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マルボロの煙が消えるまで

作者: 霜月希侑
掲載日:2026/08/29


20歳の夏、私は恋をした。

相手は、2つ年上の先輩だった。


最初は、ただインスタで見つけただけの人だった。

何気なく送ったDM。

何気なく返ってきた返信。

それだけだったはずなのに、いつの間にか私たちはLINEを交換していた。


『今なにしてる?』

『暇なら電話しよ』

そんなやり取りが、毎日のように続いた。

電話を切る時間が惜しくて、眠いのに無理やり起きていた夜もあった。


彼からのLINEは、いつも驚くほど早かった。

私が送れば、すぐに既読がついて、すぐに返信が来る。

そのたびに、スマホを握りしめながら笑っていた。


――もしかしたら、この人も私のことを。

そんな期待をするには、十分すぎる時間だった。


そして、初めて会った日。

緊張して、何を話したのかほとんど覚えていない。

ただ、帰り道にスマホを見ると、いつものように彼からLINEが来ていた。


でも、それまでだった。

会った後から、少しずつ返信が遅くなった。

数分だったものが、数十分になった。

数十分だったものが、数時間になった。

それでも私は、嫌われたくなかった。


だから待った。

返事が来るまで、何度もスマホの画面をつけては消した。

それでも一ヶ月以上、私たちは毎日連絡を取っていた。

だから、私は勘違いしていた。

「毎日連絡を取る」ということが、特別な関係の証だと思っていた。


彼が吸っていたマルボロ。

私はそれまでタバコなんて吸ったことなかった。


でも、彼と同じものが欲しくなった。

同じ銘柄を買った。

ジッポも買った。

火をつける仕草も、煙を吐くタイミングも、彼を真似した。

初めて吸ったとき、むせてしまった私を見て、彼は笑った。

「下手くそ」

「だって初めてだもん」

「そのうち慣れるよ」

その言葉が、なぜか嬉しかった。


タバコだけじゃない。

キスも。

異性との距離の縮め方も。

私は彼からたくさんの「初めて」を教えてもらった。


三回目に会った頃には、私はもう隠せなくなっていた。

好き。

好き。

好き。


会うたびに、それを態度に出した。

言葉にもした。

でも、彼は何も言わなかった。


私たちはいつの間にか、恋人ではないのに、恋人みたいなことをする関係になっていた。

一緒にカラオケへ行った。

プリクラも撮った。

くだらないことで笑った。

帰りたくないと言えば、少し困ったような顔をしながらも一緒にいてくれた。


優しかった。

いつだって優しかった。

だから、余計に分からなかった。


どうして私は彼女じゃないんだろう。

どうして「好き」と言ってくれないんだろう。


そしてある日、知ってしまった。

彼が、私以外の女の子とも遊んでいることを。

二人で出かけていた。

私の知らない場所で笑っていた。

私には見せてくれない顔を、誰かに見せていた。

その事実を知った夜、私はベッドの中でスマホを握りしめた。

泣きながら、彼とのLINEを何度も読み返した。

『かわいい』

その一言だけで嬉しかった。

『また会おう』

その一言だけで、私は期待した。


額にキスをされたこと。

優しく抱きしめられたこと。

一緒にプリクラを撮ったこと。

カラオケでくだらない歌を歌ったこと。

全部、本物だった。


少なくとも、私にとっては。

だから余計に苦しかった。


あれは、私だけが特別だと思っていた時間だったの?


ある夜、私は彼に聞いた。

「ねえ」

「ん?」

「私って、何?」

電話の向こうで、彼が黙った。

その沈黙が怖かった。

「……どういう意味?」

「私たちって、何なの?」

また沈黙。


私は、答えを聞く前から分かっていたのかもしれない。

「俺たち、付き合ってないじゃん」

胸の奥に、冷たいものが落ちた。

「……うん」

「だから……」

「分かってる」

分かっていた。

ずっと分かっていた。


彼が一度も「彼女」と呼んでくれなかったこと。

一度も「好き」と言ってくれなかったこと。

私だけが、二人の関係に名前をつけようとしていたこと。


それでも私は言った。

「他の子と遊んでもいい」

自分でも、馬鹿みたいだと思った。

「ラブホに行ってもいい。誰といてもいいから……」


声が震えた。

「私を彼女にしてよ」

電話の向こうは静かだった。

「私のこと、少しでも好きなら、それだけでいいから」

返事はなかった。

私は泣きながら笑った。

「私ね、ずっとあなたのこと考えてるよ」


朝起きたときも。

授業中も。

帰り道も。

眠る前も。

スマホが鳴るたびに、あなたかもしれないと思う。

街でマルボロの煙を見かけるだけで、あなたを思い出す。

ジッポを開く音を聞くだけで、あなたの顔が浮かぶ。

プリクラを見るたびに、隣にいるあなたを思い出す。

「だから……」

声がうまく出なかった。

「一回でいいから、あなたから『好き』って言ってほしい」


沈黙。

それが答えだった。


電話を切ったあと、私は一人でベランダに出た。

買ったばかりのマルボロを一本取り出す。

火をつける。

煙が夜空へ消えていく。


最初は彼の真似をして始めたタバコだった。

だから、これを吸うたびに彼を思い出すのだと思っていた。

でも、その夜初めて思った。


もう、やめよう。


彼を好きだった証拠まで、捨てる必要はない。

初めてのキスも。

初めて恋をしたことも。

彼と撮ったプリクラも。

電話をしながら眠った夜も。

マルボロの煙も。


全部、私の人生の一部だから。

ただ、それを「彼に愛されなかった証拠」にするのはやめようと思った。

私は最後の煙を吐き出した。

白い煙は、夜の向こうへゆっくり消えていった。


スマホを見る。

彼からの通知はない。

それでも、もう画面を何度も確認することはしなかった。

好きだった。

今でも好きだ。

きっと明日も、好きかもしれない。


それでもいつか、この「好き」が思い出になる日が来る。

そのとき私は、きっと笑って言える。

あの頃の私は、あなたからの「好き」が欲しかったんじゃない。

本当は、

「私も誰かに愛される価値がある」

そう思いたかっただけなんだ。


ジッポを閉じる。

カチン、と小さな音がした。

私は部屋に戻った。

もう一度だけスマホを見る。

やっぱり、彼からの連絡はない。

それでも今度は、泣かなかった。


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