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棚機の夜  作者: 長崎秋緒
3/10

 幾日か経ったある日、亮平はこんな夢を見た。

 

 ――知能テストが済み、数日が経ったある日、津原啓太と吉原亮平だけが担任に呼び出されたことは他の生徒は知らず、二人だけに与えられた生涯かけての試練となった、その言葉の真意を担任が告げることはついになかった。

 ――お前たちはもっと努力をしなければ――

 それはどちらにもとれる言葉だった。テストの結果、高い知能に比べ学力のついてこない二人への担任からのささやかな激励と取ることも出来たし、知能の低い二人へのせめてもの慰めとも解釈の出来る、幼い二人にはどうやっても理解しがたい、極めて曖昧な言葉だった。

 活発で、成績の常に良かった啓太はそれを自分への自信の裏づけとした。彼はうぬぼれに負けない誠実さも備えた、さながら神童のような子であった。

 両親は離婚し、母方の実家で暮らしてはいたけど、愛情の深い祖父と祖母に支えられ、気も体も弱い母親の下でも、確かな成長の過程を経て大人になった。

 亮平の実家も啓太の実家には劣ってはいたが、その地域では並以上の暮らしで、父親の稼ぎは決して悪くはなかった。秀平の父親は割合教養のある人物ではあったものの、行動力に乏しく、勝気な母親に家庭内での発言権を奪われ、その影に隠れるような印象が強かった。

 亮平の母親は学の無い女であった。それゆえにコンプレックスは人一倍で、亮平を自身の慰めの対象とした教育を施してきた。

 母親は無教養さに加え、外界の影響を受けやすい体質で、ある児童書を読み、それが息子のためになると思えば、本の内容をよく咀嚼(そしゃく)もしないうちから、一読しただけで、その内容を現実に応用できるものだと早合点する、自己の力量を誤認し易い、至って凡庸な人間であった為に、亮平は一貫性のない、その場限りの不安定な教育を受けながら大人になった。

 亮平は担任の言葉を自分への劣等感の烙印と解釈した。成績は啓太に次いで良かったものの、まだ余力を残して学習する啓太と比べ、彼はその後ろを必死で追いかけるような息苦しさが常にあった。

 二人は小学校、中学校、高校までも同じところで学び、その間二人の関係は親友とも呼べる近しい仲となっていったのは、優秀な知性と立ち振る舞いが見せる俊異の近寄りがたさは他の生徒からの拒絶を招き、結果自然と二人は集団から弾かれ、孤独の最中で知り合い、卒業後二人は大学へと進み、そこで初めて別々の道を行くことになった。

 啓太は子供の頃からすでに現実的な将来を見据え、医者になることを決めていたので、医学部への進学を目指し、競い合う人生に疲れ、将来に疑問を抱き始めた亮平は、それでも両親の手前なんとなく経済学部を選んだ。経済にそれほどの興味もなかったが、入りたい大学の一番偏差値の低い学部だった為、そこを選び受験した。

 高校時代、彼は一番になれる器ではなく、それでも時々上位に食い込む点数をたたきだし、教師と同級生を驚かせることがあった。それが災いし、周りから一目置かれる立場に納まり、彼のなんとなくの慢心がさらに増長され、それほど熱心に修学を重ねることもなく、運良く大学受験にも一回で合格した。

 啓太はどうしても高いレベルの学部で学びたい熱意から、二浪した後ようやく念願の大学への入学を果たした。大学で自分よりも年下と共に講義を受けることは、それまで順調に学歴を重ねてきた彼には受け入れがたい感情もあったものの、それよりこれでついに医者への道が開かれるのだ、という希望の方が強かった。

 四年経ち、先に卒業を迎えようとする時期に、亮平が不振な行動をとるようになった。まず、卒論の提出に向けての面談をすっぽかし、卒論のテーマが定まらないから留年したいと言い出し、就職活動もせずに全く関係のない講義を無断で受講したり、怪しげなセミナーに執心したかと思えば、海外でボランティア活動をしたいからお金がほしいと実家に一年ぶりの電話をして、両親を驚かせたりした。

 両親の連絡で、大学側からカウンセリングを受けてみるよう勧められ、一旦は受診の約束をし、当日すっぽかす。そのすぐ後にカウンセラーに電話を入れ、どうしてもそちらへは行かれなくなってしまったと丁寧に詫び、次回の約束の日をカウンセラーと相談した。

 幾度目かの診察時、一時間遅れてやってきた亮平は、部屋に一人でいると息苦しくて落ち着けなくなり、睡眠は浅く、この頃では二、三時間しか眠れず、日中突然意識が無くなることがあるので、外出するのが恐ろしいと訴えた。診察後、睡眠導入剤と不安をおさえる薬を貰い、一人暮らしの部屋へ帰ったのを最後に、そのまま外出することをしなくなった。部屋へ閉じ篭もり、薬がきれる頃またカンウンセラーに処方箋を書いてもらい、無くなるまで外出を控えることの繰り返しで、両親との話し合いの末、亮平は休学することで納得した。すでに卒業の意志は失せていたが、口やかましい両親に反論する気力も湧かず言いなりになっていただけで、療養の間実家へ戻ることにも反対する態度はみせなかった。

 実家へ帰るとすぐに昔の友達から電話が掛ってきたが、彼はそこでも周囲との関わりを断ち、扱いに困り果てた両親の目を盗み、二十数年の短い人生を終わらせる決意をした。

 その頃、かつての親友であった啓太は、大学を卒業しインターンを終えたばかりで、亮平とと同じような気力の枯渇が見え始め、そのままフェードアウトするように、実家へ一言の相談もなく全てを引き払い帰省してきたので、母親は驚きの大きさに声もなかった。

 生活の為アルバイトをして目的も無いまま、ただ母と祖父母に対する申し訳なさから実家での苦しい生活が始まり、一人の部屋で毎夜自己嫌悪に陥り、その中で彼はこれまで疑うこともしなかった自分の可能性について、生まれて初めて疑いを持つようになった。

 もしかするとあの教師の言葉は逆の意味だったのではなかったのか、あれは知能指数の低い自分への励ましであったのかもしれない、と啓太は過去を顧みる時間が多くなっていた。

そんな折に、亮平が自殺未遂をやらかしたことを実家の母との電話で知り、それを理由に一時実家へ戻ることを決意した――

 

 これが今朝、亮平の見た夢のあらましだった。それが自分の知らない細部まで、出来事の構成が整頓されていることに、彼は全身に冷や汗をかいたような心地がしていた。

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