第7話 圧倒的な力の差
会場は活気に包まれていた。観客席を埋め尽くす人々のざわめきと興奮が渦巻く中で、少年と少女は静かに向き合っていた。
アリス・ルノワール。その美貌は戦場においてさえ輝きを失わない。美しい髪を風になびかせながら右手に魔力を集中させる。
深紅の瞳に宿る光は研ぎ澄まされていた。まるで獲物を狙う獣のようだ。
「はぁ……!」
最初の一撃は魔力による刃だった。鋭利な真空波がミナト・クロフォードに向かって高速で飛来する。避ける隙を与えない正確無比な軌道。
「……!」
ミナトは動かない。瞬き一つせず立ったままだ。
直後、不可視の障壁がその身を包み魔力の刃を粉砕した。霧散する紫の粒子が周囲を舞い上がる。
「魔力操作によるシールドか……相変わらずだね」
特別席から観戦するのはミナトの兄であるアルフェン。弟の戦い方をよく理解している彼は淡々と呟く。その傍らには従者であるミリウスが控えていた。二人の視線は会場に固定されている。
「まずはあの厄介なバリアからという訳ですか。ならばこれで……」
アリスは躊躇なく次の一手を繰り出す。空中に巨大な魔力が水滴のように無数に形成され、それは次第に形を変え矢となって襲いかかる。
同時多角からの猛攻。並の使い手なら回避も困難だろう。しかし——
「な!?」
アリスは我が目を疑った。数十発の魔力による矢は彼の魔力シールドに触れるや否やエネルギーを失い消失していく。まるで吸収されているようだった。
「なるほどな。確かに、情報通りの実力だ」
ミナトは素直に相手の力量を認めた。その冷静な反応こそがアリスを焦らせる。
「くっ……!」
さらに魔力を集中させるアリス。すると地面から魔力槍が出現し、紫色の竜巻が立ち昇る。
四方八方からの飽和攻撃。観客の歓声さえ掻き消す轟音と閃光の中、ミナトは依然として動かない。ただ静かに、魔力障壁の中で立ち尽くすのみだった。
「嘘……これも全部防がれてる」
アリスは呆然と呟いた。結果は変わらない。
全ての攻撃が無効化され、煙幕が晴れた時、無傷のミナトがそこに立っていた。
「もう終わりか?」
「飛び道具が無理なら、接近戦です……!!」
アリスが最終手段に出た。自ら魔力の塊となって突進する捨て身の特攻。衝突の瞬間――
「ぐっ!?」
まるで跳ね返されるようにアリスの身体が宙を舞った。
ダメージは皆無。しかし、全身から魔力を放出する特攻すら無力化された衝撃は計り知れない。
「(まさか、これ程とは……)」
着地したアリスの足が震える。額に汗が滲んでいた。余裕すら感じさせた美貌に初めて焦燥が浮かんだ。
「……アルフェン様、これが?」
「ああ、あの子の魔力操作だね。防御と吸収の境界を見極める技術。かなり高度なものさ」
特別席で交わされる会話。ミリウスの顔に一筋の汗が伝う。その傍らでアルフェンは微笑を崩さない。
対象的に、ニアは額に手を当て天を仰いでいた。
「……オレ、知らないからな」
「ニア、そんな顔しない!ミナト、ファイトー!」
カナデの声援が場内に響く。彼女は楽しげに手を振りながら声を上げていた。
「まだやるのか?」
「……もちろんです。勝負は始まったばかりですから」
アリスは挑発的な笑みを崩さない。小さな手を宙に上げる。指先から微細な火花が散る。それは、彼女の最後の切り札だった。
「行きますよ……!」
アリスが右手を掲げた瞬間、爆音と共に超極大の光の柱が降り注いだ。
会場全体を紫の光が飲み込み、目を開けることも難しい程の眩しさ。それは純粋な破壊の奔流であった。
「……はっ!」
あまりの眩さに観衆の多くが顔を覆った。地面から発生する凄まじい振動と共に周囲に砂埃が舞う。
「うおおおぉ!!」
「アリス様凄い!」
「やっちまえ!」
観客席から興奮した歓声が沸き起こる。この威力ならば流石のミナト・クロフォードも無事では済まないだろう。皆がそう思った。
「……え?」
砂埃が晴れて視界が確保された時、そこに立っていたのは無傷のミナトの姿だった。
彼は相変わらず何事もなかったかのように平然と佇んでいる。
「魔力障壁、砕けちまったな」
「!?」
アリスは唖然とした。自分が放った最大出力の攻撃は、所詮彼の魔力障壁を破壊する程度の効果しかなかった。
つまり、これでようやく彼の身体に触れる事ができるようになったということだが……。
「っ……はぁ、はっ……」
アリスは膝をつく。全力の一撃を放った反動で肉体と精神に大きな負担がかかったのだ。
対するミナトは汗一つかいていない。呼吸も乱れていない。
「お、おい。これはいくらなんでも……」
「あまりに一方的過ぎるよね」
周囲の観客も困惑し始めた。いくら何でもここまで力の差があるとは予想していなかったのだろう。秒前まで歓声に沸いていた場内は今や緊張感に包まれ、息をのむ音さえ聞こえる。
「これでもまだ降参しないか?」
「………」
アリスは何も言わない。俯いたまま肩を震わせている。敗北を認められないのか、それとも……。
「わかった。その覚悟、買ってやる」
ミナトは右手に魔力で練り上げた刃を構えた。それは単なる魔力の塊ではなかった。密度、形状共に精密に制御された不可視の凶器である。
対するアリスは微動だにしない。その小さな背中はまるで断罪される罪人のように見えたが……。
「そ、そこまで!」
突然の制止の声。審判の判断により試合終了のコールがなされた。観客席から安堵の溜息が漏れ出る。
「勝者、ミナト・クロフォード王子!」
会場に響き渡る勝敗の宣言。会場は尚も当惑のざわめきが広がるばかり。誰もが言葉を失っていた。あまりにも一方的かつ圧倒的な勝利だったからだ。
「わぁ、凄かったねえ!ミナト、全く動かないまま勝っちゃった」
「お前は呑気でいいな……」
ただ一人興奮するカナデに、ニアは深い溜息をついた。
貴族令嬢に無駄な恥をかかせてしまった責任はどうなるのか。帝国側の怒りの矛先が自分に向かない事を祈るばかりだった。その一方で……。
「……ふふ」
膝をつきやがらも意味深な笑みを浮かべるアリスに気づく者はいなかった。




