優しい子供
疲れたでしょうから続きはまた明日、ということになり、アデラと騎士が出て行き、代わりに侍女だという女性が入ってくる。
「こちらのお部屋は、聖女様の私室となります。ナナセ様のお部屋を今ご用意しておりますので……」
「ああ、いえ。騎士の方を一人呼んでくれますか。侍女の方でもいいです。俺、今夜はここにいます。この子をベッドに寝かせて、俺はソファで構いませんので」
「いえ、そんな」
「夜中に目を覚ました時、一人じゃ心細いでしょうから。でも、俺と二人も怖いだろうし」
七瀬の言葉に、それもそうだと思ったのか、相談してくると侍女は一度出て行った。
その間に、奥の扉を開けた先にあったベッドにまつりを運んだ。
布団をしっかり首までかけてソファまで戻ると、先ほどアデラと一緒にいた騎士の一人が待っていた。
レイシスと名乗った彼は、まつりの専属護衛を務めるという。
ふう、とソファに沈むと、侍女がそっと紅茶を持ってきてくれる。
彼女もまつり専属だというが、七瀬にも気を遣ってくれるらしい。
というか、今のところ出会った全員が、なんだかいい人ばかりだ。
もっとこう、高圧的に『世界を救う栄誉を喜べ!』みたいな感じで来るかと思っていた。
七瀬の持つ知識は、実はだいぶ偏っているのかもしれない。
「……落ち着いていらっしゃいますね」
七瀬が眠れずにいることに気づいたのか、気を遣ったレイシスが話しかけてきた。
声は、まだずいぶん若い。
見た目は二十代半ばくらいに見えるが、西洋の人が年上に見えるあの現象かもしれない。
明るい栗色の短髪と、切れ長の若葉色の目。
テレビの中でもなかなか見ないくらい美形だ。
鍛えられていると目でわかる体躯だが、着痩せするのかすらりと手足が長い。
「きみ、いくつ?」
「三十二です」
思ったより年上だった。というか、見た目が若かった。
「わたくしは、二十六になります」
黙ってしまった七瀬に、まつりの服を揃えていた侍女がにこりと笑った。
また気を遣わせてしまったらしい。これはよくない。
「……まつりさんがいなければ、こんなに冷静じゃないよ」
明らかに年下の、庇護すべき相手がいるだけで、人はほんの少し強くなれたりするのだ。
七瀬一人だったら、たぶんコミュニケーション自体を放棄している。
面識のない初対面の子でも、まつりはすでに七瀬にとって守るべき子供だった。
「最初に守ってくれたのは、まつりさんだ。俺じゃない」
飲み会が終わって、しこたま呑んだくれた朝。
とっくに日が昇って帰路に着いた七瀬は、前を歩く少女と自分の足元が光ったことに目を剥いた。
どんどんと身体が飲み込まれることに呆然としながら、反射的に手を伸ばして、少女の腕を掴んだのだ。
『ねえ待って、これあれじゃない!? あれだってば! 離れて、戻ってっ!』
あの時はわからなかったが、今ならわかる。
まつりは、異世界転移なるものの現象ではないかと、あの時から勘づいていた。
だから、七瀬に必死に何度も戻れと叫んだ。
酔っていなければ、きっと手を伸ばすことすら、七瀬はしなかっただろう。
それなのに、不甲斐ない七瀬だけでも助けようと、爪を立てて抵抗していた。
そのまつりを抱き込んで、一緒に飲み込まれることを選んだのは、七瀬のほう。
広範囲に及ぶ魔法陣からは逃れられそうになかったのは事実だ。
でも、彼女のように相手を守ろうとか、相手だけでもとか、利他的なことは何一つ浮かばなかった。
あんなに若くて細っこい女の子が、危機的状況で自分より大人の男を守ろうとしたのだ。
不甲斐なかろうが何だろうが、今からでも頑張らないわけにはいくまい。
だからまあ、大人の意地ってやつだ。
かっこ悪いのは今さら。
「……、……」
何か聞こえた気がして、七瀬はソファから勢いよく起き上がった。
なぜか耳が勝手に翻訳したり、口から勝手に飛び出している、こちらの世界の言語じゃない。
急いで寝室に踏み入る。
枕元のランプに照らされた寝顔は苦しげで、ひどく蒼白い顔色をしていた。
「まつりさん。まつりさん、大丈夫だよ」
ぎゅうとシーツを掴んでいる小さな手に触れた。
思わず手を引きそうになるほど、生きているか不安になるほど、冷たい体温に狼狽える。
聞こえているかはわからなくとも、ただ声をかけるしかできなかった。




