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魔王リライト  作者: ゆずリンゴ


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8.少しずつ

 コゴメとまともに話せたのは、入学から十日ほど経った昼休みのことだった。


 魔法理論の課題に必要な参考書を探すためルベルドは図書棟に来ていた。広い書架の間を歩いていると、棚の奥の読書スペースに人影を見つける。


 金色の髪。白い制服。膝の上に分厚い本を広げ、眉を寄せながら読んでいる——コゴメだった。


(……護衛は)


 素早く周囲を見回すと、入り口近くに護衛の一人が立っているのが見えた。しかし読書スペースとは距離があり、小さくならこちらの会話は届かないだろう。


 ルベルドは少し考えてから、コゴメに近づいた。


「……何を読んでいる」


 静かに声をかけると、コゴメが顔を上げた。一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情が明るくなる。


「ルベルドさん……!回復魔法の応用理論の本です。少し難しくて」


「回復魔法の応用は確かに難しい。術式の複雑さは治癒系が一番高いと言われている」


「え、そうなんですか? 詳しいんですね」


「……本で読んだことがある」


 魔界の図書室にあった魔法理論の本に書いてあったことだが人間界の理論でも同様のことだろう。


「座って話しませんか?」


 コゴメが向かいの席を目で示した。


「それで少し、教えてはくれませんか。術式の組み方が、どうしても理解できなくて」


 断る理由はなかった。


 ルベルドが向かいに座ると、コゴメが開いている「この部分です」と開いている本を見せてきた。回復魔法の術式図が描かれており、確かに複雑だと思う。人間の治癒魔法の術式は魔族のものより精緻で、こういった部分は人間の方が進んでいるとルベルドも認識していた。


「ここの組み合わせが問題だ。回復魔法は出力の量より、魔力の質と流し方が重要だ。術式のこの部分は、流れの方向を示している―――」


 説明しながら、ルベルドは本の余白に指で簡単な図を描いてみせた。コゴメは身を乗り出して、真剣な顔でそれを見た。


「……あ。そういうことだったんだ!」


「分かったか」


「はい!ルベルドさんの説明、すごく分かりやすいです」


「そうか」


「先生の説明より分かりやすいかもしれない……なんて」


「……先生に言うなよ」


 コゴメが声を殺して笑う。図書棟なので大きな声は出せないが、楽しそうに肩を揺らしている。それから少ししてコゴメがルベルドに質問をした。


「ルベルドさんはどんな本を探しに来たんですか?」


「魔法理論の課題の参考書だ」


「あ、あれですか。難しいですよね。私も少し苦労しました」


「そうか」


「回復魔法は得意ですけど、理論は……ちょっと苦手で。


 コゴメは苦笑した。


「暗記が多いし、術式の名前が長くて覚えられなくて。ダリアはすぐ覚えるんですけど、私は何度も読み返さないとで」


「……弟は優秀なんだな」


「すごく。炎魔法の才もありますし、剣術も上手いし、勉強もできるし。私より全然優秀です!」


 コゴメは誇らしそうに言う。


「……自分を低く見すぎではないか」


「え?」


「回復魔法の習得は難しいと言った。それを得意とするなら、それはお前が優秀ということだ」


 言ってから、ルベルドは少し余計なことを言ったかと思った。しかしコゴメは驚いた顔をして、それから柔らかく目を細めてルベルドの事を見る。


「……ありがとうございます」


「礼は要らない。事実を言っただけだ」


「それでも、嬉しいです」


 コゴメの声は穏やかで、押しつけがましくなかった。だからルベルドも「そうか」と短く答えただけで済んだ。


「ルベルドさんは、学園には慣れましたか?」


「概ね」


「友達はできましたか?」


「……一応レインという奴がいる」


「レインくん!知ってます。いつも明るくて、ルベルドさんの隣にいる子のことですよね」


 コゴメは嬉しそうに言った。


「ルベルドさんに合ってると思います」


「そうか?」


「なんとなく、ですけど。うまく言えないんですけど……ルベルドさんって、静かな人だから、賑やかな人と一緒の方が、バランスがいい気がして」


 ルベルドはその分析を、しばらく頭の中で転がした。


(……的外れではない。が不思議な観察眼だな)


「お前は……よく人のことを見ているな」


「え? そんなことないです」


 コゴメはやや照れたように首を横に振った。


「ただなんとなく、思ったことを言っただけで」


 それが正直なのだろうとルベルドは思う。コゴメは計算で物を言う種類の人間ではない。感じたことを素直に言葉にする——それがこの少女の性質だ。


 昼休みの終わりを告げる鐘の音が遠くから聞こえた。


「あ、もう時間です」


 コゴメが本を抱えて立ち上がった。


「今日は教えてもらってありがとうございました、ルベルドさん」


「別に構わない」


「また……来てもいいですか? ここ、昼休みによく来るんです。静かで」


「俺は毎日来るわけじゃないが」


「それでも! もし一緒になったら、また話しましょう」


 コゴメは笑って、護衛の方へ歩いていった。ルベルドはその背中を見送った。


(……また、か)


 自分の胸が高まっているのをルベルドは感じていた。しかし、楽しみにしているわけではない——と自分に言い聞かせながら、ルベルドは参考書を探しに書架へ向かった。



◆◇◆◇


 その後も、図書棟で顔を合わせることが数回あった。


 二度目は互いに黙々と本を読んでいただけだったが、帰り際にコゴメが「今日も会えてよかったです」とだけ言った。


 三度目は今度こそ回復魔法の術式について少し話した。四度目は——コゴメが「ダリアが剣術の練習で手に傷を作ったのを治してあげた」という話をしていた。


「あの子、いつも無理するんです。骨格より大きい剣を使っているって先生に言われているのに、それでも練習して」


「……強くなりたいのだろう」


「それは分かってるんですけど。心配で」


「お前が心配するから、あいつはもっと頑張ろうとするんじゃないか」


 コゴメはぱちりと瞬いた。


「……どういうことですか?」


「弟というのは、姉に心配されたくないものだ」


「え、ルベルドさんも弟がいるんですか?」


「……違う。俺は弟の方だ。それに、いるのも姉じゃなくて兄だがな」


 言ってから、余計なことを言ったと気づいた。


「お兄さんがいるんですね」


 コゴメが興味を持った顔をした。


「どんな人ですか?私、会ってみたいです」


「変わった兄だった。だが一緒にいて楽しかった。……今は、いない」


 短く答えた。コゴメは何かを察したのか、「そうですか」と言って深く追いかけてこなかった。


 それが―――ルベルドには少し、助かった。



 ダリアとの関係は、微妙な均衡を保っていた。

 廊下で顔を合わせれば挨拶は交わす。授業で隣になれば静かに座る。しかし会話は最低限で、ダリアがルベルドに向ける目には常に何か鋭いものが宿っていた。


 ある日の昼食時、ダリアがルベルドの隣の席に座ってきた。レインはその日休んでいた。


「……なぜここに」


「席が空いていた。それだけだ」


 ダリアは涼しい顔でそう言って、食事を始めた。ルベルドも何も言わず食事を続けた。


 しばらく沈黙が続いた後、ダリアが口を開いた。


「ルベルド。お前は何が目的だ」


「食事だ」


「そうじゃない」


 ダリアの声は低い。


「この学園に来た目的だ。旅人の子どもが突然ここに入学して、それが姉様に意識的に接触している。まさかただの偶然だなんて言わないだろうな」


 ルベルドは食事の手を止めた。

 ダリアの客観的な”意識的に接触している”という言葉を聞いて自分でも驚いたのだ。

 ダリアの目を正面から見た。冷静で、鋭い。感情的ではなく、純粋に「姉を守る」という名目を持った目だった。


(……嫌いじゃない目だ)


 正直に思った。こういう真剣な目をする人間は、魔界にもあまりいない。


「コゴメと話したかったから来た」


 ルベルドは率直に言った。


「話す……それだけが目的か」


「それだけだ」


「姉上に何かしようとしているわけじゃないと、そう言いたいのか」


「言葉より結果を見ればわかる。俺はコゴメに何かをしたか」


 ダリアは答えなかった。目を逸らされる。


「……姉上は優しい方だ」


 ダリアがぽつりと言った。


「誰にでも笑顔を向ける。だから変な者に付け込まれやすい」


「俺が変な者だと思っているのか」


「それを今判断している」


「正直だな」


「嘘をついても意味がない。」


 ダリアは感情的に敵対しているわけではなく、あくまで冷静にいた。


「……お前は特別近衛騎士を目指しているのか」


 少し間を置いてから、ルベルドが聞いた.


 ダリアの目が細くなった。


「目指している。姉様の傍に胸を張って立てるのは近衛騎士だけだ。だから僕がそこに就く」


「それは俺も同じだ」


 ダリアの顎が引いた。


「……同じ? お前も近衛騎士を目指しているのか」


「ああ」


 短い沈黙。ダリアの目に、今度ははっきりとした色が浮かんだ。敵意というより——闘志だった。


「舐めるな」


「舐めていない」


「姉様と話すためと、漠然とした理由で入った旅人が近衛騎士が取れるわけがない。現実を見ろ」


「取れるかどうかは、やってみなければわからない」


 ダリアは少しだけ黙って、それから立ち上がった。食事は終わっていなかったが、それ以上ここにいる気はないらしかった。


「……覚えておけ、ルベルド。特別近衛騎士になるのは僕だ。姉様の傍に立つのは、僕だけでいい」"),


 それだけ言い残して、ダリアは去った。


 ルベルドは見送ってから、スープに視線を落とした。


(……やはり、面白い奴だな)


 心から本当にそう思っていた。


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