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とんでも能力シリーズ(短編投稿)

私は影

作者: 七草 折紙

異世界ファンタジーなのに現代用語が多数出てきます。

言葉回しが同じような世界と思ってください。

コメディーですのでツッコミは無しという方向でお願い致します。

 私は影。


 闇に生き、闇に死んでゆき、()を欺き、他を見抜く。

 人間関係の殆どは仮面を被った偽の繋がりだ。


 ――それこそが影の宿命。


 国のために己の全てを捧げ、人々の安寧のために日々暗躍する。

 生きること、すなわち死と向き合うこと。私生活にも仕事はついて回る。

 断じてワークホリックなどではない。心身共に健康だ。……そう思いたい。


 影とは自然体であるべきなのだ。


 今日も一日、陛下の警護にあたっていた。

 熟睡中の陛下を亡き者にせんと忍び込んだ愚か者を、たった今成敗したばかりである。


「バカな!? 俺は完璧に気配を殺していた筈だぞ! それに貴様の気配など微塵も感じなかった! 足音、風の音、魔力、温度、息遣い。全て入念に探ったのだぞ!」


 足元には這いつくばる黒装束の男。狂ったように叫んでいた。

 絶妙な力加減で急所を打ったので、気絶もできずに痛み苦しんでおり、出てくるのは喧しい感想ばかりだ。


「いつだ! いつ忍び寄った!」


 バカモンが、静かにせんか! 陛下がお休みになられてるのだぞ!


 影の末路は悲惨なモノが多い。だからなのか、失敗すると空気を読めないアホぅが生誕する。

 これもいつものことだ。

 業界人(暗殺、諜報)は、声を揃えて同じことを言う。


 ――嘘だ、ありえない、と。


 芸のない奴らだ。


「残念だが、私の隠形は貴様らとは一線を画する。私を捉えることは誰にもできない」

「くっ、このバケモンがぁ」

「その言葉も聞き飽きたな」


 さて、と……誰の手引きか、誰の依頼なのか。じっくり吐かせないとな。その担当は私ではなく別の者なのだが。

 さっさと引き渡して休憩に入ろう。






 秘匿主義のこの世界、辛いことも多々あるが、自分で選んだ道だ。後悔はしていない。本当だぞ。

 プライドを持って職務に当たっている。


 だが時々想うこともある。


 プライベートすら制限され、親しい友人、恋人、妻、子供……等々。それら全てに生涯打ち明けることはない。


 喋ったら暗殺されちゃうし~、それはマジ勘弁っつーかぁ、引っ掛けた女と楽しくトークもできねぇし、肩こるし、ホント最悪~。

 それによぉ、酒にも酔えねぇんだぜ。気が緩んで口滑っちまったら、あの世にポイ捨てされちまうし~。酷くね?


 ……すまん、口調がおかしくなってしまったな。話を戻そう。


 まあ、要は口の堅さが求められる職業な訳だ。最も妻など居はしないのだが。その理由としては、仕事が仕事故に躊躇してしまう自分がいるからだろう。まあ、それは言い訳か。

 口の軽さは命の軽さ。結婚など怖くてできない――のではなく、とある事情から結婚が遠のいている。圧力と言った方が正しいだろうか。

 この国には王族のみに伝わる記憶消去の魔法がある。引退すれば記憶が消され、口が滑るというプレッシャーに怯えることなく、嬉々揚々として過ごしていける仕組みだ。


 そう、問題は別にある。

 まずは生涯を捧げる伴侶――愛すべき女性を見つけることが先決だ。でもそれができない。皆、引いていく。

 命あっての物種だからね。


 おかげでもうすぐ三十路(みそじ)手前。ベテランの独身貴族だ。この世界では一日の長がある。先輩方は皆引退した。


 嗚呼、愛しや幸せ家族。

 のんびり、まったり、のほほんが夢だお!


 コホンッ


 最近、心が弱っているせいか、人格が不安定みたいだ。つい話が脱線してしまう。


 ちなみに親は健在、兄妹四人は既に結婚している。つい先日もご招待に預かり、そのラブラブっぷりをたっぷりと見せつけられた。乙です。

 義姉さん、かなりの巨乳だったな……兄さんは毎日アレを……ゲフンッゲフンッ。

 とにもかくにもだ。だからなのか、温かい家庭に憧れる自分がいる。


 我が春は何処に……。






 自己紹介がまだだったな。

 私の名前はウィル。最強の護衛にして諜報のエキスパートである、影の長ウィルだ。

 長の地位にいるのは年齢が一番上だからではない。実力がトップだからだ。根拠のない憶測はヤメて頂きたい。

 私のコンプレックスをあまり刺激しないで欲しいです。


 オォッホンッ

 風邪かな? 最近寒いから気を付けんと。体調は仕事の資本だからな。

 よし、続き行こう!


 この国の、()いては王家の方々をそっと見守るのが、私の仕事である。

 時には身を挺して主人を護り、時には情報を求めて錯綜する。

 暗殺を請け負ったこともあった。


 それもこれも全ては国のため。

 この国の未来を護ることこそが、我らの生きる道なのだ。


 影とはそう、闇に潜む騎士を意味する。すなわち人目につかない名誉職。

 私にピッタリの天職がそこにはあった。


 無駄な美形はこの際マイナスだ。目立たないことこそが影の本懐。

 この職業は、非常に私にマッチしている。



 ああ~、凡人さいこぉお!



 世間の大半は美形に生まれた方が幸せだ、と謳っている。


 女性の場合は納得がいく。

 美しく着飾り社交界で人脈を広げ、別の角度で主人を支える。未婚女性を例に出しても、美しさが求婚率に比例するのは自明の理だろう。

 そう、彼女ら貴女の価値観は"華"にある。


 それは分かる。私も美人が大好きだ! トラブルのない範囲でなら、最高の美女を所望する!


 ……まあ、それはさておき、男と女は違うということだ。


 男が顔にこだわってどうする。ブサイクもそれはそれで嫌なのだが。

 しかし男の価値は別にあるのではなかろうか。


 イケメン? ハーレム?

 そんなモノはモテない男の幻想に過ぎない。

 窮屈な日常、女性同士が敵対しないように神経が磨り減る毎日。

 血に怯える日々だ。


 そうではない、そうではないだろう!

 ――YES凡人、NOブラッド!


 平穏、無血、凡々。

 それこそが人生の基盤ではなかろうか。

 私はそう思っている。






 ――さて、落ち着いたところで現在の状況を顧みよう。


 私の護衛対象は王族全般。その時々によって配置が替わる。だがここ数年は特定の人物のみの護衛に専念している。そう言われたからだ。王直々の命令なので、断れる筈もない。

 その人物とはこの国の第二王女――リーナ殿下のことだ。

 歳は十六歳で、私とは一回り以上離れている。そろそろ適齢期で近隣国から嫁ぎ先を募る時期だ。女性の花盛りは意外と短い。


 噂では求婚者が多数押し掛けているとも聞く。まあ、確かに超絶美人ではあるが、凡人を極めた私のタイプではない。関係ないから気にする必要もないだろう。

 そう思い……思い込むようにして、普段通り仕事の配置に付いていた。



 ……つい昨日までは。



 もう限界だった。


 ありえない。


 ザ・凡人オブ凡人――平穏マイスターたる私には、生まれつき平穏を謳歌するための才能が宿っていた。



 ――『不完全な(アンマッチ・)住人(ウォーカー)』。



 姿、音、気配。あらゆる情報を外界からシャットアウトする特殊能力だ。存在感をゼロにすることができる。

 この能力を発動したら最後、誰も私を捉えることはできない。



 ……その筈なんですが、どうしてでしょうか?



 ああぁ、また見られている。



 先程のKY(暗殺者)のせいで、陛下が起きてしまわれた。

 仕方がないので報告を済ませる。そして直ぐ様身を隠す。

 騒ぎで起きたのだろうか、寝室に警備の者や王族の皆様が何人か駆けつけてきた。


 ――その中には当然あの方もいた。


 もう解放された筈なのに、関係ない筈なのに、この恐怖は一向に癒えない。



 じーっ



 何故、私と目が合うのだ。隠蔽の術は完璧な筈なのに。命の危機にあった陛下(彼女の実父)をよそに、こちらを凝視している。

 目が合うと逸らすも、その場所へと駆けていき、嬉しそうに手を振ってくる。

 彼女は影というモノを理解しているのだろうか。バラさないで頂きたい。


 これもいつものこと。



 ……ふふふ、フハハハハハハ!


 だが、しかぁし!

 普段なら恐怖に慄き胃がキリリと痛むところだが 超高価な特性胃薬を買い占めるところだが、我を束縛する枷は既に存在しない!

 職を降りることは陛下にも打診済みであり、了承を貰っている。


 世界は幸せに満ちているのだ!


 けれど妙だな。普通は一部の機密事項に関わる記憶を消去される筈なんだが……余程信頼されているのか?

 陛下の顔も強張っていた気がするが、あの何事にも動じない陛下に何かあったのだろうか。賢王と名高きあの陛下にいったい何が……。イカンな、職業病になってしまっている。私にはもう関係ないことだ、忘れよう。


 この国には二度と戻るつもりはない。辺境の地でもどこでも良い。静かに暮らせる我が楽園を求めて、いざ新天地へ羽ばたかん!


 そんなこんなで私は今、最後の職務を全うしていた。本日、陛下の護衛を最後に自由が約束されている。もう少しの辛抱だ。

 だがその僅かな時間ですら、病んだ私の心臓には悪い。


 もう彼女は眼前に迫ってきている。鼻先数センチの距離。必死に仰け反るも、至近距離でツンツン突かれている。


 自由奔放か! やりたい放題か!


 傍目には彼女は空間パフォーマーにしか見えないだろう。下手すれば変人扱いだ。しかし彼女はお構いなし。

 王族の皆様も苦笑い、完全放置だ。


 相変わらずこの方――リーナ殿下にはバレている気がする。いや、絶対にバレている。



 どうしてなんだ?



 この方の視線が怖いのは何故だろう。尋常でない汗が噴き出し、悪寒が再発する。本能が最大限の警報を鳴らしていた。


 ――絶対に関わってはイケナイ、と。


 一度飲み込まれたら最後、求める平穏は永遠に失われてしまう。その先にあるのは暗黒の未来のみ。

 そう訴えかけている。


 なので、完全無視。私はここにはいない。

 彼女は妖精さんを見ているだけなのだ。私の存在がバレている訳ではない。


 さあ、国外へ逃亡しよう。

 君子危うきに近寄らず。要は、頭の良い私は安全第一がモットーということだ。

 取り敢えず、この悪寒をどうにかしたい。


 アイム、フリーダム!



◆◇◆◇◆◇


 殿下との出会いは十年も前――彼女が六歳の時だ。私は当時十九歳。


 その前に一つ弁明をしておこう。私はロリコンではない。たっぷり年月を掛けて熟した――妙齢の女性が好きなのだ。

 私の性癖に関わるその誤解だけは解いておきたい。第一級重要事項だ。

 それを踏まえた上で、あの日の出来事を語ろう。


 王家を揺るがす事件があった。国に巣食う不届き者――馬鹿貴族によって、リーナ殿下が攫われたのだ。

 当時私は既に経歴九年。ベテラン組の仲間入りを果たしていた。早くからこの能力を買われて、十歳の若さから影の任についていたのだ。

 その馬鹿貴族の居場所は特定済みだった。陛下の了解を得て、私は救出に向かった。


 屋敷には難なく侵入成功。そのまま屋内を堂々と通り過ぎて、監禁場所へと辿り着く。

 彼女は泣いていた。


「うぇぇええええええん、お母様ぁ、お父様ぁ、お兄様ぁ、お姉様ぁ~。うわぁぁああああん、だれかいないの~」


 その憐れな姿に私は胸が締め付けられた。今では私の人生が縛り付けられているのだが……それは置いておこう。

 長時間閉じ込められて精神が不安定だったのだろう。こんな幼い子供を巻き込むとは大人として恥ずかしくはないのだろうか。拉致した貴族の糞っぷりに吐き気がした。


 湧き出る想いは父性だったのかもしれない。

 込み上げる愛しさを抑えつつ、彼女にすかさず声を掛けた。


「リーナ殿下、迎えに上がりました」

「うぇ、ひぃっく……だ、だぁれ? 妖精様? どこにいるの?」


 そこで能力を発動していたことに気付き、私は姿を現した。


「はぇ?」


 突然の出来事に、殿下は目を丸くしておられた。その可愛らしさに、鉄面皮と呼ばれていた私の頬も、だらしなく緩んでいたことだろう。悪戯が成功したような気分だった。


「ふふ、大丈夫でございますか?」

「あなたはどちらの妖精様ですか?」

「私は影の者です。陛下――貴方のお父上に頼まれて伺いました」

「お父様の? 人間なの?」

「そうでございます」


 気さくに接しても、そこは流石に王族。幼くとも安易には信用してもらえない。殿下の訝しげな瞳が、私のピュアハートをズタボロに切り裂いた。

 だが引き下がる訳にはいかない。目的は殿下の奪還なのだ。

 まずは敵じゃないことをアピールするため、陽気にくるりとステップして一回転を披露した。全身余すところなく魅せて、積もり積もった彼女の寂しさを紛らわせるよう、心をいざなっていくのだ。

 こう見えても、幼い頃の夢は路上パフォーマーだった。影の能力を買われて城に監禁されるまでは、そんな気ままな生活にも憧れていたものだ。


 憧憬する世界にトリップしていたのだろう。懐かしさについやりすぎてしまっていた。その状況下で三十分は踊っていた。何をしてるんだ、私は。そこで我に返った。

 もちろん、殿下の心を少しでも軽くして差し上げたい一心での行動だった。本当ダヨ。


「うふふふふふふ、へんな動きぃ」


 私の努力が報われたのだろう。彼女の顔には笑みが溢れていた。大分落ち着いたようで、私の目論見は成功していた。

 最後の仕上げに、殿下の小さい身体を軽く抱きしめて、安心させるように背中を撫でた。「良く頑張ったね」と耳元で囁きながら。

 だが上手くはいかないものだ。


「おい、さっきからうるせぇぞ、ガキ!」


 突如、目つきの悪い警備員の男が室内に乱入してきた。こんだけ騒ぎ立てれば当然か。私は反省した。

 男に私の姿は見えていなかった。直前で姿を消したからだ。訓練の賜物というやつである。


 男の据わった目は、殿下のみを捉えていた。

 その剣幕に殿下は怯え、言葉が出ないようだった。


「あ、う……ごめん、ゴメンなさい」

「ったく、これだからガキは嫌ぇなんだ。――いや、待てよ……へへ。王女だかなんだか知らねぇが、どうせ処分されるんだ。傷の一つや二つ、いいよな~」


 いやらしくも酷薄な笑みを浮かべた男は、殿下を痛めつけようとしたのか、大きく脚を振りかぶった。

 いかん! 私は動いた。


「ぃ、やっ――やだっ」

「おらぁ!」


 ガンッ


「イッ――ァッ、テァアーーーーーーッ!」


 男の脚は鈍い音を立てて止まっていた。アレは痛い、痛いぞ。


「このクソガキ、何しやがった!」


 男は何が起こったのか理解できていないようだった。

 答えは簡単。私が分厚い鉄板で防御したのだ。


 私の能力は存在の隠蔽。手にした物体をも消す効果を持つ。殿下の救出を託されたのも、この能力があればこそだ。

 つい先程パフォーマンスに使用していた無骨な鉄板。それを殿下の前に盾のように突き出し、男の脚を粉砕していた。


「魔法でも使いやがったのか、生意気な!」


 目の前にいても、誰も私を知覚できない。流石は平穏製造能力だ。トラブルの可能性は皆無なので、やりたい放題できる。殿下の味わった恐怖と痛みを、君も味わいたまえ。

 そう思い、次の準備に取り掛かった。


「舐めてんじゃねぇぞ!」


 今度は殴ろうとしてきたので、これまた鉄板で防ぐ。ただ防ぐだけではない。カウンター気味に突き出すサービスをオマケしておいた。


「グッぁぁああああああッ!!!」


 今度は骨まで逝ったと確信した。脚だけでなく拳も痛めた。全治二ヶ月は堅いだろう。

 幼気(いたいけ)な女児に危害を加えようとしたのだ。これくらいのしっぺ返しは優しいもんだ。

 これに懲りたら反省して、真っ当な人間へと成長して欲しい。


 ささやかな願いを込めて、ついでに雷の魔法で撃退しておいた。終了だ。


「お怪我はありませんか、殿下」

「うん、ありがと……ふぇん」


 男が倒れたことで張っていた気が抜けたのか、殿下は床にへたり込んでいった。

 私は咄嗟に手を伸ばし、彼女をギュッと包み込んだ。彼女は涙が溢れそうになっていた。気丈に我慢していたのだろう。


 良く頑張られた。殿下はその年で、立派に王族の威厳を持ち合わせていた。

 私に害がないことを察したのか、彼女も私の胸に顔をうずめてしがみつく。冷たい部屋に一人監禁されて、人恋しかったのだろう。

 しばらくそのままでいた。


 やがて静かになると、殿下は天真爛漫なご様子を取り戻されて声を張り上げた。


「もう帰れるんだよね。ここ暗くていやぁ。はやく行こっ」

「ええ、行きましょう。長居は無用です」

「あっ、ちょっと待って。その前にあなたの名前は?」

「影に名前は不要でございます。どうか、お気になさりませんよう、お忘れになってください」

「いや!」

「……はっ?」


 影ならば当然の立ち位置。本来ならば印象に残すのはおろか、顔を見られることすら御法度なのだ。

 故に当たり前の受け答え。

 それを速攻で拒否されて、私は口をポカンと困惑した。殿下は駄々をこねていた。


「名前を教えてくれるまで、動かないもん!」

「い、いや、ですが……」

「じゃあ、将来わたくしと結婚してくれる?」

「はい? 何故そのような展開に?」

「だって、助けに来てくれたんだもん。白馬の王子様でしょう?」

「いや、王子様は貴方の兄上でしょうに」

「細かいことはいいの! 約束してくれるの?」

「……え、ええ、それでは約束しましょうか」

「うん! ゆ~びき~りげ~んま~ん――」


 いつの間にか彼女のペースになっていた。流されるままに約束してしまう。

 もちろんその場凌ぎの約束だ。そんな些細なやり取りなど、記憶の彼方へ消え去るだろう。――と、思っていた。甘かった。


 ――ここが私の人生最大の分岐点。


 この安易な返答が、後の悲劇の引き金となる。この日の過ちを何度やり直したいと思ったことか。今では当時の馬鹿な自分を戒めたい。それもボコボコにしたい想いでいっぱいだ。

 我が身を揺るがす程の大層な事態にまで発展するとは、この時の私は露ほどにも思っていなかった。当の本人たる私自身ですらも、過去のモノとして忘れ去っていたのだから……。


「それで名前は? いいかげん、教えてくれるよね!」

「はい、ウィルと申します」

「うぃる? ……ウィル……ふふ、ウィルね。わたくしはリーナですわ!」

「存じあげております、リーナ殿下」

「"でんか"はよけい、リーナって呼んで! わたくし、あなたに似合うレディになれるよう、がんばりますわ!」


 そう、彼女は頑張り過ぎたのだ。度を越して優秀になってしまわれた。


 この時のやり取りがキッカケで、数年後に私は影にあるまじき想いを患ってしまった。恋……では断じてなく、助けなければ良かった、という切実な想いを。

 王族を護る立場にありながら、情けない話だ。


 余談だが、

 殿下を攫った貴族の目的は王家乗っ取り。いわゆるクーデターだった。しかし計画が雑すぎたので失敗した。要はアイツらもアホぅだったというだけの話だ。

 その後この貴族の家は取り潰しになり、当事者達は投獄されたという。



◆◇◆◇◆◇


 兆候が現れ始めたのは私が二十四歳の時。そろそろ私も引退せねば、そう決心していた時だった。

 この業界にミスは許されない。よって、早期退職して文官としてやり過ごす者が多い。若さは強さだ。

 足を洗うためには身を固める必要がある。いや、そんな必要はないのだが、引退以外で辞めた人間はいなかった。


 要は見栄の問題だ。


 まずは女性を確保せんと妄想王として名が広まってしまう。そんな恥辱は受け入れられない。

 そう思い、私は動き出した。

 感じの良さそうな良妻賢母タイプの子を発見し、声を掛けて、そして――


「あの、今度お食事でも――「ヒィィィィィイヤァァアアアアアア!」……へっ?」


 その子は話し掛けただけで逃げていった。

 意味が分からない。紳士らしく接したつもりだったが、顔がニヤケていたのかもしれない。


 改めて顔を引き締め、別の子に声を掛けるも……。


「ぎぃッ、ぁ、か、堪忍してくださいぃぃぃ」


 その子も逃げていった。避けられたのは顔ではなかった。では何が原因か。

 私もタダじゃ転ばない。逃げ去る一瞬、彼女が幽霊でも見たかのように、顔を引き攣らせていたのを目撃していた。


 私は強面だっただろうか。真剣にそんなことを考えた。そういえば、と想い出す。

 幼馴染のクーちゃんは格好良いと言ってくれていた。その彼女の姿もここ最近は見当たらない。以前は良くお弁当を届けてくれてたのに、ある時期を堺にバッタリ止んだのだ。

 良くない病気にでもかかったのか、と家まで訪ねてみたが、既に引越しした後で、行方知らずとなっていた。近所の知り合いに連絡先を尋ねに行くも、門前払いをくらってしまった。


 幼馴染とは所詮はそんなものか。愛想の良かったご近所さんの笑顔も幻だったのか。

 世間の冷たさに、涙が出そうになった。


 しかし先日会った八百屋のおっちゃんは、彼女の姿を町で見かけたと言っていた。それも元気な彼女の姿を。

 男でもできたか。そんな結論に達するのも当然の成り行きだろう。


 その後、数人に声を掛けるも――


「ゴメンなさい!」

「男に興味はないわ。あっ、キャーっ、ケイン様よ! じゃあそういうことで!」

「わたしは既に死んでいる」

「ゴメンネ。もうすぐ遠い祖国に帰るのよ」

「へへっ、わたしゃこう見えて五十は超えてるのさ」


 話す子話す子、全員が逃げていく。中にはあからさまに無理のある言い訳も含まれていた。

 これはどういうことだろうか。


 謎の勢力が暗躍しているのやもしれない。しかし何故? もしや何かの陰謀か? 頭の中を様々な想像が、膨らんでは消えていく。

 結果、考えても無駄という結論に落ち着いた。


 そのうち妙な空気も冷めるだろう。そんな風に楽観視していた。






 ……それから五年。

 二十九歳、三十路手前。その間女性経験はなし。花街では謎の出入り禁止令。秘密の穴場に出向くも強制退場。


 ――徹底していた。


 敵勢力は萎えるどころか、更に増大していた。

 正体不明の敵による謎の縛りプレイ。忍耐のプロを自負する私だったが、我慢の限界をとうに超えてしまっていた。


「ぬがぁぁああああああッ!! この程度の試練に屈すると思うてか! どこのどいつだ! この腐れ拷問を企画した不届き者は!」


 五年もの間、あらゆる方法で女性陣にアプローチを仕掛けた。

 結果、どれも惨敗。


 世の不条理を知り、私は達観した。人知を超えた大いなる力が作用している、と。


 占い師にも見てもらった。どうやら怨念にも近い生霊に取り憑かれているという。それもアンデッドの王リッチにも匹敵する程の、物凄いパワーを感じたそうだ。

 お祓いを頼んだが却下された。不可能とも言われた。逆に呪いを受けてしまうので勘弁して欲しい、とまで言われた。



 もう限界だった。私のリビドーは一人では満足できず、狂いそうになっていた。

 もはや巨大勢力が関わっているのは間違いなかった。巧みに一つの方向へと誘導されている気が、ヒシヒシと伝わってきていたのだ。


 敵が何をしたいのかが分からない。模範解答を教えて欲しい。それとも私を苦しめるのが目的か。よもや焦らしプレイの達人がご降臨されたのではなかろうな。

 色々考えた。


 とにかく味方が居なすぎたのだ。誰も協力してくれない。敵勢力の正体が全く掴めなかった。


「恐るべし、()らしの悪魔! 我をここまで追い詰めるとは、アッパレとしか言い様がない! 見事だ! でももう良いのではないかな?」


 誰もいない虚空に語りかけてみた。

 一時期ハマっていた演劇を真似て、身振り手振りの独り舞台。腕を組んでの締めのポーズは忘れない。


「…………」


 当然、何も返ってはこなかった。一人立ち尽くし、恥辱に悶えた。

 涙を流してはいけない。男は時につらい戦いに身を投じるものだ。

 そう思い込むのが、崩壊しそうになる心を護る、唯一の支えになっていた。




「鬼だ。私は鬼になる! 未だ見ぬ焦らしの王よ! その宣戦布告、しかと受け取った!」


 戦いには情報が付き物だ。そこで現状を冷静に分析してみた。

 皆に問い詰めても知らぬ存ぜぬの一点張り。埒があかない。しかし彼女ら全員には、共通して恐怖の感情が浮かんでいた。

 ある結論に辿り着く。


「脅迫、か」


 私に何の恨みがあるかは未だ不明だったが、他にないのだ。しかし私を狙う理由だけがどうしても分からなかった。

 私は影。痕跡を遺すようなヘマは一切してない筈。ならば一体……。そこで気付いた。

 これは平凡を極めた私への嫉妬かもしれない。家庭を持てば誰も到達できない高みへと上り詰めてしまう。それを阻止したいのではなかろうか。

 誰だか知らんが挑戦状なら受けて立つのみ!


「私は負けない!」


 架空の強敵に不屈の誓いを宣言してみた。それを機に、最近独り言が多くなったな、と自重を考えるようにもなった。

 そういえば、似たような場面にどこかで遭遇した気が……。そこでハッとした。



◆◇◆◇◆◇


 それはある日、街に出掛けたときのこと。私が二十七歳の時だった。

 私も二十四時間ずっと影のままでいるわけではない。時には一般人としての情報収集も兼ねて、堂々と街中を歩いていたりもする。

 ちなみに表向きは城勤めの文官ということになっていた。


「あら、ウィルじゃないかい」

「よっ、ララちゃんは今日も別嬪さんだねぇ」

「ふふ、ありがと」

「今日もできるだけ新鮮な野菜を頼むよ。まあ、売れ残りでもララちゃんのためなら我慢できるけどね」


 声を掛けてきたのは、行きつけの食材屋の看板娘ララちゃん。密かに狙っていたりもした。

 いきなりナンパしても成功はしないだろう。まずは常連としての印象付けが第一歩だ。

 血の滲むような地道な努力。ここ数年の経験で、短期決戦は不利と判断していた。歯がゆいが長期戦を仕掛けるしかなかった。


 私はこれと同じように至る所で餌を撒いていた。


 芽が出るかはこの際どうでもいい。数打ちゃ当たる方式だ。一つくらいはヒットするだろう。

 全ては何者かが敷いた布陣に穴を開けるための戦略だ。完全なモノなどありはしない。必ずどこかに綻びが在る筈。そこを狙い撃ちすればいい。

 くふふ、私は天才だな。


 ――この時はそう考えていた。まさか五年も敬遠されるなんて、夢にも思わずに……。


「相変わらず口達者だね。それで何で独り身なんだか」

「……何か嫌われてるんだよね。不思議と」

「ふ~ん、まあ、あの姫さんじゃあね……」

「ん? なんか言ったか?」

「いえいえ、ご愁傷様ってね。それより毎日手料理とはアンタもマメだようねぇ。そんなに稼ぎが少ないのかい?」

「……? いや、趣味なんだ」

「へぇ、アンタ、どこにでもいるような平凡な顔立ちして、案外良い男なのかもね」


 彼女の口から出た一言。リーチ! 獲物を捕捉した。口説くには最高な好印象。

 あと一歩。あと一押しだ。だがここで焦ってはイケナイ。機を待っていた。


「ふふ、そうですか?」

「どうだい、今度ウチにぃぃいいい――……」

「ウチに? 気にしないから、その先を言ってごらん」

「いや、ハハハ……何でもないさ。気にしないで! ハイ、毎度アリガトーゴザイマシタ!」


 私の大人の余裕にララが食いつき、逆ナンされそうなおいしい展開で、突如彼女が態度を変えた。

 またしても例の呪いが発動、ダメだった。泣きそうになったが必死に堪えた。


「おい、急にどうしたんだ? どこ見て……殿下!?」


 今日こそは、と問い正しにララに詰め寄るも、彼女の視線の先には何とリーナ殿下がいらっしゃった。


 ――何故こんな街中に?


 不思議に思ったが、情けない姿を見せる訳にもいかず、冷静を装い殿下と向き合うことにした。


「フフフ、ウィル様。お久しぶりです」

「ええ、殿下こそお変わりなく」

「もう! リーナって呼んでって何回言わせるの!」

「ははははは、流石に呼び捨てはマズイですよ。それより、益々その美しさに磨きがかかって、何よりでございます」


 殿下は普段と変わりなく穏やかな面持ちだった。怒った顔にも子供っぽく愛嬌が浮かび、本気ではないことが見て取れた。振る舞いの一つ一つを観察していても、王族らしい品格には隙がなかった。

 彼女ほど淑女らしい女性もいないだろう。成長したものだ、と出会ってからの年月を、どこか遠く見ていたものだ。


「まあ! ホントですか!」

「ええ、男連中が放っとかないでしょう」

「ふふ、お上手ね」


 微笑む殿下は折れそうで折れない一輪の花。王妃様譲りの儚くも強いオーラが高貴な"華"を演出していた。

 裏表のない純粋無垢な笑顔が輝かしい。彼女が心の底から喜んでいるのが微笑ましかった。


「あ~あ、火に油を注いで……無知ってのは恐ろしいね」

「ナニか?」

「いえいえ! とんでもありませんです、ハイ。仲睦まじいのは良きことかなってね」

「フフフ、あなた見る目があるわね。そうなの。皆、そう言うのよ」

「みんな、ね……ハハ……」

「そうよ。あなたも気を付けてね。口は災いの元って言うしね。人間いつ死ぬか分からないものよ」

「…………ハ、ぃ」


 意味不明なララちゃんの発言に、殿下がしっかりと対応していた。言ってる内容は分からなかったが、仲良さそうな雰囲気から、女性同士共感するものがあったのだろう。

 しかし王族を前にした恐れ多さからか、ララちゃんは口をパクパクしていた。呼吸困難に陥りそうな程に、息をしていない。

 緊張しすぎだ、と思いながらも、私は民と王族の敷居の違いを、改めて認識していた。


「それよりどうしてこちらへ?」

「わたくしは偶に城下を視察するのです。ここは賑やかで楽しいですわ」


 一文官の身分の私へと気さくに話し掛けてくださる謙虚さ。民の生活に触れてみようという意欲。

 神々しき殿下の姿に、私は国の安寧を確信していた。まあ、王位は彼女が継ぐ訳ではないのだが。

 この国は王の規律がしっかり行き届いている。王とは何か、貴族とはどうあるべきか。意識レベルが高いのだ。民を不当に扱う輩は少数派でしかない。

 偶に馬鹿な貴族が湧き出ても、そんなものは淘汰されていく。


 ――良い国だ。


 私は心の底から感動していた。


「はは、まったくです。では、私はこれで――殿下?」


 不思議と心の憂さも晴れ、満足して帰ろうとしていた私の腕が、殿下の両腕に掴まれていた。


「せっかくですので、ご一緒に見て回りませんか? 二人の方が楽しめますわ」

「……ですが、これからやることが」

「ダメですの?」


 断ろうとした矢先に、上目遣いアンド涙目のコンボ――結果、ノックアウト。

 私は屈した。


「そ、そうですね。ぜ、是非、行きましょう!」

「じゃあ、ギュッてしてください」

「はっ?」


 先程から私の意向が捻じ曲げられている気がするのは、被害妄想だろうか。

 会話が成立していなかった。


「えっ、……と、あの、ギュッ?」

「こうですわ」

「殿下!?」


 戸惑っていた私の腕に、殿下が大胆にも抱きついてきた。剥がそうとするも、強靭なパワーがそれを否定する。殿下の細腕のどこからこんな力が湧き出てくるのだ。とんでもないパワーが私をその場に留まらせていた。

 力比べになるかと思われたその時――


 私は気付いてしまった。


 予想以上に成長した胸の弾力、柔らかな女の感触、匂い。

 魂の奥底に封印していた性獣王が牙を剥く。


 ――レッツ、ゴー(ヤッちまいな)、と。


 これはイケナイ! 飛びそうになる理性を鋼の精神で強引に抑え付けるも、溜まりに溜まった私のリビドーは主の意志を跳ね除けて、爆発しそうに脈動を始めた。

 口唇を貪りたい。思いっきり抱きしめたい。

 次々と湧き上がる欲望の宴――開放したら私の人生が終わってしまう。お尋ね者は嫌だ!

 ……色即是空、空即是色。


「クッ、私は負けない!」


 私は慌てて殿下を引き剥がした。残念そうな彼女の顔は気のせいだったのだろう。


「いけません殿下。このようなことは慎まれますように。大切な御身、誤解されますよ」

「それが狙いですわ(ボソッ)」

「すいません、今の聞き取れなかったのですが」

「ふふっ、昔はこうしてくださったでしょう? そうおっしゃったのです」

「昔……そうですね、懐かしい」


 殿下と初めて向き合ったのは、あの誘拐事件の時だった。

 それ以来、殿下とは頻繁に会話をしていた。毎日どこかで会うとは――不思議な縁を感じていた。


「それでは参りましょう」


 そう、この時点では殿下に隠された真実に、私は気付くことができなかった。


 ――天真爛漫な顔に潜む、悪鬼の如き執念を。彼女の異様なまでの執着心を。


 全ての受け答えが綱渡りだったことを、私は後に戦々恐々と聞く羽目になる。


 私は知らなすぎた。

 外堀が埋め尽くされつつあることを、誰よりも知らなければいけない私自身が気付かなければいけなかったのだ。

 最も、その情報操作も裏で殿下が手を回していたので、どちらにせよ無理な話だったのだが……。


 私は既に檻の中にいた。



◆◇◆◇◆◇


 これまたある日の出来事。今より一年前――私が二十八歳の時だ。


「おい、お前! リーナに付き纏うのはもうヤメろ!」


 獅子を思わせる金の立髪。無駄に豪華な金の鎧に赤のマント。マント以外は金づくしの派手な格好だ。

 女性が見たら全員がイケメンと呼ぶに相応しい煌びやかな少年が、私に怒鳴ってきていた。見覚えのない少年だった。


「えっと……どちら様で?」

「俺か? 俺様は稀代の勇者ポンタ様よ。見ろ、この勇者の証を!」


 そう言って掲げたのは、黄金色に輝く一枚のプレート。噂に聞く『導きの光』だろう。見事な美しさ、それに力強さを感じた。

 これまた"金"だった。好きな色なのだろうか。


 ――目立ちたがり。少年の印象はその一言に尽きた。


 ポンタ様と言えば、世界でも数少ない勇者の一人として名を馳せた方だ。隣のアッカンダ国の次期国王候補としても有名な方である。

 言い寄る女性も選り取りみどりで、ハーレムも夢ではない。まさに男の夢を実現させたような、偉大なるお方だ。

 その伝説に名を残す方が、リーナ殿下をご指名。国同士の関係もより強固になり、似合いのカップルになること間違いなし。素晴らしいことではないか。


 しかしどうして私に詰め寄るのだ?


「はぁ、そんな方が私に何の用で?」

「あぁん? とぼけてんじゃねぇよ。ネタは上がってんだ! 噂じゃお前、リーナにしつこく言い寄ってるらしいじゃねぇか」


 ポンタ様がおっしゃっていたのは、私が殿下を口説いているという疑惑。


 学園を通してリーナ殿下も勇者パーティーに参加、ご活躍されたとは聞いていた。彼らが倒したのはあの悪名高き『魔竜ゲイモン』だ。並大抵の力では成し遂げられないだろう。

 討伐した勇者一行は、一部の地域では神の如く崇められているとも聞く。


 私とでは雲泥の差だ。ぶっちゃけ、護衛いらないよね。


 彼らに付いた渾名は『金色の勇者ポンタ』と『必勝の戦姫リーナ』。勇者パーティーでも特にこの二人は有名だ。逆らってはいけない第一級警戒人物として各国に名が行き届いていた。

 大した方々だ。


 気になったのは、密やかに「リーナ様お一人で十分じゃないのか? 勇者は実は何もしていない」などとという根拠のない噂。

 至る所で囁かれてはいたが、信憑性はないので只の噂だろう。心の狭い人間の流したたわいない作り話だ。ポンタ様も良い迷惑だろう。


 だがそれはまた別の話。私とは無関係の筈だ。縁もゆかりも有りはしない。


「どなたかとお間違えでは?」

「お前だ、間違いない! ウィルってんだろ? お前がリーナにウザく言い寄ってるのは分かってんだ!」

「私が、でございますか?」

「そう言ってんだよ! 両国がそれで迷惑してんだ。消えてくんねぇかな」


 そこで合点がいった。

 確かにリーナ殿下とは親しくさせて頂いていた。それを恋人か何かと勘違いなさったのだ。ならば一刻も早く誤解を解いて差し上げないと。

 ある種の使命感に促され、私は慎重に口を開いた。


「なるほど。皆様、何か勘違いなさっているのではないかと」

「往生際が悪ぃな、テメェ。一度締めねぇといけねぇか、あぁん?」

「ですから、何か誤解を――」

「うっせんだよ! 俺に殴られろ! だいたいテメェ、頭が高ぇんだ。ほら、膝まづ――ヒィィィィィ」

「ポンタ様?」


 誤解が暴走を生み、ポンタ様を止められなくなったその時――リーナ殿下にお会いした。


「殿下、また視察ですか。感心到しますが――」

「何か手違いがあったようですわ」

「はぁ」


 彼女との会話は時々噛み合わなくなる。その日もそうだった。

 殿下は私にニコリと微笑み、次いでポンタ様へと振り返った。私とポンタ様の間に殿下が挟まれる図だ。


「リ、リーナ、落ち着け! 俺に何かあれば、この勇者の証が君を傷つけてしまう。それだけはあってはならなくてだな――」

「えいっ」


 ポンタ様が掲げた黄金の証。それをリーナ殿下は奪い取ると、手に握ってポッキリと折ってしまわれた。


「ああああああああああああああああ!!」


 その光景を見ていた野次馬達も唖然としていた。

 それもその筈、伝説の宝が破壊されたのだ。しかもリーナ殿下の手によって。


 ヤバい、これは大事件だ。


 私は悪夢を見た。


「何てことを! 勇者の証だぞ!」


 その通りだった。何を考えているのだ、この方は。

 下手をすれば国家間の大問題にまで発達してしまう。戦争勃発の危機だ。

 私は頭を悩ませた。


 取り敢えず、被害を少しでも減らさないと。

 私に向けられている視線がないのを確認して、さりげなく姿を消した。そして無残にも地面に捨てられた勇者の証の成れの果てを拾い上げた。

 直せるかな?


 ポキッ


 …………あれっ?

 こっそり直そうとくっつける努力をするも、黄金板は更に半分に欠けてしまった。勇者の証という割には脆すぎるぞ。

 マズイ、墓穴を掘りつつある……。もっとこう……。


 ピキッ


 よし、これは無理だ。そっと元の場所に戻しておこう。何もなかった。

 こんな物一つで戦争など起きない。そうに違いない。私は無関係だ。


 三つに欠け、更に四つに増殖しようとしていた黄金板を前に、私は現実逃避するしかなかった。


「こんなもの持ってるから勘違いするのよ。それにこれはレプリカ。本物は既に神殿に返したわよ」

「は、ぁ?」

「勇者の旅は終わったんですもの。当然じゃない。あなた喚きそうだったから、記念に、とこっそり擦り替えておいたんだけど……期待を裏切らないわね、悪い意味で」

「な、な、な……」


 レプリカ。


 殿下の爆弾発言を聞いて、皆の顔に安堵の色が浮かんだ。

 それもそうだ。あんな簡単に戦争など起こっては堪らない。私も寿命が縮まったものだ。


 一瞬、リーナ殿下をキチガイと認定してしまいそうになっていた。彼女をそんな目で見てしまうとは、修行不足だな。

 己を律しつつ、戦争が回避されたことに心から安堵した。


「ハァ~、過去に固執してるの、あなたぐらいよ。他の皆は多方面で活躍してるみたいだしね」

「しかしだな、勇者というものは――」

「そ・れ・よ・り、わたくし言いましたわよね、邪魔したら"潰す"って。せっかくあなたを勇者にして()()()()()のに、身の程知らずが出しゃばって。人選間違えたかしら」

「あ、いや、それは……」


 こんな方だったか? 殿下はいつもお会いする時よりも険が強かった。


 そうか! 勇者の威光を安易にかざす元仲間に、失望の念が絶えないのだ。

 まあ、ポンタ様もまだお若い。暴走することもあるだろう。思春期独自の微笑ましいやり取りじゃないか。

 しかし、民衆が見ていることだし、そろそろお止めした方がいいだろう。

 リーナ殿下とポンタ様。不穏な空気の二人に、私は割って入った。


「あの、リーナ殿下? そこら辺で……」

「あら、失礼しましたわ。ウィル様の前で、うふふ、わたくしったらはしたない」


 私の忠言に、彼女は恥ずかしそうに顔を俯けた。

 そうだ、こういう方なのだ。彼女は正に淑女の見本。立派に成長されたものだ。

 ならば、私の役目はこの場を締めること。

 恐らくお互い憎からずの関係なのだろう。そこを突いてやれば場が盛り上がる。更には婚約発表ももうすぐだろうから、その事実に拍車を掛けることにも繋がる。

 素晴らしいアイデアじゃないか!


 仲裁の才能を開花した私は、野次馬の民らに聴かせるように、殿下へ声高に語りかけた。


「ふふふ、殿下も取り乱されることがあるのですね。余程その方が大事と見える。もしかしてお付き合いでもされていらっしゃるのですかな?」


 ――その瞬間、空気が変わった。


「あ、あれっ?」


 地獄の閻魔様が居座ったような、そんな絶対零度の気配。周囲の民衆も、顔を青褪めさせていた。中には気絶している者まで出始めた。


 何だ、何だ、どんな怪物が襲来した!

 発信源は……殿下?

 でも、にこやかに笑っていらっしゃる。

 ではこの悪寒はいったい?


 世の中には不可思議が満ちている。それを体感したひと時だった。


「ふふふ、ご冗談を。こんな"屑"となんてありえませんわ」

「ぇ、くず? 何を言う、リーナ! 我々は死線を共にくぐり抜けた仲であり――」

「あっそれと、この方にはわたくしから説明しておきますわ。ええ、心底丁寧に。今後ウィル様に粗相のないよう、しっかり躾けときますのでご安心を」

「あ゛、あ゛、あ゛、ごべん……ごべんだだだ……いやだぁああああああッ」


 既に民衆は退避していた。気絶した者まで運び出される完璧さだ。

 その場に残っていたのは私と殿下、ポンタ様の三名のみ。


 ――何が起こった? 痴話喧嘩か?


 ポンタ様は震えていた。寒そうに、何かを探すかのように手を伸ばしていた。私の方へと向かって。

 賢い私は、その意味を直ぐに理解した。


 服が欲しいんだな。けれど、すみません。この服は私の一張羅なのですよ。私は首を横に振った。

 すると、ポンタ様の顔が絶望に満ちた。

 そこまでこの服が欲しかったのか。安物なのに。服屋で見繕った方が断然良いですよ~。

 私の念を受けたその方は、了解の意味を込めてこちらへ頷いた。ポンタ様ではなく、リーナ殿下の方だったが。


 終いにはポンタ様は、自分で自分を抱きしめ始めた。

 ふむ、そこまで切羽詰っていたのか。隣国とは気温差が激しいのかもしれない。訪れる時は薄着で行こう。


 そんなことを考えている内に、リーナ殿下は「また今度」と言い残し、ポンタ様を引き摺り去っていった。

 恐らくポンタ様のお気持ちを察して服屋に向かったのだろう。この時は、本気でそう思っていた。


 その後、隣国の王子が婚約したとの噂が立ったが、そのお相手はリーナ殿下ではなかった。

 不可解な部分は多々あるが……深くは考えまい。




 それから数日後。

 この頃からどこか拭えない違和感を感じ始めていた。

 護衛の任は交代制。一日中睡眠を取らずに生きていられる人間はいない。当然の仕組みだ。

 しかしその頃は私の担当が外されることが多く、特定の人物の護衛ばかりを任されていた。

 長としての威厳も何もあったものじゃない。だが陛下の決定ならば致し方ない。それはそうなんだが……腑に落ちなかった。


「あっ、レイモンド殿下、聞きたいことがあるのですが」

「ああ、ウィルか。いつも大変だな」


 私は国の事情通――第一王子のレイモンド殿下に聞くことにした。

 この時、レイモンド殿下は二十歳。次期王としての意識に奮い立ち、政治に目を向け出した頃だ。

 護衛の件で私のことも良く知っており、親しくさせて頂いていた。もちろん、一目のつかない所でだが。


「そうですね。ですがこの仕事はそういうものですので」

「いやそういうことじゃ……まあ良い」

「……? えっと、それでですね。最近、仕事が固定している様ですが、何故なんでしょう? リーナ殿下に危険が迫っているとか?」

「え、ああ、その件か。……まあ、気にするな」


 レイモンド殿下は言葉を濁してばかりだった。彼はこうと決めたら引かない方だ。問い詰めても無駄だろう。

 気持ちの悪いしこりを胸に残したまま、私は本題へと入った。


「いえ、理由が知りたくてですね。何かやらかしてしまったのかと思いまして」

「そんなことはない。皆、お前のことは優秀だと尊敬している。俺もそうだ」

「では何故?」

「……これだけは言っておく――諦めろ。あの子は思い込みが激しくてな。一度決めたら引かないぞ」

「あの子? リーナ殿下のことでしょうか?」

「明言するのは控えておく。俺も我が身が惜しいのでな」

「はぁ」

「しかしあの子もそろそろ十六歳――成人の年だな。ということは……」


 イマイチ要領を得ない会話に、私は無意識に首を傾げていた。この方は何を言いたいのだろうか。全くもって分からなかった。

 レイモンド殿下は自己完結して、最後に私の肩をポンと叩き、職務へと戻っていった。

 殿下が見せた気の毒そうな顔は、一生脳裏から消えることはないだろう。まるで哀れな子羊を見るが如きその顔の意味を、私は後で知ることとなる。



◆◇◆◇◆◇


 ――そして昨日。

 以上の出来事から推察できるのは只一人――犯人はリーナ殿下しかいない。

 まさかと思い、本人に聞く訳にもいかず、兄君たるレイモンド殿下に尋ねてみた。


「スマンな。私は……初恋を人質に取られて……クッ、不甲斐ない」

「はつこい、ひとじち? それはいったい……」

「はぁ~、あと一日で時効だろうから良いだろう。私はアレに言われたのだ――人の恋路を邪魔するのならば、自分の恋も終わらせる覚悟があるのか、と。アレはいつでも本気だ。そして必ず実行する。ミチェだけは……スマン」


 ミチェとは次期王妃様との声も高い、才色兼備の女性の名だったと記憶している。

 レイモンド殿下とは幼馴染で、相思相愛の仲だという。


 あの品行方正であり、国の鑑でもあるリーナ殿下が脅し?

 一見、ピンと来ない組み合わせだったが、心の奥底の何かが確信していた。


 ――事実だ、と。


 私の世界観が反転した瞬間だった。


「明日、アレは十六歳を迎える。そしたら――」

「そ、そしたら?」

「お前との愛を阻む理由は無くなる。獲物を仕留めに掛かるぞ」

「……冗談、ですよね?」

「冗談に聞こえるか?」

「デスヨネ」

「それと――この国の法律は知ってるな?」

「法律ですか? 少しくらいなら」

「そうか。なら、『少子化対策の一貫で、三十歳以上の未婚男性は余程の理由が無い限り、女性側からの求婚を拒否してはイケナイ』という法律が近年出来たのは知ってるな?」

「そういえば、そんな法律もありましたね。気にしておりませんでしたが」

「お前、もうすぐ三十だろう?」

「あっ」


 まだ先の話だが、次の誕生日は約五ヶ月後。

 結婚に向けての努力はしているつもりだった。


「ヤツは狙ってるぞ」

「まさか……」

「この法律が施行されたのは五年前。発案者は――リーナだ」

「何ですって!?」

「私もまさかと思ったさ。十歳の幼さでこの腹黒さ。我が妹ながら恐ろしいよ」


 五年前といえば、女性関係から遠ざかり始めた時期だ。偶然が一致する。

 歯車が噛み合った。


 全ては入念な計画の元、彼女の手の中で踊っていたのだ。何故、私に拘る? どこで間違ったのだ。

 理由は分からないが、今言えることは一つ。


 ――タイムリミットは半年を切った。


「ハ、ハハ……どうしよう……」


 ここで私は一つの教訓を得た。人は見掛けによらない、という先人の言葉だ。




 その日、陛下のご家族、王妃様や王子殿下が集まってのお茶会が開催された。


「お兄様!」

「おお、シルヴィ! それにリーナか」

「はい、お兄様、リーナでございます」


 この国――ドギメラス国の国王様と王妃様の間には、三人の子供がいる。

 第一王子レイモンド殿下、第一王女シルヴィア殿下、そして第二王女のリーナ殿下の三人だ。


 つまりはリーナ殿下は末娘。

 甘やかされて育ったと思いきや、学園では成績優秀。女ながらに戦闘実技もトップ入り、果ては勇者パーティーの一員という看板付きだ。

 更には王妃様譲りの美貌。モテない訳がない。


 しかし彼女に言い寄る男は(ことごと)く玉砕していた。

 それでもしつこい輩はいるのだが、彼らはいつの間にか姿を消す。その後、話題にすら上がらない。

 その裏で何があったかは、推して知るべし。


 ここに来て漸く、私は彼女の脅威を知るに至った。

 いつも無垢に思えたリーナ殿下の背景に、巨大な狼の幻影が見える。

 彼女は肉食動物だ。隙を見せたらヤられる。今もやはり凝視――じっくり観察されていた。


 いざ、勝負!


 ゆらりと右にシフトする。すると、リーナ殿下の視線も同時にシフトする。

 左に戻る。またしても彼女の視線がシフトする。


 試しに手を振ってみると、嬉しそうに振り返し、女性に悪戯しようと近づくと、殺気が漲る。

 うん、絶対見えてるね。


 じーっ


 また目が合った、気がした。

 そんなことある筈がない。私の隠形は完璧の筈。なのに、何故?


 じーっ


 やはりリーナ殿下には私が見えている。

 動けど動けど私を捉えるのだ。錯覚ではなく、本当に私だけを見つめていた。


 何故だ?


 クソッ、私のプライドはズタズタだ。修行が足りないだけなのだ。

 必ず貴方の前からも存在を消してみせる。

 いや、いっそ逃げようか……。


 私は決意した。


「陛下、私は旅に出ようと思っております」


 風がストレスで痛んだ肌を撫でていく。世知辛い世の中だ。

 我が意に反して、事態は取り返しのつかない方向に進んでいる。


 ダメだ。このままではダメになってしまう。


 そう思い、辞表を提出してみた。

 私は旅に出る。どうせ私は男爵家の三男坊。誰も咎めはしないだろう。

 いざ、新たな理想郷を求めて出立するのだ!


 だってもう限界なんだもん。早くこの溢れんばかりの性欲を発散させたい。

 他国ならデキル!



◆◇◆◇◆◇


 陛下への引退の打診は、すんなり通った。それも翌日に辞めてもらっても構わないということだった。

 私はこの国に必要なかったのだろうか。そう思うと少し寂しい。

 この際だ。陛下に聞いてみた。


 返ってきた答えは、前々から準備はしていた、という予想外のものだった。

 引き継ぎは直ぐに可能とのこと。私がリーナ殿下のみの警護に回されたのも、それが一番の理由らしい。

 何でも申し訳なく思っており、いつ言いにくるのか、ずっと待っていたそうな。


 ……早く言ってください。




 ――そして旅立ちの今。

 考えてみればわざわざ国外へ脱出しなくとも、端っこの町にでも潜めばやり過ごせる筈だ。

 焦ることはないのだ。私の心には、余裕が生まれていた。


「……そうか。そんな苦行を強いられてきたのか、お前は。一人の兄として、いや、一人の男として謝罪しよう」

「えっと、あの、殿下。一体全体何がどうなっていたのでしょうか?」

「ふむ、最初から説明した方が分かりやすいな」


 レイモンド殿下が顎に手を当てる。最適な説明を脳内で纏めているのだろう。

 彼は神妙に口を開いた。


「ウィル。お前、リーナが幼い頃、結婚の約束をしなかったか?」

「約束……? はて?」

「だろうな。だがお前はした。いや、してしまったんだ」

「して()()()()?」

「これは父上に聞いた話なんだが――」


 陛下には私の気持ちを伝えてあった。その結果、快く協力を申し出てくれていた。

 それで味方だと安心しきっていたのだが……。




「お父様、お話があるということでしたが」

「おお、リーナか。実はだな、良い縁談が来ているんだよ。私も会ったが、向こうの男性はそれはそれは良い男でな」



「――お父様」



 数々の戦場を体験したという現国王ドギメラス十三世。

 彼は幾度の戦場でも感じたことのない圧倒的恐怖を、その時体感したそうだ。


 リーナ殿下の華が咲いたかのような可憐な笑み。殆どの者は見惚れるだろう。

 しかし真逆の性質を持つ悪寒が辺りを漂う。


 顔は笑っているが目は笑っていなかった。


「ど、どうしたんだい、リーナ。そんな怖い顔、パパは悲しいな」

「お母様に言いますよ」

「ハハ……な、何をかな?」

「過去に浮気を四回なされてますよね。更にはお母様から貰った大切なペンダントも無くしてしまわれたとか。ああ、お母様と結婚したくて、当時のお母様の婚約者の方を、裏で蹴落としたという逸話もありましたわね」

「それをどこで!?」


 陛下は思ったそうだ。――どうして知っているんだ、と。

 関係者には固く口止めしていた筈。しかも国王命令だ。それが筒抜け。

 口を滑らした者への怒りよりも、強固な箝口令を打ち破った我が娘への脅威の方が勝ったという。


「全部知っていますわ」


 穏やかな笑顔で平然と述べるリーナ殿下。

 淀みない口調。さも当たり前と言わんばかりの態度。まるで慣れ親しんだ日常の一コマのよう。

 誰が相手でも同じ結果だったと思い知らされる。

 陛下はそこに、得体の知れない恐怖を感じたという。


「宰相様にお聞きしましたわ。あっ、わたくしが無理に聞き出したのですから、彼に非はありませんわ。カマをかけたらコロリでしたもの。ウフフ」


 犯人は宰相。だが責められない。自分でも同じ結末だったのだろうから。


「ではお父様、"余計な"ことは遠慮してくれやがるなクソオヤジ、なんて言ってみたりなんてして、うふふ。お身体にお気を付けくださいませ」


 陛下は項垂れたそうだ。


「し、しかしお前、彼に何も言ってないそうじゃないか。アレは子供の頃のたわいない約束だとしか思い込んでおらんぞ」

「ふふ、過程は大事ではありませんわ。大切なのは事実」

「どういうことだ?」

「わたくしから言い寄れば、彼が逃げ出す隙ができてしまいます。――ですが、あの方からアプローチを仕掛けた場合、もはや言い逃れはできませんわ。フフッ」

「…………」

「既に逃げ道は塞いでおります。後は餌が食いつくのを待つだけ。それに、その必要ももう少しで無くなるのですし、ね。うふふ、楽しみですわ」


 勇者補佐にして稀代の策士との呼び声も高い、リーナ殿下。

 その緻密にして完璧な包囲網には、誰も太刀打ちできない。

 ついには陛下も折れたそうだ。


「はぁ~、お前の考えは良く分かった。もう抵抗はせん。しかし珍しいな」

「何がですの?」

「お前なら強引に襲われたとか言って、既成事実を創り上げそうなものだがな」

「ふふ、お父様ったら甘いですわ。肝心のウィル様に嫌われては元も子もありませんもの。嘘はいけませんわ」

「いや、こんな工作がバレたらそれはそれで嫌われると思うぞ」

「そんなことありませんわ。ウィル様は正々堂々なお方。真摯に当たれば相応に答えてくれますもの。ですからわたくしも誠実にありたいのです」


 胸に手を当てうっとり夢見る乙女のような娘の表情に、陛下はついツッコミを入れたそうな。


「それを正々堂々とは言わないんじゃ……」

「何かおっしゃりましたか、お父様」

「イヤ、その……アレだ、ウン。私も見守っているぞ、我が娘よ」

「流石、お父様ですわ!」

「ハッハッハッハ」「うふふふふふふ」


 万事解決? 以上が陛下とリーナ殿下のOHA・NA・SHIの顛末だそうだ。陛下は中立の立場を取った。


 それを聞いた時の私の顔色は、青を通り越して白になっていたという。手を出せば退路が絶たれ、一生彼女と離れることは叶わないということだ。

 それにもうすぐ強制命令が執行される。猶予はあと百二十四日――約五ヶ月。誕生日を迎えたら、あの悪魔のルールが発動してしまう。


 道は一つ。時間も少し。


「終わってしまうのか、我が平穏の日々が……そんなことがまかり通って良いのか」

「約束などするからだ」

「約束って……小さい頃の微笑ましいやり取りですよ。まさか、そんな……あっ、そっ、そうだ! 今からでも遅くない、取り消しができませんか?」

「迂闊だったな。約束は約束だ。同情はするが、同意はできん。国が滅びかねんからな」


 レイモンド殿下からは冷たい一言が下された。

 気が遠くなってゆく……。どこか遠い、天の音色。世界の終わり――終末の鐘の音が聞こえてくるようだった。


 レイモンド殿下の同情するような視線が印象的に映った。目が合うと逸らされたのも、彼の手には負えない事実を物語っていた。


「いや、国外なら何とかなる。あの法律はこの国だけの……」

「ああ、言い忘れてたが、我が国の少子化対策。他国も見習って採用するそうだ。誰が手を回したかは知らないがな」

「……オワタ」


 これが決定打。


 原因が分かれば対処のしようもある。……国外逃亡決定。

 嫁だ。誕生日までに嫁をゲットすれば、まだチャンスはある!


「それでは失礼致します。レイモンド殿下も壮健であらせられますよう、遠い地で祈っております」


 私は旅立った。




 ここからは後で聞いた話。

 リーナ殿下は私の旅立ちを知っていたそうです。情報源は陛下やレイモンド殿下。つまりは私以外の皆さんだ。

 既に味方はいなかったのだ。


「お兄様」

「リーナか。行くのか」

「はい。わたくしをお止めしないのですか?」

「ハハ、こう見えても妹には甘いんだ。どのみち俺には止められないだろう? まあ、少々可哀想だが、アイツの自業自得だ」


「うふふ、流石はお兄様ですわ。大好き!」


(さて、どうなることやら。残念だけど、あの子に見定められたのが運の尽きだ。ごめんよ、ウィル)


 レイモンド殿下は意外と楽しかったそうだ。

 裏切り者~。



◆◇◆◇◆◇


 北へ二つ程渡った場所にある国バイエルン。

 まずは職探しから始めないと、仕事をせねば生きてはいけない。

 足場を固めるべく、敷居が低いギルドへと登録にきた、のだが……。


「ここがギルドの受付か」


 ギルドには出向いたこともある。だが他国のギルドは初めてだ。感慨深いものがある。


「いらっしゃいませ」

「ああ、登録をした――ひぃぃいいいいいいっ!!」

「どう致しましたか?」


 信じられない光景を見た。トラウマが現実を侵食しているのだろうか。

 ――受付嬢がリーナ殿下に見える。


 彼女に瓜二つの女性が、こちらを覗き込んでいる。不思議そうに首を傾げていた。


 他人の空似? 世間には同じ顔の人間が三人はいる?

 違う、違うぞ。この悪寒は紛れもなく本人だ!


 どうしてここにいる!


 何故、こんな辺境の国にリーナ殿下がいるのだ!? 何なの、その無駄に高いストーカー能力は?

 というか、何故このタイミングでここにいる!

 怖い。この子怖いよ、ママン。


 私は走って逃げた。






 バイエルンから東へ、三つ隣の国ポロリン。

 どうにか逃げられた、か? ここまで来れば安全だろう。疲れたな。

 金はある。取り敢えず、一発いっとくか。

 この国の花街に向かう。


「ああ、アンタはダメだね。こっちも商売だからね。文句は国に言っておくれよ」


 バッサリと断られた。ここまで手が回っているとは……。

 苦情を呈しに、ダメ元で王様に謁見を申し入れた。すんなり通った。


「何も聞かないでくれ。我が国の命運が掛かっているんだ」


 罪悪感からか、一国の王がこの凡人に頭を下げた。

 何という残酷さ。非現実的な光景だ。彼(王)にも同情する。


 遅かったか。しかしもう犯人は分かっている。

 残念だがリーナ様、私は止められない。

 他国までをも捩じ伏せるとは流石は我が宿敵。


 ならば次の街だ。やりようは幾らでもある。

 フハハハハハハ、所詮はお嬢様。野生の本能を甘く見たな。



 ――ビラドンナ国サハラの街。

 駆け込む。

「申し訳ありません、お客様は入店禁止となっておりまして」



 ――ピンハネ王国首都サロン。

 開店早々、飛び込む。

「ゴメンネ。君はダメって言われてるんだ」



 ――イマラット教国聖都フェリカの裏街ラチオ

 入国一番、一直線。今出せる最高のフットワークだ。

「お帰り願います」



 ダメだった。敵を甘くみすぎていた。

 何だこれは! ここまで影響を及ぼすとは、敵は神か!?


「…………。もう夜だね。星空は見えないけど、あの先には何があるのかな」


 違う、そうじゃない! 危うく昇天しかけた。

 もう()()しかいないのか? その魔窟に足を踏み入れる(すべ)しか、残されていないのだろうか。

 なら、いっそ……。


「――ハッ!?」


 イカン。思考が麻痺していってる。

 落ち着け、このままじゃ敵の思う壺だ。これは試練なんだ。この荒波を乗り越えてこそ、究極の理想郷に辿り着けるのだ。


 そう、これは試練……。本当にそうか?



「無だ。今求められているのは無の心。明鏡止水の領域だ」



 これは一種の精神(マインド)コントロールだ。

 弱らせて、判断能力が落ちた隙に回収する腹だ。そこまで計算ずくなんだ。

 これが世を震撼させた『必勝の戦姫』の本気なのか。


 だが道は沢山ある。下調べは十分だ。確か非合法の穴場があった筈。


「確か、こっちにもう一軒……下調べに抜かりはないからな。おっ、あったあった。ここだ。すいませ~ん」


 扉を開けると、化粧の濃い色気たっぷりのお姉さんが出迎えた。やる気のなさそうな女性だ。


「あ~ん、客かい。……ふん、アンタ帰りな」

「ちょっと待ったぁーっ!」

「なんだい、帰りな」


 非合法――辞書を引いてみよう。

 国に認められていない。圧力皆無。重要なのは金であり、事情は二の次。

 つまりここは、規制なしの女人天国。おかしい、明らかにおかしいぞ。世界の法則が狂っている。


「どういうこと!? ここは非合法でしょ! 金ならあるぞ!」

「世の中には触れちゃいけない存在ってのがあるんだよ。人間は神には勝てない。それと同等さ」


 神。リーナ殿下のことだろう。ついに神まで辿り着いた。あの子、ホントに神になっちゃったの?

 あの頃(監禁救出時)の可愛らしい彼女はどこにいったんだ!

 くそぅ、まだだ。交渉すれば、粘れば奇跡が舞い降りる筈。世界は平等な筈なんだ!


「そんな殺生なこと言わないで、この通り、頼んますぅ!」

「そう言われてもねぇ。うちも商売だから筋を通さないとね」

「こんな放逐プレイのどこに筋があるってんだ!」

「しつこいねぇ。アンタ!」


「おうおう、兄ちゃん、無理言うんじぇねぇよ。」


 奥から強面の大男が登場した。

 普段なら引き下がる場面だが、私も後がない。強気に出た。


「アンタも男だろ! もう五年だ、五年以上も禁欲性活が続いてるんだ! 男ならこの苦しみが分かるだろ! こんなことが許されていい筈がないんだ!」

「ま、まあ、そうだが……」

「ちょっと、ちょっとでいいんだ! 後生だ! 先っぽだけ! 数センチ、いや数ミリでもいいんだ。それだけでイケル! 自信がある! なっ? 頼むよ、頼む~」

「おまえ、そこまで……」

「分かってくれたか!」

「ああ、理解はした。だがスマンな」



 パタン



「…………」



 楽園への扉は閉ざされた。


 ドンドンドン!


「おい、ゴラァ! 客商売舐めてんじゃねぇぞ! テメェらには慈悲ってもんがねぇのか!」


 私はキレた。人生初ギレだ。

 なりふり構わず、店の扉を乱暴に叩く。


 想いが通じたのか、再び楽園への入口が開かれた。


「おい、兄ちゃん。調子に乗んなよ。こちとら裏社会の人間だ。力ずくで排除してもいいんだぜ」

「ハ、ハハ……言い過ぎましたよね。へへへ、ほら旦那、金なら積みますぜ。げへへ、バレなきゃい~んですよ、バレなきゃ。持ちつ持たれつ、仲良く行きましょうよ」


 とにかく揉み手で愛想を振りまく。最後はこれしかない。更に決め手とばかりに大金をチラつかせる。

 現物が効いたのか、旦那は考え始めた。これはイケル!


 彼は逡巡の後、

 スッと私の後ろを指差した。


「お前の相手ならソコにいるじゃないか」

「何だって!? そんな奇特娘がどこ、に……。…………」


 後方に向けた顔を正面に戻す。……いたね、元凶が。

 気にせいだ。そう思いたい。だが現実逃避は何も生まない。


 ヤツだ。ヤツがいた。

 敬意? そんなものはとうに消え失せた。もう"ヤツ"で十分だ。


 そっくりさん? 違う、アレもオリジナルだ。我が高感度悪寒レーダーが限界まで振り切っている。

 何で至る所で出現する? 量産でもされているのか? というか、人間なのか?


「フフフ、もう諦めませんか。目の前に最高のご馳走があるではありませんか。好きにして良いのですよ。メチャクチャにしても構わないのです。その欲望を思うがままに吐き出してみませんか」


 後ろから聞こえてくる声。リーナ殿下だ。ここまで追ってくるとはもはや天災レベル。

 艶やかで男の本能を刺激する声色。淑やかで濃厚な"女"の匂い。大抵の男ならコロッといくだろう。事実、俺の槍も天を突き刺さんばかりの勢いだ。

 だが私には悪魔の舌舐めずりにしか思えない。

 目的は分かっている。餓死しそうな状況下、例え一切れだけのパンだけでも、転がっていれば最高のご馳走だ。誰でも即座に飛びつくだろう。それが狙い。


 しかし屈する私ではない!


「クソッ、来たか。だが私は決して負けない! 貴方に勝つ!」


 ここまで来たら欲望云々ではない。己が信念を貫く。男の戦いだ。






 走り、着く。居る。逃げる。

 次の街、着く。また居る。逃げる。


 この繰り返しだ。

 何なんだ、この無限ループの檻は!

 負けない。理不尽な現実なんぞに、私は負けないぞ!


「アイ、キャン、フラァイィィ!!」


 西へ東へ、北へ南へ。山を海を空を。進み、戻り、また進む。

 居る、居る、居る。


 何故だぁぁあああああああ!

 選択肢は無数にあるのだぞ! 情報の隠蔽も完璧な筈だ!

 何で貴方がいるのだ!


 何故だ、何故だ、何故だ!

 これはもうプライドの問題だ。何としてでも勝たねばならない。

 男の矜持に誓って、影の誇りに賭けて、


「うぉおおおおおおおおおおッ――チェストぉおおおおおお!」


 ――絶対に逃げ(おお)せてみせる!






 …………

 ……



「はあっ、はあっ、はあっ……」



 ……。



 総合戦闘時間、百二十四日と九時間四十五分三十一秒。



 ――完敗。



 ハッピーバースデー三十歳。



「何故だ何故だ何故だ(ブツブツブツ)」



 走り、万里を駆け、辿り着いたのは彼女の眼前。

 もう逃げる気力もない。


「さあ、帰りましょうか」


 ニッコリと、無邪気な顔で彼女は笑う。


「…………ハイ」


 私は彼女から、一生逃げられない。


ということで、本当にとんでもないのはリーナ様の方でした。

その後、めでたく(?)二人は結ばれました。



主人公:ウィル・クォーレ・スメラク


 スメラク男爵家の三男坊。二十九歳。

 平穏を望む無血主義者。でも暗殺経験有り。流されやすい性格。天然気味。弱ヘタレ。弱ナルシスト。


 生まれ持った才能故に、五歳で既に暗部に所属することが決まっていた。

 十歳で初任務に就き、十五歳の若さで影の長に抜擢された。以来、十年以上も長を務めていたので、人望は厚い。

 暗殺術に関しては歴代最強の腕の持ち主。


 天敵はリーナ。不憫な愛され系男子。

 実は彼女に惹かれていたりもするのだが、常に発疹する悪寒のせいで、苦手意識へとすり替わっている。

 早く引退して、一文官としての平和な人生を送りたいと思っていた。

 最近は現実逃避や心の安寧のため、人格が分裂気味、情緒不安定であった。


 能力名:不完全な(アンマッチ・)住人(ウォーカー)

  姿、音、気配、あらゆる情報を外界からシャットアウトする特殊能力。

  存在感をゼロにすることができる。ただし、リーナには効かない。



ヒロイン:リーナ・ファン・ドギメラス


 ドギメラス王家の第二王女。十六歳。

 近隣諸国にも噂される程の絶世の美少女。


 勇者パーティーの影の支配者として、世界中から恐れられている。

 勝つためならば手段を選ばず、必ず勝利をもぎ取ることから、『必勝の戦姫』と呼ばれ畏怖されている。


 幼い頃の約束を胸に、頑張り過ぎちゃった超人娘。魔法剣士にして策略家。その一撃は竜をも薙ぎ倒す。

 ウィルが大好き。彼以外とは考えられない。彼と結ばれるためならば何でもする。王すら脅す。

 普段は温厚、狂気と笑顔の最凶ヤンデレ娘。


 能力名:愛の追跡者(ラブ・チェイサー)

  古代名称『尾行の(ストーカー・)女王(クイーン)』。

  生涯ただ一人を限定に、世界中のどこにいようとも必ず探し出せる奇跡の犯罪者。

  世界で最も愛の深い女性に送られる、神の祝福。


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