6.特別近衛騎士
午前の授業が終わり、昼食の時間になった。
食堂は学園の中でも一番大きな棟にあり、長いテーブルが並んでいる。ルベルドはレインに半ば引っ張られる形で席についた。レインはすでに数人と仲良くなっており、楽しそうに話している。
ルベルドは黙ってスープを飲みながら、食堂を眺めた。
コゴメの姿は見えた。窓際の席に、何人かの友人らしき少女たちと座っている。
(……近づきたいが)
ルベルドは思った。ここで大勢の前でコゴメに声をかけたら、何かと面倒が起きそうだ。タイミングを見計らったほうがい。
そう考えてスープに視線を戻した瞬間——食堂の雰囲気が、ざわりと変わった。
ルベルドは顔を上げた。
食堂の入り口に、一人の少年が立っていた。
学年は上―――三年生か四年生か。身長は小柄な部類だか背はするりと筋が通った紺色の長い髪を後ろで束ねている女だった。制服を着ているが、その上に青いマントを羽織っている。胸元には小さな騎士の紋章らしきバッジが光っていた。
「あれ、特別近衛騎士だ」
レインが小声で言った。
「……なんだ、それは」
「え、お前知らないのか?」
レインが少し驚いた顔をした。
「学園の制度だよ。全学年の中で優秀な成績を残した生徒が、王族の側近として選ばれるんだ。コゴミ王女の傍に仕える役職——って言えばわかるか?」
ルベルドは食堂に立つ少年と、窓際のコゴメを交互に見た。
「つまり……あの青マントの者が、コゴメの傍にいられる、ということか」
「そう。まぁ、王女様が誰を選ぶかは分からないけど特別近衛騎士に選ばれた生徒だけが、王女様に直接話しかけることを許されてるんだって。ほら、見てみなよ」
レインが顎で示す方向に目をやった。
青マントの少年がコゴメの席へと歩み寄り、何か言葉を交わしている。コゴメは丁寧に微笑んでいるが、周囲の生徒はその様子を遠巻きに眺めるだけだ。近づこうとする者は誰もいない。
「王女様に話しかけようとしても、普通の護衛の人に止められるんだよ。あくまで学生は特別近衛騎士だけが公式に傍に立てる。他の生徒は挨拶くらいは許されるけど、近づきすぎるのはのはルール違反らしくて……」
レインの話が耳を通り抜けていった。
ルベルドはただコゴメの方を眺めていた。コゴメが笑っている。ダリアも姉弟としてだろう、座っている。そして青マントの少女が何かを言うと、コゴメが楽しそうにしている。
(……あの席には、認められた者しか近づけない)
それが、この学園のルールらしかった。
ルベルドは視線を自分のスープに落とした。
(……つまり)
思考が、静かに動いた。
(コゴメと話したければ、近衛騎士になればいい、ということか)
考えれば簡単な結論だった。手段としては単純だ。過程がどれ程のものかは分からないが、目標への道見えただけで視界が明るく晴れた。
「……なあ、レイン」
「ん?」
「特別近衛騎士は、どうすれば選ばれる」
レインが目を丸くした。
「え、もしかして目指すつもりなのか? 入学初日なのに!?」
「選抜方法を聞いている」
「……毎年秋に試験がある。学業成績と実技試験の総合評価で選ばれるんだ。でも新入生が選ばれたことは一度もないし、相当難しいぞ?」
「そうか」
ルベルドは短く答えて、スープを一口飲んだ。
難しい。それが何だという話だ。
魔王の息子として、「できない」という選択肢は最初からなかった。問題は「どうするか」だけだ。
(……やることが増えた)
ルベルドは内心で呟いた。退屈しのぎのつもりが、いつの間にかずいぶん具体的な目標を持ってしまっている。
(兄上が聞いたら笑うだろうな)
ふと、スルク兄上のことが頭に浮かんだ。あのいつもの笑みを貼り付けた顔が、「なあルベルド、お前は本当に面白いな」と言う声が。
―――でも、兄上はいない。
ルベルドは静かにその考えを頭の隅に追いやった。
問題は今のことだけでいい。
窓の外に目を向ければ、明るい空が広がっていた。辺りには鮮やかな葉を付けた草木が生い茂っている。秋にはまだ時間は6ヶ月程もある。
(……退屈しのぎには、十分すぎるくらいだ)
ルベルドの口の端がわずかに上がった。笑みとも言えないような、小さな表情だった。
しかしルベルドがそんな顔をするのは——魔界を出てから、これが初めてのことだった。
その夜、宿の小さな窓から空を見上げた。
魔界の夜空と、人間界の夜空は——思ったより似ていた。星の並びは少し違うが、暗い中に点々と光が散らばっている。
(夜みたいな色で、星みたいで、綺麗だ)
コゴメがそう言っていた。自分の闇魔法を指して。
ルベルドは右手を夜空に向け、指先に小さな闇の球体を作り出した。あのとき森で作ったものと同じ。深い黒の中心に、仄かな紫の光がある。
―――確かに。
言われてみれば、少し星みたいかもしれない。
ルベルドは球体を握りつぶすように消して、目を閉じた。
(特別近衛騎士。……悪くない響きだ)
退屈しのぎに、人間界に来た。
偶然、迷子の少女を助けた。
気づけば学園に入学して、騎士の称号を目指すことになっていた。
こんなに予定外のことが続くのは——魔界を出て以来初めてのことだった。時間も1週間すら経っていないのに。
(兄上が「お前は面白い」と言っていた意味が、少しわかった気がする)
ルベルドは仰向けになって、天井を見つめた。
明日からの学園生活が、どうなるかはわからない。コゴメとどれだけ話せるかもわからない。ダリアには明らかに警戒されているし、特別近衛騎士への道が平坦でないことも分かっている。
―――でも。
(少なくとも、つまらなくはなさそうだ)
そう思った途端、全身の力が少し抜けた。
ルベルドは目を閉じた。
魔界を出て初めて、眠るのが惜しいと思った夜だった。




