティンガーミサイルだった。考えてみれば、あそこもそこそこ開けており、近くを通ったヘリを奇襲的に撃ち落とすには十分な場所である。
和弥に狙撃を任せ、少し離れた別の建物の屋上に上り、そこから見下ろすようにしてその敵めがけて一発放つ。
「少し距離があるが、いけるか?」
「そんな角度あるわけでもねえし、まあできるっちゃできるな。やってやるよ。……おし、安全装置よし、弾込めよし、単発よし」
「よし。じゃ、新澤さん、あとは」
「オッケー。……射撃用意……、てぇッ」
瞬間、大きく乾いた発砲音が一回だけ響き、MGS-90の中にあった銃弾が1発だけ放たれた。
距離がある難しい狙撃ではあったが、見事に命中。外側に出ていたスティンガー自体を打ち抜き、中に装填されていたらしい弾薬を誘爆させた。スティンガーを持っていた奴がどうなったかは想像するまでもないが、一先ずこれで脅威の一つは去ったとみるべきであろう。
「命中」
「確認。敵1撃破。ありゃあ、たぶん五体満足で済みそうにないわね」
「見事に吹っ飛ばされて室内に飛ばされましたからねぇ……あれで生きてたらむしろ褒めてやりますよ」
さりげなしにえっぐい話してるなぁと、横から俺は思った。すっかり、目の前で人が死ぬことにある程度慣れてしまっている。尤も、それが当たり前でないと軍人やってられないのだが。新澤さんに至っては10年前も経験済みであるし。
「よし、じゃここに長居は無用だな。さっさと降りよう。無駄に目立つし」
狙撃は完了したため、すぐにこの場を後にした。建物を駆け足で降り、次に向かう場所の確認をする。
「次の場所ってここから南だっけ?」
「南ですよ。目の前の通りを下って、その次の十字路を―――」
ユイと次のルートの選定をしていた。……その時である。
『シノビ、こちらHQ』
「―――? こちらシノビ、どうぞ」
いきなり司令部から無線が入った。新たな指令でも入るのだろうか。ユイとの協議を止めてその無線に耳を傾けた。
『現在、敵の車列が南の方角に向けて走行をしようとしている。衛星画像より、化学兵器と思われる厳重に梱包された物品が詰まれるのが確認された。直ちにこれを追跡せよ。以上』
「……あー、念のため確認しますが」
このタイプの指令に関して嫌な記憶がある俺は、失礼を承知で念押しで聞いた。
「……それ、今度こそちゃんとした情報でありますね?」
『安心しろ。UAV画像と照らし、通常の化学兵器に使われる梱包物が使われていることがすでに確認されている。こればっかりは間違えようがない』
「了解。……間違ってたら今度こそ怒鳴りつけてやる……」
そろそろ司令部の情報に対する信用が落ちてきた今、正直これすらも少し疑問点スラ湧いていた。化学兵器が輸送されてるといわれて追ってみたら、ただの弾薬箱だったというのは、つい昨日の話である。この点に関しては、俺だけではなく他の3人も似たようなものだった。
とはいえ、命令は命令である。車列がくるらしい道路の途中で待ち伏せするべく移動を開始。この間も的には見つからない様にしながら、どうにか急いでいった。
途中、あの車列を止めようとロボットらが攻撃を仕掛けたらしいが、あまりに散発的だったのが理由なのか、それとも車列の防備が固いのかはわからないが、簡単になぎ倒されていた。そんな簡単に倒されるものだろうかと思ってはいたが、現にやられている以上、何かしらの防御能力は高い様だ。油断はできない。
「車列の場所からすれば……大体ここら辺か?」
少しの間移動していた俺らは、一本の道路わきの狭い通路に到着した。ここを例の車列が通るらしいため、ここで待ち伏せしていれば確実に撃破することができる。
「よし、狙撃体制を整えておけ。間近から7.62mmをぶち込むんだ」
「お任せ、隊長殿。綺麗に前輪二つをあの世におくっちゃるけんね」
お前北海道出身なのに西日本の方言使うんかい。……まあ、勝手にしてればいいか。
和弥の狙撃を使った作戦はこうなる。まず、和弥のMGS-90で先頭の車をパンクさせて、あわよくば横転。その中にいる敵ごと撃破する。
そのまま、和弥は物陰に隠れながら他の車のタイヤもパンクさせる。化学兵器は車で移送されているため、要は車でないと移送できないものであることは間違いない。事実、梱包している箱はそこまで小さいものではないらしかった。
ならば、その移送をしている車を潰してしまえばこっちのものである。あとは、その車に徐々に接近しながら、その車を守っている敵を順次撃破。何ならユイにひと暴れしてもらって、というより、敵もそこそこ多いと思うのでユイにやっぱりひと暴れしてもらいながら、その化学兵器を車ごと確保する。
後は、その車から化学兵器を取り出して物陰に隠し、回収用の軽装甲機動車のを待つという寸法だ。
敵の場所はすでに判明している。UAVがその車列を常時モニターしており、あと数分もしないうちにここを通過する予定だ。
「スタンバイいいぞ。車列はまだか?」
和弥は準備を完了させたようだ。すでに二脚を立て、伏射の体勢を整えている。HMDで見た限りでは、もうすぐ車列が見えるはずだった。
「オッケー。じゃ、あとは獲物が来るまで待ちな。合図は―――」
こっちでだす。
……そう指示しようとした時だった。
「……ええ!? そんな!」
「?」
唐突に響いたのは新澤さんの声だった。いきなりのことで思わず肩をびっくりさせたが、見ると、新澤さんは和弥より預けられた情報端末のタブレットを見て目を見開かせていた。
「そんな、なんでそんなとこに……!?」
「どうしたんです? 何かマズイものでも?」
「マズイも何もないわよ、見てよこれ……ッ」
「え?」
そういって渡されたタブレットを見た。和弥はすでに狙撃体制に入っているため、俺とユイのみが見ることになったが……
「―――なッ、これは!?」
その表示に、思わず己の目を疑った。しかし、情報を更新させても結果は同じだった。
……ゆえに、その表示がでる理由を、俺は理解できなかった。
そこは、ちょうど俺たちが見張っている道路の、俺たちが物陰として隠れている建物の東側にあるもう一つの道路。そこを南下するように動いていた。“人が走る速さ”で。
そして、それに添付された画像を見て、さらに呆然とすることになる。
「……な、なんで……」
そこに移っていたのは、迷彩服の人間でも、明らかにゲリラ的な雰囲気を出す敵でも、ロボットでもなかった。
……3、いや、4人ほどの男女。女性が3人ほどで残り1人は男性か。全員、“私服”だった。
……ありえない状況と言えた。だからこそ、俺は声に出して呟いてしまった。
「……なんで、“民間人”がそんなとこ走ってるんだよ……!?」
武装をしていない、明らかな民間人だった。
「民間人だって? なんでそんなとこに民間人がいるんだ。しかもこっちに向けて走ってるときた」
HMDを通じてタブレットの情報を貰った和弥も、姿勢は崩さないが疑問の声を上げた。
この4人は北から全速力で走ってきている。まるで、何かに追われているようにだ。さらに、タブレットに表示された位置情報も、青いアイコンが4人。さらに、その後ろに赤いアイコンがその倍、いや、それ以上いる。
どうやら、この青いアイコンを救出しようとした複数のロボットが、自身がその敵によって撃破される前に写した映像から割り出されたものらしく、その情報が、自動的に近くの味方に送信されたらしい。
「この北の方には例のホテル日本橋があるわ。見るからに相当疲れてるし……」
「しかも、たかだか4人の民間人だけに、ここまでの射殺要員を仕向けるのは不自然ですね。しかも、車も何もなし。よほど急ぎで、かつ確実に殺す必要があるということですから……」
ユイと新澤さんの言葉を俺は頭の中で何度か反芻させ、ある仮説に至った。しかし、それは同時に「冗談だろ?」と思わせるものでもあった。
「……この4人、“逃げ出してきた”のか!?」
それしか考えられなかった。ホテル日本橋の近くで隠れていた奴が、今まで見つからず、今更になって見つかったとも考えにくい。テロ発生から数日経っているのである。十分にいろんな場所を捜索されたはずだ。その手は、当然地下にも及んでいる。
ともすれば、あの周辺で民間人がいるのは、ホテル日本橋以外にない。そして、現にその方向から全速力で走っているということは……そういうことになろう。
「(じゃあ、敵がここまで執拗に追うのは、情報が漏れることを防ぐため?)」
敵としても、ホテル日本橋に関する情報が漏れるのは困るはずだ。ましてや内部のこと。突入作戦にも使われるだろう。そう考えれば、ここまで執拗に追うのも頷ける。
しかし、民間人がここまで長距離走ることに慣れてるとは限らない。何れ追いつかれる。
「近くに誰かいないのか?」
そう思い、タブレットを通じて、例のロボットの通信状況を見た。先にも言ったように、これらの情報はロボットは一番近くの味方に基本的に送信される。しかし、余裕があれば当然他の味方にも送信される仕組みとなっているはずだが、その痕跡は一切なかった。つまり、俺らにしか通信されなかったということになる。
「(……ということは、近くには俺らしかいない!?)」
ロボットの行動規範から考えれば、そういうことになる。よほど急いでいたのだろう。これだけしか送れなかったのだ。そして、送信する範囲も限定されてしまった。おそらく、見つけて助けようとした瞬間に潰されたとみるべきであろう。まるで、最初からそこにいることを知っているかのようだ。
「このまま放置しているのはマズイわ。近くにいたロボットは軒並み潰されてる。もう私たちぐらいしかいない。ちょうどこっちに来てるし、すぐに助けないと!」
新澤さんの言うことは尤もだった。近くに民間人が走ってきているのに、放置している理由などない。普通なら、そうだった。“普通なら”。
しかし、和弥がその意見に反対した。
「ですが、俺たちは今この車列を潰すよう命令されてるんです。民間人もそうですが、こっちはどうします? こっちも防備は堅いので、一度逃せばどこに向かうかわかりませんよ? 下手すれば、昨日みたいに地下に持ち込まれる可能性だってある」
「でも、こっちに来てる民間人見逃せるわけないでしょ!? 4人よ4人! 4人が後ろにいる倍以上の数の武装した屈強な男どもから逃げきれるわけないわ。むしろ今こうして無事なのが奇跡なぐらいなのに!」
「そりゃそうですが、じゃあこっちはどうします? 誰か置きますか?」
「まあ待て、落ち着け。ユイ、近くに誰か味方はいないか?
誰かがいるなら、そっちにこのどっちかを任せることもできる。それこそ、隣接した地域ところには二澤さんらが活動していたはずで、そっちにも援護を求めることだって可能だ。または、司令部に頼んでロボットを一旦集めさせて、一気に保護に取り掛からせるでもいい。
だが、そのいずれもダメだった。
「どこにもそれらしい味方はいません。一番近くにいるのはハチスカですが、そこが仮に救援に向かっても、民間人と敵との距離はどんどん縮んでいます。現実的に考えて、まず間に合いません」
「ロボットはどうだ?」
「司令部に確認取りましたが、その周辺は少数しかおらず、救援に回す余裕もなければ、仮に回しても民間人救援にはほとんど使えないという返答しかありません」
「じゃあどうすりゃいいんだ。司令部はなんていった?」
「……こっちの最善の判断に任せるって、それだけで……」
「こんな時に現場任せになってんじゃねえよ!」
ここぞって時に、情報は与えてもそこから先は責任なしの司令部は一体何のためにあるのか。せめてどちらを優先しろということぐらい言ってもらいたい。俺らはどっちを選べばいいんだ?
「二手に分かれる? 何なら私とユイちゃんで向こうに……」
新澤さんとユイ、俺と和弥で二手に分かれるというやり方だ。どっちも何とかするならそれが現状セオリーだが、和弥はそれにも否定的だ。
「向こうは10人以上います。幾らなんでもそれは無茶ですよ。負担が大きすぎる」
「でもこれ以上分けろっていったって、それじゃ片方を何とかするのは難しいわよ?」
「ですから、どっちかにしないと無理なんです。どっちもは難しいんですよこの場合じゃ」
「そんな……」
新澤さんはどっちを取るべきか頭を抱えた。こうしている間にも、両方ともこの二つそれぞれの道路を南下してくる。化学兵器満載の車列を取るか、もしかしたらホテル日本橋の情報を持ってるかもしれない4人の民間人を取るか。
前者を捨てると、せっかく撃破できる化学兵器があらぬところに持ち込まれる可能性があり、捜索が難しくなる。それは、長期的に見るととても厄介なことな上、大きな脅威となる。他方、後者を捨てると、せっかく手に入れられるかもしれない貴重なホテル日本橋の情報を得られないのはもちろん、それ以前に、俺たちが本来守るべき民間人を見捨てることにも繋がってしまう。
……どちらを取るべきか。どちらをとっても、同じくらいも損失が発生してしまう。
「(命令を受けてるのは化学兵器の回収だが、俺らの本来の使命としてみるなら民間人の保護は当然の選択。だが、かといって化学兵器を逃していい理由には……)」
他の味方にも任せられない。化学兵器は今でさえどこに持って行かれるかわからいのだ。もう、これ以上放置するわけにはいかなかったのだ。
「あと数分切ったぞ祥樹。どうする? どっちを取るんだ?」
「徐々に距離が詰まってきてるわ。もうこれ以上は待てそうにないわよ!? どうするの!?」
この時ほど、俺が隊長であることを恨めしく思ったことはないが、決断する必要があった。どちらか?
和弥と新澤さんの、どちらの意見も間違ったものではないゆえに、どちらを天秤にかけても、どっちにも大きく傾かないのだ。使えない自分製の天秤であると、俺は内心毒づいた。
……判断を迷った。数秒の刻であったが、俺はその数秒が長く感じた。
「(どっちだ……どっちを取ればいいんだ……)」
化学兵器と、4人の民間人。ある意味、一番天秤にかけたくないものを天秤にかけざるを得なくなった俺は、周囲の音や気配を感じなくなり、その二つのみが頭に浮かんでいた。
「もうそろそろ来るぞ。車列がここを通る」
「あ、少し速度が上がった。この人たちもう限界のはずなのに!」
二人の声すら、俺の頭の奥底には届かない。完全に、判断をしかねていた。
「(……どっちを……)」
そして、弱音を吐くように、俺は小さく呟いた。
「……俺は、どっちを、とりゃいいんだ……」
ゆっくりと、時間だけが過ぎていた。視界がぼやけるほど、頭の中はその二つだけだった。
……その状態の俺を、現実に引き戻したのは、
「……やるしかないですね」
相棒の、その声だった。
「……やるって、どっちを?」
「そりゃ、決まってますよ」
「“化学兵器”のほうでしょう。そっちしかありません」
その顔は、無表情だった。あたかも、そう判断するのが当たり前であったと言わんばかりに、無表情に言い放ったのだ。
……そっちしかありませんって、てことは、もう片方は……
「ま、待ってユイちゃん! それじゃ今もう見えてる民間人の方はどうするの!? 誰も助けに行けそうな味方がいないのよ!?」
案の定新澤さんが抗議したが、ユイは平然とそれを退けた。
「化学兵器を逃したほうがよほど損失が高いです。今後どこに持って行かれるかもわからず、最悪の場合、中央区外縁部の検問に自爆テロを起こす可能性だってあります。そうなったら、4人の命どころの話ではありません。大量の人間が死にます」
「そ、そうだけど、その4人は民間人が……」
「“4人の民間人”と、“大量の軍人・警察官”のどっちが大事ですか?」
「えっ……」
「しかも、化学兵器の扱いによっては、将来的に民間でのテロに使われる可能性もあり、そうなったら、大量の軍人、警察官に加えて今度は“大量の民間人”も加わります。長期的に見た場合、将来起こる可能性を考えたら、どちらを取るかは一目瞭然のはずです。片方を下に見るわけではありませんが、それでも、今私たちが優先すべきは、たったの4人の民間人じゃなくて、間違いなく将来的に大量発生する東京都内にいる大量の命です。違いますか?」
「ッ……!」
新澤さんは言葉に詰まった。命を懸けて使命を全うすることを誓った軍人と、同じくらいの心意気でいる警察官。それに対する、まったくこのテロに関係ない 無垢な民間人4人。さらに、前者に関しては化学兵器の扱いによっては、大量の民間人ももれなく追加される。
……間違いではなかった。状況などから見れば、それは確かに正しい判断なのだ。正しかっただけに……
「(……なんで、そんなこと平然と言えるんだ……)」
俺は、それを何の表情も一つ変えずすらすらといいのける相棒が“怖かった”。俺が人間で、ユイがロボットだからだろう。だが、それを抜きにしても、“たったの”4人の民間人と言いのけるなどした自らの相棒に、俺は、おそらく今までで一番の恐怖を感じていた。
ある種の正論をぶちまけられた新澤さんはもちろん、隣で狙撃体制をとっていた和弥も、スコープから目を外してユイのほうを見て静止していた。それも、氷のように固まりひきつった表情で。
……それでも、
「……そろそろ来ますよ。準備してください」
何の狼狽えもしなかった。自分の中では、もうどっちを取るかはすでに決まっているようだった。
周りはなんとも言わない。反論できないことを言われ、フラストレーションが溜まった様に顔を俯かせるだけだった。
「……ちょ、ちょっと待ってくれ」
「?」
俺はユイにそう伝え、一旦、その4人の民間人がやってくる道路の陰にきた。そこから道路を除き、遠目に見て、その民間人を探した。
「……ッ! いた」
すぐに見つかった。だが、その速度はあまりにも遅い。軍人ではないから当たり前だが、すでに体力はない模様だった。その後ろには何やら黒い影が複数あり、銃らしきものを発砲しているようにも見える。それでも当たらないのは、それだけあの4人が死に物狂いでよけているからであろう。だが、命中は時間の問題だと、俺は瞬時に悟った。
「(……今助けに行けば、全員助けられる可能性はある。最低一人でも……)」
だが、同時に、
<“4人の民間人”と、“大量の軍人・警察官”のどっちが大事ですか?>
<しかも、化学兵器の扱いによっては、将来的に民間でのテロに使われる可能性もあり、そうなったら、大量の軍人、警察官に加えて今度は“大量の民間人”も加わります>
<今私たちが優先すべきは、たったの4人の民間人じゃなくて、間違いなく将来的に大量発生する東京都内にいる大量の命です>
……ユイの言葉もすぐに思い出された。4人の命に拘り、将来的に起こる可能性が高い大量の命の損失に目をつむることも、当然許されるものではなかった。都内の命を優先するのは、当然の事であった。
だが、それでも、それを取るということは、長期的に見なくても、今すぐに救える目の前にいる命を、自ら見捨てることに他ならなかった。もう、自らのその目で、もう見えている命をだ。
よく見てみろよ俺。まだ頑張って走ってるじゃねえか。誰かが助けてくれるだろう。そう信じてあの死にそうな足を動かしてるじゃねえか。男のほうなんて、誰かを背中に背負ってすらいるだろ。
「……」
……しかし、そんな個人的な感情論で動くわけにはいかないのが、軍隊という組織だった。
『マズイ、車列が来たぞ! おい、どうするんだ!? 撃っていいのか!?』
『もう時間がないわ! どっちを取るの!?』
『車列はもう1分もしないうちに通ります。祥樹さん、決めてください』
チームメイトからの催促を聞きながら、俺は民間人を見つめていた。その先ほどの言葉を反芻しながら、やはり、ゆっくりとした時間が過ぎた。まるで走馬灯のように。
……一瞬、
「ッ!」
一人が倒れた。いや、倒れかけて、もう一人の女性に支えられた。もう、“限界が来ている”ということの、何よりの表れだった。その瞬間、俺はあることを悟った。
……同時に、自らが持っていた“信念”を、すべてかなぐり捨てる覚悟で、一つの決断をした。
「(……10年前、絶対に揺るがないって決めたのに)」
そう自分を呪いながら、俺はその場を後にし、元の場所に戻った。そして、俺は告げた。
「……決めた」
「どっちを?」
「……」
俺は、徐々に迫る、数台のバンで構成された車列を見ながら、静かに言った。
「……この車列を止める。“化学兵器”を止めるぞ」
「……」
どうともいえないような、そのような顔を、新澤さんは浮かべていた。しかし、俺はもう、後には戻らなかった。
「今は車列を止めることのみ考えてください。あの車列を徹底的に潰して、化学兵器を奪取します。……今は、“それだけ”を考えてください。和弥、俺の合図で、さっきいった場所に狙撃しろ。いいな?」
「……了解」
「了解。……狙撃、いつでも行けるぞ」
沈痛な空気が漂っていた。“1体を除いて”。しかし、俺らはそんなことには目もくれない。
車列が間近に迫った瞬間、俺は小さく言った。
「……よし、撃て」
瞬間、和弥の持つMGS-90から、1発の7.62mmNATO弾が破裂音とともに放たれた。
―――結果からいうと、車列の撃破は容易に進んだ。
狙撃に始まる混乱につけこみ、互いの連携をもって敵を撃破。どの車体に化学兵器があるのかわからないため、車体には最大限傷をつけず、その保護に努めた。
それはうまくいった。敵を撃破した後、放置された車体から化学兵器らしい梱包物を回収。ご丁寧に紙で「VXガス」と書かれていた白い箱があった。自分たちで、中に何が入っているか間違えたりしないためだろう。
司令部に回収部隊を要請し、近くの物陰にうまく隠した後、俺らはすぐに走り出した。
向かう先は、先ほど民間人がいた道路だ。もしかしたら、まだ誰か生き残っているかもしれない。もしかしたら、何かの軌跡で1人でも生存者がいるかもしれない。
……そんな一縷の望みにかけて、とにかく全力で走って向かった。
「……ここだ、情報ならここに……」
……しかし、
「……ッ!」
現実は、あまりにも非情だった。
目の前にいたのは、大量の出血をし、無残な姿に変わり果てて横たわっていた、4人の死体があった。
出血の仕方から、何発もの銃弾を受けているようだった。確実に殺すため、そのような殺し方をしたのだろう。……幾らなんでも、あまりに残酷としか、言いようがなかった。
「……そんな……」
新澤さんはそのまま言葉を失っていた。10年前、人が死ぬ光景は何度となくて見た来たはずの彼女でさえ、このような反応を見せたということは、あの時ですら、民間人がこんな殺され方をしたことはなかったということなのだろう。
……10年前のおかげで“耐性”がついて、このような光景自体には何の拒否反応も示さなくなった自分に、反吐をはきたくなった。
「……」
俺はその民間人の元に歩み寄った。そして、あるはずもないのに、一人の女性の脈を診る。……もちろん、脈の動きは感じられなかった。
だが、戦闘手袋をとって触ってみると、その肌はまだ暖かかった。他の人も同じだった。少し前まで、この4人は“生きていた”のだ。
……ほんとに、たった数分、いや、数十秒くらい前まで、この人らは生きていたのである。
「……なんで……」
俺は、その時初めて、
「……なんで、助けてやれなかったんだよ……俺はぁ……ッ!」
膝をついて、力なく泣いていた。
普段、人前で絶対に泣くことはなかった俺が、この現実を受けて、初めて泣いた。
そして気が付けば、一人の女性の、まだ暖かい手を取って、ひたすら小さく謝っていた。
「ごめん……ほんとにごめん……ッ」
もう失うまい。“あの時の俺”みたいな人は出すまいと、10年前に誓って以来、この軍人という道を選んだのに。そのために、俺は自らこの道を選んだのに。
……目の前の4人の“死体”を見て、俺はその今までの努力を否定されたような気持ちになった。
「……祥樹、ここは危ない。敵もいるから、少し離れよう。な?」
思わず、俺はハッとした。考えてみれば、ここはまだ戦闘地域。あまり、開けた路上で膝をついているわけにはいかない場所だった。周りを見えてなかった俺に対する、親友なりの気遣いだった。
「……」
そして、俺は和弥に問うた。
「……なあ、和弥」
「なんだ?」
「……俺らは、“正しいこと”をしたんだよな?」
「……ああ、した。正しいことをしたんだよ、俺らは」
和弥の声は、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
将来的に発生する、大勢の命を救う。
それは、少なくとも間違ってはいないことであった。そう、信じるしかなかった。
……だが、
「……でも、俺は目の前にいるこの4人を見て、俺らが選んだ選択肢は正解だって、胸を張って言えるかって言われたら、首を横に振りたい気分だよ」
「……」
「一人の女性が銃に撃たれたとき、“ああ、もうだめだ”って俺は思った。だから、この判断を下した。結果論で言えば、それは間違ってなかったのかもしれない。……だけど、死体がここにあるってことは、それでも走ったんだよ。この人らは」
あの女性に対する銃撃を見た後、俺はもう限界であり、どうあがいても最後が近い事を悟った。それでも、あの場所と、この死体のある場所は違う。あの時より、南に死体はあるのだ。
……必死に、走ったのである。諦めたなかったことの、なによりの証明だった。俺らは、それを“見捨ててしまった”のである。
「それに……、ほら」
「?」
俺は、ある方向を指さした。
そこには、一人の男性の死体がいた。彼も息はない。しかし、彼の死体は他の目の前にいる女性3人のそれより北の方にあった。しかも、女性3人より多数の銃弾を受けたのか、惨殺な死体の形となっている。
「……あの人、たぶん他の3人を庇おうとしたんだろうな。この3人の女性を逃がそうとして、囮になって、一身に銃弾を受けて。それで、どうにか時間を稼ごうとした。……だけど、彼の願いむなしく、結果はこのありさまだ」
「……そうだな」
考えてみれば、生身の状態で、しかもこの開けた状態で囮をしたって無理な話だった。それに、ただでさえ一人しかいない男性。女性3人を野放しするよりは、彼が近くにいたほうが心強かったに違いない。
この状況では、そのような冷静な判断ができるとは思えないが、そういう意味では、囮にでる必要はなかったのではないか。
……だが、
「……俺は、10年前のあの時から変わっちゃいない。“あの人に勝てない”」
「え?」
俺は、同じような光景をもう見ている。そして、“アイツ”の“捨て身”によって助けられた身としては、彼を、少なくとも下に見ることはできなかった。
「俺は10年前、自ら逃げることしかできなかった。でも、あの人は、自らの命を捧げてまで、女性を逃がそうとした。目の前にいる、3人の命を助けるために。自分の命を捨てる覚悟をしたんだ。民間人ではあるけど、ほんとに勇敢な人だと思う」
「……」
「……俺らは、確かに間違ったことはしていない。正しいことをしたともいえるんだろう。……だけど」
静かに立ち上がった俺は、その男性の死体を見て、静かに涙しながら言った。
「……少なくとも俺自身は、ここぞというときの“意志の強さ”では、あの人に勝てない……」
そう力なく呟いて、敬意を示すように、彼に頭を下げた…………