第6話 嵐の前の静けさ
一週間後、闘技場の控室で俺は準備をしていた。指定された学生服に身を包み軽く体をほぐしている。アルフェン曰く「見た目だけでもそれなりに整えて欲しい」とのことだ。
「緊張してる?」
隣でストレッチするカナデが声をかけてきた。彼女も今回はサポートとして同行している。
「まあな。あんな大勢の前で試合するなんて初めてだし」
「ミナトってば、騎士団の試験とかはほとんどサボってたもんねー。おかげでニアが大変だったんだよ?」
カナデは苦笑しながら言った。確かに昔は適当に相手をボコボコにして終わりにしてたな。最近はそういうこともなくなったが、流石に12歳を越えた辺りから家族からのプレッシャーがハンパない。
「あぁ、本当にそうだ。昔は本当にいいように使ってくれたなあ第二王子様」
「おっ、噂をすればだね」
ニアが現れた。カナデの実兄にして、あの時に助けた兄妹の片割れ。
茶髪を短く刈り上げた爽やかな印象の男で、今はクロフォード王国直属の騎士団に所属している。
「よう、カナデも帰ってたのか。なんだ、またサボりか?」
「む。連休が取れたから帰って来ただけですー。それにアルフェン様にミナトのサポート役を任されたんだから」
「あの人も適当だな……まあ、こいつの相手なら誰が務めても大体同じなんだけど」
ニアは苦笑しながらこちらを見た。こいつとも十年近くの付き合いになるが、この茶目っ気たっぷりの性格は変わっていない。
「まさかお前がこんな大勢の前で試合する気になるとは思わなかったぜ。普段は訓練にもろくに来ないくせによ」
「そうか?まあ、暇だったからな」
軽く受け流すとニアは軽く肩をすくめた。その後ろではカナデがニヤニヤしている。何が面白いんだか……。
「で、わざわざ何の用だ?お前は対戦相手のサポート役なんだろ?」
「いや、対戦相手の子が挨拶したいって言うもんでな。一応お前の許可を取りに来たんだけど」
「挨拶?」
「なんか緊張してるみたいでさ。会いたいって言われても困るんだけどオレも」
ニアは照れ臭そうに頭を掻く。対戦前にわざわざ顔合わせなんて珍しいな。普通は会場で初めて顔を合わせるものだが。
「その子、結構なお嬢さまらしくてな。クロフォードに興味津々なんだよ。このまま行けば同盟関係になる可能性もあるってことらしいし、会って損はないんじゃないか?」
「これから対戦すんだぞ?後じゃダメなのか」
「ダメだってさ。もし負けたら怖くて顔合わせられないとか何とか」
「なんだそりゃ。随分と気が小さいな」
「そう言わずに頼むよ。オレみたいな平民には断れないんだよ」
ニアが両手を合わせて頭を下げる。普段は気が強いくせに俺以外の貴族に対しては妙におもねる態度をとるところがこいつらしい。立場を考えれば当然ではあるが。
「わかったよ。控室でいいんだろ?」
「おぉ、助かる!失礼のないようにな!」
「一言多い。カナデは先に会場に行っててくれ。時間もそんなないし、俺はその姫様と一緒に向かうわ」
「おっけー。試合、応援してるからね」
カナデは小さく手を振ってから部屋を後にした。それに続き、俺もニアと対戦相手の控室へ向かう。
「(アリス・ルノワール……15歳だったか)」
今回の対戦相手の名前だ。聞いた情報によると帝国の名門貴族で魔力、剣術技術共に長けているらしい。
15歳と言う年齢で他国に呼び出されるほど注目を浴びる人物。まさにテンプレートのような肩書きだ。ここまで分かりやすい設定だと逆に作為的なものを感じてしまう。
「ここだな。オレは待機してるからな。あとは頼んだぞ!」
ニアが扉を指差す。それを無言で確認すると俺はゆっくりと扉をノックをした。
「どうぞ」
部屋に入る。中央に設置されたテーブルを挟むように椅子が置いてあり、そこに一人の少女が座っていた。同年代ながら小柄な体格と童顔は実年齢よりも2、3歳程下に見える。
とはいえ顔立ちは非常に整っており、透き通るようなアッシュブロンドの長髪はサラサラと揺れ、深紅の瞳は吸い込まれそうなほど神秘的だった。
「あなたがクロフォード王国の第二王子様ですね。初めまして。私はアリス・ルノワールと申します」
少女は丁寧にお辞儀をして挨拶をしてきた。上品な所作からは育ちの良さが窺える。
「ああ、ミナト・クロフォードだ」
「よろしくお願いします。今回はお互いに災難でしたね。私も急遽呼び出された身ですから」
困ったように眉を寄せながら話すアリス嬢。その表情もどこか計算されたような完璧さがある気がする。妙な感じだ。
「(つか、とても緊張してるなんて言える雰囲気じゃないんだが……)」
ニアに嵌められたような気がしたが……まあいい。時間も限られているし早々に切り上げるとするか。
「全くだ。まああんたのようなのと戦える機会なんて滅多にないだろうし、貴重な経験にさせてもらうさ」
「ふふ、ありがとうございます。ミナト様もかなりの実力者と伺っております」
「それは光栄だな」
当たり障りのない会話は弾んでしまっていた。神秘的な見た目とは裏腹に、思ったより話しやすく好感の持てる少女だ。
「ふむ、魔力について並々ならぬ拘りをお持ちで」
「ん?ああ、まあな」
「私、他人の魔力を感知することに関しては自信があるんです。少し調べさせて頂きたいのですがよろしいでしょうか?」
そう言うと彼女は手を伸ばしてきた。唐突な申し出だが、あいにくと敵に塩を送るような真似はしたくない。俺は無言で拒否の意を示す。
「これから試合するんだぞ。本番前に情報を渡すわけないいだろ?」
「いえいえ、そんな。ただ確認するだけですよ?」
「そういうのは試合の後にしてくれ。あんたの魔力を先に教えてくれるってなら考え直すがな」
冗談めかした物言いは明らかに牽制だ。それでも彼女は怯むことなく微笑んでいる。いや……もしかしたらこれは挑発かもしれない。
「失礼、軽率な発言でしたね。そろそろ時間ですし、移動しましょうか」
それ以上は何も言わず踵を返した。扉を出る前に一度だけ振り返る。明らかに意味深な笑み。間違いなく何かを企んでいる目だった。
控え室から出ると待機していたニアが耳打ちをしてきた。
「……おいミナト。ちゃんと分かってるな? 」
「何が?」
「何が?じゃねーよ!相手は仮にも貴族令嬢なんだ。あんまり派手にやるなよな」
「(派手にって言われてもなぁ……)」
目の前でゆっくりと歩くアリスの後姿。アッシュブロンドの髪が揺れ動く度に香るフローラルの匂いは誰もが魅力されてしまいそうな美貌だ。
しかし、その奥にある魔力の波動は驚く程に落ち着いていた。
この女は、自分が負けるなどとは微塵も思っていないのだ。その自信の源は何なのか興味深いものがある。
「……まじで頼むぞ。責任はオレが被るんだからな」
「分かってるよ。心配すんな」
会場の入口に辿り着くと、ニアは不安げな表情を見せながらも扉を開けた。
眩い照明が目を刺激する。熱狂する観客たちの声援が鼓膜を揺らした。どうやら既に試合開始前から盛り上がっているようだ。
「ではお二人とも、幸運を祈ります」
ニアが一礼して下がる。改めてアリスに視線を向けると、彼女はこちらを見つめ微かに笑みを浮かべていた。
「ミナト様、楽しい試合にしましょうね」
アリスが微笑みかけながら告げる。その一言に込められた意味は理解できなかったが、少なくとも興味を惹かれているということだけは確かだろう。
「両者指定の位置へ!」
審判役の男性の合図と共に俺たちは距離を取り向かい合う。
アリスは特に自然体で佇んでいる。やはり相当に余裕があるように見える。
「これよりクロフォード王国代表であるミナト・クロフォード王子と、帝国代表であるアリス・ルノワール嬢による交流戦を始めます!両者共に礼!」
お決まりの文句に合わせて互いに頭を下げる。周囲の歓声が更に大きくなった。
「始め!!」
ついに開幕の合図が放たれた。




