十
町からすこしだけ人気を避けた製糸工場内にある休憩場において、啓太の叔母にあたる綾子という四十半ばの女性を、仕事終わりの従業員で込み合う休憩所の隅で見つけた際、彼女の、疲労感を全く隠そうともしない大きなあくびに、どういう訳か、亮平自身の気持ちの上にも、彼女が纏う種類と同等の疲労感を起こされたように思われた。
亮平の質問を、煙草をふかしながら、さも気だるそうに、一回ごとに全身を使い大きく吐き出される煙が、彼女と亮平の周辺を覆うほどになって、ようやく亮平がそれを不快に感じ始めた時、綾子が、
「ごめんね、わたしだけ。でも、気が滅入るのよ、その話は……、やっぱり止めないとダメかしら?」
そう言いはしたが、彼女の手にある煙草の火がすぐに消されたわけではなかったが、それを灰皿の底に充分擦り付け終えると眠たそうに口を開き話を始めた。あさぐろい顔色はたしかに病的なものだとは出会った最初に感じてはいたが、そう言われれば、よりはっきりと彼女の顔面にはしみが多すぎた。亮平は彼女の顔をできるだけ見ないで済むよう俯き加減に話を聞いた。
「そうねぇ、あの子との思い出って――あれくらいしか――夏休みにあの子達が二、三日泊まりに来るのが決まり事みたいになっていた時期があってね。その時は、うちの子と、啓太と麻己、もう一人親戚の子が来ることもあったけど、啓太と麻己はまるで気にもしていなかったわ。うちの子も、いつもあの二人には邪魔者扱いだったらしくて、それが原因で一度大きな癇癪を起こしたことがあったの。それがまた夜の静かな時間帯でしょう、ほんと泊めるんじゃなかったって。でもあんなことがあったから、次の年からは夏が嘘みたいに穏やかすぎて、ちょっと物足りない気もしていたかなぁ――、仕事帰りに、工場の外灯にカナブンでも見つけた時には、やっぱり思い出すのよねぇ、騒がしかった頃を……」
ふと疑問が起こり、さらに話を進めようとする綾子を制して、カナブンを見つけることと啓太とはどう関係しているのかと訊ねた。彼女は急に笑い出し、ああ、と工場の周りではよく外灯に誘われてきた虫達の一群に、カナブンやカブトムシなども混じっていて、もっとも子供達の目当てはカブトムシであり、綾子がそれよりもカナブンを先に出して話したのは、彼女にしてみればカブトムシでもカナブンでもどっちでもよく、結局は毛嫌いする虫に違いはないのだから、と彼女が話を続けてもいいかと訊くので、亮平はどうぞと促す。
「その、カブトムシをさ、うちの人と捕まえに行くんだけれど、この時は啓太も本当に喜んでいる様子で、お互いの肩とか背中に、捕まえたカブトムシをくっつけあい笑っている時の顔は、変な話、「やっと啓太の本性を見た」って気がする程に純な、可愛らしい顔をして笑うのよ。その傍で麻己も一緒になって、啓太の肩をたたきながら嬉しそうにしているの。うーん、確かに従兄妹には違いないけど、ちょっと度が過ぎる親しさもあったかも知れないわね。でも、麻己は活発だったから、啓太程の真剣さはなかったかも……。虫取りから戻り、ようやく寝る時間になっても、子供達のはしゃぎ様はわたし達夫婦にはうるさくって、それで怒鳴ってやったら、一時は声が止まりはするけど、また蒲団の中で小突き合いをして、クスクス言っているもんだから、今度は主人の野太い声が怒鳴ると、しんとなるの、簡単に。でも、どうして子供ってああもしつこいくらいにはしゃぐのかしら、少し経つとまた声が聞こえてくるから嫌になる――。でも今度は啓太と麻己の声だけで、うちの子は二人に黙るように言っているみたいなの。それでも二人が止めないもんだから、うちの子が怒り出して、終いには枕やタオルケットを投げ付けての暴れ様――。きっとやっかんだのね、二人に。後で聞いたら騒いでいたのは啓太で、麻己は布団の中で静かにするようにと、何度もいってたみたいよ。啓太って子は、普段おとなしいくせに、麻己といると途端に手の掛かる子供に変わるから、おどおどしいている普段のあの子を見ている分余計に、いたずらっ気のある時の無邪気な啓太に何故か腹が立って、必要以上にひどく叱ったこともあった。そういう時はあの子を憎い敵と思って叩きもしたわ。だって、うちの子を全くほっといて麻己とだけ楽しそうにしているのを親としては冷静には見られないじゃない。でも、啓太に比べて麻己はいい子よ。よく気が利くし、ご飯食べ終わった後に自分から台所へ、後片付けの手伝いに来てくれるんだから。啓太なんかは麻己がそうしなきゃ、一人のときはまるでお構いなし、食べたら急いでどこか消えてしまうだけよ」