2.帰り道
森の中を二人で歩いた。
しばらく沈黙が続く。ルベルドは別に沈黙が苦手というわけではないが、隣のコゴメがちらちらとこちらを気にしているのは分かった。何か言いたいことがあるのだろうとは思ったが、先に口を開くのは面倒だったので放置していた。
「……ルベルドさんは、どこかのお偉い魔術師さんの息子かお弟子さんなんですか?」
しばらくして、コゴメが聞いてきた。
「いや、違う」
「え? でも先程の浮遊魔法って相当難しいはずなのに……」
「浮遊魔法が使えるのは俺が幼い頃からずっと魔術を練習してきたからだ。それ以上の何でもない」
ルベルドはごく自然に言った。少し無理な言い訳にも思えるが、自分が魔族であり、それも父が魔王だ―――なんて言えるはずがない。
「すごいですね」
コゴメは素直に感心したように言う。お世辞でも皮肉でもなく、ただそう思ったから言った、という声だった。
ルベルドは少し考えてから聞いた。
「お前は、魔法は使えるか」
「少しだけ。回復魔法が得意なんです。攻撃魔法はあまり……」
「回復魔法か」
ルベルドにとって回復魔法は縁遠いものだった。魔族は素の再生能力が高く、少しの傷程度ならすぐに治る。回復魔法を学び使う者は稀で、攻撃か身体強化などの魔法が主流なのだ。ただ、人間が魔族に並ぶには回復魔法が必要不可欠なのはルベルドも理解している。
「それは役に立つな」
思ったことをそのまま言ったら、コゴメが少し嬉しそうな顔をした。
「ルベルドさんは? どんな魔法が得意なんですか?」
「……闇魔法だ」
「闇魔法」
コゴメは怖がりもせず、ただ「へえ」と呟いた。
「使ってみせてもらえますか?」
「……なぜだ」
「見てみたいんです。闇魔法って、どんな感じなのか」
ルベルドは少し意外に思った。闇魔法と言えば魔王の得意魔法で扱える者も他と比べてずっと少ない。そんなものだから聞けば人間は身構えるか怖がるかのどちらかだと思っていた。この少女は怖いと思わないのだろうか。
(……まあ、いい)
ルベルドは右手を軽く持ち上げ、指先に小さな闇の球体を作り出した。ゴルフボールほどの大きさの、深い黒。その中心だけが仄かに紫色に光っている。
「……綺麗」
コゴメが小さく息を飲んだ。
「綺麗?」
ルベルドは思わず聞き返した。闇魔法を見て「綺麗」と言われたのは、生まれて初めてだった。
「夜みたいな色です。真ん中の紫が、星みたいで」
コゴメは目を輝かせながら言った。
ルベルドは返す言葉が見つからなかった。
闇魔法を「夜みたいで星みたいで綺麗だ」と言う人間が、この世界にいるとは思わず面に食らったような気分になってしまった。
(……変な人間だ)
もう一度そう思ったが、今度は少し前と意味が違った。
歩きながら、二人は少しずつ話をした。
コゴメが先に話してくれることが多く、ルベルドはそれに短く答えた。コゴメの弟のこと―――ダリアという名の、姉思いな少年のこと。街の外れにある小さな花畑のこと。最近覚えた新しい回復魔法のこと。
ルベルドはそれをぼんやり聞きながら歩いた。
(……人間というのは、よく喋るな)
そう思ったが、不思議と不快ではなかった。魔界の者たちの言葉は、いつも利害か威圧か媚びへつらいかのどれかだった。コゴメの言葉にはそのどれもなく、ただ純粋に「話したい」という気持ちだけがあるように聞こえたから。
「ルベルドさんはどこから来たんですか?」
不意に聞かれて、ルベルドは少し間を置いた。
「……遠くから来た」
「旅人さんですか?」
「まあ、そんなところだ」
嘘はついていない。実際に今はそんな感じのことを今している。
「そうなんですね。一人で旅しているんですか?」
「ああ」
「すごいですね、ルベルドさん。私、一人では遠くまで来たのはここが初めてですから」
「それで迷子になっているじゃないか」
「……うう、それはそうですが」
コゴメは恥ずかしそうに下を向いた。自分でも分かっているらしく、頬を少し赤くして「ダリアに怒られるかもしれません」と呟いた。
「弟に怒られるのか」
「ダリアはいつも私のことを心配してくれているんです。だから一人で森に入ったと知ったら、きっと……」
コゴメは眉を下げながら、手に持った花飾りを見つめた。
「でも、これを渡したら許してくれると思います」
その言い方があまりにも楽観的で、ルベルドは思わず小さく噴き出した。
声に出して笑ったのは、久しぶりだった。
「……随分と信頼しているんだな」
「えへへ。ダリアは優しいので」
コゴメはやわらかく笑った。その笑顔を見ていると、ルベルドの胸の奥のむずむずとしたものが少し大きくなった気がした。
やがて木々が開け、遠くに街の輪郭が見えてきた。
石造りの建物が立ち並び、大きな城が街の中心部に鎮座している。
中々の規模の街だった。
「あ!見えた!」
コゴメが嬉しそうに声を上げた。
そのまま駆け出しそうになったが、森の出口で足を止め、ルベルドを振り返った。
「ルベルドさん、本当にありがとうございました。助かりました」
「礼を言わなくていい。偶然だったからな」
「偶然でも、助けてくれたことに変わりはないです」
コゴメははっきりと言い、深くお辞儀をした。
「ルベルドさんは、しばらくこの街に滞在されるですか?」
「……まぁ、そのつもりだったが」
「だったら!」
コゴメの目が明るくなった。
「また会えますか?ハートヴェルは大きな街ですけど、中心部なら……」
言いかけて、コゴメはふと何かを思い出したように口ごもった。
「……あ。でも、私は学園があるから」
「学園?」
「はい。王立ハートヴェル学園です。普段はそこに通っているので、外にはなかなか出られなくて……」
王立学園。ルベルドはその言葉を頭の中で繰り返した。
「……そうか」
「でも!」
コゴメは少し身を乗り出した。
「休みの日とかなら……また会えると思います。ルベルドさんさえよければ」
そう言ってコゴメはまたお辞儀をして、小走りで街の方へ向かっていった。花飾りを胸に抱えながら、振り返りながら。
ルベルドはその背中を見送った。
しばらく、その場に立ったままでいた。
(……学園、か)
彼女はそこに通っている。つまり、また会いたければ学園に入るしかない。
―――別に、また会いたいわけじゃない。
そうルベルドは自分に言い聞かた。
ただ、人間界を観察するのに、学園という場所は悪くないかもしれないと、そう思っただけだ。
(……退屈しのぎにはなりそうだ)
ルベルドはそう結論づけて、街の方へ向かった。




