3.ハートヴェルの街
ハートヴェルは、ルベルドが想像していたより、ずっと賑やかな街だった。
石畳の大通りには人が行き交い、屋台の売り声が飛び交い、子どもたちが動物を連れて走り回っていた。魔界の城下とはまるで違う。あちらは静かだ。騒げば魔王様の気に障るかもしれない――と目を伏せて、声を潜めて歩く。しかしここでは誰もが声を出して笑っている。
(……うるさい)
と、最初はそう思った。しかし、しばらく歩いているうちに、うるさいとは少し違うかもしれないと思い直した。「賑やか」というのが正確な言い方か。嫌いではない。
ルベルドは大通りの端を歩きながら、街の様子を観察した。食べ物の屋台、武具屋、魔法道具店——人間界の商業区というのはこういうものか。魔界と違って、あらゆるものが色とりどりだった。ハートの形をした大きなオブジェというのもある。
―――と、感心していたとき。
「おや、見かけない服装だね。まだ小さいけど旅人かい?」
声をかけられた。振り向くと、小さな雑貨屋の入り口に、白髪の老人が腰かけていた。年齢はかなりいっているようで、顔中に深い皺が刻まれている。青い瞳がルベルドを値踏みでもするように見つめていた。
「……そうだ」
ルベルドは素直に答えた。
「どこから来たんだい?」
「遠くから」
「遠くから」
老人は楽しそうに繰り返した。それにルベルドが眉を顰めるも老人が気にする様子はない。からかうように、しかし悪意は無い様子で話を続ける。
「まあ、旅人に詮索は野暮ってもんだ。何か探し物かい?」
ルベルドは少し迷ってから、率直に言った。
「……王立ハートヴェル学園に入る方法を知りたい」
老人の眉がぴくりと動いた。
「学園に?」
「ああ。入学試験があると聞いた。身分のない旅人でも受けられるか」
老人はしばらくルベルドを眺めてから、にやりと笑った。
「面白い子だ。年はいくつだい?」
「十二だ」
「入学年齢にはちょうど合っているね。……まあ、試験自体は誰でも受けられる。ただ身元保証人が必要でね。この街の住人か、学園の卒業生が一人、保証人になってくれなければならない」
「……なるほど」
ルベルドは考えた。知り合いは一人もいない。コゴメには頼めない。
彼女が学園に通っているということは生徒であって卒業生ではないし、何より素性を明かしたくなかった。
「困ってるかい?」
老人が聞く。
「……少し」
「正直だ」
老人はくすりと笑った。
「私でよければ、保証人になってやってもいいよ。ちょうど学園の卒業生でもあるしね」
ルベルドは老人の顔を見た。
「なぜ見知らぬ者のためにそんな事をしてくれるのだ」
「理由なんてものは、そんなに大層なものじゃないさ」
老人は皺の深い顔に笑みを刻んだ。
「君の目が気に入った。それだけで十分じゃないか」
老人が愉快そうに言う。老人の目に嘘や悪意は見当たらない。もし何か企んでいたとしても、ルベルドは魔力の点では圧倒的だ。問題はない。そう結論を付けてルベルドは返事を決めた。
「……頼む」
老人は満足そうにうなずいた。
「私はガロンという。君は?」
「ルベルドだ」
「良い名前だ、ルベルド。今夜はうちに泊まりなさい。明日、学園に話を通してあげよう」
◆◇◆◇
ガロンの家は雑貨屋の奥にある、小さいが居心地のよい住まいだった。
本棚が壁一面を覆い、様々な地方の置物や植物の鉢が飾られている。
夕食には豆のスープとパンが出た。魔界では食べたことのない味だったが、思ったより悪くなかった。
「学園のことは少し知っているかい?」
夕食中、ガロンが聞いてきた。
「知らない。入学試験があることくらいだ」
「王立ハートヴェル学園は、魔法と剣術を総合的に学ぶ貴族・平民問わずの学び舎でね。優秀な者は推薦で騎士団や魔法師団に入れる。入学試験は筆記と実技の二部構成だ」
「実技は魔法か?」
「魔法か剣術か、どちらか選べる。魔法なら四属性のどれか一つで初級から中級の課題をこなす試験だ」
ルベルドは内心でため息をついた。
(初級から中級……か)
ならば力を抑えなければならない。それは分かっていた。魔王の息子として持っている本来の力を見せれば、何かがおかしいと思われる。今は身分を隠しているのだから、あくまで「少し魔法が得意な旅人の子ども」として振る舞った方がいいだろうから。
「筆記は何を問われる」
「歴史、魔法理論、一般常識といったところかな。難しくはないよ。ただ……」
ガロンはちらりとルベルドを見た。
「旅人なら、この国の歴史は多少抜けがあるかもしれないね。一晩で詰め込めるだけ詰め込みなさい」
そう言って、ガロンは本棚から分厚い歴史書と魔法理論書を取り出してテーブルに置いた。
「今夜は少し眠れないかもしれないが……大丈夫そうかい?」
「問題ない」
ルベルドは即答した。元々睡眠はそれほど必要としない体質だし、読書は嫌いではない。
ガロンはまた楽しそうに笑って、「じゃあ頑張りなさい」と言い残して寝室へ消えた。
ルベルドは一人、蝋燭の明かりの下で本を開いた。
(……なんでこんなことをしているのだろう)
ふと思った。退屈しのぎのつもりだった。観察のつもりだった。なのに今、知らない老人の家で人間界の歴史書を読んでいる。
脳裏に、翠色の目が浮かんだ。
「夜みたいな色です。真ん中の紫が、星みたいで」
(……退屈しのぎだ)
ルベルドは自分に言い聞かせて、ページをめくった。




