三つの月の夜は
召喚されて、二週間が過ぎた。
色々と試してみた結果、まつりは本来よりも身軽で動体視力と聴力がよいらしい。
七瀬はといえば。
「ぐっ……ぐぅぅ……」
腕相撲で連勝中だった。なぜか連日、騎士団から挑戦者が来訪する。
力も反射神経も動体視力も聴力も軒並み上がったし、なんなら魔法も使える。
ちなみに、この世界で一般的なのは『魔術』だ。
術式を正しく構成し、口頭もしくは記述により顕現させ、魔力を流すことで発動させるもの。
それと比べて『魔法』とは、原理も秩序もなく意図したものを、魔力消費をするまでもなく顕現させる。
そもそも、七瀬とまつりには魔力自体がない。
そのはずだが、浄化のための『祈り』は、それぞれがこうだと思った仕草をすればいけるらしいので、意外とアバウトなのかもしれない。
両手を組んで美しく跪くまつりとは違い、七瀬はなかなか苦戦していた。
「七瀬さん、『ポーズ求む』って何?」
ぷくく、と頬を揺らしてまつりが笑う。
異世界での暮らしは、平和で穏やかだ。
健やかな笑顔にほっとしつつ、七瀬は日本語で書いた紙をひらりと振った。
歳をとると、記憶力は年々あやしくなっていくのである。
「俺、祈りってやったことないから、不格好だったろ。まつりさんの真似した方がうまくいくかな」
「やめて、笑っちゃうよ」
相変わらずまつりの体温は低くて、ふとした時に触れるとぎくりとする。
本人は、寒くも体調が悪くもないと言うのだけれど。
まるで、まつりという存在がぽつんと世界から浮いているような、奇妙な不安が七瀬にはあった。
「まつりさん、寒くない?」
「大丈夫」
「頭が痛かったり、先端が冷えてたりしない?」
「あったかいよ」
にこにこと笑ってくれるのだけれど。
夜になると、日本語で七瀬を呼ぶ。
さみしい。さむい。さみしい。
蒼白い顔で、そう言って涙を流したりする。
元の世界に戻れないと話した時も、『そうなんだ』とあっけらかんとしていたが、本当は帰りたいのかもしれない。
────俺は?
毎晩、まつりのベッドの側に置いた椅子に座って、七瀬は考える。
不思議なほど、元いた世界への未練がない。
戻りたくないわけじゃないが、戻れなくても構わないというのが正直な気持ちだ。
「……ナナセ、お茶をどうぞ。ぬくもりだけでも」
本日の夜番はレイシスで、開け放った寝室に続く扉の向こうで控えていた彼が、こそっとカップを手渡す。
お礼を言って熱い液体を体内に取り込む。
相変わらず七瀬とまつりの身体は、食事も水分も欲さず、排泄も必要としない。
人間としての機能を失ったような心許さが、胸に巣食う。
もしかすると、自分もまつりもすでに人としての生を終えているのでは。
(……やめよう)
夜はだめだ。余計なことばかり考える。
きっと、オレンジ色の月が三つも並ぶせいだ。
「ナナセ」
囁くほどの声量で、レイシスが柔らかく低く話し出す。
「ナナセは、無理をしていませんか」
レイシスやアデラは、顔を合わせることが多いため親しく話せるようになってきた。
少しずつ、異世界という奇抜な場所に、立ち位置ができてしまう。
「……大丈夫。この身体は、徹夜しても問題ない」
「ええ。……気持ちのことでも、何かあれば、いつでも話してくださいね」
元の世界に未練もないのに、優しい世界でいつまでも足元が揺れているのは、なぜなのだろう。




