12.待っています
大会の喧騒が落ち着いた後、ルベルドは演習場の端の廊下で一人立っていた。
「……言いすぎたか」
独りごちた。
「待ってろ」はただの宣言のつもりだった。目標を公言することで自分を縛る―――それが目的だった。コゴメを前にして言えば、あとから撤回するのが難しくなる。そういう打算があった。
(しかしあの反応は……)
コゴメが両手で頬を押さえていた光景が、なぜか頭から離れない。頬が赤くなっていた。それはルベルドにも分かった。
(……余計なことを言ったかもしれない)
そう思って少し反省していると。
「ルベルドさん」
声がした。
振り向くと——コゴメが廊下の角から顔を出していた。護衛は少し後ろに控えており、今は二人の間に誰もいなかった。
「コゴメ。……どうした」
「少し、お話ししてもいいですか」
コゴメが廊下に出てきた。頬はまだわずかに赤い。しかし目はしっかりとルベルドを見ている。
「構わない」
コゴメはルベルドの前に立って、少し深呼吸をした。それから、静かに言った。
「……待ってます」
ルベルドは瞬いた。
「待ってます、ルベルドさん。近衛騎士になるって言ってくれたこと……嬉しかったです。だから、信じて待ってます」
声は穏やかで、ただ真剣で、真っ直ぐだった。
(……)
ルベルドは何か答えようとして、言葉が少し遅れた。
「……分かった」
それだけ言えた。短すぎる気もしたが、言葉が上手く出せなかった。
しかしルベルトを見てコゴメは嬉しそうに目を細めた。
「試合、すごかったです。ダリアと当たって―――見てて、すごく……なんか、格好よかったです」
「……そういうことを面と向かって言うな」
「え、どうして? 本当のことです」
「……」
ルベルドはどう答えていいか分からなくなって、正面ではなく少し横を向いた。
自分でもどうしてこんな事を言ったのか分からない。コゴメのような人間は、正直すぎて対処が難しい。
「コゴメ姉様!」
廊下の向こうからダリアの声がした。
足音と共にダリアが角を曲がってきてルベルドとコゴメが向かい合っているのを見た。
ダリアの目が、一瞬だけ鋭くなった。
「……二人で何をしているんです」
「少し話していただけだよ」
コゴメが答えた。
「ダリア、試合、頑張ったね。惜しかった」
「……負けました」
ダリアは短く言った。コゴメへの声は柔らかく年相応の子供といった感じだが、ルベルドに向ける目は硬い。
「ルベルド」
「なんだ」
「……さっきの宣言、聞いたぞ」
「そうか」
「もう一度言う。特別近衛騎士を舐めるなよ」
ダリアの声が低くなった。
「あの役職がどれだけの重みを持つか、分かって言っているのか。ただの旅人が思いつきで目指せるような場所じゃない」
「舐めていない」
ルベルドは静かに答えた。
「だから今日勝った」
「一度勝っただけで何が分かる。あの役職は姉様のためにある。やがて僕が就く。それは入学前から決めていることだ」
「お前が決めていても、選ぶのは学園だ」
「ッ——」
「ダリア」
コゴメが静かに止めに入った。
ダリアがぴたりと止まる。
「ルベルドさんを応援するのは私の自由でしょう。それに……あなたにとっても、強いライバルがいた方が、いい結果が出ると思わない?」
「……姉様」
「ルベルドさんに失礼なことを言わないで」
コゴメの声は柔らかかったが、はっきりしていた。ダリアはしばらく黙って、それから小さく息を吐いた。
「……失礼しました、ルベルド」
謝罪の言葉は短く、完全に納得しているわけではないだろう。しかしコゴメの言葉には、ダリアは従う。それが分かった。
「構わない」
ルベルドは言った。
「お前の気持ちは理解できる。俺でも同じ立場なら同じことを思うだろうから」
ダリアが少し意外な顔をした。
「……それは、どういう意味だ」
「弟が姉を守りたいと思うのは、自然なことだと言っている。邪魔するつもりはない」
「……邪魔しないが、近衛騎士になるつもりはあると」
「無論だ」
短い睨み合い。いや——睨み合いというより、確認だった。互いの立場と意志を確かめる、静かなやり取り。
「……覚えておけ」
ダリアが言った。
「次は負けない」
「楽しみにしている」
ダリアは一度コゴメに目をやって、それからルベルドに背を向けた。
「コゴメ姉様、行きましょう」
「うん」
コゴメが返事をして、ルベルドを振り向いた。
「また図書棟で」
「ああ」
コゴメはにっこりと笑って、ダリアの後に続いた。
ルベルドはその二人の背中が廊下の角に消えるまで、そこに立っていた。
(……言ってしまったな)
ルベルドはひとりで思った。
「待ってます」とコゴメは言った。あの言葉は——嘘でも社交辞令でもなかった。あの少女が口にする言葉には、常に本心がある。それはもう分かっていた。
(待ってる、か)
胸の中で繰り返した。
不思議な感触があった。誰かに「待っている」と言われたことが、ルベルドにはほとんどなかった。
しかし、コゴメはただ真剣な目で「信じて待ってます」と言った。
(……ただの退屈しのぎだったのに、随分と本気になってきたな)
ルベルドは空を見上げた。大会で使ったのは本来の力の五分の一に満たない。まだまだ余裕がある。
しかし「余裕がある」ことと、「本気を出さなくていい」ことは違う。コゴメが待っているなら、それはやり遂げる理由になる。
(……兄上がいたら何と言うだろうな)
ふと思った。あの笑顔で「なあルベルド、随分と人間界が気に入ったじゃないか」とでも言いそうだ。
―――兄上は今、どこにいるのだろう。
その考えは、いつもルベルドの胸の奥に小さな翳りを落とした。消えた兄。理由も行き先も分からないまま六年が経った。
(……今は考えなくていい)
ルベルドは目を閉じてから、開いた。
やるべきことは決まっている。特別近衛騎士への道。それだけに集中する。
(待たせるつもりはない)
ルベルドは廊下を歩き出した。




